戦火の心臓 作:Navi
「さぁて、本日も楽しく過ごしていきましょう!何をしようと色々と考えておりましたが、やはりハリスさんと一緒に手につけるのが良いと思いました!」
「こちらとしてもそうしてくれて有り難い。それで、今日はどんなことを行おうと思っているんだ?こちらの知らないことをスティラを通して知れるのは楽しいものだからな…楽しみだ。」
「そ、そう言ってもらえるのは嬉しいですが…そこまで期待は向けなくて大丈夫ですよ…?」
行き来する人の間を抜けながらスチードの街中を2人は晴れた空からの陽の光を浴びながら歩いていた。
初めて対面してから数ヶ月が経過し、その間も
最初は猟犬の抱えていたざわつく違和感の解消という目的を掲げて行動していたが、日に日に猟犬にとってはこの時間が純粋に楽しいと感じるようになっていた。
そしてスチードの軍服を身を包むスティラもこの国の雰囲気に溶け込んでおり、最初の時と違って前を歩くスティラの後を猟犬がついて行く形になっていた。
「今まで様々なことをしてきましたからね…ハインドレートをぐるりと回ってみたり、アトマさんの所で過ごしてみたり…えーっと……先日は料理をしてみたりなどしましたね?(…あれは失敗でしたけど…)」
「ああ、初めてこちらで手をつけて料理を作ったな?やはりあらゆるものに火を通せば安全に食べられることが出来るということを実感できて良かったぞ。」
「あ、あれ?特に味というか…食べてみて抵抗があったりしなかったんですか?」
「…?ああ。しっかりと安全に口に入れられるようになるまで焼いたからな?あそこまでしておけば流石に抵抗はなかったな?」
「(いやぁ…焦げというよりはそれを通り過ぎて錆びみたいな味がしましたけどね…)…そうー…ですね?えっと…その様子だとかなりビビッと来たみたいですね?」
「アトマとスティラがしっかり熱処理されて美味いと言ってくれたからな?そうだな…あれはこちらの特技に加えても良いかもしれないな?」
「そ、そうですかぁ〜…えーっと…ハリスさ…」
どこか得意げな猟犬の顔を見て、スティラは苦笑いを浮かべたが、すぐにその表情を悟られないようにそっと視線を逸らす。
少しの間自分の中で今後の猟犬のことを考えて正直な感想を述べるべきかと考えをまとめると、表情を引き締めて振り返ろうとした。
しかし、嬉しそうにしている猟犬をチラリと視界に収めたことでその気持ちをすぐに振り払い、押し込めて伝えないままにしようと決心をすぐに固める。
「(や、やっぱり却下です…!)た、確かにそれで良いかもしれないですね!?ハリスさんがこちらで楽しいと思うことを見つけ出したのは私としても喜ばしいことですし!?」
「ああ。しかしスティラは色んなことに興味を持っているんだな?スティラと行動するだけで自然とワクワクが大きくなっているのを感じている…すごい人間だな、スティラは?」
心中を察せさせないように口から言葉を発し続けると、今度は猟犬から褒めの言葉が返ってくる。
これにはスティラもすぐに湧いて来た感情によって察せられそうな決心が上塗りされ、反射的に照れたような表情を作りながら笑みを浮かべた。
「い、いやいや!そんなに褒められるようなことをしていませんよ!?私は自分が思いついたことをハリスさんと一緒に行っているだけですし…あっ!そうですそうです!当初の目的となっていた違和感の解消はどうなりましたかね!?…何か変化がありましたか?」
スティラからの問いかけを受けて浮かんできたそれについて考えを向け、黙って猟犬は口を閉じる。
スティラにとっては当たり前だと語っていたことに手をつけた猟犬にとっては、それをスティラの思っている以上に新鮮なものだったと感じていた。
改めて意識を向けてみても、ようやく気づくことになるほどその違和感は小さなものになっていた。
「…そうだな?こちらもたった今スティラに言われて実感できたくらい小さくなっているのを感じている。どうやら、スティラがこちらに付き合ってくれていることが功を制しているようだ…感謝する。」
「…!それなら良かったです!いやぁ…私が原因になってそれが湧いていたと聞いた時はかなり焦っていたのは今でも覚えていますよ…」
「……そうだったな…あの時言ったことがスティラの精神的な負担になるようなことになっていたのなら謝罪する…すまない…」
「(…あっ!?かける言葉完全に間違えました…!)ま、まあ!それも今となってはこうしてハリスさんを深く知る事ができるキッカケになって良かったと思っていますのでご心配なく!そ、そんなに落ち込まなくて大丈夫ですからね!?ねっ!?」
以前あったことを思い出してどこか疲れを感じ取れるスティラの表情を目にして、猟犬は苦虫を噛んだような顔になった。
これを見てスティラもすぐに気にしなくて良いといった旨の言葉を伝え、見るからに落ち込んだ表情の猟犬を励ましを行った。
口から出る言葉の節々と小さく表情を変化させることで猟犬の内心を察することをしていたスティラ。
だが、目に見えて感情が表情として表れることが増えたことによって、スティラも少しずつ猟犬に対する理解が深まっていることを実感していた。
そんなスティラの懸命さが伝わる気遣いを受け、猟犬は薄く口元を緩ませながら口を開いた。
「…そう言ってもらえてこちらも気が楽になる。…それで、外へ出たということはまたこちらを別の場所へ連れて行ってくれるのか?」
「(よし、この様子…雰囲気と表情が戻りましたね?)…はい、そうです!先日のレーヴルでの戦闘、覚えていますか?あの時、ふと目にした場所が意外と綺麗だったんです。絶景ってほどじゃないですけど、ちょっとそれを見てもらいたくて…それでハリスさんとこうして一緒に行こうかと…」
「レーヴルの中か…色んな場所を回っているつもりではいたが、まだこちらが認識していない場所があったとはな?そこは一体どんな場所なんだ?」
「ふふふ…それは着いてからのお楽しみということで!では、それでは!ここから先はレーヴルの山道を登っていきましょう!」
「ああ、分かった。」
ハインドレートでのスティラの活躍によって連続して軍艦を沈没させたことが効いたのか、直近の
それに伴って直近ではスチードの背後や左右に広がる森からの大所帯なものではなく、動きを制限させるためのつつくような侵攻が増えていたのだが、2人が中心となってスチードの部隊はそれを退ける結果を残していた。
「(……一体どんな場所なのか…)」
その中でスティラが見つけたという場所という事を聞いて、猟犬は想像を膨らませながらスティラの後ろをうずうずと足取りを軽くさせながらついて行っていた。
最初はそんな猟犬よりも見るからに意気揚々としていたスティラであったが、しばらく斜面を進んでいくたびに段々と猟犬よりも表情からその感情が薄れていった。
そしてかなりの距離を進んできたタイミングで身体を横に揺らし息が荒くなったスティラが口を開いた。
「はぁ、はぁ…何回も来ているとは言え、やはりレーヴルの地形は中々キツイですね…?…あの……ハリスさんは大丈夫ですか…?」
「ああ、こちらは問題ないが…目的の場所まであとどれくらい距離があるんだ?」
「そう、ですね…?…ざっと見積もってもあと数百メートルは先の地点かと…」
延々と続く膝ほどの高さのある草が生い茂る山道を進んでいた2人であったが、先に息を切らして座り込んだスティラに合わせて猟犬も膝を折って足を止めた。
息を切らしているスティラの様子を見た猟犬は、一度周りを注意するように鋭い視線を送り、再び汗を拭って息を整えるスティラを見返した。
「(…ここは
猟犬は膝をついたまま、スティラに静かに提案した。
しかし、それを聞いたスティラは感じていた疲れがどこかに飛んだように焦った様子になり、両手と首から上を素早く左右に振った。
「…!?いやいやいや…!そんなことさせられませんよ!?こうして連れてきたのは私なんですし、しっかりと私自身の足で歩きますよ…!?」
「いや、万が一の想定として
「うっ……で、ですが…」
「体力にはまだかなりの余裕がある。スティラを背負っていたとしてもこのままレーヴルを超えてスチードまで帰るくらいなら問題ない。そこまでの心配は無用だぞ、スティラ。」
「うっ、うぅ……分かりました…ではお願いします…」
突然の提案にスティラは首を振ったが、猟犬の言葉に押されしばらく思慮顔になる。
だが、猟犬はすでにスティラに背中を向けており、背負う準備をすましてじっとスティラが、寄ってくるのを待っていた。
こうして断固とした気遣いを受けて断りにくい空気になったことでスティラが根負けし、おずおずと近づいていき背負われる形となると猟犬はスッと立ち上がり、軽快な足つきで山道を進み始めた。
「(…!わっ…ここまで私に合わせていたんですね…?少し申し訳ないです…)…以前ハリスさんと一緒にレーヴルへ来た時もこんな空でしたね?やはり青空の下は落ち着きます…こんな暖かい日が続けばいいのですが…」
「そうだな?だが、これから気候の移り変わりがかなり激しくなる季節だ。こうして晴れた空の下を歩けるのがかなり珍しくなる時期に入って来ている…スティラも今後レーヴルへ入ることになるのなら気をつけた方がいい。」
「……はい…」
山道を平地と同じように駆ける猟犬の背中でスティラは振り落とされないようにしがみつく。
そして変わり続ける緑の景観とは打って変わり、その場から動かないで点々と浮かぶ雲を見上げながらポツリと言葉を溢した。
猟犬は淡々と言葉を返してしばらく地面がむき出ている道を沿うように足を進めていたが、少し開けた場所に出たところで足を止める。
「…むっ、二手に分かれた道に出たな?スティラ、目的の場所はどっちの方向になるんだ?」
「…!え、えっと…た、確か右だったような気が…」
「分かった。それと今からもう少し進むスピードを上げるが構わないか?このままスティラがしがみついて、振り落とされないようにしてもらえれば問題ないほどの速度のつもりで進むつもりだ。」
「あっ…だ、大丈夫です…!……あ、あのハリスさん…やはりこれは…ゎっ!?」
意識を前に戻したスティラは猟犬の問いかけに答えた後、言われた通り再度後ろから首に腕を回す。
しかし想定よりも速い速度で動き出したためかスティラは言いかけた言葉を途切らせて驚いた声を上げた。
それに対して猟犬は目の前から視線を切らさずにいたまま、スティラから出かけていた言葉に対して疑問の声を投げた。
「…?すまない、何か言いかけていたのなら、もう一度言ってくれれば助かるんだが…」
「…!いえ…!何でもありませんので気にしないで下さい…!…あっ!つ、次は少し細くなっている方へ進んでもらえれば…!」
「…!ああ、分かった。」
スティラの様子に首を傾げつつも、猟犬は傾斜の増す山道をペースを崩さず登っていく。
そしてレーヴルの特徴的な地形である植物の生えない灰色の岩肌が足元のかなりの範囲まで広がり始めてきたが、その上を進んでからしばらく経つと視界に岩肌とは違う白い地面が広がる地点が入り込んできた。
「…あっ…!ここですよ、ここ!目的地に到着しました!」
「…!ここがか…スティラの言う通り、こんな場所がレーヴルにあったとはな?」
足を止めて膝を折り、スティラを背中から下ろすと惹きつけられるように猟犬は目の前に広がる景色に近づいていった。
そこにあったのは周りの風景とは大きく変わって咲き誇っている白い花々であり、陽の光を浴びて反射する露が目に入り込んでくることによってその白さが一層際立って見えていた。
足元に広がるものに目を向けると、この場に咲いているものは大きく二つ存在し、一つは薄い雲越しに見える太陽のような白い大輪を咲かせたもの。
そしてもう片方は光沢のある布のような花びらの中心に鐘のような少し色づいた花びらがついているものであった。
どちらも青空に浮かぶ雲よりも白く、そして物静かに風に揺られて咲広がっている。
「…やっぱり綺麗ですよね?もちろん範囲としては平地と比べて小さいものですが…限られた平らで岩だらけのこの場所にここまで広く花を咲かせているのを見つけた時は、力強さを感じました。」
「…そうだな…この場所には似合わないほど静かに強く咲いている…花に目を向けたことなどなかったが、こうして改めて見ると不思議な感覚になるな?」
2人は踏みつけないように注意してバランスを取りながら広がる花の隙間を少しずつ進んでいき、その中心に到着すると腰を下ろして大輪をつけて咲いている花との距離を縮めた。
しゃがみ込むとゆらゆらと揺れる花弁から陽の暖かさもあるせいか、ぼうっとしてしまいそうな空気に溶ける甘い匂いが漂ってくる。
戦場に立ち、火薬や焼けこげる血や人体の匂いが当たり前となっていた猟犬は、風に揺られて向かってくる焼けた鉄や血の匂いが染みついた鼻にこんなにも柔らかく、温かい香りが届くとは思っていなかった。
「…花には、ひとつひとつ込められた言葉があると言いますよね?私はその知識が全くないんですけど…ここに咲いている花にもきっと素敵な意味が込められていると思っています…」
「…そうなのか…こちらもそれについては分からないが、きっとスティラの言う通りになんだろうな?」
「ははは…これはあくまで希望に近いものですがね……えーっと、たしかこっちの花の名前はカン…ニュラ?…だったような……あれぇ…?」
伸ばした指の先で花弁に触れるスティラの言葉を耳にして猟犬は改めて視線を下に向けて白い花に同じように触れる。
さらりとした花びらが、露で湿って肌にぴたりと張り付く。
その感触に猟犬は反射的に手を引いた。
今度はじっと触れるようなことをせずにじっと揺れているその様子を見ていたが、その時ふと冷たい感触が伝わってきたことによって自身の手に目を移した。
「…っ?!」
そこには花びらから滴り落ちた雫が手のひらを伝うように流れていたが、一瞬手のひらを伝ったそれが、透き通った水ではなく赤黒い血のように見えた。
咲き乱れている白い花とのあまりの対比に、猟犬は心臓を強く掴まれたような感覚に陥る。
目を開いて驚いた様子になった後、一度瞼を深く閉じて再度ゆっくりと開くとそこには透明な雫が流れた跡のみが残っており、映る視界のどこにも赤に関するものは存在していなかった。
「…ハリスさん?どうかしましたか?」
ハッとした表情を作ってここまで走って来ても乱れなかった呼吸を整えながら振り返ると、上から覗き込むような形で様子を伺っているスティラがいた。
すぐに問題ないと呟きながら膝を伸ばして立ち上がった猟犬であったが、スティラの手を見るとそこには他のものと比べて下を向いている鐘のような花びらを持つ白い花が握られていた。
「…っ……いや、なんでもない……?スティラ、その花は?」
「…!じ、実はこれはここまで背負って連れていてもらったお礼としてハリスさんにこれを渡したいと思いまして……あっ!?もちろん少し弱って見えていたものを取ったので心配しないで下さい…で、では、どうぞ!」
「あ、ああ……感謝する…」
「(……あれ?も、もしかしてあんまり嬉しくなかったですかね…?)」
焦りつつも陽の光に照らされた笑顔を向けながら伸ばされた手の中にあった花を受け取った猟犬は表情に一瞬、戸惑いが浮かぶ。
だがその花を見つめるスティラの目を見て、猟犬は静かに手を伸ばした。
その表情を見て余計なことをしてしまったかと一気に心配の色を滲ませたスティラであったが、それに気づいて猟犬はすぐに真意を表すための言葉を口に出した。
「…いや、もちろんこれは有り難く受け取らせてもらう…だが、こちらがこれに触れるのに相応しいのかと考えてしまっていた…」
「……えっ?」
猟犬から想定していない言葉が向けられて来たためか、スティラは悩んだような様子の猟犬から目を離さずに視線を向ける。
先程まで全くといっていいほど今のような言葉を口に出す素振りすら見せていなかったためか、特に意外なことを聞いたと動きを固めてしまっていた。
「どうして…ですか?なんで急にそんなことを…?」
「いや…少し考えてしまった。こちらは国を守るという命令を受けてそれを自分の意思として動いて来た。だが、一瞬だけ想像して…この景色も、こうして花に触れることも…全てこちらが手にかけた命の上に成り立ってると……そう思ってしまった…」
「…!!あっ……それ…は…」
「いや、スティラが心配する必要はない…ただ理由は分からないが、このことを改めて認識してしまっただけだ。いつものように余計なものとして処理してしまえば良いだけで…それだけで…」
「………」
今まで目を向けてこなかったことにこうして触れたことによってか、自身の立ち位置というものを見つめ直した猟犬はじっと手渡された花を見ながらそう呟いた。
戦場に赴き、敵を傷つけることが存在証明として求められて来た『猟犬』。
その感覚を全く感じさせない光景を目に入れたことによって、それが異常なものとして本来多くの人間から受け入れないものであると認識した。
「(……こちらを見る目…今までは少佐に気に留めないようにしろと言われてきたが……っ?)…なんだ…?」
浮かび上がってきた新たなその違和感は、今まで感じたような不穏さではなかった。
明らかに毛色の違う、ただ静かに、だが確かに皮膚の裏から這い上がってくるような、生々しく得体の知れないものだった。
それを感じ取った猟犬は思わず顔に影を落としてその場で俯いた。
「(何なんだ…これは……何故だ?何故ここまで心臓の鼓動が早くなるんだ?まるで分からない…理解できな…)」
「(ハリス…さん…?)ま、まさか…」
「…何故だ?何故こちらの鼓動が早まる…なんで消えない?」
「…!やっぱり
湧き出た違和感は思考を巡らせるほどに形を変えて肥大化していき、それに伴って猟犬も表情を曇らせていった。
そんな心情の中に光が差し込んでくるように聞こえて来たのは凛としつつもどこか悲壮を感じる声であり、その声に心を引かれるようにして猟犬はゆっくりと顔を上げた。
声の先にいたのは哀しそうな顔をしながらもそれを取り繕ったような表情を向けているスティラ。
そしてその瞳に映っている自身の顔は首を絞められているような苦しそうな表情となっているのを見た。
「…マズイな…これは弱さになってしまう…どうして今になって、こんなにも張りついて離れない…?こんな感情、すぐに消えるはずだ…っ…何なんだ、これは…?」
「…ハリスさん…」
感じたことのない感覚と、それが自分にとってマイナスにしかならないことを直感で感じ取った猟犬は歯を強く噛み合わせて表情をさらに固いものにする。
それを見たスティラは目の奥から悲壮の色を消して正面から猟犬のことを見ていた。
だが、猟犬はスティラの瞳から視線を切って歪に大きくなっていく感覚を振り払うように声を荒げながら口を開く。
「『猟犬』として求められるものに不要な感情のはずなのに…何故消えない…!何故だ…何故…!?」
「ハリスさん…!」
太陽を閉じ込めたような瞳が近づいてきて、さらに引き寄せられるように腕を首の後ろに回される。
猟犬は突然のことでバランスを崩しかけて前のめりになるが、それを支えるような形でスティラが重心を前に傾け猟犬な横に自身の顔を置くようにした。
「…!?スティラ…何を…?」
「ごめんなさい……ハリスさんには…そんな顔、してほしくなかったんです……私と…同じような、そんな目は…」
震えるような声で向けられた謝罪の言葉は、抱きつかれたことによる困惑にさらに上乗せされて猟犬の頭の中をさらに混乱させた。
しかしその言葉聞いて猟犬自身もふと思い出した。
自分の今の表情は、海上に広がる炎に茫然と目を向けているスティラと同じものになっていた。
「…!……そうか…やはりスティラと同じなのか……これは…」
猟犬はハッキリと認識してしまった。
今まで命を奪うことへの抵抗などないはずであったが、自身の立ち位置をこうして別の場所へ置き換えたことによって、今までとは別のものが見えてしまった。
命を奪うことの重さ、自身の手が消えない赤色に染まる生々しい変化、そうすることでしか自分を正当化させることができない心苦しさ。
「…やっと理解できた……これだったんだな…?スティラがずっと苦悩していたのは…すまない……これを理解していないのにも関わらずこちらはスティラに…」
「…!謝らないで下さい…!ハリスさんは知らなくて良かったはずなのに……っ…なんで私はこうして…」
以前、スティラが言いかけていたことの意味も猟犬はここで理解した。
のしかかる重圧に疲弊した表情を浮かべるスティラの心情が今の猟犬には感じることができ、それに対して感情を逆撫でするような言葉をかけたことも。
それを思い出した猟犬は申し訳なさそうに謝罪の言葉を口に出そうとしていたが、それはスティラに中断させられてしまった。
「はぁ…スティラ、こちらへの心配は不要だ。これを理解しても、こちらはこちらに与えられた命令を実行に移すだけだ。こうして知ったとしても行うべき事は何も変わらない…そう考えればいいだけなんだ。」
「…!やはり強い人ですね?ハリスさんは…もう切り替えて落ち着いたんですね…?」
「……それもありがたい言葉だが……なあ、スティラ?そろそろ離れてもらえばこちらとしても助かるんだが?」
「…あっ…ああぁぁっ!?ご、ごめんなさい!急にこんな抱きついたりしてしまってぇ…!!」
落ち着きを取り戻した猟犬は視線を上の方に逸らしながらスティラに向かって願い入れを行うと、すぐに猟犬から赤くした顔を離してその場にうずくまった。
唸り声を出しているスティラの変わり身の速さを見て、猟犬は困り顔ではなく穏やかな顔を作ってスティラの被る水平帽を外した。
「わぁっ!?あ、あの…ハリスさん…?」
「…スティラの表情はこちらと違って大きく変わって羨ましく感じるぞ?向き合うことになったのなら、効果的に相手に自分の感情を向けることができるからな?」
「(もしかして…私に励ましを…?)あ、ありがとうございます…すみません、取り乱してしまって…」
「…なぁ、スティラ。この感情は…こちらにとって弱さになってしまうと考える…だが、どうすればいいんだ?スティラは…これとどうやって向き合っているんだ?」
「…!……えっと…そ、それは…」
顔の熱が引いていない状態でおずおずと立ち上がったスティラに対して水平帽を手渡しながら、猟犬は疑問の声を投げかけた。
こうして猟犬はスティラのおかげで気持ちは切り替えられた。
だが、一度こうして知ってしまった感情がどんな影響をもたらすのか…そこに思考が向かっていた。
猟犬の質問に一瞬身体を固めたスティラであったが、その答えはすでに浮かんでいるようであり、高揚した表情を落ち着かせて自身の考えを口にした。
「私は…それは弱さにならないと思っています…」
「…?…それは……どういうことだ?」
「…最初は、私もハリスさんの考えのように、それをただのマイナスの要素になるものとしか思っていませんでした。ですが…見方を変えて見れば、それは強さにもなると気付いたんです。」
「…強さに…なる?」
矛盾していると思うような考えが語られたことで猟犬は、一瞬何かを飲み込めないような表情を浮かべた。
そんな猟犬に対して、白い花の咲き乱れる場所を抜けて、スティラはふと海のほうへ視線を向けた。
延々と広がるその先には、海と同じ色の青空がどこまでも広がっている。
「えっと…変なことを言ってるかもですが…私は弱さを知る事は、強いことだと思うんです。」
「……それは…何故だ…?」
「はい…弱さを知れるということは、表面的な部分ではなく自分全てを見つめる事ができている筈なんです。そして内面的な弱さを知るということは、自分の足りていないものを把握できたということ…あとはその部分を強くしていくような行動を取るしかなくなります。」
「…なるほど?」
「ま、まあこれは私の場合の話で…ハリスさんは、これが必要ないくらい強い人です。その証拠にキッパリと割り切って、もう前を向いているのはすごい事なんですよ?」
「……そうなのか…」
スティラは延々と広がる青の景色から視線を外す。
風に煽られてずれた水平帽の下で陽を受けた髪が揺れており、その目は白い花の絨毯の上に立つ猟犬をそっと見つめていた。
陽の光を浴びているせいか、猟犬の目に映る柔らかいスティラの表情からはいつもよりも暖かみを感じるようなものに見えていた。
「だから…ハリスさん。これからも振り返ったり、立ち止まったりせずに前を見て進み続けて下さい……私はそんな貴方が…」
言いかけた言葉は、風に紛れて消えていった。
スティラは視線を逸らし、口を開いたままそっと言いかけていた言葉を止めた。
「えー……私の考えはこのような感じですかね?…それでは、これよりスチードへ戻りまして…」
「…?待ってくれ、スティラ。最後に言いかけていたことは流石に気になるぞ?」
「……気にしないで下さい…!!はい!このまま気にしないでいてくれたら助かります!!」
「…よし。帰りもこちらがスティラを背負っていこう。そうしたらスティラも何を言いかけていたのか話してくれるか?」
「なるほどなるほど…それなら尚更遠慮させていただきます!それに気にしないを通り越して、私の言葉は忘れてもらえればさらに助かります…!」
「そうか……どうしてもダメなのか?」
「どうしてもダメです…!」
スティラが最後に言いかけた言葉の先が気になるようで、すぐに顔を逸らしたスティラに近づいていった猟犬であったが、その提案はあっさりと却下される。
しばらくは押し問答が続いたが、最終的には猟犬が折れるような形となり、少し残念そうにしながら早歩きで前を行くスティラの後ろをついて行く。
だが、手の中に握られている時間の経過ともに下を向く純白の花を見つめている顔には、まだ固いが小さく笑みが浮かんでいた。