戦火の心臓   作:Navi

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〈−■〉戦火の心臓

 

 延々と立ち昇っていた煙も時間の経過と共に落ち着いていき、さらには白雲が目立ち始めていた。

 スチードからの連戦でこちらの体力と軍服はかなりダメージを受けていたが、今は自身のことを心配している暇はなかった。

 …今はただ早く、コルディセスまでこの人を連れて行かなければいけない。

 

「…本当に大丈夫なのか、少佐?出血も火傷も酷い…ここまで傷を負った少佐を見るのはこちらも初めてだ。」

 

「はぁ…はぁ……問題ない…」

 

 晴れた雲から出て来た太陽は薄い朝の訪れを告げていた。

 少し前、少佐の言葉通りの場所に向かうとそこにいたのは数週間ぶりの直接の再開となった人が座りながら身体の傷の手当てをしていた。

 すぐに手当てを手伝おうとしたが、少佐は疲れ切った顔でそれを拒んだ。

 結果、ほとんど何もできず今もただ身体を支えることしかできていない。

 

「…この傷は少佐の近くで死んでいたあの帝国(アーチス)の人間1人によるものか?あの中で数々の戦況を潜り抜けて来た人間は、あの帝国(アーチス)の人間しかいないように感じたが?」

 

「ああ……特に奴は、本当にかなりの手練れだったな……まあ、最終的にこっちが削られつつも勝てたからそれで良かったが…」

 

「いや、そんなことはない。ギリギリの命の取り合いの中、こうして少佐が戻ってきてくれたんだ……だから、本当に良かった…」

 

「……あぁ…そうだな…」

 

 身体の中で膨張していた不安と空気を吐き出した身体はいつもよりも軽くなっているように感じた。

 だが、ふと表情を伺うために視線を少し上に向けて少佐の方を見たが、その顔はこちらとは違って苦しそうなものになっていた。

 

「…少佐。やはりここはこちらが背負っていく。それ以上傷の広がりが出てしまってはいけない。…特にこちらもそんな状態の少佐を歩かせるわけにはな?」

 

「…!…いや、そんな大袈裟なものでもないから安心しろ……それで、良かったのか?」

 

「…?…何がだ?」

 

 まだ片方の腕をぶら下げて足を少し引きずるようにして歩く少佐から疑問の声が向けられた。

 だが、こちらはその意図を聞き取ることができず、繰り返させるような言葉をかけることしかできない。

 

「…こうしてコルディセスに来たことだ。あんなに早くやって来たってことは、大佐からの連絡を聞いて飛び出して来たことになる…何でそこまでしてここに来た?」

 

「それは……やはり少佐がそう言うのは、こちらが命令違反をしてしまったからか?」

 

「…結果として被害を抑えて帝国(アーチス)の侵攻は防げた。それについては感謝しているし、深く言及はしない…ただそれよりもオレが知りたいのは、お前があり得ない速度で迫るようにここまでやって来た理由についてだ…」

 

 先に感謝は伝えられたが、スチードの防衛という命令を無視してこうしてやって来たことを咎められることも想定はしていた。

 そして同時に予想として、帝国(アーチス)の規模が以前目にした時と同じであっても、この人がいれば問題ないとも思っていた。

 

「…こちらは少佐がいることで帝国(アーチス)の侵攻は防げるとは思っていた。だが……そうだな?」

 

 理由は、あそこまで心臓付近から全身にかけて流れていたざわつきの正体は分かっていた。

 だが、先程聞こえて来た…いや、今まで聞いて来た少佐の声と気配と比べても重く苦しそうになっているのがさらに気になっている。

 その理由を聞こうにも、目の中から滲む色を見てしまうとそれに対して言及してはいけないと感覚で理解できた。

 だからこそ今は少佐の質問に答えることしかできなかった。

 

「…先ほども言ったが、それでもただ少佐が心配になっていた。理由は…本当にこれだけだ。」

 

「……」

 

 それはざわつきを消し去って形となって分かったこと。

 何故口の中に血の味が広がるような感覚に陥ったのか、何故こちらが撃ち殺した帝国(アーチス)の人間からこぼれ落ちた写真を見た時に感じたことのない擦り潰されるような息苦しさを感じたのか…今は分かっている。

 

「……だが…この理由をもっと具体的に話すとするのなら…こちらの『親』のような存在である少佐を殺したくなかったからだろうな?」

 

「…っ!!」

 

「…だから良かったと思っているぞ。こうして少佐を、そしてスティラの何よりも大切だと言っていたこの国を守り切ることができて…」

 

「………オレはお前に何と言った、『猟犬』?」

 

「……!?」

 

 まだ薄暗い反対側の空に目を向けながら話していたが、不意打ちのように頭の上から聞こえてきたのはいつも手に握られていた鉛のように重く冷たい声だった。

 その直後、肩に置かれた少佐の手が急に力強く締まる。

 驚いたこちらは反射的に身を引き、手を振り払って距離を取ってしまった。

 何をされたのか理解できないままでいたが、すぐにこちらがした事と少佐のしてきた事を把握して一気に困惑が湧き上がってきた。

 そして傷だらけでまだ少しフラフラとした足取りの少佐に近づいていこうにも、目の奥から明確にこちらの手を拒否するような色の視線を向けられたため、思わず足を止めてしまった。

 

「…常日頃から、何度も刷り込ませるように言っているはずだ…お前は何も考える必要も、感じる必要もない……ただ与えられる命令を受け取って、それを遂行しているだけでいいと…!」

 

「……少…佐…?」

 

「ハリス…お前は『猟犬』だ。余計な感情は、意思は持ち合わせてはいけない…そうしてただオレからの命令を受ければ良かった……なのに何故だ?何故お前にそれが生じているんだ?オレとは違うようになると確信していたのにどうしてだ…なんでなんだ?!」

 

 それは初めて聞いた濁流のように押し寄せる少佐の激昂。

 だが、何よりも衝撃だったのはその目であり、今まで一度も、この人から向けられたことのなかった、まるでこちらを忌まわしいもののように見る瞳だった。

 今までここまで感情と声を荒げるその姿を見て、こちらの周りから空気がなくなっていくような気持ちの悪い感覚になってしまった。

 

「……分からない…何故…少佐がこちらその目を向ける…?こちらは確かに命令を無視した…だがそれは…!」

 

 陽の光とは対照的に場を締め付ける空気は酷く冷たい。

 同じスチードにいる人間からこちらは何度もこの目を向けられてきたが、今までそれに対して何か思うことはなかった…はずだった。

 …だがこの人から今同じように向けられているこの目は、こちらにとって目を背けたくなるほど冷たく、身体に穴が開いてしまうようなものになって感じてしまっていた。

 

「…………」

 

 言葉を発さないまま数秒の沈黙が流れた。

 こちらの言葉を聞いても目の鋭さを維持しつつ、呆然としたような表情になった少佐は被っている軍事帽を形が崩れるほど強く握りつぶしてじっと立ち尽くしていた。

 これまで見たことのない、見たくもない少佐のその姿を見て、こちらも意思とは無関係に瞼を震わせ、口を閉じて見ていることしか出来なかった。

 しばらくの間、口を開けない沈黙の時間が続いたが、こちらと再び目があった少佐は呼吸を入れ直して淡々としたいつもの雰囲気に戻して言葉を向けてきた。

 

「…ハリス。オレはお前に親なんていった…そんな目で見られるような人間じゃない…オレたちの関係性は必要最低限の意思疎通の範囲で無ければならない……すぐにこちらに向けているその感情は捨てろ…オレ以外の人間にもこれ以上向けるようなことはするな……これは命令だ。」

 

「……っ!!」

 

 それは今まで受けた事のない、こちらを咎めるのではなく完全な否定の感情のこもった言葉。

 この言葉を受けてか、今度は身体の中に泥水が流し込まれたように冷たくなり、続けて反応するように瞼に加えて目や指先が小刻みに震え始めていた。

 この身体の変化に今までとは違う、感じた事のないざわつきが身体の中で膨張していたが、それでもこちらにはこの人の口から直接聞き出さなければいけないことがあった。

 

「ま、待て…!…まだ理解できないぞ?少佐は一体何を…こちらの何を恐れているんだ…?!その命令には従う…だからそれだけでも教えてくれ…!」

 

 初めて与えられた命令に対して理由というものを求めた。

 ここまで不安定な様子になり、こちらを引き剥がすような少佐の姿は見たことがなかった。

 そしてまるで追い詰められたように恐怖の色を目の奥に滲ませているこの状態も、身体につけられた傷よりも深い痛みによるものとは大きく違ったものであるのもこちらは感覚で分かった。

 朝日が完全に顔を出してこちらと少佐の影を細長く伸ばし始めているが、酷く冷たい陽の光を浴びた少佐は口を開いた。

 

「…お前を、オレと一緒にしたくないからだ。」

 

「…!それは……どういう…ことだ…?」

 

 少佐の口から出てきた言葉は様々な考えが渦巻いている頭をさらに混乱させるものだった。

 理由をさらに求めようにもじっと向けられた目を見るとその感情は押し潰されて消えてしまう。

 

「…お前は知らなくていい…身勝手な事を言っているのはオレも重々承知だ。これは…他人であるオレが本来決めつけるわけにはいけないものだ……だがこれだけはお前に持ってほしくないものなんだ、ハリス。…こうしてやって来てくれたことには感謝する。」

 

「…!まっ…」

 

 そう言い残した少佐はこちらに背を向けてコルディセスへ向かって歩き出した。

 しかし、こちらはまだこの場から全く動けず、その姿を見ることしかできないでいた。

 向けられた言葉の意味を理解できないからというわけでも、呆気に取られたからというわけではない。

 …ただ、少佐との間に生じた亀裂のようなものを飛び越えて、再び横に並んで歩くということに恐怖しているからであった。

 

*******

 

「……」

 

 人の賑わう声はスチードとは比べものにならないほど騒がしく、道を歩くこちらの耳にうるさく届いてきた。

 帝国(アーチス)という脅威を退けたこの国の人間たちから溢れる感情は嬉々としたものとなってこちらの横を何度も通り抜けていく。

 …だが、頭の中が絡まった糸のようになっているこちらにとって、それはただ耳障りのように感じるだけだった。

 時間をかけて考え続けても、こちらは未だに少佐のことが分からないでいた。

 

「(…何故…だ…?何故、少佐はあんな言葉を……あの目を向けて来た?何を間違えていた…?どんな行動を取っていれば…こちらは……あの人に…)…?ここは…」

 

 行き交う声と人混みを避けるように歩き続けていると、いつの間にか四方を石造りの建物に囲まれた小さな空間にやって来ていた。

 建物や石畳に生えた苔の様子から、長い間、人の出入りがほとんどなかった場所だと分かった。

 今まで感じてきたざわつきとは大きく違う感覚も、この静かで誰にも見つけられないような場所にいると落ち着いていくような感覚になる。

 

「………」

 

 この空間の一角にあった比較的新しい木製の椅子が目に入ってそれに腰掛け、背中を壁に預けながらぼんやりと空を見上げた。

 先日まで見ていた鈍色の厚い雲とは対照的な季節外れの青と白い雲が広がる空から理由は分からないがしばらく目を離す事ができずにいた。

 

「あっ…!?う、嘘…!?私以外にこの場所に来る人なんていたの!?」

 

「……!?」

 

 突如として聞こえてきた声に身体を跳ね上げさせ、いつもの癖で前側に寄せていた銃火器に手を掛けかけた。

  空に意識を向けていたせいか、やって来た人物の気配に気づけなかった。

 だが、どこか聞き覚えのある声に、手の動きを止めて視線だけを声のした方へ向ける。

 

「……!(なっ…何故…)」

 

 そして、その先にいたのは見覚えのある顔と雰囲気をまとう軍服ではない白と黄色の服装の、編み込んだ金色の髪が特徴的な人物であった。

 その姿を見た瞬間、いつも見慣れた人物の名前が自然と口をついて出た。

 

「…スティ…ラ…?何故コルディセスに…(…いや…違う…?)」

 

「…!?な、なんで『お姉ちゃん』の名前を知ってるの…?!そ、それにその軍服は確かスチードの…アンタ、一体何者よ…!?」

 

「(…!?いや、そう言う事ならまさか…)」

 

 外見的特徴はスチードで何度も見たスティラと全く変わらなかったが、スティラの名前を出した途端に一気に警戒心を高めてこちらを睨みつけてきた。

 だが、今の発言の中にこちらの知っているスティラと酷似しつつも、何かが違って見えた理由があった。

 

「…すまない、警戒させてしまった…これはこちらの考えになるが…スティラの妹?…ということになるのか…?」

 

「…っ!た、確かにそうだけど…ほ、本当に何者!?私やお姉ちゃんのことはこの国にいるスチードの人たちの中であの人しか知らないはずよ…!?」

 

 じりじりと距離を取りつつ、警戒を緩めないでいるスティラの妹に困惑してしまう。

 いつも見ていた人物とは大きく様子が違って見えたことで、頭の中のこんがらがりはいっそうひどくなった。

 

「やはりそうか…しかし本当に不思議なものだな?スティラと妹でここまで口調や雰囲気が違うのか?」

 

「…!!あ、アンタ…!!アンタもお姉ちゃんと比べて非力な私を憐れむつもり…!?そんな事は私もよーく理解しているけど…いくらお姉ちゃんと面識がある人であっても、初対面の人間に対して失礼だと思わないの!?」

 

「…!…すまない……気に触るようなことを言ったのなら謝罪する…」

 

「はぁ、はぁ……あっ…」

 

 今度はこちらを指差しながら動きをつけて言いたい事を口にしたスティラの妹と名乗る人物は、大きく息を切らしながら口を閉じた。

 こちらは先程の少佐の事があってか、感情のこもった怒声を浴びせられると身体から自然と力が抜けていってしまい、口が思うように動かなくなっていた。

 スティラの妹と名乗る人物はこちらの様子を見てか警戒心を緩めて歩み寄ってきたが、こちらは別の場所に目線を外して顔を見る事ができずにいた。

 

「その……ごめん…あんな事言ってたけど、私の方が初対面の相手なのに言い過ぎちゃってた……えっと…改めて聞くけど、何であなたが私の姉のことを知ってるの…?」

 

「…スティラと同じようにこちらはスチードの防衛に関わっていた。今回の帝国(アーチス)によるコルディセスの侵攻の情報を受け、この国へやって来たということになる…」

 

「あっ…お姉と同じことをしていて、今回わざわざスチードからこの国まで…?…ごめんなさい…そうだと知らずに勝手に変に敵対して色々言っちゃって…」

 

「…いや、問題ない…本来こちらはこの国にいるわけではない。だからそこまで気にするようなことをしなくていい……それと聞きたい事があるんだが…名前はなんと言うんだ?」

 

 怒りが収まると、その表情や仕草はスティラによく似ている。

 この口調や感情の変化がなければ、見分けがつかないほどであった。

 そんなスティラの妹にこうして偶然出会ったことで重い気分を押し退けさせてこちらも様々なことを聞きたいと思い始めた。

 そして、会話の中で互いに名前という重要なことをまだ聞いていないことに気がついた。

 こちらがそれについて聞こうとすると、スティラの妹は少し焦った様子になって早歩きでこちらの正面までやってくる。

 

「ああ!そ、そうね…!まず互いに名前を知らないと会話も何も始まらないわよね!?えっと…私の名前は『イエラ』。あなたの知っているスティラの正真正銘の妹よ!」

 

 どこか誇らしげな様子のイエラと名乗った目の前の人物を見ていると不思議な感覚を覚える。

 まるでここにはいないはずのスティラと話しているような、そんな感覚であった。

 

「…2人は名前までそっくりなんだな?イエラか…了解した。こちらもスティラからイエラの話をスチードでよく聞いていた。」

 

「うっ…ね、ねぇ?その話の中で何かお姉から私について変な事を言われたわけじゃないわよね…?」

 

「…?ああ、スティラも楽しそうに自慢の妹だとイエラのことを語っていたぞ?」

 

「そ、そうなのね…?嬉しいは嬉しいけど…何だか自分の知らないところでお姉に話をされると少し変な気分になるわね…?」

 

 少し頭を抱えながらもまだ語気が強い様子のイエラを見て、以前スティラが語っていた『自分と性格が違う』という事をこうして実感した。

 

「…スティラは『自分の妹は気が強い部分がある』とも言っていたが…こうして対面してその意味が分かった……確かにスティラの言葉通りだったな…?」

 

「…!ちょっ!?アンタ、今ナチュラルに私のことお姉ちゃんと比べて口うるさいって思ったでしょ!?…お姉ちゃんに比べたら、確かにそう思われるだろうなって自覚はあるけど…!」

 

「…!そ、そうなのか?それならすまな…」

 

「ああっ…!いい、いいわよ!あなたがそんなにすぐ謝る必要はないわよ!?(…何だか雰囲気が少しお姉に似ているわね…?)…それで、私は名前を言ったから、次はあなたの番よ?」

 

 怒りの感情が顔に出ているイエラに対して頭を下げようとしたが、それを強めの語彙で中止させられた。

 そしてため息を吐きながらじっとこちらに視線を向けてきたイエラに対して、今度はこちらの名前を伝えることになった。

 

「ああ…そうだったな?こちらの名前か……ハリ…いや、すまない…こちらのことは猟犬と呼んでくれ。そちらの方が都合がいい。」

 

「…!?りょ、猟犬って…お姉ちゃんやあの人が話してた…!?」

 

 …やはりと言うべきか、この名前を出した途端にイエラの目の奥に仄暗い影のような色が滲んだのがこちらから見えた。

 これは今まで気に留めてこなかったものであったが、先程の少佐とのやり取りがあったせいかそれを目にするのを反射的に避けてしまった。

 

「…やはりコルディセスでもこちらの話は広がっているのか…(…それも、少佐と同じような見る目で…)」

 

「あっ…えっ…?(これが本当に…噂に聞いていた猟犬…?)き、急にどうしたのよ…?前に聞いた話だともっとこう…あなたって想像だと少佐みたいな人だと思ってたんだけど…?…その様子だと、あの人と何かあったのね?」

 

「…?イエラは…少佐のことを知っているのか?」

 

「えぇ、当たり前よ。スチードにいるお姉の様子を聞いたりしていたし、あなたの話もあの人からよく聞いてたわよ…だから正直困惑してる……話を聞いていた限りだと、あなたたちの仲はそんな悪くないように思ってたんだけど?」

 

「…分からない……こちらは少佐について行くことを拒否された…だが本当に分からない……理由を考えても何も…」

 

「え、えぇ…?」

 

 イエラはこちらを見て困惑の表情を浮かべていたが、こちらとしてもこれ以上どのように言葉として表現したらいいのか分からなかった。

 自身を否定されたようなあの感覚を思い出すだけでも、勝手に吸い込む空気が少なくなる。

 

「(…何だか…面倒くさそうなことがあったみたいね…)…はぁ…流石にそんな抽象的な説明だけじゃ何も分からないわよ?…でも話に聞いていた姿がここまで萎んで見えるくらいに、あの人と何か仲違いがあったみたいね?」

 

「…そう…なのか?」

 

「いや、それを聞かれても私は何も答えられないわよ?はぁ〜…そうね?私で良かったらここじゃない場所で話くらい聞くわよ?それに、あなたと一緒に行動していたお姉の様子も聞きたいしね?…ほら!とりあえずここから……っ!」

 

「……!」

 

 一歩近づいて腕を差し出してきたイエラであったが、不意に表情が曇って大きく身体を前に倒して倒れ込みそうになった。

 すぐにそれに反応して椅子から飛び上がって肩と腕を掴んで地面との直撃を避けさせたが、荒い呼吸とさらに白くなった顔を見てスティラが言っていたことを思い出した。

 

「はぁ…ふぅ……ご、ごめん…ちょっと足から力が……よく反応できた…わね…?」

 

「…スティラが以前こちらにイエラは身体が弱く心配だと何度も話していた…このまま立とうとして大丈夫か?今はひとまずこの椅子に…」

 

 フラフラになりながらも椅子にゆっくり座らせるとイエラは額から流れる汗を拭いながら呼吸を整えた。

 膝を折って下から視線を合わせていると、イエラは苦笑いを浮かべながら手を震える足の上に置いてゆっくりと口を開いた。

 

「…ありがと……お姉にも、色々話されているのね…?はは…私は……あんなお姉と比べてロクに動けない身体で性格でも劣ってる……アンタもこうして見て、話してみて…やっぱりそう思うでしょ…?お姉の足でまとい…なのよ、私は…」

 

「………」

 

 固くなった笑顔を崩さないままイエラは、自身の服の裾を握りしめてその手をふるふると震わせていた。

 目の奥から今話したようにスティラに対する劣等感を感じているのが読み取れたが、それは本心から思っていることではないのはすぐに分かる。

 あくまで自身に対する落胆が占める割合が多く、スティラに対しては本心では全く違うことを思っている。

 

「…いや、こちらはそうは思わない。スティラはイエラのことを何よりも大切な家族だと言っていたからな…あの言葉は嘘偽りない、本心からの言葉だった。」

 

「…っ!何で…アンタはそう言い切れるのよ…?!」

 

「……それはーー」

 

 イエラから向けられた叫び声には、本心を読まれた時に起こる震えのようなものが生じていた。

 これはイエラの目から読み取れたことだと伝えようとしたが、言いかけたところで言葉がつっかえて出てこなくなった。

 そして理由は分からないが、今の考えとは違って口から出てきたのはスチードでスティラを見て感じた事についてだった。

 

「…スティラは、自分の言葉に表裏がなく、表情にもすぐに自身の感情が出ていて特に他者について話す時はそれが分かりやすくなることに気づいた……これがこちらがスチードで行動を共にしてスティラから感じ取ったことなんだが…間違っていただろうか?」

 

「…っ…それは…」

 

 対面する相手の考えを読んだわけではなく、こちらが今まで見てきて感じたことをこうして話したが、イエラの表情を見ると正しい事を口にする事ができたと思えた。

 だが、未だにイエラ自身がスティラと比べて劣る部分があることに思う事があるのが見て取れた。

 

「…イエラ。スティラはイエラのことを決して劣って見てはいないぞ。これはイエラも理解しているはずだ。」

 

「……なんだか本当に心の中を見られてるみたいね…?はぁ…ええ。それは分かってるつもりよ…今まで何百回も、似たようなことをお姉から言われてきたわよ…」

 

「…そうか…」

 

「…でも、やっぱりあんなお姉の姿と自分を比べたら自然と……考えなくても分かっているはずなのに…バカよね…」

 

 ため息混じりにそう語るイエラであったが、その目にはスティラのことを想像してか、どこか嬉しさが滲んでいるようになっていた。

 …こちらはそれを見て、再び心臓がざわつくような感覚が生じてしまった。

 

「…スティラはイエラを大切に思っている。そしてイエラもスティラの事を同じように思っているのはこちらも見てわかる。…互いに仲がいいんだな?」

 

「…もぉ………えぇ、そうよ。お姉は…私たった1人の家族だから嫌いになんてなれないわよ……ねえ?もしかして、あなたがコルディセスに来たのってお姉のお願いもあったから?」

 

「ああ、だからここにいる。それに、これはスティラとの約束でもあったからな?だから、こうしてスティラの何よりも大切だと思っているものを守る事ができて良かったと思っている。」

 

「…………へぇ…そうなのね?」

 

 落ち着きを取り戻したイエラであったが、今度はこちらに対して鋭い視線を向けてきた。

 かける言葉にまた間違いがあったのかと思ったが、考えてもこちらには何がダメだったのか分からなかった。

 

「な、なんだ、イエラ?…何故そこまでこちらを睨みつけてくるんだ?」

 

「…いーや?別に何でもないわよ?…お姉の交友関係が変な方向に進んでいっていないか心配だったけど…まあ、これに関しては余計なお世話だったみたいね?はぁ…それにしてもやっと動悸も落ち着いたわ…ごめんね?初対面なのに変な心配かけて…」

 

 一度大きく息を吐きながらイエラは背を少し伸ばして心臓付近に手を置いた。

 こちらもイエラの表情を見てこれ以上は特に問題ないと判断して立ちあがろうとしたが、それよりも前に小さく笑顔を作ったイエラから話を持ち掛けられた。

 

「…ちょっと待って…あの……スチードでのお姉の話、もっと聞かせてもらえないかしら?…近くにいたあなただからこそ、できる話があるでしょ?」

 

「…それはこちらからか?」

 

「…いや、ここに私とあなた以外に誰がいるのよ?まあ、お姉のことだから大丈夫だとは思うけど…これは念のため聞くけど、お姉…あなたに迷惑はかけてないわよね…?」

 

 心配そうな様子でスチードでのスティラの様子について聞いてきたが、思い返して少なくともこちらがそのように思うことはなかった。

 …しかし、こうして離れていても通じ合っているように大丈夫だと笑う顔を見ていると、そんなイエラの様子にこちらもどこか身体の力が抜けていくようだった。

 

「あ、ああ…様々な場所で行動を共にしているがこちらは特に迷惑だと思っていないぞ…?」

 

「そう……あなたの国の少佐や流れてる噂で色々あなたについて聞いてたけど、やっぱり話してみると案外普通な人なのね?」

 

「……普通?それはこちらが?」

 

 口元に手を置いてじっとこちらを見ながらイエラはこのように言ってきた。

 どういう意味が含まれているのか考えようとしたが、焦ったようにすぐに続けてイエラから言葉が向かってきた。

 

「ああ、変な意味があるわけじゃないわよ?!コルディセス奪還にあなたたちが動いてくれた時の話からもっとこう、何というか…うーん…言い表し方が思い浮かばないわね……まあ、想像と違ったってことよ!私たちと変わらないような考えを持っているってことを知れて良かったってこと…!」

 

「……そうか?」

 

「ははは、あー…なんか変な間を作っちゃったわね?…とりあえず、私の家に案内するわ。ここでずっと話すのもアレだしお茶くらいは出すわよ?」

 

「……!」

 

 それはこちらにとってはありがたいものであった。

 特にこれといった外傷はないが、前日から動き続けた身体には流石に疲労が溜まり続けていた。

 そして…あの目を向けられるのも…

 

「…そうしてくれるならば、こちらも助かる。疲労が溜まっているのもあるが…この姿のままだとコルディセスを歩いているだけでも目につきそうだったからな?」

 

「あー…確かに、結構ボロボロよね……そうよね…あなたもお姉と同じように戦場に立つから…その……ありがとうね?…一度じゃなくて二度も、この国を守ってくれて…お姉をここだけじゃなく、スチードでも守ってくれて…」

 

 イエラから感謝の言葉を向けられたが、この時の笑みを浮かべた表情はスティラとよく似ていた。

 この表情を見て、ふとスチードの様子が気になったがすぐに浮かび上がった考えは硝煙の燻りながら消えていった。

 

「…ああ。それがこちらが、猟犬として与えられた命令だったからな?…では、イエラは道案内をしてくれるか?こちらは目的地まで抱えて運んでいこう。」

 

「…!?ちょ、ちょっと…!?さ、流石に私を抱えていこうとするのはやめてくれないかしら!?」

 

「いや、だが…」

 

 表情を大きく崩して拒否をしてきたが、こちらとしても先ほどの事もあるためここで引くわけにはいかなかった。

 だが、イエラも同じように折れずに首と手を左右に振り続けて拒否してくる。

 

「いい…!そこまでしてもらわなくても本当にいいわよ…!……あっ!?もしかして、アンタ…!お姉ちゃんに同じようなことしてないでしょうね!?」

 

「…?ああ、ここまでのことはしていないぞ?」

 

「…!『ここまで』…!?」

 

 イエラは目を見開いて、驚きと疑念をぶつけてくるように声を上げた。

 そして再び睨みつけるような視線を向けられたが、やはりこちらとしても引き下がれないため、先ほどのイエラの様子を会話の引き合いに出す。

 

「嫌か…しかし、やはりここはこちらが背負っていく。先ほどのように急に倒れるような事になれば、こちらが間に合わないかもしれないからな?できれば、そうさせてくれればこちらとしても助かる。」

 

「うっ…はぁ、確かにあれを見せちゃったらそう言われても仕方ないわね……分かったわよ、お願いさせてもらうわ…ああ、でも!さっきのアンタの発言については後でしっかり聞かせてもらうからね…!?」

 

 想定通り、こうしてイエラはこちらの意見を聞き入れてくれた。

 しかし、何故かまだ敵意のようなものが消えていない様子を見てどうすればよいか頭を悩ませてしまう。

 

「(…またこちらは変な事を言ってしまっていたか?)…ああ、それで構わない。では背負っていくが…火薬の匂いは身体の害になるか?」

 

 考えて見ても原因が分からなかったため、これについては置いておくことにする。

 さらに姿勢を低くして背中をイエラに向けていたが、こちらに付いている硝煙や焦げるような匂いが問題ないか問いかけを行う。

 

「…それくらいの匂いは別に慣れっこよ……でも、まさか近道を通ろうとしてこんな出会いがあるなんてね…」

 

 背中の重みが増した事でイエラが背負われてきたことを確認すると、こちらも立ち上がった。

 イエラ曰く、この場所に繋がる道を通じていくとすぐに目的地に着くということであったため、背中からの指示に従いながらこちらも足を動かし始める。

 

「こちらもここで人と遭遇すると思っていなかったが、良かったと思っているぞ?…こうしてスティラの家族に会えたんだからな?これは本当に…」

 

「…?どうしたの?」

 

 …少しばかり羨ましいと思ってしまった。

 話を聞いていただけでも、2人は切り離せないようなもので繋がっているのだと。

 …これが、こちらにはこれからも感じる事が出来ないものなのだと実感させられた。

 

「…いや、何でもない…しかし2人は本当に仲が良いようだな?…とても良い事だと思うぞ?」

 

「…!ふふ…まあね!(…そういえば、この人の家族については……ああ!それにしても猟犬って、何だかモヤモヤする呼び方ね…!)まあこれは……着いてから聞けばいっか…」

 

「…?何か言ったか?」

 

「…!いーや、何でもないわよ?…あっ、ここを右に通り抜けて一旦大通りに出るわよ。」

 

 イエラから指示を受けながらしばらく歩いていると、人が多く行き交う通りに出た。

 スチードよりも数は多いが、こちらも今までよく見てきた日常の一幕のような光景。

 …しかし何故だか、あの場所に行くまでに感じていたざわつきが、またここで少し大きくなっているように感じてしまった。

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