戦火の心臓 作:Navi
黒い灰が降り注ぐ鈍色の空の下で血に濡れたハリスは目を開き、光の無くなった瞳を鈍色の空に向けた。
地面に倒れていた身体を起こそうとした際、激痛が走り動きを止めたが、すぐに歯を食いしばって耐え、無理やりふらつきながら立ち上がる。
額や頬から流れる血を拭い、自身の身体と背負っていた兵器の状態を確認してから小さく息と共に言葉を口から吐き出した。
「………行かな…ければ…」
そして爆破の衝撃によって足や腕に突き刺さった木や石片を抜き取り、そのままゆらゆらと生気を失ったように身体を左右に揺らしながら足を引き摺り歩き出した。
自身の周りの木々は生じた熱波によって赤い炎を広げており、呼吸をするだけでも身体に甚大な悪影響を与えるのは想像に難くない。
だが、ハリスは虚な表情を変えずにただ目の前に広がる火の手を掻き分けるように進む。
「………」
小さな呼吸の音も破裂音を響かせながら燃え続ける火の中に消えていき、物々しい雰囲気の漂う道をただ無言で突き進んでいく。
その途中、自身に倒れてきた何倍の大きさのある燃える木を血の滲んだ腕で顔色を変えずに弾く。
2つの衝撃が海の上空で引き起こったことによってそれは比較的遠方にあったはずのスチードの建物が崩壊するほどの影響を与えていたが、ハリスの目にはそれが映っておらずただ一直線に爆風によって開けた道を進み続けた。
「…っ…!ぐっ……はぁ…はぁ…」
抉れた地面に足を引っ掛けて転んでもすぐに起き上がり、流れる血がボロボロになった軍服をさらに赤く染めてもその足取りは変わらない。
目的を失った亡者のようなその姿は側から見れば鋭利な刃物で切り付けられるような痛々しさすら覚えてしまう。
焼け焦げる匂いが充満する道を歩き続け、自身の身体についた火傷や打撲、切り傷に一切目を向ける事なく歩き続け、ただ何かを求めるように歩き続けて辿り着いたその先。
ハリスが辿り着いたのは延々と燃え広がる木々に囲まれて赤い光を反射させる白い砂浜であった。
そして、爆破の影響によって軍艦や木々の様々な残骸が打ち上げられる白い砂浜にいたのは…
「………………ぁ…」
深い眠りについたように仰向けに倒れた1人の少女であった。
使用している兵器をとっさに向かってくる衝撃と自身の間に挟み込んだためか、近くには使用不可能なほどボロボロになった兵器の残骸が転がっていた。
だが、それでも衝撃を受けきることはできておらず、加えて身を守るために出したであろう片腕が痛々しく焦げて皮が剥がれていた。
吐き出された血には黒色が多く混じっており、熱と衝撃によって受けた内臓の損傷の酷さが一目で分かってしまう。
これを見たハリスは息を止めて、思考がまとまる一瞬の間だけその場に茫然と立ち尽くしていた。
「……スティ…ラ…?」
ハリスは呻き声を噛み殺しながら、痛む体を引きずるようにしてスティラへと弱々しく歩み寄った。
そして、呼吸の気配すらない彼女の姿を目にした瞬間、膝をついて駆け寄り、その小さな身体を腕の中に抱き上げる。
突如として視界に現れた飛来する弾を撃ち落とすため、スティラは迷わず引き金を引いた。
そしてその2つが衝突したことによって引き起こった白い閃光と灼熱は、全てを嘲笑うかのような轟音と共に視界に映る全てを包み込んだ。
そしてその光と熱は、1番近くにいたスティラに対して目を覆いたくなるほどの悲惨な影響を与えたのだった。
「…………嫌だ…」
ぽつりと漏れた言葉は、誰にも届かないほど小さく風に溶ける。
ハリスはスティラの身体を引き寄せ、その小さな頭を自身の肩口に埋めると、ただ黙って目を閉じる。
「…起きて…くれ………頼む…」
「……」
「…死ぬ…な……死ぬのはやめて…くれ…!まだ…まだオレは…スティラと……一緒…に…」
「………」
「こんな終わり…は……たの…む……頼む…!!」
あの爆発の中心に最も近い位置にいた人間に訪れる結末は、想像するまでもなく、あまりに簡単で、無情で、そして残酷である。
崩れ落ちた抜け殻のようなスティラの身体を小さくゆするハリスも、それを理解しているのにも関わらず何度も小さな奇跡のようなものに縋るように離れようとはしなかった。
「………ぁ……はっ…」
「……!!」
しかし、無理難題を押し付けてくる神に祈りが通じたのか、ハリスの呼び掛けに応じたのかどうかは分からないが、傷だらけのスティラの手はハリスの軍服の裾を弱々しく握った。
そして吐き出される血に混じって掠れた声を口にし、朦朧としつつも意識を取り戻したスティラを見て影の落としたハリスの瞳に小さく希望の光が差し戻った。
「……ハリ…ス…さん……?」
「スティラ…!よかっ…た……本当…に…こんな…こんなことに……オレ…は…」
…しかしこれは奇跡といえる代物ではない。
むしろ、これは淡い希望という皮を被った死神の戯れと言っても良いだろう。
差し込まれた希望の中に含まれる奇跡など、すぐに形が崩れて消えてしまう程度のもの。
しかし一度それを目にしてしまえば、それがどれほど脆く、偽りのような希望でも絶望に沈んだ者はそれにすがらずにはいられない。
そしてそれは、力無く座り込んでスティラを抱えているハリスにも同じ事が言えてしまうものであった。
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意識を取り戻したことで消えかけていた声を聞いて身体から力が抜けそうになる。
だが、現状としては先程の爆発の影響もあり増援が来ることが考えにくく、すぐにこの場からスティラと共に離脱する必要があった。
すぐに軽い衝撃すら与えないようにスティラの身体を持ち上げようとしたが、自分の服を握る力を微かに強めたスティラが血を口から流しながら口を開いた。
「…ゴホッ…ハッ…ァ……良かっ…た…ハリスさん…は……無事……です……っ…は、はっ……スチード…は…どうなって…」
「それ以上話すな…!!…すぐにここを離れて帰還する!スティラが…まだこうして息があるのなら…!」
「…………ハリス…さん…」
すぐにスティラを抱え上げて移動を始めようとしたが、目を閉じたままのスティラは首を小さく横に振ってそれを拒否するような行動を取った。
その瞬間、身体が凍りついたように固まって動けなくなり、声さえも出なかった。
どうして戻ることを拒否したのか理解できず、咄嗟に首を横に振ったスティラに対して自分も口を開いた。
「何故…だ…?今のスティラは1人で動くことすらできない状態だ…!今なら周辺に
「…分かるん…です……さっきので私は……もう……だから……ハリスさんも…察して……分かってるでしょう…」
「……!!」
瞬間、全身に駆け巡ったのは熱を奪い、肌を引き裂くほどの冷たい現実であった。
今のスティラが意識をこうして保っていること自体が…奇跡。
体が持ちこたえているのも…ほんの一瞬の奇跡にすぎない。
しかし、勝手に頭がこの事実を受け入れようとせず、ただこうしてスティラの意識があるという都合のいいことのみに意識を奪われ続けていた。
…自分は反射的に受け入れたくない現実から、スティラ自身から目を背けていたのである。
「…っ……それ…は…」
「…はっ、はっ……呼吸が…しづらいのに……身体から痛みを…感じないんです………だから……これ…は…」
弱々しくなっていくスティラの声。
それを聞きながら、自分にできることは何かないのかと問いを投げ続け、必死に現実を否定しようと何度も頭を振った。
止血…だが、内臓が潰れている状態の今のスティラには、そんな処置は意味をなさない。
それならこのまま静止を振り切ってスチードへ運び込む…いや、それまでに事切れるのは目に見えて明らかである。
「(…本当に……本当に何もないのか…?考えろ…何ができる?今の自分ができる最善は……自分が取るべき行動は…!?)」
何度も思考を繰り返し、この状況を打破できる答えを考え続ける。
どうすればいい?
何ができる?
「(なにか…なにかできることは…ないのか…?)」
そう願っても、脳裏に浮かぶのは現実の絶望だけだった。
すべてが、もう遅すぎた…考えうるすべてが、すでに手遅れだった。
……もう、自分にできることなど何もできないのだ。
「…っ!!何もできないなんてことはないんだ…!まだだ…こうして意識もあるのなら……何か手を施せば、まだ可能性が…!」
「………」
「だから…だか…ら…」
息をするのだけで精一杯のスティラの様子を見て、自分の口から出てくる言葉は段々と弱々しいものになっていった。
…分かっている。
一目見ただけでも今のスティラの状態は死の直前と何ら変わりなく、だからこそこうして会話ができていること自体、絶望的なものであるはずだった。
こうして意識を取り戻して言葉を口にするだけでもこれは奇跡と言っていいほどのものである。
「……何か…なに……を…」
だが…これはせいぜい本当にそれだけのこと。
スティラの命が、たった今この会話のためだけに、少しだけ引き延ばされているという…そんな錯覚。
そして、こうして思考を巡らせているのも、自分はただスティラに迫っている死の瞬間を直視したくないだけなのである。
それが分かっているはずなのに無力を自覚せず頭を動かしているのは…そうでもしないと、気が狂うような感情の変化が生じてしまうことを本能的に理解していたからである。
「………ハリスさん…逃げて…下さい……ここに私を…置いて…すぐ…に…」
「…!?何を言って…!?」
「…っ……お願い…です……すぐにここから…貴方だけは……最後まで…私のせいで迷惑を……かけるわけ…には…」
自身の状況と行く末を察したためか、スティラから自分に対して逃走の願い入れが行われた。
だが、それは自分にとってはとても受け入れることのできない願いであった。
「そんなわけないだろ…!!オレはそんなこと…全く思っていない…!!だから……このまま…で…」
「………」
「…頼む…このまま……このままここにいさせてくれ…!」
「……ハリスさん…」
人間の死の瞬間は何度も見てきた。
徐々に身体から熱を失っていく様子を…呼吸が小さくなっていく様子を…鼓動が完全に止まるまでの様子を……このように様々な状況の中でも、人間に訪れる死の瞬間は共通していた。
だからこそ分かってしまう。
それに該当するような変化がスティラにも起こっていることを…死が本当にもう目前まで迫っていることを。
「………真っ暗…ですね……雲がかかった夜空を…見ている気分です……以前、この場所から夜空を見ようとした時も…こんな暗い空……でしたね…?」
「…!?……スティ…ラ………何を…言って…?」
「…あ…れ……?…声は……聞こえていますが…ここにいるんです…か……ハリス…さん…?」
「……!」
閉じていた片方の目が開かれて、いつものようにこちらに向けられているのにも関わらずスティラはそれに相反することを口にした。
その言葉に困惑が浮かんだが、意味を察した瞬間、頭から全身へ冷たい雨に打たれたような衝撃が走り、熱が引いていった。
そして今にも雨が降り出しそうな空に伸ばしたスティラの手に触れたが、その手は燃え盛る周辺とは対照的に冷たくなり始めており、再び頭に鈍器で殴られたような衝撃が巡った。
「………あっ…まだ……いてくれたんです…ね…?……手を握られて…やっと…実感……できまし…た…」
「っ…当たり前…だ…!オレは…スティラを置いてここから離れたりはしない…絶対に…!!」
「………」
自分の言葉を聞いてスティラは口を閉じる。
たとえ罵詈雑言を浴びせられようとも、この場から動くという選択肢が今の自分にはなかった。
そうしてしばらくすると、口を閉じていたスティラは静かにぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「……この国は…素敵な国……です…コルディセスの…見慣れた景色とは違った…広く自由な空の下を歩くのは…とても新鮮でした……そしてそんな国で…貴方とまた…出会えました…」
その時、自分の手を握っていたスティラの手から力が無くなり始めていた。
身体に悪寒が駆け巡り、すぐにその顔に目を向けるたが、開かれていた目からも反射している赤色も消えかかっており、そここら少しずつ瞼が閉じていくのを見て自然と小さく言葉が漏れ出た。
「…ぁ……」
だが、スティラはそれに何か言葉を向ける事なく思い出にふけるように言葉を紡ぎ続けた。
「……隣で初めての景色を見た時の…新鮮な表情も……私や……アトマさんと話す…時……の…楽しそうな表情…も……もう…見れないのは…やっぱり……悲しく…」
「スティ…ラ…?」
どうすることもできず、ただ命が潰える瞬間をまざまざと見せつけられるこの瞬間は心臓を握り潰されるほど苦しく感じた。
ただこうして側にいるという選択肢しか残されていないこの状況は、自身の無力さを見せつけられている感覚に陥る。
自分はこのためだけに…絶望を受け入れるためだけにここへ来たのか…?
こんな状況でもスティラに出来るのは、せめてもの気休め、死に際にこうして側にいることしかできないことに…心底絶望することしかできないのか?
「なんで…だ……オレ…は……オレは何のために!!」
「…っ……自分を…責めないで…下さい…ハリスさんは……何も間違ったことは…していません…から…」
「……っ!!」
「…私…だけです……私が力が及ばなかっただけで…ハリスさん…は……何も…」
「違…う…!!」
スティラのこの言葉を聞いて、自分に対して殺したいと思うほどの憎悪が浮かび上がってくる。
元はと言えば、ここまでスチードが後手に回るきっかけになったのは自分が確証もなにも無いのにも関わらずスチードを飛び出したことにある。
これを自覚した瞬間、拳から鋭い痛みが走り液体が流れ出るほど強く握り込んでいた。
「やめて…くれ…!……たの…む…」
「…っ……ごめんな…さい…………ハリス…さん…?1つお願いが…あります……私のたった1人…の…」
その言葉は、スティラが突然自分に向けたものだった。
そして、コルディセスからここへ向かう前にイエラから向けられた言葉を思い返し、噛み締めた唇から滲んだ濃い血の味が口内に広がる。
だが、言葉として返答を返さずに抱えている腕の力を少し動かしたことに反応してスティラは朗らかに笑みを作りながら口を開いた。
「…あの子を……イエラを…1人にさせたくないんです……貴方が……近くに…いてもらえれば……私がいなくても…きっと…」
「…!?ま…待て…!」
「……そして…イエラの姉として生まれて……本当に良かったと……伝えてくれれば………私…は…」
「違…う…ちがうちがうちがう!そんなもの…無いんだ……なん…で……こんなオレに…そんなの…イエラに言う資格など…!!」
「……我儘を…言ってしまっているのは…分かって……います……でも…これをお願いできるのは…ハリスさんだけ……なんで…す…」
それを聞いて言葉が詰まってしまう。
スティラのこの願いを聞き入れる資格がないのは自分が1番理解している。
だが…今の自分には、スティラの願いを聞き入れることしかできなかった。
苦しげに息を吐いて、やっと絞り出すように言葉が漏れた。
「…っ……分かっ…た……必…ず…」
…消えてしまう。
スティラと共に過ごしてきた短くも色濃く残っている青色に染まっていた記憶が、赤い炎に焚べられて灰色に崩れていってしまう。
「…ありがとう…ございます……でも…あと一つ………もう一つだけ…我儘が叶っていたのなら…」
「(…いや…だ……やめて…くれ…)」
「…見たかった…ですね……快晴の空の下で…今度こそ、この場所から青以外何もない、海と空を…貴方と………一緒に…」
…無くなってしまう。
隣で聞き続けていたこの声も。
延々と燃え続ける炎と銃声に包まれて記憶から焼き払われ、全てを血と灰に汚れて塗り潰されてしまう。
「頼む…これ以上…は……消えないで…くれ…!」
受け入れたくないが、確実に訪れてしまう。
たった数回繰り返したこの会話で今での全てが終わってしまう。
本当に……もっと、言葉にできたはずだったのに…
「………こんな…タイミングで言うべきじゃ…ないのでしょうが…言わせて……下さ…い…」
「…っ……なんだ…?」
…来てしまう。
スティラの死の瞬間が…こうして自分の目の前で。
今の自分にできることは、遠方から聞こえてくる銃声と燃え続ける炎の音を届かないようにできるだけ近くでスティラの声に返答を返すことだけであった。
そしてスティラは何度か息を入れ直したのち、自分の方をゆっくりと向いて口を開いた。
「恥ずかしい…ですが……ハリスさん…初めて貴方を見た時……私の前に立って…命を救ってくれた……あの時から…」
スティラの片方の細めた目からは涙が、閉じきっていたもう片方の目から赤い雫が流れていた。
そして、今まで無意識のうちに何度も目で追っていた快晴の空によく合っている笑顔が自分に向けられる。
それは言葉をほとんど口にできず、ぼやける視界でじっと見ていた自分の中で再びざわつきとなって心臓を握り潰すようなものに見えていた。
耳障りなほど大きくなった心臓の鼓動を抑えることすらできずにいるそんな自分に、スティラから紡がれ向けられている言葉が鮮明に届いてくる。
「…ハリスさん……貴方のことが、『好き』…でした…」
「……!!」
世界が止まり、この言葉を聞いた瞬間に鼓動が一際大きくなったように感じた。
炎の轟きも銃声も、遠く霞んでゆく。
たった一言、それだけで自分の中に渦巻いていたざわめきが、蠢くように形を変え始める。
苦痛で、理解できずに目を背け続けたものの輪郭がぼやけて流れ出し、そして溶けるように消えたことで、やっとハッキリと分かった事があった。
「……愛して……いました…だから…一緒にいた時間を想い、こうして最期に…その人の傍にいられて…私は……本当に…」
「(……ああ…そうか……そうなの…か…)」
「本当…に…」
「(やっと…やっと理解した……これが…)」
「『幸せ』……でした…よ…」
ようやく…気がついた。
浮かび上がってきたのはイエラが自分に語ってきた、今まで無意識のうちにスティラに向けていた不可解な感情の正体について。
少佐とは明らかに違う、子が親に向けるような『親愛』という形ではない別の感情の形。
そしてこれを、こんな状況になって…やっと初めて理解できた。
だからこそ考えるよりも先に、この感情を短くも伝え切るための言葉をスティラと同じように口にしていた。
「オレも同じだ…スティラといられた時間は…本当に幸せに感じていた……ありがとう…だから、どうか…最後までこのまま近くに……いさせてくれ…」
「…!…ふふ……そう言ってもらえて…とても嬉しい……で…」
言葉を言い切る前にスティラの瞼は閉じ切られ、伸ばされていた手からも力がなくなり白い砂浜に落とされた。
その瞬間に世界から音は完全に消え去り、ただ全身から力が抜けてスティラの声のみが頭の中で反響している。
そして同時に…ずっと引っかかっていたざわつきが消えた瞬間、胸の内を占めていた何かが、音もなく崩れ落ちていった。
「……………………」
代わりに訪れたのは空虚。
どこまでも澄み切った、鈍色の雲の先にあるはずの空のような感情。
このざわつきが消えたことで不気味な晴れ晴れしさに似る感情を抱いている、空っぽになった心で見つめた先には、どこまでも安らかな笑みを浮かべたスティラの寝顔があった。
その顔を見て、言葉に込められた想いが伝わってくれたと…思いたかった。
……だが…もっとハッキリと伝えたかった。
できたはずだった…何度も機会は存在していた。
これを理解するのにはあまりにも遅過ぎたが、やっと今になって確信を持っていえるものがある。
自分は…スティラと出会ったことで心の底から満たされていたんだと。
…そして、スティラとずっと隣でいられるような家族になりたかった…と。
今更になって、戦場などでない場所で共に生きる時間を求めた。
もう聞こえることはないのにも関わらず、愚かにも何度も頭の中で伝えられなかったこの思いを閉じ込めることしかできなかった。