戦火の心臓 作:Navi
「………」
薄い日の光が差し込む雲からパラついた雨が降り続いており、窓に当たって流れ落ちる様子を猟犬はぼんやりと見続けていた。
たった1人しかいない個室のベッドの上で新しく変えられたばかりの包帯の溝を指で無意識のうちになぞっていると、窓の外から聞こえてきたのはスチードの人間の泣き声であった。
「……っ…!はぁっ…はぁっ…!!」
嵐の夜が明けてスチードは前日の侵攻の処理を行なっていたが、戦場から持ち帰られてくるのは死んでいった隊員の亡骸。
多くの人間が死んでいった今回の侵攻が与える影響は、スチード全体に暗い影を落とすものとなった。
そしてそれは猟犬にも同じような事が言え、外から聞こえてきた声を聞いて猟犬は両腕を抱えて息を荒げながら身体を震わせた。
しかしそれは、その空気を破るような音と共に隠れて消えることになる。
「……ハ、ハリス…?入っても…大丈夫…?」
「…!?…っ…あ…ああ…」
突如として部屋の扉からノックの音が数回聞こえてきた後、猟犬にとって聞き馴染みのある声が向けられた。
それを聞いた猟犬はすぐに身体の震えを呼吸と共に抑え、その声の主に対して入室の許可を行う。
そして開かれた扉の先から部屋の中に入ってきたのは、表情を曇らせて肩を片方だけ雨に濡らしたアトマであった。
「……無事…だったんだな……アトマ…」
「う、うん…僕の方は…
力の無い猟犬の表情を見てから分かりやすくたどたどしい口調になったアトマは猟犬に近づいて置かれていた椅子にゆっくりと腰を下ろした。
そして痛々しい姿になった猟犬の身体を見て、動揺を馴染ませながらもおそるおそる問いかけを行う。
「…首は撃ち抜かれたが……焼いて塞ぎ、今は止血はできた……足にも穴が空いているが…同じように血は完全に止まった…な…」
「そ、そこまで……それは…治るんだよね…?」
「…おそらくは…な……だが、足先の状態は酷い…爪や皮が無くなって、ボロボロだ……しばらくまともに歩けはしないだろう…」
「そ、そっか…」
意識が抜けたようにぼんやりとした口調で話す猟犬に対して、アトマも何と言葉を返すべきか考えあぐねていた。
それは猟犬の身体の状態の悪さを聞いたからではなく、死人のように瞳から光が消え去ってしまっているのを目にしたため。
今の猟犬に対して、アトマ側から安易に踏み込んでいけないような状況となっているからであった。
こうして少しの間、言葉が発せられない重く静かな時間が流れていたが、自分の身体に視線を落としていた猟犬がアトマの方を向いて口を開いた。
「……なぁ…アトマ……オレは一体……何のために存在していると思う?」
「…!?な…なんで急にそんなことを……っ!」
猟犬の突然の言葉にアトマは表情を強張らせてつつも言葉を返そうとしたが、自分に向けられていた黒い目を見て重くその口を閉した。
アトマが言葉を言い淀んで俯いたのを見た猟犬はただ淡々と会話を続けた。
「…スティラは死んだ…もう、いない。すぐ目の前にいた…あの時スチードから飛び出さなければ、失わずにすんだはずなのにオレは…スティラ見殺しにした…殺した…!オレが…スティラ…を…!」
最初は途切れることなく言葉を綴っていた猟犬であったが、段々と発する力は無くなっていき最後は完全にその動きを止めて視線を包帯の巻かれた自分の手へ落とした。
自身の無力さが全身についた傷となって締め上げられている猟犬にとって、自分に対して憎悪と後悔の言葉を向けることしかできなかった。
「…間違っていない…だと?違う……違うんだ!!自分の確証のない身勝手な行動でスチードを離れ、結果としてこうして多くの人間が死んだ…!命令や静止を聞かないで…オレは……スティラを、多くのスチードの人間を殺したんだ!!」
「…ッ!!」
包帯だらけの両手で顔を覆い、口の中からギリギリと軋む音を出す猟犬は感情を露わにして言葉を吐き続ける。
その手から痛みと無力感が滲み出ており、指の隙間から見える目は、感情の濁流に飲まれて散乱としている。
これを聞いていたアトマはすぐに椅子から立ち上がり、猟犬に向けて哀しみと怒りの感情を向けながら口を開いた。
その言葉は、言葉にならないほどの必死さを帯びていた。
「そんなわけない…!!君が一人で今回の事を抱え込むべきじゃないんだ…!少佐から聞いた…コルディセスへ飛び出して行ったのも、それはレーヴルにいた
猟犬の目は虚ろで、アトマの言葉に耳を貸すことなく、その答えを探すように静かに手を顔から離した。
やがて猟犬の口が震え、そのまま低い声で呟く。
「…だが結果として何も守れなかった…猟犬として与えられたことを、命令を…オレは……無視したからオレ…は…!」
「………!」
バルツに言われた言葉を思い出しても、それは猟犬にとっては自分の間違えを突きつけられるものとして捉えることしかできない。
アトマの言う通り、レーヴルに存在していた
故に猟犬にとっては、それを『仕方ない』という言葉で片付けるには身勝手な保身としか捉えることしかできなかった。
「はぁ、はぁ……はぁ……すまない…アトマ……こうして来てくれたのに…こんなことを吐き出してしまって…」
「……ハリス…」
悲痛そうに自分を見ていたアトマの顔を見て、猟犬は顔を歪めながら弱々しく謝罪の言葉を口にした。
そして再び互いに言葉を口にしない、重々しい静寂が訪れようとしていたが、それが訪れる前にアトマは再び椅子に座り、猟犬の顔を正面から見ながら質問を投げる。
「……ごめん…こんなこと、本当は今聞くべきじゃないことなんだけど…君は、これからどうしたい?……自分に罵声を浴びせ続けるのは…やっぱり辛いよ…」
「…っ!……それ…は…」
それは猟犬にとっては想定していない言葉であった。
ただ自分に対して一睡もすることなく今まで迫られるように負の感情をぶつけるということしかしていなかった猟犬にとっては、これからのことを考える余裕などなかった。
だからこそ出てくる言葉は決まっていた。
「…………『分から…ない』…自分はどうしたいのか……何をすべきなのか……その何も…」
「……そっか…ごめん、急にこんな事を言って…」
「………あ…」
何か言葉を言い始める前に、猟犬は口の動きをピタリと止めてふと雨粒が流れ落ちる窓の外に視線を向けた。
そして小さく猟犬の肩幅ほどしかないその窓越しに、壁面や屋根だけでなく建物自体が崩れた街並みと傘を差して暗い顔で行き来しているスチードの人間の姿を捉えた。
コルディセスで見ていた青く明るい風景とは違う、灰色に染められた世界の色に視界が支配される。
それを目にした瞬間、猟犬の目の色が変わりつられたようにポツリと言葉を溢した。
「…そ…うだ……『
「……!?」
アトマに語りかけられた猟犬から湧き上がってきたのは、
それは自身に対する負の感情を押さえつけるために、そして湧き上がるその感情から目を背けるように逃げるために溢れたものでもあった。
無力な自身を恨む感情と、
「やっぱり………殺すしかない……もう、何も失わずに済ませるには…
アトマは言葉を発する前に、ほんの一瞬の沈黙を作った。
猟犬の目の中に広がる憎悪と絶望を見て、アトマの心はひどく揺れた。
そして、猟犬が追い求めるもの…それがもう、帝国(アーチス)への憎しみしかないことに、アトマは耐えられなくなった。
「……っ!」
身を焦がすような仄暗い激情に猟犬の意思が呑まれそうになっていたところにアトマは立ち上がり、上着の下から取り出したものを猟犬に被せた。
それによって猟犬は憎悪に擦り切れかけていた意識を隣に立っていたアトマへと戻す。
そしてこの突然のアトマの行動に困惑しつつも、被せられたそれによって視界が塞がれた猟犬はすぐに頭に乗っかってきたものを取り外して目の前に向けた。
そしてそれを見た瞬間に瞳から溢れ出ていた感情が灰のように脆く崩れ去り、代わりに表情が痛々しく歪んだ。
「……!!?はっ……な…んで…?これ……は…」
「…本当にごめん…まだ、これをハリスに渡すつもりはなかったんだ…きっと君には辛いものになるから……でも……今の君にはこれがいる。」
呆然とした猟犬の手に握られていたのは丁寧に形が整えられ、青い装飾が施された水平帽だった。
それは少佐や大佐が身に付けているスチードの軍事帽とは全く違うものであったが、猟犬にとっては脳裏に焼きついて離れないほど記憶に残っているものでもある。
何故ならそれは…
「スティラが……いつも被っていた水平帽…?…何…で……アトマがこれを…あの爆破に巻き込まれて…燃えたはずで…」
「…いや…最初からスティラは、それを被っていなかったよ…スティラは、ハインドレートに
「…!な、何故スティラはそんなことを…?!」
その言葉を聞いて猟犬は身体を痛みが走りながらも無理矢理捩らせてアトマの方へ視線を向けた。
話に聞いているだけでもスティラがそのような行動を取った理由が分からない猟犬にとって、その理由を知りたいからこその行動であった。
「っ…それ…は…『万が一自分に何かあったらハリスに渡して欲しい。これを…託してほしい』って……そう言っていたんだ…」
「……は?」
表情を暗くしながらそう語るアトマを見て、猟犬は目の前がぐらつくような感覚に襲われた。
今まで戦場に向かう時もスティラは肌身離さずに猟犬の手に握られている水平帽を大切そうに身に付けており、そしてそれは猟犬と行動を共にしている時でも同じであった。
「……なん…で…それは……まるで…」
そんな自分にとって大切なものを『何かあった時のため』という文言と共に、スティラはアトマに預けたのである。
だが、これではまるで自分の行く末を悟ったことによって起こした行動ではないかと猟犬は思ってしまっていた。
そして、それを感じ取っていたのはアトマも同じであった。
「…確証はなかったはず…でもスティラは、何となく分かってたんだと…思う……自分が無事に済む保証がないことを…だから僕にこれを…そして君に…」
自分も思っていたことをこうして言葉として聞かされても、猟犬の混乱は治るどころか逆に悪化した。
スティラは決して自分が死ぬことを望んでいなかったはずだ…それでも万が一に備えていた。
そう…こうして自分の死を受け入れる覚悟と共に、自分の生きた証を形として残したのである。
「…なんで……違う………そんなわけない…!」
しかしまだスティラの死を完全に整理しきれていない猟犬にとっては受け入れ難いものであった。
形として残された水平帽を見ても湧き上がってくるのは前や隣を共に歩いていた生きていたスティラの姿だけである。
こうして生きていた証明として残されたものを手にしても、スティラももういないことに変わりはなく、猟犬にとってこれは息が止まりそうになるほど苦しく、喪失感と自身の無力を突きつけてくるものにしかならなかった。
「…っ!!はぁっ、はぁっ!……なんで…これをオレに……これを受け取る資格なんてない…はず……それにこれを受け取ったところで…もう……何も…!」
「……違う…」
その言葉を、形を受け止めるのが、どれほど難しいことかが分かっていた。
しかし、猟犬の目の前がふと真っ暗になり、心臓が早鐘のように打ち始めた。
言葉にできない痛みがこみ上げ、声を絞り出すのが精一杯だった。
「何も…違わない!何もないんだ…!!今のオレには何も…何かを与えられる価値なんてない!!これを受け取ったところで残るのは…何も…ない…そうだろ…?」
「それは違うよ、ハリス…!…スティラがそれを渡したのはそんなことを突きつけるためなんかじゃない…!ただ…『自分を、忘れてほしくないから』……本当にただ、それだけ思ってたからだと思うよ…?」
ごちゃごちゃの感情に表情を歪ませられている猟犬に対して、アトマはポツリとそう言葉を溢した。
もう何も残っていないという猟犬の言葉を否定しつつ、残った事実から目を背けてようとしている猟犬に対してかけられたその言葉は小さくも確かな暖かさがあるものであった。
「…スティラは、ハリスと一緒にいた時間を心から楽しんでいたと思うんだ。実際に僕もスティラから聞いたわけじゃないけど…これは確かなことだと思う……それはハリスも…同じはず…そうでしょ…?」
「っ…!!」
アトマの言葉を聞いて猟犬が思い出したのは、スティラが死の直前に口にしていた言葉。
自分といた時間を最後に『幸せ』と言い表してくれたあの時の光景が鮮明に浮かんでいた。
その瞬間だけは…周りの炎も、硝煙の匂いも消え去っていた。
これを思い返した瞬間に、猟犬は喪失感とは別の感覚が心臓の鼓動を早めているのを感じ取った。
「自分を忘れてもらいたくないから……自分は生きていたんだってことを残すために…本当にただ、それだけを思って君にそれを…渡したんだと思うんだ…」
「…………」
「これは…確かに僕の勝手な想像……でも、スティラならこう思っていたと思う……きっと、ハリスに後悔してほしくないからって…そう…思って…」
「……消えるわけ…ない…本当にスティラがそう思ってこれを残したとしても、後悔を消すことなんてできるわけない……オレはすぐ近くにいた…んだ……だが、何も変えられなかった…!」
スティラが何を思っていたのかは誰にも分かるはずがない。
仮に猟犬に対して重荷を感じさせないような思いを込めて残していたとしても、『もうスティラはいない』という事実によって生まれた空洞を埋めるには至らない。
「……救えた…はずだった…!だが…もういないんだ…スティラは……もう…」
憎悪と引き換えに改めて現実を突きつけられたことによる喪失感によって、猟犬の中身はさらにボロボロに傷んでいた。
水平帽を握り締め、自分の心臓の前に抱き寄せるように置いていた猟犬は溢れ出そうになっているものに耐えるように自然を下げて身体を震わせていた。
だが、そんな猟犬の様子をすぐ近くで見ていたアトマが猟犬の肩を掴んで震える声を荒げてきた。
「だから…だよ…!」
「…!」
聞こえてきた声は意識を水の中に沈められたような感覚に陥っている猟犬にとって、海上から差し込んできた陽の光のようなものであった。
より鮮明に聞こえてきた声の方へ驚きつつもゆっくり視線を向けると、膝の上に置いた手を握りしめて震わせているアトマの顔がぼんやりと捉える。
窓の外の水滴によって外の景色が鮮明に見えないように、猟犬の視界も同じ見え方となっていたがそれでと目を潤ませているその表情だけは鮮明に映っていた。
「向き合うしか…ないんだ…!僕たちがしているのは戦争で…命を奪い合う中で大切な人を…誰かを失うことを……受け入れることしかできないんだ…!」
「…っ…!!」
「君だけじゃない、僕も同じだ…!…僕は人を殺すためのものを作っている…だから同じように背負わなきゃいけないんだ……この痛みを君や少佐と一緒に…」
それは燃え広がる炎に包まれた白い砂浜の上で猟犬が少佐から言われた言葉に似ているものであった。
他者の命を奪う人間にとって受けるべき苦しみであり、逃れられない痛みとなって襲いかかってくるもの。
目の前で引き起こった事実にただ呆然としており、深くその意味を自分の中で捉えずに聞き流すことしかできなかったあの時とは違い、今の猟犬にはこの言葉の重みがのしかかっていた。
「でも僕たちは…この痛みを受けても、それを抱え込んで前を見ることしかできない…!立ち止まっていたり、いつまでも後ろ向きでいちゃいけない…!」
「……オレ…は……」
猟犬の目の前にはぼんやりとした景色が広がっていた。
外の雨の音が静かに耳に響き、窓の水滴がゆっくりと落ちていくのを見ていた。
「……はぁ…はぁ…でもね、ハリス…君はまだ…後ろを見ていていいと思う。スティラが残したそれの意味をどう捉えるかは、君の自由で…誰も口にできないことだし…僕も、あんな風に言っちゃったけど、やっぱり最後は君が自分の思った通りに受け取るべきだと思うんだ…?」
「……!!」
「それは…スティラがハリスに渡したものだから…ねっ…?」
アトマは袖で目を擦りながら貼り付けたような無理な笑みを浮かべて猟犬の顔を覗き込んでくる。
まだ感情の整理がついていない猟犬によって投げつけられた言葉は大きく心臓を揺らしていた。
アトマの言葉を聞き、少佐の言葉を思い出していた猟犬は再び手の中にある水平帽に視線を落として俯きながら口を開いた。
心臓が震えるようだった。
「………これを…スティラの意志を…残していいのか…?この苦しみを抱えたままで……本当にこのまま…残していいのか?」
「……うん…」
「…まだ価値はあるのか?…こんな…自分に……スティラの残したこれを……受け取れる価値は…」
「…ハリスに無いわけないよ。…自分が望むのなら、それを失わずに残しておくべき……僕もそれが1番…正しいことだと思うよ。」
ポツポツと自然と言葉を口にするとアトマから返ってくるのは自身を肯定してくれる言葉であり、それを聞くたびに猟犬の声は小さくなっていく。
前を向くという行為を今の自分にできないのは理解している…だが、それでもいいと答えてくれたアトマの言葉は、確かに憎悪と後悔に包まれていた猟犬に変化を与えた。
「…っ……こうして生きるしかないのか……オレは…」
ーー『… 『猟犬』としての生き方を控え、『ハリス』さんとしての自分の表し方をしてみるというのは…』
「まだ……生きている人間として……そうだ…な?」
ーー『私は弱さを知る事は、強いことだと思うんです…… だから、これからも振り返ったり、立ち止まったりせずに前を見て進み続けて下さい。私はそんな…』
「オレは…止まらずに前を向くしか………そうしないといけないようだな…?」
「…!ハリス…!」
猟犬のその表情は虚なものであるが、感じ取れる意思には確かな変化が見えた。
それを見たアトマの表情は涙目になりながらも少しだけ晴れたようになっていた。
「……感謝する、アトマ…少しだけオレも息苦しさが紛れた気がする……身勝手だが、スティラが残したものを…自分の望むように捉えてみようと思う…」
猟犬は目を閉じ、固い表情を浮かべながら握っていた水平帽を改めて被って見せた。
それは少しサイズの合わない大きさであったが、水平帽の頭頂部に手を置いている猟犬の表情は悲しくも、何かを深く噛み締めるように落ち着きのあるものであった。
その様子を見ていたアトマの表情も安堵のためか穏やかなものに変わっていた。
「…よく似合ってるよ。うん…きっとスティラも同じ事を言ってくれるはず……だと思うよ?」
「…そうだろうか?そうだな…もしそうだったら、オレとしても嬉しい…な?」
アトマからの賞賛の言葉を聞いて、再び猟犬は固くありつつも薄い笑みを浮かべて見せた。
そして、そんな猟犬の顔を見てアトマは、何か思い出したかのように猟犬から視線を切って自身の身に付けている服の中を探り出した。
「…?何を…している?」
「あっ、えーっと…ちょっと探し物をね………!ああ、あったあった!…あのね、僕からハリスに渡しておきたいものがあって…これ…なんだけど…」
アトマの行動に疑問を持った猟犬はじっとその様子を眺めていたが、しばらくしてアトマは苦笑いを浮かべながら懐から一つのよく整備された何も外付けされていない銃を取り出した。
一瞬だけ猟犬は顔を引き攣らせて驚いたような表情を作ったが、その顔はアトマが銃身を自身の方へ向けながら手渡してきたことによって再び疑問を浮かべたものに変わった。
「……これは…?」
「えっと…今話したみたいに、僕からも何か渡したくてさ。あ、深い意味ってわけじゃないんだけどね…!これは…君がもし苦しくなった時に少しでも楽にしてあげられるようにって思って…」
「……なるほど…楽にする……つまりこれは『自分に撃つため』のもの…ということだな?」
「んえっ…!?ち、違う違う!!深い意味はないって言ったじゃんか!!ハリスにそんな使い方をさせるつもりでこれを渡したいわけじゃないからね!?むしろ逆!!急にそんな心臓に悪い事言わないでよ!!」
猟犬の返答を聞いてアトマの表情に一気に驚きと怒りの感情が浮かび上がり、それを面に出しながら強い言葉を浴びせた。
それを受けた猟犬は肩を跳ね上げさせ、すぐに申し訳なさそうに表情を曇らせながら頭を下げた。
「…!す、すまない…!悪い方向にしか考えられなかった…だが、逆というのは…どういう意味なんだ?」
「本当…わざとじゃなくてもこれからはそんな事言うのはもうやめてよ…!!はぁ〜…それで、これを君に渡そうと思った理由だけど…これを、誰も傷つけるようなことをせずに本当にただ持っていてもらいたいんだ?」
「…?どういう…ことだ?」
謝罪の言葉を受けて落ち着きを取り戻したアトマはそのように猟犬に対して言葉を向けてきたが、それを聞いた猟犬は混乱の表情を浮かべた。
今自分に渡そうとしているのは戦場で命を奪うために使うものであり、それを『ただ持っていて欲しい』という理由で渡そうとしていることをおかしく感じた。
しかし、アトマはそんな猟犬から向けられた疑問に対して自分の考えを口にする。
「…ハリス。君はスチードを守るためにいて……決してただ人を殺すために生きてるんじゃないんだ。確かに君が猟犬としての生き方を求められているのは、僕も分かってはいる。でも…それが苦しいと感じる時は必ず来てしまうと思う…」
「……猟犬として生きることが…苦しく…?」
「これはきっと君が……だから、もしそれを感じてしまったら、何も汚れていないこれを手に取って思い返して欲しいんだ。これは本当に、なんも特別な機能もないただの銃だよ?…でもね、これは…僕が『自分の好きな生き方』を選べるって気づかせてくれたものなんだ。」
「………」
「君が僕の作るものをただ純粋に楽しく見てくれたように、戦場に立つ生き方以外のものもあることを…そんなことを考えてもらえれば…って…」
「……アトマ…それをオレに…」
「あっ…ご、ごめん…!やっぱり今の僕って変なことを言っちゃってるよね!?え、えーっと…僕の言ってたことは忘れて、とりあえずこれをお守りとして持っていてもらえれば…それで…」
「…いや……ありが…とう…」
「……!」
猟犬に対して言葉を向けていたアトマであったが、段々と話していくうちに変化のない猟犬の表情を見て声が弱くなっていった。
だが、猟犬は顔を伏せたアトマを見ながら感謝を述べてきた事によってすぐに飛んできた言葉に対して驚いた表情のまま顔を素早くあげて猟犬の顔を覗き込んできた。
「…先程は見当違いなことを言ってすまない…だが、今の言葉を聞いてアトマがこれを渡してきてくれた理由はハッキリした。これに込めてくれた考えも…だから……ありがとう…な?」
「……うん、スティラの帽子も含めて…大事にしてね?」
互いに今回の侵攻によって負った傷はまだ深く残っているが、それでも雨足の弱まったこの時間をひび割れた屋根の下、部屋の外にいる人の気配に気付くことなくぼんやりと実感していた。
*******
「(…そうだよな?お前には、まだいるからな…)…やっぱりオレが出しゃばろうとする必要はなかったな…」
「やっ、少佐。そんなこと言わずに、ここで立ち聞きせずにこのまま入っていったらいいのに?」
「…っ!?…はぁ……なんだ、お前か『アンナ』…」
「あれ、酷いねえ?私は久々の同志の再会なのに、そんな顔されるなんて思わなかったよ?」
2人の会話を耳にした少佐は、いつの間にか医務室の外まで近づいていた。
気配を消して腕を組み、その様子を見守りながらも、どこか安堵した表情を浮かべている。
そして、2人のやりとりを聞いた後に、立ち去ろうと歩き出そうとした瞬間に背後から突然声をかけられて一気に警戒心を強めた。
だが、それはすぐに振り返っていた人物の顔を見て緩めることになる。
「あのなぁ、あんまりこっちのこと気配消してビックリさせんなよな?反射的にマジで手が出そうなったぞ…?」
「あはは、ごめんごめん。あまりにも集中しているみたいだったからつい私としてもイタズラ心がね?ここまで来たってことはあの子のこと気になったか、何か用事でもあったの?」
振り返り見ると、そこにいたのは明るい灰色の髪を一つに束ねた髪型をしているアンナと呼ばれるスチードの医療人であった。
落ち着いた雰囲気とは裏腹に少佐に対しての態度は軽く親しそうなものであり、声をかけたことで警戒心を強めた少佐の様子を見てクスクスと笑っている。
「……いや、別に用があったわけじゃない。」
「(…あれ?あんまりそんな風に見えなかったんだけどね…)…そう?」
「ああ…それじゃ、オレは今後のこともあるからこのまま戻らせてもらうが、ハリスのことを頼む。」
「……やっぱり、あの子の怪我のこと気にしてる?でもそれであの子と合わないのはちょっと…ねぇ?」
「……!」
すぐにその場から離れようとしていた少佐であったが、話の引き合いに猟犬のことを出されて足が止まる。
そして再び振り返って向けられた声に対して分かりやすく表情を暗くしながら返答を行った。
「…アイツはオレを庇って首を撃ち抜かれた。状態としても、ああして生きてるのが不思議なくらいだったんだろ?」
「…まあ…そうだね?応急処置で傷をすぐに塞ごうとしていたとはいえ完全に血が止まっていたわけじゃなかったし、直接燃やして焼け爛れた部分が広くなったからね…銃傷じゃなくてそっちの出血でここに来た時には意識を失って危険な状態になっていたのは確かにそう。…でも現にあの子は問題なく生きているよ?だからさ…」
「……それでもだ。それに首だけじゃなく足の皮や爪が無くなるまでになったのも根本的な原因は…」
「…それは私の方でできる限りのことはするけど…ねえ?改めて聞くけど、本当に直接あの子に何も言わないでコルディセスに戻る気?」
「…!…ああ、そのつもりだしこっちも意思を曲げる気はない。」
「(全く…本当、昔からこうなると変に強情なんだから…)…相変わらず、あの子と距離を作るっていうのは本当に徹底してるね?聞いてた感じだと、まだ『自分の名前』すら伝えないで少佐呼びのままなんでしょ?」
「…そうだな…だが、これも続けていく。やっぱり互いに深入りしないほうが、今後のことも考えていいはずだからな。」
「(…そう自分で言ってる割には…ねぇ?)…分かったよ、私も言及はここまでにする。あなたたちの関係には口出しする気はあんまりないけど、くれぐれもそれで後悔しないようにね?…繰り返したくないのは分かるけど、万が一最後まで伝えないで終わるのもそれはそれで悲しいよ?」
「…いつかな…んじゃ、ハリスのことを頼ん…」
「あっ、そうそう。前からあなたにも聞こうと思ってたんだけど、あの子のことをなんだか昔に夢で見た気がするのよね?それこそあの能天気さんと一緒にいた時の記憶っていうか?…確かあなたも私と似たような夢見てたんだっけ?」
「…!いや…今この話を切り出してくるのかよ…」
「まあまあ、せっかくの久しぶりの同志の再会なんだから固い表情と雰囲気柔らかくして答えてくれていいんじゃない?…それで、あなたはどうなの?」
「…似たような感覚は確かにあるが、それはもう叶わないもので、どこまでいっても夢だろ?…いくら見ようとしても…アイツはもういない。」
「…まあ、そっか……そうだよね?私たちがあの子に対して同じようなものを見たのは、きっと理想というか…もう叶わないし、だからこそ私も後悔しているから見たもので…」
「……」
「…あ、ここまで呼び止めて悪かったね?とりあえず、私はそろそろあの子のところに向かうよ。それと…あなたまで死なないでよ?久しぶりに話せて楽しかったよ。」
「…!…ああ。」
互いに最後は目線を向け合って短く言葉を交わし、その場から離れていく。
そうして少佐は軍事帽を握りながらそのまま医務室のある建物を出たが、それと同時に声をかけられた。
「よぉ、しょーうさー?やっぱりあの駄犬のことを随分気にかけてるみたいだな?」
「…!げっ……なんでお前がここにいんだよ?(アンナに捕まったばっかだってのに…)」
「…おっ、その様子だとお前もアイツに捕まったみたいだな?俺たちの顔見知りも、随分減っちまったよなー?」
「(……いや、コイツもかよ…)…まあな?でもアイツと久々にこっちも色々と話せて良かったよ。」
2人のいる医務室を後にして外に出てきていた少佐は、鉢合わせになって声をかけてきた人物を見て心底嫌そうな表情を浮かべた。
目を細めてやっと確認できる霧雨の中、銃火器を肩にかけ、腰に爆薬やナイフをぶら下げたホウロが、ニヤついた顔で立っていた。
「しっかし、お前もまあまあな傷負ったみたいだが、あの駄犬に関しては首にズドンっていかれたんだろ?ひー、想像するだけでも恐ろしいなぁ?」
「…んで、そう言ってるお前こそ、ハリスに絞められた首を動かして大丈夫なのかよ?あん時は首支えながらピーピー言ってただろ?」
「…あ?チッ…あの駄犬のことは後で絞めるからどうでもいい…」
「(…ったく…あんな目にあっても特に変わらずか…)…にしてもなんでお前がそんな格好を?もうそれは必要ないんじゃなかったのか?」
「ん?…ああ、これはジジイの命令だよ。クッッソ面倒だけど、またしばらく戦場に立たされることになったんだ……はぁ〜……お前が昨日言ってたこと、まさか現実になるとはな?」
「…!そうか…まあそれなら、お前の自業自得ってことでオレから言うことは何もないな?」
「…一言余計なんだよ、お前も。」
「…んでも、それを引っ張り出してまた戦場に立つのなら…ホウロ…」
「ん?」
「……お前まで、死ぬなよ?」
「…!……ケッ、そんなことくらい分かってるよ……なあ、『ーーーーー』?」
少佐の表情に呼応するようにホウロも不快そうな表情を浮かべながら愚痴を吐いていたが、少佐は目を切って再び濡れた地面の上を歩き出そうとした。
だが、そんな少佐を呼び止めるためにホウロが口を開いたが、それと同時に雲の奥から閃光と共に鳴り響いた雷鳴に言葉が掻き消される。
だが、その中でも少佐はその場で立ち止まり、射殺すように鋭い目つきのまま顔のみを後ろに立っているホウロに向けた。
「……なんだ?」
「…んなカリカリしたような表情するなよなぁ?……少し、お前に話があってな…場所を移すぞ?」
「………ああ。」
灰色の空の下に錆びついた人間が2人、表情に暗い影を落としたままその場を後にした。