結束いのり、スターフォックスへ   作:山倉衛

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124話 JGPファイナル その2

―――ポーランド、クラクフ。タウロンアリーナ

 

 公式練習で氷を踏み締めたいのりはたちまち笑顔になった。

「あはっ! この氷の硬さ、感触、スターフォックスと同じ!」

 満足そうないのりに司もホクホク顔だ。

「ははは。いのりさんご機嫌だね」

「ええ! なんだか懐かしい気分です!」

「あははっ。いのりさん、全ジュニの時もそんな事言ってなかった?」

「てへへ……あっちは大須リンクそっくりかな?」

 そんな話をしていると、亜子が話に入って来た。

 

「いのりちゃんから見ても、ここの氷、スターフォックスに似てる?」

「うん。似てる!」

「ふふ、ホームリンクみたい。私たち、勝てるかもね」

 

 そんないのりと亜子の様子を胡荒コーチは目を細めて見ていた。

「懐かしい、か……確かに懐かしいわね」

 その言葉にライリーが聞く。

「胡荒コーチ、ポーランド戦の経験おありなんでしたっけ?」

「ええ。19年前、このクラクフで行われたチャレンジャー戦が、私の最後の海外試合でした」

「そう。懐かしい?」

「……」

 胡荒コーチは少し考えて答えた。

「ただ懐かしい、と言うには変わりすぎているかもしれませんね。

 まず、19年前にはこんな近代的で立派なアリーナはなく、市営のスケートリンクで観客席も仮設でした。LED照明はもちろん、大型ビジョンもなく、薄暗く音響も悪い会場の中で紙のエントリー表を見ながら、進行を確認していました。

 運営ボランティアのおじさんの英語も拙くて、聞き取るのが大変でしたね」

 さらに回想は続いた。

「ホテルもみんなが入ったヒルトンのような大きなホテルがなく、小さなホテルに分かれて泊まりました。暖房も寒い地方の古いホテルにありがちな蒸気配管で、朝の5時には壁の中から『カンカン、カンカン』と膨張音がしたものです」

「……」

 これほどの昔の経験になると、まだ30歳前のライリーでは想像がつきにくい。

「……こんな立派な大会に娘を連れてこられて誇らしく思います。ライリー先生、ありがとうございます」

 昔話をそう締めくくった胡荒コーチに、ライリーは穏やかに言った。

「まだ、連れて来ただけですよ。亜子ちゃんにはこの大会でも活躍して、これからもっと大きな大会に出られるようになってもらわないと」

 そう言われて、胡荒コーチは再び娘に目を向け直した。

 そこには、いのりと楽しげに語り合う娘、亜子の姿があった。

 

―――女子ショート

 

 シングル女子のショート滑走順は、くじ引きでミーア、いのり、ロビン、夕凪、ベリンダ、亜子となった。

 

 まずはミーア。今年から改善して来たコンポジションを伸ばして、コンビネーションジャンプも最後に回したまま跳んでみせた。トルコ戦を超える高得点を叩き出すも……

 ミーアの滑走をじっと見ていたいのりは、司に力強く言った。

「大丈夫です。勝つ自信があります」

「よし!」

 

 いのりがリンクに立つだけで、会場の空気がしんと静まりかえる。

 全ジュニより研ぎ澄まされた演技。明らかにプレゼンテーションが上がっている。芽生えてきたセンスにより振り付け一つ一つの隅々まで感情表現が通うようになってきた。そればかりでなく、ジャンプやスピンなども演技の一部としての色付けがされてきている。

 観客を巻き込み惹きつけるミーアのカリスマ性ある滑りにも劣らない、哲学を感じさせるほどの正確なエッジで氷上に描かれるフィギュアに審査員も息を呑む。もはやジュニアのレベルにはなかった。

 

 ミーアも「抜かれた……」と恨めしそうに漏らす。ミーアも今年は振付師を変える等してPCSをブラッシュアップしてきたが、いのりの異様なまでの成長速度についていくことはできなかった。

 そして、圧巻の演技が終わると、観客からはこのフィギュア界の若きスターに惜しみない拍手が注がれ、他国の選手やコーチ陣は「国内戦4位? この子が台乗りできなかったなんて……全日本ジュニアでは何があったんだ?」と訝しんだ。

 

 いのりがキスクラに入ると、司が顔を引き攣らせながらミミズのぬいぐるみを持って来た。

「何あれ……?」

 ぬいぐるみを見た観客が背筋を寒くする。いのりがこのファイナルに持ち込んだぬいぐるみは、ただのミミズのぬいぐるみではない。顔の部分が劇画調の人間の顔になった五条工務店のキャラクター「恐怖! ミミズ人間」のものだ。

 キモカワキャラというには攻め過ぎなぬいぐるみを抱え、やり切った満面の笑みを浮かべるいのりに点数が告げられる。

 

「結束いのりさんの得点……74.96。現在、第1位です」

「!!!」

 なかなかの高得点に観客席からも驚嘆の声が上がる。

 しかし、普段は席から跳び上がり喜ぶ司も、この日は膝の上に置かれたぬいぐるみの尾により、呪いの重石を乗せられたように脚を硬直させられ、顔を綻ばせつつも手を振るのみだった。

「……すばらしいよ。いのりさん」

 若干、声もこわばっていた。

 

「いのりちゃんもパワーアップしてるけど、私だって……」

 続くロビンだが、この選手は大舞台ほど緊張からかミスが目立つ。いのりの点数の影響を受けないわけはなかった。

 結果、3Fでエッジエラーの上転倒。

「くっ……」

 

 続く夕凪は慎一郎から抑え目構成を勧められたが、「このジャンプだけは絶対ファイナルで跳びたい」と、初手ジャンプ3Lz+3Loを入れて成功させた。その他のエレメンツは抑えて、手堅くノーミスで暫定3位につけた。

「やりました! 先生」

「いいですね。フリーでも無理せず行きましょう」

 

 続くベリンダの滑走を、いのりは喰い入るように見つめる。芽生え始めたいのりのセンスの若い芽が、ベリンダの演技に溢れるセンスを掴もうとしている。今、この場でもその差を埋めようとするように。

 変拍子の曲すら踊りこなし、全身を使った表現を要素の中に彩り良く盛り込む。振り付けで型にはめて誤魔化してきていたいのりとは全く表現のレベルが違った。しかし、いのりも振り付けから学び、他の選手を見取りするうちに表現を自分のものにできるようになってきた。

 そして今、いのりはベリンダをこの大会で最も見習うべき選手と考え、瞬きする間も惜しむ程に異様な集中力でその演技に見入っていた。

 

 ベリンダもいのりの視線に気づき、演技を終えた後に苦笑いをした。

「そんなに見られると照れるね。私の技、見取れるものなら見取ってみなさいよね。見惚れていないでね」

 いのりの方はそう言われるまでもなく、司と熱心に今のベリンダの演技の分析にかかっていた。

「先生。ベリンダさんの演技のここの、こう、立ち上がってくるように見えるところなんですが……」

「うん、ここはね……」

 

 そんないのりの様子を、ライリーは少し恐ろしいものを見るように観察していた。

「いのりん、ベリンダの点数とか抜かれるかどうかより、自分の今後に生かすための分析しているわね。……さらなる成長を求めるか……欲張りな子」

 

 やがて点数が発表され、ベリンダはミーアを抜き、いのりの後ろにぴったりつけて暫定2位につける。

「……よし」

 ベリンダは自分に気合いを入れ直す。ベリンダの点数は十分高いのだが、この後のフリーでミーアやいのりと渡り合うには心許ない。彼女達は3Aや4Sといった高難度ジャンプを跳ぶのだ。しかも成功率も高く、いのりに至っては今季ほぼミスなく跳んでいる。

 しかし、氷上に絶対はない。ベリンダはベテランの矜持を胸にキスクラを降りた。

 

 そして、ショート最終滑走の亜子。

 まず、衣装が観客の度肝を抜いた。

「なんだ!? あの黒……」

 亜子の新衣装は光吸収素材を使用しており、白い氷上の上では異様なまでに観客の目を惹いた。光を吸い込むブラックホールのようにし視線を重力で奪い、離さない。

「空間に穴が空いて、吸い込まれるみたいだ……」

「脳がバグる……」

 

 そして滑走に入ると、観客の興奮が乗ったか亜子は普段以上のパフォーマンスを発揮した。司といのりも舌を巻く。

「初手3A+3T……決まったね。これはGOEも稼いでるな……」

「……ブラケット、チョクトウ……トゥステップ入れて、カウンター……繋がった。Lv4。腕の振り付けも上手く入ってますし、音にもハマってましたね。ベリンダさんも同じ入れ方で、トゥを打楽器みたいなアクセントに入れてましたけど……」

 

 演技を終えた亜子は目を丸くしながらキスクラに向かった。信じられないほど会心の演技ができたことに自分で驚いていた。胡荒コーチも戸惑いの表情混じりだった。

「亜子……すごかったわよ」

「なんか……なんかわからないけど、すごく上手くできました」

「いい感触残して次に行きましょう。点数は……嘘!?」

 予想以上に高かった。75.19。いのりを僅かに抜いてトップだ。

 

 胡荒親子が信じられないという顔になる。

 司と話して分析ばかりしていたいのりも流石にこれには軽く面くらい、眉を顰めた。

「思ったより3点近く高いですね。なんででしょう?」

「うん。俺も推測でしかないけれども……」

 軽く驚いてはいたが、冷静に再分析にかかっていた。

 

 作戦を練り直すいのり達に対し、胡荒親子はキスクラから降りる時も自分たちの勝因が分からずじまいだった。

「……とにかく。明日も頑張りましょ」

「……勝ちに不思議の勝ちあり、か……わかりました」

 

―――観客席

 

「やあ、レオニードさん」

 観客席でニヤニヤ笑っていたレオニードは、後ろから声を掛けられた。

「誰だい? ……なんだイリヤ君か」

 声を掛けてきたのはR国での元フィギュア選手で、今はアメリカでフィギュアのコーチをしている男だった。夜鷹と同時期の選手だったが、それほど接点があったわけではない。が、出身地が同じ街だったということで向こうからよく声を掛けてきていたので名前を覚えていた。

 ちょくちょく生徒の振り付けを依頼してきたが、全部断っている。しかし、懲りずにフレンドリーにこうして何度も接してくる男だ。

「今はアメリカで活動してて、ミカエル君のコーチだったかな? シニア男子の」

「そうです。そっちは日本で振り付け始めたようですね。ヨダカ・ジュン以降フィギュアの振り付けやってなかったのに。

 ヨダカを超える才能を見つけましたか? あのカミサキ・ヒカルもすごい才能でしたが、今年のあのコアラ・アコ選手もなかなかの選手ですね」

「……いや、ちょっと狐に化かされて仕事を押し付けられてね」

「? まあ、かなり気合い入れた仕事してらっしゃいますね。コアラ選手のあの振り付け、このポーランド大会に合わせて東欧テイストに調整してますね。思ったより得点に効いて本人もビックリしてるんじゃないですか?」

 レオニードも細かいところを当てられ、満更でもない顔だ。

「まあね。そういう調整が出来る器用さもある選手だが、元々のコーチからしっかり教えられていた良さもあってね。それを引き出してあげただけだよ」

 イリヤコーチもニコニコしながらレオニードを煽る。

「ふふふ。やはりあなたの芸術性はオーケストラピットよりリンクサイドで活かされる……っと失礼。まだ大会中ですし、今日はこれで」

 イリヤコーチはそう切り上げると、去り際に一言言った。

「そのハンカチ、似合ってますよ」

「……」

 レオニードの胸ポケットには、青と黄色のハンカチが見えていた。

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