レッスンが終わり、帰り支度。
藤田ことねは、プロデューサーに挨拶をした。
「じゃあね、プロデューサー」
「はい。ではまた明日」
「あのぉ、夜、電話してもいいですかぁ?」
ことねが冗談っぽく甘えた声で問いかけると、Pはメガネのつるに指を触れながら答える。
「それは……なにかレッスンに対する相談事ですか?」
「え、いえいえ、ただちょっとおしゃべりしたいなぁって」
「……ダメです」
「え~、なんでですかぁ」
「寝る前の電話は、睡眠を浅くする可能性があります。睡眠が浅いとその日の振り返りも脳に定着せず、翌日の活動にもマイナスのリスクがありますので」
「ちぇ~」
まったく、この人は真面目というか融通が利かないんだからなぁ。
ことねはそう思いつつ、彼が一瞬ドキッとしていたのを見逃さなかった。
「ダメです」と答えるまで、1秒ほど間があったのだ。
機械みたいな分析人間のプロデューサーは、思ったことは即座に答えるタイプだ。
でも間があったということは。
まんざらでもないとか内心思ってたのかも?
はっきりと確かめる勇気はないけれど、もしそうだとすると結構うれしい。
もうちょっとだけ、からかいっていうか、アプローチしちゃおおっかなぁ。
そんな考えが頭の中にわいてくる。
「ねぇねぇプロデューサー」
「はい?」
「それだったらぁ、寝る前じゃなかったらいいんですかぁ?」
「え、まぁ、それは」
「じゃ、あたしがお風呂入ってる間とかどうですか? 最近スマホの防水カバー買ったんです。湯気とか全然入らない密着の」
「何言ってるんですか」
スパっと断られた。
ちっ。
こういうお色気っぽい冗談には動じないかぁ。
「そういうのは、ご家族とやってくださいね」
「はーい」
まぁ、チビどもと電話するかぁ。
「まったく」
やれやれとプロデューサーがため息をついた。
「あんまりここで時間をつぶしていると、日が暮れてしまいますよ?」
「あ、そうですね。そんじゃそろそろ帰りまーすって、プロデューサーは?」
「……少し残って、書類とかデータの整理をやりたいので」
「体壊さないようにしてくださいね、そっちこそ」
「その辺はちゃんと気を付けているつもりです」
ばいばーいと大げさに手を振って、ことねは帰路に就いた。
胸の奥が温かい。
プロデューサーが居残って調べ物をしているのは、きっとあたしのためだろう。
レッスンの精査とか、プロデュースの方向性とか、最新の流行の動向とかをチェックしてくれているのだ。
……まったく、あたしのこと好きすぎなんだから。
自然ににやけてしまう。
藤田ことねは、家では長女だ。
いつも妹たちの面倒を見て、頼られる側のポジションだった。
しかし、プロデューサーと出会ってからは、どうにも彼に甘えてしまう。
自分が妹になったような気分になる。
誰かに甘えたいとか、これまで考えたこともなかったんだけどなぁ。
むしろ、なんやかやと一人でできる自分が好きだったし、人に頼らずに生きているのが誇りですらあった。
それが、こんな気持ちになるなんて。
誰かに頼ることができるのが、こんなに心の安寧を産むだなんて。
想像したことも、無かったなぁ。
時々、この不思議な気持ちが何なのかよくわからなくなる。
プロデューサーのこと、あたしはどう思ってるんだろう。
お兄ちゃんみたいな人ができたから、嬉しい?
頼れる年上の人と出会えて、依存しちゃってる?
それとももしかして……恋、的な何かだったり?
わかんない、わかんない。
って、わかるわけないじゃん。
これまでぜんぜんそういうけ経験なかったし。
バイトとレッスンと家の事だけで手いっぱいだったもんなぁ。
いずれにせよ。
彼のことを考えると、心がホカホカと温かくなることだけは、間違いようがない事実だ。
「ま、いまはそれだけで、いいっしょ!」
つぶやいて、ステップを踏みながら歩いた。
いつの間にか自然に鼻歌を歌っていた。
その日の夜。
怒られるかなぁとか思いつつ、プロデューサーに通話をかけてみた。
彼はあきれた声をしつつ、「10分だけですよ」と、ちゃんとおしゃべりに付き合ってくれたのだった。
もぉ、どうのこうの言って甘いんだから。
やっぱりプロデューサー、あたしのこと好きすぎ♡