アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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前半に、黒い方に久しぶりに登場していただきます。


10章 旅の途上
第48話


5月の終わり。

魔界で仕事を済ませた葵は、霊界にいた。

慌ただしく働く霊界案内人の様子と切迫感のある雰囲気に、ただ事ではないと感じた。

 

魔界と人間界を行き来できる彼女は、境界トンネルのことはすでに知っていた。

依頼とは別に、魔界の現状をコエンマに静かに報告した。

 

「……そうか」

 

彼は青い顔をしながら聞いていた。

 

 

その後、葵は伝言を預かり、人間界へと戻った。

行き先は、蔵馬の高校。

 

ちょうど昼休みの時間。

関係者以外立ち入り禁止と書かれた、学校の片隅にある物置の一角。

わずかな光が、すりガラスの窓から入る薄暗さの中、蔵馬と葵は静かに向き合っていた。

 

「魔界でも、境界トンネルのことは話題になっているわ。慎重に様子を見る者もいれば、我先にと、人間界へ行く準備をする者もいるようね」

 

 

【挿絵表示】

 

 

葵の声は穏やかで、抑揚のないものだった。

客観的に魔界の現状を伝えていた。

 

「……コエンマは、すでに首謀者について知っているかもしれないな」

 

「もしそうだとしたら、言いにくい理由があるのね」

 

蔵馬は組んでいた腕を解いて、ゆっくりと一歩、彼女に近寄った。

その瞳に宿る光は淡く、冷静沈着な鋭さを帯びている。

そして、境界トンネルの影響で、人間の中にも新たな能力者が出現していること、その能力の特性、今後の動向についてなどを淡々と話した。

 

空気は静まりかえり、学生たちの喧騒は遠い。

細かい埃の舞う光の筋の中で、お互いの息遣いが、手に届くようだった。

 

 

「今回の境界トンネルについては、霊界、人間界、魔界を含めたおおごとになるだろう。簡単に穴をふさいで終わるとは思えない。それでも……オレは行く」

 

その声は、普段よりも低く、知性を含む静かな抑揚があった。

激情を削ぎ落とした分だけ、底に潜む決意がにじみ出る。

彼の冷静沈着な先見性、判断力、そして覚悟が肌を通して伝わってきた。

 

(……あなたらしいわね)

 

蔵馬は妖怪だ。魔界では、力こそ全てで、魔の血には戦いに身を投じる性がある。

一方、葵は、妖怪の中でも稀有な存在だった。戦いに積極的な性質とは程遠い。

彼女は自分ができることと、できないことをわきまえている。

 

蔵馬が皆まで言わなくても、わかっていた。

暗黒武術会のときもそうだったように、彼は勝算のない状況でも、命をかけて戦いに出る覚悟をもっている。

 

自分のために、仲間のために、大切なものを守るために。

 

その潔い生き様を、葵は何度も目の当たりにしてきた。

もちろん聡明で敏腕な彼は、たとえ劣勢の中でも打開策を練るだろうが。

 

 

葵は小さく頷き、彼をまっすぐ見た。

頷いたとき、短くなった花色の髪の毛がさらりと揺れる音がした。

 

「私にできることは、ないかもしれないけど…。心は、いつもあなたの傍にあるわ」

 

「……。」

 

彼女は、蔵馬の決意を否定も肯定もせず受け止めた。そして自らの意志をただ伝えた。

その言葉は、力強く、それでいて柔らかくて、切なかった。

 

(君は…物分かりがよすぎる……)

 

心の水面がゆらゆらと揺れている。

 

一瞬指先が動きかけた。蔵馬はそれを、拳を作って理性の海に封印した。

今すぐ抱きしめたい衝動を、心の奥にしまうために。

そして、少し低い繊細な声で伝えた。想いを潜めて。

 

「……オレも、心は傍にある。君も……気を付けて」

 

葵はいつもと変わらず、花がそっと開くような微笑みを贈った。

きっと、また会える。そう心からの想いを込めて。

 

 

彼女を大切に想うのは変わらない。ただ蔵馬は戦いにいかなければならなかった。

今は、行く道が別となっても、また逢えると信じている。

今までもそうだったように。

 

道が別とも感じない。本流から一時的に離れただけで、枝葉に分かれた先には一つにつながっているから。

 

 

次の日、蔵馬は桑原たちと境界トンネルの中心を調査しに行った。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

霊界からの伝言を蔵馬に伝えて数時間後。

葵は、静かな林の中をひとり歩いていた。

新緑が揺れる枝々の間から、木洩れ日がまだらに差し込み、薄く温かな光が土の小道を染めている。

 

彼女の足取りは穏やかだったが、思考はどこか遠くに向かっていた。

境界トンネルによる霊界の緊迫、人間界への危機、魔界の不穏。

蔵馬たちの向かう先の不確かな未来を案じていないと言えば、嘘になる。

あらゆる情報が、胸の内で静かに渦を巻いていた。

 

「……こんなところで何をしている」

 

低く、乾いた声が、不意に背後からかけられた。

葵が振り返ると、木々の影から、黒い装束の男が姿を現す。飛影だった。

鋭い眼光が、じっとこちらを見据えている。

 

「飛影」

 

名を呼ぶと、彼はしばらく沈黙を守った。

視線が、葵の髪にふと留まる。短くなったその様子に気づいても、何も聞かない。

それがこの男らしい。

 

「……お前に、聞きたいことがある。最近の魔界の様子はどうだ?」

 

「境界トンネルの影響を受けて、なかなかざわついているわ」

 

葵は簡潔に魔界の現状を話した。

魔界に流れる人間界の空気、それに対する妖怪たちの反応。

彼女の言葉に、飛影はフンと言って、わずかに眉を動かす。

 

「飛影は、魔界に戻るの?」

 

「当然だ。もう人間界に用はない。誰がやったか知らんが、境界トンネルをこじあけてくれたのは、むしろ好都合だ」

 

そう言い放ち、彼は踵を返した。

背を向けたまま、わずかに間を置いて声を落とす。

 

「お前には、もう武器を頼むことはないだろう。この騒ぎに巻き込まれんよう、せいぜい長生きするんだな」

 

それは、彼なりの不器用な気遣いだった。

葵は目を細め、彼の背に向かって静かに言葉を返す。

 

「心配してくれるのね。ありがとう」

 

「……フン」

 

飛影は鼻で笑い、そのまま歩き出そうとした。

だが、どういう風の吹き回しか、数歩進んだところで、再びぴたりと足を止めた。

ゆっくりと振り返る。

 

彼は葵の足元から視線を上げ、しばらく彼女を見つめた。飛影にしては珍しい。

鋭い瞳が、森の光を受けてわずかに揺らめく。

 

「……おい。妙な深入りはするなよ」

 

その言葉は、風のように冷たく乾いていたが、わずかに感情的な響きを帯びていた。

葵の特殊な感性や、どこか儚い存在感が、魔界の騒動や危険な事柄に自然と引き寄せられる可能性を、飛影は感じ取っていた。

 

彼はそれを「言葉」にすることを選ばなかった。

飛影なりの最大限の忠告だった。

 

 

葵は、その言葉の裏に隠された飛影の意図を受け取る。

 

「……ありがとう、飛影。気をつけるわ」

 

飛影はそれ以上言葉を交わすことなく、林の奥へと身を躍らせる。

黒い影は木々の合間に溶けるように消えていった。

彼の背に揺れていたのは、ほんのわずかに覗いた「情」の痕跡。

 

葵は、その気配が完全に遠ざかるまで、彼の消えた方向をじっと見つめていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

境界トンネルの闘いから1週間。

蔵馬たちが命をかけた戦場の余波がまだ魔界を包んでいた頃、しばらく魔界に滞在していた葵は、人間界に来ていた。

 

 

人間界との境界トンネルから、人間と妖怪が魔界に来て、派手な戦闘を繰り広げた。

これは前代未聞の騒乱となった。

現在、霊界の力によってトンネルは閉じられたが、魔界ではどこに行っても、その話で持ちきりだった。

 

蔵馬の予見通り、魔界、人間界、霊界を巻き込んだおおごとに発展していた。

魔界では、三大勢力がおのおの動きを見せているという噂がたち、時代が大きく動くような風が吹き始めていた。

 

彼らが魔界で戦闘を繰り広げていたころ、葵も魔界にいた。

場所は遠く離れていても、戦いの余波は伝わり、彼らがまた大きく強くなったことを感じ取っていた。

 

(また一つ、彼は先へ進んだのね……)

 

そう思うと、胸の奥が静かに軋んだ。

 

 

 

 

葵はまず霊界へ行った。

コエンマに魔界の再診情報を伝えるために、そして彼から先の戦いの様子を聞くために。

 

霊界は表向きは平生と変わらないが、どこか物々しく張りつめた空気が漂っていた。

境界トンネルのことが発覚したときと似ているが、その時よりもどこか皆視線がよそよそしい。

 

やがて、執務室に通されると、コエンマはすぐに人払いをした。

 

「葵。……しばらく霊界には来ない方がいい」

 

声は低く、明らかに重いものを抱えていた。

 

「……。」

 

「察しの良いお前ならわかるだろう。いま霊界は非常事態のまま、何も終わっていない。人間界に滞在するS級妖怪の幽助、飛影、蔵馬の3人をどう抹殺するか、躍起になっている」

 

これはコエンマの意向ではなく、彼の父閻魔大王のものだった。

コエンマは、伏せていた視線を彼女に向けた。

 

「彼らと少なからず親交がある妖怪のお前が、ここにいるのは好ましくない状況だ」

 

「わかりました」

 

葵の返事は淡々としていた。動じた様子も見せず、ただ事実として受け取った。

コエンマが、僅かに息を呑む。

 

「…驚かんのか?」

 

「予想していました。でも、敢えて、あなたと会って確かめたかった」

 

「……そうか。お前は誰かと同じで、物分かりがよすぎるな」

 

彼は、組んでいた腕を降ろした。そして彼女に背を向けて、窓の外を見つめた。

何かを言おうとして、言い淀んでいる様子だった。

 

長い沈黙の中、葵は言葉を静かに待った。

やがて、彼がようやく声を絞り出した。

 

「……葵。その後、正聖神党からの接触はないか?」

 

「ええ」

 

蔵馬とコエンマの尽力のおかげで、5月中旬以降尾行も襲撃もない。

窓を見つめていた彼が振り返った。

 

「……これは、黙秘してもらっても構わん。以前、枉鵬に襲われたとき、奴はお前を……どうするつもりだったんだ?」

 

葵は、ほんの一瞬、まぶたを伏せてから答えた。

 

「……彼は、私を洗脳して利用しようとしていました。そして、それは手慣れている様子だった。私が事実としてわかるのはこれだけ」

 

一瞬コエンマの目がわずかに見開かれた。

視線を反らして大きく息を吐くと、彼は腹をくくったように虚空を見つめた。

 

「……わかった」

 

(彼もまた……大きなものを背負っているのね)

 

霊界の統治者の一人としての重責と苦悩を、葵は垣間見た。

 





今回は、1週間更新が停滞したお詫びとして、時系列的に同じ時期の短編も同時公開。
『黒の章ーー蔵馬と飛影』
短編はこちら→https://syosetu.org/novel/378019/6.html
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