神の死ぬ國ミクトラン   作:ロウシ

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第一章:日曜日よりの使者③
第一話:堕ちてきた全能者


 

1.

 

 

 奇妙な男だった。

 光体と化したククルカンを殴った、と謳う男の言を聞くために、テペウは男を自室へ招き入れた。

 大きな男は、自室に至る道すがら、仕切りに意識を前後左右上下に振り分け、この世界を掻き分け、潜るように歩いていた。

 足音がない歩き方だった。

 男の体重は、およそ一〇〇〇キロだろうとあたりをつけているが、それにしては歩みに音も、重さもない。

 自室に着いて、篝火を灯し、さあ何を話そうかと、男はテペウに向かい合った。

 

 男は、軽い会釈と共に、自らの名を、

 

『ゴロー』

 

 と名乗った。

 少なくとも、()()()()では、その名で通っている……と付け加えた。

 テペウは、自らもまた名を名乗り、さっそく男に質問を始めた。

 ()()()()とは、どう言うことか──

 この世界があるという言い方は、つまり、男の認識では他の世界があると言うこと。

 この場合の世界とは、ただ漫然と自然が繁殖しているだけとか、荒野が広がるだけの場の事ではないだろう。

 ミクトランとは違うが、そこには文化があり、言葉があり、おそらく、ディノスの感覚では朧げな──神がいる──という、社会性を帯びたコミュニティが存在するということだ。

 賢明なるテペウは、それ自体は不思議に思わない。

 星には意志があり、意志は命を形造り、命は星を敬い、星は命の意志汲み取り捏ねては、神を生む。

 彼の鳴り止まぬ知的好奇心と、星を射止める深慮と、深層心理な疼くあさましさは、通常のディノスとは違った感覚で世界の姿を捉えている。

 ククルカンが、そうやって──厳密には違うものではあるが──創造された、信仰に値する『神』であることを、テペウは知っている。

 ならば、天を仰ぎ見る星々にもまた、それぞれに意志があり、命が育まれ、必要に応じた神が在ることは道理であろう。

 男は、テペウの言葉にくりっと目を丸くした。

 スゴいねぇ、と言葉に賛意を込め、微笑を添えた。

 色々と、面倒くさいんだけどね……と、男は前置いて、頭を掻いた。

 

「おれはね、他所の世界の『神』なんだ、実は……」

 

 眼鏡を光らせて、想像の範疇だとテペウは答えた。

 ククルカンは、テペウの知る限り、ミクトラン最強最大の一角である。

 ()()()()ミクトランに再臨し、オセロトルをまとめ上げてあれよあれよと都市(イッッア)を成し、その分体を持ってディノスをもまとめ上げた全能神テスカトリポカに匹敵する個人である。

 太陽に比肩するその力が、あれほど打ち据えてなお健在するこの男が、他国異界の神のひと柱であることは想像の及ぶことだった。

 

 しからば、その『神』がなぜ、この世界に訪れたのか?

 テペウの興味はそこである。

 男から敵意は感じない。

 感じるものは、この世界に対する好奇の情であった。

 自身に向けられているものは、愛好の情であった。

 

 喜怒哀楽には色がある。

 例えば、怒りはカビのような臭いで、血のように赤く、刺々しい。

 例えば、哀しみは粛々たる星の河川のごとく、その身をもたげて寄り添いたくなる深い、蒼色の冷たさを帯びる。

 霊長の完成形たるディノス同士では、霊長の不完全さの象徴たる喜怒哀楽の変質は極めて希薄な──というより、ほぼ存在しない観念ではあるが、鋭敏たる彼らの五感は、いざそれを包括する存在と相対した時、その内面をめざとく嗅ぎ分けることができたのだった。

 

 男から向けられる色は、深く、濃い紅色のようであった。

 分類するならば怒りに近いが、それに勝る興奮が強い。

 未知に対する期待と、自らの無知を愉しむ、ある種の歪みをはらむ、ディノスが持ち難い色であった。

 嘘をついている気配はない。

 しかし、何気ない所作には隙がなく、こちらに、心の全容までもは吐き出してはいないようだった。

 

「何をしにきた……と問われると、正直答えにゃ困るンだよなあ……。なんせ、おれは、お手伝いに来ただけだからねえ」

 

 ゴローは妙に訛りの強い口調で、困ったように腕を組み、口角を結んだ。

 

「お手伝い……ですか?」

 

 うん、とゴローは答えた。

 人差し指を立てて、言った。

 

()()()()()、この世界にクリプターの……人間の、デイビットってヤツが来たと思うんだよね」

「はい。それは確かに……あなたは彼のご友人で?」

「うんにゃ。()()()、会ったこともないねえ」

 

 チラリ、とゴローが目配せをした。

 黒点の大きな眼が、テペウの眼を覗き込んでいる。

 品定めをされているのか、とテペウは思った。何についてかはともかく、ゴローは明らかに口外できぬ、思慮するべき懸念を抱えていて、自らがそれを話すに値するのかを定めている。

 言葉を選んでいるのだろう。

 うん、うんとゴローは頷いた。

 

「おれのトモダチがね、デイビットを助けたいって言い出してねえ。じゃあ、しょうがねェから、おれもひと肌脱いでやろうかって思ってねえ」

 

 助けたい? とその言葉に疑念が生じたが、口を挟むのはやめておく。

 見計らったように、ゴローはだけど……と言葉を繋げた。

 

「デイビットってのは、相当に()()()()の頑固者らしくてねえ。ひと筋縄じゃあいかないからって、そいつが色々計画を立ててさ。面白そうだから、おれはそれに乗ってみようってなってね。こうして、おれはそいつとは別々にこの世界に来たわけなのよ」

「どうやって、ここに?」

「ふつうに。扉を作って、それを開けて、道を通ってきたよ。おれにとっては、異聞帯(ここ)と汎人類史は同一点に重なり合う『面世界』だもの。扉を開けて、同じ世界の異界(ヨソ)にくだる──ってのは、いかにも神の御業(みわざ)でしょう?」

「それはよく分かりませんが、汎人類史とは──?」

「あ、そこから話さなきゃダメよね」

 

 ゴローは「これは、受け売りも多いけどねぇ……」と前置いて語り出した。

 まず、世界には基底となる人理が存在し、世界はその人理が包括する運命に従って繁栄し、争い、調和し、滅びに向かっていくと。

 だが、今、正史となるはずの人理が、()()()によって白紙になってしまったと。

 白紙となった人理の上に、かつて存在しえた人理──『異聞帯』が部分的にかぶさっているのだと。

 この、南米異聞帯こそが、その『かぶさった世界』なのだと言った。

 

「まあ、どれもこれも受け売りなんだけどねぇ。いかんせん、おれは、厳密に言えば汎人類史の()()()()から落っこちてきた男だからねえ……」

 

 ひっひっと、ゴローは自虐的に笑った。

 テペウは速やかに言葉を咀嚼し、己の中で論理を組み立てて、己の言葉として返した。

 

「話の前後関係を推理しますに……つまり、クリプター……というデイビットが、ある日この世界に訪れたのは、異聞帯の存続ないし汎人類史への攻撃を続けるためだと、そういうことでしょうか?」

「おおースゴいね。そこまでわかっちゃうんだ?」

「その上で、デイビットを()()()()と言うことは、デイビットは必ずしも自分の意思で()()を行っているわけではない……と推察します」

「やだぁ、このしとスゴい優秀……なンかホームズと話してるみたい」

 

 ホームズ? とテペウが反芻する。

 ゴローはくっくっと笑っていた。

 

「まあ、概ねそんな感じだねぇ」

「つまり、()()()()この世界を侵略しに来たわけでもなく、この世界を破壊したいというわけでもない……それで、あっていますか?」

「それは、一概には言えんかね」

 

 互いに、多くの含みを持たせたやり取りであった。

 言葉を明言せず、その態度と雰囲気でニュアンスを知らせる所作は、単に互いの()()()()()を隠すだけではなく、この少ない時間において、互いが互いの知恵を讃えて信用している証左でもある。

 

 ただひとつ、確信していることがあった。

 

 テペウはゴローを気に入っているし、ゴローはテペウを気に入っている、ということだった。

 

 ふたりの意見交換会──もはや議論(ディベート)にも発展した話し合いは、夜がふけてなお、興奮と好奇を刺激し続け、安眠を遠ざけてまで続けられたのであった。

 

 

2.

 

 

 朝。

 一転して、ミクトランの空気が暑くなる。

 日の照らしを遮るものがない第一層においては、射熱されたエネルギーがそのまま木々や大地に染み、地上に向かって跳ね返される。

 それが隙間なく行われることで、上から降り注ぐ熱波と下から跳ね昇る熱波が絶え間なくぶつかり弾けあい、空気は延々と蒸し返され続けて、世界そのものの空気が熱せられてしまうのだ。

 今、気温は五〇度を少し上回ろうか。

 ここから昼の時間まで、熱は上がり続けるだろう。

 そこまで上昇すれは、さしものディノスと言えど、遠出するためには水筒を持参せねばならない温度である。

 

 テペウが目覚めた時、ゴローはそこにいなかった。

 テペウが記憶する限り、彼は、昨晩はそのまま床に、あぐらをかいて座り、こちらが睡魔に負けて舟を漕ぐ間も適度に話を続けていたはずだ。

 旅立たれたのか、とテペウは思った。

 おしいなあ、と素直に思った。

 昨晩の話は実に面白かった。

 ゴローは話しが上手く、また、彼の話は想像を超えるスケールのものが多かった。

 太陽の表面を歩き、その向こう側に広がる世界を感嘆と語っていた。

 宇宙というものがどう生まれ、全能に至る神々がいかにして育まれ、それが悲劇に塗れ、そして死にゆくのかを、淡々としつつ、どこか被虐的に綴っていた。

 宇宙は多次元に渡って展開し、幾何学的に拡散しては衝突を繰り返していると、ゴローは語った。

 『神々の戦争』の話は心踊る、聞くに恐ろしい話であったが、ゴローの恐々とした言葉の裏に潜む、言葉の渇きが、テペウには「神々とは想像以上に所帯染みていてケチ臭く、如何に()()()()()存在であるのか」という、ゴローの失望にも似る皮肉めいた響きとして要約されていた。

 

 テペウは、神々の戦争や汎人類史の話はもちろん。

 特に、彼の世界における『天上世界の冒険』についてと、彼がこの世界に降り立った最初の場である『妖精國』なる世界について、強い関心を示していた。

 ゴローは冒険譚を語る時、第三者的な視点の、率直な結論から述べる。

 つまり──彼の話はどれも『滅び』から始まるのであった。

 そこからは、主観と客観を織り交ぜて、時に大袈裟なリアクションで身振り手振りを交えて、いかにして永遠不変の無限世界が滅びに向かったのか、限りないスケールをしょうもなく身近な喩えで矮小化させて、少しでもこちらの心が寄り添えるように、話の没入感を高めようとしていた──と、テペウは思う。

 

 夢のような時間であった。

 

 ディノスの神たるククルカンが殴り飛ばされたことに、一抹の心配を覚えてはいるが、心身ともに頑強(タフ)な彼女のこと、目を回しはすれど死んではいまいとも思っている。

 それはそれとて、事件現場に居合わせつつ、下手人の第一発見者であるからには、いずれゴローを伴ってククルカンと恐竜王に頭を下げにいくのが、筋であるとも思っていた。

 

 幸い、ゴローもククルカンを殴ってしまったことは、かなり気にしていた。

 聞けば、神が、他所の神の支配する領分に踏み入って、話し合いもせずに暴力を用いて退けたことは、『神の法』に則るならば、()()()ルールに反する行いであるとのことだった。

 彼は、自分の頭に軽いゲンコツを落としながら、極めてバツが悪そうに語っていた。

 

「……いけませんね、執着はよくない」

 

 今、ゴローはここにいない。

 彼には彼の目的があって、ここにおけるそれとは、すなわち彼の全能──を安易に使っていないという言葉を根拠にするなら──を用いても容易に為せないことであることは、察するにあまりある。

 思考を切るために、水を飲んで、ひと息を吐く。

 吐息は熱を纏っていた。

 昨日のことは昨日の話、とテペウがそれを言葉にした瞬間、がさり、がさりと正面の雑草群の向こうから、草と土を弄るような音がした。

 

 

3.

 

 

「……なにを、しておられるのですか?」

 

 テペウが聞くと、ゴローは手を擦り合わせて付着した土を払い、立ち上がって振り返り、おはよう、と何気なく言った。

 

「いい土だねえ」

 

 と、白い歯を見せて笑い、続けた。

 

 テペウの目線の下、屈んでいたゴローの目の前に、土の塊がいくつか並んでいた。

 細長い、おおよそ二メートルには及ばない程度の長さに、ゴローの腕ほどの厚みを持たせてあった。

 ヒトの形だと、テペウにはわかった。

 大小の差はあれど、どれも形は同じである。

 頂点には大きなこぶがひとつ。

 そこから細く引き締まった線が、もっとも大きな体積のある部分に橋をかけている。

 これは、てっぺんのこぶは頭部で、首があり、胴体の部分に伸びている、ヒトの構造と同じだ。

 胴体から、いわゆる四肢に分かれて伸びているのも同じだ。

 土の表面に細かな凹凸は見られないが、胸部と見られる部分に、大雑把に穴が空けている。

 

「ちょっと、奇跡を起こそうと思ってさ」

 

 さらりと、とんでもないことを言った。

 ゴローは右の指先を尖らせ、左の手のひらを一閃した。

 さくりと裂けた手のひらから、筋肉と皮膚の幕を破り、静かに血が滴った。

 ゴローの感情の色に似る、情熱的な紅色である。

 痛々しい左手を、ゴローは握った。

 滴る血を包むように、優しく、強く。

 丸っこい、石のような拳が現れた。

 その血が、小指の隙間に溜まり、ぽたり、ぽたりと落ちていく。 

 ゴローはそれを確認すると、それぞれの土塊の胸の穴に、自らの血を流し始めた。

 

 すると、どういうことか。

 テペウの前で、奇跡が起こっていった。

 

 土塊の塊が、ゆっくりと、身体を起こし始めたのだ。

 ひとりひとり、血を与えたそれから順に、身を起こし、のっぺらぼうの顔が、ゴローへ向いた。

 それらが、次第に弾力のある表皮へと変わっていく。

 頭頂部から、何もない土塊の中から、各々の髪の毛が色づいて流れていった。

 すっかり『肉』となった土塊の表面に、細かな凹凸が浮かんでくる。

 まるで、その形が、あらかじめ土塊の中に秘められていたかのように、澱みなくその形を作っていく。

 そうして、顔ができた。

 髪も、目も、眉毛も、鼻も、口も、耳もある。どこからどう見ても、ヒトの色と形と量感が現れていた。

 そのうちのひとりが、眼を開いた。

 小柄で、絹のような透き通る銀色の髪が、その顕現を喜ぶように、ふわりと揺れた。

 美しい乙女であった。

 大きな瞳の中に、まるで、ミクトランの夜を渦巻かせたような煌めきがあった。

 身体も、顔も、ディノスの概念と照らし合わせても、美しいと断ずるに容易い造形であった。

 肌の色は陶磁器のように白く、そのバランスは、一分の隙もない黄金比で構成されているようだ。

 だが、その美しさだけに、テペウは眼を奪われたわけではない。

 その少女から、不思議な懐かしさを感じたのである。

 愛郷心──などと言った、センチメンタルな感傷とは無縁の位置に立つと、少なからず自負するテペウをして、抗いがたいそれが、少女を認識した瞬間に、心に溢れていた。

 

「やあ」

 

 と、ゴローに対し、少女は言った。

 声も、透き通る白光によって作られていた。

 うん、とゴローは頷いた。

 

「待ち侘びたよ、僕のライバルさん」

「お待たせしたねえ、おれのライバルさん」

 

 ふたりは、静かに微笑みを浮かべあった。

 それを、何人かの男女と、テペウが見守っていた。

 

 ゴローは命を創造していた。

 土を固めた肉体に、自らの血と力を混ぜて、彼ら彼女らの魂を降ろして受肉させていた。

 

 

4.

 

 

「びっくりしました。心から、ですよ」

 

 彼らが()()()()その場に、テペウを含めて三人の男と、三人の女子が集っていた。

 顕現して、長い黒髪の細長い男がテペウを見た時は、心から怪訝な顔を浮かべて、まず慄いた。

 

「恐竜っ!?」

 

 そのひと言に、どれほどの驚きが集約されていたことだろう。

 ゴローはまあまあ、と手を立てて、目の前で左右に振った。

 

「センセイ。これが、この世界の人類ですぜ」

 

 ゴローは悪戯に笑っていた。

 少しの間をあけて、センセイと呼ばれた長髪の男はごほん、とわざとらしく咳をついて、その心を落ち着かせた。

 

「土塊から、命を創造したのですか?」

 

 テペウは率直に聞いた。

 うん……と、ゴローは声を悩ませる。

 

「厳密には違うねえ。彼らは元々から確たる人格を持っているもの。土塊の肉に彼らの魂をつめ込んだだけで、これは、生命創造まで()()()()()()()よ」  

 

 創造律より降霊術に近い、とゴローは言った。

 言葉の意味は計り知れぬとも、いずれにせよ、奇跡に違いないとテペウは思った。

 

「こちら、恐竜人類(ディノス)のテペウさん。昨日からおれがお世話になってるヒトさね」

 

 ゴローに言葉を投げかけられて、テペウは彼らに軽く会釈をした。

 彼らは、長髪の男、長髪の女性、どこか懐かしい空気の少女、そして灰と紅のドレスをまとった少女であった。

 ごほん、とまた、長髪の男が咳をした。

 

「失礼、ミスター……いや、テペウ氏、でよろしいかな?」

「構いません。えー……」

「これは失礼を。私はロード・エルメロイ二世と申します」

 

 腹を決めたのか、諦めが裏返ったか、長髪の男──ロード・エルメロイ二世は堂々と名乗りをあげた。

 

「わかりました。エルメロイセンセイさんですね」

「……失礼ですが、テペウ氏。センセイはいりません。あと、語尾に二世をつけていただきたい」

「あ、これは失礼しました。ロード・エルメロイセンセイ二世」

「いえっ、そうではなくて……」

 

 ゴローは俯いて吹き出していた。 

 ぎり、とエルメロイ二世が睨むと、ごめんごめんと顔を背けて、全く悪びれずに手を揺らした。

 

「こちら、汎人類史の神学、民俗学について、おれ以上に物知りな大先生だから、テペウさんも疑問があったら遠慮なくこのしとに質問してね」

「……誤解を招く言い方はやめていただけないだろうか。全能者たるアナタこそ、人界を超越する知恵者であるでしょう?」

「いんやァ。おれは全能者であって、全知全能者ではないからねえ。地に足のついた知識では、おまえさんにゃあだいぶ劣るよぅ。ロード・エルメロイセンセイ二世」

「それ、引っ張るのか……」

 

 はぁ、とエルメロイ二世は頭を抱えた。

 額にはびっしりと汗が滲んでいる。

 

「ゴロー。自己紹介もいいが、どこか涼める場所はないか? 君にはこの暑さもどうということはないのだろうが、我々はこのままでは倒れてしまうぞ」

 

 生者そのものの肉体を得たエルメロイ二世は、ネクタイを緩めながら不満気であった。

 五〇度を超える熱波は、戦士ではなく、学者気質の運動不足と不摂生に近しい彼には辛いものである。

 ゴローはうん、と顎を撫でた。

 

「ン、それもそうだねえ。センセイもメリュジーヌたちも、今、自分の肉体がどういう状態なのか知りたいだろうし……テペウさん、お邪魔してもよろしいですかね?」

「ええ、お構いなく……と言いたいところですが、この人数だと、私の家では少し狭いかと……」

「僕は外でも全然平気だよ! むしろ、この世界はなんだか居心地がいいんだ。懐かしいというか……」

 

 メリュジーヌはキビキビした声であった。熱波を掻き分けるように、軽くのけぞりながら、軽々とその身を宙に投げた。

 絹の髪がふわりと広がって煌めいていた。

 普段の(ズボラな)彼女にとり、この世界の空気は茹だるようで嫌悪するはずなのだが、どうも絶好調の顔色である。

 

「そりゃあ、ここの空気はメリュジーヌにはよく馴染むだろうねぇ。この世界の空気は、地球で言えば黎明期からジュラ期辺りで循環が止まってる感じだものねぇ。表がまさに星の黎明期()()()()だし、同じ異聞帯でも、妖精國とはだいぶ様子が違うもの……おれも正直びっくりだよ」

「ふむ、鍛錬日和と思えば、この熱もそう嫌いでもないが……やはり普通人には辛いものか」

 

 どこか爽やかな表情なのは、手の中で再現された愛槍を軽く遊ばせているスカサハである。

 彼女の顔にもまた、じっとりと汗が滲んではいるが、優れたる戦士の彼女にとり、その心地は嫌いではないのかも知れない。

 

 エルメロイ二世、メリュジーヌ、そしてスカサハは、ゴローがカルデア在籍時に南米異聞帯へと迎うにあたって選別したサーヴァントたちであった。

 ゴローが先に行ったのは、土を捏ねて固めた肉体を依代に、彼らの霊基を降ろして『ほぼ全盛期』の状態で受肉させることだった。

 

 説明を受けたエルメロイ二世は、

 

「今更、全能者の奇跡にツッコミを入れる気力はない」

 

 と頭部に生じたにぶい痛みを軟化させるために、頭を抱えた。

 

「しかし、私を召喚するなら……」

「グレイちゃんも呼べ、かい? 残念ながら、そりゃあ無理だねぇ」

「なぜだ? パワーが足りないわけでもないだろう。アナタの無限力は、単に全能と言うだけではなく、その名の通り『無限大』だったと記憶しているが……」

「おれはね、今回は能力もほとんど使うつもりはないし、頭も回らんだろうから、グレイちゃんまで召喚したらたぶん()()()()()のよ」

「…………なに?」

 

 たったひと息に、矛盾する文言が並んだ。

 エルメロイ二世の片眉が、怪訝に持ち上がる。

 どういう意味か。

 と尋ねたが、

 まあ、いずれね。

 と粗雑に誤魔化された。

 

「とにかく場を変えようかね。いい加減暑いしねぇ……」

 

 とゴローが手を叩くと、

 

「まったくだぜ」

 

 と甲高い声がした。

 ゴローとメリュジーヌには、聴き慣れた声であった。

 

「…………ン?」

 

 ゴローが、瞳の黒点をきゅっと縮めて振り返った。

 そこで、ようやく気づいた。

 彼女の存在に。

 彼女は、軽い苛立ちを目元に浮かべていた。

 紅色の長い髪だった。

 灰色の滲む肌をしていた。

 それに反して目元、口元は鋭く尖り、感情を剥き出しにして、若干の幼さを滲ませながら、並々ならぬ生気に溢れる表情を作っていた。

 スラリと背が高く、出るところは出ていて、引っ込むところが引っ込んでいる、グラマラスな体型だった。

 この異聞帯には到底そぐわない紅を基調とした厚みのあるドレスに、高いヒールのブーツ。

 

「……ば、バーヴァン・シーかい!?」

 

 ゴローが驚愕に目を見開いて、訛りも忘れた口調でその名を呼んだ。

 

 

5.

 

 

「呼んでない」

 

 ゴローの第一声に、バーヴァン・シーは露骨に、怒りに任せて表情を歪めた。

 片目を細めて睨みあげている。

 

「アァン!? どういうことだよ!? アンタが呼ぶから、私はこうしてわざわざ召喚に応じてあげたんだっつーの!! 呼んでねえってどういうことだよあーっ!?」

「呼んでない。いや、だって、マジで呼んでないのよ? 第一、おれ向こうにいた時おまえさんにゃ声掛けてないじゃない」

「知っらねーよそっちの事情なんて! でも、私は確かに、私を求めるアンタの声を聞いたんだっつーの!!」

「えぇ……なにそれ知らん……こわ……」

 

 バーヴァン・シーは飛び上がって、ゴローの胸ぐらを掴んで前後に揺さぶった。

 ゴローは肉体こそ微動だにしなかったが、心中深層から参りに参っているのが顔に出ている。

 訝しんで、視線を合わせる。

 一瞬バーヴァン・シーの動きが止まった。

 その隙に、ゴローは失礼、と言ってバーヴァン・シーの頬を指で引っ張った。

 

「びゃ!? にゃ、あにふんのよ!!」

「うーん……受肉しとるなあ、どう見ても……」

 

 手足をばたつかせ……というか、思いっきり殴らまくるバーヴァン・シーのそれを無視して、ゴローはつまんだ頬を上下左右に少し伸ばしていく。

 肉の感触が、確かにあった。

 それも、この感覚は、生前の屍肉のそれではない。

 

「……いきなり、全能者の想定外の事象は、勘弁していただきたいのだが……」

「あー……いや、でも、犯人はわかるでしょ、これ」

 

 エルメロイ二世の引き攣った苦笑に、同じく頬肉を引き攣らせて苦笑しながらゴローは言った。

 

 モルガンだよねえ。

 確信の声色であった。

 あー……と、湧き上がる観念にエルメロイ二世は額を叩く。

 

「この世界じゃあ、不可解な言葉だと承知で言うがね。おれの『奇跡(全能)』を魔術で再現コピペして、しかも遠隔操作でバーヴァン・シーを召喚にねじ込める化け物っていやぁ、モルガンかマーリンぐらいしかおらんでしょ。元々あの子はリソースと前例さえあれば、自分の世界(妖精國)を汎人類史の定義に上書きするぐらい、おちゃのこさいさいなんだもの。神域の天才だよねえ……」

 

 してやられたねえ、とゴローは頬を掻いた。

 エルメロイ二世は納得いきかねる顔であった。ゴローの言葉に、疑念が湧いて仕方がなかった。

 なぜ、全能者の彼が自身の奇跡の干渉に気づかなかったのか。

 なぜ、モルガンはわざわざバーヴァン・シーを召喚するように仕向けたのか。

 ゴローが言うには、この異聞帯は並ではないとのことだ。

 少なくとも、自分のボディガード(グレイ)を召喚する余裕はなく、そもそも彼が当初召喚予定だった者は、アルビオンの分体たるメリュジーヌのみだった。

 これらの事実から、当異聞帯を冒険するにおいて、必要な戦闘能力の高さが窺い知れる。

 バーヴァン・シーは、確かに並のサーヴァントではない。

 妖精騎士として、おそらくモルガンの手が加えられた彼女の霊基は、神霊などが平然と並ぶトップサーヴァントと比較しても、決して劣るものではないのだから。

 それでも、メリュジーヌやスカサハと比べれば、幾分かは劣るだろう。

 ……そもそも自分は(ありがた迷惑極まりないことに)、頭脳面を買われて選抜されたにすぎないため、比較にも上らないのは自覚している。

 モルガンはバーヴァン・シーを溺愛しているのは周知の事実である。

 ならば、なぜ、最愛の娘を手ずから危険に送り込んだのか。

 モルガンなりの、愛の鞭……とでも言うのだろうか?

 

「いや、()()()()、これは」

 

 呈した疑問に、ゴローは苦々しく答えた。

 意味深な含みを持つそれに、しかし、ゴローはそれ以上の言葉をつぐんだ。

 

「まあ、来ちまったモンはしょうがねえか」

「なんだよ!? 私が来てやったのに、嬉しくねーのかよ!!?」

「別にそんなこたァ言ってないでしょう」

 

 ゴローは身をかがめて、バーヴァン・シーに視線を合わせた。

 どきりと、胸が跳ねた。

 この、星の光をも飲み込まんとする、黒々とした大きな瞳に見据えられるのは久しぶりだった。

 

「でもね、この世界はほんっとうに危険なんだよねぇ」

 

 だから、とタメを作った。

 

「おれから離れちゃダメよ。少なくとも、物理的に手の届く距離にいて欲しい。じゃないと護れないもの」

「……ず、ずいぶん弱気なのね。アンタらしくもない……」

 

 ぷい、とバーヴァン・シーは視線を逸らした。

 まあね、とゴローは優しく笑った。

 メリュジーヌが目を丸くして固まっていた。

 エルメロイ二世はげっそりと目を細めていた。

 

「なにやら、ただならぬ事情があるようですね」

 

 ぼちぼちと頃合いを見計らって、テペウが口を挟んだ。

 その気遣いに会釈を返し、ゴローは背筋を伸ばした。

 

「とにかく、まずおれたちの状況と目的を再確認して共有するのが先決かね。昨晩テペウさんに教えてもらったことも、話してもいいかね?」

「構いませんよ。隠し立てするようなことでもありませんから」

 

 眼鏡越しに、テペウはやわらかく目を細めた。

 一行はひとまず日の当たらぬ場に身を移し、そこからこの異聞帯における『目的』と『立場』の確認を始めて行った。

 

 

 

 

6.

 

 

 青年は目を開いた。

 その存在が入り込んだことを、常人ならざる優れた感覚が捉えていた。

 

 彼は、目覚めた瞬間から、強靭な意志を行使して、暗黒に塗り潰されんとする己の人生に、限られた時間を与えて始めた。

 時間は、五分。

 

 彼がきた。 

 

 掛け値なしの『全能者』。

 異界からの『来訪者』。

 万象を飼い慣らす『超越者』。

 最大最強の存在と言って過言ではなかった。

 

 で、ある以上、プランを変更せねばならなくなる可能性が高い。

 時間がない。

 行動は迅速に、決断は豪気でなければならない。

 

 彼は、己のパートナーを呼んだが、その男は呼ぶまでもなく、彼の傍に立っていた。

 その顔に、奇妙な笑みを浮かべている。

 

 楽しんでいるのだ、この男。

 その表情から推察される未来を、青年は光速に等しい思考で導き出す。

 

 かつてない戦いが起こる。

 

 予感ではなく確信であった。

 だが、青年の眼には怯えはない。

 

 大切なのは、敵の強大さに怯えることではない。

 

 青年は、それを知っていた。

 

 大切なのは、敵の強大さに、どう立ち向かうかである。

 

 青年は、それも知っていた。

 

「いくぞ」

 

 呟くように、言った。

 青年の後に潜む暗黒を踏み砕くように、男が後を追った。

 

 

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