アビドス砂漠の砂糖 -共犯者世界線-   作:共犯者ミヤコの人

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大きく正義を行おうとする者は、細かく不正を働かねばならない。大事において正義をなしとげようとする者は、小事において不正を犯さなければならない。
──モンテーニュ 「随想録」より


最後まで貫き通すもの

「ねえ、ミヤコちゃん。『正義』ってなんだと思う?」

 

 ある夜、「戦闘訓練」という名の一方的なワンサイドゲームが決着した後に、小鳥遊ホシノの口から出てきたのは、そんな言葉だった。

 のらりくらりとそんなことを曰う彼女を尻目に、痛みで悲鳴をあげる身体をなんとか起こし、近くの瓦礫にもたれるようにして姿勢を起こすと、月雪ミヤコは不機嫌さを隠そうともせずに小鳥遊ホシノへと目線を向けた。

 

「……それを私に問いますか? 自らの掲げていた『正義』すら喪った私に?」

「まあまあ、たまにはおじさんの話に付き合ってくれても良いんじゃない? ほら、水でも飲みながらさ」

 

 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら差し出してくる水筒をやや乱暴気味に受け取り、蓋を開け、匂いを確認する。

 ……匂いはない。喉が渇きを訴えているのを理性で抑え込みながら、続けて小指の先端にほんの少しだけ中の水を付け、口に含む。これまで小鳥遊ホシノからサンド・シュガー入りの飲食物を自身に提供してきたことはない。が、心を許すつもりはないと行動で示すためにもこの警戒行動は決して欠かしてこなかった。

 

 ──問題、ないですね。

 

 形式上とはいえしっかりと確認を終え、水筒に口を付ける。口内に流れ込んでくるさっぱりとした水の冷たさと、満たされていく渇きに、ほっと息が漏れた。

 近くの瓦礫に腰掛け、ニコニコとこちらを見やる小鳥遊ホシノが視界に入り、顔を顰める。

 

「……それで? 一体私に何が聞きたいというんです。貴女が求めているような答えは、恐らく得られないと思いますが」

「どうだろうね。もしかしたら、ミヤコちゃんだけが、私のこの感覚を本当の意味で理解してくれるのかもしれない。ま、今日は不思議と頭が冴えてるんだ。素面に近い時でもないと、こんな話も出来ないからね」

 

 言われてみれば、確かに小鳥遊ホシノに普段のような不穏行動は見られない。普段なら訓練が終わったらすぐに口の中に含んでいるはずの『キャンディー』も、まだ口にしていないようだった。

 

「それが、貴女の『素』ですか」

「……うへー、見せたことなかったっけ?」

「ええ。生憎私が知っているのは『砂糖』に溺れ、『砂漠』に溺れさせる悪魔だけですので」

「言うねえ、今この場でミヤコちゃんを砂糖漬けにしてもいいんだよ? なにせ在庫には困ってないからね」

「…………」

「冗談だよ。そんなあからさまに距離を取らないでってば。まあ正確には、しないというより出来ない、だけどさ」

「……『彼女』達の世話役だからでしょう。別で人材を確保できればいつでも切り捨てられる立場にいるのは自覚しています。甘言に釣られるつもりはありませんよ」

 

 ミヤコの脳裏によぎったのは、ここ最近になってようやく話ができるようになった、目の前の人物の後輩達。しかし警戒を解こうとしないその姿に、小鳥遊ホシノは「そのつもりはないんだけどなぁ」と独り言ちた。

 

「……ノノミちゃんたちの世話は君にしか任せられないよ。今のアビドスで素面なのは君だけだし、今後もきっと君以外で素面のままでここに迎合する子はいないだろうし」

「……彼女らの世話は素面の者でなければならない、と?」

「砂糖を一度味わったら、砂糖が混ざっていることに幸福を覚える。その幸せを周りに布教しようとする。……あの子たちだけは砂糖から守り切らないといけないからね」

 

 なぜだか、その言葉を聞き流せなかった。

 それはようやく得た信頼から出てきた情だったのかもしれない。

 もしくは、その言葉を吐いた目の前の少女の顔が、かつて見た先輩(七度ユキノ)の顔にダブったからかもしれない。

 

「……自分勝手な偽善ですね。彼女たちは、今もあの日の貴女の行動には何か理由があったのではないかと思っているのに。貴女がかつての日常のように戻ってきてくれるのを待っているのに」

「うへぇ……残念だけど、それは無理な話だね」

「何故ですか」

「超えちゃいけない一線なんて、とうの昔に踏み超えちゃったからさ」

 

 あっけらかんと放たれたその言葉に、しかし小鳥遊ホシノのないまぜになった感情を感じ取れたのは。今現在も連邦矯正局に収容されている先輩と対峙したときに似たものを感じたからだろう。

 

「……そういえば、一度も聞いていませんでしたね」

「ん?」

「小鳥遊ホシノ。貴女は何故……このようなことを始めたのですか。超えてはいけない一線だと理解しておきながら、その一線を踏み越えた理由が、何かあるのではないですか?」

 

 沈黙。ミヤコの言葉を聞いたホシノの顔は伏せられ、夜のアビドス砂漠に吹く風の音だけが、ミヤコの耳朶に響く。

 俯いたままのホシノが口を開いたのは、それからややあってからのことだった。

 

「……ねえ、ミヤコちゃん。確かミヤコちゃんは廃校になったSRT特殊学園の生徒だったよね」

「……それが何か?」

「もし、さ」

「お金さえあれば廃校が免れる……そんな話があったら、どんなことをしてでもお金をかき集めようとは、思わない?」

「……それ、は……」

 

 否定できなかった。そして、今でこそ賑やかな活気を見せているアビドスの、本来の姿も、辿るかもしれなかった未来も、想像できた。想像できてしまった。

 

「……幾ら、必要だったのですか?」

「9億」

「きゅっ……!?」

 

 想像を超えた金額が飛び出してきたことに思わず引き攣った声が飛び出す。そんな反応になるよねぇ、と苦笑するホシノは、そのまま、足元の砂を掬い上げた。サラサラと宙に舞う砂を、澱んだ瞳で見つめながら、ホシノはポツリと呟く。

 

「……私はね、なんとしてでも、この学校を守りたかったんだよ」

「…………」

 

 その呟きに、ミヤコは何も言えなかった。

 かつて我武者羅にSRT特殊学園廃校の撤回を求めていた自分に重なるところがあったから。

 

「砂祭りは、私の尊敬する、ある先輩の悲願だった。アビドスが砂祭りが出来るだけの盛況を取り戻せたら、あの人の悲願は、私がかつて否定してしまった『ユメ』が叶う。そして、借金がなくなったアビドスは、もう借金返済に追われることもなくなる。放課後になるやいなやバイトに駆けずり回る必要も、必死に帳簿と睨めっこして少しでも節約する必要も、砂漠を歩き回って鉄屑を集める必要もなくなるんだ。これからアビドスを担っていく私の後輩たちは、もうアビドスの過去に縛られなくてもよくなるんだよ」

「……貴女、は」

 

 狂っている。そんな言葉を、呑み込んで。けれど、ミヤコはそんな小鳥遊ホシノの行動を、否定できなかった。

 無論、サンド・シュガーは忌むべきものだ。

 自分の大切な隊員を狂わせ、今も彼女らは砂糖に溺れて甘い夢を見続けている。

 そんなサンド・シュガーを流通させていることは間違いなく『悪』で、そしてそれを実行した小鳥遊ホシノは、間違いなく『悪人』だ。

 それでも。その根底にある願いは、ただただ純粋だった。

 小鳥遊ホシノは、自分にとって大切なものを守りたかっただけだった。

 そして、今語られた話は真実なのだろうと、証拠はなくともミヤコは感じ取っていた。

 一見すると矛盾していたこれまで小鳥遊ホシノからくだされていた任務の数々にも、合点が行くのだから。

 

「……『善でも悪でも、最後まで貫き通した信念に偽りなどは何一つない』か」

「……何それ?」

「以前シャーレで読ませていただいたとある漫画のセリフです。偽善者と言われ、苦悩する主人公にかけられた言葉で。……今ようやくこのセリフの真意を理解できました。それが貴女にとっての『正義(信念)』なのですね」

 

 その言葉に返答はなかった。ただ、儚げな微笑みだけを小鳥遊ホシノは浮かべていた。

 ……反芻する。かつての対峙した先輩とのやり取りを。

 かつて自分が掲げたのは「変わらない価値を守る」ことだった。自分の信じた「正義」を貫くことを誓い、道を誤った先輩を止める為にその前に立ちはだかった。

 

(ただ……違うのは。私が自らの信じていた正義を、自分で放棄したこと。そして……世間一般的には間違っていると言われようと、小鳥遊ホシノは『自分が信じた「正義」を貫こう』としていること。……ふふ、立場が逆転してしまいましたね)

 

 ふぅ、と息を吐く。これまで抱えていた警戒も、反発心も、もはや形無しだった。

 

「……私たちは、似たもの同士、なのかもしれませんね」

「へ?」

 

 言葉にせず、心の中で、謝罪する。

 ごめんなさい、先生。

 今の私には、小鳥遊ホシノを止めることは、出来ません。

 ──『止めようと思えません』。

 

「……小鳥遊ホシノ。私は、貴女が嫌いです」

「……だろうね。これだけしごいてたらさ」

「いいえ、連日のしごきなど瑣末ごとです。嫌いな理由は幾つかあります。私の仲間を砂糖に溺れさせたこともそうですが……ですが今はそんなことはどうでもいいです。それよりも確認しなければならないことがあります──小鳥遊ホシノ、貴女は、『誰かに打ち倒される』ことを望んでいますね」

「……ッ!?」

 

 初めて、小鳥遊ホシノの表情が凍りついた。その顔に現れた感情は狼狽、困惑。

 そんな表情を見て、ミヤコは小さく微笑んだ。

 

「貴女が思っている以上に貴女はわかりやすい、ということです。貴女に腹芸など似合いませんよ」

 

 そう、彼女の語る夢物語には、彼女は決して語らなかったが、絶対に避けては通れない『前提』が一つ存在している。

 

 ──『サンド・シュガーにまつわる一連の事件が解決している』という、前提が。

 

 彼女の語るアビドスの未来に、小鳥遊ホシノの姿はない。

 彼女の思い描く未来には、小鳥遊ホシノの救いは存在しない。

 

(空崎ヒナと浦和ハナコが何故協力しているのか、ようやく理解出来た気がします。……放っておけなかったんですね。自らの過去に積み重ねたものを崩し、現在進行形で悪行を重ね、未来を擲った、この人の自己犠牲を。1人では背負いきれない業だとしても、3人で背負うのならば、破滅の未来は変えられるかもしれない。『この騒動が収束した後に、小鳥遊ホシノが笑える未来を掴む』為に、彼女たちは今の道を選んだのでしょう)

 

 それは言い換えればつまり。空崎ヒナも、浦和ハナコも。

 今のこの騒動が永遠に続くなどとは考えていないということだ。

 勿論、自分たちから解決されに行くことはないだろう。一切の妥協をせず、手を緩めることもなく、彼女らはこのキヴォトスを砂糖に沈めようとするだろう。

 しかし同時に、それでもなお自分たちを止めうる存在がいることを、信じている。

 そしてそれが誰かなど、言うまでもないことで。

 

(ええ。私には小鳥遊ホシノも、空崎ヒナも、浦和ハナコも止められません。だから……この人たちを止める役割は、お任せします、先生。……私は。自分の正義を否定してしまった私に、出来ることをします)

 

「ですが……自分の信じる正義を貫く、その姿勢は、私には否定出来ません。それを否定してしまえば、ただでさえハリボテウサギな私はもはやハリボテのウサギですらいられなくなってしまうので」

「……ミヤコちゃん?」

 

 すぅ、と息を吸う。

 この一言を言ってしまえば、自分はもうただの被害者ではいられないだろう。

 しかし、それでも構わなかった。

 

「決めました、小鳥遊ホシノ。私は……貴女に最後まで協力します」

 

 すぅ、と空気が冷めていく。小鳥遊ホシノの眼光が鋭くなる。

 

「…………それは、諦めかな? ミヤコちゃんも、砂糖に溺れたくなった? お望みなら今すぐにでも」

「いいえ、違います」

 

 懐からキャンディーを取り出しながら投げかけられた言葉。

 答え次第では力づくにでも砂糖に溺れさせるという、その態度に臆することなく、ミヤコは小鳥遊ホシノの言葉を否定する。

 

「勘違いしないでください。私の協力とは、貴女の掲げる『正義』を体現する為に全力を尽くすということです。貴女の掲げる夢物語を、現実にする為に。……ええ。これまでと何かが変わるわけではありません。これまでは嫌々従っていた貴女からの指示に、私自身の意思で従うようになる、ただそれだけです」

 

 ミヤコの言葉を聞いて、小鳥遊ホシノの表情に浮かぶのは、困惑だった。

 

「……理由を、聞いてもいい?」

「理由、ですか。大したことではないですよ。ただ──」

 

 そう。

 ただ──自分には出来なかった、信じた正義を貫くその背中を、ただ追いたいと思っただけだ。その正義を貫いた果てを見たい。自分の思い描いた理想の先を、夢想することすらできなくなったその果てに行き着くところを、他でもない自分が見たいと思ったのだ。

 

「……酷な命令だって出すよ」

「でしょうね。ですが、それが貴女の目指した「正義」の為なら従います」

「……そっか。なら……」

 

 ……きゅっ、と。ミヤコの手が握られる。ボロボロの、けれどとても小さな手が、震えながらミヤコの手を握る。

 

「────お願いだ。ノノミちゃんたちだけは、何としてでも、守り切って」

「Rabbit1、了承しました。私の命に代えても、必ず」

 

 絞り出すような、その願いに。

 月雪ミヤコはこれまで以上の声量で、自らのコールサインを以て宣言する。

 それは宣戦布告だ。この先の未来で小鳥遊ホシノに待ち受ける理不尽に対しての。

 彼女の抱いた「正義」が決して間違いではなかったと証明する為の、戦いの狼煙が、今上がった。

 

 ◆

 

「……驚いたわね、あの子。最後の宣言、明らかに私たちに聞こえるように言ってたわよ」

「私たちが近くで話を聞いていることも、私たちの意図にも気付いたんでしょうねぇ……」

 

 宣言から程なくして、『砂糖』の禁断症状が出た小鳥遊ホシノを抱えて月雪ミヤコはアビドス旧校舎へと戻っていく。その背中を見送りながら少し離れたところから姿を現したのは、空崎ヒナと浦和ハナコの2人だった。

 

「……信用、していいのかしら」

「していいと思いますよ。あの子の目に宿っていたのは、覚悟でした。アズサちゃんのような、強い信念にもえる、覚悟の目です。私たちが聞いていた言葉が、彼女の本心だと思います」

「そう。ハナコが言うなら、そうなんでしょうね。信じるわ」

 

 あっけらかんと言い放つヒナ。それだけ、ハナコの人をみる目を信用している証左だった。

 

「あの子があの子に出来ることをしてくれるのなら、私たちは私たちに出来ることをただするだけ。私たちには、小鳥遊ホシノの後輩は守れない。けれど、小鳥遊ホシノを守ることが私にはできる」

「ええ。武力についてはヒナさんにお任せします。そちらの方面で私に出来ることはありませんから」

「任せて。……その代わり、私に出来ない部分を、任せるわ」

「勿論です。……ホシノさんは一線を超えたと言っていましたが、それはあくまでこの騒動に踏み切る為の一線でしかありません。各学園には、決して手を出されたくはない、手を出された場合全面戦争すら厭わなくなるような、本当の意味で超えてはいけない一線があります。その一線を徹底して超えないようにしつつ、少しずつ少しずつ、内部を腐らせていく。そのラインの見極めと、その為の「転入生」の「教育」は、私にしか出来ないでしょうから」

「……ハナコがゲヘナにいたらよかったのに。マコト相手でも真正面からやり合えるんじゃな……いえ、ごめんなさい。その能力を振るうのは、好きじゃないのにこんなことを言うのは無責任だったわ」

「気にしないでください。そうやって気遣ってもらえるだけで十分に救われていますから。それに……」

「それに?」

「私がトリニティにいて、ヒナさんがゲヘナにいて、ホシノさんがアビドスにいて。だからこうして私たちは巡り会えたんです。それで十分でしょう?」

「……そうね。……ハナコ」

「なんでしょうか」

「……絶対に、守るわよ。私たちの、この『青春(ブルーアーカイブ)』を」

「……ええ。絶対に、守りましょう」

 

 月夜の晩、四者四様の覚悟が刻まれる。

 しかし──未だ、砂の蛇は沈黙を保ったまま。

 未だ終局は遠く。

 幕が降りるには、幾許かの時が必要である。




168スレ47にて掲載。
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