戦後、ある提督が語った「後悔」の物語。

※本作は「pixiv」にも投稿しています。

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第1話

 

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ダーク・ブルー

 

 

「提督!」

 息を切らせて、執務室に工作艦が姿を現した。「彼」に呼ばれでもしない限り、彼女が執務室にやってくることはなかった。

「損傷艦が、戻ってきました……!」

「ああ、さっき報告を受けた。全ドックは開放されているはずだ。ただちに」

「急いでください」

 工作艦は「彼」の声を遮った。

 何か、恐ろしいことが起きている。そんな胸騒ぎを「彼」は覚えた。

「急いでください。――ちゃんが、提督を待っています」

 「彼」にとって、特別な駆逐艦の名前を工作艦は口にした。胸騒ぎが、絶望に近づいていく。その駆逐艦は、確かにこの大規模戦闘で先陣を切っていたはずだった。

「ドックは……」

「早く!」

 鬼気迫る声をあげて、工作艦は「彼」の腕を掴んだ。

 

 

*

 

 

「お久しぶりです、司令官」

 ある喫茶店に「彼」を呼び出した妙齢の女性は、そう言って深々と頭を下げた。

 彼女に司令官と呼ばれた「彼」は背筋を伸ばし、自らも頭を下げた。白髪の混じった頭は五〇代にさしかかった「彼」の年齢を如実に物語っていた。

「確かに久しぶりだね。戦友会にも顔を出していないと聞いていたから、よほど忙しいのかと思っていたが」

「おやおや、戦友会に出てこないのは司令官も同じじゃないですかぁ」

 女性はそう言って屈託なく笑う。そして何かを思い出してスーツの胸元に手を差し入れ、名刺入れから一枚の名刺を取り出した。

「今はこういう仕事をしてます」

 「彼」は名刺を受け取ってじっと見つめた。よく耳にする新聞社の社名、所属、連絡先に並び、至って平凡な女性の名前が印刷されている。

「なるほど。やっぱり君はこういう仕事に就いたのか。今はこの名前でお呼びした方がいいのかな?」

「ええ、それでも構いません。でも司令官が呼びやすければ――あの時と同じ、青葉で」

 重巡洋艦・青葉。二十年以上前、深海戦争の際に彼女はそう名乗り、そう呼ばれていた。「彼」にとって、今もあまり変わらない姿をしている青葉は、青葉のままだった。

「じゃあ、遠慮なく青葉くんと呼ばせてもらおうか。僕のことも司令官と呼ばれているわけだからね」

 生憎と君に渡せる名刺がないんだが。そう「彼」が言うと、青葉はすべて承知しているというように頷いた。

「今のお仕事については聞いていますよ。帝国航宙軍軌道戦艦<大和>艦長。名実ともに将官になられたと」

 青葉は航宙軍のあたりから声量を落とした。海軍と統合航空軍の一部を分離・独立させて創設された航宙軍については、一応機密の塊という扱いになっている。

「わかってくれているならそれでいい」

 ウェイターにアールグレイを二つ注文し、青葉はペンと大きな手帳を取り出した。端末(コンピュータ)音声記録機(レコーダー)も用意してはいるが、彼女は手書きに重きを置いているようだった。

「失礼ですが司令官、今もお一人で?」

「ああ、うん。結婚はしていない。どうにも女性と縁がなくてね」

 青葉の取材はそんな雑談から始まった。今の「彼」が関わっている仕事の話をうまく避けながら、青葉は「彼」が話しやすい環境を作っているようだった。

 そんな雑談が十分ほど続いたあとだろうか。青葉はようやく本題を切り出してきた。

「今、うちの新聞ではあの深海戦争に関係した人たちの回顧録を連載しているんです。司令官、お読みになったことは?」

「ああ、ごめん。新聞はとっていないものでね」

「……是非ご購読を。で、もうじきこの企画も最終回を迎えるんですよ。そこで、司令官のお話を聞かせていただければと思いまして」

 「彼」は若干困ったような顔をした。この手の取材を受けたことがないわけではない。何しろ、深海戦争の英雄なのだ。当時は国内外様々な新聞や雑誌の取材を受けたものだった。

「僕の話なんて、今となってはそんなに面白いものでもないだろう?」

「まあまあそうおっしゃらず。青葉も仕事ですから、何も聞き出さずには帰れません」

「仕方ないな」

 席に届けられたアールグレイで口を湿らせて、「彼」は語り始めた。

 

 

*

 

 

 今から二十二年前。平成三十一年と呼ばれた年。

 「彼」が当時の横須賀鎮守府へ配属され、艦娘たちの司令官となったのはいくつかの偶然が重なった結果だった。負傷したことによって後方に回された偶然。海軍病院で太平洋方面軍に影響力を持つ人物に出会った偶然。そして、司令官としての素質を見抜かれた偶然。

 帝国海軍を探せばいくらでも転がっていそうな海軍士官であった「彼」は、二十七歳の若さで艦娘艦隊と呼ばれた連合艦隊を指揮し、日本と世界と人類の命運を賭けて戦うことになった。

 深海戦争、と後に呼ばれることになったその戦争は四年にわたって続いた。

 その間、様々なことがあった。時として地形すら変えてしまうような激戦もあった。深海の侵攻に耐えきれず、滅びてしまった国家もあった。そんな人類領域を駆けめぐる戦争に、「彼」と艦娘たちはよく耐えた、耐え抜いた。

 ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦、ハワイ奪還作戦、そして三度にわたる欧州救援作戦――

 

 

*

 

 

「うーん、なんだか出尽くした感のあるお話ばっかりですねぇ」

「そう言ったじゃないか」

 困り顔の青葉を見て「彼」はわずかに、ほんのわずかに苦笑した。

 しばらく青葉は手帳をめくっては何ごとかを呟いていた。そして、「あっ」という声とともに顔をあげた。

「じゃあ、こういうのはどうです? あの戦争の中で思い残したことというか、何か『後悔』があれば、そんなお話を聞かせて欲しいです」

 「彼」は視線を青葉から逸らした。数秒の沈黙の後、ティーカップをそっと置く。

「後悔、か」

「はい、司令官にとっての、そんな思い出があれば」

 青葉の瞳は真摯だった。興味本位などで訊いているわけではないことはわかった。

 一つ息を吐き、「彼」は口を開いた。

 

 

*

 

 

 当然のことではあるが、すべての艦娘に対して、「彼」は平等でなければならなかった。依怙贔屓も差別も許されなかった。艦娘たちを対等に扱わなければならなかった。それは海軍から通達された規律でもあった。

 その規律を「彼」は遵守していたかと言えば――否、と言わざるを得ない。

 たった一人、「彼」が特別扱いしていた艦がいた。白露型駆逐艦四番艦、夕立。

 無邪気で、元気にあふれていて、仔犬のようだった少女。「彼」は夕立のことをいつも気にかけていた。「彼」と夕立の関係は鎮守府においては公然の秘密であり、そして、艦娘たちがたいせつに扱う秘密でもあった。

「提督さん。提督さんのお家ってどこっぽい?」

 戦時中のある日、執務室で報告書に目を通していた「彼」に夕立がそう問いかけてきた。

「話したこと、なかったかな?」

「ないっぽい」

「新潟だよ。新潟の南の方。魚沼って聞いたことないかい?」

「知らないっぽい。どんなとこ?」

「田舎だよ。山の中。米と、酒くらいしか名物がない。冬になると雪がやたらと降って……うん、やっぱり田舎だな」

 夕立はうーん、と言いながら考え込んだ。雪の降りしきる田舎町を想像しているのかもしれない。

「提督さんの家族ってどんな人っぽい?」

「また突然だね」

「知りたいっぽいー」

 「彼」は苦笑して報告書を置いた。どうにも、彼女に対して甘く接してしまう。

「父さんと母さん、それから婆ちゃんが実家にいる。なんの変哲もない、普通の一家さ」

「提督さん、一人っ子? 海軍に入って大丈夫だったっぽい?」

 無意識のうちに、「彼」は苦笑を寂しげな微笑みに変えていた。それに気付いた夕立が目を(しばたた)かせる。

「妹が、いた」

「いた……?」

「何年も前に病気で亡くなったよ」

 そう聞いて、夕立はしゅんとした。その様子は耳を垂れる仔犬そのものだった。

「ごめんなさい……」

「別に謝らなくてもいいさ。昔の話だから」

 しばらく、二人は沈黙した。それを破ったのは夕立だった。

「……妹さん、どんな人だったっぽい?」

「そうだね……」

 「彼」は静かに考え込んだ。

「君に、よく似ていたよ」

「えっ?」

「別に顔が似てるわけでも、声が似てるわけでもない。性格もまるで違った。髪も短かったし、眼鏡もかけていた。でも、君を見ているといつも妹を思い出す。だから、君は妹によく似ているんだろう」

 「彼」が思い出せる妹の姿は少しずつ薄れてきているような気がした。今は夕立の存在が徐々に重なりつつあるように思える。悲しい思い出を、彼女が優しく上書きしていっているように思える。

「夕立、妹さんの代わりになれるっぽい?」

「そんなことはしなくていいよ」

 再び苦笑しながら「彼」は夕立の頭を撫でた。柔らかな髪の感触が心地よかった。

 夕立は妹の代わりではない。それは当然のことだった。ただ、夕立といると落ち着けた。戦争の最中で、人類の命運を背負って艦隊を指揮する最中で安らぎを得ることができた。

 それで、よかった。

 

 

*

 

 

 夕立は「彼」と夕日を眺めることを好んだ。どこまでも永遠に続くと思わせるような青空が徐々に染まっていき、海をオレンジ色に変えるときを眺めることを好んだ。出撃や訓練がなければ、夕立はいつも「彼」の手を引いて鎮守府本館の屋上へ夕日を眺めに連れ出した。

 夕日を眺めていられる時間は、そう長いものではない。まぶしい太陽が水平線の向こうへ沈んでいけば、空は暗闇に閉ざされる。

「夕立、この色、好きっぽい」

 太陽がほとんど沈んだ空を指さし、夕立がそう言ったことがある。

「うん?」

「お日様が沈んで、まだ星が見えてこない空の色。なんていうっぽい?」

 夕立が示した空の色は、透明な黒に青が消えつつある色だった。なんと呼ぶべきか、「彼」は少し考えた。やがて、太陽が完全に沈み、あたりはその色で包まれた。

「ダーク・ブルー、かな」

 もしかしたら、ほかに適当な呼び名があるのかもしれない。だが、「彼」はこの色をダーク・ブルーと呼んだ。そう呼びたかった。

「ダーク・ブルー」

 何か詩の一部のように夕立は呟き、少しだけ瞳を閉じた。このダーク・ブルーの空を深く記憶に刻むかのように。

「海の底も、こんな色なのかな」

 瞳を閉じたまま、夕立はそう言った。

「夕立くん?」

「夕立たち艦娘も、最後はこの色に包まれて沈んでいく……なんて思って」

 瞳を開き、いつになく神妙な表情を浮かべた夕立。その姿が、とても危ういものに見えて――

「馬鹿……!」

 「彼」は夕立を抱きしめていた。そうしても、彼女がどこかへ行ってしまいそうだった。どこにも行ってほしくなかった。彼女だけは、自分のそばに居つづけてほしかった。

「提督さん、痛いっぽい……」

 どこか嬉しそうに微笑みながら、夕立はそう言うのだった。

 

 

*

 

 

 第三次ソロモン海戦。

 そう呼ばれた、悪夢のような戦い。

 激戦に次ぐ激戦の末、艦娘艦隊は辛くも勝利することができた。

 

 

 だが、犠牲は発生してしまった。

 

 

 「彼」の作戦が失敗したわけではない。

 艦娘たちが間違ったわけでもない。

 ただ、不幸な偶然がいくつも重なってしまっただけだった。

 

 

*

 

 

 明石に引きずられるようにして、「彼」は船渠前に着いた。

 そこには、多くの傷ついた艦娘たちがいた。「彼」に気づいた艦娘たちは敬礼した。だが、「彼」は答礼することができなかった。

 ――「彼」の視線は、一台の寝台(ストレッチャー)に注がれている。その上には、白い布で包まれた一人の少女がいた。布は、そこかしこが赤黒く染められている。

 ゆっくりと、「彼」は寝台に歩み寄った。動悸が収まらない。喉が渇く。両目の奥が焼け付くように痛い。

「て……いとく、さん……」

 寝台を大量の血で染めながら、夕立は光の失われつつある瞳で「彼」を見た。

 夕立の胸と腹には大きな孔が開いていた。彼女のマントで申し訳程度の手当はしてあるが、人間なら即死するダメージだ。鎮守府にたどり着くまで、艦娘の強靱な生命力でどうにか意識を保っていた。

 もはや入渠は無意味。それならば、せめて最期に「彼」の顔を見せてやりたい。明石はそう判断したのだろう。

「ごめんなさい……夕立、もう役に立てない……ぽい」

 そんなことはいい。そう言えなかった。歩み寄って、静かに夕立の手を握る。血でぬめった感触がした。

「ごめんなさい……ごめん、ね……」

 痛かったろうに。

 苦しかったろうに。

 泣き叫びたかったろうに。

 それなのに、夕立はもう戦えないことを詫びようとしていた。

「ごめん……ていと……く……さん……」

「もういい、喋るな」

 血まみれの手を自らの頬に当てる「彼」。夕立の手は、既に冷たかった。

「……また……ダーク……そら……」

 「彼」の顔を見て安堵したのだろう。夕立はかき消えそうな声でそう呟いたあと、静かに微笑んで――

 

 

*

 

 

 「彼」は夜空の下にいた。

 軍帽を脱ぎ、ただ、空を見上げていた。

「……」

 夕立の亡骸にすがって泣くことができたら、どれほど楽だっただろうか。だが、彼はそうしなかった。できなかった。できるはずもなかった。

 星たちは静かにまたたく。その空が、少しずつ、ほんの少しずつ、黒さを失っていく。

 払暁が近づいていた。透明な青に黒が消えつつある空。夕立が好きだと言っていた、あの空の色。

 「彼」は膝をつき、ダーク・ブルーの空の下、慟哭した。

 

 

*

 

 

「――やっぱり、あのときのことを後悔されてたんですね」

 「彼」が静かに語り終えたとき、青葉は呟くようにそう言った。「彼」が艦娘を喪失したのは後にも先にもその時だけだった。

「妹とどこか重ねて見てしまったこと、護ってやれなかったこと、何も言ってやれなかったこと、最後に抱きしめてやれなかったこと。後悔だらけだよ」

 夕立を喪って以来、「彼」は笑うことが少なくなった。戦後は「笑顔なき英雄」と呼ばれたほどだ。笑わない理由を(つい)ぞ「彼」は話さなかった。「彼」の部下であった艦娘たちも話すことはなかった。

「今でも忘れられない。あの夜明けを迎えようとしていたダーク・ブルーの空を。またたいていた星たちが、静かに消えていく空を」

 「彼」は目を閉じた。皺の刻まれ始めた瞼の裏に、そのときの空が見えているように。

「死んだ誰かが星になるなんて、子供みたいなことは考えていない。だが、彼女の魂がどこへ行ったのかと訊かれたら、あのダーク・ブルーの空だと答える。海へ還らずに、空へ昇ったと答える」

「あの……もしかして司令官が航宙軍へ志願したのは」

「君が思った通りだよ、青葉くん。少しでも、あの空へ近づきたかった。彼女がいると思った、あのダーク・ブルーの中へ昇りたかった」

 宇宙飛行士なんて目指せる年齢(とし)でもなかったからね。こうするしかなかった。そう言って、「彼」は目を開けた。

 「彼」と青葉の間に沈黙が訪れた。重い後悔を抱えながら生きてきた「彼」。ようやく、「彼」はその後悔を誰かに話すことができたのだろう。

「幻滅したかい?」

 青葉は手帳を抱きかかえ、首を振った。望んでいた答えを得られた、そう言うように。

「いいえ。むしろ安心しました。司令官が夕立ちゃんを本当に愛していたんだとわかって。艦娘を本当に信じていたんだとわかって」

「そうか。そう言ってもらえると救われるな」

 冷めてしまったアールグレイを口にしてから、「彼」は歌うように呟いた。

「西に入る、夕日の影のある内に、罪の重荷をおろせ旅人」

「なんですか司令官、辞世の句ですか?」

「昔の脱獄魔がのこした短歌だよ。なんだか、僕の気持ちを例えるならこれかな、って」

 穏やかに「彼」は笑った。二十二年分の思いを込めた笑顔だった。どこか寂しそうなその笑顔を、青葉は忘れられそうになかった。

 

 

*

 

 

 しばらくして、青葉は「彼」が任務中の事故で亡くなったと知らされた。軌道戦艦の中、空の向こう、ダーク・ブルーの(うちゅう)で殉職した「彼」。その魂は、今どこにいるのか。

(夕立ちゃんとは、会えましたか?)

 空と海の間、そのどこかで二人がまた出会えたことを、青葉は願わずにはいられなかった。

 


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