魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵―― 作:藍紫
夕暮れ時。
オムライスが名物の洋食レストランにて、俺、佐々木さん、そしていろはの三人で、ゆっくりと食事の時間を過ごしていた。
「いろはちゃん、誠司と同じものを食べたいならね──」
隣の席に座った佐々木さんが、メニューを覗き込みながら微笑む。
「三人とも違うのを頼んで、少しずつ分け合えば、誠司とも同じものが食べられるし、三種類も味わえるわよ?」
その提案に、いろはは小さくうなずいた。
注文したのは、定番のケチャップオムライス、デミグラスソースのオムライス、そしてハンバーグプレート。
いろはは、いつも通り表情を変えないまま、フォークをゆっくりと動かしながら、ほんの少しずつ料理を口に運んでいた。
彼女なりに、今を楽しんでいる。
──俺にはそう感じる……いや、そう思ってほしい。
食が細いいろはは、俺と佐々木さんが頼んだものも少しずつ食べたことで、三分の一ほど食べたところで小さく息をついた。
もう満腹なのだろう。
残った料理は、俺がすべて引き受けて、完食した。
「いろはちゃん、おいしかった?」
佐々木さんが優しく問いかけると、いろはは一拍置いて、静かに応えた。
「……はい」
それだけの返事。
でも、その一言で佐々木さんは満足そうに微笑んだ。
たぶん、いろはの肯定は、彼女なりの最大限の感謝なのだ。
しばらくして、食後のティータイムに入った頃。
佐々木さんが、テーブルの湯気越しに俺へと目を向ける。
「それで、誠司。今回の件、問題はなさそうかしら?」
「まあ、大筋では問題ない。いくつか気になるところはあったけど……そこは現場で須藤さんとすり合わせながら調整するよ」
「そう……いろはちゃんのこと、気をつけてあげてね。二人で行動するなら大丈夫だと思うけど、他のチームと組ませるなら、監督官とはいえ、きちんとフォローしてあげないと」
「わかってる」
「ふふ、ならいいの。で、明日からは?」
「明日は、10時くらいから、いろはと一緒にダンジョンに入る。スタートは41層……いろはのスキル制御が目的だから、無理はさせない。片道3日で行けるところまで進んで、いろはの状況次第もあるが45層の小ボスが近ければ戦う。難しそうなら40層まで戻って、ワープゲートで帰るつもりだ」
「そう。くれぐれも、いろはちゃんに無理させないようにね」
そう言って、佐々木さんは優しく、いろはの頭を撫でた。
いろはは視線を上げ、少しだけ佐々木さんの顔を見つめる。
その様子に、俺は思わず息を飲む。
──ありがとう。
心の中で、静かに感謝した。
俺以外の人と、こうして交流を深めるいろはを見ると、少しだけ安心できる。
いつか、いろはが俺のそばから離れる時が来る。
その日までに、ちゃんと外の世界に踏み出せるようにしてやらないと──。
そんなことを考えていると、不意にいろはが席を離れ俺の隣に座り直した。
そして、無言のまま、そっと俺の袖を掴む。
「……」
黙ったまま、ただ俺を見つめる瞳。
──こんなふうに、ただ静かに隣にいてくれる時間が、今の俺には大切だった。
会計を済ませ、夜の街へと足を踏み出す。
柔らかな灯りが舗道を照らす中、俺は自然と問いかけた。
「家まで送るか?」
「いらないわ。いろはちゃんは明日から大変なんだから、早めに帰ってあげて」
佐々木さんはいつも通りの調子で断ってくる。俺が返事をしようとすると、その前に──
「誠司、変なことは考えないようにね」
鋭い一言が飛んできた。
「……あぁ」
苦笑まじりに答えると、彼女は軽く肩をすくめる。
「明日は10時前には協会の3階にいるから、声をかけなさい。受付は日向さんにやってもらってもいいけど……いろはちゃんの説明は、ややこしいでしょ?」
「そうだな。いつも助かる」
「あなたのためじゃないわ。いろはちゃんのためよ」
そう言って、佐々木さんはいろはの頭を優しくひと撫でし、くるりと背を向けて歩き出した──かと思ったその時。
ふと、振り返って、ひと言。
「いろはちゃんはまだ、この“世界で”二年しか生きていないのよ。……誠司と出会って、ようやく“人として”、感情を出して生きるようになったんだから」
一拍の間を置いてから、静かに言葉を続ける。
「『過去の15年』なんて、生きていたうちに入らない。
だから、あなたが守りなさい──ちゃんと、いろはちゃんの今を。
そして、たとえ限られた時間だとしても……その先に、未来と呼べる日々を」
その声は静かだった。けれど、夜の風に乗って確かに届く。
命じるでも、願うでもない。──託す、という響きだった。
「……ばいばい、しおり」
小さな声で、いろはが手を振る。
その仕草に、ほんの少しだけ柔らかさが宿っていた。
§ § §
新宿駅から電車に乗り、自宅へと戻る。
夜の帳が下りる中、明日からのダンジョン潜行に備えて、リビングに荷物を並べて確認する。
すでに準備は済んでいたが、『念には念を──』が、俺の流儀だ。
「いろは、自分の荷物をリビングに持ってこい。最終確認するぞ」
声をかけると、いろはは静かにうなずいて、寝間着のまま自室へと戻っていった。
しばらくして、すこし大きめのショルダーバックを両手で抱えて戻ってくる。その動作も、どこかぎこちないながら、彼女なりに“自分の役目”を果たそうとする姿勢が見えていた。
「全部、自分で詰めたな」
「……はい。教えられたとおりに」
「よし。じゃあ一緒に確認するぞ。順番に出していけ」
いろはがひとつずつ中身を出していく。装備品、保存食、替えの衣類、医療キット──必要なものは、すべて入っていた。
「問題ないな。ちゃんと自分のことを、自分でやれてる。……明日からは、それが命に直結するんだ。覚えておけ」
「……はい」
いろははうなずいたが、視線はどこか淋しげだった。
だが俺は、甘やかす言葉を飲み込む。
そして、片づけが終わったところで声をかける。
「今日は俺の部屋に来ようとせずに、自分の部屋で寝なさい」
「……」
無言のまま、じっと俺を見つめてくる。
抗議の意志がその瞳からにじみ出ていたが、俺も視線をそらさなかった。
数秒後──観念したように、いろはがぽつりと言う。
「……おやすみなさい、誠司様」
そして静かに、自室へ戻っていった。
「……あぁ。おやすみ、いろは」
彼女が扉を閉める直前に、俺は背を向けたまま応えた。
§ § §
再度、リビングの荷物を確認する。
俺といろは、それぞれの装備、食料、最低限の医療具──すべて問題なし。
いざとなれば、主武装さえあれば他はどうとでもなる。
だが、いろはには“自分で準備する”という意識を持たせている。
自分の必要なものは自分で把握し、管理する。
それが、ハンターとして自立するための最初の一歩だ。
──もぞ……もぞ……。
不意に、いろはの鞄の方から小さな動きの気配がした。
目をやると、鞄の横から灰黒色のぬいぐるみのような“それ”が、ぬるりと顔を覗かせる。
黒い深淵を覗くような片目と、蒼く光るボタンのようなもう片方の目。
無機質なはずの造形なのに、そこからは明らかに”意思”めいた気配が漂っていた。
「もういるのか。明日からは、頼んだぞ。モルヴ=ミュー」
俺がそう告げると、モルヴ=ミューと呼ばれたぬいぐるみのような“それ”は青い片目をかすかにきらめかせた。
まるで、“理解している”とでも言いたげに。
そのまま、静かに動きを止めるモルヴ。
(……頼りにしてるぞ)
──ふいに視線を感じた。
リビングの入り口。
そこに、いろはが立っていた。
「……寝たんじゃなかったのか」
問いかけても返事はない。ただ、ゆっくりと歩み寄ってきて、俺の隣に腰を下ろす。
「……誠司様の部屋に、行こうと思ったんですけど……だめ、ですか?」
声は小さく、それでいて、芯のある感情が込められていた。
俺は少しだけ間を置いてから、静かに答えた。
「明日からは、ずっと一緒だ。……だから今日は、自分の部屋でちゃんと寝ておけ」
その言葉に、いろははほんの一瞬だけ目を伏せ──小さく、うなずいた。
「……はい。……じゃあ、明日からは、一緒に」
「……ああ」
それだけのやりとりのあと、いろはは立ち上がり、再び廊下へと向かっていった。
その背中を見送りながら、俺は心の中で呟いた。
(守らなきゃならない。彼女の今も、明日も、──そして、その先も)
静けさが戻ったリビングで、俺はタブレットを手に取った。
開いたのは、協会に記録された渋谷ダンジョン内で公開済みの地図とかつて調べた情報をまとめた内容だ。
(無理に情報を詰め込んでも意味はないが、判断の材料だけは与えておくべきか……)
明日からは、いろはにとっても、俺にとっても──新しい“試練”の始まりになる。