魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵―― 作:藍紫
※2025/5/29:冒頭に加筆しました。いろはの感情や関係性の始まりを、より読者に感じていただけるようにしています。
1-1 30年目の街、そして歪んだ声
──目を覚ますと、すぐ隣に彼女がいた。
布団の端に、少女が静かに身を寄せている。
誠司が目を覚ましたとき、布団の中でいろはが誠司と同じ姿勢で横たわっていた。
足の角度、手の位置、寝息の間隔すら、まるでなぞるように一致していた。
(……まただ。まるで、俺の呼吸にあわせているみたいだ)
「……誠司様……起きましたか……?」
囁くような声。朝の光に透ける桃色の髪。息をひそめるような表情。
その瞳には、眠っていたという気配はまるでなかった。
(……まただ。俺よりも早く目覚めて、横でずっと……)
恐怖ではない。嫌悪でもない。
ただ、心の奥に静かに沈殿していく、不安と──罪悪感。
彼女の声が、耳の奥に残っていた。
「……せいじさま……は……わたしの……なの……」
あれは夢だったのか、それとも現実だったのか。
曖昧な記憶の狭間に、その声だけが、不気味なほどはっきりと焼きついていた。
寝言だったのかもしれない。あるいは、言葉にならなかった想いの欠片──
──その言葉が、すべての始まりだった。
そして、俺がすべてを失うきっかけでもあった。
§ § §
4月下旬の昼過ぎ。家を出るために部屋の扉を開けると、同居人である橘いろは
(たちばないろは)が玄関の脇に立っていた。
「……いってらっしゃい、誠司様」
感情の温度が欠けたような声だった。けれど、その水色の透き通った瞳だけは、微かに笑っているようにも見える。
制服姿のまま、じっと動かず、こちらを見つめてくる。誠司は、ほんの一瞬だけ足を止めた。
(……朝、学校行ったよな。……なんで、もう帰ってきてるんだよ)
「おう、行ってくる。……ちゃんと休んでいろよ。それと、今日はちょっと、帰りが遅くなるかもしれないわ」
靴を履きながらそう声をかけると、桃色の髪が少し揺れ、いろははゆっくりと、小さく頷いた。
「……帰ってきてくれるなら……私はそれでいいです」
それだけ言って、彼女はもう一歩も動かず、誠司だけを静かに見つめ続けていた。
(……まったく、この子は)
小さくため息をつきながら、誠司はドアノブを握る。
──カチャリ、と鍵の閉まる音が、いつもより少しだけ重く響いた。
§ § §
『世界ダンジョン災害発生から、あと7ヶ月で30年』
その報せが、昼下がりの新宿の空に、まるで警鐘のように鳴り響いていた。
午後1時。快晴。しかし、ビルの谷間を抜ける風は妙に乾いている。
人の流れは多くも少なくもなく、ただ日常を生きる群れの中に、ひとりの男の姿があった。
名前は──相馬誠司(そうませいじ)。
20代後半。すこし日焼けの残る肌。
使い込まれたジャケット。
どこにでもいそうで、どこにもいないような日本人の顔つき。
彼は額の汗を拭いながら、やや憮然とした顔で新宿駅へと歩を進めていた。
まだ5月手前だというのに、昼の日差しがやけに熱い。
空気も乾いていて、不快だった。
駅前の巨大ビジョンが、報道番組の特集を流している。
誠司は無意識に足を止め、映像に視線を向けた。
「今年12月25日で、世界ダンジョン災害から三十年の節目を迎えます──」
燃え盛るロンドン。
崩壊したニューヨーク。
瓦礫に埋もれた、かつての渋谷。
画面に映し出されたのは、2025年、世界各地に突如現れた〈深淵〉の爪痕だった。
「2025年、人類は突如として現れた“ダンジョン”によって、世界の姿を一変させられました。各国の都市に出現したダンジョンからは、異形のモンスターがあふれ出し、街を襲い、秩序を崩壊へと導いたのです」
「現在では、“灰仮面”の登場を契機とした三年前の『三偉革』以降、各国のダンジョン攻略と管理体制は見直され、秩序と希望を取り戻しつつあります。
深淵を前に立ちすくんでいた我々人類は、ようやく──その先へ手を伸ばそうとしているのです」
そのナレーションの直後、画面が切り替わる。
──5人の男女が映った。
刀を腰に携えた精悍な青年、杖を持つ赤髪の男性、内気そうな茶髪の美女、
眼鏡の快活そうな女性──そして、灰色のローブと青色バイザーの灰色仮面で身を包む人物。
日本初、S級ダンジョン『渋谷大深層』を100層まで攻略した伝説のチーム、『黎明の五剣』の勇姿だった。
「……そして、4年前。『黎明の五剣』が、日本で初めてS級ダンジョンの100層攻略を達成し、さらなる深層へ足を踏み入れたことが、多くの人々に希望を与えました」
画面右上にテロップが浮かぶ。
《九条の剣聖》《紅の爆導者》《癒しの撫子》《征伐執行者》《灰仮面》
なぜ、彼らの快挙が“希望”と呼ばれたのか。
それは──日本において、あまりにも異例の偉業だったからだ。
ダンジョン発生から三十年。
日本はその大半を、ダンジョンから突如としてモンスターがあふれ出し、市街地や拠点に甚大な
被害を与える災害──『モンスターハザード』への対応に費やしてきた。
この終わらない災害を封じるには、ダンジョンそのものを完全攻略するしかない。
そうして始まった国家規模の深層攻略作戦は、しかし──ことごとく失敗に終わっている。
十五年前の京都ダンジョン攻略作戦では、当時日本最高の実力者を含む48名が全滅。
十年前の再挑戦では600名が投入され、多くの死傷者を出しながらも、99層の階層ギミックを突破できず、三ヶ月で作戦は断念された。
五年前の渋谷ダンジョン攻略作戦では、精鋭200名が参加し、死者18名。
死亡率が五%を超える寸前で、作戦中止を余儀なくされた。
指揮系統の硬直。
装備の平均化。
強力な魔法具の不足。
優秀な自衛官たちは、高報酬と裁量の広いハンターへと転向し、
国家の戦力は平均に押し込まれたまま、通用しない現実が続いていた。
そして、ハンターたちもまた、力量の限界を悟るたびに安定を求め、誰も深層へ挑もうとはしなくなっていった。
勢いよく語るナレーターに続き、冷静なコメンテーターが画面に映る。
「……我が家でもこの映像を見て、家内と手を取り合って喜んだものです。
まさか、日本でもS級ダンジョンの100層を……本当に踏破できるとは思ってもいませんでした。
二十年前、自衛隊基地がA級ダンジョン化し、国家の威信をかけて行われた攻略作戦。
死者392名、重軽症者3000名超という甚大な犠牲を払った末の『辛勝』──
それが、日本で唯一の『完全攻略』とされる実績でした。
しかし、その代償の大きさが当時、政権崩壊を招き、
以後の国内ダンジョン政策は、長く停滞を余儀なくされたのです。
だからこそ……『黎明の五剣』が、わずか五人でS級百層を突破したその日──
私たちはようやく、前に進めたのだと感じたのです」
しかし、その笑顔はすぐに陰る。
「……ただ、二年前に行われた125階層の攻略作戦では──」
「──ボロボロの結果だったな……あの時、俺は‥‥‥何もできなかった」
誠司は、小さく毒を吐いた。
ポケットに手を入れ、人波を抜けるように歩き出す。
「ハンターなんて、結局は捨て駒ってことだ。学院を卒業して七年──つくづく、そう思うよ」
誠司はポケットに手を入れたまま、街の雑踏を抜けて歩き出した。
ビジョンに映るコメンテーターの表情は、先ほどの影を含んだ語りが嘘だったかのように、気楽なものに変わっていた。
「……あの攻略戦は、結果として大敗走という形で幕を閉じることとなりました。
《紅の爆導者》──高火力魔法と部隊全体指揮を担っていたSランクハンター、朝比奈燎
《あさひな りょう》氏を含め、日本の上位ハンターの約25%が亡くなったそうです。
その損失の大きさを受け、『黎明の五剣』は再編され、『黎明の護剣』として新体制で再始動しています。
今の日本にとって最も重要なのは、次の護剣となる新たな才能の発掘でしょう。
若きハンターたちの育成と支援が、国家規模での最優先課題として位置づけられているのです」
そう語る声の向こうで、Sランクハンターたちの笑顔が映される。英雄たちの成功だけがクローズアップされるその映像に、誠司は静かに吐き捨てる。
(……誰かがどうにかしてくれると思ってる奴が多すぎる。そんな他人任せじゃ、変わるものも変わらない)
立ち止まっていた時間はわずかだったが、体の奥にわずかに沈殿していた不快感が、ぬるく沸き上がってくる。
誠司は今日、18時からダンジョン協会に呼び出されている。内容は不明だが、心当たりが全くないわけではない。あってほしくない件ほど、思い当たる。
(……ま、行って確かめるしかない)
だがその前に、ひと仕事。小銭稼ぎだ。今の立場だと、渋谷ダンジョンの25〜26階層あたりなら、ソロで回れる。準備時間を入れても、2〜3時間もあれば十分。
呼び出し前のウォーミングアップにはちょうどいい。
新宿駅の構内に入る直前、誠司はふと立ち止まり、スマホを取り出した。画面に表示された名前を確認してから、発信ボタンを押す。
数回の呼び出し音の後、電話が繋がる。
「……誠司様……どうしたの」
くぐもった、感情の輪郭が曖昧な少女の声。抑揚がなく、それでいて妙に耳に残る。沈んだ水面から浮かび上がったような音の響き。
誠司は、その声に一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに日常の調子を取り戻して答えた。
「ああ、いろは。さっきも言ったが、やっぱり、今日は少し帰りが遅くなるかもしれない。だからもう一度連絡しておこうと思ってな」
「……また……あの人のところ?」
わずかに震えた声。でも、それは怒りではない。悲しみでも、拗ねでもない。ただ──どこか、歪んでいた。
「……やっぱり……私より……あの人のところが……いいの?」
いろはは、心の奥底から何かが零れ落ちるように、静かにそう呟いた。決して大きな声ではない。でも、その一言に、重く暗い何かが詰まっていた。
「違う。ダンジョン協会からの呼び出しだよ、いろは。仕事だ。お前に隠し事なんてしてない」
誠司は、事実だけを淡々と告げる。それが、この二年で彼なりに学んだ“彼女との距離感”だった。
「……お気になさらず……ごゆっくり……お過ごしください……誠司様」
抑揚のない、けれどどこか棘を含んだ声音。
誠司は思わず、乾いた笑いを漏らした。
「そんなこと言ってると、本当にゆっくりして、今日は帰んないぞ?」
軽い冗談。いつもなら流せるやり取り。だが、その直後──
「……え……そんな……ごめんなさい、ごめんなさい……」
まるで、何かを取り戻すかのように、連続する謝罪。
機械のように繰り返される言葉に、誠司は目を細めた。
(……冗談も通じねぇか)
「冗談だよ。ちゃんと帰る。いろははいい子にして待ってろ。もし俺が19時までに戻らなかったら、冷蔵庫に昨日の残りがあるから、レンチンして食べとけ」
少しだけ明るく、優しい声で。落ち着かせるための手順のように。
「……はい。……ちゃんと待ってます。いい子にしています。だから……」
「ああ、わかった、ちゃんと帰るから。じゃあ、またあとでな」
「……はい。……ずっと……お待ちしています」
§ § §
通話が切れる。
──その瞬間、いろはは画面の光が消えたスマホを、そっと胸元に抱きしめた。
閉じた瞳をそのままに、微動だにせず、ひとつ吐息を落とす。
(……だめ。あと一歩で、『誠司様』を引き出せたのに)
その内心の声には、焦りも感情もない。
ただ記録者のように、静かに観測された事実として刻まれていく。
彼女のまなざしは、画面に焼きついた誠司の声の余熱に、ずっと耳を澄ませていた。
§ § §
駅構内の騒音が戻ってきたが、それでも、誠司の耳にはいろはの声が微かに残っていた。
(はぁ……また、やっちまったな)
いろはの声は、普通の少女のものじゃない。誠司の目には、あれは壊れかけた幼子のように聞こえていた。
まるで、見捨てられたくないと必死で縋る、愛を求める子どものような。
「……いろはのケア、帰ってからちゃんとしないと」
右手のカードを改札にかざし、誠司は足を進めた。
彼女を支えるためには、まず稼がなければならない。
──それが、この現実の中で、俺にできる最低限の責任だ。
駅のホームに向かう途中、ふと手元のスマホに視線を落とす。ロック画面に映るのは、いろはと並んで写ったツーショット。2年前、保護施設を出た日に、撮った一枚だった。
笑おうとして失敗したような、感情の乗らない不器用な表情。
2年前、あの少女を“保護”したあの日、誠司は気づいてしまった。
──無理して笑おうとした顔は、笑ってないよりもずっと痛々しかった。
だからこそ、誓った。
──いつか、本当の笑顔を教えてやる、と。
それが、戦い続ける理由の一つ。いや、たった一つなのかもしれない。
新宿から渋谷へ向かう電車の中、誠司は窓の外を見つめていた。
どこまでも高く、どこまでも青い空。けれど、その向こうには──誰も知らない深淵が口を開けている。
それが、彼らが生きるこの時代の現実だった。