魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵―― 作:藍紫
四十五層のボス部屋──その扉は、静かに、しかし確かに閉ざされていた。
一昨日のハンター救出を皮切りに、誠司といろはは二日間かけて、
第四十二層から第四十四層を踏破。
昨夜は、四十四層の安全地帯で一夜を明かし、ついにこの場所へとたどり着いた。
扉が閉じているということは、今月、まだ誰もこのボスを討伐していない。
つまり──四十五層のボスは、“今も生きている”。
(……運がいい)
「よし、いろは。四十五層のボス、攻略するぞ。敵の情報は覚えてるな?」
「はい、誠司様」
いろはは感情をほとんど感じさせない抑揚の無い声で続けた。
「公開された協会情報によりますと、45層ボス名は《嘆キノ能面・ユウギ》。白装束をまとい、
能面をかぶり、帯刀しています。能面伝承と首長女をモチーフにしたと思しきモンスターです」
そこで、少しだけ間を置き、さらに淡々と続ける。
「初期出現時には、大型の《人面犬》が四体随伴しているのが通例です。戦闘パターンは群攻と
斬撃に加え、死に際に精神攻撃を放つとの報告あり……ですが、それだけでは説明がつかない
全滅例が多発しています」
「たとえば?」
「……Bランク以上の構成チームも過去数度、全滅しています。練度不足では説明がつかない。
ゆえに、協会では未発見の能力──たとえば、“未知の精神干渉”や“飽和型モンスターの強制
召喚”、あるいは“死に際の再強化”などがあるのではないかと……」
そこで再び少しだけ視線を下げると、戦術を語る声色に切り替わった。
「今回の戦術ですが──突入後、まずは敵の布陣確認。私が《ホロウ・ブランク》で人面犬を
牽制・消滅させます。その間、誠司様は、《モルヴ》と共にユウギの討伐をお願いします。
人面犬を片付け次第、私も合流し、《ホロウ》でユウギを包み、消滅させます」
それは、教科書を読み上げるような、感情の起伏のない説明だった。
だが、これが彼女の“素”だ。余計な言葉を使わず、要点だけを正確に伝える。無口ではない。
だが必要以上には語らない。……そのギャップを、俺は少しだけ、可愛いと思っている。
苦笑を噛み殺しながら、誠司は短く答えた。
「ああ、理解した。俺も昔、こいつを倒したときには特別な異常は見られなかったが
……なにせダンジョンってやつは、意味がわからないことばっかりだからな。油断はしない」
「はい、誠司様」
呼吸を整え、誠司は《水鉄砲》の確認と、モルヴの再装備を終えた。
「よし。じゃあ入るぞ。何が起きても、俺が何とかする。だが、基本はお前が主体で進めろ。
《モルヴ》と《ホロウ》の連携、準備はできてるな?」
「はい、誠司様」
静かに応じたいろはの手元では、黒猫・モルヴの瞳が青く揺れていた。
誠司が扉を開き歩を踏み出す。
それにぴたりと続くように、いろはが後ろからついてくる──
だが、次の瞬間。
──ガンッ!
二人が入ったすぐに背後で扉が閉じる硬質音が響き、空間が歪んだ。
「えっ──」
いろはの視界が揺れる。重力がひっくり返るような奇妙な浮遊感。目の前の世界が
墨で塗り潰されていくようだった。
いろはの身体は、“暗黒の球体”に吞み込まれ消えた。
「いろは──!!」
誠司の叫びが空間に響いたが、その声は彼女に届かなかった。
§ § §
──無音。
気づけば、いろはは“そこ”に立っていた。
漆黒の空間。天も床もない、無の世界。
だが、その沈黙は──突如として変質する。
ぼっ。
音もなく、一本の巨大な蝋燭が、いろはの背後に灯った。
それを皮切りに、次々と人の背丈を超える蝋燭が出現する。
儀式のように輪を描き、ゆっくりと彼女を囲んでいく。
赤黒く揺れる炎が、微かに空間を照らす。
その明滅のなか、何かが潜んでいる気配。
──視られている。
その確信は、すぐさま現実となった。
蝋燭の根元、炎の奥に無数の能面が浮かんでいた。
能面。表情を持たぬはずの仮面たち。
だが、それぞれが──嘲笑、怒り、悲しみ、狂気。
異なる感情の気配をまとい、いろはを見下ろしていた。
そして──現れる。
白装束をまとった、首のない女。
《嘆キノ能面・ユウギ》が、いろはの正面に、音もなく現出する。
顔に貼り付けられた能面が、真っ直ぐ、いろはを見つめた。
だが──次の瞬間。
ユウギの胴体から、ぬるりと首が生えた。
節のない白い肉の首が、滑るように空中へと伸びていく。
蛇のように、空中を這う首が、いろはの周囲を旋回する。
左から右へ。背後へ、頭上へ──
一周。二周。三周目。
能面が視界の隅を通るたび、肌に鋭い冷気が突き刺さる。
何かが、音もなく、確実に心の奥へと忍び込んでくる。
そして──
三度目の旋回ののち、首が空中で緩やかに湾曲し、
能面の顔が、いろはの真正面に迫り出される。
面と目が、合った。
──視られている。
心を。魂を。存在の核を。
その瞬間、いろはの左手首の【ソウルガーディリア】が、紫の宝珠を閃かせた。
抗うように──その輝きは、脈打ちながら明滅し続ける。
防御魔法具【ソウルガーディリア】。
紫の宝珠による精神干渉に対する防衛機構が、自動で起動する。
いろはと能面は、向かい合ったまま、微動だにしない。
それが一秒か、一時間か──時間の感覚は曖昧に揺らいでいく。
やがて、紫の宝珠の光がちらつきはじめ──
次の瞬間、ふっと光が消えた。
高密度に編まれていた精神防御の魔力が、
潮が引くように──音もなく霧散していく。
【ソウルガーディリア】の防衛は、破られた。
その機能は完全に沈黙する。
──その瞬間。
ユウギの能面が放つ精神干渉が、
いろはの内側へと、容赦なく流れ込んだ。
§ § §
いろはの周囲が──突然、街になった。
「……え?」
いろはが立っていた場所は、いつの間にか変わっていた。
ビル群。人混み。騒がしさ。空は澄み渡り、風が頬を撫でる。
──そこは、現実の渋谷に酷似した偽の街並みだった。
そして、そこに──いた。
「……誠司、様?」
いろはの声が震える。
向こう側の歩道。誠司が、笑っていた。
だが、その笑顔は、いろはには向けられていなかった。
隣には、艶やかな黒髪の天瀬光莉。誇らしげな仕草で、誠司の腕に寄り添っている。
そして反対側には、黒と水色のツートーンヘアの少女。
見たこともないが、いろはが通う学院の制服を着ていた。
二人の少女に腕を取られ、誠司は、幸せそうに笑っていた。
「……せいじ、さま……?」
いろはが声をかける。だが誠司は、振り向かない。
まるで、彼女がそこにいないかのように。
近づこうとした瞬間、誠司の声が、冷たく突き刺さった。
「不安定で、いつ壊れるかわからない〈いろは〉は、もういらないな」
いろはの心臓が、ひとつ、鼓動を止めた。呼吸ができない。
「今の俺には、光莉も、彼女もいる。頼れるし、足手まといじゃない。……君とは違う」
振り返った誠司の顔には、冷ややかな憐憫の色が浮かんでいた。
「……一緒にいた時間は楽しかったよ。でも、あれは錯覚だった。
俺に必要なのは、君じゃなかったんだ」
崩れるような衝撃が、全身を襲った。膝が震える、
「ちがう……私は……私は、誠司様の……」
足が動かない。喉が渇ききり、声が詰まる。
ただ、誠司が他の誰かと笑っている光景だけが、何度も何度も脳裏に焼き付いていく。
──目の前の誠司が、どんどん遠ざかっていく。
距離はないのに、手が届かない。声も届かない。
〈……どうして、届かないの? 〉
〈なんで、私じゃダメなの……? 〉
その疑問が、自分の内側を静かに崩していく。
視界の端がぼやける。呼吸が浅くなる。
胸の奥で、何かが揺らぎ始める──“魔力”だ。
「……誠司様……行かないで……」
擦れた声。
だがもう、そこに立っていたはずの誠司の影さえ、見えなくなっていた。
〈いなくならないで〉
〈私を、捨てないで〉
訴えは言葉にならず、内側で何度もこだまする。
心の壁が崩れ、底からあふれ出すように、魔力が漏れ出していく。
そして──
「誠司様を……返して!」
いろはの叫び声が二重音声のように歪んで響く。
その一言と共に、空間が破裂した。
暴走する魔力の奔流が爆音を上げ、いろはが現実世界に“戻る”。
彼女の手元で、黒猫・モルヴが空想具現される。
だが、即座に異変が起きた。
体が膨張し、構造がねじれ、魔力が過剰に注がれる。
モルヴはひび割れた、軋みながら跳ね、いびつな四肢でよろよろと立ち上がる。
意思を持つかのように、黒い獣が視線を前方に向けた。
その先──ダンジョンの45層ボス。
崩れた瞳が、その敵を見据える。
触手のように変質した脚が、ボスに絡みついた。まるで、取りすがるように。
「……やめろ──!」
誠司の叫びが響いた、その刹那。
モルヴが、爆ぜた。
空想具現魔法の失敗による魔力反転。黒い触手から漏れ出す歪な白い光が炸裂し、ボスの体が空間ごと捻じ切られて消し飛ぶ。
──完全消滅。
だが、それで終わらなかった。
「……誠司様を、取らないで……誠司様は、私の……誠司様」
いろはの瞳は焦点を失い、言葉の奥底に狂気が滲む。
足元から渦巻く魔力。崩れゆく空間。
それは──〈依存〉という名の深淵。
いろはは、もはや誰かではなかった。
ただ、〈誠司を取り戻す〉ためだけの存在へと変貌していた。
§ § §
「いろは! 俺だ、誠司だ! 俺を見ろ!!」
必死の叫びも虚空に吸い込まれたかのように届かない。
いろはは、魔力を暴走させたまま、虚ろな瞳で立ち尽くしていた。
45層ボスの討伐部屋──だが、今やそこは〈ダンジョン〉という現実の枠組みを
逸脱し始めていた。
ギギ……ギギィィ……ッ。
世界が軋むような音を立て、景色がゆっくりと〈白〉に塗り潰されていく。
壁も、床も、空気すらも。存在の輪郭が薄れ、色彩が剥がれ、ただ純白だけが浸食していく。
「──っ……!」
45層の中ボス、その巨躯の犬面獣すらも、この〈白〉に触れた瞬間、溶けるように霧散した。
──【空想具現魔法:反転】。
いろはの魔力が、空想が暴走した結果、世界そのものが〈彼女の幻想に溶けていく〉。
その現象が──〈白〉。
「ちっ……今の装備じゃ、触れた瞬間、俺も消える……!」
〈白〉は魔力ではない。あれは概念だ。誠司の対魔装防御でも、抗えない。
だが──
(……問題ない。もう、二度止めてる)
誠司は右手首の銀の腕輪に指を添えた。
七つの魔力石が埋め込まれたそれは、彼のすべての装備を内包する戦場への鍵だ。
その中の一つ、【Ⅰ】と刻まれた魔力石に触れ、魔力を注ぎ込む。
「『七つの倉庫腕輪』──【Ⅰ】の門、解放」
重々しく空間が裂け、誠司の背後に二メートルを超える鋼鉄の観音扉が現れる。
『七つの倉庫腕輪』──名前の通り、誠司の腕輪には七つの倉庫が存在する。
【Ⅱ】~【Ⅶ】は、戦場で必要な装備や物資を収納する汎用空間。
だが、【Ⅰ】の門だけは異なる。
それは──〈戦う〉ための倉庫。
【Ⅰ】──この第一倉庫だけは特別だ。
これは〈誠司が最強と並ぶため〉に作り上げた、誓いの魔装融合装備。
現れたのは──灰色の鎧。
中世の騎士を思わせる重厚さ。
SFヒーローのような機能性。
アメコミのダークヒーローを彷彿とさせる威圧感。
だが、どれにも当てはまらない。あまりに異質で、独創的な〈魔装〉。
誠司は、その名を口にした。
「……【魔装融合甲冑:灰機装】」
機構音と共に、灰機装が分解され、誠司の肉体へと自動装着されていく。
脚部、腕部、胴体──順に嵌まり込み、蒼く細いバイザーが付いた灰色の仮面が顔を覆う。
「【魔装融合複合兵装:八葉変化】」
次いで、後方から伸びるように出現するもう一つ。
蒼く煌めく、複雑な構造の武装が誠司の手元に飛来する。
大剣を模した複合兵装が、重く、手の中に現れる。
装着完了。
まさに、“灰仮面”の姿。
「いろは──お前を、傷つけるつもりはない」
白に染まりゆく空間の中で、誠司は呟くように言った。
「……でもな。俺は弱い。だからこそ──魔装融合で、戦う術を手に入れた。
……俺の弱さを許してくれ」
彼の瞳に宿るのは、決意でも怒りでもない。
ただ、〈助けたい〉という、まっすぐな想いだった。
そして、宣言する。
「──《灰仮面》、出撃する」
Sランクハンターにして、世界ランク11位、灰の戦士が、純白の暴走世界へと踏み込んだ。