魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵――   作:藍紫

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1-30 友人とのとある日常1

 

 夕闇が街を染め、街灯がぽつりぽつりと灯り始めるころ――。

 通りは今日も、変わらぬ人いきれに包まれていた。

 笑い声と会話の断片が行き交い、カフェの前では待ち合わせ中のカップルがスマホを覗き合い、路地の片隅では学生たちが立ち話に興じている。

 

 そんな喧騒のなか、誠司はひとり、壁際に背を預けて佇んでいた。

 

 ――昨日の夕方。

 いろはの病室に訪れた九条綾音と天瀬光莉。

 その別れ際に、光莉が何気なく残したひとこと。

 

 そして、今日の午前。

 彼女から届いた一通のメッセージには、ただ“日時”と“場所”だけが記されていた。

 

 誠司は、昼前に退院したばかりのいろはを家に連れて帰る途中、少し強引に言葉を濁して彼女を送り届けた。

 本当は――まだ、そばにいてやるべきじゃないかとも思っていたのに。

 

 それでも、彼はここに来た。

 

 光莉に借りがあるし、何より……最近、彼女との時間をまともに過ごしていなかった。

 〈いろはのため〉でもあり、〈自分のため〉でもある。

 そんな曖昧な理由を、帳尻合わせのように胸の内で何度も反芻していた。

 

 ――しかし、今この瞬間。

 誠司はただの「待ちぼうけの男」にすぎなかった。

 

「……30分、遅刻だな」

 

 ぼやきに近い独り言が、空気に紛れる。

 そのときだった。人波の中から、帽子と眼鏡を身につけた女性がすっと現れる。

 見た目だけなら、芸能人の変装にしか見えない。だが、彼女が歩くたび、わずかに周囲の空気が変わった。

 通行人のなかで、ほんのごく一部──気づいた者たちは、その場に釘付けになった。だが誰も近づかない。それはまるで、民度の高いアイドルファンのような距離感だった。

 

「お待たせしました、誠司」

 

 帽子の下から覗いた口元が、やわらかく微笑む。

 

 天瀬光莉。

 

 世界Sランクハンターランキング9位。正義と雷光の執行者。だが同時に、国民が愛する“日本のヒカリ”でもある。

 

「……お前からの呼び出しなのに、15分遅刻だぞ」

 

「仕方がないですよ。珍しく、可愛い小さな女の子がサインをねだってきたんです。断れるわけないでしょう? ちなみに、その子の父親は……Aランクハンターの方でした。たしか以前、武義の打ち合わせで何度か顔を合わせた気がします」

 

「なるほどな。隠匿機能をもつその帽子を通してでも見抜かれたわけか。……なら仕方ない」

 

「そういうことです。人気者って大変ですよ、ほんとに」

 

 光莉は帽子を軽く押さえながら、気取らず笑う。

 

「で、今日はどこに行くんだ?」

 

「うーん……ちなみに、大層モテモテの誠司様は、今日の食事は一軒? それとも、はしご? 私はどちらでも構いませんけど、あえて言うなら一軒プランをおすすめします」

 

「……悪いが、いろはが今日お前と出かけるって気づいていてな。……はしごで頼む」

 

「………………はぁ。私の気分は一軒プランだったんですけど、どうしてくれるんですか?」

 

「……すまない。」

 

「はいはい。今日は急に誘った私の落ち度ってことで、飲み込みます。

 でも今度誘ったときは……そのつもりでいてくださいね?」

 

「………………前向きに検討しておくよ」

 

 口では淡々と返しながらも、誠司はどこか観念したように目を伏せる。

 その様子に、光莉はふっと笑った。帽子のつばを軽く押さえ、視線だけを横に向けて言う。

 

「……その“前向き”が、前を向いた試しなんて、ないくせに」

 

「――ま、いいです。次は期待しないぶん、裏切られもしませんから」

 

 そして、そのやりとりに満足したのか、光莉はコートのポケットからスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

 

「──あぁ、こんばんは。……えっ、おはよう? 相変わらずですね」

 

 誰かの寝起き声に、苦笑い。

 

「えぇ、ちょっと誠司とはしごをしますので、二時間後までに“いつもの”をお願いできますか?」

 

「………………寝起きで無理? 関係ありませんよね。あなたは私の調整官なんですから。

日中寝てたんでしょ? 今が勤務時間ですよ」

 

 声色は柔らかいが、有無を言わせぬ圧。

 

「……はい。メッセ入れておいてください。よろしくお願いします」

 

 通話を終えると、くるりと誠司の方へ振り返る。

 

「それでは。今日のデート、ちゃんと付き合ってもらいますよ?」

 

「はぁ……了解だ、“ヒカリ様”」

 

「……今その呼び方をしたのは、わざとですね?」

 

 からかうように目を細める光莉。

 

「まぁ、いいでしょう。では、まずは腹ごしらえに行きましょう!」

 

 そう言って、彼女は楽しそうに片手を振り上げる。

 

 誠司は肩をすくめながら、その後ろを黙ってついて行く。

 

 

 

 そして──

 

 

 

「一軒目はこのお店です!」

 

 光莉が指差したのは、燃えるような真紅のファサードが目を引く、派手なラーメン専門店だった。

 

「……おい。一軒目からこれかよ」

 

 冷や汗をぬぐう誠司をよそに、『日本のヒカリ』は視線を隣の誠司に向け、口元でいたずらっぽく、それでいいて得意げに笑っていた。

 

「さあ、地獄の門が開きますよ──お覚悟は?」

 

 誠司は返す言葉もなく、ただ無言で頷いた。

 

 

 

 

 

§  §  §

 

 

 

 

 

「へい、らっしゃい!!」

 

 扉をくぐった瞬間、誠司の耳を劈くような声が飛び込んできた。

 その時点で、すでに空気は違っていた。

 目の前には──地獄。

 文字通り、地獄のような空間が広がっていた。

 赤黒く染まった壁、吊り下がる無数の唐辛子の束。

 鼻を突き刺す強烈なスパイス臭。

 厨房から噴き出す高熱の湯気。

 

 そしてカウンター席に並ぶ客たちは、汗を流しながら、なおもラーメンという“魔物”に立ち向かっていた。

 ここは、超激辛ラーメン専門店『煉獄』。

 炎に魅せられた者たちが、辛さの向こう側を求めて集う、戦場。

 店内、カウンターの頭上には金属製の堂々たる看板が掲げられている。

 

 ──《超激辛専門 煉獄》──

 

「2名様ですねー。辛さの彼岸へようこそ! 券売機で購入お願いしまーす」

 

 店員の呼びかけに、光莉は一歩前に出て、無言で券売機へ向かう。

 誠司と光莉は食事が“はしご”を前提とした場合、食事は各自精算。それが暗黙のマナーとなっている。

 誠司も続いて券売機の前、光莉の後ろに立つ。

 が──そのとき、誠司の視線は自然と光莉の手元へと動いた。

 

「……え?」

 

 思わず、声が漏れそうになる。

 光莉が押したのは、明らかに“イカれている”ボタンだった。

 

 ──《煉界王/辛さ度・神話級》──

 

「おい、まさかそれにすんのか?」

 

「えぇ。せっかく来たんですし、一軒目のご挨拶としては妥当でしょう」

 

 いつもどおりの笑顔で言いながら、光莉はチケットを手にカウンターへ向かう。

 誠司はというと、押し釦の左上、迷うことなく“普通の”煉獄ラーメン──オーソドックスな《業火味噌味》を購入した。

 二人がカウンター席に通され、食券を渡すと、そこにいたベテラン風の店員が光莉の券に目を留めた。

 

 そして──

 

「……お嬢さん、これはあんたのような華奢なお嬢さんが選んでいいもんじゃねぇ」

 

 店員の声は、威圧ではなかった。

 誇りと責任、そして“見抜いた”者特有の本気の心配がにじんでいた。

 

「たしかに、自信ありそうな顔をしてるけどな……“煉界王”、これは冗談抜きで死人が出る。

今なら、別のメニューに変更してやる」

 

 彼は光莉をなめているわけではない。ただ、この“煉界王”というメニューの本気を知っているがゆえに、軽々しくは勧められなかった。

 それは、店としての矜持だった。

 

 誠司は、そのやり取りを黙って見ていたが、心の中で小さく呻く。

 

(死人が出るようなもん出すなよ……)

 

 思わずツッコミを入れたくなるほどには、店員も光莉も真剣だった。

 だが──

 

「……ご安心を。きちんと、賞味させていただきますよ」

 

 光莉はそう言って、静かに帽子を取った。

 

 その瞬間。

 空気が、変わった。

 

 地獄の熱気に満ちた店内に、どこか神々しい気配が流れ込む。

 客たちの視線が、一斉にカウンターへと注がれた。

 カウンター席に並ぶ客たちだけではない。

 奥のテーブル席で食事中だった男たちも、箸を止めて振り向く。

 厨房の奥から顔を出した調理スタッフまでもが、湯気越しに目を見張った。

 

 眼鏡の奥には、鋭さと温かさを同居させた瞳。

 首筋で揺れるのは、雷光を模した小さなチャーム。

 黒曜のような艶をもつ髪は、きっちりと切り揃えられたボブカット。

 そして、その顔立ちは──

 どこか獲物を狙う狩人のような鋭さを持ちながらも、どこか無邪気な子どものような愛らしさを宿していた。

 

 日本人なら誰もが一度はメディア越しに目にしたことがあるだろう、“あの”女性の姿だった。

 誰もが、その正体に気づく。

 数秒の沈黙のあと──

 

「……あんた……いや、あなた様は……!」

 

 店員の声が震える。

 そして、誰かがつぶやいた。

 

「ラ、ラーメン特攻隊長だ……!」

 

 次の瞬間、店内がざわめく。

 

「本物!?」「うそ、なんでこんなとこに!?」

「え、あの人って──日本のヒカリ!?」

「“煉界王”って、あれを食うために来たのかよ……!」

 

 ──天瀬光莉。

 

 Sランクハンター、《日本のヒカリ》《征伐執行者》。

 

 そして、味の優劣ひとつで、栄枯盛衰が日々繰り返されるラーメン界においては、

 ラーメン四天王のひとり《ラーメン特攻隊長》と称される、伝説の女傑。

 その彼女が、今この“煉獄”に降臨した。

 

 

 

 

 

§  §  §

 

 

 

 

 

 ベテラン店員が、静かに、しかしどこか儀式めいた声色で厨房に通す。

 

「天瀬様に──《煉界王/辛さ度・神話級》!! お連れ様に──《煉獄ラーメン》!」

 

 その声が響いた瞬間、店内にいた全員のざわめきが一瞬止まり、そして爆ぜた。

 

「ラーメン特攻隊長が……ついにこの店に!」

「マジで本人じゃん! 本物だ!」

「光莉さんだ……でも、ラーメン特攻隊長?」

「教えてやろう! ラーメン特攻隊長ってのはな、ラーメン界の四天王の一角で、

 どんなイカれたコンセプトのラーメン店でも突撃して、その店で最もヤバいやつに

 真っ向勝負を挑んで、しかも必ず完食する! それが 『ラーメン特攻隊長』だぁっ!」

「……あの隣の男、誰だ? ……いや、あの男は……まさか……」

 

 そう、視線は彼女の隣に座る男──相馬誠司にも向けられていた。

 かつて何度も“彼女の隣”として写真に写されたその顔。

 ラーメン界隈でもSNSでも、“ある意味での伝説”として扱われてきた存在だ。

 ざわつく空気のなかで、光莉がふと立ち上がり、柔らかい口調で語りかけた。

 

「皆さん、騒がせてしまってごめんなさい。でも……今日は私も食事を楽しみに来たので、これ以上大騒ぎにするのは勘弁してくださいね?」

 

 帽子を取ったままの彼女は、どこか教師のようで、どこかヒーローのようで、そしてアイドルのようだった。

 

「私の撮影は構いません。でも、この店のルールは必ず守ってください。それと、隣の彼を撮るのは……厳禁です」

 

 その言葉に、客の一部がビクリと肩を震わせる。

 

「SNSに彼を映した写真が上がった場合──即座に訴訟対応いたします。実際に何件か、裁判沙汰にしていますので」

 

 凛とした瞳で客席を見渡した光莉は、最後に軽やかな笑みを浮かべた。

 

「またSNSへの投稿は1時間後に。それでは皆さん、楽しく……地獄を過ごしてくださいね?」

 

 客席に一瞬の沈黙が走り、そして「了解です……!」というようなうなずきが、まるで軍の号令のように一斉に返された。

 

 

 

 誠司は、深くため息を吐いた。

 光莉と一緒にいるということは、こういうことなのだ──と、何度思わされたか知れない。

 そして、その“代償”は、すぐに目の前に迫っていた。

 

 

 

 

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