魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵――   作:藍紫

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1-34 淡雪の少女と、壊れる“わたし”

 窓の外は、初夏の陽射しがまぶしかった。

 病室の白いカーテンが風に揺れて、わたしの頬をくすぐっていく。

 

「……いいお天気」

 

 そう言ってみたけれど、胸の奥はなんだか落ち着かない。

 たぶん、それは“帰れること”がうれしいのと、“帰ってどうするのか”がわからないのと、両方あるからだ。

 

 

 

 あやねは最初に見舞いに来た。

 笑顔で騒がしく話しかけてきたけれど──どこか壊れた笑顔だった。

 たぶん、わたしの顔を見るのが怖かったんだと思う。

 それでも彼女は、言葉を選ばずにいろいろ話してくれて……。

 

 しおりは、その夜のうちにすぐに来てくれた。

 ‥‥‥前日の夜にも来てくれていたらしい。

 淡々と容体の説明をして、まるで医者のように振る舞っていた。

 だけど、わたしの手をそっと握って、「大丈夫」と一言だけ。

 それだけで安心できた。あの人の言葉には、根拠のない信頼がある。

 

 さよ様は──来なかった。

 でも、それでいい。あの人は、必要な時だけ姿を見せる人。

 きっと、わたしがまた使えるようになったときに、現れるのだろう。

 

 ……そして、あの人は──

 ひかりは病室の外から、二言だけ声をかけていった。

 見舞いと誠司様を借りると、たった、それだけだった。

 

 

 

 誠司様が迎えに来てくれたのは、午前中。

 

 いつもと変わらない声で「退院おめでとう」って言ってくれて、それだけで、ほんの少し胸があったかくなった。

 

 でも──

 

 そのあと、ほんの短い会話をして、わたしが荷物を持って病室を出るころには、誠司様はもう別の電話に出ていた。

 ひかりの声。はっきり聞こえたわけじゃないけど、声色でなんとなくわかる。

 

 昨日の夜、彼女が言っていた言葉を思い出す。

 ──「明日の夜は誠司を借ります」

 

 冗談抜きで本気で。

 

(……うん、知ってた)

 

 わたしはそれを、受け入れる“ふり”をした。

 ちゃんと笑って、「大丈夫です」って言った。

 だって、信じていたから。

 ──明日からは、きっと、わたしの番だって。

 そう、信じていた──

 

 

 

 

 §  §  §

 

 

 

 

 

 午後の陽射しが、部屋のカーテン越しに伸びている。

 ベッドに横になっていたけれど、眠れなかった。

 

 誠司様は、玄関のドアを開けて、わたしに「出てくる。今日中には帰るけど夕食は冷蔵庫の中に入れてあるからチンして食べてくれ」と告げた。

 服を着替えて、髪を整えて。

 声は穏やかで、でもどこか急いでいるようにも見えた。

 

「……いってらっしゃいませ」

 

 小さくそう言って、わたしは微笑んだ。

 その顔が、どんな風に歪んでいたかは、わからなかった。

 誠司様を帰りを迎えるなら、まずは部屋を整えなければいけない──

 そう、ただそれだけの目的で、わたしは誠司様の私室に足を踏み入れた。

 

 けれど、掃除をするはずだった手は止まり、気づけばわたしは、ベッドに横たわっていた。

 枕に顔を埋める。

 誠司様の、香りがした。

 体温が染み込んだ布地。

 ごく微かに残る、汗のにおい。

 使い慣れた洗剤の香りと、その下にある、誠司様だけの匂い。

 それを吸い込んで、心を沈める。

 

(……ああ、ここにいた。この人は、ここに在る)

 

 それだけでいい。触れなくてもいい。

 誠司様の匂いに包まれているだけで、“わたし”は保たれる。

 

 これが、わたしの帰る場所。

 誠司様の隣が、わたしの定位置。

 

 何も恥じることなんてない。

 誰がどう思おうと関係ない。

 わたしは、誠司様の“全て”なのだから。

 

 ふと──視線を感じた。

 ゆっくりと顔を上げる。

 そこにいたのは、勝手に現れたモルヴだった。

 青い釦の目と、黒い釦の目。

 針仕事の失敗みたいなアンバランスな視線が、じっとこちらを見ている。

 

 わたしは何も言わず、その小さな身体を掴み上げた。

 無表情のまま、無造作に、窓の方へ──投げた。

 

 ぱしん。

 

 ガラスに当たり、ぽとりと床に落ちた。

 その瞬間、外でカラスが鳴き、何羽もが羽音を響かせて、一斉に空へ飛び立っていった。

 室内には、また静寂だけが戻っていた。

 わたしは、落ちたモルヴにも目を向けず、

 もう一度、ベッドに横たわる。

 ただ、わたしの中にだけ、

 “誠司様がいない”という空洞が、確かに広がっていった。

 

 

 

 ダンジョンのなかは、いつも息が詰まるほど静かだった。

 深くて、暗くて、何もかもが敵で──

 でも、そこにいる誠司様の背中だけは、ずっと明るかった。

 わたしは、誠司様の隣で戦えるだけでうれしかった。

 少しでも役に立ちたくて、頑張ろうって思ってた。

 けれど、あの時──

 第45層。ボスが、わたしの心の奥に踏み込んできたとき。

 “壊れた”のは、わたしだった。

 気づいたときには、世界が白くなっていて、

 誠司様の声すら、もう聞こえなかった。

 

(また、全部壊しちゃった……)

 

 そう思った。

 なのに──その白い中で、唯一、触れてくれたのもまた、誠司様だった。

 腕のなかで、声も届かないはずなのに、

 胸の奥にだけ、誠司様の声が響いた。

 救われた。

 壊れたまま、終わらなくてよかったと、心から思った。

 

 ──だから、もう二度と、あんな風にならないようにって、誓ったはずだったのに。

 

 

 

 わたしの中で、ここが居場所だって思いたかった。

 だから、今日一日、ちゃんと待つことにした。

 夜になったら──きっと、帰ってきてくれる。

 また一緒にいられる。

 笑って、「ただいま」って言ってくれる。

 だから、わたしは──

 

 

 

 

 

 §  §  §  

 

 

 

 

 

 時計の針が、二十三時を差していた。

 廊下の灯りがつき、鍵の外れる音が聞こえたとき、わたしは立ち上がった。

 玄関の方へ向かう。

 

「おかえりなさいませ、誠司様──」

 

 その言葉は、途中で止まった。

 顔を見上げた瞬間、誠司様の髪から、服から、肌から──

 “あの人の匂い”が、強く漂ってきた。

 

 いつものラーメンの匂いなんて、しない。

 むしろ、血と硝煙の微かな残り香──誠司様が仕事をしてきた匂いが、ほんのわずかに漂っている。

 けれど、それをすべて覆い隠すように香っていたのは──

 柔らかな白檀系の石鹸の香り。

 そして──甘くて、どこか湿った果実の香り。

 洋梨と白桃が混ざったような、香水の匂いだった。

 彼女がいつも首筋につけているもの。

 近づかなければ、移らないような残り香が──いま、誠司様の肌に、喉元に、残っている。

 

(……近づいて、話した? 顔が、寄ってた?)

 

(手を繋いだ? 撫でられた? ……キス、は──)

 

 頭の奥で、何かがひび割れる音がした。

 わたしは知っていた。

 理性なんて、とうの昔に限界だったんだ。

 

 きっと、触れ合った。

 きっと、笑い合った。

 きっと、“わたし”じゃない人と──繋がっていた。

 

「……あの人と、笑ってたんだね。それに、今は──あの人の匂いがする」

 

 喉が、勝手に言葉を吐き出していた。

 それは、わたしの声だったけれど、“わたし”じゃなかった。

 冷たくて、震えていて、壊れそうで──

 

(わたし、ずっと……待ってたのに)

 

(ずっと、信じてたのに)

 

(わたしだけは、特別だって──そう、思いたかったのに)

 

 

 

 わたしの瞳の色が、すっと変わった。

 世界が、白く、塗り替えられていく。

 止まらない。もう、止められない。

 心の奥にあった願いが、裏返る。

 

(──お願い、今だけは、誠司様のすべてになりたい)

 

 その願いが、魔力と混ざり合って、部屋を染めていく。

 

 このあと、何が起きるのかは、もうわかっていた。

 だって、“わたし“はもう──

 “わたしじゃ、なかった”から。

 

「いやだ……誠司様、いかないで……っ!!」

 

 それは“わたし”の声だったのに、“わたし”じゃない誰かが叫んでいた。

 響いたのは、言葉ではなく──命をちぎる音だった。

 

 

 そして──扉の向こうで驚く誠司様の姿が、視界に映った。

 

 

 

 

 

 

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