魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵――   作:藍紫

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第1章最終稿


1-35 ‥‥‥わたしの全部なんだよ

 深夜23時を回ったころ。

 

 いろはは帰りを待っていてくれた。

 けれど、その様子は明らかに“異常”だった。

 無理に笑おうとする口元、動揺を隠しきれない瞳の揺れ。

 抑え込んでいた何かが、今にも壊れそうな気配を滲ませていた。

 

「今日はもう寝なさい」

 

 誠司は静かにそう言って、いろはを自室へ送り届けた。

 そして、自分の部屋へ戻り、椅子に腰を下ろしたのも束の間、

 ──いろはの、慟哭のような叫びが響いた。

 

 誠司が扉に向かおうとし、扉に手をかけようとしたその刹那、

 ──バンッ。

 内側から激しく開かれたドアが、紙一重で誠司の腕をかすめる。

 その向こうに、いろはが立っていた。

 

「……誠司様」 

 

 髪は乱れ、頬は涙の痕で濡れている。光彩色に変色した瞳は潤んでいて、それでも真っ直ぐに誠司を刺してきた。

 

「……あの人と、笑ってたんだね。それに、今は──あの人の匂いがする」

 

(──まずい。声が震えている。……これは)

 

 誠司はいろはの様子にその場に立ち尽くす。いつもの抑揚の無い声ではない。

 声は震えていたが、怒っているのではなかった。悲しいのでもない。

 

 ──壊れそうだった。

 

「……なんで……なんで……なんで! わたしには、あんな笑顔、見せてくれないの? 

 わたし、見てたのに……ずっと……!!」

 

 誠司が何かを言う前に、いろはは歩み寄ってきた。

 足元はふらついていた。熱でもあるのかと思ったほどに。

 

「わたし……全部、誠司様のために、頑張ってるの……

 ……全部、誠司様のために、生きているの……

 ……全部、誠司様のために、《“わたし”でいる》のに……!!」

 

 声が震え、喉の奥で言葉が千切れるかのようでいろはは叫びながら、

 ぐしゃっと音を立てて、誠司の胸元を掴んだ。

 

「お願い。いま、わたしを抱いて……。

 そしたら、壊れないでいられるから……お願い、お願い、お願い……」

 

 まるで呪文のように、繰り返す。

 手は震え、誠司の服を掴んだまま、肩を上下させていた。

 

(どうして、俺はこんなにも彼女にとって“すべて”になってしまったんだ……)

 

 誰にも頼らず、誰も愛さず、ただ“見守るだけ”でよかったはずだった。

 それなのに──

 目の前の少女は、自分の存在すべてを投げ打って、俺だけを求めている。

 

「……落ち着け、いろは。今のお前は──」

 

「落ち着いてるよ!? こんなの……ぜんぶわかってる! でも無理なの!!」

 

 悲鳴のような声が夜を裂いた。

 

「……誠司様は、わたしを守ってくれるって……そう言ってくれたじゃないですか……!

 

 わたしの傍にいてくれるって、わたし……信じてたのに……!」

 声が震え、喉の奥から泣き声が漏れ出す。感情の堰が、崩れかけている。

 

「ずっと……ずっと一緒にいたいって、わたしは……ずっとそう思ってて……

 

 誠司様も、きっと、そうだって……!」

 涙がこぼれ落ちるのも構わず、いろはは必死に訴える。

 

「なのに……なんで、そんな顔するの……なんでわたしだけ、置いていこうとするの……?

 

 誰かと笑って、楽しそうにして……わたしだけ、いつも子ども扱いで……っ」

 思考が崩れていく。怒りとも哀しみともつかぬ激情が、言葉を支配する。

 

「……わたしは……あなたのものなのに…… ちゃんと“わたし”を見てほしいのに……!」

 

「守られてるだけなんて……そんなの、もう……いや……っ!

 誠司様の隣にいたい、守られるんじゃなくて……ずっと繋がっていたいの……!!」

 

 

 

 張り詰めていたものが、音を立てて壊れた。

 いろはの感情が零れきった、その刹那。世界が、微かに軋む。

 魔力の高まりに、壁の装飾がひび割れ、可視化された魔力が室内を舞い、淡雪の如く白く染めていく。

 

(……この魔力の流れ、滲む色……間違いない。【白】の兆候だ)

 

 カーテンが揺れ動く。空間のどこかで“崩壊”するような軋み音が幾重にも響いた。

 

(──まずい。このままじゃ、また……)

 

「わかってる、いろは。でも今は、落ち着け」

 

 誠司は、震える彼女を静かに抱きしめた。

 だが、次の瞬間──いろはの身体が勢いよく彼にぶつかり、

 押し返すようにして、誠司をベッドへと押し倒す。

 

 誠司は驚く暇もなく、シーツの上に倒れた。

 胸の鼓動が、自分でも気持ち悪いほど激しくなっていた

 

(……まさか、しばらくは起きないはずだった。いや──まだ抑え込める。けど……)

 

 このままでは、“あれ”が始まる。

 数キロを消し去った、いろはの空想具現魔法──《崩壊現象【白】》。

 いま、あの悪夢がまた現実になろうとしている。

 止められるのは、俺しかいない。

 今、ここでこの子を受け止めなければ──誰も彼女を救えない。

 そして何より、

 

 この子が壊れてしまう未来が……まるで“すでに見た悪夢”の続きを見せられているように、すぐそこに感じられるから。

 

 その胸に顔をうずめ、声を殺して泣いている。

 

「……もう、やだ……!」

 

 そのまま、いろはは──誠司にキスをした。

 荒く、衝動的に重ねられた唇。深くも綺麗でもない。

 ただ、欲と熱だけが込められていた。

 

(……わたし、誠司様だけの“もの”なんだよ……? )

 

 唇を離したあと、震える声でいろはが囁いた。

 誠司が何も返さなかったことに、すがるように言葉を続ける。

 

「……見てほしいの。わたしの全部」

 

 

 

 拒む暇などなかった。

 いや、心のどこかで、誠司も拒まなかった。

 いま、この子が壊れれば、都市一つが消滅しかねない。

 それを防げるのは、たぶん、もう──彼しかいない。

 

「……わたしだけを、ちゃんと見て……お願い……」

 

 いろはの涙で濡れた顔が上がる。

 

「いろは……俺が受け止める。全部、だ」

 

 いろはの目が揺れた。頬が紅潮し、ぽたりと涙がまた零れる。

 

「……誠司様……ほんとうに、わたしのこと……?」

 

 誠司は微笑んだ。とても苦しげに、でも優しく。

 

「お前の全部を、俺が見てる。だから……俺のことも見てくれ」

 

「……はい、誠司様」

 

 布団の中で、二人はしっかりと抱きしめ合った。

 

 

 

 キスを交わしながら、誠司は片手でいろはの指をしっかりと絡め取り、

 もう一方の手で、彼女の背をそっと撫でていた。

 いろはの涙が頬を伝い落ちても、唇は離れない。

 指先に込められた熱が、互いの想いを確かに繋ぎとめていた。

 壊れそうな少女を、誠司は静かに──だが、力強く、抱きしめ続けた。

 

 

 

 

 

 §  §  §

 

 

 

 

 

 どれほどの時が流れたのか──

 それすら曖昧なほどに、静寂がふたりを包んでいた。

 ただひとつ、世界が止まったかのような感情だけが、

 この小さなベッドの上に満ちていた。

 

 誠司は、小さく息を吐いた。

 その細い肩を撫でながら、ただ静かに彼女の体温を感じ続けていた。

 いろはは、誠司の胸にすがったまま、ゆっくりと顔を上げる。

 汗に濡れた髪が額に貼り付き、唇はかすかに震えていた。

 頬にはまだ、涙の名残が滲んでいる。

 

 ──けれどその瞳に水色に戻り、呼吸はもう安定していて、

 

 微かにかすれる声で「大丈夫」と呟いた気がした。

 それは呪文のように繰り返された“お願い”とは違っていて、

 ほんの少しだけ、未来を見つめるための言葉だった。

 

 そして、微かに。

 いままで誰にも見せたことのない、いや、誠司すら見たことのなかった──

 壊れた少女が、救われて微笑むような、危ういほどの笑顔を浮かべた。

 

 それは、涙の奥でようやく辿り着いた、“唯一の居場所”にたどり着いた者の笑み。

 狂気と安堵と歓喜がすべて溶けあった、壊れた少女の“救い”のかたちだった。

 この言葉が、彼女のすべてだった。

 願いも、依存も、意味も、命も──そのすべてを込めた《たった一言》。

 

 

 

 彼女は、 “壊れている”。

 けれど誠司は、抱きしめたまま、何も言わなかった。

 拒絶もしなければ、肯定もしない。

 ただ、彼女の心が崩れきるその瞬間──

 受け止める覚悟だけを、胸に灯していた。

 

 ─こんな選択を、きっと誰かは間違いだと言うだろう。

 

 でも、この時。

 泣きながら俺を求めたこの少女を、

 俺は、見捨てられなかった。

 

 ──この夜、少女の叫びに応えてしまった。

 

 それがまた一つ、誠司自身の罪となった。

 

 

 

 

 

「誠司様は……わたしの全部なんだよ」

 

 




25/06/24
第1章完結です。御読了ありがとうございます。
初のオリジナル小説のため、読み直すと、修正すべき点をいくつも発見してしまいました。
これらを修正していこうと思います。
なお、この第1章のタイトルは『黒き少女たちとの邂逅 ―依存という名の始発点―』となります。

また、完結と言いつつ、明日は1-0Prologueを投稿します。
リアルタイムで読んで頂いている方のために、あえてPrologueを最後に投稿することを
決めておりました。
楽しんで頂けましたら幸いです。

全体修正後となりますが、第2章は7月上旬より投稿予定となります。
それでは引き続き、よろしくお願い致します。
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