魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵―― 作:藍紫
深夜23時を回ったころ。
いろはは帰りを待っていてくれた。
けれど、その様子は明らかに“異常”だった。
無理に笑おうとする口元、動揺を隠しきれない瞳の揺れ。
抑え込んでいた何かが、今にも壊れそうな気配を滲ませていた。
「今日はもう寝なさい」
誠司は静かにそう言って、いろはを自室へ送り届けた。
そして、自分の部屋へ戻り、椅子に腰を下ろしたのも束の間、
──いろはの、慟哭のような叫びが響いた。
誠司が扉に向かおうとし、扉に手をかけようとしたその刹那、
──バンッ。
内側から激しく開かれたドアが、紙一重で誠司の腕をかすめる。
その向こうに、いろはが立っていた。
「……誠司様」
髪は乱れ、頬は涙の痕で濡れている。光彩色に変色した瞳は潤んでいて、それでも真っ直ぐに誠司を刺してきた。
「……あの人と、笑ってたんだね。それに、今は──あの人の匂いがする」
(──まずい。声が震えている。……これは)
誠司はいろはの様子にその場に立ち尽くす。いつもの抑揚の無い声ではない。
声は震えていたが、怒っているのではなかった。悲しいのでもない。
──壊れそうだった。
「……なんで……なんで……なんで! わたしには、あんな笑顔、見せてくれないの?
わたし、見てたのに……ずっと……!!」
誠司が何かを言う前に、いろはは歩み寄ってきた。
足元はふらついていた。熱でもあるのかと思ったほどに。
「わたし……全部、誠司様のために、頑張ってるの……
……全部、誠司様のために、生きているの……
……全部、誠司様のために、《“わたし”でいる》のに……!!」
声が震え、喉の奥で言葉が千切れるかのようでいろはは叫びながら、
ぐしゃっと音を立てて、誠司の胸元を掴んだ。
「お願い。いま、わたしを抱いて……。
そしたら、壊れないでいられるから……お願い、お願い、お願い……」
まるで呪文のように、繰り返す。
手は震え、誠司の服を掴んだまま、肩を上下させていた。
(どうして、俺はこんなにも彼女にとって“すべて”になってしまったんだ……)
誰にも頼らず、誰も愛さず、ただ“見守るだけ”でよかったはずだった。
それなのに──
目の前の少女は、自分の存在すべてを投げ打って、俺だけを求めている。
「……落ち着け、いろは。今のお前は──」
「落ち着いてるよ!? こんなの……ぜんぶわかってる! でも無理なの!!」
悲鳴のような声が夜を裂いた。
「……誠司様は、わたしを守ってくれるって……そう言ってくれたじゃないですか……!
わたしの傍にいてくれるって、わたし……信じてたのに……!」
声が震え、喉の奥から泣き声が漏れ出す。感情の堰が、崩れかけている。
「ずっと……ずっと一緒にいたいって、わたしは……ずっとそう思ってて……
誠司様も、きっと、そうだって……!」
涙がこぼれ落ちるのも構わず、いろはは必死に訴える。
「なのに……なんで、そんな顔するの……なんでわたしだけ、置いていこうとするの……?
誰かと笑って、楽しそうにして……わたしだけ、いつも子ども扱いで……っ」
思考が崩れていく。怒りとも哀しみともつかぬ激情が、言葉を支配する。
「……わたしは……あなたのものなのに…… ちゃんと“わたし”を見てほしいのに……!」
「守られてるだけなんて……そんなの、もう……いや……っ!
誠司様の隣にいたい、守られるんじゃなくて……ずっと繋がっていたいの……!!」
張り詰めていたものが、音を立てて壊れた。
いろはの感情が零れきった、その刹那。世界が、微かに軋む。
魔力の高まりに、壁の装飾がひび割れ、可視化された魔力が室内を舞い、淡雪の如く白く染めていく。
(……この魔力の流れ、滲む色……間違いない。【白】の兆候だ)
カーテンが揺れ動く。空間のどこかで“崩壊”するような軋み音が幾重にも響いた。
(──まずい。このままじゃ、また……)
「わかってる、いろは。でも今は、落ち着け」
誠司は、震える彼女を静かに抱きしめた。
だが、次の瞬間──いろはの身体が勢いよく彼にぶつかり、
押し返すようにして、誠司をベッドへと押し倒す。
誠司は驚く暇もなく、シーツの上に倒れた。
胸の鼓動が、自分でも気持ち悪いほど激しくなっていた
(……まさか、しばらくは起きないはずだった。いや──まだ抑え込める。けど……)
このままでは、“あれ”が始まる。
数キロを消し去った、いろはの空想具現魔法──《崩壊現象【白】》。
いま、あの悪夢がまた現実になろうとしている。
止められるのは、俺しかいない。
今、ここでこの子を受け止めなければ──誰も彼女を救えない。
そして何より、
この子が壊れてしまう未来が……まるで“すでに見た悪夢”の続きを見せられているように、すぐそこに感じられるから。
その胸に顔をうずめ、声を殺して泣いている。
「……もう、やだ……!」
そのまま、いろはは──誠司にキスをした。
荒く、衝動的に重ねられた唇。深くも綺麗でもない。
ただ、欲と熱だけが込められていた。
(……わたし、誠司様だけの“もの”なんだよ……? )
唇を離したあと、震える声でいろはが囁いた。
誠司が何も返さなかったことに、すがるように言葉を続ける。
「……見てほしいの。わたしの全部」
拒む暇などなかった。
いや、心のどこかで、誠司も拒まなかった。
いま、この子が壊れれば、都市一つが消滅しかねない。
それを防げるのは、たぶん、もう──彼しかいない。
「……わたしだけを、ちゃんと見て……お願い……」
いろはの涙で濡れた顔が上がる。
「いろは……俺が受け止める。全部、だ」
いろはの目が揺れた。頬が紅潮し、ぽたりと涙がまた零れる。
「……誠司様……ほんとうに、わたしのこと……?」
誠司は微笑んだ。とても苦しげに、でも優しく。
「お前の全部を、俺が見てる。だから……俺のことも見てくれ」
「……はい、誠司様」
布団の中で、二人はしっかりと抱きしめ合った。
キスを交わしながら、誠司は片手でいろはの指をしっかりと絡め取り、
もう一方の手で、彼女の背をそっと撫でていた。
いろはの涙が頬を伝い落ちても、唇は離れない。
指先に込められた熱が、互いの想いを確かに繋ぎとめていた。
壊れそうな少女を、誠司は静かに──だが、力強く、抱きしめ続けた。
§ § §
どれほどの時が流れたのか──
それすら曖昧なほどに、静寂がふたりを包んでいた。
ただひとつ、世界が止まったかのような感情だけが、
この小さなベッドの上に満ちていた。
誠司は、小さく息を吐いた。
その細い肩を撫でながら、ただ静かに彼女の体温を感じ続けていた。
いろはは、誠司の胸にすがったまま、ゆっくりと顔を上げる。
汗に濡れた髪が額に貼り付き、唇はかすかに震えていた。
頬にはまだ、涙の名残が滲んでいる。
──けれどその瞳に水色に戻り、呼吸はもう安定していて、
微かにかすれる声で「大丈夫」と呟いた気がした。
それは呪文のように繰り返された“お願い”とは違っていて、
ほんの少しだけ、未来を見つめるための言葉だった。
そして、微かに。
いままで誰にも見せたことのない、いや、誠司すら見たことのなかった──
壊れた少女が、救われて微笑むような、危ういほどの笑顔を浮かべた。
それは、涙の奥でようやく辿り着いた、“唯一の居場所”にたどり着いた者の笑み。
狂気と安堵と歓喜がすべて溶けあった、壊れた少女の“救い”のかたちだった。
この言葉が、彼女のすべてだった。
願いも、依存も、意味も、命も──そのすべてを込めた《たった一言》。
彼女は、 “壊れている”。
けれど誠司は、抱きしめたまま、何も言わなかった。
拒絶もしなければ、肯定もしない。
ただ、彼女の心が崩れきるその瞬間──
受け止める覚悟だけを、胸に灯していた。
─こんな選択を、きっと誰かは間違いだと言うだろう。
でも、この時。
泣きながら俺を求めたこの少女を、
俺は、見捨てられなかった。
──この夜、少女の叫びに応えてしまった。
それがまた一つ、誠司自身の罪となった。
「誠司様は……わたしの全部なんだよ」
25/06/24
第1章完結です。御読了ありがとうございます。
初のオリジナル小説のため、読み直すと、修正すべき点をいくつも発見してしまいました。
これらを修正していこうと思います。
なお、この第1章のタイトルは『黒き少女たちとの邂逅 ―依存という名の始発点―』となります。
また、完結と言いつつ、明日は1-0Prologueを投稿します。
リアルタイムで読んで頂いている方のために、あえてPrologueを最後に投稿することを
決めておりました。
楽しんで頂けましたら幸いです。
全体修正後となりますが、第2章は7月上旬より投稿予定となります。
それでは引き続き、よろしくお願い致します。