魔装融合士は黒き少女たちとダンジョン最深層を潜る ――異能装備で挑む“ダンジョン”の深淵―― 作:藍紫
契約関係の細々した確認を終えたあと、佐々木さんとの打ち合わせは一段落した。
「そうだわ。ゴールデンウィーク明けの週、いろはちゃんと三人で買い物でもどうかしら?」
ふいに投げかけられたその言葉に、俺は少しだけ眉を上げた。
「買い物?」
「ええ。そろそろ、夏服を揃えてあげないと。いろはちゃん、去年のサイズじゃきっともう合わないでしょう?」
そう言う時の佐々木さんは、仕事の鋭さとは打って変わり完全に【趣味モード】だ。
プライベートではいろはのことを「いろはちゃん」と呼ぶのも、その現れ。
まぁ、実際、彼女の趣味は【可愛い女の子に、可愛い服を着せること】で、いろははまさにその格好のターゲットらしい。
本人も満更でもないようで、俺が一緒に行くときだけ、なにも言わずに同行する。
……いや、何も言わないどころか、口元に微妙な笑みを浮かべてるんだよな。
本人は気づいてないだろうけど。
ただ一つ、問題があるとすれば──選ばれる服が、だいたいロリータ系と呼ばれる服の種類ってことくらいか。
「正直、助かるよ。ただ……佐々木さんの趣味だけに寄せすぎないでくれよ」
「ふふ、大丈夫よ。いろはちゃんは素材が完璧だから、何を着ても映えるもの。もちろん、代金と荷物持ちはあなたの担当ね?」
「はいはい、了解。俺に女子服のセンスなんて皆無だから、そこは頼りにしてる」
「良い心がけだわ。それじゃ、日程は……そうね、5月10日か11日あたりはどう?」
「了解。いろはの予定聞いて、連絡するよ。……まあ、予定なんてないだろうけど」
「誠司、女の子にそういうこと言うの、失礼よ?」
「あー……ごめん。気を付けるよ」
「ふふ、よろしい。それじゃ、また三日後。学院で会いましょう」
佐々木さんとの打ち合わせを終え、俺はエレベーターで3階に降りる。
フロアの受付には、日向さんが一人だけ。
受付のほうを見ていると、日向さんとは目があった気がしたが、待機中の組が二組いたため、声をかけるのは控えてそのまま出口へ向かった。
支部の扉を抜けると、夜の街の灯りがぱっと広がったダンジョン近郊の一際大きいビルもそうだが、ダンジョン支部の裏手には、飲食街のネオンが瞬いている。
今日の探索で得た報酬を、飲み食いに使わせる仕組みだ。
さすがは商魂たくましい立地だこと。
§ § §
渋谷から新宿駅を経由して喧騒を背に、数駅離れた静かな住宅街へ移動する。
夜風が頬をなでるたび、今日一日の疲れが少しずつ浮き上がってくる。
コンビニの灯り。街路樹の影。人気のない歩道。
見慣れたはずの帰り道なのに、何となく落ち着かない。
(……今日は、あいつ、どうなっていることだか)
あの後からいろはからのスマホ通知はなかった。
けれど、それが穏やかの証とは限らない。
いろはの場合、怒っても拗ねても、何も言わないまま感情を表に出さず溜め込むから厄介だ。
ふと見上げた空は、雲ひとつない。
けれど胸の中には、微かな圧迫感があった。
(帰る場所があるのはありがたい。でも……それが壊れない保証なんて、どこにもない)
そう思ったとき、目的の建物が視界に入った。
都会の喧騒から少しだけ距離を置いた、地下1階2階建ての一軒家。
これが現在の俺の拠点だ。
田舎に4,5軒の家を建てられるくらいの金額だったが、当時は安寧を求め買ってしまった。
さてと──。
(いろはが、待ってるだろうから、帰るとするか)
§ § §
部屋の前に立つと、扉の向こうからわずかな気配を感じた。
息を一つ、深く吐く。
「……ふぅ」
ポケットから鍵を取り出し、静かに差し込んで回す。
カチリと音がして、扉をゆっくりと開けた。
──やはり、そこにいた。
玄関の扉を開けた瞬間、外廊下の蛍光灯がかすかに差し込んだ。
その淡い光の中で、暗がりに沈んでいた“それ”が浮かび上がる。
部屋の中は真っ暗だった。
けれど、ほの白い光に照らされた玄関の奥──そこに、誰かが立っていた。
動かず、声もなく。
その姿は、まるで最初からそこにいたように、異様なほど静かだった。
顔を伏せ、両手は以前、服の裾をぎゅっと握りしめている。
見慣れた小柄な背丈。日本人離れした彼女の桃色の髪と水色の瞳がわずかな光を反射する。
──いろはだった。
ただ黙って、そこに立っていた。
その佇まいに、ふと、背筋を撫でるような冷たい感覚が走る。
ふと、いろはの手元に視線が落ちた。
白く整った指先──そこに、うっすらと赤みが差している。
強く握りしめていたのだろう。
節のあたりには、小さな跡が残っていた。
どれほどの時間、そうしていたのか。
言葉にせずとも、その手がすべてを語っていた。
そして握られていたのは、佐々木さんが選んだワンピースの裾。
柔らかな布地には、くっきりとシワが刻まれている。
(……目立つな。これ、クリーニング出さないと戻らないかもしれない)
そんなくだらないことが脳裏をよぎったのは、たぶん現実から目を逸らしたかったからだ。
気づいていないわけがない。
いろはが、そこに立ち尽くしていた時間の重さに。
けれど、あえて知らないふりをして、俺は声をかけた。
「ただいま。……いろは」
玄関に足を踏み入れ、いろはの前に立つ。
その瞬間、いろははそっと顔を上げ──そして、ゆっくりと俺の上着に手を伸ばしてきた。
細い指が、俺の服を掴む。
そして、抱きつく。
彼女の指が、俺の服をゆっくりと握りしめる。
けれどその手は、わずかに震えていた。細かく、熱を持ったように。
顔は見えない。だが、抱きついているいろはの体温が、いつもより高く感じる。
呼吸は浅く、でも早すぎるわけじゃない──ただ、どこか抑え込んでる気配がする。
俺の胸元に額をそっと押しつけてくる感触。
その小さな動作に、静かだけど濃密な感情が滲んでいた。
まるで、確かめるように。
まるで、誰かに奪われる前に、自分だけのものだと示すように。
腕の力が、わずかに強くなる。
その微細な変化が、俺の中で言葉にならない不安を呼び起こす。
……ああ、これはたぶん──
“安心”じゃなく、“不安”からくる抱擁だ。
柔らかな体が胸元に寄せられ、いろはの声が、すぐ耳元で聞こえる。
感情の起伏を感じさせない、いつもの抑揚のない声音で。
「……おかえりなさい……誠司様」
そのまま、何も言わず、何も求めず、ただ黙って俺に抱きついていた。
沈黙が、穏やかすぎるほどに流れていく。
俺は、いろはの頭にそっと手を置いた。
低い位置にある、彼女の柔らかい髪を撫でながら、ゆっくりと語りかける。
「……電話、悪かったな。冗談だったんだよ。ちゃんと、帰ってきただろう?」
いろはは何も言わない。ただ、わずかに首を動かして、小さく頷いた。
時計を見たわけじゃないが──感覚的に、たぶん10分くらい。
俺はずっと、いろはの頭を撫でていた。
このままじゃ、たぶん彼女は何も言わず、ずっと離れない。
寝るまで、いや、俺が動くまで、この体勢のままだろう。
「……なあ、いろは。俺、19時に“夕飯食べろ”って言ったよな? 今日は、食べてないんだろ?」
いろはの首が、また小さく動く。相変わらず、無言の相槌。
「よし、じゃあ──ご飯にしようか」
ようやく、いろはの体が少しだけ離れる。
納得した……いや、きっと俺にそう言われたから動いたんだろう。
名残惜しげに視線を落としながらも、ゆっくりと体を離したいろはは目が少し潤んでいるように見えた。
そして、──もう一度、ぽつりと呟いた。
「……おかえりなさい……誠司様……」
その声が、やけに胸に染みた。