「……どうしたんだ……そこ」
目の前の熊のような大男が、自分の目の下の辺りを人差し指で指してみせた。
切札も指先でなぞってみてから、思い当たる。
そこには確か、昨日ついたばかりのアザがあったはずだ。
廃工場の中、あちこち朽ちた天井から差し込む光に目を細めながら、切札は口を濁した。
「ああ…昨日、ちょっとな」
「また……ケンカか」
「そんな所さ」
曖昧に肯定すると、切札は制服のスラックスを手ではたきながら、欠伸を一つかました。
「そんで、こんな朝早くから何の用だ?一応今日は登校日なんだ、学校のヒューズがなんか知らんけど吹き飛んだらしくて」
そういうことなら業者に頼めばいいのによ、と切札は続けた。
と、目の前の男、駒場利得(こまば りとく)が、硬い表情になっているのが分かった。
普段落ち着いた表情のこの男が、こんな風に表情を曇らせる時は、大抵何か難しい状況に置かれている時だ。
今回もそうなのだろうか。
「どうかしたのか、駒場さん」
「……実は昨晩……ウチの者が能力者に数人やられてな……。やったのは……電撃使いだと言うのだ」
「……穏やかじゃねえな。ていうか」
言いながら駒場を見やる。
だが、予想外にも駒場は首を振って、切札の考えを否定した。
「いや……。お前ではないと分かっている……。同じ電撃使いとはいえ……無能力者相手にお前は……能力は使わないだろう。やられたのもお前が叩きのめした者共とは……別口だ」
駒場はニヒルに口の端を持ち上げて笑い、そしてそれを知られていた事で切札はげんなりとする。
と、突然、駒場は声音を変えた。
「だが……切札。問題なのは……そこではない」
駒場も立ち上がり、廃工場に何故か設置されている冷蔵庫の扉を開けた。
瞬間、すっぱい臭いが辺りに充満し、切札の鼻腔を隅から隅まで蹂躙する。
思わず鼻をつまみ、激しく咳き込む切札。
駒場も苦々しげな表情を浮かべていた。
「この……通りだ。電撃使いのチカラによって……周囲一体は停電を余儀無くされた……。冷蔵庫の中身も……全滅だ」
「そ、そういうことなら俺に言ってくれれば……」
「気付いたのが深夜でな……。切札……学校のあるお前を一晩中起こしているわけには……いかなかった」
変な所で気遣いを見せる駒場。
ようやく鼻の強烈すぎる刺激が収まってきた切札は、なんというか、段々腹が立ってきた。
「しかしその電撃使い、許せねえ。仲間がやられただけならまだしも、冷蔵庫の中身まで殺るとは……駒場さん、俺はそいつが許せねえ」
「落ち着け……。まだ誰かすら分かっていない……。やられた者達に話を聞けるのも……まだ先だ。無能力者狩りの仕業とも取れる……」
駒場は鋭い眼光を光らせた。
無能力者狩り――近頃路地裏で頻発に起こる、レベル0の無能力者のみが狙われるリンチ事件。
無能力者が多くを占めるスキルアウトもその例には漏れず、『完全下校時間の数十分前』に纏めて何人かやられる、といった事が度々あった。
「それに切札……。お前はまだ……表側の人間だ。俺たちに付き合う必要は……ないぞ。そして敵討ちは俺が許さん」
強い決意を秘めた眼光で、切札を射抜く駒場。
数多のスキルアウトを束ねている、実質的なリーダーである駒場なりに、切札の事を考えているのが、切札自身にも痛いほど分かった。
切札と駒場、能力者と無能力者、……表側と、裏側。
両者に隔たりはあれど、切札は駒場と付き合いは長い。
だから、
「……分かった。だが駒場さん、俺は力を貸す準備は出来てるからな」
諦めたように溜め息を一つ吐くことぐらいしか、出来ない。
気まずい沈黙が漂うが、切札はポケットからオールドタイプの携帯電話を取り出し、画面を見て、茶髪の頭をガリガリ掻いた。
「悪りい、もう時間だ。じゃあな駒場さん。学校行ってくるぜ」
「……おう」
切札はそう言って、廃工場を後にする。
と、その背中に、駒場の野太い声が掛かった。
「ああ、切札……いつか言おうと思ってたんだがな。しかし……どうも迷っていて言えなかったが……」
「なんだよ、アンタらしくねえ。言ってくれよ」
「……ブレザーにライダースジャケットは……似合わんと思うぞ」
「んなッ!?……ち、畜生ォオオオオオオオオオオオオ!!」
切札は泣きながら駆けていく。
身長もそれなりにあり、彫りの深い顔をしている切札がそうなっているというのは、同じスキルアウトの駒場からしてみてもキモかった。