ビスマルクの「失うもの」と「得るもの」のお話。

※本作は「pixiv」にも投稿しています。

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希望と絶望のあいだには

 

【挿絵表示】

 

 

 

希望と絶望のあいだには

 

 

 深海棲艦との戦争が終戦を迎えた。深海棲艦は人類領域から駆逐された。

 人類の、艦娘の勝利だった。

 

 

*

 

 

 日本に派遣されていた各国の艦娘には順次、帰還命令が下された。終戦から半年後の二月にイタリアの艦娘たちが帰っていった。続いて英国、ロシア。夏を迎えるとフランスの艦娘たちが日本を離れた。

 今、鎮守府には合衆国とドイツの艦娘が残っている。彼女たちも近いうちに本国へ帰還することになっていた。

 

 

*

 

 

 鎮守府内に、艦娘のための宿舎が複数存在する。その中で、比較的小さな宿舎の一つに彼女はいた。

「……」

 彼女は二階の窓から鎮守府内を眺めている。深海棲艦との戦争が終わっても、鎮守府の様子はあまり変わらなかった。強いて違いを挙げれば、戦闘で発生した損傷艦(ふしょうしゃ)が緊急搬送されてくることがなくなったくらいだろうか。あの戦争の中でも、この鎮守府の中はどこか長閑(のどか)な空気を保ち続けていた。そのようなゆるさを彼女は軽蔑し、そして、こよなく愛していた。

 この空気を、あと少しで感じることができなくなる。ドイツ連邦海軍所属、戦艦ビスマルクは故国へ戻る嬉しさと同等の寂しさを感じていた。

 居室のドアがノックされた。振り返り、入りなさい、と声をかける。

「あの、ビスマルク姉さん」

 日焼けした潜水艦の少女が顔を覗かせた。彼女はドイツ生まれではあったが、既に日本へ転属しており、ここに残ることになっている。

「提督が、執務室に来て欲しいって」

「……何かしら」

 胸の高鳴りを抑えながら、ビスマルクは机の上の軍帽を手に取った。

 

 

*

 

 

「やあ、すまないね。急に呼び出して」

 執務室の主はそう言って椅子から立ち上がった。ビスマルクにとって、もっとも好ましい顔が少しだけ笑った。

 艦娘を率いてきた司令官はひどく若い。外見で言えば、ビスマルクよりも少し年下に見えるほどだ。身長も決して高い方ではなく、時には「かわいらしい」とさえ言えるような青年だった。

「まったく、忙しいのよ、わたしも」

 顔を背けつつも、ビスマルクの瞳は司令官を見ていた。もうすぐ、彼にも会えなくなる。

 ――それが、辛かった。

「……オーヨドはどうしたの?」

 秘書艦の姿が見えなかった。司令官は「ああ」と言って窓の外を少しだけ見た。

「色々用事があって。僕の代わりに東京へ行ってもらってる」

「そう」

 不意に司令官と二人きりになっていることに気づき、ビスマルクの鼓動が少し早まった。司令官も少し頬をかきながら、ビスマルクを直視しづらそうにしている。

 ビスマルクは司令官に惹かれていた。愛していると素直に言ってもいい。司令官も、ことばにこそしないが、彼女を好いていると感じていた。相思相愛。そう思っていた。

 ――だから、帰国がどうしようもなく辛かった。

「連絡があってね。君たちがドイツへ帰る日が決まったよ。二週間後だ」

 ビスマルクは俯いた。ついにこの日が来た。軍艦である以上、本国の帰還命令には逆らえない。だが、司令官と離れたくはない。これからの二週間、そのせめぎ合う気持ちに苛まれることになるだろう。

「……寂しくなる、かな」

「そうね……」

 二人のことばはそこで途切れた。こころが苦しくなるような静けさ。

 ビスマルクは何も言えなかった。

 どれほどの時間が経っただろうか。司令官が思いきったように口を開いた。

「色々あったっけ。君と出会ってから」

 深海棲艦との全面戦争。その中で、日本への増援としてやってきた三人目のドイツ艦娘。司令官は初めて出会ったころを思い出しているようだった。

「いきなり『よーく憶えておくのよ』なんて言われて面食らっちゃったよ。すごい自信家がやってきたなって」

「あ、あのときは、なめられないようにしなくちゃって思ってたのよ。だって、たった一人で戦線を支えてる凄腕の司令官だって聞いてたし」

 ビスマルクは艦娘の一人として、司令官のために戦った。第二次ミッドウェー海戦、レイテ湾突入作戦、そして二度にわたる欧州救援。彼女が活躍した戦いを挙げればきりがない。その中で、彼女は全幅の信頼を司令官に寄せていった。

 そして、信頼が愛情へと変わるのに、さほどの時間は必要としなかった。

 どこかぎこちなく、だが心地よい思い出話がふと途切れたときだった。司令官はわずかに俯き、すぐに顔を上げた。表情は柔らかいままだったが、黒い瞳にどこか思い詰めたような光があった。

「ビスマルク」

「何かしら?」

「少し、いいかな」

 司令官はビスマルクに歩み寄った。そっと彼女の手をとる。

「ど、どうしたのよ」

「……君に、見てもらいたいものがある」

 

 

*

 

 

 鎮守府本館の地下。エレベーターを三つも乗り継いだ秘密区画。司令官は、そこにビスマルクを案内した。区画を進むごとに、機械的な警備(セキュリティ)が厳しくなっていくのがビスマルクにもわかった。

 やがて、真っ白に塗られた巨大な扉が姿を現した。黄色と黒の、危険を示すマークがいくつも扉に貼られている。

「提督、ここは……」

「さっきまでは、迷っていた。黙っているべきか、伝えるべきか」

 背中を向けたまま、司令官はまるで懺悔のように呟いた。

「やっぱり、伝えておくことにする。……すべての始まりが、ここにあるんだ」

 司令官が扉の前に立つ。電子音が響き、轟音をあげながら扉が開く。そして闇の向こうから漂ってくる鉄のにおい。

 いや、違う。これは、血のにおいだった。

 闇を払うように、強烈な照明が点灯した。扉の向こうは、船渠のような空間だった。水が湛えられた巨大なプールに一隻の艦が浮かんでいる。拘束するように、無数のチェーンとワイヤーが彼女を係留していた。

「……っ!?」

 ビスマルクの表情が凍り付く。その艦は、その漆黒の艦は。

「これを鹵獲したときから、あの『戦争』は始まった」

 懐かしそうな声と共に、司令官はその艦を見上げた。全長一六〇メートル、満載排水量六一〇〇トン。重雷装巡洋艦、チ級。既に、生命活動は停止しているように見えた。艦橋から生えている女性の上半身は石のように動くことはなく、仮面の向こうにある眼窩に光はなかった。

「人類は多大な犠牲を払いながら、この巡洋艦を鹵獲した。ここに来る前に死んでしまったが、彼女の残骸、いや、遺骸と言うべきかな」

 チ級を拘束しているワイヤーの一本に指先で触れて、司令官は続けた。

「この遺骸を人類は徹底的に調査した。そして至極単純な結論にたどり着いた。――今の人類では、奴らに勝てない」

 ワイヤーを握りしめる司令官の手。

「勝つためには希望が必要だった。艦娘という希望が。人類は総力を挙げて艦娘の建造を進めた。結果として、君たちがこの世に生まれた。でも、それだけでは駄目だった。君たち艦娘だけではまだ勝てなかった」

 ビスマルクは司令官のことばに違和感を感じていた。ひどく、他人事のように語るそのことばに。

「超人的な能力を持ち、艦娘を指揮する存在が必要だった。つまり、司令官もつくりださなきゃならなかったんだ。でも、人類は自身の技術ではそれをつくれなかった」

 司令官はチ級を見上げた。艦橋から生えた女性の上半身を見上げた。

「彼らは絶望した。そして、絶望さえ利用することにしたんだ」

 ワイヤーから手を離し、振り返る司令官。その時、ビスマルクは気付いた。

 彼の顔と、チ級の顔が、どことなく似ていることに。

「深海棲艦のまだ生き残っていた組織から、人間を超えた司令官をつくりだした。絶望を利用して僕をつくったのさ」

「なに……何を言っているの、提督」

「君たちもうすうす感づいていたんだろう。僕が人間じゃないことに」

 ビスマルクは口をつぐんだ。否定できなかったからだ。どこかで、司令官が自分たちと同じ、「つくられた」生命であることを感じていた。だから、彼に惹かれた。彼は人間より、自分たちに近しいと思っていた。ビスマルクだけではない。艦娘は皆、司令官を近しい存在と思っていた。そうでなければ、あれほど駆逐艦たちに懐かれたりはしないだろう。

「僕は最初から、自分が深海棲艦からつくられたことを知っていたよ。でも、悩んだり、苦しんだりはしなかった。どうしてだろうね。君たちを騙していたようなものなのに、それでいいと考えていた」

 彼女が、彼女たちが愛する司令官は深海棲艦だった。

 普段のビスマルクであれば泣き叫んでいてもおかしくないほどの、恐ろしい事実。だが、彼女は泣かなかった。叫びもしなかった。

 ただ、目の前に立つ司令官がどこか遠くへ消えていってしまいそうな錯覚にとらわれていた。彼がいなくなることが怖かった。

「そして、深海との戦争は終わった。もう艦娘艦隊を戦わせる必要もなくなった。でも、これからも人類は生きていく。生きていくためには希望が必要なんだ。だから、艦娘は存在しなくてはならない。人類の守護者である艦娘が消えることは許されない。じゃあ、絶望はどうだろう。もちろん、絶望は切り捨てなくちゃならない。戦時の恥部、誰もが蒸し返したくない暗部は存在してはならない」

 司令官は、詩篇を口ずさむように語った。

「僕はそう遠くないうちに消されることになった。殺処分さ。希望のために存在した絶望を消し去るんだ。用済みの絶望をね。なのに……僕は死が怖くない。どんな殺され方をされるのかわからないのに、恐怖が湧き起こってこない」

 待って、待って提督。そんなことばが漏れそうになる。

「それは、僕がつくられた存在だからかな。もしかしたら、最初から死を恐れないようにプログラムされていたのかもしれない」

「やめて……」

「それとも僕は、最初から死んでいたのかもしれないな」

「やめて!」

 ビスマルクは司令官に抱きついた。彼を抱きしめていた。

 このままだと、司令官は本当に消えていってしまいそうだった。

 いや、消える。人間に消される。用済みの絶望として。

「ビスマルク……」

「……いやよ、あなたがいなくなるなんて」

 青年の肩に顔を埋めて、ビスマルクは嗚咽をかみ殺しながら続けた。

「あなたが何者かなんて知らない。ただ、わたしはあなたに存在していてほしい。いいえ、わたしだけじゃないわ」

 決して彼が離れられないよう、ビスマルクは両腕に力を込めた。

「プリンツだって、グラーフだって……そうよ、鎮守府(ここ)の艦娘はみんな、あなたに生きていてほしいと思ってる。あなたが人間でも深海棲艦でも構わない。生きて、ずっと、アトミラールとして……」

「……ありがとう」

 司令官の声はか細かった。

「でも、決まったことだから」

 それ以上、ビスマルクは何も言えなかった。ただ、かみ殺せなくなった嗚咽を漏らして、司令官の軍装に涙をにじませた。

 悔しかった。彼女には何も出来ない。ドイツ海軍の象徴たる軍艦として生まれ変わり、多くの深海棲艦を屠ってきた戦艦。だが、彼女は戦う以外、無力だった。自分だけでは何も出来なかった。目の前にいる、一人の青年を救うことさえ出来なかった。

「……いつなの」

「うん?」

「いつ、あなたはいなくなるの」

「君たちが帰るのを見届けられるくらいの時間はある」

 あとほんの少しじゃない。ビスマルクはそう言おうとして、言えなかった。ただ、子供のような泣き声がわき上がってくるだけだった。

 

 

*

 

 

 翌日。

 鎮守府はいつもと変わっていなかった。どこか長閑で、いつまでもこの日常が変わらないかのような空気がある。

 ビスマルクは昨日と同じように、宿舎の窓から鎮守府内を眺めていた。ただ、その瞳は一晩中泣きはらしたように赤かった。

 あれ以来司令官とは会っていない。会うことができない。

 知ってしまった。この鎮守府でただ一人、司令官が深海棲艦であったことを。そして彼がこの世界からもうすぐいなくなることを。

 何も出来ない自分が恨めしかった。自分の眼下を通り過ぎていく、何も知らない日本の艦娘たちがうらやましかった。知りさえしなければ、こんな気持ちを抱かずに済むのだろうか。わずかに(かぶり)を振るビスマルク。いずれ、彼女たちも司令官がいなくなったことを知る。

 窓辺から離れたビスマルクは足音をたてないようにドアへ近づくと、ドアノブを素早く回して開けた。何かがドアにぶつかったような抵抗感。悲鳴がいくつも聞こえる。

「……何をしてるの、あなたたち」

 頭を押さえているプリンツ・オイゲンとグラーフ・ツェッペリン、レーベレヒト・マース。一人だけ少し離れたところにいたマックス・シュルツがため息をついている。ドアの前で三人はビスマルクの様子を窺っていたのだろう。

「いたた……ご、ごめんなさい、ビスマルク姉さま」

 目に涙を浮かべながらプリンツが謝った。

「あなたの様子がおかしかったのでな、つい……」

 軍帽を拾い上げるグラーフ。努めて冷静にしてはいるが、彼女も目に涙を浮かべている。

「……心配かけたわね」

 ビスマルクがそう呟くと、レーベが驚いた顔をした。

「やっぱりおかしいよ、ビスマルク。いつもなら『何言ってるの、わたしはいつも通りよ』とか言うのに」

 そう言われ、ビスマルクは胸を張って自信をみなぎらせようとした。だが、それすら意味のない強がりだった。ビスマルクは俯き、「そうね」とだけ呟いた。

 プリンツが、ビスマルクの肩に触れた。

「……アトミラールさんと、何かあったんですか……?」

 彼は深海棲艦だったわ。

 言えるはずもない。言ったところでどうにもならない。

 彼が何者でもいい。どうだっていい。

「……提督に、会えなくなるじゃない」

「確かにわたしたちはもうすぐ帰国するけど、彼に二度と会えなくなるわけでもないでしょう?」

 マックスのことばが、昨日の光景を呼び覚ました。深海棲艦の残骸、チ級と似ていた司令官。彼はいずれ消える運命に――

「会えなくなるのよ、二度と……!」

「ビスマルク姉さま……?」

 涙とともに、ことばが堰を切ってあふれ出てきた。

 司令官がつくられた生命であること。彼が深海棲艦との戦いのためだけに生かされていたこと。

 そして、もうすぐ彼が消されること。

 宿舎の廊下に、ビスマルクの泣き声だけが響いていた。

 誰もが、ビスマルクと同じような無力感を感じていたのかもしれない。ビスマルクの背中を撫でるプリンツの手。それで涙が止まるはずもなく、ビスマルクはただ膝をついて泣き続けた。

 そっと、ビスマルクの前にグラーフがしゃがみ込んだ。無表情に見えて感情豊かな彼女の瞳には、涙が浮かんでいる。

「ビスマルク、アトミラールを救える者がいるとすれば、あなたしかいない」

 ビスマルクの頬に手を当てて、彼女の顔を上げさせるグラーフ。

「あなたが泣いているだけでは、何も変わらないと思う」

「だって、だってわたしには何もできないじゃない……」

「あなたに何ができるか、は重要じゃない。ビスマルク、あなたが何をしたいか、だ」

 グラーフは静かにビスマルクを見つめていた。

「わたしが……したいこと」

「そうだ。あなたはアトミラールを救いたい。ただ純粋にそう思っているのだろう?」

 その通りだった。

「そうよ、わたしは彼を助けたい。でもしょうがないじゃない、わたしたちは帰国しないといけなくて……」

 不意にビスマルクは口をつぐんだ。涙が途切れる。何か、頭の中が晴れ渡っていくような、明るい感覚。

 わたしたちは帰国しないといけない。それが、答えだった。

 どうして、こんな簡単なことに気付かなかったのかしら。

「……そう、そうよ。提督を救えるじゃない」

 わたしなら、わたしたちなら。ビスマルクは胸を張った。いつもの彼女らしく、不敵な微笑みを浮かべて。

「提督をここから助け出すわ。あなたたち、力を貸しなさい」

 

 

*

 

 

 一人の青年が、ドイツへ亡命した。

 ビスマルクたちドイツ艦娘に護られるように日本を脱出した彼は、人類を勝利へ導いた英雄として迎え入れられた。当然、日本政府は青年の身柄引き渡しをドイツ政府へ要請したが、国際問題化を恐れたのか、すぐにその要請を取り下げた。

 ――あるいは、彼がもう長く生きられないことを見越してのことだったのかもしれない。

 

 

 青年はビスマルクと結ばれ、静かに異国の地で暮らすことになった。ただ、その結婚生活は短いものとなった。三年後、彼はこの世を去った。

 その三年の間に、青年とビスマルクの間には一人の娘が生まれた。

 キセキ。

 青年は、娘にそう名付けていた。ビスマルクに託した奇跡、遺した青年の軌跡。

「大丈夫、わたしは独りじゃないわ」

 母となったビスマルクは、いつもそう笑うのだった。

 彼女は、その笑顔で護っていく。 希望と、絶望と、そのあいだにあるものを。

 

 

 


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