アウラのスキルニル。二体目撃破。
彼女を模した魔法人形は、コルベールの〝
小爆発の連鎖があった場所にはもう、なにもない。
最後までコルベールを侮った大魔族は、その油断と驕りと慢心により、高性能な魔道具を、また一つ失うこととなった。
「ふうっ……」
「お疲れ。よく頑張った、コルベール」
一息ついた彼に、フリーレンは慰労の言葉を送る。
コルベールは一瞬、気を抜きかけたが、そこは歴戦の戦士。すぐに呼吸を整える。
まだ、上空からにらみを利かせるロイヤル・ソヴリン号がある。砲撃は絶えず続いている。あれをどうにかせねば、本当の意味で窮地を脱したとは言えない。
(今からでも、〝飛行魔法〟であの船に……いや、今の精神力だと現実的ではないな……)
船に直接乗り込んで乗組員を叩こうかと考えたが、自身の魔力を冷静に分析し、『不可能』だと判断するコルベール。
どうやってあの船を止めるか……。思案に暮れるコルベールの視線は、自然とフリーレンの方を向く。
「いいよ、あの船は私が止める」
気負いのない様子でフリーレンはそう言うと、杖を水平に構えて魔力を整え始める。
「と、止めるって……どうやって?」
「飛んでいくのはリスクも高いし、時間がかかる。だからもう『壊す』ね」
「こ、壊すって……上にはおそらく、操られているだけの人もいると思うのですが……!」
「コルベールもまだまだ〝魔力探知〟が甘いね。さっきまでずっと精査したけど、あの船にいるのは全て魔法人形兵だった。生身の人間だと船の操舵に支障をきたすからだ」
そういえば、とコルベールも思い出す。
ラ・ロシェールからトリステインへ襲撃を仕掛けた部隊も、船の乗組員はすべて魔法人形で構成されていたことを。
生粋の水兵ではない、適当な兵を服従させたところで、勝手がわからず船の操作がめちゃくちゃになる。
その点、魔法人形なら、マニュアルとなる指示さえ埋め込んでおけば、まず間違いのない行動ができる。だからロイヤル・ソヴリン号のみならず、帆船を動かすのは全て魔法人形に任せているのだろう。
もちろんこれは、アウラが『なんでも魔道具を操れる人間を酷使しているから』こそ、実現した結果といえるのだが。
(あの巨兵と戦いながら、船の乗組員についても精査していたとは……!)
アウラと戦いながら、同時に周囲の状況まで分析する。フリーレンの並外れた処理能力に唸りながらも、では次に「どうやって?」と疑問符を浮かべるコルベール。
〝
すると、フリーレンはいつにない真剣な顔で、コルベールに向かってこう言った。
「コルベール。これから使う魔法は他言無用。墓の下まで持っていってね」
意味深にそう告げると、フリーレンは目をつむり、魔力をたぎらせる。
刹那、コルベールは身震いした。肌がびりびりと粟立ち、全身に鳥肌が立つ。
フリーレンから感じる強大な魔力に、コルベールの優れた危機察知能力が警鐘を鳴らしているのだ。
(なんだ……彼女は、何の魔法を使おうとしている……?)
次の瞬間、フリーレンの上空へ向かって、巨大な光が柱のように立ち上り始める。
かつて、過去の世界で出会った魔族〝残影のツァルト〟と戦った時に披露した魔法。
隕石のごとき大きさの巨岩を、一瞬にして粉砕した破壊の光。
閃光、そして爆音。
ロイヤル・ソヴリン号は、その破滅の光柱に呑まれ、次の瞬間にはただの木屑へとなり果てていく。
魔族に操られた、哀れな『堕ちた王権艦』は、フリーレンの手により永遠の眠りについたのだった。
(なんだ、この魔法は……。人の扱う魔法の領域を、遥かに超えている……!!)
当然ながら、この光景を目の当たりにしたコルベールは、ひどく愕然とした様子を見せた。
幸いにも、フリーレンの魔法行使を直接目撃したのはコルベールだけ。ほかの者たちはマチルダの作った土壁のドームに遮られ、見ることは叶わなかった。
「きゃああっ!!」
それでも魔法の余波を受け、ドームはボロボロと崩れていく。
強制的に外へと投げ出されたマチルダたちが見た光景。
それは、炎上しながら、浮遊大陸の地平線の向こうへと消えていく、アルビオン国最大戦力たる『ロイヤル・ソヴリン号』……の、なれの果てだった。
「……は?」
アルビオン人であるマチルダは、その光景を前に開いた口がふさがらなかった。
アルビオン人であるがゆえに、あの船がどれほど強大で、他国にとって脅威であるかを知っている。
それを、こうもあっけなく……!!
(あの、ロイヤル・ソヴリン号が……燃えていく……)
「す、すごぉい……!」
同じくこの光景を見ていたティファニアは、あれだけ砲弾をバカスカ撃ち込んでいた巨大な船が、あっけなく墜ちて爆散していく光景を目の当たりにし、思わず息をのんだ。
爆炎を背に、
(人間のメイジと協力して、怖かった角の人もやっつけて……いいなあ……)
誰もが怖がる長耳を持ちながら、彼女は何の境界線も設けず、人間と協力している。
ティファニアにとって、フリーレンのその後ろ姿は、何よりも眩しく感じられた。
(どうすれば、みんなに怖がられることなく打ち解けられるんだろう?)
「ちょ、ちょっとフリーレン! あんた一体なにしたのさ!」
ティファニアがそんなことを考えていた頃、マチルダが慌てた様子でフリーレンへ詰め寄っていく。
コルベールはひどく言いたげな表情を浮かべていたが、フリーレンとの約束を思い出し、マチルダを宥めながら何とか誤魔化す。
「ま、まあまあ、いいじゃないですか。無事、一件落着ということで。はは……」
「……ミスタにも色々聞きたいことがあるんですけど、まあいいわ」
そう言って、「ふぅ……」と、ようやく一息ついたマチルダたち。
ロイヤル・ソヴリン号にアウラ、『白炎』のメンヌヴィル。その上、巨大な魔法兵士ヨルムンガンド。
これだけの大戦力が攻め込んできて、結果的には全員無傷で済んだのだから。
「二人とも、よく頑張った」
改めて、フリーレンはコルベールとマチルダの頭をなでなでする。
「ちょ、フリーレン、子ども扱いはやめて……子供たちも見てるじゃないの」
そうは言うものの、こそばゆそうな表情でフリーレンのなでなでを受け続けるマチルダ。コルベールも、気恥ずかしそうに受け入れていた。
そんな二人をきょとんとした顔で見つめるティファニアと、特に動じることなく一服するザイン。
「ザインも、改めてお疲れ」
「あぁ……本当にお前は相変わらずだな、フリーレン」
フリーレンはそのまま、しゃがんだまま仏頂面を浮かべるザインの頭も撫でた。
その後、改めてティファニアの方を見る。
「え、えっと……」
ティファニアはどもった。
フリーレンはしばし無表情でティファニアを見つめていたが……、
「フリーレン、ティファニアも撫でてやってくれ。この子の助けがなけりゃ、俺たちは危なかった」
「……そっか」
ザインの言葉を聞いたフリーレンは、微笑みながらティファニアの頭を撫でた。
「ティファニアもよく頑張った。偉いぞ」
「……えへへぇ」
誰かに頭を撫でられるなんて、本当に久しぶりだったティファニアは、ひどくこそばゆそうに、それでも嬉しそうに破顔した。
「……んっ」
そうして、しばらくして落ち着いた頃。
ここで、
「あ、目を覚ましたのね!」
ティファニアが、ほっと胸を撫で下ろしてそう言った。
「あ、あなた……」
「大丈夫? 初めての〝治癒魔法〟だったけど、もう苦しくない?」
「あ、はい! もう大丈夫です! あの、ありがとう、お姉さま!」
「えっ、え、ええ……」
起き上がったベアトリスは、今までとは一転、嬉しそうにティファニアへ抱きついて礼を述べた。
これにはティファニアも、一瞬目を白黒させる。
「どうしたの? あの子、エルフ嫌いじゃなかったっけ?」
この様子を見ていたフリーレンは、あの二つ結びの少女が、確かラ・ロシェールでルイズ達と言い合っていたベアトリス殿下であることを思い出す。
「ああ、実はな……」
ザインが苦笑しながら、こうなる経緯を説明した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「はぁ、はぁ……!」
「だ、大丈夫ですか、ベアトリスさん!!」
フリーレンがアウラと、コルベールがメンヌヴィルと戦っていた頃。
ティファニアたちは、マチルダが張ってくれた鋼鉄の傘によって、降り注ぐ砲弾の雨を防いでいた。
そのドーム内で、ベアトリスが熱を出して倒れていたのだ。
「ザインさん! これ……!」
「ああ……過労だろうな。極度の緊張とストレスで、体が限界に来たんだろう」
ティファニアはベアトリスの上半身を優しく抱き起こす。
ザインは彼女の額に手を当てて熱を測る。かなりの高熱だ。今のベアトリスは苦しそうに、平坦な胸を激しく上下させている。
「な、なんとかなりませんか……?」
「そうだな……」
ここでザインは、心配そうな表情を浮かべるティファニアの方をあえて見る。
「ティファニア、女神さまの魔法の本分はな、治癒と解呪だ」
「え?」
「即興で〝目覚めの解呪〟を使えたんだ。基本的な治癒魔法なら、今のティファニアにもできるはずだ。……教えてやろうか?」
「ぜ、ぜひ! お願いいたします!!」
回復魔法を使えると聞いて、ティファニアはザインの方へと身を乗り出した。
これを見ていたマチルダは、思いっきり(うちのティファニアに何変なこと吹き込んでるんだ!)と言いたげな顔を浮かべていたが、それを言葉にはせず、二人の様子を見守るにとどめた。
「いいか、聖典を持って、治癒のページを……そう、そこだ」
「はい、はい……!」
「目をつむって、体内の魔力を巡らせろ。あの時……〝目覚めの解呪〟を使った時と同じような感覚を思い出すんだ」
「はい……っ!」
手取り足取り教えるように、ザインはティファニアに僧侶の魔法を伝授していく。
ティファニアは目をつむり、優しくベアトリスの額に手を置いて、魔力を巡らせる。
「頑張って。大丈夫、絶対治るから心配しないで……!」
そうやって優しく励ましながら、ティファニアはベアトリスに治癒魔法を施していたのだ。
その励ましの言葉は、ちゃんとベアトリスにも届いていたらしい。その時、彼女の瞳からは涙が流れていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……ということもあって、すっかり懐かれたみたいだ」
苦笑しながら、ザインはあらましをフリーレンたちに語っていた。
ベアトリスはティファニアの治癒魔法ですっかり快方したらしく、今やティファニアの妹分のような懐き方をしている。
ティファニアの方は、困惑しっぱなしだったが。
「そっか……ティファニアは〝僧侶〟の才能があるのか」
この話を聞いて、まず注目するのがティファニアの人徳ではなく〝僧侶の才能〟であるのは、良くも悪くもフリーレンらしいというべきか。
ザインは苦笑いしながらも、こう続ける。
「ああ、あいつはガチで才能があると思っている。きちんと教え込めば、ハイター様……くらいは言い過ぎとしても、俺くらいのレベルまでは行くかもしれねえ」
「ザインでもそう思うの?」
「ああ……」
ザインもまた、僧侶という職業の中では突出した才能を持っている。その実力はフリーレンも認めるところだ。
その彼をしてここまで言わしめるとは、それこそ突出した才能であると言わざるを得ない。
「心が跳ねた?」
「――へ?」
「どうだった?」
「……そうだな。言葉にするのは難しいが……あいつが聖典を初めて読んだ時、そんな感情を抱いた気がするよ」
ザインはそう言って、懐いたベアトリスをどう扱ったものか悩んでいるティファニアを見る。
誰にも愛されて生まれたとは思えないほどの境遇と人生。
その反動が、そのまま跳ね返ってきたかのように。
全知全能の女神からの寵愛を、一身に受けていることが判明したのだ。
「って、そろそろ説明が欲しいんだけど! ティファニアは一体何の魔法を使っているのよ!」
ここでマチルダが、そろそろ限界とばかりにフリーレンをせっついた。
「というより、こいつ誰!? なんでさも当然のようにティファニアと一緒にいるの?」
当然ながら、ずっとティファニアと一緒にいたであろうザインを指さしながら、説明を求める。
「ジープに乗ってた時に話していたでしょ。ちょっと前、一緒に旅していた僧侶だよ」
「僧侶……女神の魔法を使う者たちのことを、確かミスの世界ではそう呼ぶのでしたな?」
コルベールもここで会話に入ってきた。
「そう。女神の魔法は、私たちの世界で普及、発掘されている人類の魔法と比べても、未知の部分が多い。でも、基本的には治癒と解呪、魔族の魔法に対する対抗手段が主だ」
「うぅむ……先住魔法……とは、また区分が違うようですなあ。ミス・フリーレンの世界の魔法は」
夏休み前。
学院でマチルダの修行を見守っていた頃、コルベールは『民間魔法学』発足に向けた準備の合間に、フリーレンから女神の魔法について聞かされたことがあった。
その力は『虚無』にも匹敵する。そう聞かされた当初、コルベールは半信半疑だった。
だが、『実際に過去の世界へ行ったこともある』と具体的な話まで聞かされると、さすがの彼も驚きを隠せず、ただただ頷くばかりだった。
「そうなの! マチルダ姉さん、改めて紹介するね。こっちはザインさん、こちらはベアトリス姫殿下。子供たちを助けに行く途中で知り合ったの!」
ティファニアは喜色を浮かべて、マチルダに二人を紹介する。
ザインは「どうも……」と軽く頭をかきながら頷く。ベアトリスは優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をした。
「…………」
マチルダはザインを見る。
確かに、ティファニアを助けてくれたことには感謝しているし、ここまで連れてきてくれたことにきちんと礼を言いたいけど……。
なんだろう、この『可愛い妹分が彼氏を連れてきた』ような、もどかしい気持ちを覚えるのは。
「ね、ねえティファニア。あんた、あいつになんかされてないかい? その、魔法を教わる以外で」
「ううん? 別にないけど、なんでそんなこと聞くの?」
「……ああ、うん。ごめん。忘れて」
何を言っているのか本当にわからず、きょとんとするティファニアを見て、無粋だったかと首を振るマチルダ。
「……あんたも、うちの子を助けてくれたみたいだね。ありがとう。私はマチルダ。ティファニアの保護者……みたいなものさ」
マチルダはそう言って、ザインに礼を述べる。
「いや、まあ……成り行きでって感じかな」
ザインも、これまた綺麗なお姉さんなマチルダを前に、ちょっと格好つけたかのような言い回しと態度で応えるが……。
「……でもね。だからこそ、ティファニアに何かあったらタダじゃあおかないから。それだけは肝に銘じておいてね」
小声でこそっと、笑顔でそう告げられ、ちょっと青ざめるザインなのであった。
「マチルダ、ザイン。これ以上話すのは後にしよう。まずはこの街の復旧を、できる範囲でやってあげないと」
フリーレンからそう言われ、いったんそこで話を切り上げることとなった。
「どうしたの、マチルダ姉さん? さっきザインさんに何を言ったの?」
「うん? あぁ、『これからもよろしくね』って、伝えただけさ」
ティファニアとマチルダの会話を聞いて、ザインは乾いた笑いを漏らすしかなかった。
その後、ダータルネスは急速に復旧していった。
砲弾の嵐によって建物は見る影もなく、悲惨な有様ではあったが、捕まっていた人々は無事救出。
アウラの魔の手から、街を取り戻した格好だ。
破壊された建物も、マチルダの魔法である程度は整えることができたため、時間さえあれば元に戻すことも、そう難しくはないところまで来ていた。
捕まっていた人々は、最初こそエルフが助けに来ていたことに驚いていたが、さすがに非常事態の連続ということもあって、今さらそこをつつく者はいなかった。
「〝
マチルダが地面を叩いて魔法を発動する。
微震とともに土と石が自在に動き、崩れた建物を次々と応急修復していく。細部でフリーレン達も手伝いに回った。
雨風をしのげる家々が徐々に出来上がり、街全体の応急的な補修は、陽が落ちる前にはひと通り完了した。
「ふぅ、一段落ついたぁ」
再び二つの月がのっそりと姿を現し始めた頃。
マチルダは一息つきながら、中央広場で焚き火にあたっていた。
「お疲れ様、マチルダ」
「おねえちゃんお疲れー」
隣ではフリーレンと孤児たちが集まり、へとへとになったマチルダを労う。
「はは、あんがとさん」と、マチルダは、フリーレンが魔法で出してくれた温かいお茶のカップを受け取った。
「じゃあ、マチルダ姉さんは今、トリステイン魔法学院で働いているのね」
捕まっていた人たちの身の振り方も、ようやく落ち着いてきた。
ひとまずマチルダが修繕した建物の中で、街のみんなが身を休める中。
久しぶりの再会を果たしたマチルダは、ティファニアに今の自分の身の上について簡単に明かす。
「すごいじゃない! 他国の貴族の子たちに魔法を教えているなんて! ……そんなすごい役職についていたのに、どうして今まで黙っていたの?」
「え!? あ、ああ……まあ、そこに至るまでにいろいろあってね……」
ティファニアの疑問に、思いきり目を泳がせて言葉を濁すマチルダ。
まさか今の役職にたどり着くまでに、色々な変遷があったことまでは、さすがに話せない。
コルベールもフリーレンも、この件については何も言わず黙ってくれているのが幸いだ。
ともあれ、今までマチルダがどこから生活費を得ていたのか、その疑問が氷解したことで、ティファニアもようやく納得したように頷く。
「んで、あんたはどういう経緯でダータルネスまで来たんだい? 詳しく教えておくれ」
マチルダからそう言われ、ティファニアもここまでの経緯について話し始める。
首無しの人間たちに攫われかけたこと。
危うく首をはねられそうになったところを、『ゼーリエ』というエルフに助けられたこと。
彼女の助言を頼りに子供たちを助けるため歩いていたら、ザインとベアトリスに出会ったこと。
そしてザインと出会えたことで、子供たちが捕らわれているというダータルネスまでやって来られたこと。
「……ということがあって、今わたしはここにいるのよ」
「そうなの……すっごい大変だったのね、あんたも……」
マチルダは、ティファニアの波乱万丈な旅の話を聞いて、困惑やら安堵やら、様々な感情が入り混じった笑みを浮かべた。
「ごめんね、テファ。子供たちのことも……肝心な時にいなかった、ふがいない私を許しておくれ」
「い、いいの! こうしてみんな無事に再会できたんだもん!」
マチルダはしばらく、感無量とばかりにティファニアを抱きしめる。
遠目からその様子を見ていたベアトリスも、すっかり嬉しそうに、うんうんと頷いていた。
「しかし……気になりますね。そのゼーリエなるエルフというのは……」
ここで、同じように話を聞いていたコルベールが、顎に指を当てて呟く。
「そう、わたしもびっくりしたんです」と、ティファニアも、コルベールの呟きに反応した。
「不思議な方でした。よく分からないんだけど、実体がないみたいで……『いせかい』? から私に思念を送っているとかで……でも、急に消えちゃって」
「いせかい……?」
コルベールとマチルダは、ここで一斉にフリーレンへと目を向ける。
フリーレンの隣に腰掛けていたザインも、隣の白髪エルフに注目した。
「……そうか」
フリーレンはしばし長考した後、まずマチルダにこう言った。
「マチルダ、ちょっと周囲に『サイレント』をかけてもらってもいい? 私たちにしか聞こえないように」
対象はフリーレン、ティファニア、マチルダ、コルベール。それとザイン。
大人である彼なら、軽々しく『これから語る内容』を言いふらしたりはしないだろう。
「ちょ、ちょっと待って! わたしも聞かせてよ!」
仲間外れにされそうになったベアトリスが、ここで声を上げた。
最初はマチルダも怪訝な表情を浮かべたが、ティファニアが「大丈夫だと思います! 仲間外れもかわいそうですし……」と取りなしてくれたので、彼女も加わることとなった。
マチルダは孤児たちに「大事な話をするから、広場で遊んでな」と告げて離れさせる。
それから『サイレント』を展開し、この場の会話が外へ漏れないようにした。
「さて、聞かせてもらおうじゃないかフリーレン。そのゼーリエってのは何者なのか、心当たりがあるんでしょ?」
この面々にしか会話が聞こえない空間を作った後、改めてマチルダが尋ねた。周囲の者たちも、疑問符を浮かべながらフリーレンを見る。
「その前に一つ、ティファニアに聞きたいんだけど」
フリーレンはそう言って、すぐにはその問いに答えず、ティファニアの方を見る。
「聞きたいこと? なんでしょうか?」
「ティファニアの系統って、もしかして『虚無』?」
いきなりの爆弾発言に、マチルダはおろかコルベールも仰天した。
なんならティファニアの隣で子犬のように座っているベアトリスでさえ、「ええっ!?」と声を上げてしまう始末。
もちろん、この声もこの面々にしか聞こえない。
「い、いきなり何を言い出すのさ、フリーレン!」
「ど、どうして分かったんですか?」
マチルダとティファニアは、それぞれ別の疑問を驚きの声とともに投げかける。
ただ、今はその疑問には答えず、フリーレンはマイペースに続けた。
「ごめん、二人とも。質問があったら後で答えるから、今は続けさせて。どうなの?」
「はい、そうだとゼーリエさんから聞きました。『お前は自分の魔法すらよく分からず使ってたんだな』って……」
ウエストウッド村でのやり取りを思い出し、ティファニアは頷く。
コルベールとマチルダは揃って唸った。本当に、いったい何者なのだ、そのゼーリエというエルフは。
なぜ一目見ただけで、ティファニアを『虚無の担い手』と断定できたのか……?
「ゼーリエはね、私の
とうとうフリーレンが、ゼーリエについて語り始める。
それを聞いたマチルダは、またも驚きの目でフリーレンを見る。コルベールも、思わず口元を手で覆っていた。
「あ、あんた以上がいるのかい? フリーレン……」
「ゼーリエから見たら、私なんてまだまだ未熟者だろうね。未だに彼女の想像を超える魔法使いになれていないって自覚はあるし」
魔法使いとしての実力は、フリーレン以上。
あらゆる魔法を修め、それを分け与える『特権』を設けることで、優秀な魔法使いたちをも集めている。
そして現在では、〝大陸魔法協会〟という一大勢力まで作り上げた。
千年を生きるフリーレンすら稚児に例えられるほどの年月を生きてきた、まさしく魔法史の生き字引。
「おまけに、当時のブリミルのことも知ってるんじゃないかと見ているんだ。『虚無』にも詳しいみたいだし、ゼーリエならあり得ないことじゃない」
「はぁぁぁぁ……っ」
この地の始祖とも知り合いなのではないかと疑いたくなるほどの、知識と経験を持つエルフ。
なんだかもう、そこまでくると神話の世界に足を踏み入れてきたような、浮ついた感想しか浮かばないから不思議なものである。
「そ、そんなにすごい方だったんですか……」
世俗に疎いティファニアでさえ、事の大きさをおぼろげながら理解できたのだろう。ただただ感嘆の声を漏らすことしかできない。
確かにそんな人なら、世界の壁を隔てて思念だけを送り、会話することも容易いのかもしれない。
「ゼーリエがティファニアに接触した理由となると、もう『虚無』くらいしか考えられないからね」
一度、夢の中でゼーリエと会話した時のことを、フリーレンは思い出す。
あの時見つけた『担い手の残滓』。その先にティファニアがいた。
だから彼女にちょっかいをかけたということだろう。
「ティファニアお姉さま、そのエルフと交信することはできないのですか?」
隣のベアトリスがティファニアに尋ねる。
「えっ? え、えっと……」
ティファニアはうんうんと唸ってみるものの……返ってきた言葉は「ごめんね、無理みたい」だった。
「まあ、ゼーリエからの一方的な接触だろうし、しょうがないよ」
「あんたでも無理なのかい?」
「ゼーリエがどういう原理でティファニアに接触しているのか不明な以上、私からもどうこうすることはできない」
けど……と、フリーレンは続ける。
「ティファニアって、使い魔を召喚している?」
「つかいま?」
「サモン・サーヴァントだよ。まったく別の場所から、自分に合った『使い魔』をこの場に呼び寄せることができる魔法だ」
マチルダが丁寧に補足する。
「いいえ、そんな魔法があること自体、今知りました」
「仮に私が『ハルケギニアに来たい』って思うのなら、その『召喚魔法』をうまく利用することも、手段の一つとして考えるかな。もちろん、ゼーリエがそう思っているかまでは分からないけど」
「そんなこと、できるのですか……?」
『召喚魔法』を逆利用して異世界を渡るなど、聞いたこともない。
トリステイン魔法学院に長らく勤め、数多の生徒の『召喚の儀』を見守ってきたコルベールだからこそ、その末恐ろしさを疑問に変えてフリーレンに問うが……、
「それが
というフリーレンの言葉に、メイジ一同は声を失うしかなかった。
「ちなみにさ……」
マチルダは恐る恐る尋ねる。
「そのゼーリエの目的はなんだい? ティファニアをどうしようっつうんだい?」
「さあね。それは私にも分からない」
フリーレンの答えは、無情なものだった。
「予想できる範囲だと、ティファニアの才能を見抜いて、囲い込みに来たとか」
「わたしの才能……?」
ティファニアは一瞬、自分の才能を疑問視するように呟く。
だが、自覚できていなかっただけで自分が『虚無の担い手』であること、そして女神からの寵愛も受けていることを思い出し、言葉をつぐんだ。
「ティファニアは、
フリーレンからもそう言われたことで、ティファニアとマチルダは押し黙ってしまった。
フリーレンをも大きく上回るという大魔法使いが、可愛い妹分に目をつけている。
そのことについて言いたいことは色々あるけど……といった表情だ。
「もしゼーリエからまた連絡が来るようだったら、教えてくれない? 私からも何とか接触してみるから」
「あ、はい。分かりまし――――」
そこまで言った時だ。
ティファニアの視線が、不意にフリーレンの隣で止まった。
そこにはいつの間に現れたのか。
当然のような顔でフリーレンの隣に座っている、ゼーリエの姿があった。
「ぜっ、ゼーリエさん!!」
ティファニアの驚きの声を聞いて、フリーレンを除く周囲の面々は立ち上がって身構える。
フリーレンだけは座ったまま、カップに口をつけていた。
魔力探知で周囲を探っているのだろうが……どうやら、ゼーリエの存在を探知できていないらしい。
「どうやら、無事に子供たちを見つけ出せたようだな」
隣のフリーレンを見て嘆息しながら、ゼーリエは視線をティファニアへと向ける。
「は、はい……ゼーリエさんが教えてくれた魔法のおかげで、なんとか……」
「多少は臆病さが消えたようだが……まだ未熟だな。もう少し精進しろ」
こいつみたいにはなるなよ。
ゼーリエはそう言って、隣のフリーレンを指さす。
一方のフリーレンは、ゼーリエが自分の悪口を言っていることにすら気づいていない様子。
どうやら例によって、ゼーリエの姿が見えているのはティファニアだけらしい。
フリーレンにすら見えていないのだから。
「お姉さま、あの……そのエルフが、ゼーリエ……?」
と思いきや。
唯一、ベアトリスだけがフリーレンの隣でふんぞり返っているゼーリエを指さしていた。
「えっ?」
ティファニアが目を丸くする。周囲も少し驚いた様子でベアトリスを見る。
中でもゼーリエが一番、目を見開いていた。
ややあって、「ほう……」と、いつもの不敵な笑みへと戻ったが。
「もう見る価値のない世界だと思っていたが……なかなかどうして。これだから魔法は面白い。お前、
ゼーリエの問いに、ベアトリスはびくりとしながら小さく頷く。ゼーリエは笑みをより深くした。
天然か、才能か。
いずれにせよ、奇貨であることに変わりはない。
ここでゼーリエは、周囲を見渡す。
向こうにいる子供たち……孤児たちか。
五人ほど集まっているその子たちもまた、自分の姿を見て指をさしている。『風の膜』で声は聞こえないが、十中八九、自分が現れた事への反応だ。
なんだ、まだいるじゃないか。
この世界にも、才能の原石が。
内心笑みを浮かべたゼーリエは、片膝を立てた座り方から胡坐へと座り直すと、ティファニアを手招きする。
「手を貸せ。この『サイレント』の空間内でのみ、私の姿が見えるようにしてやる」
「そ、そんなことできるのですか?」
「お前の魔力を少し貸してもらえればな」
ティファニアは少し迷った後、頷きながらおずおずと周囲に告げる。
「あの……今からゼーリエさんの姿を見えるようにしたいと思うのですけど、いいですか?」
ティファニアはフリーレンへと視線を向ける。
フリーレンはしばらくティファニアを見つめ……次いで、唯一ゼーリエの姿が見えているベアトリスへと視線を移し、やがて頷く。
「いいよ。わざわざ交信してきたんだ。私もゼーリエに聞きたいこと、たくさんあるし」
「お前の問いに答えるほど、私も暇じゃないんだがな」
フリーレンには聞こえていないのを承知で、ゼーリエは不遜にそう告げた。
ティファニアは「あはは……」と頬をかきながら、今度はマチルダやコルベール、ザインへと目を向ける。
「……私からも頼むよ。そいつがティファニアに何の用なのか、聞きたいし」
「私も興味があります。ミス・フリーレン以上のエルフなど、まったく想像がつきませぬから……」
すでにフリーレンの実力を知る二人からすれば、彼女ですら及ばない大魔法使いなど、もはや神話の世界にしかいないとすら思える。
ぜひ会ってみたい。その気持ちは確かにあるのだ。
「じゃ、じゃあお願いします。ゼーリエさん」
ティファニアはゆっくりと手を差し出す。ゼーリエもまた、その手を掴んだ。
実体がないがゆえに、いまいち輪郭の掴めない握手。
だというのに、ゼーリエと手が触れた瞬間――バチッ、と眩い光が弾けるとともに、確かな温もりがティファニアの中へと広がっていく。
周囲の者たちも眩い光を受け、一度目を瞑る。
そして、再び目を開けると。
フリーレンの隣に、一人の金髪の女性エルフ……ゼーリエがいた。
「夢の時以来だな、フリーレン」
「本当、何しに来たのさ、ゼーリエ」
つい先ほどまで見えていなかった相手が隣に現れたというのに、微塵の動揺も見せず、フリーレンはゼーリエに問う。
「なに、ブリミル亡き後の『力』の行方が、今更ながら気になっただけだ」
それも、お前が『失踪』しなければ気にも留めなかっただろうけどな。
ゼーリエはそう続ける。
「夢の中で拾った『担い手の残滓』を辿ったら、そのハーフエルフに行き着いた。それだけだ」
「じゃあやっぱり、ティファニアも『虚無の担い手』?」
その言葉に、マチルダやコルベール、ベアトリスはごくりと唾を飲み込んだ。
当のティファニアはもう、汗ダラダラだった。
自分が改めて『伝説の系統』の担い手だと確定したのだから、無理もないが。
「あ、あの……」
ここでマチルダがまず、震える手を上げてゼーリエに声をかける。
ゼーリエはじろりとマチルダを見る。
垂れ気味の長い目。その奥にある瞳に見つめられ、吸い込まれそうな恐怖を覚える。
魔法の実力はフリーレン以上。
異世界を隔てて交信する手腕と、その技術。ティファニアを一目で『虚無』と断言する観察眼に知識量。
全てが異次元の領域。
始祖ブリミルとも比肩し得るのではないかとすら思えるエルフと、まともに会話できるのか。そんな恐怖が、まずマチルダの両肩に重くのしかかっていたのだ。これはコルベールも同様だった。
だが、愛する妹分のためにも引けない。引くわけにはいかない。
勇気を振り絞って、ゼーリエに尋ねる。
「あ、あんた……じゃない、あなたさまは……うちの大切な妹分を……どうするつもりだい?」
その質問に、ややあってゼーリエは答える。
「別に、どうするつもりもなかった。
「……へ?」
「ブリミルの力を受け継いだ者がどんなものか見たかっただけだが……想像以上にボンクラだったのでな。むしろ最初は見捨てようかと本気で思ったくらいだ」
そう言われて、顔を真っ赤にするティファニア。
確かに、『あの時』はゼーリエの助けがなかったら、今頃、胴体と首は泣き別れていたことだろう。
「ティファニアお姉さまはボンクラなんかじゃありませんわ!」
ここで、ベアトリスが立ち上がって声を張る。
助けてもらった恩義もあってか、すっかりティファニアに懐いてしまったようだ。
それでも、ゼーリエ相手に啖呵を切るなど、並大抵の精神力ではできないことだろう。
事実、マチルダは滝のような汗をかいていたし、コルベールはひどく慌てふためいていた。
「だ、大丈夫よ、ほ、ほとんど事実だし……」と、ティファニアも、慌ててベアトリスを宥める側に回る。
「そうだな。少なくとも、自身の才を活かせないロクデナシではないことだけは確かだ。だからまあ、こうして様子を見に来た。といったところだ」
だが、ゼーリエはむしろベアトリスの啖呵を心地よく聞きながら、ティファニアのことをそう評価した。
その言葉に、むしろ周囲はきょとんとする。
ゼーリエの一言一言が、この場に独特の緊張感を作り出していた。
「ティファニアを弟子に迎えるつもり?」
「「弟子?」」
ここでフリーレンがゼーリエに尋ねると、マチルダとティファニアが同時に声を上げた。
フリーレンは、今のゼーリエが〝大陸魔法協会〟の長として、類まれなる才能を持つ魔法使いたちを積極的に取り入れ、弟子に迎えていることを話す。
もちろん、ただ弟子にするだけではない。
彼女に〝一級魔法使い〟としての実力を認められれば、『特権』として望む魔法を一つだけ与えられるのだ。
大病を治す。大金持ちになる。
未来を読む。隔絶した力を手に入れる。
そんなものすら序の口。
神話級のものを含めた、ありとあらゆる魔法の中から望むものを一つ与えられる。
だからこそ、今の〝一級魔法使い〟たちは、大陸でも『最強』と謳われる人外の集まりとなっているのだ。
そして、〝一級魔法使い〟は基本的にゼーリエの弟子となる。
彼女に弟子入りを認められるということは、それだけの才能と実力を認められた証左でもある。
「なんでも……」
「好きな魔法を……?」
これにはベアトリスもコルベールも、ごくりと唾を飲み込む。
マチルダは気が気でない様子でティファニアを見た。ティファニア自身も、どうしようかといった表情で姉貴分の顔を窺う。
「いや……正直、まだその段階にこいつは至っていない。才はあれど、それを眠らせたまま横死した凡夫はたくさん見てきた。今はまだ『見』の段階だな」
一方、ゼーリエは明確に「NO」を突きつけてきた。
女神から愛され、『虚無』の系統を引き継ぎながら、その力を一割も発揮できていない。
ゆえに、まだ〝一級魔法使い〟としてティファニアを引き入れるつもりはないようだった。
「弟子にしてやるかは、お前の今後次第だな」
「は、はあ……」
ティファニアは何とも言えない顔つきで、頷くしかなかった。
いや、自分がフリーレンやゼーリエと比べて未熟なのは、もう疑いようのない事実なわけだし。
精進しろ。そう言われては、今のティファニアも「はい……」としか答えられないのだった。
「じゃあ、何しに来たのさ」
フリーレンのつっけんどんな問いに、ゼーリエはにやりと笑って、こう続ける。
「最初に言ったように、『担い手の確認』と……あとは、面白い卵をたった今見つけた」
お前だ。
そう言うと、ゼーリエはベアトリスを指さした。
「へ……? わたし?」
急に話を振られ、思わず自分を指さすベアトリス。
周囲の視線も、一斉にベアトリスへと集まった。
「ああ。
ゼーリエはここで、『サイレント』の外側からこちらを指さして何やら話している、ティファニアと一緒に暮らしていた孤児たちへと視線を向けた。
ゼーリエの姿が見えるようになったのは、この『サイレント』の内側にいる者だけ。
だというのに、彼らの目にも、きちんとゼーリエの姿が映っているようなのだ。
「……はぁ??」
これにはマチルダも、あんぐりと開いた口を閉じられなかった。
「な、何を言ってるんだい? あ、あの子たちは戦災孤児で、親は平民だよ? 魔法なんて、使えるはず……」
「そういう固定観念を、お前達貴族は六千年もの間持ち続けてきたということか。元を辿れば全員同じ『マギ族』の血筋だというのに、どこかでねじ曲がったのだろうな」
平民でも魔法は使える。
そんなのは当たり前のことだろう? とでもいうような風情で言い放つゼーリエに、コルベール、マチルダ、ベアトリスは冷や汗を浮かべることしかできなかった。
「『魔法を使える者』と『
「で、でも……あの子たちがそんな、魔法だなんて……」
「お前達の常識などどうでもいい。私は六千年の慣習ではなく、私自身の目で才を見定める。あいつらには才能がある。鍛えれば、一流の魔法使いになる。それだけの話だ」
マチルダはもう、魚のようにぱくぱくと口を開けることしかできなかった。
あの孤児たちが、そんな途方もない
魔法を使えないはずの、平民の生まれなのに??
「だから、あの孤児たちを私に預けろ。一ヶ月もあれば、お前たちの言う『スクウェアクラス』を足蹴にするほど強くしてやれる」
これまた尊大極まりない提案に、マチルダは顔を青くしたり赤くしたりし始めた。
(おもしれーお姉さんだな……)
ザインは無言のまま、そんなマチルダの反応を眺めていた。
「わ、わたしも……?」
ベアトリスは震える声で、ゼーリエに尋ねる。
「どのみち、すぐには国へ帰れんぞ。ここは浮遊大陸。それに、主要な交通手段は全てアウラに押さえられているようだしな」
ダータルネスは先ほど解放できたが、それでも行き来するための船は先ほど全て打ち壊されていた。
どうあっても、フリーレン達を逃がさないための処置だったのだろう。
「その暇な時間を、わざわざお前たちのためだけの修行期間に充ててやろうというのだ。感謝しろ」
だから、今すぐ帰ることはできないし、安全な場所も欲しい。
そういう意味では、ゼーリエの提案は正直ありがたい。
でも……だからといって、エルフに師事する……?
(いえ、ここで首を横に振っちゃったら、ティファニアお姉さまの好意も無下にしてしまうかもしれない)
以前の自分なら、考えるまでもなく拒絶していただろう。
けれど、アルビオンに来てから色んなものを見た。色んな人と出会い、怖い思いも、悔しい思いもした。そして何より、自分がどれほど狭い世界しか知らなかったのかを思い知らされた。
親に甘やかされ、欲しいものは何でも与えられた。
自分の言うことは聞き入れられて当然で、世界とはそういうものなのだと、本気で思っていた。
そんな思い込みは、もう跡形もない。
変わらなければならない。
誰かに守られているだけではなく、自分の足で立てるようにならなければならない。
ならば、これはきっとそのための試練なのだ。
怖くないと言えば嘘になる。
それでも――ここで背を向けるのは、もっと嫌だった。
曲がりなりにも、彼女もまた『王族』である。覚悟を決めることの重さくらいは、幼い頃から教え込まれている。
そして一度腹を括ってしまえば、あとは早かった。
「じゃ、じゃあ……お願いしても良いですか? ゼーリエ……さん?」
ベアトリスのおずおずとした言葉に、ゼーリエは不敵な笑みを浮かべて返した。
「ああ、お前の頑張り次第では、『望む魔法』を一つ、くれてやっても構わない」
なんともな破格の対応に、フリーレン除く周囲は揃って口を開けた。それだけ才能を見込んでのことなのだろう。
特にベアトリスはその言葉に、驚きに満ちた目でゼーリエを見た。
「すごいじゃない! 頑張って! わたしも応援するわ!」
ティファニアもベアトリスの手を取って、ぴょんぴょんと跳ねている。
一緒に旅をしてきた仲間に、自分以上の才能があるかもしれないと分かって、素直に喜べる。
それがティファニアという少女なのだった。
「う、うん……わたし、頑張ってみるわ!」
ベアトリスもまた、こうしてハーフエルフと友情を築けることが楽しいと心底思っているような顔で、ティファニアの手を握り返した。
「あとは子供たちね。……一応、あの子たちにも了承を取りたいのですけど、良いですか? ゼーリエさん」
「安心しろ。鍛える以上、安全な『結界』を後で構築してやる予定だ。対魔族用の結界だから、アウラの奴にも好き勝手はさせん」
孤児たちにとっても安全な場所を用意してもらえると知って、ティファニアは豊満な胸を撫で下ろした。
とりあえず、ベアトリスや孤児たちが安全に過ごせる場所は得られたということだ。
もちろん、『休憩所』ではなく『修行場』なのだから、それ相応の地獄を潜り抜ける必要はあるだろうが。
「って、ちょっと待って! お願い、理解が追いつかないから、ちょっと待ってくれません!?」
ここで、あまりの混乱に思考が凍結していたマチルダが、泡を食った様子でゼーリエを見る。
待て待て待て。
平民の子供たちに魔法の才能があって、しかも目の前の大魔法使いに預ければ、一ヶ月で『スクウェアクラス』すら凌ぐほどになる?
そんな話を一度に聞かされて、はいそうですかと頷けるほど、マチルダの頭は柔軟ではない。
どうしたものかと、マチルダが必死に頭を回転させていた――その時だった。
「あ、そうそう、マチルダお姉さんはどう? ゼーリエさん。かなり強いメイジだとわたしは思うのだけど」
「ちょ、ティファニア!?」
今度はティファニアが、何の悪気もなく新たな爆弾を放り込んできた。
ゼーリエは、さして関心もなさそうな顔でマチルダを見る。
ティファニアとしては、単純な疑問だった。
マチルダは『スクウェアクラス』のメイジであり、フリーレンやオスマンからも修行を受けている。
その実力は、今やハルケギニアでも有数。
ティファニアからすれば、そんな姉貴分も当然、ゼーリエが目をつけるほどの才能を持っているのではないかと思ったのだ。
「『どう?』 何が『どう』なんだ?」
「え? いや、ベアトリスさんと同じくらい、才能のある人なんじゃないかなーって思ったんだけど……」
「……ああ、そういうことか」
ゼーリエはもう一度マチルダを見た。
ほんの一瞬。頭の先から爪先まで、その全てを値踏みするように眺め――ぷいっ、と視線を逸らした。
もう、それが答えだと言わんばかりだった。
「え、あの……ゼーリエさん?」
「フリーレン。お前、相当雑な修行をこいつに施したな?」
「あ、分かる?」
「突貫作業すぎるだろ。魔力の流れがかなり不自然に仕上がっている。『間に合わせで仕上げました』と、顔以上に魔力に出ているぞ」
これにはフリーレンも、少しばつが悪そうな顔で呟いた。
マチルダはすぐに、あの地獄のような修行を思い出す。
もう二度と思い出したくもなかった過酷なレッスンを、それでも必死に掘り起こしながら、フリーレンを見た。
「え、なに? あの一ヶ月の修行に不備があったってことなの? ねえ、初耳なんですけどぉ、フリーレンさん?」
「ごめん、マチルダ。不備っていうか、色々と急場しのぎな鍛え方だったのは確かだよ。……だってオスマンが『早くしろ、早くしろ』って急かすからさぁ」
不備があったというよりは、あまりにも『修行期間が足りなかった』。それが原因だ。
考えてみれば当然だろう。たった一ヶ月鍛えただけで、異世界の魔法を教える立場になれということ自体、そもそも無茶振りだったのだから。
そのため、実力そのものは確かでも、ゼーリエの目にはマチルダの魔力がひどく歪んでいるように映っていた。
例えるなら、『今まで描いてきたキャンバスの上に、キラキラで新品のシールを無理やり貼り付けた絵を見せられた』ようなもの。
身につけた力と、それを扱う本人とが、まだ完全には馴染み切っていないのだ。
「たかだか一ヶ月程度で仕上げた、付け焼き刃の実力を見せられても、私としては反応に困るんだが?」
「えぇ……私、何かが足りないってことかい?」
「純粋に、まだ『私の世界の魔法』に馴染んでいないだけだ。今の実力に胡坐をかくことなく、あと『十年』はその修行を続けろ。そうしたら少しは見てやる」
つっけんどんな言い方ではあるが、それでも異世界の魔法を一ヶ月足らずで習得したマチルダの才能自体は、それなりに評価していた。
だが、ここから〝一級〟にまで上り詰めるのであれば、もっと長い時間をかけた修行が必要になる。
要するに、無理やり継ぎ足した力を、本当の意味で自分のものにしろ。そう言っているのだ。
ゼーリエなりの助言だったのだが、当のマチルダは……、
「あ、あの……あのしゅぎょう……を、あと、じゅう……じゅうね……じゅうねん……」
完全に壊れてしまったのだが。
思い出したくもない地獄の日々。
本気で殺されるかもしれないと思った、気絶と失神の毎日。
あれをあと十年。
じゅう……じゅうね……。
「ちなみに、その地獄のような修行をせずとも、同じ一ヶ月で
恐ろしい追撃に、とうとうマチルダは泡を吹いて倒れた。
「姉さん!」
ティファニアとザインが、慌ててマチルダの介抱に移る。
「
むしろフリーレンはそう言ってマチルダを高評価していたのだが、その褒めの言葉も、今のマチルダには届かない。
「わたしって、いったい……あの修行は……いったい……」
泡を吹いて泣きながらぶつぶつと呟くマチルダを、コルベールは呆然とした顔で見つめるしかなかった。
(今のミス・マチルダは、確かにハルケギニアでも屈指のメイジだというのに……それでも、ここまで散々な評価を下されるのか)
マチルダの実力、どうやって力をつけたかの背景を一目見て断定し、不備や改善点をすぐさま言い当てる。
改めて、『フリーレン以上』という実力が本物なのだと思い知らされ、コルベールも戦々恐々とする。
「ねえ、ゼーリエ。ならコルベールはどうかな?」
「ええっ!?」
ここで、なんとフリーレンの方から、今度はコルベールの評価を求めた。
フリーレン自身、コルベールの実力はかなり高く評価している。
アウラとの戦いでも、その機転と魔法技術で大いに活躍した。
それに、魔法だけに留まらない技術や知識に関して言えば、稀代の天才だとも思っている。
「先の戦いでも、アウラの人形を撃破したし。私はコルベールのこと、かなり評価しているんだよね」
さすがに〝一級魔法使い〟として認められるかは分からない。
それでも、マチルダよりは高い評価を受けるのではないか。フリーレンは内心、そう思っていた。
「ミス・フリーレン……」
いきなりの指名に、コルベールは無茶苦茶緊張した面持ちで、フリーレンを見た後、ゼーリエの方へ顔を向ける。
大魔法使いたる彼女が、自分をそこまで評価していてくれたなんて。嬉しさで少し、気恥ずかしさすら覚えていた。
「どう? ゼーリエ」
「――そいつか」
だから、どんな評価がこようとも、胸を張って構えようと思った。
……あとちょっと、もし、万が一もし認められたら、『特権』についても、少し……いや、かなり興味はあるし。
しかし――。
「論外だ」
ゼーリエが下した評価は、マチルダ以上に容赦のないもの。
たった一言だった。