湯気の立ち込める浴室。白磁の湯船に肩まで浸かる桐藤ナギサと御稜ナグサは、寄り添うように静かな時間を共有していた。
湯面に揺れる二人の影は、まるで姉妹のように溶け合う。ナギサの髪は濡れて光り、ナグサの儚げな顔は湯気の中で一層繊細だ。水音が小さく響く中、ナグサがぽつりと呟く。
「ナギサお姉さん……私、トリニティでどうやって生きていけばいいんだろう」
ナグサの声は、湯に沈むようにか細い。
「アヤメのいない場所で、自分が何をすべきか分からない。どこか空っぽな気がする」
「ナグサさん、トリニティは広い場所ですよ。いろんな人がいて、いろんな生き方がある。でも、ナグサさんがそんな風に悩むなら、一つの道を提案させてください」
ナグサは膝を抱えたまま、ナギサをちらりと見上げる。
「道?」
「ええ」
ナギサは穏やかに微笑み、湯気越しにナグサを見つめる。
「トリニティには正義実現委員会という組織があります。人を助け、弱者を守り、トリニティの秩序を支える場所。ナグサさん、そこで特待生として活動してみませんか?」
「正義実現委員会……?」
ナグサの声に戸惑いが滲む。
「でも、私みたいなのがそんなところでやっていけるの? 私は強くないし、失敗したらまた失望されるだけじゃ……」
ナギサは小さく笑い、ナグサの肩にそっと湯をかける。
「ナグサさん、強さって、ただ戦うことだけじゃないんですよ。正義実現委員会は、誰かのために動く場所。ナグサさんの優しさ、誰かを想う気持ち――それが、きっと誰かを助ける力になる」
ナグサは湯に映る自分の顔を見つめ、考える。
「誰かを助ける……アヤメみたいに、誰かのために何かできるのかな。でも、責任を負うのが怖い。もし間違えたら、みんなに迷惑かけてしまう」
「怖いですよね、責任って」
ナギサの声は柔らかく、まるで紅茶の香りを漂わせるよう。
「私も、エデン条約のとき、責任を負い過ぎて、間違った選択をしたことがあります。でも、ナグサさん、トリニティで生きるって、怖さと一緒に歩むことなんです。正義実現委員会なら、仲間が支えてくれます。ナグサさんが失敗しても、そっと手を差し伸べてくれる人がいる」
「仲間……ナギサお姉さんも、そうやって私を支えてくれてますよね?」
「ふふ、そうですよ。貴女は私の妹ですから」
ナギサはナグサの髪を撫で、温かな笑みを浮かべる。
「正義実現委員会でなら、ナグサさんのコスプレの才能も活かせますよ。たとえば、子どもたちを笑顔にするイベントや、困っている人を勇気づける活動。ナグサさんが『別の自分』を演じることで、誰かの心を軽くできるかもしれない」
「コスプレで人を助ける……なんか、想像したら、ちょっとワクワクするかも。でも私、本当にやっていけるかな?」
「やっていけます」
ナギサはきっぱりと言う。
「ナグサさんには、人の心を動かす力がある。特待生として、少しずつでいいから、試してみてください。私もそばにいます。トリニティは、ナグサさんが一歩踏み出すのを待ってるんです」
ナグサは湯気の中で小さく頷く。
「……うん、試してみる。ナギサお姉さんがそう言うなら、怖くても、やってみるよ」
「その気持ちでいいんです」
ナギサはナグサの手を握り、湯の温もりを分かち合う。
「正義実現委員会で、ナグサさんがどんな風に輝くか、私、楽しみにしていますよ」
湯船に響く水音と、二人の静かな会話。ナグサの心に小さな決意の芽が生まれ、ナギサの眼差しには、ナグサを導く責任と愛が宿る。浴室の湯気は、まるで二人の未来を優しく包むように揺れている。
「ナギサお姉さん。正義実現委員会で、私はどんなコスプレしようかな?」
「ふふ、ナグサさんらしい、誰かを笑顔にする姿がいいんじゃないですか?」
トリニティの夜は、湯気の向こうで、静かに希望の色を帯びていく。
◆
トリニティの朝は、清らかな光に満ちている。
御稜ナグサは、胸に小さな決意を灯しながら、正義実現委員会の事務所へと向かう。
白と金のトリニティの制服に身を包み、彼女の足取りはまだ少し頼りない。だが、ナギサの言葉が心のどこかで響き、背中を押している。制服の裾を掴む彼女の指先は、緊張と期待でほのかに震えていた。
事務所の扉は重厚で、トリニティの誇りを象徴するような装飾が施されている。ナグサが小さく息を吸い、ノックすると、落ち着いた声が中から響く。
「どうぞ、入ってください」
扉を開けると、羽川ハスミが机の向こうで書類を整理している姿が目に入る。ハスミの長身と凛とした佇まいは、ナグサの心を一瞬縮こまらせる。だが、ハスミが顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべると、その空気がふっと和らぐ。
「御稜ナグサさん、ですね。初めまして、羽川ハスミです。正義実現委員会へようこそ」
ハスミの声は低く、しかしどこか温かい。
「座ってください。今日は面接ということで、緊張してますか?」
ナグサはぎこちなく椅子に腰掛ける。
「はい、少し。初めてだから、ドキドキしてます」
「ふふ、大丈夫ですよ。初めての人はみんなそう」
ハスミは書類を脇に置き、ナグサに視線を向ける。
「桐藤ナギサさんからの推薦で、特待生としての入会を希望していると聞きました。ナグサさんのことを少し教えてください。どんな思いでここに来たんですか?」
ナグサは膝をぎゅっと握り、言葉を探す。
「私はトリニティで、どうやって生きていけばいいか分からなくて。ずっと、アヤメっていう人に頼ってて、でも彼女がいなくなって、自分が何もできないって思ってました。でも、ナギサお姉さん――ナギサさんが、ここの委員会なら、誰かを助けることで私も変われるかもしれないって言ってくれて。それでここに来ました」
ハスミは静かに頷き、ナグサの言葉を丁寧に聞く。
「ナギサさんの推薦、なるほど。彼女がそう言うなら、ナグサさんにはきっと素晴らしい可能性があるんでしょうね。で、ナグサさんは、どんな風に人を助けたいと思いますか?」
ナグサの目が揺れ、足元に視線を落とす。
「私は強くないし、戦うのだって苦手てす。だけど……それでも子どもたちとか、困ってる人を、笑顔にできたらいいなって……」
「正義実現委員会では、戦うだけが仕事じゃないんです。前線て戦う人を支える事務仕事などもあります。事務仕事はやったことはありますか?」
「百花繚乱で少し」
「なら、即戦力ですね」
ナグサは驚いたようにハスミを見上げる。
「本当に? 私みたいなのが、役に立てますか?」
「ええ、もちろんです」
ハスミは椅子に背を預け、穏やかに続ける。
「私も、昔は自分の力をどう使えばいいか悩んだことがあります。背が高すぎるって、からかわれたりして」
彼女は自嘲気味に笑う。
「でも、この委員会で、仲間と一緒に動くことで、自分の居場所が見つかった。ナグサさんも、ここでなら、きっと見つけられる」
ナグサの頬がほのかに赤くなり、彼女は小さく頷く。
「ハスミさん……ありがとう。怖いけど、やってみます。失敗しても、頑張ってみます」
ハスミは立ち上がり、ナグサに手を差し出す。
「その気持ち、素晴らしいですよ。ナグサさん、ようこそ、正義実現委員会へ。特待生として、ゆっくりでいいから、一緒にトリニティを守っていきましょう」
ナグサはハスミの手を握り、その温もりに小さな安心を感じる。
事務所の窓から差し込む朝の光が2人を照らした。ナグサの心には、ナギサの言葉とハスミの笑顔が重なり、トリニティでの新たな一歩が静かに始まる。
ナグサの小さな決意は、トリニティの朝にそっと根を下ろしたのだった。