トリニティ総合学園の教室は、朝の光に照らされ、白壁と金の装飾が柔らかく輝く。
御陵ナグサは、正義実現委員会の特待生として、初めての授業に臨んでいる。彼女の制服には委員会のバッジが光り、机の上には小さなチャームが置かれている――心の支えとしてそっと忍ばせたものだ。ナグサの周りには知り合いの姿はなく、だがそれが、彼女の心を不思議と軽くしている。
今日の授業は、トリニティの歴史と倫理学。ナグサにとって、百花繚乱紛争調停委員会での実践的な経験とは異なる、初めて触れる知識の領域だ。
教師の声が教室に響き、トリニティ建学の精神や、平和を保つための倫理的判断について語られる。ナグサはノートにペンを走らせ、時折眉を寄せながらも、どこか楽しげに聞き入る。
「ナグサさん、トリニティの『調和の原則』について、どう思いますか?」
教師が突然、彼女に質問を投げる。
ナグサは一瞬ドキリとするが、深呼吸して答える。
「……調和とは、みんなが自分の役割を大切にしつつ、相手を尊重すること、です。百花繚乱で、ケンカを仲裁したとき、どっちの気持ちも聞いて、笑顔になれる道を探したのが、似てる気がします」
教師は微笑み、頷く。
「素晴らしい視点です、ナグサさん。実体験を踏まえた回答、参考になりますよ」
教室の生徒たちがナグサをちらりと見るが、そこに敵意はない。知り合いがいない環境は、ナグサに「見られる」プレッシャーを与えず、ただ自分として答える自由を与えている。彼女の肩から、いつもの重荷が少しずつ消えている。
授業の終わりには、簡単な筆記テストが行われる。
トリニティの歴史や倫理の基本的な問題が出題され、ナグサはチャームを手に握りながら、集中して解答を進める。知らない知識に戸惑いつつも、彼女の頭脳は驚くほどクリアだ。百花繚乱で培った状況分析の鋭さや、ナギサやハスミとの会話で育まれた思考の柔軟さが、答案に自然と反映される。
数日後、テストの結果が返される。ナグサの答案には、鮮やかな赤で「92点」の文字。特待生の中でも上位の成績だ。教師が笑顔で言う。
「ナグサさん、初回でこの点数は素晴らしい。倫理学の応用問題、鋭い考察でしたよ」
「本当ですか? 思ったこと書いただけですけと……間違ってないですか?」
「間違ってませんよ。自信持っていい」
教師は優しく笑い、教室を後にする。
放課後、正義実現委員会の訓練場で、ナグサはハスミにその話をぽつりと漏らす。
「ハスミさん、テスト、なんか高得点だったんだ。自分でもびっくり……私がこんなことできるんだって」
ハスミは訓練用の装備を整えながら、穏やかに微笑む。
「ナグサさん、やっぱりあなたはそもそも優秀なんですよ。百花繚乱での経験も、トリニティの授業でも、ちゃんと活きてる。知り合いがいない環境だから、ナグサさん、のびのびできているのでは?」
ナグサは少し照れながら、チャームを指で弄ぶ。
「確かに誰も知らないから、失敗しても『ナグサらしくない』って思われない気がします。だから別の自分演じなくても良いから気楽かも」
「それが、ナグサさんの本当の力ですよ」
ハスミはナグサの肩を軽く叩く。
「トリニティは、ナグサさんが自分を演じなくても輝ける場所。のびのびやってるナグサさん、いい感じです」
ナグサの頬がほのかに赤くなり、彼女は小さく笑う。
「ハスミさん、ナギサお姉ちゃんにも言われたみたいにトリニティでなら、私、もっとやれるのでしょうか?」
「やれますよ。授業も、パトロールも、ナグサさんのペースでいい。トリニティは、ナグサさんが自分らしくいられる場所ですから」
彼女の心には、知らない世界で得た小さな自信と、のびやかな自由が静かに根を張る。トリニティの空の下、ナグサは自分を演じずとも、ただ自分として輝き始めていた。
◆
トリニティの夕暮れは、金色の光が紅茶のような温もりを校舎に投げかける。桐藤ナギサの私室に、御陵ナグサがそっと足を踏み入れた。
ナギサはティーポットを手に、いつものように紅茶を淹れている。
湯気の香りが部屋に広がる。
「ナギサお姉さん」
ナグサの声は、どこか弾んでいる。
「今日、授業のテストで高得点でした。92点。先生にも褒められて……自分でもびっくりした」
ナギサはティーカップを置き、ナグサを振り返る。彼女の顔には、最初の頃の縮こまった影が薄れ、ほのかな輝きがある。ナギサの唇に、自然と柔らかな笑みが広がる。
「ナグサさん、素晴らしいじゃないですか。92点だなんて、特待生としても胸を張れる成績ですよ」
ナグサは照れくさそうに椅子に腰掛ける。
「うん、ほんとびっくりした。知らない人ばっかりの教室だったから、気楽にやれたっていうか、他者を演じなくても、ちゃんとできた」
ナギサは紅茶を注ぎ、ナグサにカップを差し出す。
「気楽に? ふふ、ナグサさん、トリニティの空気があなたをのびのびさせてるんですね。最初の頃より、ずいぶん明るくなった。見ていて、なんだか私まで嬉しくなります」
「ナギサお姉さんが、トリニティなら大丈夫って言ってくれたから、頑張れたんだと思う。正義実現委員会でも、ハスミさんに褒められて、自分でも、ちゃんとやれるって、ちょっとだけ思えた」
ナギサの目が、ナグサの笑顔にそっと留まる。彼女の心には、喜びと同時に、ほのかな憐れみが広がる。百鬼夜行の百花繚乱紛争調停委員会――ナグサがかつて身を置いた場所は、彼女の優しさと才能を磨きながらも、過酷な責任と他者の期待で彼女を縛っていたのだろう。
アヤメへの依存、自己評価の低さ、失望への恐怖。ナグサがどれほどストレスフルな環境で自分を押し殺していたか、ナギサは胸の奥で静かにその重さを思う。
「ナグサさん」
ナギサは穏やかに言う。
「トリニティで、こんな風に笑えるあなたを見ると、私、本当に良かったと思うんです。百鬼夜行は、あなたの才能を輝かせた場所かもしれないけど、きっと重いものも背負わせてた。トリニティでは、ただあなたらしくいてください。それで十分、輝けるんですよ」
ナグサは紅茶を一口飲み、頬をほのかに赤らめる。
「ナギサお姉さん……ありがとう。なんか、トリニティに来てから、自分がダメじゃないのかもって、ちょっとだけ思えるようになった。授業も、パトロールも、怖いけど、楽しいんだ」
「その『楽しい』が、あなたの自信の第一歩ですよ」
ナギサはカップを手に、ナグサに微笑む。
「トリニティは、あなたが自分を好きになれる場所。私も、正義実現委員会のヒーロー、ナグサさんの活躍、楽しみにしていますね」
ナグサは小さく笑い、チャームをぎゅっと握る。
「うん。ナギサお姉ちゃんの妹として、もっと頑張ってみる。次のテスト、100点狙おうと思う」
「ふふ、100点、期待してますよ」
ナグサの心には、トリニティでの小さな成功と自己肯定感の芽が育ち、ナギサの心には、ナグサの笑顔への喜びと、彼女が背負った過去への静かな憐れみが寄り添う。トリニティの夜は、二人の穏やかな会話に包まれ、希望の光を静かに灯した。