桐藤ナギサと御稜ナグサの姉妹ごっこ   作:あばなたらたやた

7 / 17
7話

 

 ハスミとナグサはコーヒー缶を買って、ベンチで休む。

 トリニティ総合学園の広場は、謝肉祭の準備でさらに活気づいていた。色とりどりの布が風に揺れ、生徒たちの笑い声が石畳に響き合い、まるで聖堂の賛美歌のような調和を生み出している。だが、御稜ナグサの心には、別の旋律が流れていた。

 

 百鬼夜行の記憶。あの場所の自由は、トリニティの秩序とはあまりにも異なり、ナグサの胸に複雑な波を立てる。

 百鬼夜行。その自由は、まるで夜の闇に解き放たれた妖怪の咆哮のようだった。誰もが好き勝手に暴れ、笑い、時にはぶつかり合う。暴れるのも、それを取り締まるのも、すべてが各自の選択だった。

 

 百花繚乱紛争調停委員会で、ナグサはアヤメと共にツートップとしてその混沌を収める役割を担っていた。だが、秩序を守る側はいつも怒っていた。ナグサとアヤメがどんなに奔走しても、暴れる者たちは笑い、ルールを嘲笑う。その自由は、確かに輝いていたが、どこか無責任で、弱い者を置き去りにする冷たさもあった。

 あの自由は、本当に自由だったのだろうか。

 

「ナグサさん、飾り付けチームの様子見てきてもらえますか?」

 

 ハスミの声が、ナグサの回想を現実に引き戻す。羽川ハスミ、正義実現委員会の柱。2年生とは思えない堂々とした佇まいと、姉のような温もりを併せ持つ彼女は、広場の中央で生徒たちをまとめている。

 ナグサはコーヒー缶を手にベンチから立ち上がり、軽く頷く。

 

「うん、分かった。ハスミさん」

 

 ナグサの声は静かで丁寧だが、どこか遠慮がちだ。ハスミの「先輩」としての振る舞いは、3年生のナグサにとって、微かな嫉妬の棘を刺す。百花繚乱では、ナグサとアヤメがツートップとして全てを仕切っていた。なのに、トリニティでは、2年生のハスミに導かれる自分がいる。

 

 この逆転が、ナグサの心に小さな自己嫌悪を芽生えさせる。自分はもっと強く、完璧でいなければいけないのに。

 ハスミはナグサの硬い表情に気づき、軽く笑う。

 

「ナグサさん、なんかまた難しい顔していますね。コーヒー、嫌いでしたか?」

「え、いえ、そんなことない。ただ、ちょっと……昔のことを思い出してて」

 

 ナグサは慌てて手を振るが、言葉の端に本音が漏れる。ハスミはコーヒー缶を手に、ナグサの隣に並んで歩き始める。

 

「昔って、百鬼夜行ですか。どんなところだったか聞いても?」

 

 ハスミの声は穏やかで、まるでナグサの心をそっと開く鍵のようだ。ナグサは一瞬、言葉に詰まり、コーヒー缶を見つめる。

 

「……百鬼夜行は、自由でした。誰もが自分のやりたいように動いて、暴れるのも、止めるのも、全部自分次第。アヤメと私が、紛争調停委員会でなんとかまとめようとしてたけど……暴れる子たちは、いつも笑ってた。秩序を守る私たちが怒っても、ただ笑うんです」

 

 ナグサの声には、懐かしさと、しかしどこか苦い響きが混じる。彼女は続ける。

 

「でも、その自由って、なんか……無責任だった気がする。弱い子たちは、いつも置き去りだった。私、完璧な副委員長を演じて、みんなを守ろうとしたけど……本当の自分は、どこにも出せなかった」

 

 その言葉に、ハスミは静かに頷く。彼女は広場の飾り付けチームの様子をちらりと見やり、ゆっくりと口を開く。

 

「トリニティも完璧じゃない。派閥争いとか、いじめとか……きれいな校舎の裏で、いろんなことが起きてる。正義実現委員会として、そういうのをなんとかしたいって、いつも思っていますが……どうにもね」

 

 ハスミの声には、普段の明るさとは異なる重みが宿る。ナグサは彼女の横顔を見つめ、思う。トリニティの秩序は、百鬼夜行の自由とは正反対だ。だが、その秩序の中にも、確かに闇がある。

 

「でも、ナグサさん」

 

 ハスミは立ち止まり、広場を見渡す。そこには、派閥を超えて飾り付けに励む生徒たちの姿がある。ティーパーティーの子も、補習授業部も、ただ笑い合いながら布を結んでいる。ハスミの瞳には、その光景がまるで宝物のように映る。

 

「こんな風に、謝肉祭でみんなが一つになるのを見ると、トリニティも悪くないなって思うんです。派閥とか、争いとか、全部忘れて、ただ笑顔でいられる瞬間が、私は好きです」

 

 その言葉に、ナグサの心が小さく揺れる。百鬼夜行の自由は、確かに輝いていた。だが、暴れる者たちの笑顔は、いつも誰かを傷つけていた。トリニティのこの光景は、違う。誰もが自分の役割を果たし、助け合いながら、同じ目標に向かっている。ナグサはコーヒー缶を握りしめ、呟く。

 

「……ハスミさん、トリニティは、ほんと不思議な場所。ここなら、自分を偽らなくてもいいのかも」

 

 ハスミはにっこりと笑い、ナグサの肩を軽く叩く。

 

「ナグサさん、そのままでいいと想いますよ。今のトリニティは、ナグサさんがナグサさんでいられる場所だから」

 

 風に揺れる飾り布、生徒たちの笑い声、石畳に響く足音。それらが織りなす光景は、まるで聖堂のステンドグラスに差し込む光のように、厳かで温かい。御稜ナグサは、羽川ハスミの背中を追いかけながら、広場の喧騒を眺めていた。

 

 百鬼夜行の混沌とトリニティの秩序の間で揺れていた彼女の心は、ほんの少しずつ、この場所に根を下ろし始めている。だが、胸の奥にはまだ、微かなざわめきが残っていた。

 

 飾り付けチームのフォローを終え、二人は再び広場のベンチに腰を下ろす。ナグサは手に持ったコーヒー缶の冷たさを感じながら、ハスミの横顔を見つめる。

 

 ハスミの笑顔は、トリニティの秩序を体現しているようだ。だが、その笑顔の裏に、どんな重みを背負っているのか、ナグサはふと思う。百鬼夜行では、誰もが自分の弱さを隠さずぶつけ合っていた。それは結果的に強い者へ責任が集中することになった。だが、トリニティでは、皆が「正しい自分」を演じているように見える。

 ハスミも、そうなのだろうか。

 

「ハスミさん……正義実現委員会やっていて辛いこと、ある?」

 

 ナグサの声は静かで、どこかためらいがちだ。彼女自身、百花繚乱紛争調停委員会でアヤメと共に奔走した日々を思い出す。

 

 あの混沌の中で、暴れる者たちの笑顔と、秩序を守る自分たちの怒りが交錯していた。ハスミもまた、トリニティの正義を背負う中で、何かを抱えているのではないか。

 ハスミはコーヒー缶を手に、軽く目を細める。彼女の視線は、広場の喧騒を越えて、どこか遠くに漂っている。

 

「辛いこと……あります。ナグサも、百鬼夜行でいろいろあったでしょう?」

 

 ナグサは小さく頷き、コーヒー缶を握りしめる。ハスミは一瞬、沈黙した後、ゆっくりと口を開く。

 

「エデン条約のこと、知っていますか?」

 

 ナグサの瞳が、わずかに揺れる。エデン条約。トリニティとゲヘナ学園の間に結ばれた協定。表向きは両学園の平和と共存を目的としたものだが、その裏には複雑な思惑と犠牲が絡み合っていた。ナグサは、百鬼夜行の噂話でその名を聞いたことがある。だが、詳細を知るのは初めてだ。

 

「エデン条約は、トリニティとゲヘナが手を取り合うための協定だった。けど、実際は……派閥争いとか、権力争いとか、そういうものを隠すための道具だったんだ」

 

 ハスミの声には、普段の明るさが消え、静かな重みが宿る。彼女はコーヒー缶を手に、言葉を続ける。

 

「条約のために、いろんな人が傷ついた。トリニティの生徒も、ゲヘナの生徒も。それぞれの思惑に振り回されて、仲間同士で疑い合ったり、犠牲になった子たちもいた。正義実現委員会は、秩序を守るために動いたけど……結局、傷ついた子たちを救えなかった」

 

 ハスミの瞳には、微かな痛みが映る。ナグサは息を呑む。百鬼夜行の自由は、確かに無責任だった。暴れる者たちは笑い、弱い者は置き去りにされた。だが、トリニティの秩序もまた、誰かを傷つけていた。

 ナグサは思う。自分はあの混沌の中で、完璧な副委員長を演じていた。ハスミもまた、トリニティの正義を背負いながら、無力感に苛まれていたのではないか。

 

「ハスミ先輩……その時、辛かったですか?」

 

 ナグサの声は、まるで壊れ物を扱うように慎重だ。ハスミは苦笑し、コーヒー缶を軽く振る。

 

「ええ、辛かった。だって、個人じゃ何もできなかったから。正義実現委員会の羽川ハスミとして動いても、大きな流れを変えることはできなかった。傷ついた子たちの涙を見て、ただ立ち尽くすしかなかった」

 

 ハスミの言葉は、まるでナグサの心に静かに刺さる。ナグサは思い出す。百鬼夜行で、アヤメと共に紛争を調停した日々。暴れる者たちの笑顔を抑えるために、彼女はいつも「強いナグサ」を演じていた。だが、その裏で、弱い者たちの涙を見ても、何も変えられなかった。あの自由は、確かに輝いていたが、誰もが自分の選択に責任を持たない冷たさがあった。

 

「でもね、ナグサ」

 

 ハスミは広場を見渡し、声を少し明るくする。そこには、派閥を超えて飾り付けに励む生徒たちの姿がある。ティーパーティーの子も、補習授業部も、ただ笑い合いながら謝肉祭の準備を進めている。

 

「こんな風に、みんなが一つになる瞬間を見ると、トリニティも捨てたもんじゃないって思う。何かを変えるには、個人じゃ無理だよ。組織の力が必要なんだ。正義実現委員会も、こうやってみんなで動くから、意味がある」

 

 ハスミの言葉に、ナグサの心が小さく揺れる。百鬼夜行の自由は、個々の選択に委ねられていた。だが、その自由は、弱い者を守る力にはならなかった。トリニティの秩序は、確かに傷を生むこともある。だが、こうやって皆が一つの目標に向かって動く姿は、百鬼夜行にはなかった力だ。

 

 ハスミの話——エデン条約と、それによる傷ついた人々、個人では変えられなかった無力感——は、ナグサの心に深く響いていた。百鬼夜行では、ナグサはアヤメと共に紛争を調停し、暴れる者たちの笑顔と弱い者たちの涙を見てきた。

 トリニティの秩序も、百鬼夜行の自由も、どちらも完璧ではない。だが、ハスミの言葉には、どこか希望の光があった。

 

「ハスミさん……正義実現委員会って、いつもどうやって進むべきか決めてるんですか?」

 

 ナグサの声は静かで、まるで自分の心を探るように慎重だ。彼女は百花繚乱紛争調停委員会での日々を思い出す。アヤメと二人、ツートップとして奔走したが、ナグサはいつもアヤメに頼り、彼女の決断に身を委ねていた。あの自由な混沌の中で、考えることを放棄していた自分に、ナグサは今、気づき始めていた。

 

 ハスミはコーヒー缶を手に、広場の喧騒を見渡す。彼女の瞳には、トリニティの光景が映り、しかしどこか遠くを見るような深さがある。

 

「正義実現委員会は、いつも考えることから始まります。ナグサさん、考え続けることって、本当に大事だと思いませんか?」

 

 ハスミの声は穏やかだが、力強い。ナグサは少し驚いたように彼女を見つめる。ハスミは言葉を続ける。

 

「エデン条約の時も、考え続けました。何が正しいのか、どうすれば傷つく人を減らせるのか。でも、個人で考えるだけじゃ、限界がある。トリニティの派閥争いとか、いじめとか、大きな問題を前にすると、個人じゃどうにもならない。だからって、誰かに全部任せるのも怖い」

「怖い……?」

 

 ナグサの声に、わずかな揺れが混じる。ハスミは小さく頷き、コーヒー缶を軽く振る。

 

「はい。他者に依存する怖さ、とでもいいましょうか。誰かに決断を委ねて、ただ従うだけだと、自分の正義を見失う。エデン条約の時、上に立つ者の思惑に流された人たちが、たくさん傷ついた。正義実現委員会も、組織として動くから力があるけど、誰か一人に依存しちゃうと、間違った方向に進むかもしれない。だから、考え続ける。自分の頭で、自分の心で」

 

 ハスミの言葉は、まるでナグサの心の奥に刺さる。彼女は百鬼夜行の日々を思い出す。アヤメと二人、紛争調停委員会で奔走していた。

 ナグサはいつもアヤメに頼っていた。アヤメの明るさ、決断力、揺るぎない正義感に。彼女の影に隠れ、ナグサは自分の弱さや迷いを押し殺していた。あの自由は、確かに輝いていた。だが、ナグサにとっては、考えることを放棄し、アヤメに依存する逃げ道でもあった。

 

「……ハスミさん、わかります」

 

 ナグサの声は、静かだが、どこか強い響きを持つ。彼女はコーヒー缶を握りしめ、続ける。

 

「百鬼夜行で、私らアヤメに頼りすぎてた。アヤメが決めて、アヤメが動いて……私はただ、完璧な副委員長を演じてただけ。自分の正義なんて、考えてなかったかもしれない」

 

 その告白に、ハスミの瞳が柔らかく揺れる。彼女はナグサの肩にそっと手を置き、微笑む。

 

「ナグサさん、それに気づけたなら、十分です。トリニティは、ナグサが自分で考えられる場所だから。ほら、謝肉祭だって、みんなが自分の役割を考えて動いてる。それが、トリニティの力。ゲヘナとは違う、団結した時の強さ」

 

 広場では、生徒たちが笑い合いながら飾り付けを進めている。ティーパーティーの子も、補習授業部も、派閥を超えて一つの目標に向かっている。ナグサはその光景を見つめ、思う。百鬼夜行の自由は、個々の選択に委ねられていた。

 

 だが、その自由は、弱い者を置き去りにし、ナグサをアヤメへの依存に縛った。トリニティの秩序は、時に傷を生む。だが、こうやって皆が考え、助け合う姿は、ナグサに新しい力を与えてくれる。

 

「ハスミさん……トリニティで、ちゃんと自分の正義を考えたいです」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。