桐藤ナギサと御稜ナグサの姉妹ごっこ   作:あばなたらたやた

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9話

 

 トリニティ総合学園の図書室は、夕暮れの光に静かに沈んでいた。

 白亜の校舎を抜ける陽光が、ステンドグラスの断片を床に落とし、ナグサの足元に淡い色を散らす。

 

 御稜ナグサは、桐藤ナギサのロールケーキに宿る情熱を理解したくて、書架の間に身を滑らせた。

 彼女の手には、ナギサのスケッチブックから借りた一枚の絵。

 

 そこには、苺の赤が鮮やかに、クリームの白が柔らかく、スポンジの黄が温かく描かれていた。ナグサは思う。

 

(ナギサ姉さんの心は、この絵のどこに隠れているのだろう)

 

 百鬼夜行では、ナグサはアヤメの影で完璧を演じていた。紛争調停委員会の副委員長として、欲望と混沌の間で自分の「好き」を見つめる余裕はなかった。だが、トリニティの秩序と謝肉祭の光の中で、ナギサのロールケーキは彼女に新しい問いを投げかける。好きなものを追いかける自由とは何か。

 

 ナグサは、その答えを求めて本を開いた。

 

 図書室の奥、埃っぽい製菓の歴史書が彼女を待っていた。ロールケーキは、単なる菓子ではない。17世紀のヨーロッパ、修道院で生まれた簡素な菓子が、時代と共に色と味を重ね、物語を紡いできた。

 

 スイスのロールは華やかで、フランスのブッシュ・ド・ノエルは冬の祭りを祝う。キヴォトスの謝肉祭でも、屋台のロールケーキは人々の笑顔を繋ぐ。

 ナグサはメモに書き留める。

 

「シンプルな材料が、巻くことで完成する。層の重なりが、作り手の心を映す」

 

 ナギサの絵も、そうだ。シンプルな線と色が、彼女の内面を層のように重ねている。さらに調べを進めると、ナグサは一つの記事に目を留めた。キヴォトスの古い菓子職人の言葉。「ロールケーキは、誰かのために作るもの。甘さは、記憶を呼び戻す」。

 

 ナグサは思い出す。ナギサが控室で言った言葉。

 

「ロールケーキは、作る人の心がそのまま出る。だから、みんなに私の気持ちを伝えたいなって」

 

 ナギサの個展は、謝肉祭の喧騒を絵で留め、誰かの心に届ける試みだ。ナグサの胸に、微かな熱が生まれる。ナギサの情熱は、ただの絵ではない。彼女の記憶、彼女の愛を、甘やかな形で共有することなのだ。

 

 図書室を出て、ナグサは謝肉祭の広場へ足を向けた。

 夕暮れの光に照らされた屋台では、子どもたちがロールケーキを手に笑い合う。ナグサは一軒の屋台で、苺とクリームの小さなロールケーキを買った。ナギサの絵にそっくりなその菓子を口にすると、ふわりとした甘さが広がり、彼女は目を細めた。

 

「ナギサ姉さんの絵、こんな味……なんだ」

 

 その瞬間、ナグサは感じた。

 ナギサのロールケーキは、謝肉祭の光、トリニティの秩序、誰かの笑顔を繋ぐものだ。

 部屋に戻ると、ナギサはキャンバスに向かい、新しいロールケーキを描いていた。抹茶の緑が、静かな筆致で息づいている。

 

「ナグサさん、お帰りなさい。どうでした?」

 

 ナギサの声は、紅茶の香りのように柔らかく、期待を帯びていた。

 

 百鬼夜行の混沌で自分の「好き」を見失っていたナグサにとって、ナギサの情熱はトリニティの光そのものだった。彼女はナギサを知るために、図書室でロールケーキの歴史を調べ、謝肉祭の屋台でその味を確かる。

 ロールケーキは、シンプルな材料が丁寧に巻かれ、作り手の心を伝えるものだと、ナグサは結論づけた。

 

「ナギサ姉さん、ロールケーキって、ただの菓子じゃない。層に心が込められてて、謝肉祭の笑顔や思い出を繋ぐんだ。姉さんの絵、すごいよ。姉さんの心が、ちゃんと伝わってくる」

 

 ナギサはキャンバスに向かっていた手を止め、ナグサを振り返った。その瞳は一瞬驚きに揺れ、やがてくすりと笑いがこぼれた。

 

「ふふ、ナグサさん、ちょっと待って。そんな大層なこと、考えてたの?」

 

 彼女の声は、紅茶の香りのように柔らかく、しかしどこか茶目っ気を帯びていた。

 

「ロールケーキが単純に好きだから描いてるだけです。甘くて、ふわっとした感じが、なんだか幸せで。それだけです」

 

 ナグサは目を丸くした。図書室の古い本、屋台の甘い香り、彼女が重ねた思いが、ナギサのシンプルな「好き」に軽く弾かれた気がした。

 

 だが、ナギサの笑顔には悪意はない。そこには、トリニティの夕暮れのような、純粋で温かな光があった。

 

「ナグサさん、深読みしすぎていすね。ロールケーキは、難しいこと考えず、ただ楽しめばいいの。ね、食べてみますか?」

 

 ナギサはスケッチブックの脇に置いた小さな包みを開け、苺のロールケーキを差し出した。

 ナグサは少し頬を赤らめ、ケーキを受け取った。ひと口かじると、ふわりとした甘さが広がり、彼女の肩から力が抜けた。

 

「……確かに、ただ美味しい」

 

 ナグサの呟きに、ナギサはまた笑う。

 

「ふふ、でも、ナグサさんがそんな風に考えてくれて、ちょっと嬉しいですね。私の絵をちゃんと見ててくれているのですから」

 

 ナグサの胸に、微かな照れと温かさが混じる。百鬼夜行では、アヤメの影で自分の心を見失っていた。だが、トリニティで、ナギサのシンプルな「好き」は、ナグサに新しい自由を教えてくれる。ロールケーキは、深読みも、単純な喜びも、どちらも受け止める。ナギサの笑顔は、その両方を優しく包むのだ。

 

「ナギサ姉さん、次は一緒に出店でつくるロールケーキ、食べに行こう」

 

 ナグサの声には、初めての軽やかさが宿る。ナギサは目を細め、頷いた。

 

「いいですね。ナグサさん。謝肉祭の広場で、美味しいの探しましょう」

 

 夕暮れの控室に、二人の笑い声が小さく響いた。ステンドグラスの虹が、ロールケーキの甘さとナギサの心に、そっと寄り添っていた。

 

 

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