それでも僕は生きているー死と化物が跋扈する世界でー 作:抹茶露
暗闇の中、結城 燈は意識が水面に浮かぶように漂う感覚を味わっていた。
独りきり、静かなプールの底にいるような、そんな曖昧な浮遊感の中で、ゆっくりと身を起こす。
不思議と痛みはなかった。だが、こんな真っ暗な空間にいた覚えもない。
まるで記憶が霧の中に沈んでいるようで、意識があったときのことを手探りで辿ろうとする。
(たしか、日向 陽を助けに行って……そのときに重傷を負って、何とかダンジョンの外まで出た。けど――)
そこで記憶が途切れている。ということは、やはり――。
「死んじゃったのか、ボク」
ぽつりと落とした言葉は、どこにも届かず、ただ沈黙に呑まれていった。
天国に行けるほど善人だった覚えもないが、地獄と呼ぶにはあまりに何もない。
昨日のあの光景よりは、よほど静かで、冷たい。
(せめて……両親のいる場所くらい、サービスで連れてってくれてもよかったのに)
そんな独り言を胸にしまいながら、身体を起こす。
足元はまだ水の中のような錯覚が残っていたが、手をついた先は思いのほか冷たく、硬い。石とも金属ともつかない感触だったが、それに支えられ、ようやく体を起こすことができた。
改めて周囲に見渡すも、一面真っ暗だ。目印もない。だがーー
(……時間は嫌ってほどあるから、少し歩いてみよう)
手がかりも、終わりも見えない、黒一色の世界。
それでも彼女は、かすかな希望を追うように、一歩を踏み出した。
どれくらい歩いただろうか。
あてになるかわからないが、頭の中で数えた秒は三千を超えていた。
単純計算で、およそ五十分。それだけの時間を、ひたすら前へ、ただ前へと歩いていたことになる。なのに変化一つもない。
普通ならとっくに足が棒になり、どこかに座り込んでいた時間だ。
それなのに、息も上がらなければ、筋肉の痛みもない。
疲れを感じないというより、疲れるという機能そのものが欠けてしまったような、そんな不気味さがあったが秒数を数えるだけの行進も、そろそろ限界だった。
(これが死後の世界の順番待ちってやつなら、せめて地獄の罰でも与えるか、走馬灯のひとつでも見せてほしい)
そう考えた瞬間、ばかばかしくなって頭を振る。
走馬灯なんて見るまでもない。十二歳まではそこそこ幸せだった。けれど、それ以降は毎日が地獄の日々だったが、それ故に幼少期の記憶なんて見せられても、ただの羞恥プレイだ。
そんなものを見せられたら最後自分で自分に嫌がらせか、と心の中で毒づきたくなる。
とはいえ、退屈には変わりない。そろそろ何か――そんな他愛ない思考が頭をよぎった瞬間、ブク、ブク、と。背後から、何かが水をかき混ぜるような音が響いた。
「……!?」
とっさに振り返ると、自分が歩いてきたはずの“何もない空間”に、赤い気泡が立ち昇っていた。
次々と湧き上がる泡は、互いに絡み合いながら膨らみ、輪郭を形成し――
次の瞬間、パァン、と音もなくすべてが一斉に弾けた。
(なにが……!?)
とっさに身構え、腰に提げていたはずの小槌に手を伸ばす。
だが、そこには何もなかった。
空を切る感触と同時に。
(……ああ、そっか。死んだんだったな)
と乾いた独り言が漏れる。
だが次の瞬間、泡の弾けた先にいた“それ”の姿に、燈は目を見開いた。
緑色の肌、小柄で醜悪な顔立ち。ゴブリンだった。
だがその身体は、まるで今まさに死んだばかりのように、無数の穴が空いていた。
赤黒い血がそこから滴り落ちている。それでも、こちらに目もくれず、ふらふらとどこかへ歩き始めた。
(どうなってる?)
死後の世界だとは仮定していた。それの裏付けを取れたといっても間違いはない。
だけど、出てくるのが、あの地獄で合間見た化物とは想像もつかなった。
(ここは……どこなんだ?)
そう思った矢先、また別の場所から――ブクブク、と赤い気泡が立ち上る。
一つ、二つ、三つ。やがては自分の目の前、いや、四方八方から湧き出すように膨れ上がる。気泡が弾けるたび、血に濡れ、傷だらけの化物が姿を現した。
どの個体も、明らかに致命傷を負っている。それでも誰一人、燈には目もくれず、まるで何かに導かれるように歩き出していく。
(何を、目指してる?)
正直、ここまで何の手がかりもなかった。
だが今、何かの“目的地”に向かっているかのような彼らが現れたのなら――
それを追うことは、唯一の糸口かもしれない。そう思った瞬間だった。
ゾクリと、背筋を氷の指先でなぞられるような感覚が走り、反射的に振り返る。
天を仰ぐが、誰もいない。何もない。だが――“見られている”。
空間そのものに意志があり、逃がすまいと睨みつけているかのような錯覚に囚われているようにも感じてしまう。
試しに、彼らとは反対方向へ一歩踏み出してみるが、その瞬間、背中を貫くような悪寒が強まった。
(――行くな、か)
まるで、そんな行動は“許さない”と告げられているようで、舌打ちをひとつ。
「……蛇が出るか、鬼が出るか」
行けというのなら、行ってやろうじゃないか。
覚悟を決めて死した化物たちの最後尾へと、結城燈は静かに歩みを重ねた。
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歩を進めるたびに、死体の数は増えていった。試しに数を数えてみたが、百を超えた時点で気が滅入り、数えるのをやめた。それでも、数は増え続ける。
ゴブリンやカマキリのような化物以外にも、首と胴が切り離されたまま呼吸するかのように肩を揺らすデュラハン。
成人男性の数倍はある巨体に、両肩からもう一対の腕が生えている異形。
そして、顔が三つ並んだまま地面を這うように進む、怒りを宿した神像めいたゴリラ型の生物――。
どれもが、同じ方向へ向かっている。まるで祈りを捧げる聖者の行進のように、ただ黙々と進んでいた。だが突然、一斉に化物たちが足を止めた。
次の瞬間、何かに縋るように、祈るように、化物たちはその場で身体を伏せる。
そして青白い光が、天から降りてきた。
(……まぶしい)
思わず手をかざすと、光はゆっくりと降下してくる。
やがて光量が和らぎ、空から現れた“それ”の姿を目にしたとき、目を疑った。
(震度鍵……?)
間違いない。昨日、自分が手にしたものと同じ、菱形の構造物。
だが、あまりにも巨大すぎた。
高層ビルをも凌ぐその巨体。こんな場所に、どうして震度鍵が? いや、これは本当に同じものなのか?
考えるより早く、化物たちが体を起こし、次々にその“震度鍵”に手を伸ばし始めた。
触れた瞬間、彼らの身体が青白い粒子へと変換され、鍵の中へと吸い込まれていく。
(なんだ、何が起きている!?)
ただ茫然と、その異様な光景を見つめるなか、一匹、また一匹と、光の粒になって消えていく。
そして最後の一体が取り込まれた時、ボクの体が、勝手に動き出した。
進行方向は、馬鹿でかい震度鍵という事は嫌でも理解できた。
(マズい……取り込まれる!)
焦りと恐怖が混じる中、必死に体の主導権を奪い返そうとする。
だが、手足はまるで自分のものでないように震度鍵へと近づき、ゆっくりと手が伸び、そして
――ガシリ。
突然、何かがボクの手首を掴んだ。驚きに目を見開いた瞬間、男の声が耳に届いた。
「こいつは違うぜ、マスター。混ざりもんだ」
(だれ、だ?)
敵意は感じられない。助けられた――そう理解するより早く、疑問が浮かんだ。
(マスター? ということは……この存在は、従者?)
その瞬間、震度鍵が青白く点滅する。まるで、目の前の存在と会話しているように。
「どうして、こんなもんが来たかって? 知らねぇよ。お得意の解析でもしてみたらどうだ?」
応じるように、震度鍵から光の触手が伸びてきた。
(ち、近寄るな……!)
拒絶の意志を強く抱いた瞬間、触れた頬から“ヴィー! ヴィー!”と、赤黒い警告光と警報音が鳴り響く。
驚きで目を白黒させる間に、震度鍵がまるで異物を排除するかのように激しく光を放ち始めた。
やがて、目を開けていられないほどの閃光に包まれ――ボクは目を閉じた。
「もう二度とくんなよ。ここは、本来人間が来るところじゃねぇからな」
その言葉を最後に、ボクの意識は途切れた。
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光が落ち着いたころ、ゆっくりと目を開けた。視界が、ぼやけている。
天井。揺れる蛍光灯。コンクリートの壁。乾いた空気と、消毒液のような臭い。
……現実、なのか?。
「嘘だろ? 成功、した……?」
驚愕の色を隠せない男性の声が聞こえる。どこかで、聞いたことがあるような……。
けれど、何も思い出せない。ただ、何かが“変わった”ことだけは確信できた。
そんな中、誰かの顔が覗き込む。見覚えのある、皮肉めいた笑み。
「よぉ、サバイバー。ちっとばかり長い休息だったみたいだが、気分はどうだ?」
言葉の意味をゆっくりと噛み砕きながら、口を開く。
「……最悪の気分です」
それを聞いた教官は、ニィ、と唇の端をつり上げて笑った。
その笑みは、どこか嬉しそうで――そして少しだけ、安堵しているようにも見えた。
ここまで読了いただきありがとうございます。
読了していただいてる方に大変申し訳ございませんが
現在「それでも僕は生きている」の話のストックが無くなりました。
そのため、大変心苦しい思いではございますが、1日2更新を1日1更新もしくは2日に1更新にしたいと思っておりますので、ご了承のほど、よろしくお願いいたします。
投稿時間は毎朝8時に投稿できるよう努力いたしますので引き続き宜しくお願い致します。