それでも僕は生きているー死と化物が跋扈する世界でー   作:抹茶露

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第十八話「目覚めたイノチ」

 

「それで、調子はどうだい?」

 起きてからしばらく経ったころ、見慣れない白衣姿の男が声をかけてきた。顔には深い皺、いかにも気苦労の多そうな男だ。

 

「……あなたは?」

 きっと初対面のはずだ。周囲を見渡すと、無機質なコンクリートの壁に囲まれた、どこか薄暗い部屋。天井の蛍光灯がゆらゆらと頼りなく揺れている。

 見覚えのないこの場所で、彼だけが場違いなほどに馴染んでいるように見えた。

 

「ああ、顔を合わせるのは初めてだったかな。俺は九条 治。資源回収課の所属だ。普段は現場を回ったり、探検家の数をここで計測して――」

「ったく、先生は話が長ったらしくてつまらねぇな。雑用係って言えばいいだろうが」

 皮肉めいた声が割り込む。その声に、初日に見かけた眉間に深い皺を刻んだ男の顔が脳裏をよぎる。

 

「ま、それとこいつは医者でもある。お前が助かったのも、実のところコイツのおかげだ」

 なるほど。記憶の中の誰かとようやく結びついたのか、自然と「ああ」と声が漏れた。

 

「まったく、言い方が雑だな、氷室。それよりも――調子はどうだい?」

 軍服の女性の名前は氷室というのか、と、どうでもいいことが頭に浮かぶ。だがその問いに、彼女は素直に応じようとした。

 

「ああ、多分、問題は――」

 そう言いながら、寝かされていたベッドから体を起こそうとする。

 片手をクッションの上に置き、体重をかけた瞬間――

 

 グシャッ

 鈍く、湿ったような音が手元から響いた。

 

「……ん?」

「……は?」

「なっ――!」

 三者三様、微妙にずれた反応が交錯した。

 だが、違和感はすぐに確信へと変わる。

 

 たしかに手を伸ばしたものはクッションだったが、今視線を向けた先にあったものはクッションではなく柔らかく、だらしなく潰れる、どこか有機的な感触のモノへとなり果てていた。

 ボクの手は、その奇妙な塊の中心に深く埋まっている。

 混乱に目を白黒させるボクを前に、九条が慌てて口を開いた。

 

「も、もしかしたら、古くなっていたのかもしれない……。まさか、そこまで脆くなってるとは……す、すまないね」

 しどろもどろになりながら言い訳を並べる九条。

 一方、氷室はというと、「おいおい……」と言いたげな表情でそっぽを向いている。

 

「と、とりあえず水でも飲もうか。喉、乾いただろう?」

 九条が気まずそうに水差しを取り、グラスに水を注ぎ差し出す。

 だが、それを握った瞬間――

 

 パリンッ

 今度は陶器のコップが乾いた音を立てて、ボクの手の中で砕け、なみなみと注がれていた水が、患者着をビシャビシャに濡らす。

 目を落とせば、粉々になった陶器の破片が掌に残っていた。

 ……にもかかわらず、血の一滴も、傷ひとつも、どこにもない。

 いや、破片は確かに鋭利で、皮膚を切っていてもおかしくない。

 それでも手は、何事もなかったように平然としていた。

 

 ――ここまでくれば、偶然という言葉では片付けられない。

 

 目覚めた時から続く妙な感覚。

 思い出せない記憶の隙間。

 そして、あの真っ暗闇で耳にした、「混ざりモノ」という一言。

 それら全てが、じわじわと疑念を積み上げ、ついに言葉となって口をついた。

 

「ボクに……何をしたんですか?」

 声は震えていた。

 恐怖と不信と、自分自身が何者かもわからない焦燥に揺れながら、

 それでもはっきりと、二人に向けて、問いかけた。

 

「――――はぁっ。お前、ここに戻ってくる前のこと、どこまで覚えてる?」

 氷室は観念したように深くため息をつき、一度だけこちらに視線を寄越す。

 

「……日向 陽を連れ出したところ、までは」

「助け出した、のまでは覚えてるか。まぁ、それならいい」

 氷室は言葉を切り、わずかに表情を曇らせる。

 

「本命は“お嬢様”の救出だった。だが――お前を回収した時点で、もう仏様寸前だったんだよ。まともに喋れる状態ですらなかった」

 言葉を聞くうちに、断片的に記憶が蘇ってくる。

 たしかに陽に拳銃を握らせた。送り出し、自分は倒れ伏したのだ。

 

(たしかに、あの出血量なら、生きてるのが奇跡、か)

 胸の奥で小さく納得する一方で、再度どうして生きているのかという疑問が、再び膨らみはじめる。

 

「正直、助かる見込みはなかった。九条が手術してくれたが、それでも限界だった」

 続く言葉に、思わず氷室の表情を探る。だが彼女は目を逸らすように、肩をすくめて言った。

 

「もしお前さんを見殺しにしたら、次はあのお嬢様の一言で、私らが愉快なオブジェに早変わりだ。だから――」

「――だから俺が打った。まだ実験段階の薬を、氷室に頼まれてな」

 不意に九条が口を挟む。

 俯きがちなまま、だがはっきりとした声で続けた。

 

「最初は断った。だが最後に決めたのは俺自身だ。……恨んでくれて構わない」

 沈黙が落ちる。

 その言葉があまりにも静かで、嘘偽りのない内容だが内容が重かったからボクは、すぐに何も言い返せなかった。

 言いたいことも、命を救ってくれたことも、理解はできる。

 そうしなければ今度は彼女たち二人が言ったように、死体という名の愉快なオブジェにされかねなかった。

 

 それは以前、氷室が口にしていたことと重なる。

 政治家たちの“目”も“口”も“手”も、日向 陽の一存で動いてしまう。

 それが、この世界の理不尽な現実だった。

 

(――だから、受け入れろと?)

 その思考が、胸の奥で重く、鈍く、モヤモヤと渦を巻く。

 たしかに、今の――ほんの無意識の行動でさえ、物を砕くほどの威力があった。

 

 もしもこのまま、感情のままに拳を振るったら?

 ここにいる誰かを傷つけるなんて、火を見るより明らかだった。

 だけど、それでも――

 

「少し。……少しだけ、心の整理をさせてください。暴れたりは、しません」

 そう口にすると、氷室は黙ってこちらを見たのち、短く応じた。

 

「……あぁ、分かった。おい、出るぞ、ドクター」

「何かあれば、声を掛けてくれ。この先の扉の奥が、俺の仕事場だからな」

 ふたりは静かに部屋を出ていく。

 バタン、と扉が閉じる音がしたが――鍵のかかる音はしなかった。

 

 きっと、今の言葉を信用してくれたのだろう。

 まだ手のひらに、陶器の破片が残っている。

 光にかざせば、鋭い欠片の縁が蛍光灯の光を冷たく弾いた。

 ためしにもう一度握るが手のひらに傷はない。それどころか砕けた破片は細かな粒子となって指の隙間から落ちていった。

 何ともないはず、それなのに、胸の奥が――妙に、痛い。

 

 

「……なんでボク、生きてるんだろう?」

 生きてても、帰りを待つ人なんて、もう居ないのに

 小さく呟いた言葉のあと、頬を一筋の涙が、静かに伝っていった。

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