それでも僕は生きているー死と化物が跋扈する世界でー 作:抹茶露
感情の爆発は、やがて大きな疲労に取って代わった。
衣服のところどころに血が滲み、誰もいない静寂の中、体中が叫ぶように痛みを訴えている。
「……帰らなくちゃ」
夜になる前には──そう思って、立ち上がる。全身が激痛に襲われるが、帰路への歩みを止めなかった。
けれど、その小さなつぶやきは風にさらわれ、すぐに消えた。
日が沈みきる前に、役所へとたどり着く。
既に全身は悲鳴を上げ、休息を求めていたが、それよりも先に“報告”を済ませなければならなかった。
何も聞かされては居ないが、きっとあるであろうまだ見ぬペナルティの方が、よほど恐ろしかった。
役所内には既に、他の探検家たちの姿がちらほらと見える。
誰も彼もボクとは違い、しっかりと磨かれた武器と防具を身にまとい、疲れ一つ浮かべずに談笑をしていた。
だが、それどれもが血と埃にまみれたボクを一瞥し、そしてすぐに興味を失ったように視線を外す。
──運のいいルーキーが帰ってきた。
彼らにとっては、それだけの話なのだろう。
ふらふらとした足取りで資源回収課の前に立つと、無言のまま青いトレイが差し出された。
そこに、今日の収穫である小さなモンスターの鉱石を3つ、そっと置く。
「お疲れ様です」
機械のように冷めた声とともに、トレイが引っ込んだ。
その瞬間、背後から聞き慣れた声が響いた。
「おかえり、ルーキー。初日の生存、おめでとう」
振り返ると、軍服姿の教官が腕を組んで立っていた。
一回り以上大きな体躯、笑みのない顔。それでも口元だけは愉快げに歪んでいる。
「生き残って帰ってきたか、助かったよ。おかげで賭けで私の懐が潤った。ありがとな、稼がせてもらって」
その言葉に一瞬理解が出来なかったがすぐに、喉の奥が焼けるように熱くなる。
でも、怒鳴る気力すらない。
無言のまま、出てきたトレイの中身を手に取り、立ち去ろうとした瞬間──
「待て」
教官が声をかけた。
「武器は返してもらおうか。まさか、それを持ってまた潜る気じゃないだろうな」
ボロボロのクロスボウを見て、教官は鼻で笑った。
「修理費なんか、持ってない」
「気にするな。最初から壊れる寸前だった。『壊れました』って言えば、少しは可愛げがあるぞ」
そういう言葉に一つ一つが、胸に突き刺さる。
きっと心配ではない、更なる賭けのためにほんの少しだけマシな武器を与えるために取り上げる気なのだろう。
だが、それを証明する手立てを持っていない以上、唇をかみしめ、クロスボウを差し出す。
「……壊れました」
そう言い切って背を向けた瞬間、教官が冷たく言い放つ。
「ああ、そうそう。キミ含め、4人以外は全滅だったよ。次も頑張って、生き残って──また私の懐を温めておくれ。それと近くのアパートが休むところだ好きに使えよルーキー」
怒りが込み上げる。けれど、それを吐き出す余力も残っていない。拳を握りしめ、足早に役所を後にした。
***
アパート──役所の近くに用意された、文字通り“屋根だけ”の空間。
壁は薄く、隣人の寝息さえ聞こえる。窓の隙間からは、冷たい風が容赦なく入り込んでくる。
「どの部屋でもご自由にどうぞ」
そう書かれたボロボロの看板を横目に、一番近い扉を開けた。
誰もいない。備え付けの煎餅布団が敷かれているだけ。
その上に倒れ込んだ瞬間、ズボンごしに自分の肌へ硬い感触が突き刺さった。
なんだろう、と何気なしに力の入らない手で探ると、ポケットから出てきたのは──600円。
今日、自分の命で稼いだ対価。初日に稼げるはずだったルーキー達の命の値段。
「……くっ、うっ……」
誰もいない部屋で、声にならない涙がにじみ、硬い枕が濡れていくのが肌で感じる。
ぐしゃぐしゃに濡れた顔を拭うこともせず、ただ布団の中で縮こまる。
だれもいない帰り道、誰一人心配してくれない部屋。
命をかけて帰ってきた“初日”の報酬は──600円、嘲笑、そして死の報せだった。
土と血と汗の臭いが、まだ体に染みついている。
クロスボウを握っていた手には、微かな震えが残っていた。
爆発するように吠えた感情は、もうどこにもない。
ただ、冷え切った心だけが、静かにそこに横たわっていた。
その日の深夜。
ポストに「ゴトン」と何かが落ちる音が響いた。
けれど、動く気力は湧かなかった。
風がガラス窓の隙間を鳴らす。
遠くで、誰かが笑うような声がした──気がした。