それでも僕は生きているー死と化物が跋扈する世界でー 作:抹茶露
遠くでゴトン、と鈍い音が鳴った。
カーテン一つない部屋に朝の光が差し込み、意識が浮かび上がる。目を開ける。朝だ。
のそりと体を起こすと、昨日の暴力による痛みが全身を駆け巡り、意識を一層覚醒させた。
(……酷いモーニングコールだ)
忌々しい。けれど、時間は平等に流れる。
泣き腫らした目をこすりながら、備え付けのポストを開ける。
中には、ビニールに包まれた『国家栄養管理食・version3』と書かれた箱が2つ。
探検家、それもルーキーとはいえ貴重な戦力だ。くだらない理由で失うには惜しいから、こうして最低限の物資は支給されるのだろう。
箱のひとつを開けると、茶色いバーが2本、無機質に現れる。
無言のまま1本を口に運ぶ。
香りはない。味も、必要な栄養素を詰め込んだだけの、薬品と金属のような混ざり合った嫌なものだ。
しかも無理に固めたせいで岩のように硬い。噛むたびに歯が軋み、今すぐ吐き出したくなる。
(でも……孤児院にいた頃よりは、マシ……か)
思い出したくもない記憶が一瞬よぎる。
それでも、あの頃よりは少しマシだと思えるぶんだけ、マシな朝だ。
最低最悪の気分が、ほんの少しだけ持ち直す。
ガリッ、ガリッと硬い音が室内に響き、口の中で割れたバーのかけらが味もなく喉を通る。
軽く髪を手ぐしで整え、ドアを開けた。
「……行こう」
誰に向けたでもない独り言が、誰もいない部屋に落ちる。
2日目の最低最悪が、始まる。
役所の空気は、昨日と同じく乾いていた。
無機質な天井、古ぼけた椅子。報告のために並ぶ者たちの、無言の列。
その誰もが他人に目を向けず、ただ自分のことで精一杯といった様子だ。
——その中で、ひとりだけ、異質な空気を纏った人物がいた。
「あっ、昨日の生き残りだ!」
明るい声。軽やかな足取り。血の匂いのしない服。
主人公の目の前に立ったのは、一人の少女。
自分とは対照的に、どこか浮世離れしたような清潔さと無垢さを纏っていた。
髪は洗いたてのように艶やかに揺れ、ほんのりと甘い香りが漂う。
顔にも体にも怪我一つない。疲れた様子もないその姿が、逆に現実感を薄れさせていた。
「私、日向 陽あなたも昨日来たルーキーでしょ? 別の班が生きて帰ってきたって聞いて、探してたんだ」
屈託のない笑顔。
まるで別の世界から来た人間のように、澄んでいて、まぶしい。
その後ろには、初日に見かけた男女が一組。
そして、おそらく彼らの護衛であろう、ベテランと思しき探検家が立っていた。
男女は少し疲れた表情を見せていたが、ベテランだけは、こちらを値踏みするような視線を向けてくる。
「初日、怖かったよね。私たちも最初の一匹倒すのに手が震えちゃって。でも先輩がついてくれてて……あ、うちの家、元々資源課に関わりのある政治家でさ。今回の配属も一番安全なエリアにしてもらって……。あ、朝のレーション食べた? ほんっっっとにひどい味だったよねぇ」
(コネ、か……)
聞きたくなかった言葉が、耳に刺さる。
昨日、誰にも助けられず、壊れた武器を抱えて血まみれで這って帰ってきた自分。
理不尽な暴力、罵倒とも取れる言葉、無関心な役人。
そのすべてが昨日の現実だった。
そんな自分と、目の前の彼女が「同じルーキー」だなんて、冗談にもならない。
「でね、同じ生き残り同士、一緒に行動しない? お仲間もいたら、ぜひ——」
その言葉が、決定打になった。
あからさまな“同情”が、怒りと悲しみ、そして嫉妬の感情を一気に噴き上がらせる。
「うるさいッ!!」
日向の声が止まり、周囲の視線が一斉に集まる。
「……勝手に馴れ馴れしくしないで」
「貴女がどんな環境で育ったかなんて知らない。でもこっちはね、命をすり減らして、やっとの思いで生きて帰ってきたんだ。貴女みたいな“恵まれた奴”なんかと、一緒にしないでよ」
絞り出すように吐き捨て、背を向ける。
日向の「え、え……?」という戸惑いと、傷ついたような声が背中に刺さった。
それでも、振り返ることはできなかった。
怒りのままに役所を飛び出し、気づけばアパートの手前で足を止めていた。
胸の奥で、怒鳴った言葉が何度もリフレインする。
日向の驚いた顔が、焼き付いたように頭から離れない。
(……言いすぎた)
——でも、あの瞬間の自分には、それ以外の言葉を選ぶ余裕なんてなかった。
悔しさも、嫉妬も、寂しさも。
全部まとめて、叫ばずにはいられなかったのだ。
だけど今さら、どの面を下げて戻れと言うのだろう。
目の奥がじんわりと熱を帯びる。
誰にも見られないように、ボクはその場に立ち尽くした。