自身の思索をまとめる意図で物した私小説、の(たぐい)ということになりましょうか。拙著『法華経転読(うたたよみ)https://syosetu.org/novel/287050/ と合わせてご覧いただければ幸いか、と存じます。

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義父の葬儀で経を読んだ話

「故人は、(わたくし)にとっては義父に当たる御方です。」

 

 その時点でほとんど面識がないに等しい人たちを前に、ボクはそう自己紹介をした。

 

「義父は、至らぬ(わたくし)に生前大変よくしてくださいました。その御恩に僅かなりとも奉じるべく、葬送の読経を申し出たものです。

 凡俗の身で勝手をいたしますが、義父と交わした約束に御座いますれば、どうかご容赦賜れますようお願い申し上げます。」

 

と、深く一礼。

 

 はて。

 こんなことをやってよいものだろうか、という迷いがない、と言えば嘘になるが、さりとて、こうなってしまったからには最早(あと)には退()けぬ。

 

 改めて参列者に一礼し導師席に着いたボクは、顔半分を後ろに向けて、

 

「読経の最初と最後に、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の題目を三度(みたび)唱えます。

 差し支えなければ、ご唱和いただけますと幸いです。」

 

とお願いして、磬子(けいす)をゴーン、ゴゴーン、と三度(みたび)打った。

 

 

                    *

 

 

 遡ること二ヶ月と少し前、十二月の頭のこと。

 義父が不治の病である、との(しら)せに、ボクは妻と共に半日を費やしてその郷里を訪ねた。

 

 宮崎県日向(ひゅうが)市。

 決して僻地ではないが、日本のどこから行くにしても最も遠い場所の一つだ。

 

 その時点の義父は常と特に変わった様子はなく、大慌てで駆けつけたボクらとしてはむしろ拍子抜けするほどに元気だったのだが、ただ、片足が驚くほどに腫れ上がっていて、歩くのが難儀であるがために介護用ベッドに横たわっていた。

 聞けば、数日前に体調の異変を覚え自ら運転する車で行きつけの医院へ出向いたところ、そのまま救急車で街の大病院へ転送される羽目になったらしい。

 

「もうどうしようもないから、後は自宅で好きにしたらいい。」

 

 搬送先の医師は、診察を終えた時点で捨て鉢気味に義父にそう告げたのだそうだ。

 

 ステージⅣの胃がん。

 既にリンパ節への転移も進んでいて、義父が気づいた直接の体調の異変は腫瘍に循環を妨げられたリンパによる体の浮腫(むく)みだった。

 

 足の腫れ以外に自覚症状のなかった義父は「食わんといかんちゃが!」と言いながら、(みな)と変わらぬ普通の食事をしていた。特に食事制限は課せられなかった、という。食べれるうちは食べたいものを食べておけ、ということだったのだろう。

 

 義父の家系はいささか複雑だ。

 彼は終戦の昭和二十年生まれで、上に何人かの兄があるが母が異なる。義父自身は後妻の長男なのだが、後妻を迎えた父親自身は決して少なくない農地を有するその家に入り婿として迎えられた人物で、そうなってくると、兄たちからすれば後妻とその子たちは、本来の本家からは血縁のない人たち、ということになってしまう。その辺りへの遠慮があってのことだと思うが、早い時期に義父は家を出て大阪で働き、そこで義母と結婚し、妻もそこで生まれた。

 が、何か事情があって、妻が就学年齢に達するよりも前に義父一家は日向(ひゅうが)へ本家の跡取りとして呼び戻されることになった。義父は農業学校で学んだ人であり自身も農業を(こころざ)していたようなので、それはそれで順当な話だったのだろう、と(はた)からこれを聞かされたボクは思うのだが、月並みな話しながら、四国に生まれ大阪の商家で育った義母は、壊滅的に義父の本家の人々と反りが合わなかったらしい。

 結局、義父は義母を憚って本家を離れることになり、以降は長距離トラックの運転手として働いて妻子を養った。(のち)に相続を妻と義弟が処理する過程でそれが義母の思い込みであったことが判明するのだが、少なくとも義母は、本家の人たちが義父が相続するはずだった土地の権利を自分たちを追い出すことで独占した、と長く恨みに思っていたようである。

 

 定年を迎えた時分には、義母が蟠りを(いだ)いていた世代も身罷り、今回初めて面識を得てボク自身も(みな)底抜けにいい人ばかりだ、と驚かされた義父の兄弟たちの理解もあって、義父は荒れつつあった先祖伝来の山、畑を自ら再整備し、晴耕雨読の生活を送っていた。

 これを晴耕雨読、と呼ぶのは、慣用句として言っているのではなく、義父は決して学のある人ではなかったが、存外文学青年的な一面を有していた。

 そもそも義母との馴れ初めが文通であったり、子どもの時分以来欠かさず物す日記があったり、郷土の英雄として若山牧水に心酔しその和歌を諳んじていたり、と、田舎の農家の跡取りの成り損ねのトラック運転手、といった言葉尻が醸す印象とは、その実像が随分と異なる人物だ。思うに、家庭の事情もあってそういった機会に恵まれはしなかったが、然るべき学府に進んでいれば相応の事を成した人ではなかったか、と思う。

 

 そういう義父であるから、決して共に語らった時間はそう長くはないのだが、不思議とボクとは気が合った。

 ボクが義父に強く感じている恩義は、基本的には、妻との関係を手放しに受け入れてくれたこと、に対してだ。

 

 妻は、高校卒業以降は、絶縁、こそしていないものの実家とは疎遠だった人で、義父の複雑な家系に対してもまったく関心を払っていなかった。自身はフランス人と最初の結婚をしパリで暮らしていたが、夫の家庭内暴力に耐え兼ねて大使館を頼って日本に逃げ帰り、強引に離婚を成立させた。際しても実家に戻ることはせず、大阪で仕事をしているときに共通のドイツ人上司に「おまえたちは気が合うに違いない」と勧められて食事をしたのがボクらの馴れ初めだ。

 あんな面倒は真っ平御免だ、と妻が譲らず、また、双方ともに子を設けるつもりがなかったこともあり、ボクらはいわゆる事実婚のまま今日(こんにち)に至っている。

 義父に初めて会ったのは一緒に暮らし出して十数年も経ってからのことで、何がきっかけになったか覚えていないのだが、ともかく一度会ってみよう、という話になって、碌に挨拶もせず愛娘と入籍しないまま暮らしているボクは義父に一発殴り飛ばされて当然だろう、と覚悟を決めて乗り込んだのだが、土下座で挨拶するボクを義父は「変わった男じゃ」と大層気に入ってくれた。

 以降、折に触れて妻と共に訪ねるようになり、後々になって、我流独学の人であった義父は、ボクに同じ匂いを感じてくれたからではないか、と思い至ったものだ。

 

 対して義母は、妻の母親を掴まえてこんなことを言うのもどうか、とは思うが、どうしてあの義父はこの(ひと)を選んだのだろう、と疑問に思うほどに無学で品のない人物だ。

 

 そもそも義父の末期がん発覚に際し、大慌てで駆けつけたのは、もちろん義父が心配だったからもあるが、それ以上に、あの義母が突然のこの事態を受け止めることが出来ず困惑しているのではないか、決して折り合いのよくない妻一人を行かせては、結果的に義父を苦しめることになるのではないか、と案じてのことだったのだが、実際に目の当たりにしたのは、想像の斜め上をいく義母の発言だった。

 

「お(とう)さんの墓はどうしたらいいと?」

 

 余命一年未満を宣告されて打ちひしがれている本人の前でそんな話をするか?

 

 と思ったものだが、義母のその時点での最大の関心事は、自ら本家を離れた義父は本家の墓に入れないので……義父自身その認識を有しており、公営の墓所を探していたことは以前から知ってはいたのだが……その準備をしなければならない、というものだった。

 知り合いが八十万で永代供養してくれる墓苑を紹介してくれていて、今ならいい墓所が空いていると聞いているから、ついては(かね)を工面しろ、と、病床の義父の目前で妻に迫る義母には流石に呆れざるを得ない。

 

 これを諫めるは我が任に(あら)ず。義父も、呆れてはいるようだが抗する素振りを見せないし、そもそもそういう(ひと)を伴侶に選んだ義父の自業自得だ、と言ってしまえばそれまでの話ではあるのだが、事前に妻からアレを何とかしてくれ、と頼まれていたこともあって、ボクは義母の矛先逸らしを試みた。

 

「お義母(かあ)さんは、墓がどうしてもなくてはならぬもの、と思い込んでおいでのようですが、決してそういうものではないです。むしろお義父(とう)さんは、御骨となった(のち)もお義母(かあ)さんの(そば)近くにあることをご希望ではないですか?

 お義母(かあ)さんも並んで御骨となったその日には、ボクらが如何様(いかよう)にもお弔いして差し上げますから、今はそういった些末なことに思い悩むのは()めて、お義父(とう)さんが残された日々を心安らかに過ごせるようお心遣いください。」

 

 とかなんとか。

 これが、彼女にとっては単なる結論の先延ばしの詭弁に過ぎないことは、もちろんボク自身承知しているが、義母の性格からすれば、自分が後々他人様から後ろ指差されかねないと思い込んでいる話については、予め免罪符を得ていないと先に進めない性分だ。加えては、この時点で義実家の資産状況を把握していなかったボクらには、義母が体裁を気にして無理な支出を背負い込むことに対する懸念が大きくあった、というのもある。

 

「あんたらに何の弔いが出来っとね?」

 

 義母から見れば、徹底した自由人である娘とその伴侶にそんなことが出来るとは思えないのだろう。

 

「憚りながら、ボクは経が読めます。」

 

 我ながら余計なことを言ったものだ、とは思うが、売り言葉に買い言葉だ。

 

「多くの宗派で葬儀に使われる如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)なら諳んじることも出来ますし、個人的に仏教を研究して来ましたので、その意味するところにまで通じています。食わんがために経を読むお坊さんよりは、よほど真心こもった回向(えこう)をして差し上げられますよ。」

 

「あんたが葬式で経を読んでくれっと?

 なら(かね)がかからんでいいがね!」

 

 義母の反応は身も蓋もないが、こうなったら否とは言えない。

 

「……お望みとあれば喜んで。」

 

 ボク自身としては、葬儀に読経は必須だとは思わないし、そこに死者の魂をどうにかする魔力があると信じてはいない。これはあくまでも、遺された生者の(がわ)が、自分たちは出来る限りのことを去りゆく死者へおこなったのだ、と納得するための儀式だ、と理解している。

 体裁が第一の義母は、当然ボクのこの申し出を謝絶するだろう、と考えていた。

 

「そんな馬鹿なことがあるかね!」

 

思った通り義母は鼻で(わら)ったが、ここで思わぬ援護射撃があった。

 

「いんやー、そんなことないっちゃが。」

 

 と割り込んで来たのは、義母の茶飲み友達であり、妻からすると幼馴染の母となる戦前生まれの(ばぁ)様、ラベルしないと扱いに困るので敢えて渾名(あだな)で記せば、ふーちゃん、である。

 そもそもこの一連の会話は、義父の見舞いに立ち寄ったふーちゃんと義母の茶飲み話の中で、義母が愚痴交じりに墓の手配の話をし始めたことに端を発していた。つまり、そこに割り込んだのはボクの方だったのだが、見た目の印象だけから言えば義母になお増して因習にこだわりを示しそうなふーちゃんが、意外にもこれについては随分と柔軟な思考の持ち主だった。

 

 曰く。

 

 福岡に住むふーちゃんの親族の嫁ぎ先の葬儀がそんな感じだった。背広姿の男の人が先導して、集まった(みな)が偉く勢いのある元気な御経を読んで、最初はびっくりしたが、あれはあれで良いものだ、と思ったとか何とか。

 ましてや、こんな立派な娘の旦那さん……ボクのこと、である……が経を読んでくださるなら、申し分ないではないか、と。

 

「あれは……何て言ったちゃがね?」

 

 ボクはふーちゃんの言わんとするところを察した。

 

「友人葬、あるいは、同志葬、とおっしゃってませんでしたか?」

 

「あー、そんなことを言ってたっちゃが!」

 

 ボクはピンときた。

 ふーちゃんが言っているのは、90年代以降の創価学会の葬儀、である。

 

 これがどの程度世間一般的な知識であるのかはボクも承知してはいないが、日蓮の教義を奉じる創価学会も80年代の末までは葬儀を寺院の僧侶を招いて執り行うのが普通であった。

 創価学会と、彼らに奉じられた日蓮正宗(しょうしゅう)宗門との関係が悪化して義絶に至り、それでも葬送儀礼は必要とした創価学会は自らこれを執り行うようになった。際しては敢えてその専門家を設けず、故人の近隣の宗旨を同じくする者が集って霊前に経を捧げるようになったので、友人葬、同志葬、と呼ばれるようになったものだ。

 そもそも創価学会では信者個々人が毎朝毎夕に自ら経を読むことが前提とされているので、むしろ、80年代以前に葬儀に限って寺院僧侶を招いていたことの方が、今から振り返れば奇異にすら思われる話ではあるのだが。

 

 ふーちゃんはこの葬儀が強く印象に残っていたそうで、たちまちに理解を示したボクの肩を親し気に叩きながら「流石、勉強してなさる方は違うっちゃが!」と大袈裟に喜んで見せた。

 

 一方の義母は、訝し気に、ボクの知らないふーちゃんとの共通の知人の名を持ち出して、あそこと同じような感じか、と問うた。

 聞けば、その人は近日身内に不幸があった生活保護世帯で、葬儀に読経をおこなう僧侶を手配することが金銭的理由から叶わなかったのだが、近隣のやはり創価学会の(かた)が無償での読経を申し出て、背広姿で霊前に経を捧げたのだという。当然、こういったささやかな()()は田舎では噂になり、葬儀に出席した人々を起点に広まった話であるらしい。

 さもありなん、とボクは思った。ふーちゃんは、本心は露知らず、単純にこれを美談と解している口調だったが、ひょっとするとその葬儀をおこなった(かた)は、その義理に縛られて今なお選挙の都度、公明党への投票を求められているのかも知れない。

 が、仮に読経を申し出た人物の真の動機がそこにあったのだとしても、結果的にお身内の葬儀に読経もない、という事態を避けられたご当人が納得しておいでであれば、周囲がとやかく言う話でもあるまい。

 

 義母は、やや情報量が過剰で困惑している様子だったが、少なくともその関心事は、一刻も早く墓所を確保せねばならぬ、でなくなったのは明らかだった。

 

「もちろんボクも無理強いはしません。が、お義母(かあ)さんがお求めになるのであれば、謹んで勤めさせていただきます。が、今はどうか、お義父(とう)さんが残された日々を心安らかに過ごせるようお心遣いいただければ幸いです。」

 

 ボクは話をそう締めくくった。

 この期に及んで義母はボクに、

 

「あんたは袈裟(けさ)を持っとっと?」

 

と問うた。

 

「まさか。」

 

とボクは笑った。

 

 そこに関心がいくのであれば、よもや、ボクが義父の葬儀で経を読む羽目には陥るまい、と。

 

 この一連の会話が聞こえていなかったわけではないはずの義父は、特に何の反応も返さなかった。

 そもそも義父は、義母の言動に対しては常に達観した(てい)であったし、それ以前に、余命幾許もないと知らされた自身の命運こそが一大事で、死後に何が執り行われるかなど知ったことではなかったろう、と思う。

 

 そんな義父が、仕事の都合で一旦自宅に戻る旨を告げたボクを枕元に呼んだ。

 

「おれは、悔しいっとよ。」

 

 第一声はそれだった。

 安全運行への責任感から、運転手としての奉職中は定期健診を欠かさなかった義父だが、定年の後は、質素倹約、質実剛健を旨とするがゆえにそもそも医者にかかることをも贅沢だと見做していたことも手伝って、自覚症状が現れるまで自身の健康状態には無頓着であった。日々の農事に鍛えられ筋骨隆々としていたことも、事の発覚を遅らせた一因だったろう。

 後日、妻と共に目を通した日々欠かさず付けられていた義父の日記によれば、最初に病院に向かった日の一ヶ月前あたりから自身の体調についての違和感が繰り返し綴られていた。もっとも、その時点で医者の門を叩いていたとて、焼け石に水ではあったろうが。

 

 ボクは義父のそういう性格を承知していたので、

 

「お義父(とう)さんがそれを贅沢と考えておられたのは承知していますが、いささか倹約が過ぎましたな。」

 

と敢えて笑顔で応じた。義父もまた苦笑い。

 

「おれは、何か悪いことをしたっちゃろかね?」

 

 言葉の綾かも知れないが、素直に受け取れば義父は只今の境遇を、自身に下された何某(なにがし)かの(ばつ)、と考えている様子だった。

 

 ボクが知る義父は酒も煙草も博打も嗜まぬ品行方正な人物だが、かつては酒乱気味でしばしば義母に暴力を振るうことがあった旨は妻から伝え聞いている。実際ボクの妻は、トラックで日本中を走り回っているが故に(じか)に接する時間の少なかった父親を、義母が自身に訴えるところの酒乱で身勝手な男、として長い間認識していたようだ。

 これに修正を加えたのは他ならぬボクであり、決して口数多くない義父の思い出話から、その複雑な生い立ちや、彼が何に心配り、誰に気遣い、そして何処に言葉足らずであったかを概ね妻に読み解いてみせたボクとしては、義母や妻が(いだ)いていた義父像が決してまったく不当なものだ、とは思わないし、そもそもボクの観点に男同士であるが故の贔屓目があることを割り引いても、今少し義母も妻も、お義父(とう)さんへの歩み寄りがあってよかったのではないか、と思わないでもない。

 が、同時に、実際のところ義父に何か至らぬところがあって……その最たるは、いささかステロタイプ的ながらも古風な九州男児特有の、女子(おんなこ)どもは男の背に黙ってついて来い、的な姿勢にあることも明らかなので、現況を自身に(くだ)された(ばつ)であろうか、と語る義父の言葉は、謙遜によるものではなく、むしろ心当たりがあるからだろう、と思われた。

 

「お義父(とう)さんに、至らぬところがおありだったのは事実だと思います。」

 

 ボクは正直にそう言った。

 

「でも、これが(ばつ)である、とは思いません。

 そもそも、御年を考えればこの病がなくともいつお迎えがあってもおかしくはありませんし、ボクが不慮の事故で先に失礼することだってあるかも知れません。むしろ、来るべきときに備える時間を得た、と前向きに考えるほかありませんでしょう。」

 

 まず、こういった理念的なことに触れてから実存的なところに話が転じるのは、如何(いか)にも義父らしい、と振り返って思う。

 

「おれは、抗がん剤治療がある、と思っとったちゃがね。」

 

 この時点の義父は、初見で匙を投げた医者に随分と不満を抱いている様子だった。

 正直なところ、今時ステージⅣの胃がんを抱えて突然初診に訪れる患者、などそうそうあろうはずもなかろうから、医者が義父に対して(いだ)いた心象は慮って無理のないもののようにも思われる。

 

 ボクは、ただただ義父が、残された時間を医師への不毛な怨念に費やすことを憚って、敢えて意見を述べた。

 

「実は昨年、ボクの父にもがんが見つかりまして。」

 

 これは事実だ。

 義父と同じ昭和二十年生まれのボクの父は、街生まれ街暮らしの勤め人(サラリーマン)で、農事に鍛えられた義父よりも随分と老けて見える。この対照性がボクに義父を慕わせる一因になっているようにも思うが、ボクの父は、慎重で臆病な性格もあって定期健診の類は決して欠かさなかった。

 

「幸いにして最初期のそれだったこともあり、放射線治療と抗がん剤で一旦寛解(かんかい)となりました。主治医からは、オレが寿命を延ばしてやったからにはリハビリに励んで体を鍛えろ、すぐに死ぬことは(まか)りならん、と脅されたそうです。以降は、決して人付き合いが得意でもないのに素直にデイケアに通っているとか。」

 

 義父は興味深そうにボクの話に耳を傾けている。

 

「ですが、父は多くを語りませんが、治療そのものは随分と辛いものだったそうです。

 私は、お医者先生は、お義父(とう)さんにその辛い事をお勧めして意味あるものであれば敢えてそれを躊躇うまい、と思います。が、その先生が、自宅に帰って好きに過ごせばいい、と仰ったのであれば、そういった治療の試みが返ってお義父(とう)さんを無為に苦しめる、とお考えになったからではないでしょうか。」

 

 ボクの言葉に、義父は特に抗うこともなく弱弱(よわよわ)しい笑みを浮かべたが、

 

「……食べれるうちはしっかり食べて、体力をつけとかんといかんちゃが。」

 

 何らかの納得は得られたようだった。

 

 おそらくこれが今生の別れになるのだろう、とボクは腹を括った。

 いささか芝居臭いか、と自嘲しつつも義父の手を取る。

 

「お嬢さんは何があろうともボクが守り抜きますので、どうかご安心ください。」

 

 義父の目が、(はな)からそんなことは疑っていない、と言っているように思えた。

 ボクは義父を笑わせるつもりでこう付け加えた。

 

「お義母(かあ)さん、については何も約束はいたしかねますが、後のことはお任せください。」

 

 ボクの意に反してこれに義父は特に何の反応も示さなかったが、結果的にこの言葉で、ボクは義父の葬儀で経を読むことを約したことになってしまった。

 

「……よう来てくれた。ありがとうな。」

 

 これが義父と交わした最後の会話になった。

 

 

 

 年が明けて、二月の頭から妻は再び実家へ戻り、義父の介護に当たった。

 余命一年か、という見通しはあまりに楽観的に過ぎたものだったようで、妻が乗り込んだ時点で義父は何を食べてもすべて吐き戻す状況に陥っており、すぐに何も食べられなくなった。

 

 たまたまインターネットで目にした、末期消化器がん患者の死後にその遺族から赤城乳業に謝意の手紙がしばしば届く話、を妻には伝えていた。何も口に出来なくなった人でも、同社のソーダ味アイスキャンディ、ガリガリ君であれば食べることが叶い当人の精神衛生の一助になる、というものだが、義父にもその恩恵はあったようで、今も義実家の冷凍庫には義父が食べ残したガリガリ君が収まっている。

 

 まだ、妻が楽しそうに「お父さんが、ガリガリ君を美味しいって言ってる。聞いといてよかった!」とアレクサ越しに語る会話の中で、義母が、既に葬儀の読経をボクにやらせるつもりでいる旨を聞かされた。

 

 ボクも、そして妻も、体裁一番の義母がそういう決断をするとはゆめゆめ考えていなかったのだが、ここにも奇妙な縁があったらしい。

 妻が言うには、ある日買い物から帰ってきた義母が開口一番「お葬式の読経は頼むっちゃが!」と言い出して、わけがわからずに事情を尋ねたそうなのだが、買い物先で件の生活保護世帯の方とばったり行き当たったらしい。問われた(ほう)は脈絡不明だったのではないか、と心配にもなるのだが、義母はその(かた)を掴まえて「御骨はどうしとっと?」と自身の最大の関心事を突き付けた。

 返って来た答えは、

 

「何言いよっと。あんたがこの前お線香あげに来てくれたときも、そこにあったがね。」

 

 葬儀に僧侶を呼ぶ費用も工面できなかったこちらの(かた)に墓所を準備できようはずもなく、ご自宅に設けた簡易な祭壇にそのままお祀りしているとのことなのだが、義母にとってはこれが「そういうのもアリなんだ!」という決定打になったらしい。

 

 かくして、墓所が要らぬならその費用も要らぬ、寺院に義理が生じぬのであれば高い(かね)を払って僧侶を呼ぶ必要もない、と義母は悟った。

 

「通夜に遅れんように駆けつけてくれっと?」

 

 義母としては、読経の予約をしたつもりでいるようなのが可笑(おか)しいのだが、目前に余命僅かな夫があって、ただでさえ欠けている冷静な思考力が麻痺しているであろう彼女に、その可怪(おか)しさを伝えても詮はあるまい。いよいよとなれば、やはり体裁を気にしてどこかの寺院の僧侶を頼る、ということもあるだろう。

 

「お義母(かあ)さん、勤めさせていただきますから大丈夫です。

 心置きなくお義父(とう)さんを看ていてあげてください。お義母(かあ)さんもどうかご自愛ください。」

 

 この時点では、特に根拠もなく、この状態がしばし続くのではないか、とボクは思っていた。

 

 振り返ってみれば、それば単なる願望でしかなかったし、自身眠ることが出来なくなって日に日に疲弊していく妻の様子に、ボクにとってはこれが、つきつめれば他人事であればこそこうして付き合っていられるのだろう、という自覚がボクにはあった。

 同時に、誰か一人は醒めた視点を強いて保っていなければ収拾がつかなくなるだろう、という理屈で自分を納得させていたように思わなくもない。

 

 二月半ばの日曜日の夕刻。

 

「お父さんが息してないっちゃが。」

 

 アレクサのスピーカーから地の日向弁(ひゅうがべん)で無感情にそう告げる妻の声に、ボクは翌日の航空券を手配した。

 

 

                    *

 

 

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六。」

 

 通夜と本葬のそれぞれで、ボクは独り参列者の前の導師席に座し、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)自我偈(じがげ)を朗々と読み上げた。

 実はやろうと思えば一字一句過たずに暗唱できるが、万が一にも間違いがあってはならない、と敢えて経本を読む形でこれをおこなった。

 

自我得仏来(じが、とくぶつらい)所経諸劫数(しょきょう、しょこうすう)無量百千万(むりょう、ひゃくせんまん)憶載阿僧祇(おくあい、あそうぎ)常説法教化(じょう、せっぽうきょうけ)無数億衆生(むすうおく、しゅじょう)……」

 

 語り出しが「自我(じが)」の句から始まることから古来より自我偈(じがげ)、と呼び習わされたこの章句は、全二十八(ほん)からなる妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)、いわゆる法華経の中でもその最重要品(ようほん)とされる如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六、その中でも末尾にあって全体含意を要約する韻文部となる()の部分である。前半分の散文部、長行(じょうごう)を含めば実際にはもっと長くなるのだが、一般的には、葬送儀礼や日々の読誦にはこの部分が当てられる。これについては、ボクは敢えて奇を衒わず、素直に伝統に従った。

 

 対して、ボク個人のこだわり、と言うか、今となってはそのようにしか出来ない独特の部分もある。

 

 通常、本職の僧侶や在俗の信徒がこれを音読する場合、本来の漢字の読みを無視して音節(シラブル)を揃えて読むのが普通だ、こんな具合に。

 

 じー  がー  とく  ぶっ  らい

 しょー きょー しょー こっ  すう

 むー  りょー ひゃく せん  まん

 おく  さい  あー  そー  ぎー

 じょー せっ  ぽー  きょー けー

 むー  すー  おく  しゅー じょー

 

 読者諸兄が知るそれを含め、お経独特の聞き心地を生んでいるのはこの読み方であろう、と思うのだが、これは、僧侶にせよ俗信徒にせよ、複数人で唱和することが前提されていて、こういう(ふう)に読まないと調子が揃わないからだ、とボクは理解している。

 言いを換えれば、この読み方をするとき意識されているのは、儀式典礼の体裁であって、必ずしもこの経の含意に注意は向いていない、と言っても間違いではないだろう。

 

 祖父母両親ともに法華信仰篤かった家庭に育ったボクもまた、幼少の砌、これを初めて習い覚えた時分にはこういう読み方をしていたはずなのだが、物心(ものごころ)ついて、これが意味不明の呪文ではなく、読もうと思えば読み下せる漢文であると気づいた頃から、自然と読み方が変わってしまった。

 

 ジガ、トクブツライ

 ショキョウ、ショコウスウ

 ムリョウ、ヒャクセンマン

 オクサイ、アソウギ

 ジョウ、セッポウ、キョウケ

 ムスウオク、シュジョウ

 

 ボクはこんな感じに読む。特に意識してそうしているわけではない。

 

 自我(われ)(ほとけ)()てより(このかた)

 ()(ところ)(もろもろ)劫数(こうすう)は、

 無量(むりょう)百千万(ひゃくせんまん)

 憶載(おくさい)阿僧祇(あそうぎ)

 (つね)に、説法教化(せっぽうきょうけ)するところの、

 衆生(しゅじょう)は、無数億(むすうおく)なり。

 

 冒頭の六句に和訓を加えると概ねこうなるが、この意味するところを思い浮かべながら活舌よく読むと自然とこうなる、というか、一度そうなってしまうと、以前のそれに戻れなくなってしまった。

 なのでこの日もそういう読み方をしたのだが、これを聞かされている(ほう)からすれば、黒い背広姿のおっさんに、場違いにも講談で早口に武将の系譜を読み()げる(くだ)りを聞かされているような印象だったのではないか、と思う。

 

 誤解のないように申し添えれば、ボクは、ボクの読み方が正しくて一般的な読経が間違っている、ということを主張しているわけでは決してない。

 これは単にボクの好みに過ぎず、それを言ったらボク自身は、この章句に故人を成仏させる魔力がある、などとはこれっぽちも信じてはいないし、この章句が、仏教の開祖とされる釈迦の直説(じきせつ)であると騙られつつも、その実は、釈迦の死後数百年後にとある仏教の一派によって釈迦に仮託して語られた言葉が、漢訳を経て今日(こんにち)の我々に偶然にも伝わったに過ぎないものであることも承知の上で、敢えてこれを読んでいるのだから。

 

「……毎自作是念(まいじ、さぜねん)以何令衆生(いが、りょうしゅじょう)得入無上道(とくにゅう、むじょうどう)速成就仏身(そく、じょうじゅ、ぶっしん)。」

 

 愛して()まない結句に至り、この瞬間までどうしようかと迷っていたそれが振り払われたのを覚えつつ、再びボクは半身を参列者に向けて、

 

「どうか、ご唱和ください。」

 

と声を掛け、磬子(けいす)三度(みたび)打った。

 

 三回、に特に深い意味があるわけではない、と思う。

 仏典には無暗に、特に強調したい部分を三度繰り返す修辞が用いられるきらいがあって、それに倣った伝統なのだろう、と理解している。

 

 南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)

 南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)

 南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)

 

と唱える。

 通夜に際してこれを最初にやったとき、参列者には明らかに戸惑いがあって唱和の声は少なかったが、通算四度目となる本葬のこれに際しては、自然と(みな)の声が揃った。

 

 (つね)(おのずか)()(ねん)()す。

 以何(いか)衆生(しゅじょう)()て、

 無上(むじょう)(みち)()ることを()さしめ、

 (すみ)やかに(ほとけ)()成就(じょうじゅ)せしめん。

 

 自我偈(じがげ)の結句は、和訓すればこんな感じになる。

 字義通りに読めば、釈迦は、我々をどうやったら自分と同じ仏へと速やかに導くことが出来るか、そのことばかりを常に考え続けている、といったところか。

 

 本当に歴史上の釈迦がそう言ったか、は問題ではない。

 そこを重要視するということは、釈迦を人外の聖なる何者か、と見做すことに他ならず、これは仏教の本義から逸脱する、とボクは思う。

 

 疑いようもないのは、仏教の歴史に連なる一群の人々の中にこの言葉を釈迦に仮託して語った人があって、それが少なからぬ続く人々の心を打ったればこそ、それは散逸亡失されることなく、今、ここにあるボクにも伝わったという事実である。

 これを唱える、という行為は、ここに釈迦に仮託して語られた思いに、唱える者もまた参入するのだと誓うことを含意する。

 

 同様に。

 

 南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、南無(なむ)妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)から成る句であり、南無(なむ)はサンスクリット語のノウモの音写であって漢意訳すれば帰命、すなわち、命を懸けてそこへ()するの意であり、これはおまじないの呪文ではなく、自我偈(じがげ)を含む妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)が説くところへ自ら参加するのだ、という、やはり誓いの言葉だ。

 

 導師座を辞したボクは、物言わぬ義父に尻を向けぬよう少し横に退(しりぞ)いた(のち)に、改めて参列した義父親族に向かい合って、まず深くお辞儀をした。

 

「ただいま義父の霊前に捧げました妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)第十六は、古来より宗派を問わず葬送に際して重用されてきたものです。」

 

 こいつ、何を言い始めるんだ、という胡乱な視線がこちらへ向かっているのを感じつつも、ボクは強いて語り続けた。

 

「耳慣れぬ(かた)には呪文か何かのように聞こえたものかと存じますが、さほど難しいことは言っておりませんで、掻い摘んで申しますと。」

 

と、ボクは、冗長にならぬよう自我偈(じがげ)の含意を語った。

 

 私、すなわちお釈迦様は無始無終(むしむしゅう)、永遠不滅の存在である。が、釈迦といえども人間であるからには死を迎える。永遠の仏である釈迦が死んでしまうのは何故か。それは、もし釈迦が永遠に人々の前に在り続ければ、人々はそれに安堵して自らも仏になろう、という気持ちを失ってしまうだろう。だから釈迦は、(みな)に恋慕の心を起こさせるべく敢えて涅槃(ねはん)を現じるのである、と。

 そして、釈迦は永遠不滅であるがゆえに、人々が世を去った釈迦を偲んで一心にその姿を見たいと願うとき、常に人々の(かたわ)らに出現して惜しみなく法を説き、無上の道に導くのである、と。

 

「……仏様が永遠不滅であり、常に求める者に寄り添って下さるのはまことにありがたいことである、ということで、葬儀においてもこの経を読んで故人の冥福を祈ることになっているので御座います。」

 

 ここからが本題だ。

 

「さきほど、(わたくし)は、体裁の上では、烏滸がましいことながら釈迦に代わって義父に法を説く、ということをさせていただいたわけですが、(わたくし)の思いますところ、ここにはもう一つの意味合いが御座いまして、それはすなわち、(わたくし)は、義父に成り代わってお集いの皆様にこれを語った、とも言えるのです。

 すなわち、私、義父は、本来は永遠不滅の存在である。あるけれども、自分がずっとこの世に居座ると、(みな)が義父を当てにしてしまって駄目になるので、敢えて一足お先にこの世を去らせてもらうけれども、(みな)がおれのことを思って偲んでくれるとき、おれは常に(みな)(かたわ)らにあって、おまえたちを導く……と義父はこう申しておるのですな。」

 

 義父が晩年もっとも力を注いだのは、この場にもその当事者が参列していたのだが、深い考えなしに木材業者に了承を与えてしまったがために皆伐の憂き目にあった先祖伝来の山の回復だった。

 畑仕事とは異なり、たちまちに利するところが得られる行為でもあるまいに、義父は黙々と若木を荒れた山に植え続け、今ではかつてそこが荒れ果てた禿山だったとは思えない青々とした姿を見せている。

 

「皆さまご承知の通り、義父は深く郷土を愛された方で、荒れた山や畑の復興に尽力してこられました。今このときも義父が植えた木々は青々と茂っており、文字通り、義父は永遠不滅の存在として、今後もそこに在り続けるんです。」

 

 不覚にも、ボクはそう言いながら落涙して言葉を詰まらせてしまった。

 平然と騙るつもりだったのに、よもや自分で騙ったことで感極まってしまうとは。

 

「この経の結びに、毎自作是念(まいじ、さぜねん)以何令衆生(いが、りょうしゅじょう)得入無上道(とくにゅう、むじょうどう)速成就仏身(そく、じょうじゅ、ぶっしん)とありますのは、私はいつも、どうすれば(みな)が私と同じ境地に至ることが出来るか、そればかりを考えている、といった意味になります。

 どうか皆様も、本日只今より、皆様に分相応の死が訪れるその日まで、折に触れて、義父がそのような思いを(いだ)いていた、ということを思い起こしていただければ、義父は皆様(みなさま)と共に在り続けるもの、と信じて()みません。

 本日は、義父の葬儀にご参列を賜り、誠にありがとうございました。」

 

 再度深く一礼を捧げ、ボクは妻の隣に用意された自身の席に戻った。

 余計なことをやらかしてしまった、という悔悟の念と、自己満足であることは承知しつつも義父への義理は果たせた、という相反した思いを(かか)えつつ。

 

 妻はだた一言、

 

「ありがとう。」

 

と言ってくれた。ボクにはそれで十分だ。

 

 

                    *

 

 

 ボク自身は、何もおかしなことをしたつもりはなく、むしろ、葬礼の伝統と自身の理解する仏教の義を折衷して落としどころをつけたつもりではいるのだが、これが世人から見て極めて破天荒なものであったろうことに思い至らぬほど世間知がないわけではない。

 なので、好悪いずれにせよ、何らかの拒絶反応が現れるものかと覚悟はしていたのだが、拍子抜けするほど清々(すがすが)しいまでにそういうものはなかった。無論、よいお弔いだった、と声を掛けて下さる(かた)は少なからずあったが、それはあくまでも世辞の範囲であり、ボクの行為そのものに対する直接の言及は皆無だ。

 

 まぁ、そこはわからぬでもない。

 他ならぬボク自身、背景を了解せぬままに自分以外の誰かに目の前でこれをやられたら、敢えてそいつに話し掛けようとはしないだろう。

 

 だって、超面倒臭そうだもの。

 

 この時点で滞りなく役目を果たすことにいっぱいいっぱいだったボクはまったく気づかずにいて、後で妻から言われたことになるが、この葬儀は義父母が葬祭費用を積み立てていた葬儀会社の所有する葬礼会場でおこなわれたのだが、親切に対応くださったそこのスタッフがただならぬ熱い視線を終始ボクに注いでいたのだ、と聞かされた。

 これは妻の贔屓目もあってのことやとは思うが、言われてみれば思い当たる節がなくもない。と言うのも、本葬前の打ち合わせで、式の進め方についてスタッフの方々が何やら色めき立っていたことには気づいていたからだ。まぁ、日々葬礼に関わっておいでのあちらからすればおそらくは前例のない話だったはずで、読経に際してどうお声がけすればよいか、肩書きはどうするのか、と、ボクからすればどうでもいい細々としたことを何やかやと聞かれたものだが、ただ氏名と義理の息子が読経する、としてくれればよい、と告げたボクに、問うたスタッフは肩透かしを受けたような様子だった。

 妻には(あと)から「スタッフの人たちはあなたともっと話したそうにしていたのに、どうして応じてあげなかったの?」と問われたのだが、趣味が昂じて義父の葬儀で経を読むに至った、などと語るつもりなど毛頭なかったボクとしては、こんな葬儀はあり得ない、と制止さえされなければ御の字で、それ以上何とも応じようもない。

 

 むしろ、際してボクが関心を惹かれたのは、やたらと焼香についてどう進めるべきかを問われたことだった。

 

 焼香の回数は?

 読経の最中に焼香にご案内すべきか、あるいは終わってからか?

 線香は立てるのか、寝かすのか?

 

 正直なところボクの感覚としては、宗派毎にそれぞれ異なる流儀があることは承知しているものの、そんなのは銘々が好きにすればいいんじゃね、そもそもどこの僧侶も呼んでないんだし、と思っていたので、参列者がそう多くないこともあって焼香は読経の(あと)にしていただくとして……ボクがあの威勢で経を読んでいる間に、案内されたとて席を立てた人がいたとも思えない……あとは皆様自由気ままでよろしいんじゃないでしょうか、と応じた。

 これにもスタッフは拍子抜けした様子だったが、その時点では気づかなかったが、敢えて僧侶も呼ばずに自身で葬送の読経をする人には相応のこだわりがある、と期されていたものかも知れない。いや、そもそもそこはこだわるところなのか?一般庶民の葬儀で故人に香を手向けるなんて、たかだが江戸時代くらいまでしか遡れない近代の流儀にあらずや?

 

 だがしかし。

 

 むしろ弔問者の中にはそこを気にする人が少なくなかったのも事実なのだ。

 通夜においても読経を請け負ったボクは、義母、妻、義弟に並んで座って焼香客に頭を下げていたのだが、義父母が懇意にしていた近所の居酒屋夫妻が、祭壇の前で何やら揉めているのを耳にした。

 

「あんた、(なに)やっとっと!」

 

(なに)て。線香を立てとっちゃが。」

 

「学会さんは線香は寝かすとよ、知らんとか!」

 

 もうこの時点で義実家は創価学会だ、ということになっていたのが可笑(おか)しいのだが、ボクの理解としては、創価学会……に限った話ではない、と思うのだが……で線香を寝かすのが普通なのは、彼らが毎日自宅の仏前で経を読み、際して香を炊くのに危なっかしいからであって、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。というか、そもそも創価学会の流儀で言えば、どうしてそうなのかその理由までは知らないが、葬儀の場において用いられるのは線香ではなく抹香だ。

 

 それを言ったら、葬儀場に入って最初にボクが驚いたのは、白木の位牌に義父の本名が刻まれており、その上に、妙法、とあったことだ。

 これは概ね日蓮宗に共通する流儀だが、一般的には俗名ではなく寺院に幾許かの布施をして授与される戒名、あるいは俗名に法号を加えたものを記すもので、妙法に俗名のみを加えるのはこれまた、僧侶集団と袂を分かって以降の創価学会の流儀である。

 これも(あと)で妻に聞かされたところによれば、義父の訃報を受けてボクが駆け付けるまでの間に葬儀社との打ち合わせがあり、その場で妻が「夫が読経します」と告げたところ「あぁ、わかりました」と、至極当たり前のようにこの位牌が用意されたらしいのだが、いいのか、それで?というか、そういうノリで用意されるそれは要るのか、本当に?

 

「受け取って。」

 

 事後処理の段取りを妻と義弟が差配し終え、義実家を辞する段になった折、義母がやたらと分厚い封筒をボクに差し出した。中身は検めなかったが、(のち)に伝え聞いたところによれば三十万円ほど入っていたらしい。

 

 もちろん、ボクは受け取らなかった。

 

「これはボクの好き勝手で申し出てたことで、むしろ、徳を積ませていただいたのはボクの方です。どうか、お義母(かあ)さんの(のち)の備えに(とど)め置きください。」

 

 いくらかの押し問答を経て、義母はようやく封筒を取り下げた。このお(かね)(のち)に仏壇の購入資金の一部に化けて、義母は周囲に「娘婿に仏壇を買ってもらったちゃが」と吹聴しているらしい。もう好きにしてくれ、としか言いようがない。

 

 ボクが義父と最後の会話を交わして義実家を辞した(あと)、まだ元気だった義父が妻と共におこなった(きた)る日への備え、いわゆる終活(しゅうかつ)によって、義実家には義母が死ぬまで困らないであろう十分な蓄えがあることはわかっていた。どうして義母が、永代供養墓地や僧侶招聘の費用を惜しんだのか、未だに()せずにいる。何か他の期したる思いがあってのことだろうか。

 自身の意に反して義父に日向(ひゅうが)に農家の嫁として連れ込まれ、彼女自身に(せき)がまったくなかったわけではないにせよ結果的に本家の地所相続で割りを食ったと思い込み、でありながら、喋りが完全に日向弁(ひゅうがべん)になってしまう程度には地域への適応は果たした義母のことだ。そこには何か、妻やボクには読み解けない論理が隠れているように思わなくもないのであるが、残念ながら、義母にはそれを他者にわかるように伝える語彙がない。

 

 義父は、財産の使い道については何も言い遺さなかったが、一つだけ例外があった。

 

 まだ義父が曲がりなりにも会話に応じることが出来た時分、見舞いに訪れた人があって、特に当人に悪意があったわけでもないとは思うのだが、義父の畑の世話を義母に申し出たらしい。義母はこれに「好きに使ってくれていいちゃっが」と気安く応じたが、他の何事にも……自身の葬儀に関する議論に対してすら鷹揚と構えて無言だった義父が、突如として「おまえはおれの畑に、勝手に何ば言っちょるか!」と激怒したのだそうな。

 

「おれが死んだ(あと)は、為るに任せとけばいいっちゃが。」

 

 義母は、本家の人たちが伝来の土地を独占し御情けでその一部を義父に使わせてやっている、と思い込んでいたようなのだが、実は義父が耕していた畑、若木を植えて歩いた山々は、いつそれが為されたのかはわからないのだが、すべて義父の名義になっていた。

 実りが得られる畑仕事はともかく、植林について義母は、自分の山でもないのに無駄なことを、と常々腹を立てていたようなのだが、義父は、自身が所有し、管理の(せき)を負い、それ以上に、ご先祖様に対して申し訳が立たぬ、と考えていた皆伐された里山の再生に、ただただ励んでいたのである。

 これが、義母に責のある誤解なのか、義父が説明するだけ無駄だと黙っていたことなのかは、今となってはわからずじまいだ。

 

「家も畑も山も、お(かあ)さんのものになるから。」

 

 妻は義母にそう告げた。義弟と相談してそう決めたらしい。

 

「……要らーん。」

 

 と義母。

 だが、さしもの彼女も、現金だけ相続して土地を放棄する、という勝手が通らないことは承知であるらしい。

 

「お(かあ)さんのものだからどうしようと勝手。私も弟も何も出来ないから、そこに口は出さない。

 でも、お(とう)さんの思いだけは伝えとくね。」

 

 妻が義父から聞き出したところによれば、以前に義父が好意から人に農地の一部を貸したことがあったそうなのだが、最初の年こそ実りのお裾分けと地代の支払いがあったものの、たちまちにそれは絶え、失念しているのかと声をかけてみれば業突張りと罵倒されて土地を荒らされる、みたいなことがあったらしい。

 

「思いを共有せん(もん)に、ご先祖様からいただいた土地は使わせられん。」

 

 自身が介入できぬままに山の樹木を皆伐されたこともあって、この辺りの思いは義父の中では不動のものであったらしい。

 

 義母は黙ってこの話を聞いていたが、

 

「畑も山も要らーん。」

 

と駄々っ子のようにお道化(どけ)てみせるのみだった。

 

 

                    *

 

 

「わたしにも出来る?」

 

 早くも帰路の機上で妻がボクに問うた。

 自分も経を読みたい、とのこと。

 

 ボクは正直に、経を読むからお義父(とう)さんが成仏するとか、読まないから地獄に堕ちる、といったものではない、と自分の信じるところを伝えたが、妻は「そんなことはわかっている」と言う。

 

毎自作是念(まいじさぜねん)、のためにそうしたい。」

 

 通夜、本葬のみならず、義実家に滞在した間は、毎日義父の遺骸を前に、火葬の後は御骨を前に、ボクは経を捧げていたのであるが、妻は(かたわ)らにあってボクから取り上げた経本に……つまり際してボクは自我偈(じがげ)を暗唱しており、これを見ていた義弟をかなりドン引きさせていた、らしい……その詩句を追っていた。

 

 ボク自身は、ボクに個人的に語りかけてこない神に対してはこちらからも用はない、という意味での不可知論者であり、法華経を含むすべての宗教的言説についても、それを語った人、語り継いだ人々の営為が偶然であれ必然であれ歴史の審判に耐えて今日(こんにち)まで伝わったこと、そのことに対してのみ価値を見出すものだ。

 実家に暮らしていた未成年の時分は、そういうものなのだ、と何の疑いもなく朝夕に経を読む暮らしをしていたが、実家を出て以降はその習慣も絶えた。妻が言うように、毎日経を読む行為は、非日常的な祈りの時間を意識的に設けることにより、日常の生活に埋もれて亡失しがちな原点に立ち戻り、毎自作是念(まいじさぜねん)、し続けること、そこにのみ意味がある、と理解していて、そういったことを強いてやらなくとも宗教的言説の面白さに取り憑かれて法華経、日蓮遺文どころか旧新約聖書まで読破したボクは、この儀式に意味を見出さなくなって久しい。

 そんな人間が葬儀で経を読むなど荒唐無稽(はなは)だしい、と思わなくもないが、同時にボクは、そういった言説のみがそれを口にし、あるいは聞く者に醸し出すことが叶う心情は尊重したい、という立ち位置を取っている。

 

 かくして。

 

 我が家では概ね毎夕食の後、義父の遺影に向かって二人で自我偈(じがげ)を捧げることが日々のルーティーンに加わった。

 この遺影は、十年ほど前に義父に命じられたボクが撮影したもので、その時点で当人がどこまで本気であったかは知る由もないが「おれの遺影にするっちゃが!」とご機嫌の義父が、自慢の畑に愛用の耕運機を構えて立って満面の笑顔を浮かべているものだ。

 この写真は、胸より上を切り抜いたものが葬儀においても遺影として掲げられた。ボクの思い浮かべる義父は常にこの笑顔の義父なのだが、撮影の経緯を知らない葬儀に集った親族からは「この人がこんな(ふう)に笑っちょるのは初めて見た」と口を揃えて言われた。今思えば、この写真を撮影したときからこうなる運命だったのかも知れない。

 

 ボクと妻の読経は、単に詩句を読み上げるに留まらず、必ず事後に義父の思い出の語らい、あるいは、経の含意の解釈を巡っての議論を伴う。

 最初は、ボクの趣味に無理に妻を付き合わせて申し訳ない、と思わなくもなかったのだが、諳んじこそしないものの淀みなく妻がボクと共に自我偈(じがげ)を唱和するようになるに至って、これはこれで良かったのだ、と思っている。

 

 この日々の読経の()()()を通して思い至ったのは、これはとてつもなく贅沢な行為だ、という気づきだ。

 

 ボクにとって、経を読む、という行為は、決して秘密のノウハウの(たぐい)では決してなく、やろうと思えば誰でもできることであり、実際、妻が読経に馴染むにも二週間を要さなかった。一方で、直接の含意や、文化背景にまで思い巡らせて経を読む……味合う、といった方が適切であるようにも思われるが、そういった営為に挑むことができる人は、決して多くはないだろう。

 それは、ボクにとっては両親が信仰者であったという仏教に触れるきっかけ、都市部に生まれ暮らし比較的種々の文献の入手が容易であったという環境要因、学生時代にインターネットが一般化して更に広い情報へのアクセス手段が得られたこと、ボクの自由気ままな仏教理解を排撃する人がいなかった……皆無であったわけではない……こと、創価学会の友人葬にも象徴される葬送観念の多様化が今回のボクの破天荒な行為を許したことなど、自分の力だけではどうにもならないたくさんの偶然の積み重ねがある。

 ボクが、義母の身も蓋もない思い込みや物言い、線香の扱いにばかり気持ちの向かう会葬者にまったく呆れてはいなかった、と言えば嘘になるが、こうして顧みると、その可笑(おか)しさに気づける自分は、ただただ教養に触れる機会に恵まれていただけなのであって、ボクが特別に聡明なわけでは決してない。図らずも、敬愛する義父の死が改めてそれをボクに教えてくれた。

 

 そのことを毎自作是念(まいじさぜねん)するために、ボクはこれからも妻と日々自我偈(じがげ)を読み続けるだろう。

 

 

 

 義母の面目を憚って四十九日(しじゅうくにち)……実際にはそこから一週遅れて、奇しくもその日は、義父が存命であれば満八十歳となる誕生日だった……の法要を営むべく、ボクと妻は再び宮崎の義実家を訪ねた。

 

 法要、と言っても、経を読むのはボクなのであるが。

 

 義実家には、義母がボクに読経の礼として用意していた金員に幾許かを加えて贖われた、豪華絢爛ではないがさりとて決して見窄らしくもない、立派な仏壇が安置されていた。

 そのほぼ中央に鎮座するボクが撮影した笑顔の義父の後背、仏壇の最奥(さいおう)には十界曼荼羅の金字の縮小模刻版が掲げられていて、聞けば仏壇のオマケについてきたらしい。

 

「これ、いいじゃろー!」

 

 義母がそう言いながら自慢げに見せたのは、黒光りする金属製の香立てだ。

 

 仏壇が手配されるまでの間、葬儀会社が用意してくれた紙製の簡易祭壇に義父の遺骨と遺影が安置されていたのだが、そこに青磁の香皿があって、当家は線香を横置きする創価学会だ、と勝手に思い込んだ葬儀会社が置いていったものなのだが、義母はこれが貧相だと不満であったらしい。

 ボクの視線は、まさかそんなものがあるとは思っていなかった曼荼羅に釘付けで、一方の妻は線香は横に寝かしていた方が安全だと譲らず、たちまちに義母は不機嫌になった。

 

 仏壇下の地袋の中で物言わぬ義父の遺骨が、これをどう思ったかは知る由もない。

 

 

                    完

 

 


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