紅雨-架橋戦記-   作:法月 杏

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百一話・惜春の長夜[3]

 

 俺の視線の先で困ったように笑うのは、里冉を吹っ飛ばしたであろうその人。

 

「あーあ、加担する気なかったんだけどな」

 

 言いながら、彼女は後方で体勢を立て直して着地した里冉の方へと振り返った。アシンメトリーの金髪がふわりと揺れる。

 

「……でも、私は私が正しいと思ったことをする」

 

 俺を庇うように里冉との間に立つのは、奈茅さん、いや、奈茅姉だった。

 その姿を見て、俺は今目の前で何が起こったのかを理解した。この人、腕力だけで180cm近くある男一人を進行方向とは真逆に吹っ飛ばしたんだ。樹から彼女の〝怪力〟の能力については薄らと聞いていたとはいえ、いざ目の当たりにすると驚いてしまうというか、圧倒されるというか……。か、かっこいい……。

 それより気になるのは、どうして奈茅姉がここにいるか、だ。里冉の偵察能力に見つかっていなさそうだったってことは、まさかずっと潜んでいたのか? そもそも俺達の作戦も何も、十様に呼び出されたことすら伝えていないはずだけど、一体どうやって……まさか、本当は里冉と共に俺を消すために配置されていた……? いや、やめておこう。変に勘繰るより今はとにかく彼女に助けられたというこの状況を見よう。ありがとう奈茅姉。

 そんなことを考えながらも、里冉へと視線をやる。邪魔をされて気を立てたらしい里冉は、いつもの愛想の二割程も残っていない平坦な声で「そこを退いてよ、なっちゃん」と言いながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

「嫌だね」

「そいつを庇うってことは当主に逆らうってことだけど、いいの?」

「いい。私は彼を殺すことが正しいとは思わないから」

 

 奈茅姉は迷う素振りもなく即答する。

 

「当主が間違っている、と」

「君も本当はそう思ってるんじゃないの」

 

 その言葉に、里冉は不思議そうな表情を浮かべた。

 

「……? 何故? どう考えても当主に逆らうことの方が間違っているでしょ?」

 

 里冉の返答を聞いた奈茅姉は、呆れたように「だーめだ、話出来なさそう」と首を横に振る。

 

「どうする?」

 

 少し振り返って、俺へと視線を投げた奈茅姉。その透き通る黄緑をした瞳と目が合う。

 協力しないって言ってたのに。ざまあみろって言ってたのに。だから奈茅姉には頼れないと思っていたのに……! 目の前の彼女が俺の味方をしてくれている状況をこの瞬間にやっとしっかりと飲み込んで、十様と話して以降冷えていた体がじんわりと熱を取り戻したような心地になった。どうしよう、すげえ嬉しい。

 そうだ。法雨に潜入していたこの期間は既に無駄なんかじゃなくなっているんだ。樹、護衛組の皆、そして奈茅姉。白兄と英兄は今は任務でいないけど、あの二人も、里冉を元に戻したいと思う皆が俺に力を貸してくれる今の状況。これは間違いなく俺が法雨まで来たから生まれたものだ。

 まだ諦めるには早すぎる。

 

「まず無力化しましょう、話はそれからします!」

 

 了解、と頼もしい声が返ってくる。先程忍器を置いてしまった俺はいつの間にか奈茅姉の後方、つまりこちらへと移動してきていた樹から予備の苦無を受け取り、再び応戦の体勢に入った。それと同時に姿を見せていた護衛組の三人も、俺を庇うように前に立つ。

 里冉が俺へと視線を流す。

 

「どうしてみんな揃いも揃って……君の人望? すごいね」

「違う」

 

 即答して、続ける。

 

「お前の人望だよ」

「俺の? だったら何故……」

「お前が命かけて守るくらい俺のことが大事だって、みんな知ってるんだよ」

 

 里冉の表情に疑心の色が混ざる。

 ああ、こいつ、本当に忘れてるんだな。何度実感しても慣れないし、慣れたくもないが、せめて一々傷付くのをやめたい。目元に力を入れて、視界が滲むのを阻止した。

 

「お前ならもうわかんだろ。俺に味方する全員、お前の味方なんだよ」

 

 真っ直ぐに里冉の目を見る。里冉が何も言わないから、俺は更に続ける。

 

「今のお前には全くもっていらない気遣いかもしれないけどさ、俺含めた全員が、お前に俺を傷つけさせないように必死なわけ。なんでかわかるか。忘れている間に俺を殺したなんて事実作っちまったら、思い出した後のお前が立ち直れなくなるのがわかるからだよ、みんな」

 

 こんなこと自分で言うのも変だとは思うが、それでも確信を持って言えるくらいには俺がお前に愛されてることをちゃんと知ってるんだよ。俺も、周りのみんなも。ほんと、本部で俺と仲良いのがバレバレで注目されていたのがまさか今になって効いてくるとは思わないじゃん。しかも良い方に。

 

「……君が言うように君が俺にとって大事な人だったとして、俺がそれで立ち直れなくなるような忍びだとでも?」

「確かに本当にそうなるかはわかんねえよ。でも、そのくらい深い傷になるのは間違いないってわかるから、だから」

 

 俺が言い終わる前に、里冉が動いた。

 

「君に、君達に、何がわかるって? 俺の何を知ってるって言うの?」

 

 俺に向かって振り上げたその手は、俺の目の前にいる奈茅姉にあっさりと止められる。が、その目は奈茅姉越しに俺をしっかりと捉えていた。

 

「何も知らない君達が勝手に決めつけないでよ。何もわからないくせに、十様以外の誰も、俺のことなんて何も知らないくせに」

「でも図星なんでしょ」

 

 掴まれた手、そして固定するように踏まれた足を振り解こうとする里冉の抵抗を受けながらも微動だにしない奈茅姉が、呟くように言った。里冉の目が少しだけ揺れる。

 

「皆も、らっくんも……もちろん私も、知らなくてもわかるんだよ。例えこれまでのりーくんの言動全てが嘘だったって言われたって、それでも確かに伝わってきていた、私達が受け取って好きになってきたこれまでの君のことは、とても嘘だとは思えない」

 

 里冉が抵抗をやめる。

 

「優しくて、不器用で、繊細で……大事な人の為に周りが見えなくなるくらい本気で怒れる。そんな君に惹かれてきたんだよ、私達」

 

 奈茅姉が、里冉を掴むその手に力を込めた。

 

「だから、悔しいけどらっくんの言ってたこと、わかるよ。今のりーくんはやっぱり私も好きじゃない!!」

 

 声を張り上げた奈茅姉は、そのまま里冉を掴んでいるのと逆の手を振りかぶる。里冉の表情が一瞬にして青ざめたのが見えたのも束の間────

 

「さっさと思い出せええええ!!!!」

 

 俺の視界の先、奈茅姉が咆哮と共に振り抜いた拳が里冉の顎を思いっきり捉え、鈍い音が響いた。護衛組が思わず手を伸ばしたり駆け寄ろうとして止まる。

 里冉はよろめき、掴まれたままの手の方へと吸い寄せられるようにふらりと倒れ込んだ。それを抱きとめた奈茅姉が「大丈夫?」と声をかけると、里冉はゆっくりと顔をあげ、瞼を薄く持ち上げて奈茅姉を見る。

 

「……ッ、何するのさ、なっちゃん……」

「思い出した?」

「はあ? 何を……?」

 

 よかった、意識は飛んでないみたいだ……と思わず少し安心する俺。一方で奈茅姉は残念そうな声をあげる。

 

「う~んやっぱダメか! 脳揺らしたはずなんだけどな」

「家電じゃないんだから叩いて治るモンでもないっすよ多分」

「家電も叩かないで欲しいけどね。粉々に吹き飛びそうだから」

 

 冬倭兄に冷静にツッコんでいく樹。そんなやり取りと、あっはは、と明るく笑う奈茅姉につられて、少し肩の力が抜ける。そんな俺の横で、樹が「ていうかあれを食らってよろめくだけで済むのなんかムカつく」などといつもの調子で不機嫌に言い始めた。

 

「まあ想定内っていうか、顎吹っ飛ばないように加減したからね。あくまで無力化、だし」

 

 そう言ってニッと笑う奈茅姉に樹は「ああ、うん……そうだね……」と返しているが、その表情からは怖……という心の声がダダ漏れである。

 そんなやり取りを聞かされて戦意を失ったのか、殴られた余韻で動けないのか、随分と大人しい里冉。その隙に拘束するため、樹が里冉へと近づこうとした、その時。

 

「しっかりしてください、里冉さん」

 

 抑揚の少ない声と共に、棒手裏剣が樹と奈茅姉の足元を目掛けて飛んでくる。当然のようにひらりと避ける二人だったが、その隙に里冉は奈茅姉の手を離れ、十様を背にしてまた戦闘体勢へと入った。

 そして俺達が声のした方へと振り向くまでもなく、声の主は里冉の横にその姿を現した。

 

「哀……」

 

 樹が名を呼ぶと、哀さんがこちらを向いた。お面の向こうの表情は相変わらずわからないが、以前蔵の中で会った時とは雰囲気がまるで違う。あの時感じた不安げで消え入りそうな弱々しさが全くないどころか、むしろ堂々としているようにすら思える。十様の前だからかもしれないと思うが、それ以前に考えられることが、一つ。

 

「まさか、君……」

「ええ、全て嘘です。見事に術中にはまってくださりありがとうございました」

「……ッ、」

「十様が僕を手放すわけがないじゃないですか。お馬鹿さんですね、お二人共」

 

 樹が小さく舌打ちする。やはりそうか、あれは哀車の術……!

 

「足引っ張らないでね」

「誰に向かって言ってるのですか」

 

 里冉と哀さんのそんなやり取りを聞きながら、俺は脳内で状況を整理し直す。

 哀さんが加わったことで五事七計の強弱のバランスが変わるのは確実だが、どこまで傾くか、全くわからない。しかしあの里冉が当然のように共闘する気でいるところを見る限り、里冉が一人増えたようなものである可能性もないわけじゃない。だったら非常にまずい。何せこちらはただ里冉が俺を殺してしまわないようにしたいだけで、そもそも積極的に攻撃する選択肢がない。当然誰への殺意もない。だから数の利を活かして防戦一方の状況でなんとか時間を稼ぎながら活路を見出そうとしているが、里冉一人を相手にその状況を続けるだけでもギリギリの現状。奈茅姉が加わったことでこちらも戦力は上がっているが、彼女との共闘経験のない俺だけでなくおそらく全体的に連携はあまり期待できない。(樹が俺と組むまで独忍であった以上、奈茅姉と組んだこともないはずである。そして独忍だったのは里冉も同じで、となるとその二人の配下である護衛組も当然組んだことはないと考えるのが妥当だ)

 逃げるだけなら可能な数の利。思わずそんな考えに至るが、いや、と考え直す。逃げても意味がない。ここで逃げたら、機を逃せば、きっと二度と里冉と並んで立つ未来は掴み取れない。逃げるだけじゃダメなんだ。向き合わなければ。

 

「……樹は前線から退いて全体を見て作戦立案と指示頼む。奈茅姉は俺のそば離れないでください。里冉組は妨害、冬倭兄は……」

 

 首輪を引っ張るようなジェスチャーをしてみせると、冬倭兄が頷いて、樹に続いて姿を眩ませる。俺は「よろしくお願いします」と声に出して見送り、里冉へと向き直った。

 

「お前が思い出すまで、根比べだ」

「じゃあ君達に勝ち筋はないね」

 

 その言葉を合図に、里冉と哀さんが動いた。ほとんど同時に動き出した二人は、哀さんを先頭に、俺の前に立つ奈茅姉へと接近する。細かい攻撃を躱し、大きく攻撃してきた手足に対してダメージを与える奈茅姉。そこで崩した相手の体勢に合わせて追うように急所を突いて行く。まるで蜂のように次々と放たれる攻撃に、膝をつく哀さん。更に追い討ちをかけようと拳を握る奈茅姉だったが、哀さんの後ろから指環拳で殴ろうとしてきた里冉を確実に躱わす動きに切り替えたことで哀さんが動く隙が生まれる。低い姿勢のまま奈茅姉の足元を抜けて俺の方へと向かってくる哀さんをなんとか躱し、雨戸を狙おうとするが躱され、その手を掴まれかける。が、その瞬間哀さんの目の前に布が垂れてきて、それは拒まれた。おかげで掴まれることのなかった俺は布、もとい使用人エプロンを寄越してくれた雪也さんに感謝しながら次の攻撃に備える。奈茅姉の方を確認すれば、里冉とほぼ互角の戦いをする姿が目に入った。すると哀さんがその背後から背骨を狙った打撃を入れようとするのが見えて、俺は「奈茅姉!」と声をかける。それに反応した奈茅姉が身を捩って受け流そうとするが、空振った拳はそのまま奈茅姉の動きに合わせて裏拳で脇を打つ。呻き声を上げた奈茅姉の隙を逃さず、里冉が彼女の肘を掴んで体勢を崩す。俺はその隙に哀さんの襟を掴んで奈茅姉への次の打撃を封じるが、振り向きざまに腕を取られかけて咄嗟に逃げた。

 下手に手出しができない。俺の頬に汗が伝う。奈茅姉が一人で十二分に強いことと、その奈茅姉相手には二人が殺意を持ってかからないことは救いだが、それ以上に里冉と哀さんの連携が思った以上に取れていてまずい。里冉が一人増えたようなものかもしれないと思ったのはあながち間違いじゃなさそうだ。なんだったら二人のリーチが全く違う分、咄嗟の判断力と対応力が求められるだろう。こちらは致命傷を与えてはいけないという条件下である分奈茅姉は本気で戦えないし、味方を巻き込んだりむしろ利用されたりする可能性を考えると妨害手段もそう多くはない。この陣形、長くは持ちそうにない。

 

 奈茅姉は崩された体勢から里冉の足首を蹴って、そのまま下から水月を狙った突きを入れようとする。突きは避けられたが奈茅姉は解放され、そのまま流れるようにまた動きを追って細かく急所への攻撃を仕掛けるが、やはり里冉はタフすぎるようであまり効いている様子はない。

 

「おっかしいなあ、鍛えようがない場所だから結構痛いはずなんだけど」

「そりゃ痛いは痛いよ? 耐えられるってだけで」

「やっぱ怪力使わないとだめか」

 

 でもなあ、骨砕くのは流石になあ、と困った様子の奈茅姉。聞いてる俺は、敵に回したくないな……と思う。むしろ今回味方してくれてるのがイレギュラーなだけなんだけど。

 

「らっくん十手持ってたりしない?」

「すんません、無いっす」

 

 やっぱ無いか。と言ってから、奈茅姉は「部屋に戻ればあるんだけどな~」と少しわざとらしく声を張る。はる兄が迷わず駆け出すのが視界の端で見えた。

 

「ま、いくらでもやりようはあるか」

 

 奈茅姉は畳に落ちたままの使用人エプロンを引っ掴んで「ちょっと借りるよ」と言った後、「ゆっきー護衛お願い」と雪也さんに俺の護衛を任せて外に出て行ってしまった。一体何を? と思ってその姿を目で追う俺の視界に、突如白と赤の狐面と拳が映り込む。咄嗟に反応するが避けきれず、左肩を殴られた。その直後に雪也さんが哀さんを蹴り飛ばしたので二発目は喰らわずに済んだが、その後ろから里冉が迫るのが見え、俺が声を上げようとしたその時。

 ────スパァン!

 

「これなら加減しやすい!」

 

 そう言いながら何かを思いっきり振り抜いた奈茅姉の方へ、その何かに勢いよく叩かれた里冉が振り向いた。見るとその手には濡れたエプロンが携えられており、彼女が外へ何をしに行ったかを察する。なるほど、鎖樋の下に溜まった雨水が目的か。

 次の瞬間にはもう起き上がった哀さんがまた俺を狙って仕掛けてくる。それに合わせて里冉も動くが、奈茅姉によって妨害されて俺に攻撃が届くことはない。雪也さんとの連携でなんとか哀さんの攻撃を凌ぐが、やはりこのまま防戦一方じゃいつかは────と不安が過ぎる。術について俺より詳しいはずの樹が何か策を見つけるのが先か、それとも俺に刃が届くのが先か。

 しばらくの攻防の後、はる兄が十手を持って戻ってくる。戦況が動いたのは、奈茅姉がそれを受け取ったそのすぐ後。

 部屋の行燈が、ごく一部を残して一斉に消えた。

 

「……!」

 

 樹が仕掛けて、護衛組に合図して消したのだろう。俺の視界を奪わないようにか、俺の周囲の数箇所だけが残されて、後は夜闇に包まれる。想定外によって生まれた一瞬の隙をついてか、気付けば哀さんが姿を消していた。自主的にではなく、おそらく冬倭兄と、彼と合流していた櫻夜さんによって。

 

 そうしてまた里冉一人を相手することになった俺達。先程までより濃くなった夜闇に紛れて移動しながら仕掛けてくる里冉に、俺と奈茅姉はだんだんと消耗させられていく。ただ夜闇に紛れているのは里冉組の二人も同様で、不意に妨害が入る。

 そんな状況が続いた後、ふと樹が姿を見せた。俺の背後に立ち、ぐいっと俺の腰を引き自分の方へと寄せる。何をする気だ……?

 

「ねえ兄貴」

 

 樹が猫手をはめていない左手で俺の顔を掴み、樹の方へと向かせた。一気に近づく顔。その視線が俺の唇を捉えた後、挑発するように里冉の方へと向く。

 

「……なんとも思わないわけ?」

 

 なるほど。そういう作戦か。確かに記憶がある状態の里冉なら絶対に拒否反応を示すだろう。そしてそれはもしかしたら記憶の有無に関係なく、無自覚の感情として発露される可能性がある……かもしれない。

 里冉は少し驚いたように目を見開いているが、何も言わない。樹が続ける。

 

「いいの? 本当に? このまま俺がこいつに何しても?」

「別に、好きにしたらいいんじゃない? 俺には関係ないでしょ」

 

 言葉とは裏腹に、少し動揺しているようにも思える里冉の様子。単純に、色恋に縁がなさそうでましてや同性をそういう目で見ることなど一切ないであろう弟のあまりにもらしくない言動に驚いているだけかもしれないが、もしや、もしかしたら。

 

「そういえば潜入中、付き合ってるってことにしてたんだよね」

 

 そう言う樹の指先が俺の下唇をゆっくり撫でる。思わず少し動揺して「い、樹……?」と声を漏らしてしまうが、樹はお構いなしに続ける。

 

「アンタが知らないところで、何してたか知りたい?」

 

 意地悪く聞く樹。月咲の取り巻きに絡まれてる鈴を助けた時といい、意外とこういう演技上手いんだよな、とつい感心する俺。どこで覚えてくるんだろう。

 一方で里冉の様子はと言うと、俯いていてわからない。が、自分でもよくわからない感情に襲われて困惑しているようにも見えた。効いている、のか……?

 しかし里冉はそのまま何も言わず、しばらくの間沈黙が辺りを包んだ。

 

「…………ねえ」

 

 俺に触れる樹の手が、少しだけ震えている気がする。

 

「本当に、なんとも思わないわけ」

 

 その震えが怒りからくるものだと気付くのに、数秒も掛からなかった。

 

「ばっかじゃないの。ほんと、馬鹿だよ、アンタ。俺が本気でコイツのこと奪おうとしてなくて良かったね。俺じゃなかったら、コイツのこと好きな奴が俺の立ち位置だったら、どうなってたんだろうね」

 

 はは、と渇いた笑いを一つ零した後、樹の手の震えは止まる。

 

「……じゃあこれならどう?」

 

 今度は正面を向かされた俺からは何をされているか見えないが、十中八九、猫手を首筋に突きつけているのだろう。里冉がまた少し驚いたように目を見張るのが見えた。

 しかし、やはり何も言わない。また生まれたしばらくの沈黙の後、樹がわなわなと怒りに震え始める。

 

「いい加減にしてよ……ねえ……」

 

 顔から離れて行った手が、俺の背をドンと強く押す。されるがまま数歩前に出た俺の後ろで、樹が声を張り上げた。

 

「いい加減思い出せよ馬鹿兄貴!! コイツとの思い出全部なかったことになってもいいの!!? アンタがコイツのこと覚えてすらない間に誰かに奪われてもいいの!?! 殺されてもいいの!?! 良くないでしょ!! 良くないって言えよ!!! 良くないって言え!!!!!」

 

 俺から樹の表情は見えないが、聞いたことのない樹の悲痛な声に鼻の奥がツンとする。思わず泉狗の姿が脳裏を過ぎった、その時だった。

 どさり。どさり。と人が倒れる音が続けて俺の耳に届く。それとほとんど同時に金属の擦れる音がして、それが鉄扇だと気付く。樹の叫びに少し困ったような顔をしていた里冉がその音を聞いて表情を消し、また綺麗すぎて威圧感のある真顔に戻った。続けて聞こえてきたのは、酷く苛立っているのがわかる声と、かちゃりという聞き覚えのある音。

 

「邪魔者は眠らせた。お主らも、これ以上邪魔するようなら眠ってもらう」

 

 声の方を向くと、十様が鉄扇を口元に当てて、こちらを睨んでいた。その目は樹と、奈茅姉に向いている。

 

「ついでに同じように忘れさせてやろう。やはり悪影響なようじゃからな」

 

 睨まれた樹がゆっくりと後ずさり、俺からも里冉からも離れて手出しはしないことを態度で伝える。奈茅姉も同じように退いていく。それと同時に、俺の背後に人の気配が増えた。と同時に俺は後ろ手に拘束される。哀さんが戻ってきたのだ。瞬間、先程の人が倒れる音は、護衛組が気絶させられた音なのだと明確に理解して、俺は突然、一人になる。

 

「さあやれ、里冉」

 

 先程の聞き覚えのある音は、どうやらそれを掴んだ音だったらしい。里冉へと差し出された忍刀は、里冉と再会したあの夜、アイツが梯相手に使っていた物だった。

 

「里冉さん、さあ、貴方の手で」

 

 背後の哀さんが落ち着いた声で言う。里冉は刀を受け取り、しゃら、とその刀身を閃かせながらゆっくりと鞘から抜いた。

 

 雨の音が耳に届くと同時に訪れた孤独が、俺の心を絶望に塗り替えてしまう。俺はこのまま、あの夜俺を生かしたはずの里冉の手で、殺される。

 なあ、白偽。お前はこの光景、知ってるのか────ふとそんなことを考えて、祈るように目を瞑る。白偽じゃなく俺の目にこの夜をしっかり焼き付けて、覚えていられるように。いつか俺が里冉を忘れてしまう日がきてもちゃんと思い出せるように。そんな風に思ってお前を頼らなかった我が儘な俺だから、こんなことになっちまったのかな。

 

 なあ、俺は里冉にあんなに救われたのに、結局俺からは何もしてやれなかったのかな。

 やっぱり里冉を救うには、俺じゃ無力すぎたのかな。

 

 目の縁がじわりと濡れるのを感じ、情けなさで余計に泣きたくなる。息が詰まって、顔を顰める。

 いやだ。こんな終わり方、絶対に嫌だ。諦めたくない。諦めたくないんだよ、俺。でも────────

 

『ちゃあんと見てな、そろそろだからさ』

 

 覚悟を決めかけた刹那、俺の声が聞こえる。俺じゃない、俺の声。

 

「……ッ!!」

 

 言われるがままに瞼を上げる。目の前には、怪しげに光を纏う美しい刀身と、それを俺に向けている最愛の男の姿。そいつが刀を振り上げる。黄金色の瞳が、暗闇の中で俺を見下ろしている。

 

「ごめんね、らっくん」

 

 薄く開かれた唇から紡がれた言葉に、俺は目を見開く。

 今、なんて────────そう聞くより先に、里冉は刀を振り下ろした。

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