「いらっしゃい。待ってたよ」
「お邪魔します」
初めて家主がいるこの部屋に訪れたな、と思いながら俺は里冉の部屋に上がり込む。念の為に昼間のうちに樹に「今夜ゆっくり里冉と話がしたいから」と人払いを頼んだ結果、驚くほどあっさりと楽の格好のままでここまで来ることができた。頼み込んだ時の嫌そうな顔の樹を頭に浮かべながら、流石相棒、と口には出さず感謝する。
「引き上げ準備は無事終わったの?」
「ああ、まあな。丁度環さんの復帰と被ったおかげか、みんな入れ替えに慣れてるおかげか、結構あっさりと」
「そっか。環さんまたここで働いてくれるんだ」
「それが最後のわがままって言って樹に頼んでたんだよな。んでその樹は昨日のどさくさに紛れて十様に口利きしてたと」
案外ちゃっかりしてるよな、あいつ。と俺が言うと、ふふ、と微笑みだけ返された。そんな里冉が「そこ座ってて」と指さしてくれた座布団に腰掛けながら、俺は「あと」と話を続ける。
「今回俺に協力してた護衛組のみんなは、罰としてしばらく仕事増やされたらしい」
「それで済んで良かったねえ」
「俺としてはそれでも申し訳ないけどな……」
樹となっちゃんはお咎めなし? と聞いてくる里冉に、そこまでは聞いてない。と答える。見た感じ特になさそうではあったが、俺の知り得ない何かが課されている可能性もなくはないため、実際のところはわからない。
そうして俺は里冉が淹れてくれたお茶を受け取り、隣に座ったそいつの顔をまじまじと見つめる。俺の視線に照れたのか「……どうしたの?」と少し笑って聞いてくる里冉に、ああ、すっかり元通りだ、とまた嬉しさでじんわりと体の芯が温かくなるのを感じた。
「本当に戻ったんだなって、改めて嬉しくなっちゃって」
「……うん」
良かった。本当に。
そうやって現状を噛み締めていると、朝はまだ上手く言葉にできなかった感情がまた少しずつ、涙と共にぽろぽろと表に出てきた。
「苦しかった……すげえ、苦しかった……このまま戻らなかったら、ずっと俺ばっか覚えてるままだったら、どうしようって……」
里冉は優しい声色で、相槌を入れる。
「本来ならいつ殺されてもおかしくない敵地でさ、なんとかする手段が本当にあるかすらもわからない状況で、前向き続けんの、いつか挫けそうで怖かった……っ」
「うん」
「お前が姿見せなかった時期のこと、思い出したりもしてさ」
「うん」
「結局俺達はまともに会って話すことすらできないんだって……本当は許されてないんだって……俺は……」
約束が果たされなかったあの日から、俺は何年もずっと一人だった。やっと会えるようになったのに。やっと誰かに仲がいいことを知られても受け入れてもらえる環境に少し近づいていたと思ったのに。そんな時に、現実を思い出させるどころか〝俺〟を切り離そうとする今回の隔離。
流石に気づいた。今回忘れられてから、とかじゃない。俺はあの日からずっと、里冉に会いたいと言うことすら許されなくなって、苦しんでたこと。
本当はずっと、何年も、今にも泣き出したい気持ちでいっぱいで。苦しくて。でも取り繕えてしまうから、もしくは声すら出なくなるから、誰に気づかれることもなくて。
「会いたいって言うことすらできねえの、苦しすぎんだよ……っ、勝手に俺を切り離すんじゃねえ、一人になろうとすんな、ばかぁ……!」
里冉も望んでないことだったってのはわかってる。六年前はわからないが、今回は特に。それでも思わずにはいられなかった言葉をついそのままぶつけてしまう。そんな俺に、里冉は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、大丈夫、もう忘れない」
優しく抱き寄せられて、涙腺が余計馬鹿になる。
やっと気が緩んだせいか、今回のことだけじゃなく再会してからのここ数ヶ月、立て続けに色々ありすぎて処理してる暇のなかった感情が一気に溢れてきて、涙が止まらなくなった。こんなに泣き虫だったっけ俺、とどこかで冷静に思う俺がいる一方で、止まりそうにない涙。今は悲しむ時じゃない、と後回しにしていたものの全てが押し寄せてきて、呼吸がどんどん下手になる。そんな俺の背を、里冉は優しく撫で続けてくれた。
里冉の手が優しすぎるから、今だけは忍びの名家の後継の立花楽ではなく、ただの等身大の立花楽として感情を表に出してもいい気がしてしまって。情けないしみっともないなと思いながらも、その手の温もりに甘えることにした。
ふと、樹に「自分のことで泣くイメージがなかった」と言われたのを思い出す。
確かに普段、自分の感情は後回しにしがちかもな。そりゃだって、忍びとして育ってきたわけだし。一々メソメソしてらんないっていうか。不安に押しつぶされるのも、三病に陥った証明になっちまうから絶対そんな姿見せらんないし。これ以上落ちこぼれだと思われないように必死だから、泣いてる暇とかないし。
そんな風に色々考えてるうちにだんだんと落ち着いてきて、すんすんと鼻を啜り、手で目元を拭いながら、俺はそっと里冉から身体を離した。里冉が「水分とらないと」とお茶を渡してくれて、それを受け取って口に運ぶ。緑茶の香りが俺を更に落ち着けてくれて、おかげで腐るほどある話したかったことをやっと一つ、口に出せた。
「そういや、里冉はさ」
「ん?」
「玖珂の事件、どこまで聞いた?」
俺が聞くと、里冉は少しだけ面食らったように目を見開いてから、バツが悪そうに視線を落として答える。
「大体は」
「泉狗達の最期も?」
「うん」
「そっか」
まあそりゃ十様に報告は行ったわけだし、里冉にも伝わってるよな。
「……失望したでしょ、法雨に対して」
里冉がぽつりと口に出す。諦めの混じった声が、少しだけ震えているように聞こえた。気のせいかもしれないが。
「まあ……十様にはそれなりに思うところはあるけど。里冉はあれ、知ってたのか……?」
「ううん、かまどやの裏については知らなかったよ。でもあの人ならやりかねないなって思うし、知ってたところでどうにかしようとはしてなかっただろうから、俺もあの人と一緒だよ」
自分の分の湯呑みを両手で持ち、中を飲むでもなくただその長い指で弄びながら、すらすらとそんなことを言ってみせる里冉。その視線は手元に注がれている。
こういう時……特に法雨のことを話す時、目合わせないんだよな、こいつ。
「一緒ではないだろ」
「そうかな。いじめは傍観者も共犯ってのと一緒だと思うけど」
「それも結局さあ、立場とか力関係とかその先のこととか色々絡み合って起こることじゃん。巻き込まれた周囲が能動的に生み出した状況ってわけじゃないし、自己防衛は大事だし、みんな自分の身を守る権利は当然あるわけで、主犯と同罪なのはおかしいって思うんだよな」
里冉は「まあ、それは……そうだけど……」と歯切れ悪く言う。俺は泉狗に話をする白兄の姿と、地下牢で環さんに頭を下げる樹の姿を思い出している。
「閉ざされたコミュニティで逃げ場がない場合、そういう立場の人ってある種の被害者なんじゃねえの」
白兄が、樹が、里冉が、まるで自分がやったかのように罪悪感を覚えているのが、俺はどうも納得がいかない。彼等は十様とは決定的に違うものがある。それなのに、みんな自分ごとのような罪の意識を抱えている。
里冉は少しだけ視線をこちらへ投げて微笑んで「らっくんはみんなに優しいからそう思えるんだろうね」と言ったあと、すぐにまた自身の手元へと戻した。
「でも被害者からしたら……泉狗くん達からしたら一緒なんだよ、俺も、あの人も」
「そう……なのかなあ」
頑なに十様だけを狙った襲撃を思い出しながら、そんなことないと思うんだけどな……とその横顔を見ていると、里冉はふとこちらを見て眉を下げて笑った。
「まあほら、俺って特に当主と一緒に恨まれがちだからさ。実際そっちの方が多いんだよ、現実は」
いやに明るい言い方に、里冉がこれまで耐えてきたことの重みを少し垣間見た気になってしまう。……ていうかそれ聞いて、そっかじゃあ一緒だな。にはならねえだろ、流石に。
「じゃあせめて俺は一緒じゃないって思っておく。お前は悪くない」
「甘いなあ~」
「甘くてもいい」
机の上にお茶を置いて、続ける。
「俺が苦しんでるかもしれないやつに不用意に追い討ちかけるようなこと、したくないだけだから」
「……優しいね」
「できるだけ加害者になりたくない俺のための、ただの自己防衛」
「そっか」
話が逸れたな、と俺はまた玖珂の、というか泉狗の話に戻した。
「でさ、俺、泉狗の話聞いててさ、俺も守られるだけはやっぱ嫌だなって思ったんだよな」
里冉は目をぱちくりとさせて、俺の顔を覗き込んできた。
「もしかして、班分けの話の時に俺と同班やっぱ嫌かもって言ってたの、そういうこと……?」
「よく覚えてんな。そうだよ」
「覚えてるよ。ちゃんと思い出したもん」
「おま……今それ条件反射ですげえ嬉しくなっちゃうからやめろ」
「ふふ、ごめん」
反射的に熱くなった顔を両手で隠しながら俺が「や、まあ……いいんだけど……」と小声で言うと、里冉は俺の手に自分の手を重ねて「それで?」と続きを促してくる。半ば無理やり引っぺがされた両手は、そのまま指を絡めて繋がれる。遮るものがなくなった視界の中、こちらを見ている里冉の顔へと目を向けると、少しだけ意地悪な表情をしているのがわかった。確信犯め……俺が今お前に激弱になってるのがそんなに嬉しいかよ……と脳内で文句(?)を言いながら、促された続きを口にする。
「泉狗の話聞いてるとき、思わずお前が頭に浮かんで。守られることしかできなくて、頼って欲しい相手に頼ってもらえないどころか、そのせいで相手が命を落とすなんて、考えただけで悔しくて仕方なくて」
「うん」
「意地張ってその、班分けの話の時とか、言えてなかったけど……やっぱ守られるだけは嫌だって伝えなきゃって」
「うん」
優しい声色で相槌を打ってくれる里冉。その優しさに、もう少しだけ甘えたくなる。
「でさ……これも、言うか迷ってたんだけど」
なになに? と興味を示す里冉の前に、俺はミサンガを二本取り出して見せる。赤と紫の、編み方もあまり難しくない、ありきたりなものだけれど。
「これ……本当は10歳の誕生日の時に渡したかったお揃いのプレゼントでさ」
「……!?」
里冉は俺の顔とミサンガを交互に見て、見るからに嬉しそうな顔をした。ほんと、俺の前だとわかりやすいよな、と少し笑いそうになる。
「当時のはなくしちまったから、再会してからまた作って」
「らっくんの手作り……!?」
「うん。でもやっぱ渡さないことにして」
「ええ!? なんで!?」
嬉しそうな様子から一変して、残念そうな声を上げる里冉。
「俺がお前の隣に並べるようになったら、そんときに渡そうって、すげえ自己満足だけど……その、それまで待っててほしいっていうか……」
かなり小っ恥ずかしいことを言っている自覚があるが故に、上手い言い方が見つからなくなって、もにょもにょと先を濁してしまう。それでも言いたいことは十分伝わったようで。
「らっくんが頑張る理由になれるんだ、俺……」
「嬉しそうだな」
「嬉しいよお……」
……確かにこんな素直でわかりやすい里冉、法雨のみんなは知らなかったんだろうな。少しの優越感が俺の中に滲む。
「目標として掲げてるってことだけ、一先ずお前にも知っといて欲しかったんだよな」
「うん。わかった。これお揃いでつけられる日、楽しみに待ってるね」
「ん……」
言っちゃった。言っちゃった! と内心照れまくっている俺に追い討ちをかけるような、心底嬉しそうな里冉。流石に恥ずかしさがキャパを超えたので、この話終わり! とばかりにミサンガをそそくさと懐に仕舞い直す。
そんな俺の様子をじっと見ながら、里冉が「でもそういえば……」と何かを思い出したように切り出す。
「樹とかなっちゃんとかいたとはいえ、俺相手に白偽出さずに十分戦えてたよね……?」
「あー……っていうかそうだ、やっぱお前白偽についてなんか知ってんな?」
「あっ」
やっべみたいな顔しやがって。さてはお前も相当気抜いてんな?
「十様が言ってた因縁ってなんだよ」
「言えない」
「あと地下牢で変な記憶見たんだけど、なんか知ってたりすんのか?」
「…………言えない」
「白偽に関しては何も?」
「うん……」
不服さをそのまま顔に出して主張する。里冉は「こればっかりはどうしようもないんだよ~許してよ~」と情けない声を出す。ま、俺が白偽から直接聞き出せればいい話ではあるしな、許してやるか。
それにしても、本当に話したいことが尽きない。しばらく潜入中の出来事を振り返りながら話していると、俺は大事なことを思い出す。それはそれは大事な、例の話。
「……そういやさあ、お前、マジで使用人のこと口説いたりしてんの?」
「…………っ」
数秒前までの和気あいあいとした空気はどこへやら、叱られた犬のように背を丸めて俺から視線を外す里冉。
「あれは……その……何言っても信じてもらえなさそうだけど本当に違くて……」
「ふーん?」
「あの、らっくんだって知らなくても、惹かれちゃうんだよ、俺……」
「ふーーん?」
なんとなくわかってはいたけど本当に言われると照れるな、と思う俺。
「鈴ちゃんが異例すぎただけで、普段からあんなことしてるわけじゃないよ……本当に……」
「そ」
「目の色の話もね……むしろ逆っていうか……」
逆? どういうことだ?
「らっくんの目が好きすぎるから、似てる十様の目の色のこと嫌いになれないんだよな、ってずっと思ってて……大元のらっくんのこと忘れたせいでその順番が逆になったって感じで……」
「似てるのは似てるんだ」
「うん」
自分じゃあまりわからないな、と普段の鏡の中の俺を思い返す。確かに言われてみれば似てる……か。まあ鮮やかな赤眼だもんな、どっちも。
「納得して頂けました……?」
「まあ、それなりに」
「それなりかあ」
だって俺あれに泣かされたんだもんよ。と若干恨みがましく返すと、そうなんだ……と複雑そうな表情をされる。
「自分でもビビるくらいショックだったんだよ」
「それは……忘れられてることが? それとも……」
少しの期待が混じった言い方。こういう時は察しいいんだよな。
「お前が俺以外を口説いたことが」
「……っ、そ、っかぁ……」
嬉しさが隠しきれていない声色の里冉。対して、俺はそんな里冉の着物の袂を掴んで、俯く。
「お前が……あんときみたいに俺以外の誰かを口説くとこ……想像しただけで気が狂いそうになるんだよ……どうかしてるって分かってるけど……」
俺の言葉を聞いた里冉は、驚きのあまりか少し間を空けて、袂を掴む俺の手をとった。
「ねえ、らっくんこそそれ俺以外に言わないでよ、絶対」
真剣そのものな眼差しと声色。俺は考えるより先に、言い返す。
「こんなこと思う相手、お前以外に誰がいるって言うんだよ」
里冉は一度目を見開いて、それからハァ~~というため息と共に頭を抱えた。そうして顔に添えた右手の隙間から、俺の方をチラリと見る。
「……何言ってるか分かってる?」
「ああ、もちろん」
今度は目を伏せた里冉。少し黙った後、またゆっくりと息を吐いて、それから「困るな……このまま帰したくなくなってしまう……」と呟いた。
「今日だけだから耐えてくれ」
「……どういうこと?」
「俺達が立花と法雨の忍びで在り続けるには、近付きすぎてはいけない。分かるだろ」
里冉はまた少し間を空けて、うん……と頷く。
「俺はまだお前と一緒に忍びで在りたい。だから、口に出すのは今日だけ」
はっきりと自覚した今だからこそ、言える。伝えたかったことの中で、多分今の俺達には一番大事なこと。
でも、口にするのは今日で最後にする。だからどうか、今だけは真っ直ぐに素直な気持ちを言葉にすることを、許してほしい。
「好きだ、里冉」
ずっとはっきりとは気付かないようにしていた、俺の本心。
口にしてみて改めて、ずっと奥底に抱えていたことを自覚する。やっと言えた。やっと、声に出せた。じわじわと、嬉しさと、寂しさが広がる。
「二度と……二度と俺を忘れて一人になろうとなんて、しないでくれ。関わり続けることがどれだけ大変でも、苦しくても、構わない……お前の中の俺の居場所を、無くさないでくれ」
絞り出すようにゆっくりと紡いだ言葉は、里冉の今にも泣きそうな微笑みで、ちゃんと届いたらしいことがわかった。
「……うん。俺も、大好きだよ、らっくん」
里冉はそっと俺の背に腕を回して、抱き締めてきた。真剣な声色が、俺の耳に届く。
「もう分かってると思うけど、俺の中はとっくにらっくんでいっぱいだよ。これからもずっと」
そう言った里冉は、「あのね、」と続ける。
「いつか話そうと思ってることが沢山あるんだ。話せる時が来るまでもう少しだけ、待ってて欲しい」
こくりと頷いて、その背にそっと手を添える。それを合図に一度強く抱き締められ、すぐに解放されたと思ったら、いつもの微笑みとはまた違う、無邪気な笑顔を向けられた。
「俺の全部、らっくんなら受け止めてくれるでしょ?」
「全部は重いかも」
「えぇ」
「まあ重かったとしても、受け止める努力はする」
任せろ。と言いながら、俺は負けじと笑顔を向けた。
そうしているうち、ふと里冉が何かを思い出したかのように、あ、と声をあげる。なんだなんだ、と思う俺に、里冉は部屋の時計を指さして答えを簡潔に伝えてきた。
「お誕生日おめでとう、らっくん!」
「あ、ありがと……」
いつの間にか変わっていた日付。迎えていたのは、五月五日、俺の誕生日。
それどころじゃなさすぎてすっかり忘れていたのだが、奇跡か、或いは神様の計らいか、丁度この日に間に合うように記憶が戻っていたのだ。ある意味何より嬉しい誕生日プレゼントだったな、と二人で過ごせている今を噛み締める。
「ふふ、一番に祝えて嬉しい」
「俺も嬉しい」
「ふふふ」
主役の俺より嬉しそうな里冉の、緩み切った笑顔。俺の方が何故か「よかったなあ」なんて温かい気持ちになって、やっぱおかしいだろこれ、と吹き出してしまった。
「生まれてきてくれてありがとう」
「……ん。今年こそ俺にも言わせろよ、それ」
「え、あ……うん……」
なんでちょっと嫌そうなんだよ、とムッとしてみせると「そういうわけじゃないんだけど」と前置きしてから、里冉は話し始める。
「俺、自分の誕生日、あんまり得意じゃないっていうか……素直にめでたいと思えないから、お祝いムードちょっと苦手で……」
口ぶりで、なんとなく察する。大方、俺との約束を守れなかったあの日のことが、何か里冉の中でつっかえているのだろう。
「あ、でもらっくんに祝ってもらえるのは大歓迎だからね……!」
「本当か……?」
「うん!」
「んじゃあ遠慮なく」
そう言うと、里冉は「楽しみにしてる」と柔らかな笑みを浮かべる。今年は会える距離にいてくれる気なんだと改めて思うとどうしようもなく嬉しく、そして愛おしくなってしまって、俺は里冉の肩に凭れかかって「好きだ」と声に出していた。
「ふふ、さっき今日だけって言ってなかった?」
「寝るまでが今日だし。てか多分あの時もう日付変わってただろ」
「そうかも。そういうことにしとこ」
ていうかつまり寝なきゃずっと聞けるってこと? と馬鹿なことを言い始めたので、俺は「おやすみー」とその肩を借りたまま目を瞑る。慌てて「えーんまだ全然話し足りないよー!」と起こそうとしてくる里冉に思わずくふふと笑って、目を開けた。すると先程より近くに里冉の顔があって、俺はぎょっとする。
数秒そのまま至近距離で見つめられて、俺が気恥ずかしさに耐えられなくなりかけたその時。里冉が俺の目をじっと見ながら真剣な顔で「……嫁いでこない?」なんてとんでもないことを口にしやがった。俺は至近距離なのを良いことにそのまま額に頭突きをして「アホか」と返す。
「さっきまでの話はなんだったんだ」
「えへ……朝になったらもう帰っちゃうんだなあと思うと、名残惜しくてつい……」
時計に視線を流しながら、まだ日付変わったばっかだけど? という顔をすると、里冉は「だってぇ……」と言いながら頭突きを食らった額をさする。
「今日だけなんて言われたら尚更名残惜しくなっちゃうじゃあん」
「俺のせいかよ」
「らっくんのせいだよお~~あんなこと言われたらもっと好きになっちゃうじゃ~~ん」
ああまあ確かにこれが法雨次期当主って言われても信じたくないかも、なんて思い、俺はつい普段里冉が法雨の面々に見せているであろう姿に思いを馳せる。ま、でもやっぱ奈茅姉にも言ったように俺はこのくらい力の抜けた、らしくない里冉のことが特に好きなんだよな。ちゃんと記憶と共に帰ってきてくれて良かった。良かった……まあ良かったか。うん。俺が好きだから、いいや。法雨の将来はちょっと不安だけど。
「……そういえば」
駄々を捏ねていたかと思えば、突然真面目に話しかけてくるのはなんなんだ。その空気の切り替わり方にほんの少し心を乱されながら、俺は「何」と返す。
「俺が六年ぶりに会いに行ったあの日、らっくんも俺を探そうとしてくれてたって話だったじゃん」
「そうだな」
「俺が会いに行けない間も、毎年誕生日に廃寺で待っててくれたり」
「う、ん……」
なんか改めて再会前の行動を振り返られると、小っ恥ずかしくなるからちょっとやめてほしい。いやどれも事実なんだけど、事実だからこそというか、その。
「もしかして、その頃から俺のこと好きでいてくれてたの……? それとも最近……?」
「あ~、それは……」
答えに迷う。確かに自覚自体は最近ではあるんだけれど、思い返せばずっと……ではあるんだよな。
「好き……だったんだと思う」
「ふわふわしてるね?」
「ちゃんと自覚したのがつい最近なもんで……」
自覚した、というよりはもうわかりきってたことをやっと認めた、って感じだけど。
「じゃあやっぱり俺を探そうとしてたのは、純粋にあの約束の日について聞くためなんだ?」
「いや……それなんだけど、多分、ちょっと違った」
まだ数ヶ月しか経ってないのに、随分と昔のように感じるあの日のことを、俺は思い出す。
「無自覚だったけど、ずっと苦しかったからさ。多分、無意識のうちに確かめようとしてたんだ」
「確かめる」
「だってほら、俺ばっか覚えててお前に縛られてるんだとしたら、不公平じゃん」
へらりと笑ってみせる。
「だから、お前が今生きてるのか。生きてるんだとしたら俺のことを覚えてるのか。そんで……俺のこと、好きでいてくれてるのか。確かめて、次に進みたかったんだと思う」
ゆっくりと、不定形のまま自分の中にぼんやりとあったものの輪郭をなぞっていく。
「正直あんま期待してなかった気がするし、動き出した動機で言えば多分……うん、いっそ忘れられてるって証明が欲しかったから……だと思う。だからあんときは忘れててくれって心のどっかで思ってた」
黙って聞いてくれている里冉が、少しだけ寂しそうな顔をする。
「あんな終わり方……っていうか途切れ方だったからさ、お前との関係を俺の中だけで完結するのが難しかったんだよな。どうしても嫌いになれないし、忘れることもできないし……ほら、自覚なかったとはいえ、好きだからさ、お前のこと」
申し訳なさそうに視線を落とした里冉。俺は構わず続ける。
「んで、もし里冉が俺のこと覚えてたら、そんで好きでいてくれてたら、それはそれでそんな奇跡みたいなことが起きてるのにそれでも一緒にはいられないって現実、すげえ腹立つじゃん」
里冉が「そうだね」と頷く。多分そんなとこまで同じ気持ちだったから、会いに来てくれたんだよな、あの時。
「だからいっそ忘れられてるって知ったら、俺だってお前への想いを捨てて楽になれるんじゃないかって、期待してたんだと思う。……うん。ちゃんと自分の中で終わりにして、忘れて、前向いて次に進むために確かめたかったから、探そうとしてた」
多分、それがあの日の俺の本心だ。一先ず大体の輪郭は捉えられたんじゃなかろうか。
里冉のことになるとつい様々な先入観で直視しないようにしてそのまま放置してしまう本心が、おそらく俺にはそれなりにある。きっとそれらと目を合わせられるようになるには、時間と、俺自身の成長が必要不可欠で。
「……ってまあここまで言語化できんのも、自覚した今だから、なんだけどな。あんときはただとにかく……約束の日のこともそうだけど、そもそも生きてるかどうか、覚えてるかどうかを確かめたかった、って感じ」
里冉は「そっかあ」とやはり少し寂しそうな声で言う。なんだよ、お気に召す答えじゃなかったってか? とはまあ言わないけれど。大方、俺が里冉のことを忘れて前を向く選択肢を取ろうとしていたことへのそれだろう。そんだけどうしようもない寂しさ抱えさせてたのは他でもないお前なんだけどな!
「いざ探し始めたら、覚えてるどころか『忘れた日はなかった』とか言いながら本人登場だぜ? 流石にビビるよな」
「改めてあれ、すごいタイミングだったんだねぇ……」
「本当にな」
俺は「いや~~……」と言いながら里冉の肩に凭れ掛かり、体重を預けた。俯いたその表情は悟られないように、気持ち明るめの声を出す。
「忘れててくれとか思ってたくせにさ、いざ再会してお前も同じような気持ちだって知っちゃった上で実際忘れられると、結構堪えるもんがあるんだなって、今回身をもって知ったわ。マジ、超しんどかった」
また泣きそうになるのを堪えたくて、はは、とわざと笑う。里冉はそんな俺の頭を撫でて「本当にありがとうね、ここまで来てくれて」と優しく言った。
「……まあ案外樹達と楽しそうにやってたようにも聞こえたけど」
「それはそれこれはこれ。ってか何、もしかして鈴は嫌って、樹への嫉妬とか?」
「なんでわかんのさ~そうですよう」
てか鈴ちゃんのこと嫌とまでは言ってないけどね、と付け足す里冉。まあ口説いてたくらいだしな。
「う~~、この期間ずっと
「お前がああならなきゃそもそも俺来てねえんだよなあ」
「そうだけど! そうだけど~!」
また駄々を捏ね始めた里冉に、仕方ない奴、と笑う。
すっかりいつもの調子の、俺を知る里冉が、そして俺の知る里冉が、帰ってきていた。
「あ、そうだ。誕生日プレゼント何が欲しい?」
「え、う~ん……お前の誕生日を堂々と祝う権利かな」
「プレゼントしなくてもあるよそれは」
「じゃあ……」
俺は不意に、里冉の顔へと自分の顔を寄せる。
「これで」
この時のかつてない程に面食らった里冉の表情を、多分俺は一生忘れることはないだろう。