紅雨-架橋戦記-   作:法月 杏

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六十一話・独善[3]

 

 

 殴られる─────

 

 そう覚悟した瞬間。

 俺達の上方から、何かがヒュッと男目掛けて飛んで来る。

 

「……ッ!?」

 

 男がそれを咄嗟に避けようとしたおかげで俺は殴られずに済む。

 まさか樹が起きて助けてくれた……!? と上を見ると、木の上には樹ではない誰かの影が。

 

 次の瞬間、そいつはすぐ背後に降りて来て俺の腕を掴んだ────と思ったら、突き刺さっていた棒手裏剣を思いっきり引き抜いた。

 

「ぅ、ぐぁ……ッ!?」

 

 痛みに声が出たことで、体の自由が戻ったことに気付く。

 やはりこの棒手裏剣に術が掛かってたのか……! と謎の影に助けられたことを認識するが、今度は痛みでその場に蹲ってしまう。クソ、折角術を解いてくれたのに、結局俺は一人じゃ何も……。

 

「止血、早く」

 

 俺を守るように男との間に立ち、冷静にそう言う人物。

 その声には聞き覚えがあった。しかもこっちは明確に、誰だかわかって。

 

「朱花……!? なんで……!?」

「今は説明してる場合じゃない」

 

 その通りだ。驚きで思わず固まってしまっていたが、その間にも血は溢れ続けている。

 俺は痛みと混乱でおかしくなりそうな頭をなんとか動かして、急いで懐から手拭いを取り出し止血を始めた。

 

「邪魔すんなよ……なあ……折角本物を見つけたかもしれないのにさあ……ほんっと今日はボクをイライラさせることばかり起こるなあ……はぁぁ最悪……どけよ、そこ……」

「これ以上お前の好きにはさせない」

「鬱陶しいなあ……邪魔すんなって言ってんじゃん……聞こえないわけ……?」

 

 右手しか使えないおかげで止血に苦戦する俺の前で、種類の違う殺気がぶつかり合っていた。

 呆れや苛立ちが入り混じった冷ややかな目で朱花を見つめる男。そして、俺の知る彼とは全く違う、物々しい空気を纏った朱花。

 俺は少しだけ冷静になった頭で状況を整理し直して、まさか、と思う。

 

「ていうかお前誰……? ソレの何……? それともボクに何か用……? だったら後にしてよねええ……ボク今忙しい─────」

「俺は」

 

 男の言葉を遮る朱花の手には、何かが握られている。

 

「お前が理不尽に殺したアイツの────」

 

 よく見るとそれは、弾丸のような飾りのついたチョーカーで。

 

「藍住《あいずみ》茉央の、親友だ」

 

 その声に、姿に、確信する。

 これが茉央の弔い合戦なのだと。

 

 

 

   * * *

 

 

 

 妬み。

 嫉み。

 僻み。

 

 少しずつ蓄積されたそれら全ては、あの日を境に歯止めが効かなくなっていった。

 

 長年夢見ていた、直属班への配属。

 それを与えられたのは俺ではなく、茉央だった。

 

 茉央はそれ程望んでいたように見えなかったのに。

 俺の方が望んでいたのに。

 

 俺の夢見るその場所は、あっさりと茉央にとって当たり前の場所になった。

 

 それからは俺の方が相応しいとか、俺の方が優れているのに、とか、気付けばそんな醜いことを考えている自分がいて。

 考えれば考えるほど惨めになることも、本当は茉央の実力を認めていたことも、友として誇らしかったことも、何よりも自分への失望が大きかったことも、頭ではわかっていたが抗えなかった。茉央のせいにしたくなってしまった。茉央一人を妬むことで、楽になろうとしてしまった。

 

 そうしていつしか、茉央との関係は悪化していた。

 

 それでも茉央は、少し距離を取ってはいたが、以前とあまり変わらない態度で接してくれた。

 しかし、それすらも己の醜さを浮き上がらせる材料でしかなく、拒んでしまった。

 

 茉央はずっと『友達が少ない』と自称していた。

 だがその実、人当たりは良いし愛嬌も無いわけではなく、その周りにはいつもそれなりに人がいるように見えた。おそらくその中に茉央の思う友がいないだけで、確かにどこか人を惹きつける面は持っていた。決して目立って人気者な訳ではなかったが、仲良くなりたいと思っている同期や後輩は少なからずいただろう。

 そして少なくとも俺から見れば、魅力的で、すごくて、正直羨ましかった。

 

 それに比べて俺は────昔の俺は、茉央しか友達がいなかった。

 忍びとして生きて、ただ里や家の為に死ぬだけだと思って育った。

 今は梵さんと出会って変わったけれど、茉央と出会った頃は特に『忍びに友達なんていらない、心を乱す要素は少なければ少ない方がいい』と思っていた。

 だから必要としていなかっただけ。そう思うことで直視していなかったが、茉央にある愛嬌も魅力も人当たりの良さも、全て持っていなかった。

 

 そんな俺に、初めてできた少し仲のいい同級生。それが気付けば、互いに一緒にいることが不自然じゃないほどの関係になっていた。

 俺は茉央の隣では、『忍び』ではなく『ただの朱花』になれた。そんな存在は初めてだった。

 

 茉央の配属をシンプルに『悔しい、俺も頑張ろう』で済ませられたらきっとこんなに苦しんでいなかっただろう、と未だに思う。

 唯一の友で、尊敬のできる相手であったからこそ、真っ黒な感情を抱いてしまうことそのものが酷く苦しかった。そのことに気付いてからは意図的に距離を置いて、必死にただ修行だけに集中して、茉央のことなど考える暇を作らないようにと、努力した。

 

 一人は慣れていたし、忍術修行を頑張ることは苦じゃなかったからか、案外その策は上手くいき、俺にも夢だった直属班への配属が決まった。

 

 その頃には忍学校も卒業しておりほとんど会わなくなっていたにも関わらず、茉央は祝福してくれた。

 俺が彼の時にできなかったような笑顔をして、俺が言えなかったような言葉をかけてくれた。

 

 また、どす黒い感情が顔を覗かせた。

 

 忍びとしては明確に成長していた。しかし────心はあの日の幼稚で醜い自分のままだった。

 

 怖くなった。近づいてしまえば、今度こそ直接彼を傷付けてしまうことになりそうで、俺はまた逃げた。

 

 そうして逃げた先で、ただひたすら梵さんを想った。

 決して茉央から目を逸らす為だけではなかったが、意図的に盲目的になろうとしていたことも否定できない。それ程までに茉央の存在は、弱い俺には耐え難いものだった。

 

 茉央と出会わなければ、俺はきっと友と向き合うことがこんなにも怖いことだと知らないままでいただろう。

 とにかく怖かった。これ以上彼への感情が膨らめば────そう考えては、自分自身が恐ろしくて彼に近付けないまま、距離を置く日々が続いた。

 

 それでも案外、時間というものは手助けをしてくれた。

 俺が配属されたのが梵さんと同班なこともあり、人と関わる機会も増え、以前は羨むだけだった『人との繋がり』が自分にも出来始めて、俺は心も少し成長することができた。

 

 そんな俺の中に段々と、茉央への気持ちの整理をつけて再び向き合おう、という気持ちが湧いてきた。覚悟を決めるのにまた少し時間を要したが、話しに行こうと心に決めた。

 

 そうして久々に会いに行こうとした、まさにその日───────

 

 茉央の訃報が入った。

 

 あまりに突然の出来事に、俺は信じることができなかった。

 実感なんて湧くはずもなく、長達が悪い冗談を言っているのを聞いているような、そんな現実味のない訃報だった。

 

 しかも知らされたのは、『火鼠での任務中に事故で亡くなった』ということだけ。

 恐ろしく簡潔で淡白な長の話には、茉央がいなくなったことを感じさせる説得力などなく、俺は違和感を覚えた。

 それは同時に、里への不信感でもあった。

 

 里は何かを隠している。

 そんな不信感を胸に、霊安室に忍び込んだ。

 せめてこの目で見て、実感したかった。

 

 忍び込んだそこにあったのは、眼球のない彼の亡骸だった。

 

 綺麗に抉り取られていた。

 明らかに、人の手で。

 

 茉央の死因は事故なんかじゃない。殺人だった。

 

 途端、里への不信感は恐怖にも似た感情に変わった。

 どうして死因を隠したのか。どうして事故なんて言葉で片付けようとしたのか。まさか里にとって茉央は隠さねばならない汚点となったのか。犯人は。一体なぜ、どうして、狙われたのが茉央で、よりにもよってこの日だったのか───────

 

 茉央の顔にできた大きな二つの穴から、俺はしばらく目が離せなかった。

 

 

 

 今でもずっと、あの暗い眼を夢に見る。

 そして俺を責め立てるのだ。

 

 『どうしてもっと早く向き合ってくれなかったの』と。

 

 わかっている。茉央がそんなことを言うはずがないと。

 

 だから、これは俺の後悔だ。

 友から目を背け続けた俺への、報いだ。

 

 この復讐も全て、茉央への感情に、果てしない後悔と絶望に、ケリをつける為の自己満足でしかない。

 

 それでもいい。

 

 復讐こそ、あの日からずっと茉央から逃げていた俺が、最期に真剣に向き合える唯一の道なのだから。

 

 

 

 うじうじと悩んでいる間にも、時間は無慈悲に彼が生きていた頃を遠ざけて行く。

 

 だからこの怒りが過去になってしまう前に。

 あの暗い眼を忘れてしまう〝いつか〟が来てしまう前に。

 

 絶対に俺が殺す。

 

 俺の手で、茉央の仇を討つ。

 

 

 今度こそ茉央に向き合ったと、俺自身が思えるように。

 

 

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