全員生存ご都合主義
はい
一目惚れぶきっちょ太郎とヒビリで乙女なDさまのもだもだ青春初恋路線を突っ走らせて頂きました
元ネタは᙭フォロワー様の素敵絵からのインスピで突撃して快くご承諾頂きまして書かせて頂きました誠にありがとうございます
目指したのは読む方々が何でそこでそうなるの!!と頭を抱えるもだもだすれ違い両片思い炸裂です
楽しく書かせて頂きました
概ね満足です
ありがとうございました!
誹謗中傷はそっと心の中で呟いて世に晒さないで下さい
苦手な方はブラウザバックでお戻り下さい
◆Ⅰ◆
空条承太郎18歳高校3年生。
生まれながらにして容姿に恵まれ何不自由なく育ち過干渉な母親のお陰でぐれて立派な不良と成り果てたが自身の価値観を覆す旅を50日もして更に普通ならあり得ないファンタジーの世界の勇者のように自分が悪の親玉をやっつけて勝利して凱旋した。
というのが簡潔に、ごくごく簡潔に要約した話であるが実は物凄く長い尾ひれがくっついている。
その悪の親玉がとんでもない美人で、ぶっちゃけて言えば惚れた腫れたの世界に硬派を気取ってた思春期真っ只中の青臭い青年が心奪われて動悸息切れ眩暈全身の震えなあんてものに見舞われてしまっているのだ。
自分の周囲はそれは美形揃いだったお陰で面食いだとは自覚していたが、世の中の男子は皆そうだろうと当然思っていた。
クラスの男共は週刊グラビア雑誌等を見ては、こいつが可愛いだのこっちのがエロいだのと騒いでいるからだ。
だが自分は大和撫子タイプが好きなのだ。
奥ゆかしく大人しく騒がず喧しくない女がタイプなのに、全くの真逆のタイプを好きになってしまった。
初めて顔を付き合わせたのが命を掛けた戦いだったものだから、互いにアドレナリン全開放出で細かいところまで認識なんかとてもじゃあないがしてる余裕は無かった。
一瞬の隙が命取り、正にその言葉が当てはまる瞬きの一瞬で勝敗が決まると言っても過言ではない切羽詰まった戦いだったからだ。
承太郎が我に返ったのは戦い後の白旗を上げたDIO側とSPW財団とが行った協定協議会議中で、母親の方は心配ないと安堵してからの話だった。
承太郎に打ち負かされた事で、DIOが一族頂点の座から引きずり下ろされた結果だった。
わいわいガヤガヤと落ち着かない雰囲気の中、祖父であるジョセフ・ジョースターと今後の話を詰める親玉をまじまじと眺めた。
あれ
おかしいな
なんて目をこすりこすりしてみるも、見間違いなんかではなく。
嘘だろ?!
となる美貌に今さら心底驚いた訳だ。
美しいなんて言葉じゃあとてもとても言い現せられない美貌は、承太郎の恋心を鷲掴みにするには充分だった。
表面は「無」そのものだが。
肉体は高祖父のジョナサン・ジョースターだと豪語していたが祖父の血を吸ってからは馴染んだと言っていた辺り、あの肉体は既にDIO本人の肉体となったのだろうがしかし筋骨隆々にも関わらず何なのだあの色気は。
アブドゥルが男とは思えない妖しい色気と表現していたが、やぶさかじゃあねえなと帽子のつばを摘まみながらこっそりとしかしまじまじと見た。
本当にエロいのだ。
ジェンダーをまるっと無視したエロさが滲み出ているのだ。
女のストリッパーと服を着たままのDIOを並べても、恐らく軍配はDIOに上がると断言できる。
1枚1枚勿体ぶって服を脱いでいくストリッパーよりも、普通にインナーを脱ぐだけのDIOを想像して鼻血が出そうになった。
慌てて脳内で素数を数えた。
あぶねえあぶねえ、オレのウルフに張り手をかましてもらわにゃあならねえところだったぜと冷や汗を拭うも、目線は自然とDIOの方へ流れていく。
本人は至って真面目に話を聞いている。
それはそうだ。
自分の組織や配下がどうなるかの重要な話なのだから。
なのに、あの赤い唇が動く度にむずむずとしたものが下半身から這い上がりそうになる。
あの金の目線が動く度にそわそわと落ち着かなくなる。
首から下は間違いなく男の憧れの見事な筋肉で覆われているのに、掴みたくなるむっちりとした張りのある胸筋って何だと言いたい。
そして男のくせにやたら細い腰を撫で下ろしたい。
そんな事を考えてしまい思わずテーブルに額を思い切り打ち付けた。
ゴッ
といういかにも痛そうな音が響いた。
皆が何事かと吃驚して見つめる中、承太郎は舌打ちして火を点けずに煙草を咥えた。
額からは煙が出ていたかもしれない。
訝しげに眉を潜める金瞳と目が合った。
さっと逸らされたのに、何だよとちょっぴりショックを受けた。
それが数ヶ月前の話で
何故か唯一DIOを打ち負かした承太郎の側がいいだろうというSPW財団の安易な決定により拠点を東京に移したDIOら一行だが、完全に移した訳ではなくエジプトは部下と信者の為にそのままの形で残しておくらしい。
何しろ悪の帝王という冠を戴いて中東の裏社会を牛耳っていたものだから、崇拝者がDIOが居なくなった途端にどのような行動を取るか知れたものではないという理由だった。
下手をすれば逆恨みで日本人観光客の安全が脅かされるという事態になりかねないと、エジプトは支部として稼働する事となった。
無論、監視付きだが。
承太郎は出来る限り毎日監視報告を受けるという名目でDIOの元を訪れていた。
学校帰りの時もあれば、夕食を食べてからという時もある。
惚れた相手の元に通うのに大義名分があるのだ。
これは行かない訳がない。
だが学校帰りの時は大抵DIOは眠っていて、時々起きている事があるくらいだ。
そういった時は必ず本を読んでいるか、ネットワーク上の広辞苑を眺めている事が多い。
しかし承太郎と顔を合わせたくないのか、会う度に目を逸らされた。
質問しても返事も曖昧で上の空といった感じだ。
DIOと共に日本に来た執事はあからさまに承太郎に嫌味を言ってくるが、まだその方がましだと思えるくらいに避けられていた。
承太郎とて鈍いが馬鹿ではない。
その理由としてやはり先の戦いで身体を砕くほど打ち負かしたからだろう。
自分だってもし同じ目にあったら、そいつの事は避けて通るかもしれない。
気持ちは分かる。
が、ちょっぴり寂しい。
だって、好きだから。
時間が経つほどに好きになっていく。
「ボクに?!」
昼休み。
屋上はいつも2人で独占し2人で弁当を広げている。
承太郎は体躯に見合う大食漢で、薄っぺらい鞄以外に重箱もどきを持参していた。
勿論中身は母親の愛情たっぷりの弁当だ。
色取り取りで毎日おかずも違う。
それをさも当然のように食べている承太郎を見ていると、無銭飲食やりかねないなあと花京院は思うのだ。
そして今日は珍しく弁当を2つ持ってきていた承太郎が、1つを無言でよっと言いながら腰を下ろした花京院に差し出した。
購買で購入したパンの包みを開けようとしていた花京院の目が瞬いた。
まさか、ホリィさんの手作り弁当を、わざわざボクの為に?!
花京院の目がパアッと輝いた。
両親が旅行で不在の今、不在で良かったあ!と神に感謝した。
「うわあ!ありがとう承太郎!すごく嬉しいよ!」
わあいと受け取った花京院が嬉しそうに弁当の蓋を開いた。
やはり色取り取りでキレイなお弁当だ。
いただきますと両手をしっかり合わせておかずに箸を突き立てた。
「あー、あのよ。ちょいと、相談なんだがよ。」
一心不乱に旨いホリィ作弁当を平らげ、ご馳走さまでしたと手を合わせてから蓋をした所で承太郎が珍しく言いずらそうに花京院に聞いてきた。
ボクにはちょっと量が多かったなと腹を擦りながら何だい?と答えた。
午後の授業がまともに受けられるか心配になる満足感と満腹感だ。
「怖がられてる相手をさ、ええと、す、好きになっちまったら、どうすりゃあいいか、その、知ってるか?」
ああでもこの幸せな気分に浸れるなら午後の授業はサボってもって、ええ?!
花京院の目がくわと見開かれた。
承太郎があの承太郎があの空条承太郎が
好きな人?!
「え~っと、ちょっと待ってくれ。君、好きな子が出来たのかい?」
落ち着いて典明。
深呼吸だ。
そうだ、彼だってれっきとした青春真っ只中のボクたちと同じ高校生だ。
見た目が身体が大きくて怖くてニヒルで格好いいからって、中身までそうじゃあないとエジプトでの旅で分かったじゃあないか!
しっかりしろ典明!
ボクは彼のトモダチだ!
「あ、ああ。ちっと、な。で?何かないか?」
照れ臭そうに鼻の頭を掻く承太郎を見て、花京院はフッと小さく笑った。
年相応に見られず苦労した話も知っている。
固い表情筋のせいで勘違いされる事もしばしばではなくしょっちゅう。
器用なようで不器用な友人のそんな姿に、花京院は素直に応援してやろうと思った。
「怖がられてるねえ・・・。まあ、確かに君は表情が固いよね。声も低いから怖いのかなあ。ボクは慣れちゃってるから正直分からないが、とにかく仲良くなる事が大切なんじゃあないか?共通の話題とかないのかい?」
花京院の質問に承太郎は腕を組んでううむと考えた。
オレとDIOの共通の話題。
全く思い当たらねえ。
幽波紋が同タイプってえだけだ。
そりゃ流石にトラウマだろうがよ。
待てよ、昨日そういやあいつ、
「なんか、あったかも、しんねえな。」
顔を上げた承太郎が花京院を見た。
じゃあと花京院は続けた。
「それを話題にして少し距離を縮める事からしてみたらどうだい?まあ、君だったら相手もイチコロだろうけど。何たって学校一モテる男だからね。」
そう言ってウインクをしてみれば、承太郎は照れ隠しに帽子のつばで顔を隠した。
「か、からかうんじゃあねえぜ。まあ、でも、ありがとな花京院。やってみるぜ。」
ボソボソと返ってきた言葉に花京院は笑顔で返した。
この承太郎が惚れる子って、どんな子だろうかと思いながら。
目が覚めてからベルで執事を呼ぶと、今日も来てますよと伝えられた。
嫌いな相手の所へ毎日通うのは相当な苦行だろうにと思った。
監視報告を聞く為だけに足繁く通うのはどうかと思うが、本人が嫌でも課せられた義務とでもいうのか律儀に通ってきては無言で帰っていく。
何を言う訳でもない。
何をする訳でもない。
ただこうやって向かい合って座って執事の紅茶を飲んで帰るだけ。
気味が悪い。
と思っていたら、突然顔を合わせるなり紙袋を付き出された。
何だと眉を潜めると、更に目の前に ん と付き出されたので受け取らない訳にいかなくなった。
もう少し何とか言ったらどうなんだ。
ぶつぶつ思いながらも承太郎を見れば、何処と無く目元が赤い。
おや?とDIOは思った。
何だろうかあの顔は。
まあいいかと紙袋を開けた。
長細い何か固そうな物が入っていた。
見た事がある。
「chopsticks?」
DIOが呟いた。
何の模様もない只の黒塗りの箸だ。
木製のそれは鈍い光を放っているように見えた。
「・・・・私に?」
恐る恐る目線のみを承太郎に向けて問えば、やはり目元を赤くした承太郎が帽子のつばで顔を隠しこくりと頷いた。
照れているのかとその仕草から目が離せなかった。
まさか
この無表情で無愛想で無慈悲にも己を砕いた男が照れている?
はは、まさかな
DIOは浮かんだ答えを即座に否定した。
だって
己は憎しみの対象の筈だ。
高祖父の肉体を奪い、一族を母親を殺されそうになったのだから。
憎まれたって仕方がない。
あの時の目は忘れられない。
最後の決定打。
己の脚から身体を砕いたあの時の目。
恐ろしいと思い出してDIOは身震いをした。
私を殺す目。
死んで当然と、殺意に満ちた目。
「・・・アリガトウ。」
それでも胸中に沸いたのは喜びで。
DIOは素直にそれを受け止めた。
どんなに素晴らしい美辞麗句よりも、どんなにキラキラと輝く宝石よりも
この鈍く光る黒塗りの箸の方がプレゼントされて嬉しいだなんて。
紙袋から取り出してパッケージ越しにじっくりと眺めた。
美しい色合いだった。
真っ黒に見えて実はそうでもなく、初めて異文化に触れられて何処と無く心がちょっぴりだけふわふわした。
久しく感じてなかった感情だ。
「これは・・・何て書いてあるのだ?まだ日本語がそこまで習得出来てはいないのだ。漢字は読めぬ。」
箸に巻いてある紙に何かが書いてあるが、難しくて読むことが出来ない。
DIOは素直に承太郎に教えを乞うた。
承太郎はガタリと席を立つと徐にDIOの顔の横に屈んで箸を覗き込んだ。
そこでDIOは改めて承太郎が美しい顔をしていると認識した。
彫りの深い日に焼けた精悍な横顔。
通った鼻梁に形のいい唇。
地中海の色を思わせるようなターコイズグリーンの瞳。
綺麗な男だな。
一瞬だけ見惚れた。
「漆塗りって、書いてあるぜ。」
耳を擽る低音は、不快ではなく心地好く内耳に響いた。
「ウル?シヌリ?・・・とは何だ。」
「そこんとこはオレもよう知らん。椀とか木材の食器用塗料だったと思うが、明日まで待ってくれんなら調べてきてやるぜ。」
いや、自分で調べられると言おうとして覗き込んだままの承太郎と間近で目が合った。
何と美しい宝石のような瞳なんだろうか。
その瞳は穏やかで、優しくDIOを見ていた。
憎しみなんか何処にもなかった。
嫌悪すら感じられない。
「な、ならば、頼もうか。調べてきてくれ。」
じいと見つめているとむずむずとした擽ったさが脇から這い上がってくる。
誤魔化すためにDIOは目線を箸に戻した。
ドキドキと心臓が煩い気がする。
美しい物は散々見てきた。
煌びやかなものも散々見てきた。
なのに、それらの何よりも1番美しいと思ってしまった。
憎きジョースターだったのに。
今は憎いと思わない。
「し、しかし何故、私に箸を寄越そうと思ったのだ?」
蛍光灯に翳してみた。
鈍い光り方が上品で気に入った。
「てめえが、その、昨日、日本の文化についての本を読んでたからな。何となく。」
席に戻った承太郎がまた帽子のつばで顔を隠して答えたのに、DIOはあれは癖なのだなと承太郎の行動を1つ理解した。
そうなのかと納得もした。
それにしても本を読んでたくらいで、こんな素敵なプレゼントをもらってもいいものだろうか。
「そうか。うむ。ありがとう承太郎。とても嬉しい。何かお返しをせねばならんな。何が欲しい?承太郎。」
「いや、別に、要らないぜ。大したもんじゃあねえし。」
「いや、そうはいかん。」
「じゃあ、その箸が使えるようになったら、一緒に飯を食おうぜ。」
「・・・!」
承太郎にとっては何て事ない誘いだった筈だ。
なのに何故かじいんと胸が痺れる感覚がDIOを襲った。
百数年前の英国で以来の外食の誘いは、一時だけDIOを吸血鬼という枠から外し気持ちは喜びに満ちた。
いいのかお前は
こんな私で
「あ、飯は食わねえ、のか?」
しくじったという顔をさせてしまった事に、DIOは慌てて訂正した。
「い、いいや!食す!食すぞ!気が向いたら食事はする事がある。味覚は変わらずあるのでな。」
ふふと笑えば承太郎はちょいと驚いたような顔になり、また帽子のつばで顔を隠した。
何故か覗く耳が真っ赤だ。
何だ、可愛いではないか。
「では今夜から練習させてもらおう。お前が驚くスピードでマスターしてやろうではないか。」
意気込むDIOを見て、帽子の隙間から承太郎が小さく笑った。
またDIOの心臓がドキドキと煩くなる。
何だ病気か?
「待ってるぜ。じゃあなDIO。また明日。」
また明日
その言葉を聞いて、DIOはちょっぴりだけ幸せな気分になれた。
また変わらぬ明日を迎える事が許されるというのは、こんな気持ちなのだなと理解した。
「ああ、承太郎。また明日。」
人間だった頃に交わした挨拶を、まさかこの男と交わすとは思いもよらなかった。
自然と笑みが溢れた。
◆Ⅱ◆
今日は図書館で調べものがあるからと、承太郎は下校途中で花京院と別れた。
花京院はいい奴だ。
根掘り葉掘り聞こうとしないし、余計な詮索もしてこない。
昼休みにも何も聞いてこなかったから、昨日はありがとなとお礼を言っておいた。
承太郎は図書館を意外とよく利用する。
自宅にも書庫があるが図書館の方が静かにしなければならない分、あの独特の妙な緊張感が漂っているせいで自分も勉強しなければという気持ちになれるからだ。
後は誰にも話し掛けられないのがいい。
下校途中で来たのは初めてだったから、学ラン姿に受付のおばちゃんが不審な目で見てきた。
図書カードを返してきた時に、絶対に騒がないようにと念押しされた。
仕方がないかこんな格好だしなと肩を竦めて、見取り図を確認してから工芸関係の方へと向かった。
昨晩に久々に帰国した父親にジャンルを聞いておいて正解だった。
そう言えば、DIOは何かしら本を読んでいたなと思い出した。
外国語で書かれた背表紙をよく目にしたが、何語かまでは分からない。
ここに連れてきたら大変だろうなと、昨日の箸を見た時の表情を思い出してきっと可愛いんだろうなと思った。
絶対にはしゃぐに決まっている。
真っ白な顔にちょいと頬が桃色に染まって、本当に嬉しそうに微笑んで。
ああ、くそ、マジで可愛い。
思い出しただけでその場に踞りたくなったのを何とか堪えた。
箸を眺めた時のちょっぴり寄り目になったのが物凄く可愛かった。
ありがとうと溢した笑みが可愛かった。
好奇心で目をキラキラとさせて意気込む姿が可愛かった。
また明日と言った時の笑みが可愛いかった。
ダメだ重症だ。
吃驚する綺麗さなのに可愛いも追加されたら反則だろと目的の本棚へと辿り着いた。
今日も可愛い顔が見れるだろうかと本を探しながら考えた。
なんて、呑気な事を考えていたのだが思ったよりも漆塗りの奥は深く調べてきてやると言ってしまった手前、適当に切り上げる事も出来ずに細部まで調べる羽目になった。
あいつならと思い浮かべて横道に逸れに逸れまくった結果なのだが、閉館時間を受付のおばちゃんに迷惑そうに告げられるまで没頭してしまった。
外は暗い。
やべと家に遅くなる電話を入れてから、DIOの元へと急いだ。
「待っていたぞ承太郎!」
DIO飛び付く勢いで歓迎された事に承太郎の青臭い恋心が脳内フィルターを発動する。
待っていた?
待っていたと言った?
オレを?
DIOが、オレを?
お花畑エフェクトが脳内に広がった。
なんでえ照れ臭いじゃあねえか、なんて都合のいいように思ってしまった。
昨日よりも今日の方がちゃんと目を見てくれている事に喜びを隠せない。
実際は「無」であるが。
「いやな?この館の部下の誰も箸の使い方を知らんのだ。監視の財団の奴らにも知らぬと言われた。故に練習しようにも出来なくてな、お前を待っていたという次第だ。頼む承太郎。使い方を教えてはくれないだろうか。」
一瞬にしてお花畑は四散した。
そうだよな
昨日今日で怖がられてた相手に好かれようなんて土台無理があるよな
まだ会話が出来るだけましだな
ふっと悲しげに薄く笑いながら、承太郎は肩を落とした。
しつこいようだが実際は口角がちょいと上がった程度だお間違いないように。
「い、いいぜ。オレも普通に使えてるくれえのもんだが、それでよけりゃあ。」
「その普通が出来ぬのだから構わぬ!良かった!ありがとう承太郎!」
やれやれと落ち着いたところで返事をすれば、満面の笑みのDIOが視界に入った。
ズギャンと心臓を撃ち抜かれた気分になり思わず心臓の辺りを掴んだ。
可愛いぜDIO、死ぬかもしんねえオレ。
「上の箸は鉛筆を持つ時みてえに持ってだなあ、下の箸は中指と薬指の間に入れて固定するんだぜ。 物を摘まむ時は中指と人差し指と親指で上の箸を動かして、こうやって下の箸は動かさねえのが普通だぜ。 」
説明しながら持ってやると、食い入るように承太郎の手を見つめるDIOの顔がよく見えた。
顔ちっせえし睫毛長いんだなあと関係ない所が見えて、これはこれで良かったと思った。
役得だ。
やってみろと手渡した。
「む、下の箸が落ちてしまうぞ。」
ポロリと落ちてテーブルの上を転がる箸を拾い、鉛筆持ちをしている1本の下に潜り込ませた。
持っている手の上から重ねて箸を持ってみる。
先ずは形を覚えさせないと無理だろう。
「それはきちっと持たねえからだ。いやいや、そんなに力入れてたら折れちまうって。クロスはしねえようにだな、こうだ。」
カチカチと箸先を鳴らして見せた。
上から押さえてるからやってみろと言えば、むうと真剣な顔で何とか3回に1回はカチカチと鳴らした。
「ほら、1人でやってみろ。」
「あ、まだだ。まだ押さえててくれ。」
座るDIOの背後から覆い被さるように手を押さえてるものだから、承太郎の頬がDIOの頭に触れた。
柔らかな金髪からいい香りがしてきて、そう言えばと承太郎は気が付いた。
物凄い密着度と重ねた手。
ボッと顔が熱くなるのが分かった。
だが今更、今更どうやって離れろというのか。
意識したらもうダメだった。
だって好きなんだ。
だって惚れてるんだ。
顔が熱いと思いながらも目線を落とせば、真剣に箸先を見つめて箸を動かすDIOの彫りの深い横顔が見えた。
シミ1つない綺麗な肌だ。
本当に真っ白なんだなと改めて知った。
金の睫毛は長く密集していて、瞳も琥珀のような金色なのだという事も認識した。
触れている体温は存外低く、手汗がと気にしだしたがDIOはそれどころではない雰囲気だ。
物凄く集中している。
集中しているせいで上唇が尖っているのが可愛い。
可愛い可愛い可愛い
キスしたいくらいに可愛い。
「・・・じょ、じょうたろう?」
DIOの震える小さな声で我に返った。
ん?と思い目線を向ければ、顔を真っ赤にしたDIOの斜め上目遣いの金瞳が見えた。
何故真っ赤なんだ。
どうしたというのか、だが真っ赤な顔も可愛い。
「これは、私を、その、だ、抱き締めて、いないか?」
「・・・あ?」
言われてみれば箸を持つ手は別にして、肩から首を巻くように腕を回していた。
ばっと飛び離れた。
「い、いや、違うぜ!箸を持つのにだな、姿勢が悪いと、その、」
慌てふためく承太郎は貴重だが、今の承太郎にそれを構える心の余裕は皆無に等しい。
しどろもどろで弁明すると、姿勢が悪いという台詞でDIOは納得し頷いた。
「そうか。日本人も食事中は姿勢の悪さを気にするのだな。うむ。今後はそこも気を付けるとしよう。悪かったな承太郎。勘違いして変な事を言った。」
勘違いした事が恥ずかしいと頬を染めて、素直に謝ってくるDIOに承太郎は逆に悪いなと思った。
誤魔化しはしたが無意識に抱き締めてたのだからDIOが謝る必要はなかったのに。
「いや、こっちこそ悪かった。すまねえ。」
承太郎が謝るとDIOは少しだけ笑った。
何処か寂しげだと思ったのは気のせいだったのだろうか。
それから1時間くらい練習を繰り返し、どうにか1人で持てるようになった所で本日はお開きとなった。
物を摘まむにはもう少し練習が要るだろう。
明日は何か摘まめそうな物でも持ってくるか。
「じゃあな、DIO。また明日。あんま根詰めんじゃあねえぜ。ほどほどにしとけよ。」
「うむ、分かった。また明日にするさ。お休み承太郎。よい夢を。」
昨日と同じく帰り際に言えば、はにかんだ笑みを寄越してDIOが答えた。
それがとてつもなく嬉しかった。
もう怖がられてはいないだろうか。
いや、だがまだ2日目だ。
油断は出来ない。
だが昨日よりも今日は自然に会話が出来た気がする。
漆塗りを調べた事もとても喜んで興味深く聞いてくれ、時おり質問もあってそれも答えられた。
横道に逸れて調べて正解だった。
ちょっぴりずつでも前進が感じられるならと、ほんわかした気持ちを胸に承太郎は家路についた。
承太郎が恋をしている
承太郎の母親であるホリィはそれに気が付いていた。
言わなくてもちゃあんと分かってるの、一人息子の心の機微を覚るに特化した母親の勘はとてもよく当たった。
表面上は無そのものの承太郎の表情の僅かな変化を見抜き、然り気無く元気付けたり元気を貰ったりしてきた。
そして最近帰り遅くなるの電話に、きっとその子と会っているのねとおおよそ間違いではない確信を持っていた。
これは愛する息子の為に頑張らねばなるまいと、斜め上の方向にやる気を沸き上がらせた。
だがここで自ら動いてしまうと照れ屋な息子の事だから、きっと黙ってしまうに違いない。
そうなれば相談なんざしてくれなくなるだろうし、口も聞いてもらえなくなるだろう。
それは困る。
それとなく話をしてくれる息子だったのなら苦労はしない。
エジプトに行く前は煩せえクソアマだったのが、帰ってきてからは大人しくなり問題も起こさず呼び方もお袋になってしまった。
そして表情も乏しくなり、言葉も必要最低限になってしまったのだ。
成長してしまったのねとホリィは寂しくも思ったが、ひと回りもふた回りも大人になった息子を喜ばしくも思った。
そんな息子が恋をしたなんて、ホリィの脳内はお祭り騒ぎになった。
どんな子なのかしら?
可愛い子なのかしら?
笑顔の素敵な子なのかしら?
お料理は好きかしら?
お買い物はどうかしら?
承太郎の事だから、小さくて大人しくて可愛らしい子よね
なんて、全く真逆のしかも男を好きになったとは露知らず、ホリィはウフフと微笑みながら脳内で息子の彼女と楽しくお喋りしながらお買い物に行ったり喫茶店に入る訳だ。
お義母さん、なんて呼ばれちゃったりなんかして!きゃー素敵じゃない!
と、脳内暴走状態で実に楽しそうに鼻唄を歌う母親を、帰宅した息子が薄気味悪いものを見た顔で見る事になった。
「お袋、ちっと、今いいか。」
息子の様子からどうやらあまり進展してないわねと思っていたホリィだったが、遅くなるの電話からちょうど1週間経った辺りに承太郎から呼ばれた。
少し遅くなった夕食を片付け、明日は学校お休みだからお弁当は要らないわねと洗い物を拭き終わった所だった。
改まって話し掛けてくるなんてこれはまさかと思ったが、極力顔に出ないように努めた。
「なあに?承太郎。」
「あのよ、明日の夜に、連れて来たいヤツがいんだけどよ。その、飯を、作っちゃあくれねえか。」
来たわ!
ホリィの背筋が勝手に伸びた。
これはきっと承太郎の好きな子ね!とにやけそうな顔を頑張って普通通りと脳が命令を下した。
言葉切れの悪さから花京院ではないと即座に分かったからだ。
「あら、いいわよ?お友達?」
にこりと微笑んで聞けば、承太郎は言いにくそうに少しだけ顔を歪めた。
あらその子じゃないの?とホリィが首を傾げた。
「友達っつうか、何つうか、お袋は、嫌かもしれねえが・・・。」
「どういう事?」
少しだけ承太郎は口を噤んだ。
言おうかどうか一瞬迷ったようだったが、ホリィは急かさないように微笑みを浮かべたままにした。
「DIOだ。」
「え?」
「DIOのヤツが箸の練習してて、んで、使えるようになったら飯を食おうって、約束して、」
「あら。」
なあんだ、好きな子じゃあなかったのねとホリィは言いずらそうにしていた承太郎の行動理由に納得した。
ホリィの命を50日も脅かした元凶。
その元凶の監視報告を毎日承太郎が財団から受けなければならない事はホリィも知っていた。
故に、それは承太郎が言葉を濁しても致し方ない話だろう。
目を逸らして床を見つめる承太郎を見上げ、ホリィは肩を竦めた。
「DIOちゃんでしょ?いいじゃないの。連れて来てちょうだい。」
あっさりと返ってきた言葉に承太郎の目が見開かれた。
ちゃん?!
お袋今、DIOちゃんっつったか?!
衝撃だった。
「な、なんで・・・」
「あら、知らなかったの?あのDIOちゃんの執事の、ええと、テレンスさん?あの方が時々ね、お昼間に色々とお裾分けにいらっしゃるのよ?」
「はあ?!オレは聞いてねえぜ。」
「そうなのね。昨日は英国のワインを頂いたわ。パパが帰ってきたら一緒に飲んで下さいねって。ママ、てっきり承太郎も知ってるものだと思ってたわ。」
「知らねえよ。んで、何でDIOがお袋にちゃん付けで呼ばれてんだよ。」
「雨の日とかに時々、ホントに時々だけど来てくれるの。日本に来た最初の頃にも、謝りに来てくれたのよ?ママが苦しんでたの知らなくてすまなかったって。」
「は?!あのDIOが?!」
「そうなの。ママ吃驚しちゃった!あんなに美人さんな子、初めて見たわ!!すっごく綺麗よね!」
きやっきゃっとはしゃぐ母親を見下ろし、承太郎は拍子抜けした。
身構えてたのが馬鹿みたいだと思ったが、流石に人心掌握の術に長けているというか根回しが上手いというか。
変に気張っていた肩を下ろせて良かったと言うべきか。
「お話もね、掻い摘まんでだけど聞いたわ。昔のね、ちょっとしたお話だけど。だからね承太郎。ママに遠慮しなくていいわよ?連れて来たいと思ったら、連れて来ていいからね?」
「お袋・・・。」
勝てねえなあ
穏やかに微笑む母親をみていると、心からそう思った。
「何かリクエストある?ママ、張り切って作っちゃうわ!」
「あ、ああ、鶏の唐揚げが食いてえらしい。テレビで観たらしくてな。」
「オッケー!任せて!他にはある?」
「あ~、ええと、」
頭を抱えていた自分が馬鹿みたいだと、こんな事ならもっと早くに言っておけば良かったと思った。
心がちょっぴり身軽になったのに、承太郎は心の中でありがとうなと母親にお礼を言った。
◆Ⅲ◆
月曜日の昼休み。
さあて今日も購買でパンを買わねばと、競争率の高い焼きそばパンを獲得する為に席を立ち上がった花京院だったが
教室を颯爽と出ようとしたら承太郎に腕を掴まれ
「ちょっとツラ貸せ。」
なあんて、凄みを効かされて引き摺られるように連れていかれた。
恐らく後々ヒソヒソされる事は間違いないなあと思ったが、ん と突き出されたホリィ特製弁当にそんな事は一瞬で弾け飛んだ。
この2週間どうやら承太郎は好きな子に何とか怖がられなくなろうと努力を続け、どうやら怖がられなくなったと報告をされた。
「やったじゃあないか!良かったね!」
「ああ、ありがとな。」
聞けば目を逸らす事もなくなったし、近付いてもビクビクしなくなったらしい。
そして一昨日は夕飯を共に食べたという。
家に連れてきたのか!!!
花京院は衝撃を受けた。
いくらなんでも段階が早くないか?
いや、早くないのか?
だって実家の母親に会わせるって、もう何かの前提でしかないじゃあないか。
「それがな、可愛いんだ。何を食べても感動しかしなくてな。旨い旨いって、にこにこしてよ。それが、もう、なんつーか、すげえ、可愛い。」
衝撃を受ける花京院を他所に、承太郎が嬉しそうに頬を染めて話している。
あの寡黙な承太郎が。
花京院は微笑んでいい事だと思った。
あのエジプトの1件から日本での今まで普通だと思っていた日常が、何処と無く違っていた気がしてならなかった。
それは多分、自分達が同世代よりも大人になってしまったからだろうと、いつだかジョセフに相談してのその答えだった。
承太郎はそれが顕著に現れていたと思う。
行く前の方がまだ表情があったし、声を出して笑う事もあった。
いつから、笑わなくなったのだろうか。
いつから、喋らなくなったのだろうか。
死にかけたから?
死が、隣にずっとひたりと寄り添ってたから?
そんな旅だった。
「それで、告白したのかい?」
「いや、」
だったらもうと思って言った言葉に、承太郎は帽子のつばを摘まんで顔を隠した。
この仕草は照れている時かバツが悪い時にしかしないと花京院は知っていたから、思い切り言葉の選択を間違えたと後悔した。
「・・・オレから言われても、多分、気味悪がられるだけだ。」
ぼそりと呟いた承太郎の声は小さくて、花京院はぎゅうと胸が締め付けられるように痛んだ。
何て事を言うんだ
君はハンサムだし格好良いじゃあないか
口数は少ないけど然り気無く優しくて
1度決めたらやり遂げる強い意思を持ってる
頭も悪くない
素っ気なく見えてもちゃあんと相手を見ているし
男のボクから見ても凄く憧れる男だ
そう花京院は言いたかったが、承太郎の雰囲気がそれを許さないような気がして口を閉じた。
本当に好きなんだ。
好きで堪らないから怖がられないように努力して気を遣ってやっと前進したのに、ボクはその努力も顧みず何て安易な言葉を吐いたんだと花京院はすまないと言った。
「何でお前が謝んだ?」
「いやあ、結構辛辣な事を言ったかなと思ってね。決めたよ承太郎。ボクは君を応援するよ。何か手伝える事があったら遠慮なく言ってくれて構わないよ。」
どんと胸を拳で叩いた花京院を見た承太郎は一瞬目を見開いたが、直ぐに口角をちょいとあげて笑った。
「頼りにさせてもらうぜ。」
小さく笑う承太郎に肩を叩かれ、ホントに痛いなと思いながらも花京院も笑った。
友達なんだからそれぐらいと思った。
「おや、起きられてましたか。」
控えめなノックをして返事を待たずにそうっと寝室内に入ったテレンスが、ベッドの上で仰向けに寝そべる主人を見て言った。
着替えをベッドの際に置いて、自分の幽波紋に持たせていたティーセットを受け取りベッドサイドのテーブルへ置いた。
良い香りが漂うのに、DIOがすんと匂いを嗅いだ。
しっかりとしたメントールの香りが混じっている。
「ウバの、ミルクティーか。」
「左様でございます。本日入荷致しました。今年は特に質が良いようですよ。お目覚めにはちょうど良いかと。」
「ふむ。ならばホリィの所にちょいとばかり包んでやれ。あれも紅茶が好きだと言っていたしな。」
「は、かしこまりました。」
腕で両の目元を隠したDIOの指示に、テレンスがカップにミルクティーを注ぎながら返事をした。
砂糖の代わりに蜂蜜を垂らしてかき混ぜると、程よい甘さの香りが漂った。
日本産の蜂蜜は香りも風味も良く、中々な代物だとテレンスは思っている。
サイドテーブルから離れればいつもなら起き上がって紅茶を嗜む筈なのに、今日に限っては未だ寝転んだままの主人におやと思った。
「どうかされましたか?」
動こうとしない主人がまさかのまさかで具合が悪いなんて事が起きるのかと一応半信半疑ながらも尋ねたが、DIOからの返事はなく相変わらず目元を腕で隠したままだ。
こんな事は珍しい事ではなく、テレンスは肩を竦めると邪魔にならないように部屋を出ようとした。
「テレンス。」
扉を閉めようとした瞬間に名を呼ばれ、テレンスは はい?と答えて扉を少し開けた。
「承太郎は?」
「まだお見えでないですが。」
答えればそうかだけ言ってDIOはまた黙った。
何があったかは分からないが、無駄な事を嫌う主人の事だ。
何か考えがあるのだろうとそのまま待ってみたが、それ以上何も言わなくなったDIOはやはりそのままだった。
こういう時の正解はと、テレンスはすっと中に再び入り扉を閉めた。
それから隣の部屋に入り、浴室の窓を風通しに少しだけ開けてバスタブに湯を落とした。
「DIO様。ご気分が優れないようです。承太郎氏が来られるまでに、湯に浸かられては如何ですか?」
半分くらい湯が溜まった所で寝室の主人に声を掛けた。
返事もなくのそりと起き上がり浴室に向かってくれたのにテレンスは少しだけ息を吐いた。
「香油はどれになさいますか?」
湯船に寝そべり大人しく湯に浸かり目を閉じたままの主に香油の入った瓶を差し出した。
「・・・ジャスミン。」
ぽそりときた返事にかしこまりましたと1つの瓶を手にし、テレンスは中身を湯に落とした。
珍しい香りを選んだものだと思った。
だがクレオパトラも愛したこのエジプト産の香油は、優雅な主人にとても相応しい。
この方に相応しくない香りがあるのかとも思ったが、今のところ思い浮かばないから止めた。
「ではごゆっくり。」
テレンスが浴室の扉を閉めてからDIOは鼻先まで湯に浸かった。
こんな気持ちは初めてで、眠る前からも目が覚めてからも収拾がつかない。
テレンスに聞こうかどうかと今も迷っていたが、どうにも聞けなくて口を閉ざしてしまった。
咄嗟に選んだジャスミンの香りはとても良い香りで、程よい鎮静効果もある。
口から息を吐けば、ブクブクと泡になって弾けて消えた。
こんな風に自分の意味の分からない胸の内のモヤモヤも、こんな風に泡となって消えてくれたら楽なのにとは思えども。
バシャバシャと顔を両手で湯で擦った。
気が付けば承太郎が頭の中に浮かんでは消えた。
それがここのところ毎日だ。
以前は睨まれていて怖いと思っていたが、最近の承太郎の眼差しはとても優しかった。
箸を使う事を教えてもらった時に覗いた横顔の、何と精悍で美しかった事か。
男らしい横顔に高い鼻梁と少しだけ上がる口角。
ドキドキと鳴る心臓の音が聞こえてしまいやしないかと、余計にドキドキしていた己とは違い承太郎は飽くまで冷静だったが。
仕方なく教えてくれたのだろうに、それでも嫌な顔1つもせずに丁寧に教えてくれた。
少し細められたターコイズグリーンの瞳は、あんなに恐ろしいと思っていたのに今はずっと眺めていたいくらいの美しさだ。
これは病気なのだろうか。
吸血鬼だけにしか罹患しない病気があるのだろうか。
でもSPW財団には聞きたくない。
かといってインターネット上にはそんな話は1つもヒットしなかった。
右手を見下ろした。
箸を握る手に重ねられた大きな手の感触はずっと消えてくれない。
先の戦いで肉体を砕かれ再生してからはすっかり己の肉体となってしまったが故にやや小さくなった手だが、承太郎の手の平は武骨で大きくて少しかさついてそして熱かった。
己を砕いた手
己を包んだ手
優しく触れられた手
体温の高い手
DIOは右手を軽く握り左手で包むと胸に抱くようにそっと握り締めた。
おかしい。
こんなのはおかしい。
やはり病気かもしれない。
だって胸が苦しい。
耳を赤くして帽子のつばで顔を隠す姿が、実は照れているのだと知っているのは己だけが知る事ではないのだろうと思った途端につきりと胸が痛むのだ。
右手を握る際に香るムスクと煙草の匂いの中にほんのりと漂う承太郎の体臭を知る者は他にも居ると思ったら、そわそわと落ち着きがなくなるから離れようとしても何故か出来なくなるのだ。
箸の使い方を教えるだけだと言い聞かせても、背後から覆い被さられるようにされると胸がドキドキと高鳴って煩くなるのだ。
もう己は箸は完璧にマスターしてしまったから、もうあんなに近付く事は2度とないだろう。
近付いてもし避けられたらきっともっと苦しい。
今朝に眠ろうとしていた最中にふと気が付いてしまったこの事実。
そして急降下した己の気分。
眠れば少しは違うかもと無理矢理体温を下げて眠りに就いたが、起きてもそれは変わらずDIOの胸中にでんと居座った。
「DIO様?そろそろお支度を。」
湯が冷める程に長湯をしていたDIOにテレンスが呼び掛けた。
浴室の時計を見て慌てて湯から上がった。
決まった時間はないが、もしかしたら承太郎が来る時間かもしれない。
「お髪はどうされますか?」
髪を乾かしてからテレンスが珍しくDIOに尋ねた。
いつもなら整えて終わりだったが、彼なりに気分が優れないであろう主人の気分転換にと聞いたのだろう。
DIOはそんな執事の行動を知っていたから、そうだなと考えた。
「編み込んでくれ。」
「かしこまりました。」
さらさらと滑る手は心地好く、執事はDIOの急所である頭を触れる数少ない人間の内の1人だ。
手先も器用なものだから、安心して任せられた。
両サイドを編み込めば、すっきりとした美貌がより一層美しく映えた。
「少し失礼致します。」
テレンスがDIOのこめかみを鏡越しに両手で押さえじいと凝視すると、ドレッサーの中から1つのリップを取り出した。
何だと思っていれば慣れた手付きでキャップを外し、眦にすうとひと塗りした。
淡い桃色に染まり、それだけで顔全体の血色が良くなったように見えて思わずDIOはほうと感嘆の声を漏らした。
執事のセンスにはいつも驚かされるし、専属のメイクアーティストを雇わない理由がここにあった。
「DIO様。承太郎氏がお見えになったようですよ。」
部屋に訪れた使用人からの伝言で、テレンスがDIOに承太郎の来訪を告げた。
16時過ぎ。
学校から直接来たのだろう時間だ。
「そうか。ご苦労だったテレンス。」
もやもやとした気分が少しだけ晴れた気がして、DIOは礼の代わりに労いの言葉を掛けた。
何処と無く嬉しそうに執事が微笑んだように見えたのは気のせいだったのだろうか。
承太郎は心臓が飛び出るかと思った。
待たせたなと応接室に入ってきたDIOの姿に、口から心臓が飛び出るかと本気で思うくらいにドッキンドッキンと高鳴るのが分かった。
いつもふわふわさらさらの金糸のような髪を両サイド編み込んだだけなのに、剥き出しの耳と首元の厭らしさは何なのだろう。
髪型1つだけでも破壊力は充分なのに、更に血色のいい顔色に承太郎は胸が苦しいと息を思い切り吸った。
深く息を吐いたが気付かれなかっただろうかと目線を帽子のつば越しに遣れば、何処か悲しげに小さく笑うDIOが見えた。
何であんな顔をしてんだと思ったが如何せん言葉は上手く出てこない。
気の効いた事1つも言えない自身の会話スキルの低さに呆れつつも、承太郎は乾いた口の中で無理矢理唾液を飲み込んだ。
「これを。」
執事が紅茶をセットし終わり退室してから暫くして、DIOは恐る恐る小さな包みをテーブルの上に置いて承太郎の方に押した。
見た事のあるデパートの包み紙だと、母親が買い物してきた時の紙袋と同じ模様の包み紙に首を傾げた。
オレに?という意味で見上げれば、ちょっと前と同じようにさっと目線を逸らされたのが少しだけ胸が痛んだ。
ちょっぴり距離が縮まったと思っていたが気のせいだったのかもしれねえと、浮かれていただけにショックを受けた。
「あ~、ほら、箸を、私に贈ってくれただろう?お前は私と一緒に食事をするのがその礼だと言ったがな、それでは私の気が収まらんのだ。だから、気に入るかどうかは分からぬが、その、受け取ってくれたら、いや、受け取って、欲しいのだが・・・。」
珍しくDIOの滑舌が悪かったが、そんな事を気にするまでもなく承太郎は瞬きを忘れショックを受けたのも忘れ思い切り包みを凝視した。
あれをオレに?!
DIOが?!
オレにプレゼント?!
はわわわと気持ちが急上昇して膝の上の拳を強く握った。
はあはあと呼吸が荒くなるのを自覚する。
ぶるぶると手が震えるのを自覚する。
汗がこめかみからつうと頬を伝った。
「そ、そうだな、私が選んだから、お前は嫌かもしれないな。忘れてくれ。」
そんな承太郎を見てどう思ったのか、DIOは苦笑いをして置いた包みを下げようとしたのに咄嗟に承太郎はその手を掴んだ。
びくりとDIOの身体が跳ねた。
真ん丸になった金瞳が可愛い。
「・・・てめえが?」
「ぬ?」
「てめえが選んだって、本当か?」
「あ、ああ。」
「開けていいか?」
「う、うむ。」
半ば引ったくるように包みを手に取ると、狼狽えるDIOを他所に承太郎は包みを開いた。
20センチ程の長細い箱に、某英国メーカーの名前が印字してあった。
蓋を開けば、鈍い闇色のカテドラルを纏ったボールペンが金のベルトに挟まっていた。
綺麗だ
素直に思った。
「つ、使うかどうかはお前に任せるし、その、要らなかったら捨てるなりなんなり、」
「捨てる訳ねえだろ!」
黙ってしまったからもしかしたら気に入らなかったのだと判断したDIOが言った台詞を、承太郎は怒鳴る勢いで遮った。
またビクッとDIOの肩が跳ねた。
ああ、また怖がらせちまったと後悔するも、承太郎は興奮が抑えられないでいた。
だって凄く嬉しい。
きっと情けなくもだらしない顔になっているだろうが、そんな事に構ってなんかいられねえぜと承太郎はボールペンを震える手で持ってみた。
凄く綺麗だ。
自分の幽波紋と似たような色だ。
よくよく見れば上部に金の筆記体で自分の名前が刻印してあった。
何だこれ?!
何のご褒美だ?!
「あ、えっと、その、ありがとうよ。」
あまりの嬉しさに涙が出そうになったのを堪え、承太郎は帽子のつばで顔を隠しながらDIOに礼を言った。
もっとちゃんと言えよと自分自身情けなくなったが、やはり嬉し過ぎて胸がいっぱいで言葉に出来なかった。
初めて好きになった相手から、初めての贈り物だ。
しかも自身で選ばなくてもいい立場の者が、自ら選んだプレゼントだ。
こんな嬉しい事はない。
「すげえ、嬉しい。大事にするぜ。」
しどろもどろで言えば、面食らったかのような顔のDIOが頬を染めて小さく笑って良かったと呟いたのが見えた。
その笑みの美しさにズギュンと心臓が撃ち抜かれた感覚になる。
チクショウ!
可愛い!!!
「替芯もあるからいつでも言ってくれれば用意できる。そのメーカーのは使い心地が良くてな。万年筆も書き易いのだ。私も長年愛用している。」
私も持っているぞと言われれば、青臭い青春の恋心はそれはそれは浮かれまくりだ。
本人も愛用していると言った。
いわばお揃いだ。
ヤバい
嬉し過ぎてどうしていいか分からない。
「ありがとな、DIO。」
もう顔に出ちまっても構うもんかと承太郎が笑って言えば、今度は顔を真っ赤にして俯いてしまったDIOがいた。
あれはきっと照れている。
可愛い。
抱き締めてキスしたい。
「じゃあ、また明日。」
帰り際に承太郎が言えば、DIOがはにかんだ笑みをくれた。
ほんのちょっぴり
ほんのちょっぴりだけ勇気を出してみよう。
「その、その髪型、な。に、似合ってる、ぜ。」
ボソボソと言ってしまい熱くなる顔を自覚した。
いつもなら帽子で隠してしまいそっぽを向くが、夜だという事もあってDIOの方を見れば、目を見開いて驚いた顔をしていた。
負けず劣らず真っ赤な顔である。
嫌がっている顔ではなく、褒められて吃驚して照れた顔だ。
ああ、もう、可愛い。
「じゃ、じゃあな!!」
居たたまれなくなって駆け出した。
頭から湯気が出る程に真っ赤な顔だと自覚しているが、こればかりはどうしようもない。
大男の全力疾走が周囲にどれだけ迷惑かなんて構ってなんかいられない程に走った。
走って走って、息も切れてそれでも走って。
贈られたボールペンの箱を掲げて周囲に自慢したいくらいに承太郎は走った。
叫びたい気分を全部走りに注ぎ込んだ。
◆Ⅳ◆
散歩に行かないか?
承太郎の自宅での夕食に誘われてから1週間。
土曜日の夜にそう言われた。
日本の夏は蒸し暑いと聞いていたが、DIO自身は体温が低いせいかそこまで暑いとは思わない。
電車の線路が見下ろせる道を歩きながら、何となしに前を歩く広い背中を見つめた。
いつもの学ランではなく、黒のサマーセーターにジーンズという見慣れない格好の承太郎だ。
凄く違和感がある。
帽子を被っていないからか、元々の整った顔が隠されていたのが無防備に晒されてDIOの心臓がトクトクと早鐘を打ったようだった。
広い肩に長い脚。
時折かすめるムスクの香り。
静かなようでそうでもない夜。
夜の街灯にちらちらと蛾が舞っている。
坂道を登り切った所で電車の駅が見下ろせた。
背後は住宅街の中の公園だ。
流石に日本の夜では子供も居ない。
DIOはふいと脚をそちらに向けた。
そういえば日本に来てからあまり外に出ていなかったなと気が付いた。
買い物は行くが送迎付きでお供付きのデパートが主で、大抵の物は自室に居ながら執事に注文という形で何とかなる。
監視の目もあるから外に出る気分でもないし、今は日本の文化を勉強するのに手一杯だった。
当然のように背後から着いてくる承太郎の気配に少し心が浮かれるのを自覚しつつも、DIOは公園に入って驚いた。
幾つかある遊具が全く壊れていない。
そしてまだ夜の20時頃なのに誰1人として居なかった。
小さな虫のリーリーという音が茂みから微かに聞こえるだけの静かな公園だった。
気候が違うとこんなに違うのかと、数年住んだだけだがエジプトカイロとの違いに感心した。
あそこは昼間が灼熱のせいで夜22時でも子供が外で遊んでいる。
ブランコが目に入った。
壊れていないブランコを見るのはアメリカ以外では初めてだ。
しかし乗れる物なのだろうか。
子供の遊具の耐久性など知らない。
己は以前ほどではないがこの筋肉質な体躯だ。
百キロ近くある体重が果たして支えられるのかと思った。
「乗りてえのか?」
心地好く内耳を擽る低い声。
ずっと聞いていたいと思えども、それが何故なのかは分からない。
分からないけれど、聞いていたいとDIOは思う。
「いや、子供の乗り物だ。私では壊してしまうやもしれぬ。」
ふふと笑いながらぶら下がっている鎖を握った。
ゆらゆらと揺れるブランコに乗った記憶はない。
確か母国で貴族時代に敷地にあったような気もするが、当時はとにかく目的の為に死に物狂いで勉強や作法を取得していた。
馬鹿にされたくなくて
出自を理由に見下されたくなくて
同情なんざ真っ平御免だと
足の指先が擦り切れて血が滲んでもダンスの練習に明け暮れ、指先がボロボロになってもピアノの練習に明け暮れた日々だった。
もちろんマナーや作法も然りだ。
努力は美徳だとDIOは思っている。
「そうでもないぜ。」
承太郎はDIOの立つ隣のブランコに座ると、脚が長いせいできちんとは漕げないがゆらゆらと地面から脚を放して乗って見せた。
「な?」
「ふむ。ならば、」
幅は大した事がなくてすんなり座れたが、成る程、脚が折り曲げられない。
承太郎と同じように脚を伸ばしてゆらゆらと揺らしてみれば中々に面白かった。
「承太郎、あの円形の物は何だ?」
「ああ、ありゃ回旋塔だ。ぐるぐる回るんだぜ。」
「壊れないか?」
「どうだかな。やってみっか。」
ブランコからぴょんと飛び降りた承太郎が走って回旋塔に近付いた。
1度手だけで回してみたが、いけそうだと判断して足を掛けて乗ってみた。
地面を蹴って回した。
くる~と一周して着地すれば、DIOの羨望のキラキラとした眼差しが可愛いと思った。
回してやると言えばDIOは喜んで走ってきて回旋塔に掴まった。
一周二周三周と、思いっ切り回してやった。
きゃーと小さな悲鳴のような歓声を上げて大喜びだったのに承太郎も調子にのって回してやった。
その内どちらが根を上げるか、幽波紋に回させてのゲームとなった。
「ストップ!ストップだ承太郎!あははっ!目が回ったぞ!」
「いや!オレはまだいけるぜ!」
容赦なく回される速さに目が回ると大笑いをして、地に足を着けた時には2人ともふらふらだった。
よろよろと千鳥足になる様を見て互いに指を差して笑った。
「おおっ?!マジで歩けねえ!」
「私もだ!何処へ行くのだ承太郎!」
「てめえこそ何処行くんだよ!」
「前に、前に進めぬ!」
おかしくてずっとクックッと笑い合っているのがまたおかしくて。
砂場に尻餅を着いて互いに腹を抱えて笑った。
どちらともなく笑いが止んでも、時が止まった世界の中のように2人だけみたいに思えた。
リーリーと小さな虫の音が聞こえた。
「ありがとう、承太郎。散歩も悪くない。」
真っ暗な星のない空を見上げてDIOが言った。
背中合わせで座っているから、今どんな顔をしているかは分からないけれど。
でも声からしてとても穏やかに聞こえた。
「そうだな。」
自分から出た声も穏やかだったのに承太郎は少し驚いた。
こんな声も出せたのかと自分自身の事なのに吃驚した。
ふふとDIOが笑った声が背後から聞こえた。
何だと少しだけ顔を横に向けて彼を見た。
はっと息を飲む美しさの横顔が空を眺めていたのに、やはり時が止まった世界の中にいるのではと思った。
何て穏やかに
何て美しく
うっそりと笑うその顔に見惚れた。
「帰ろうか。」
どのくらい見惚れていたのかは分からないけれど、気が付けばDIOが立ち上がって承太郎に片手を差し出していた。
微笑む姿が可愛くて、嗚呼、やっぱり好きだと思った。
しぱしぱと目を瞬いて、承太郎は素直にその手を握った。
握ったままよろりとよろめいて、咄嗟にDIOが支えようと手を出して思わずぎゅうと抱き付いた。
相変わらず金のさらさらの髪からはいい匂いがした。
彼に馴染んだ肉体は少し自分よりも背が低く、頭に頬を押し付けた。
好きだ
誰が何と言おうが
オレはDIOが好きなんだ
そう再確認して両腕で背中を抱き締めた。
びくりと跳ねるDIOに構えず、溢れる気持ちに蓋が出来なかった。
「・・・ジョータロー・・・苦しい、」
DIOのくぐもった声で我に返った。
やべえと慌てて引き離した。
何と弁明をしようかとあわあわ考えてみたが、誤魔化す理由が全く思い浮かばない。
顔を真っ赤にして俯き目線を横にずらしたDIOの表情がまた可愛くて、もっと理由が見付けられなくなった。
あーだのうーだのしか出てこない自分を幽波紋に殴り付けて欲しくなった。
「あ、案外マヌケだな承太郎。ちょ、調子に乗るからだ。脚がふらついて立てなかったんだろう?」
真っ赤な顔を隠すようにDIOが片手の甲で鼻と口を隠して言った。
ちょいと涙目なのは気のせいだろうか。
手が震えているのは気のせいだろうか。
「わ、私もちょいとふらついていたくらいだからな。だが、わ、私の方が早く治ったぞ。」
声も心なしか震えている気がする。
そうだよな。
承太郎の急上昇した気持ちが、一気に急降下したのが頭の中が冷えていくので分かった。
怖いと思っている相手に急に抱き締められて、怖くない訳がないのだ。
泣きたくなる程に怖がられているとは思わなかった。
少しだけ
ほんのちょっぴりだけ
距離が縮まったと思っていたが、やはり死の間際まで追い詰められた恐怖というのはそう簡単に消えやしないのだろう。
それなのに気丈にふるまって、何でもないような顔をして。
今でもまだ震えているじゃあねえか
今でもまだ泣きそうなのを堪えてるじゃあねえか
承太郎は違う意味でまた幽波紋に殴り付けて欲しくなった。
怖がらせたい訳じゃないんだと、お前が好きで堪らなく好きで仕方ないんだと
そう言えればどんなに楽だろうか。
だがそれは只の自己満足だ。
相手を思いやれずに自分の気持ちをぶつけて満足するだけの独りよがりだ。
そうじゃあない。
それじゃあダメなんだ。
「・・・悪かった。」
「承太郎・・・?」
急にいつもの無表情になった承太郎に、DIOの方が首を傾げた。
何か気分が悪くなる事を言ってしまっただろうか。
リーリーと小さな虫の音が聞こえた。
静かな夜の公園だった。
「帰るぜ。付き合わせて、悪かった。」
ぼそりと言って背中を向けた承太郎を追おうと手を伸ばし掛けたDIOだが、その背中が何故か急にDIOを拒絶しているような気がして伸ばし掛けた腕を止めた。
下ろしてぎゅうと拳を握った。
何が承太郎の気に障ったのかは分からない。
分からないが聞くのも怖かった。
さっきまであんなに楽しかったのに、楽しくなかったなんて言われたらきっとショックだ。
いつからこんなに臆病になったのだと自嘲せども、答えは見付からずもやもやとした気持ちが胸の中で燻り続けるだけだった。
「じゃあな、また明日。」
最近は当たり前になった別れ際の言葉。
また明日を迎えても許されるのだという安心感。
こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
「ああ、また明日。お休み、承太郎。」
突然また無表情の寡黙になってしまったが、いつもの言葉に胸がすく思いがした。
また明日会えるのだと、思ってもいいんだよなと遠ざかる背中に聞きたくなったが聞けなかった。
初めて来たと花京院はDIOの屋敷の応接室を見渡して感嘆の声をほわぁと上げた。
豪華絢爛とまではいかないが豪奢な造りは間違いがなく、家具の一つ一つが職人のこだわりと高級感を醸し出している。
大理石の暖炉などはテレビの中でしか見た事はない。
革張りのソファーは座り心地が大変によく、エジプトの館もこんな感じだったなあと思い出しそうになって胃がムカムカしたので止めた。
「待たせたな。」
美味しい紅茶を嗜んでいると、屋敷の主人であるDIOが部屋に入ってきた。
花京院を見て心なしかがっかりしていると思うのは気のせいなのだろうか。
「やあ、久し振り。元気そうだね。」
「ごきげんよう花京院。承太郎はどうした。」
「SPW財団に呼ばれてね。多分だけど幽波紋絡みの案件が舞い込んだみたいだ。今日はボクが報告を任されたんだ。」
「・・・そうか。」
自分の席に着きながらDIOは返事をした。
財団から受け取った報告書と照らし合わせて己が執事と花京院が話をしているのを何となしに眺める。
物凄く退屈だと感じた。
いま、この場が、とてつもなくつまらなくてくだらない空間になった気がした。
たった15分に満たない程度の時間が、とても長い時間に感じて早く終わらないかなと頬杖を突いて溜め息を吐いた。
いつの間にやら花京院は執事とゲームの話で盛り上がっていた。
世界戦がどうの対戦がどうのと、インターネット上の対戦ゲームの話はDIOにはさっぱり分からないから黙って聞いていた。
「あ、これ美味しいね。」
執事が退室してから花京院は出したお茶請けのクッキーを口に運んでそう言った。
そう言えば承太郎もそんな事を言っていた気がするが、あまりはっきりと覚えていない。
何しろ動悸息切れに見舞われ、あの夜の散歩から顔だってまた最近はまともに見れやしないのだ。
怖いと言うわけではなく、落ち着かない。
きっと吸血鬼にしか罹患しない病気なのだと結論付けている。
「ふむ。確か何処かの国から取り寄せた物だったな。承太郎も旨いと言っていた。持って帰るといい。テレンスに包ませよう。」
「ええ、あの承太郎が?クッキーを?」
「ああ。あれは甘味を好んで食す。茶請けは残した事がないし、紅茶も大抵は砂糖か蜂蜜を入れているぞ。」
「想像が出来ない・・・。」
花京院は似合う似合わないで思わず判断した。
喫茶店でフルーツパフェを食べる承太郎を想像して、可笑しくなって笑ってしまった。
「なんか、想像できないや。」
「仏頂面で黙々と平らげるぞ。」
ふふと笑えばDIOもクスクスと笑った。
何か新鮮だ。
花京院にとってはDIOは恐怖の対象でしかなかったのに、今の彼からは以前の毒々しさが全く見受けられない。
すっきりとした美人だ。
苦笑するにしても紅茶を飲む姿にしても、優雅で美しく無駄のない所作だ。
一つ一つの動作に意図的で打算的な物は全く感じられなかった。
素の姿は魅力的に映った。
今の方が信者をもっと集められたんじゃあないか?なんて思ってしまった。
慌てて打ち消す。
「そ、そう言えば、承太郎、好きな子とデートをしたらしいね。知っていたかい?」
見惚れてしまうのを否めないが何となく気まずくなるのが嫌で、花京院は咄嗟に共通の話題に承太郎を掲げた。
毎日顔を付き合わせているのだから自分と同じように話くらいするだろうという考えからだったが、しまったとも思ったのは事実だ。
承太郎は秘密にしていたかもしれなかったと言ってから後悔した。
「・・・好きな、子?承太郎に?」
DIOの金瞳が真ん丸になった。
驚いている。
そりゃあそうか、あの承太郎だもんねと何故か納得する花京院だったが、DIOは半ば信じられないとソファーの背もたれに深く背を預けた。
「そりゃあ彼だって見た目はどうであれ健全な男子高校生さ。好きな子の1人や2人はいてもおかしくないよ。凄く可愛い子らしいけどね。」
昼休みに如何にその子が可愛いかを話す承太郎の幸せそうな顔と言ったら、君に見せてやりたいくらいだよと花京院は続けた。
頬を少しだけ染めて、あれが可愛いこれが可愛いと話す訳だ。
聞いているこちらが擽ったくなるような、淡い恋心を見せられると花京院も幸せな気分に浸れるのだ。
「ついこの間もデートみたいな事が出来たって言ってたけど、君は聞いてなかったんだね。ごめんよ。」
申し訳なさそうに花京院は自分の失言をDIOに謝った。
まだそこまで心を許してなかったかと、本当に心から謝罪した。
「い、いや、お前が謝る事ではない。き、気にするな。」
DIOの小さく笑った姿が弱々しく見えた。
顔色も真っ白になっている。
もしかしてと花京院はハッとなった。
「君、本当は具合が悪いんじゃあないのかい?無理してボクに付き合わなくても良かったのに。ボクはもう帰るから、君も休むんだ。」
顔色が益々悪いと花京院は廊下に出て人を呼べば、側に控えていた執事が慌ててやって来たのにボクは帰るよと言って足早に帰っていった。
見送りの言葉も掛けられず心配する執事にも構えず、言われるがままにDIOは寝室に入り横になった。
何でこんなに悲しいと感じるのかが不可解で仕方なかった。
胸が苦しい
鼻の奥と喉の奥が痛い
吸血鬼にしか罹患しない病気がとうとう発病したのだなと思った。
◆Ⅴ◆
あの夜は失敗だった。
あの時は思わず抱き締めてしまっていた。
いつも彼からはいい匂いがする。
少し低い体温も汗をかかずにさらりとした滑らかな肌も、思っていたよりも逞しい背筋と細い腰も
全部手の平に感覚として残っている。
自分は凄く嬉しかった。
だって突き飛ばされたりしなかった。
触るなと言われなかった。
でもDIOは、泣きたくなる程に怖くて断れなくて嫌だったんだ。
だってそうだろ?
あんな風に涙を溜めて震えていて、泣くのを見られたくないから堪えてたんだろう。
自分だって同じ状況下だったら、恐ろしくて悔しくて多分そうなるに決まっている。
そう追い込んだ。
追い込んだのは自分だ。
それなのにどの面下げて。
あの夜からの目の逸らされ方に、思い出してもつきりと胸が痛んだ。
何でいっつも自分はこうなんだろうなと、行動してしまってからの後悔にいつも悩まされる。
不甲斐なくて情けなくて、はあと深い溜め息を吐いて承太郎は教室の窓から外の校庭を眺めた。
教壇の前では夏休みの心得みたいな事を担任が延々と述べていた。
いい加減解放してくれと思っていたが、窓から入るぬるい風が蝉の声と共に教室に入ってきた。
本格的に夏が始まる。
本来なら進学に向けた大切な夏休みだ。
だが承太郎は進む道は既に決めているし、進学も難しくないとお墨付きをもらった大学を目指している。
受験勉強をしつつ、DIOの元に通う訳だ。
・・・よし決めた。
担任が終了の挨拶をし皆が席をガタガタと言わせながら離れ、自分は女子に囲まれる前にさっさと教室を出た。
背後からジョジョ~!と口々に叫ぶ女共の声が聞こえたが、ここは逃げるが勝ちだ最後とはいえ貴重な夏休みにくだらない約束なんざ入れてたまるかと走って校門を後にした。
まだ午前中だ。
家に帰って着替えても余裕で間に合う。
「お袋、ちっと聞きてえ事があるんだが。」
「はあ~い!なあに?承太郎。」
昼食後クーラーの効いた部屋で昼ドラを観ていたホリィに、承太郎がTシャツ短パン姿で腰を下ろしながら尋ねた。
最近の息子の一喜一憂は把握している。
承太郎はどうやら好きな子と思いの外進展しているようで全くしていないわねと推測していた。
あ~ん!青春ね~!
と黙って見ているだけだが、何かあれば手助けはいつでもする心の準備は出来ている。
「あのよ、怖がられちまってる相手とよ、その、どうやったら、仲良く、なれっかな。」
来たわー!!!
ホリィの脳内が一瞬にしてお祭り騒ぎになった。
これは間違いなく好きな子の相談だわと、にやけそうになる顔を叱咤して平静を装った。
緑茶を入れた湯呑みを息子の前に置いた。
襖を締め切っていても蝉の声はミンミンと聞こえてきた。
庭の鹿威しの音も響いた。
「花京院にも相談したんだがな、まだ、その、怖がられてるみてえで。」
あらあらとホリィは思った。
自分の息子ながら承太郎はハンサムだ。
若い時の自分の父親にそっくりだと言える程に空条家の容姿を受け継がず、日本人離れした美男子へと成長した。
だがその雰囲気は身長と体格のせいもあるだろうが威圧的で、近所の小学生からも怖がられているのは否めない。
常に無表情で無口な上に口下手だ。
本当は優しく責任感が強い性格なのに、見た目で勘違いされても仕方がないとはいえ不憫な話なのだが。
「そうなのね。で、その子は承太郎の何処が怖いって言ってるの?」
ホリィが聞くと承太郎は胡座を掻いた足首を両手で持ちながらゆらゆらと身体を揺らして明後日に目線を遣った。
「言われてねえ、けど、なんつーか、こう、態度、かな。近付くとよ、びくびくしやがる。」
思い出したようで心なしかしゅんとして下を向いてしまった承太郎を見て、ホリィは本当にその子が好きなのねえと思った。
でなければ息子はこんなに苦しい顔をしていない。
誰が見ても「無」だが、母親には分かるものがあるのだ。
「そうなのね。」
どうしようかしらね。
行動の仕方としては色々あるが、承太郎は既に花京院にも相談したと言っていた。
それなりに何かしら策を講じたのだろうが思わしくなかったので、最終手段の母親にお鉢が回ってきたという所だろう。
「お手紙、書いてみたらどうかしら。」
ん~と考えていたホリィが両手をパチンと叩いてグットアイデアと言った。
結婚する前に夫の貞夫とのやり取りの殆どがエアメールだったのもあるが、手紙だと意外と素直に自分の言いたい事が言えたりするのだ。
「手紙?」
「そう。相手をどう思ってるかとか、自分がどうしたいとか、手紙にして書き認めるの。言葉にすると難しい事でも、手紙にすると伝わる事もあるわ。ね?やってみたら?」
訝しげに片眉を上げた承太郎にホリィが言うと、口をへの字に曲げて天井を睨み付けた承太郎の目線がホリィに戻ってきた。
やってみる価値はあるといった顔だったのに、ホリィは満面の笑みを浮かべた。
「便箋、なかったらあげるわよ?」
「いや、今からちっと買ってくる。ありがとな、お袋。」
のそりと立ち上がった承太郎が部屋を出る時に少し照れ臭そうに礼を言った。
やはり母親には勝てないなと、小さく笑って襖を閉めた。
承太郎に誘われて夜に散歩した日から暫く時間が経っても、吸血鬼にしか罹患しない病気は治る気配を全く見せなかった。
もしかしたらこのまま死ぬのかもしれない。
DIOはベッドに仰向けに寝転がりながら長い溜め息を吐いては止め吐いては止めを繰り返していた。
無駄な時間を過ごしているのは重々承知していたが、本を開けどもパソコンを開けども前はすらすらと頭に入ってきた文字の羅列が全く入ってこなくなってしまった。
目を閉じれば承太郎が浮かぶ。
浮かべば心臓がトクトクと鼓動を早める。
早めれば体温が高くなる。
高くなればそわそわと落ち着かなくなる。
最終的には来訪時間まで時計とにらめっこだ。
何なのだこれは。
1分がとても長く感じ、時でも止めてるのかと自身の幽波紋を出せば肩を竦められる始末だ。
とにかく暇があれば脳裏に浮かぶのは承太郎のあの優しい眼差しの顔で、彼がよろめいて掴んだだけなのに抱き締められたと勘違いした時に鼻腔を擽ったムスクの香りに混ざる彼の匂いで。
高い体温と大きな手の平。
ずっと、こうしていたいと思ってしまった何故かは分からないが。
そしてもう1つ頭に浮かぶのは、花京院が言っていた承太郎の好きな子の事だった。
何だ好きな子とは。
あれか
テレビドラマでやっていた、学校校舎裏で「好きです!」と叫びながら告白するアレか。
それとも大学を舞台としたドラマの、付き合うどうする?みたいなヤツか?
正直全く分からなかった。
好き という事が分からない。
好ましいは分かる。
嫌いも分かる。
だが好きな子とはいったい何なのだろう。
かつての義兄と義姉の事か?
だがあれは夫婦だ。
好きとか嫌いとかではない。
反吐がでそうな程の甘ったるい愛情だ。
かつて己が母に感じていた物とは違うらしい。
子供の頃にそれ以外に思い当たるのは、殺意を抱く程の憎しみと怒りだ。
子供の頃から綺麗だと言われてきた容姿の裏側は、ずっと憎しみと怒りに満ちていた。
それで自身が形成されていたと言っても過言ではなかっただろう。
そんなものは肉体をあの拳で砕かれてからはどっかに行っちまったが。
今は何だか分からないものがもやもやと居座って、息をするのも苦しくなり胸もきゅうきゅうに締め付けられて苦しくなる一方だ。
きっと死ぬんだな。
寝返りを打ちながらDIOはまた溜め息を長く長く吐いた。
あんなに克服したかった死ぬという事に、今はそれほど恐怖はない。
身辺整理をしなければならないが、まあ、それは己が死んでから部下達が好きにしたらいい。
どうせ地獄になんぞ持って行けやしないのだ。
なのに、心の何処かで嫌だなと思っている己がいるのが否めなかった。
そして必ず承太郎が思い浮かぶのだ。
あのターコイズグリーンの眼差しが。
死んだら、今死んだら、どういう顔をするのだろうかと。
「DIO様、ご気分は如何ですか?」
部屋の扉からノックが聞こえ、返事をすれば執事が真面目腐ったすました顔で聞いてきた。
花京院が来た日から己の具合が宜しくないと知った執事が、SPW財団にまで連絡してしまったので渋々診てもらったが結局は分からず終いで。
承太郎に報告するなと財団にも執事にもきつくきつく言い渡したが、それからはちょこちょこと様子を見に来るようになった。
眠れていないのを知っているから、色々な安眠グッズをインターネットで探しては購入して持ってくる始末だ全くどうかしている。
日に日にベッドがとてつもなく居心地の良い空間と化していく。
意図的に体温を下げれば眠れると言っているのに、その体温を下げれないのでしょうがと一喝された。
正に遇の字も出ない。
「ファーストフラッシュでつくったアールグレイのアイスティーをお持ちしました。」
サイドテーブルに置かれたカットグラスに並々と注がれたアイスティーは、氷もたっぷり入ってグラスに滴も伝ってとても冷たそうでとても美味しそうだった。
アールグレイ独特のベルガモットの香りが漂い、DIOは身を起こしてグラスを手に取った。
蜂蜜の甘さが丁度よく、旨いと一気に飲んでしまった。
さっぱりした口当たりに気分も何処かさっぱりする気がした。
鼻から抜けるベルガモットの香りがとてもリラックスした。
「とても旨かった。腕を上げたなテレンス。初めは紅茶のこの字も知らなかったのにな。」
「お褒めに預かり光栄でございます。」
「ホリィにも包んだか?」
「はい勿論。」
ならばいいと、一昨日執事の注文で届いたばかりの吸血鬼をダメにする枕にまた寝そべった。
上半身が良い具合に沈み込むように支えてくれて、動きたくなくなる大きなクッションだ。
眠らなくても全く平気だが、日がある時間帯はやはり身体が動かしずらい。
「なあ、テレンス。」
「何でございましょうDIO様。」
だるそうに横になっているDIOをおいたわしやと思っているテレンスが返事をした。
着替えをベッドの足元の方へと置いた。
「お前、好きな子とやらはいるのか?」
突然の主人のとんでも質問に思わずテレンスは吹いた。
それはそれは思いっきり。
常に冷静沈着で物事に動じないように努めてきたが、この主人は突拍子もない事をたまにしてくれるから油断はならないのだ。
今みたいに。
「わ、ワタクシの何処をご覧になられてのご発言かお伺いしても?」
だらだらと冷や汗をかき吹いた時に天蓋の柱にぶつけた額を擦りながらテレンスは至ってクソ真面目な顔で聞いてくる主人に尋ねた。
DIOはふうむと考えると、いいや別にと答えた。
「そんな素振りは見受けられん。」
ですよね~と言い掛けてテレンスはゴホンと咳払いをした。
この主人が何処をどのように執事の仕事を把握しているかは知らないが、1日の大まかなスケジュールは知っている筈だ。
「はあ。しかしワタクシは誠心誠意DIO様にお仕えしている身でございまして、女性とお付き合いする時間もなければ出会いすらございません。全くの杞憂でございます。」
暇がないのは本当だし、出会いがないのも本当だ。
そんな事よりも趣味の方に余った時間を使った方がとても有意義であると今は考える。
「若いのに難儀なものだ。休日もお前、殆ど自分の部屋に閉じ籠っているだろう。」
DIOの言葉にそれはねとテレンスも心の中で同意した。
オンラインゲームは元より、対戦やRPG等も多種多様で豊富に溢れる業界だ。
閉じ籠ってまでする価値は大いにあるのだ。
「左様でございますが、まさかDIO様?お好きな女性の方がお出来になられたのですか?」
エジプトで女は餌か性欲処理としか扱ってなかったこのヒトが?とテレンスがやや意外そうな顔でDIOを見た。
だがDIOはそんなテレンスの目線に気付かず、女には興味はないと答えた。
「肉体を砕かれてからは性欲だとか、とんとそんな気は起きん。血液も財団経由の輸血パックで事は足りる。」
「そうでございますか。突然何を仰られるのかと思い吃驚致しました。」
グラスを下げようとトレーに空になったグラスを置いた。
やれやれ
何を聞かれるかと思ったとテレンスは冷や汗を拭ったが、はあと溜め息を吐いて背もたれのクッションに深く身を預ける主を見ているとどうにも釈然としない物が沸き上がってくる。
こんな姿はとてもじゃないがエジプト支部を任せてきたもう一人の側近には見せられない。
原因は何だと壁際まで追い詰められそうだ。
「湯浴みのご用意を致しましょう。承太郎氏の学校は明日から夏休みだそうですよ。間違ってもDIO様がお休みになられるお昼間に来られないように釘を刺しておきませんとね。」
風呂が好きなDIOの為に気分転換にと浴室の方へと脚を向けた。
SPW財団の検査では何も出てこなかったが、やはり何処かに不具合が生じているのに違いない。
身体が砕かれて再生したせいかもしれない。
元々は義兄の身体だったが今は人間だった時の姿形になってしまったと言っていた。
それでも他を圧倒する美貌と、万物を虜にし得る色気と雰囲気は相変わらずなのだが。
むしろ増したと断言できる。
毒々しい色気とカリスマで圧倒されるというよりは、素のそのままの儚げでそこはかとなく漂う色気というのだろうか。
今の方が信者や狂信者が増えるかもしれないなと、蛇口を捻りながらテレンスは思った。
◆Ⅵ◆
真っ白な便箋を前に、承太郎は自分の机で腕を組んで悩んでいた。
手紙の書き方は知っている。
家の書庫で手紙の書き方なる本も入手してきた。
だが、如何せん書いた記憶が小学生の母の日と父の日以来だ。
お父さん、もしくは、お母さん、いつもありがとう
それか、おじいちゃんおばあちゃんに宛先が変わるだけである。
形式的には手紙かもしれないが、実の所、手紙でも何でもなくお礼の言葉を認めただけだ。
卒業生や新入生の祝辞とも違う。
小中学生の時は、あれはほぼ教員指導でこんな感じと書かされた。
拝啓
貰ってから大切に引き出しにしまっていた今現時点で自分の持ち物の中で1番の宝物であるボールペンで、取り敢えずさらさらと書いてみた。
成る程
凄く書きやすい。
大きな手にしっかりと馴染み、まるで昔から使っていたかのような感覚だ。
DIOの手も平均よりは大きいだろうからこれは使いやすいだろうなと考えて、ふとお揃いという事に顔がにやけた。
世界的に有名なメーカーなのだからそこら辺で誰しもが使っているという事実は、残念ながら青臭い恋心には思い浮かばないのだ。
そしてしつこいようだが、にやけても口角がちょいと上がっただけである。
基本は「無」だ兎のように。
だが拝啓まで書いて、名前を片仮名で書くと物凄い違和感があった。
ダメだとグシャグシャに丸めてゴミ箱へと捨てた。
じゃあとDearと書いてみた。
もっと変だと思った。
そこまで仲が良いのかと問われそうだ。
またグシャグシャに丸めてポイだ。
外れたが気にする余裕もない。
親愛なる?
それともいきなり文章から始めるか?
いやいやいや
それこそおかしいだろ。
机に両肘を突いて頭を両手でワシャワシャ掻いた。
英語は喋れるがアメリカンのネイティブイングリッシュで、DIOが喋るクイーンズイングリッシュとはちょいと違う。
祖父はどちらかというとクイーンズイングリッシュに近いが、イギリスより移住したアメリカの方が歴が長い為にネイティブイングリッシュになってしまっていた。
そして承太郎はそこまで英文は書けない。
仕方ないだろう生粋の日本人だオレはと言いたくなった。
祖父に瓜二つの容姿をしているが、中身は日本男児そのものである。
母親の日本びいきも差ながら、男は黙ってなんとやらの世界で基本生きている。
学校の授業でも基本の文法はせども、文法ばかりで教科書とにらめっこな世界だ。
( )に穴埋めのテストが殆どである。
「承太郎~!」
頭を抱えていたら母親に呼ばれた。
ふと時計を見ればもう16時になろうとしていて、夏だから日没が遅いが報告を聞かねばならないのは財団職員の定時である17時までだ。
慌てて着替えに立ち上がった。
「行ってくるぜ。」
台所で大食漢の息子の為に夕飯の支度に勤しんでいる母親に声を掛けて、承太郎はスニーカーを履こうと玄関に座り込んだ。
サンダルでも良かったのだろうが、少しでも格好良くは見られたい。
おしゃれという程ではないが、私服は一応それなりに選んでいるつもりだ。
ホリィがパタパタとスリッパを鳴らして玄関まで小走りにやって来た。
紙袋を承太郎に差し出した。
「承太郎、これ、DIOちゃんに持っていってくれるかしら。」
「・・・これは?」
「昨日にお紅茶頂いたの。ジンジャークッキー焼いたから持っていってくれる?DIOちゃん、この味が何だか懐かしいんですって。」
うふふと嬉しそうに笑う母親に、承太郎はほんのちょっぴりだけ上唇を尖らせて無言で差し出された紙袋を受け取った。
あら?
とホリィは思った。
気に入らないという顔だったからだ。
そんなにこのクッキーあげるのが嫌だった?
それとももっと承太郎が食べたかった?
ううん
あの顔は違うわね。
何かしら。
鋭くないようで実は鋭いホリィの勘が働いた。
だが覚られる前に承太郎は立ち上がって出ていってしまった。
恐らく承太郎の好きな子に関する事なのだろうが、それ以上の詮索は無意味ねとホリィは承太郎が帰ってきてから食べるであろう夕飯の支度の続きをしに台所へと向かった。
くさくさとした気分を抱えたまま、承太郎は財団の職員とDIOの執事のテレンスと報告の合わせを聞いてDIOが来るのを待った。
そういえば自分はDIOの好みを全く知らない。
知ろうとも思わなかった。
前の夕食を母親に自宅で振る舞ってもらった時は、どれもこれも旨い旨いと喜んで食べていたから分からなかった。
あとはいつも出されるのは紅茶と甘味だ。
自分は何でも出された物は食べるが、でもDIOが甘味を食べている所を見た事はない。
それなのに母親はDIOの好きな食べ物とか、他にも色々と知っているに違いない。
根掘り葉掘り聞き出す性格の人でない事は知っている。
恐らく家にDIOが来た時にそれとなく察したり何が好きか聞いたりしたのだろう。
自分はそんな高等技術は持っていない。
かといって母親に聞くのもなあ、何だか悔しい気がすると思うのだ。
ダメだなあ
自分の事ばっかりで
そう反省はせどもDIOを目の前にするともう可愛いとしか思えなくなるのだから仕方がない。
何してもかにしても、可愛い好きだ抱き締めてえキスしてえのオンパレードが脳内で行列を成していて最後尾の看板は全く見えない。
平静を装うのに必死な訳だ。
「待たせたな。」
心地好く内耳に響く声がすると、途端に心臓の鼓動が早くなる。
顔がにやけそうになるのを必死で堪えているつもりだが、だらしなく見られていたらどうしようかとも思う。
「いや、そんなに待ってねえ。」
答えればいつもの定位置に座ったDIOの何となく悲しげな笑みが見えた。
まだ怖いのかオレが。
もうあれから半年は過ぎたのに、まだ、その心内にオレへの恐怖が根付いているのか。
それを自分が言うのは何だかちょいと自分勝手のような気がした。
自分の母親の命を救う為とは言え、死の恐怖を植え付けたのは自分自身だ。
そう簡単に克服できないとは理解している、つもりであった。
だからちょっとずつでも
ほんの少しでも
そうすがり付きたくなるのは、決して自分の頭がおかしいからではない筈だ。
「これ、お袋から。」
テーブルの上に紙袋を置いた。
受け取ったDIOが中身を確認した。
紙袋から透明のラッピング袋の口を赤いリボンで結んだクッキーが姿を現した。
「ホリィの手作りか?旨そうだな。」
「ジンジャークッキーらしいぜ。お前、好きなんだろ?」
「・・・うむ。母国のは、もう少し違う食感なのだがな。冬の食べ物だと思っていたから、ありがとうと伝えておいてくれ。」
「・・・ああ。」
あの時の顔だと承太郎は気付いた。
箸をプレゼントした時の、嬉しそうだなと思った時と同じ表情だ。
自分が他人の感情の機微に疎いと自覚しているのなら、こういった所を見逃さなければ良いんだと気が付いた。
ああ
やっぱり可愛いな
いつまでも眺めていたい笑みだった。
「ああ、そういや、あの、貰ったボールペンな、」
「?」
「すげえ、書きやすかったぜ。」
「・・・!!そ、そうだろう?日本人は国産メーカーが好きだと聞いたが、あれは本当にとても使いやすくてな。そう感じてくれて良かった。」
ふふと嬉しそうに笑うDIOだが、何故か何処か違うように感じるのは気のせいなのだろうか。
そわそわと時計を見ればまたそわそわして落ち着かないように見えた。
何か予定があるのか?
しかし自身に予定があるならあるで、何時まで居る気だとハッキリ聞いてくるのが彼だ。
口を開けたり閉じたりしたり目線をあちこちに泳がせたり、何か聞きたい事でもあるのだろうか。
本日のお茶請けはクランブルだった。
完食して紅茶を飲みきってから小さく息を吐いた。
「・・・落ち着かねえみてえだが、何かあったのか?」
尋ねるとDIOの肩がびくりとあからさまに跳ねた。
これはもう何かあるとしか考えられない。
承太郎はじいとDIOを見つめた。
そろりとDIOの目線が横にずれた。
あ、これは怖がらせているかもしれないと、承太郎は小さく溜め息を吐いた。
「別にオレは怒っちゃあいねえ。何かあるんなら、その、遠慮なく言ってくれて構わねえと、オレは思ってるんだぜ。」
帽子がないから顔が隠せないが、ちょびっと伸びた前髪を弄りながら承太郎は言ってみた。
怒っていないのは本当だし、言って欲しいのも本当だからだ。
DIOはううと唸り下を向いたが、覚悟を決めたのか顔を上げて上目で承太郎を見つめた。
その顔の可愛らしさと言ったらなかった。
今日1番の心臓にズギャンと刺さる表情だった。
「あ、あのな、お前、好きな子、とやらが居るそうではないか。それなのに、私に構ってばかりで良いのかと、言いたかった。」
「は?」
ところが帰ってきた返事の内容がとんでもなかったのに思わず承太郎の眉が眉間に寄った。
DIOの顔が青冷めた。
怒らせたと思ったらしく、ひっと口の中で言ったのが聞こえたいけないいけない。
承太郎はん”ん”と咳払いをすると、はあと息を吐いて気持ちを落ち着けた。
何がどうあって好きな子の事を聞いたのかは知らないが、その好きな子がお前なんだから何も問題ないだろうと言いたかった。
言えやしないが。
「な、何の問題もねえよ。」
自分に怯えた顔なんざ見たくもねえと目線を横にずらした。
以前より今の方がショックを受けている自分を自覚したからだ。
やっぱり益々好きになっていく気持ちが膨らんでいる。
半年前はまだこんなにショックを受けなかった。
「そ、そうなのか?」
「ああ。」
「そうか、なら、いいのだが。」
余計な心配だったなすまなかったと言ったDIOの表情がよく分からない。
寂しそうな悲しそうな嬉しそうな
全部当てはまるようで当てはまらない顔だ。
それよりも
承太郎は今日の本題を伝えなければと、緊張に腰を正し座り直した。
ん”ともう一度咳払いをした。
「あ、あのよ、明日の夜、時間あるか?」
緊張しすぎて低い声になってしまった。
怯えてねえだろうなと目線を恐る恐る向ければ、そうでもない表情の綺麗な顔が見えた。
ほっと胸を撫で下ろす。
「な、何もないが・・・どうした?」
「えっとなあ、家の方の神社で、夏祭りがあるんだけどよ、その、よかったら、行かない、か?」
承太郎本人からしたらデートの誘いのつもりだった。
だがDIOの反応はいまいちだ。
「Summer festival?Shinto shrine?」
なんだそれはという顔だ。
良かった。
拒否の雰囲気ではなく、何の祭りだか分かっていない顔だった。
七夕の時の祭りだと言おうとして、七夕は花京院も共に自宅に招いてやったから知らないかとどう伝えればいいのか思案する。
「何て言やあいいんだ?えっと、food stall?」
英語で説明するのが難しいなと、取り敢えず屋台が並び盆踊りもあって花火も上がるから綺麗で楽しい旨を伝えた。
するとDIOの表情がキラキラと輝いてくるのが分かった。
回旋塔を初めて見た時と同じ顔だ。
屋台に凄く興味を持ったようだ。
え、どうしよ、マジで可愛い。
「どうする?浴衣着てえならお袋に頼んどくけど。」
「yukata!本で見た事があるぞ!着たい!!あ、でもいいのか?お前はその、好きな子と、行かないのか?」
飛び跳ねる勢いで喜んだDIOが、はたと動きを止めて承太郎に尋ねた。
誘うなら好きな子を誘えと言いたいのだろうか。
「あ、ああ。いいんだ。それは大丈夫だ。じゃあ、明日オレん家来れるか?」
「分かった。嬉しいぞ承太郎。明日が楽しみだ。」
うふふと笑うDIOに釣られて承太郎も嬉しくなった。
やったデートに誘えたという成果の方が大きい。
好きな子という所での勘違いが発生しているがまあいいだろう。
だってオレが好きなのはお前なんだからとはまだ言えないが、好きな子と行けるのだから万々歳だ。
やべえ
今夜眠れねえかもしんねえ
そんな予感は予感ではなく確実に現実として的中するのだが、それでも構いはしないと明日がとても楽しみになった。
◆Ⅶ◆
何て事ない顔している方のが無理ってえヤツだと、承太郎はひくひくと動いてしまう口角を自覚しながらも頬が熱いのを何とかしようとクーラーの効いた部屋でわざと団扇で扇いだ。
久々で腕が鳴るわと着付け技能士の免許をいつの間にかしれっと持っていたホリィが二の腕をまくり、執事によろしくお願いされた何をされるのかハテナマークのDIOと共に着付けの部屋に入って小一時間。
高校入学の時にあつらえて貰った浴衣が着れるかもと話した時の母親の凄く嬉しそうな顔を思い出し、ああ、悪い事をしてきたなとそれまで安易に母親を無下にしてきた自分の態度を反省する羽目になった。
それはさておき自分はうっとおしいから浴衣を着ない訳だが、着付けは意外と時間が掛かるのは知っている。
待っている前にも間にも入念に髭の剃り残しがないかとか髪型だとか揉み上げの長さだとか、無駄に広い洗面所の鏡の前で非常に細かくチェックしたりしていた訳だ。
服もこれかあれかとタンスをひっくり返す勢いで合わせたり何なりした訳だ。
始めは黒いシャツを選んだが夜だし人混みだしと白かいや薄い紫かいやいやと頭を抱えて深藍色のポロシャツと、祖父のお古であるヴィンテージジーンズに落ち着いた。
だって
だってだって、DIOとデートだ。
この前の何となくの散歩とは違う。
明らかにこれはデートなんだと思ってしまったから、そりゃあ前の日から眠れず顔はだらしなくにやけ母親からの呼び掛けにも空返事でしかし昼の飯はしっかりいつもの量を平らげソワソワソワソワと麦茶を飲んだり団扇を扇いだりちょっと立ち上がっては座りを繰り返し結局昼寝は全く出来なかった。
落ち着けという方が土台無理な話だろう何せ初めての事だから。
相撲の観戦の手に汗握るとは全く違う変な汗が手の平からじんわりと掻いてくる。
ドキドキと胸は高鳴り、何度深呼吸した事か。
いつだかテレビドラマで観た我が子の出産を分娩室前で待つうろうろする父親みてえじゃあねえかと、思考がそっちにぽーんと飛んで行ってしまったお陰で途中経過を脳内で繰り広げてしまいまた悶絶する羽目になった。
ドラマだ。
オレの中でドラマが生まれたぜ。
「はい、お待たせ承太郎。DIOちゃん出来たわよ。」
はあと息を吐いた所で襖がスッと開いてホリィが顔を覗かせた。
着付け上手く行ったんだなという顔にホッとしつつ、何でもないような表情に努めた。
「なあ、ホリィ。ホントに、ホントのホントに、おかしくないか?」
「だあいじょうぶよDIOちゃん!とっっっ・・・ても素敵よ!自信持って!」
「むう。しかし、」
「DIOちゃんはすっごく美人さんだしスタイルもびっくりするくらい良いんだから、承太郎だって絶対に褒めてくれるわ!ね!」
襖のホリィの向こうでDIOの声がした。
不安げな声にホリィが大丈夫と言っている。
しかしと自信なさげな声に、承太郎は立ち上がって残り半分の襖を開けた。
うわという驚いた声がしたが、そんな事はどうでも良かった。
ふわふわの金髪を両サイドアップにしピンで留めて、恥ずかしそうに目元を赤く染めた美貌は差ながら可愛いとしか言いようがなく。
留紺色の地模様に薄く金糸のような細い流線が幾つか描かれて、はて、こんな模様だったかとろくに着もしなかったのだが当たり前に覚えていなかった。
長時間外出しても着崩さないようにハイネックのインナーは相変わらず着用していたが、なのに襟元が凄く何だか凄く魅入る程にエロかった。
ぴっちりと閉じた合わせに巻いた細めの帯は、ナニソレと聞きたくなる細さの腰を巻いており反則だろと承太郎は思わず両手で顔を覆った。
バッチンと思い切り叩いた音がした。
びっくりしたホリィとDIOの目線が居たたまれなく、承太郎は湯気がでる程に頭から顔を真っ赤にしてその場にしゃがみこんだ。
「すげえ・・・!いい・・・!」
もう似合う似合わないのレベルではない。
言葉で言い表せられない程に魅力的だナンダコレ可愛いってえもんじゃあねえ。
まともに見れやしないがマジマジじっくりと眺めたいどうすりゃいい。
「ほらね?承太郎もいいって言ってるじゃない。とっても素敵だから大丈夫よ!」
息子の醜態を見てもどうしたのかしらの程度で何とも思わない母親がにっこりとDIOに微笑んだ。
ほらご覧なさいの勢いだ。
「わ、私にはそうは見受けられないのだが・・・。」
しゃがみこんだまま動かなくなった承太郎の頭頂部を薄気味悪いと若干引きつつ眺めたDIOが恐る恐る言ったが、ホリィは肩を竦めてそんな事ないわと返した。
「承太郎がこうなっちゃうくらいに魅力的って事!あ~ん!本当に素敵だわあ!逆に心配になっちゃう!」
息子を放っておいてホリィはDIOに男物の扇子と巾着を手渡した。
使い方をそれとなく教えると、面白い袋があるものだなと開けて閉めてを繰り返した。
中に財布を入れてみた。
何だか嬉しい。
「何がだ?ああ、金の事か?一応日本通貨は把握しているぞ。」
「そうじゃなくて!DIOちゃん!知らない人が親切にしてきても着いて行っちゃあダメよ?あと困ってるって言われても、絶体に着いて行っちゃあダメ!」
真面目な顔で注意してくるホリィに、DIOはこの女頭の中は大丈夫かと不審に思った。
何処のどいつが190cm近い高身長で筋肉に覆われたがたいのいい大男をどうにかしようと思うのだろうか。
日本人は言葉の通じない外国人にとても慎重になり避ける傾向にあると本で読んだし、むしろ声を掛けてきた方が己の纏う雰囲気で恐れを抱いて逃げ出すだろう。
危害を加えてきたとて撃退する事は充分に可能だというのに、そんなに心配そうにされると脇腹がちょいと擽ったい感覚に陥る。
「なあに、大丈夫だ。日本語が分からない振りをするさ。」
「本当に、本当に、気を付けてね?承太郎!いつまでもそうしてないで、DIOちゃんをちゃあんとエスコートするのよ?」
ホリィの容赦ない力加減で背中をバシバシ叩かれた承太郎が漸く我に返り ああ と返事をした。
玄関で草履の履き方を教えた。
素足だと恐らく痛くなるだろうからとホリィが足袋を用意していた。
DIOが留めると後ろの留め金が1つずれてしまうのに何故か可笑しくなって、直してやるから立っとけと足首を持てばこんな所まで真っ白なんだなと思った。
足袋の白さに負けない白さだ。
初めてで下駄は難易度が高いからと草履にしたが、承太郎は何故履かないと玄関先で不思議がられ夜だし別に良いかと下駄にした。
門で手を振り見送ってくれるホリィに土産を買ってやろうとDIOが言うのに同意した。
カラコロと下駄の歩く音が凄く良いなと道中に微笑みながら言うDIOを横目で見つつ、慣れたら下駄を履けばいいと言えば嬉しそうにそうだなと答える彼に口角が上がった。
祭は人々で賑わっていた。
いつもは閑散としている神社も夏越祭は別物で、食べ物からゲームから屋台が並んで賑やかだ。
普段なら絶対食べない物でも、屋台で買うと何故か旨く感じるのが不思議だ。
やはり目立つのか、自分達が通りに入ると人混みに若干だがすっと避けられた。
遠目からもじいと見られているのが分かる。
いつもこうだから承太郎はあまり人混みの行事には参加してこなかった。
身長が180を越えた辺りから容姿が更に目立つようになり、注目されたり頻繁に声を掛けられるのが嫌だった。
キャーキャー言われると頭が痛くなりそうになるから止めろと言っても、見た目で騒ぐ奴らは全く止めてくれない事に辟易した。
だが今日はDIOが居る。
周りなんか気にならない綺麗で可愛い存在が横に居るだけで胸が高鳴るのが分かった。
暑いがそんなものは感じられないくらいに初めての祭で目を輝かせてあちこち見渡すDIOが眩しくて可愛らしくて、胸はきゅうきゅうと締め付けられて気持ちが溢れそうで堪らなかった。
「むう。これは何だ。」
わたあめに始まりりんご飴やイカ焼き、ヨーヨーとお面も買ってやった。
射的で当てた変な顔のライオン?のぬいぐるみは承太郎が脇に抱えてやっている。
自分で払うと言ったDIOだったが、んなことさせられるかという男の矜持である。
イカ焼きを噛る口がやけに扇情的で、思わずごくりと喉を鳴らしてしまい慌てて自分のイカ焼きを頬張ったのがそんなに腹が減っていたのかと勘違いされた。
そんな時に通り掛かった出店でDIOが立ち止まったのに、承太郎はラムネの瓶を傾けながら目を向けた。
「ああ、型抜きだぜ。綺麗に型取れると何か景品が貰える。」
「ふうむ。面白そうだな。」
「やってみりゃあいい。Please give me two.」
図体のでかい外人2人がいい客引きになると既に横繋がりの噂が広まっていた屋台のオヤジは大いに喜んで、どうぞどうぞと席を勧めた。
子供用の椅子だからかきちんとは座れないが、何とか作業台の前にしゃがみこんで爪楊枝を渡された。
「見てろよ。」
先ずはと承太郎が手本を見せた。
上手いこと型を抜いていく。
中々に上手いなと店のオヤジも感嘆の声を上げた。
だが惜しくも最後のカーブでポキリと折れてしまったのに、DIOの方があ~あと言った。
「久し振りだから難しいな。」
「よし、私もチャレンジしてみよう。」
だが半分もいかない内に折れてしまった。
遊びとはいえ侮れないとDIOが言えば、そうだろ?と承太郎が笑って言った。
傍目からは気付かれない承太郎の笑みが、最近はよく気が付けるようになったとDIOは微笑んだ。
何だか己が特別になったような気がした。
「幽波紋でやってみっか。バレねえし。」
「精密動作Aの無駄遣いだな。」
「お前だってBじゃあねえか。似たようなもんだろ。」
「私はズルはしない。ゲームにしろ何にしろ、勝利は自力で掴み取るものだ。」
「精神の具現化って、ズルか?」
「ふむ。元は自身なのだから変わらぬという訳か。一理あるな。」
once againと店主のオヤジに言い、ちまちまと大の大男外国人2人が英語で何やら言い合いながら型抜きをしている。
そんな奇っ怪な現象に始めは小さい子供が集まり眺めだし、その内大人までもが興味津々で見守り始めた。
お陰で型抜き屋は大繁盛だ。
その近辺の屋台も大繁盛だ。
「お、オレは出来たぜ!」
「私もだ!」
やったと型を抜いた形を掲げれば、おお~という歓声と共に大拍手が沸き起こったナンダコレ。
承太郎はぎょっとして周囲を見渡せばいつの間にか出来上がった見物客の群れ。
どうだと得意気に笑みを浮かべるDIOに大勢が見惚れて動けない内にと、慌ててDIOの手を取って人集りを掻き分けて型抜き屋を走って出た。
なるべくその場を離れようとひと気のない方へと進めば、神社の境内まで上ってきていた。
はあはあと息を整える承太郎に反し、DIOは真っ赤な顔をして俯いていた。
どうしたんだと顎に伝う汗を手の甲で拭い承太郎がDIOを見ると、握っていた手に気が付いて慌てて手を離そうとした。
「わ、悪い・・・。」
しっかり握った手の平は承太郎の体温と同化して、いつもは低いDIOの手が温かくしっとりと皮膚に吸い付くようだと思った。
手を繋いだという喜びと、また嫌がられるかという恐ろしさと。
ドキドキと鳴る心臓は走ってきたせいだけではないような気がした。
「あ、謝る必要はない。私は、い、嫌な訳じゃあ、ないんだ。」
DIOが俯いたまま離されない手を振りほどこうともせずに、むしろ握り返した事に承太郎の目が僅かに見開かれた。
DIOはずっとずっとずっと考えていた。
あの公園の夜から
承太郎に抱き締められたと勘違いした夜から
あの時
背中に腕を回されて抱き締められたと思った時、確かに己は喜びを感じたのだ。
高い体温と汗とムスクの匂いに混じる承太郎自身の匂いに、とても安心してとても嬉しかった。
こんな安心感は抱いた事がないと、言いたくても言えず矜持から誰にも相談しなかった。
胸がきゅうきゅうと締め付けられて苦しい。
鼻の奥と喉の奥がつんとして痛い。
こんな事は初めてだ。
「・・・嫌じゃあない、承太郎。」
嫌じゃないのは本当だ。
そして承太郎に好きな子がいると聞いた時にショックを受けたというのに気が付いたのも本当だ。
承太郎といるとトクトクと鼓動が早くなる。
承太郎に触れられると体温がそこから同化していくようで心地好い。
承太郎が笑うと己も楽しくなる。
怖いと思っていたのに、いつの間にかそれはなくなっていた。
歩み寄ろうとしてくれていたのかと気が付いた時に感じたのは間違いなく歓喜。
だから承太郎が好きな子と祭に行かないと聞いた時、とてもとても嬉しかった。
その子よりも己を優先してくれた。
それだけで、その事実だけで凄く満足する自身がいた。
これは何なのだろう。
今まで感じた事のない感情。
今まで経験した事のない感情。
これが、好きという事か?
「お前は、気味が悪いと思うかもしれんがな。」
ふふと微笑んでDIOは小さく呟くように言った。
喧騒が下から聞こえる。
夜の境内は誰もおらず、りーりーと虫の音がする。
もしかしたら誰かは居たかもしれないが、時が止まった世界のように承太郎の耳にはDIOの声しか聞こえない。
何て綺麗に笑うんだ。
何て儚げに笑うんだ。
何か答えなければと焦る気持ちと裏腹に、喉はひりついて声が重たく出てこない。
「お前の好きな子に、悪い事をしてしまったな。すまなかった。」
ぎゅうと握っていた手から力が抜けた。
はっと気が付いた時には真っ白な手はするりと隙間から零れてしまい、掬うにも掬えず持ち主の横へと返っていった。
「あ・・・、」
違うんだ
オレの好きな子はお前なんだ
オレはお前が好きで
堪らなく好きで
そんな悲しそうな顔をさせたい訳じゃあないんだ
待ってくれDIO
言うから
ちゃんと言うから
「もう、帰ろう。祭りは楽しかった。礼を言うぞ承太郎。とても素敵な体験だった。」
何も言えずに動かずに立ち尽くす承太郎に背を向けて、DIOは来た階段を降りようと脚を向けた。
が、ぶちと音がして目線が下に集中する。
鼻緒が切れていた。
どうすれば良いのかと狼狽えるDIOに、承太郎は悪かったなとだけ思った。
無理に走ったからだろう。
承太郎は何も考えられない真っ白な頭のまま身体は自然に動いた。
DIOの前で背中を向けてしゃがみこんだ。
「な、何を」
「おぶってやるから乗れ。」
「しかし、」
「幽波紋使うから重たかねえ。乗れ。」
行動の意味を知ってDIOがますます狼狽えたが、承太郎は構わず乗れと言った。
幽波紋を出して自身に重ねて見せれば、ああと納得して肩に手が掛かった。
「すまんな。かえって迷惑を掛けた。」
耳元で聞こえる声は低く滑らかで、ずっと聞いていたいのに今はそれが叶わない。
人目を避けて神社の裏側から家路に着いた。
祭の喧騒が背後から聞こえた。
楽しかった。
凄く楽しかった。
可愛いDIOがたくさん見れた。
集中するとちょいと唇が尖るのも多分本人は気付いてない癖だ。
型抜き中、真剣な眼差しの金瞳がとても綺麗だった。
りんご飴を食べて紅い唇が余計に口紅のように紅くなって、凄く綺麗だった。
金魚すくいの金魚を持って帰るかどうかを悩む姿が可愛いかった。
好きだ
全部引っ括めて
繋いだ手が離れる瞬間、握り返すかどうかを悩んでしまった。
今さら後悔したって遅いのに、あの時ああしてればよかったと後悔ばかりだ。
「あらあら!大変だったわね!」
家に帰ればホリィが笑顔で出迎えてくれたのが救いだった。
DIOは草履の鼻緒の事をしきりに謝っていた。
ホリィは気にしないでと宥めていたが、何処か悲しそうな顔をしたDIOに何も言えず承太郎はその様子を眺めているだけだった。
気の効いた事なんて何にも言えない、度胸もない不甲斐ない自分が情けなかった。
DIOの帰り際に聞いたまた明日の寂しげな声は、まだ耳に残って消えてくれない。
着替えようと部屋に入りジーンズを脱いだ。
後ろのポケットから音がして、ああと思い掴んで握り締めてくしゃくしゃにしたのをゴミ箱に些か乱暴に放り投げた。
丸めた紙はゴミ箱に当たり、ゴミ箱を倒してあらぬ方向へと転がった。
何度も何度も書き直したのに、渡せなかった手紙。
渡せば良かったのに。
でも出来なかった。
はあと溜め息を溢せば、あの丸めた手紙のように部屋の角に転がっては溜まっていく気がした。
◆Ⅷ◆
承太郎が通う高校では、夏休み中に希望者には夏期講習なるものが用意されている。
類に漏れず承太郎もその希望者だ。
暑い夏の日差しの下
遠目に入道雲が見えて夕立が来なければ良いなと、蝉の大合唱をBGMに教室で下敷きを扇いだ。
暑い
クソが付いても辞書に載るのではないかと思える程に暑い。
エアコンなんて気の効いた物はなく、ゴウゴウと煩い音がする壊れ掛けの扇風機が1台、教室の壁に備え付けられているだけだ。
腕の汗でA3プリントの半分が皮膚にへばり付くのが苛々する。
それでなくとも苛々するのに、額から流れた汗が頬を伝いプリントにポトリと染みを作った。
思わず舌打ちをすれば、しんと静まり返った教室でびくりと肩を跳ねさせる数名が見えた。
また怖がらせちまったと反省せども、少なくとも2年間は周囲をびびらせてきたのは自身なのだから何とも言えない。
はあと溜め息が溢れた。
プリント集をやっつけながら承太郎はシャープペンシルを強く握った。
神社の祭からDIOの様子が変になった。
前は怖がらせていたから会話が少なく目も合わせてくれなかったのだが、今は意図的に目線を合わせないようにしているとしか思えなかった。
会話はする。
返事もある。
なのに、あの金瞳はこちらを見ない。
頬杖を突いて何処かを見ている。
その目線からは何の感情も読み取れない。
何でだ。
聞けば良いのだろうが、何もないと言われてしまったら?
そうしたらもう、自分に為す術はない。
やっぱりあの時に手紙を渡せば良かった。
あれからも何度も何度も書き直した手紙は、未だに鞄に入れたままだ。
監視報告時もその後のティータイムの時も、結局渡せずにずるずると引き摺って持ち歩いては毎日捨てて書き直している。
拒否されるのが怖い。
気持ち悪いと言われるのが怖い。
自分はジェンダーに対してあまり関心がない。
恋愛対象は確かに女だったが、好きになったのがDIOなら関係のない事だったのだろう。
たがDIOは違うかもしれない。
男は、況してや自身を死の瀬戸際まで追い込んだ男では嫌かもしれない。
ふと気が付いた事がこんなに怖いだなんて思いもしなかった。
でも祭の夜にDIOは嫌じゃないと言ってくれた。
手を握り返してくれた。
あの意味が知りたい。
知りたいのに聞けない。
不甲斐ない自分に苛々する。
汗がまたプリントに染みを作った。
暑い。
顔を上げてタオルで顔の汗を拭った。
教室はまだ風が入るし日陰だからしのげるが、グラウンドで白いユニフォームに身を包んだ野球部が白いボールを投げるのが眩しく見えた。
夏の選抜は惜しい所まで行ったらしく、来年こそはと自主的に練習しているのだと花京院が言っていたのを思い出した。
最後のページの最後の問題を解いた。
汗で滲んだ解答欄の横にわざとずらして書いた。
このプリント集が終われば各自帰宅していい事になっていた。
伸びをしながら教室を見遣れば、まだ身を伏せて書き込んでいる数名が居た。
承太郎は筆記用具をしまうと、いつものように無言で教室を出た。
廊下は涼しい。
ミンミンという蝉の鳴き声と野球部の掛け声と金属バットの爽快な音が聞こえた。
薄っぺらい学生鞄を脇に抱え時計を見ればまだ午前中だった。
今からDIOの監視報告に行っても意味がない。
かといって家に帰るのもなあと考えながら下駄箱を開けて踵を履き潰した上靴を放り込んだ。
玄関前の日影の階段で休憩していた陸上部が承太郎に気が付くと、青冷めて全員さっと避けたのを一瞥して校舎を後にした。
夏休みは誰とも約束を取り付けないように女共の誘いは全て断った。
元々ちゃらちゃらした女は嫌いだし、相手を省みない勝手に喋べくり回るあの口数の多さにも辟易していた。
男友達なんざ今は花京院しか居ない。
その花京院も大学受験に向けて塾の夏期講習に励んでいるようだ。
暑い。
帽子の隙間から汗が滴った。
遠くでゴロゴロと聞こえた。
やはり夕立が来るのだ。
途中の駄菓子屋でソーダのアイスを買った。
1個50円で2つに割れるヤツだ。
何か得した気分になれるから、買う時はいつもこれを選んでいた。
レジに居たのは小学生の頃から自分を知っている口煩いバアちゃんじゃあなかった。
自分の図体のでかさと厳つい顔にびびった年配の女の人は、びくびくと怯えながらお釣りを渡してくれた。
何も言ってないし何もしていないのにこうやって怯えられるのは今に始まった事じゃないから慣れていたが、バアちゃんじゃないのが気に掛かったから聞いてみた。
このままだと気になって夜も眠れないというか、既に気になり過ぎる事がありすぎて寝不足なのだがとにかく気になった。
すると体調を崩して入院していると言われた。
歳だから店をたためばいいのにとそのバアちゃんの娘という人はぼやいていたが、ちっとも困った感じではなかったから良かった厭われてはないんだと思った。
ふと、こんなアイスはあいつ食った事がねえんじゃあねえかと思い立ってしまった。
食事管理はあの執事が煩そうだし、嗜好品は恐らくお取り寄せか輸入かデパ地下だ。
要は高級品しか口にした事がなくて、1個50円のアイスだってそこそこに旨いんだと執事は嫌がるだろうが教えたくなった。
ここからなら走って向かえば溶ける前に到着するから、直ぐに冷凍庫に入れてもらえば充分間に合うだろうと。
承太郎は渡されたお釣りでもう1つ買うと、バアちゃんによろしくと言って走り出した。
暑い。
暑いけど走っている時は何も考えなくて済んだ。
この時間はまだ寝ているだろうから、執事に渡してさっさと帰ればいい。
また夕方に来るのだからそれでも構わない筈だ。
走りながらアイスを噛った。
DIOの屋敷の門には直ぐに着いた。
交代制の門番はSPW財団の職員達だ。
小さな小屋はクーラーが着いているらしく、窓を開けて職員は気温の落差に顔をしかめた。
暑いですねとHelloの後に続いた。
日本の夏は湿気が多いから、体調を崩す者が多いと言っていた。
慣れてるからそんなもんかと思った。
検問を抜けて広いエントランスを進み、北側に位置する日影になる玄関で訪問のチャイムを鳴らした。
最近は使用人を数人増やしたと言っていた。
なのに誰かが出てくる筈が誰も出てこなかった。
この時間は家主の睡眠時間なだけに、本人が出てくる事は先ずないだろう。
しくじったかな。
この暑さではアイスが溶けると思い、承太郎は水滴を落とし始めた外装の袋を破った。
案の定、溶け始めていた。
歩きながらパキリと2つに割って、財団の職員に窓をノックして1つ渡した。
Thank You sir.と返ってきて、とても嬉しそうな笑顔を向けてくれた。
誰も居ないのかとアイスを噛りながら聞けば、職員は外出記録を見てそうですねと答えた。
合鍵でも持っているのかと思いましたと言われ、なんだそれと思った。
アイスもないしまた夕方に来るかと思った時、鼻にぴちょんと水滴が落ちた
と思いきやいきなりスコールの雨がバケツの水をひっくり返す勢いで落ちてきた。
慌てて走って玄関の屋根に避難したが、びしょ濡れになってしまった。
雷の鳴るゴロゴロという音が聞こえていた筈なのに油断したと、張り付くシャツが気持ち悪いと思いつつ雨宿りをさせてもらおうと玄関扉の横に座らせて貰った。
職員が雨の音がゴウゴウとする中で叫んで傘を貸してくれようとしたが、いいと身振りで断った。
通り過ぎるのも速いだろうし、こんな時の雷は落ち易いから傘なんか危なっかしくてさしてられない。
エントランスのコンクリが見る間に水溜まりと化していく。
凄い雨だ。
雨の音しかしない。
何となしにぼんやりとその様を眺めた。
ああ、また時が止まったような世界にいるようだと感じた。
暫くそうして呆としていた。
キイという音に目線だけを横に向けた。
観音開きの玄関扉が片方だけ少し開いた。
Wow.と呟くのが聞こえた。
あまりの音に起きたのだろうか。
ちょっとだけ顔を覗かせたその横顔が綺麗で、何も言葉が出なかった。
相変わらず金の髪は雷雨の暗さでも損なわれずに煌めいて、相変わらず琥珀のような金瞳はキラキラと煌めいて
端正に丁寧に神自らの手で造形されたと言っても信じてしまう美がそこにあった。
見惚れて目が離せなくて、その金瞳と目が合ったのに承太郎はじいと見つめたままだった。
ぎょっとして見開かれた目が可愛いなと思った。
「こんな天気なのに来たのか承太郎?!びしょ濡れじゃあないか!」
普段大人しい男が声を荒げるのは、戦い以外で聞いたことは滅多にない。
玄関の屋根から一歩先はゴウゴウと音をさせて降り注ぐ豪雨だ。
それでもはっきりとその声は聞こえた。
座り込んでいる横に仁王立ちされた。
「へましちまった。ちっと雨宿りさせてくれ。止んだら直ぐに帰っから。」
「そんな事はどうでもいい!早く中に入れマヌケ!」
DIOの台詞にいやいやと承太郎は手を振るが、DIOは何故か時を止めて幽波紋を出現させた。
そして動けない承太郎を幽波紋で担ぎ上げると、玄関の中へと入りバタンと扉を閉めた。
ずんずんと廊下を先に歩く合間に時は動き出し、承太郎は慌てて黄金の幽波紋の背中をバシバシ叩いた。
「お、おい!DIO!何してんだ!下ろせって!」
「痛いから叩くな。黙って大人しくしていろ。何も取って食いやせん。」
前を歩くDIOが静かに言ったのに、承太郎は黙ってしまった。
何処に行くのかと思えばいつもの応接室ではなく、2階の北側に位置するDIOの部屋だった。
今度は承太郎がぎょっとした。
ここには入った事がない。
間取り説明で聞いただけだ。
驚く承太郎を他所にDIOは平然と自室の扉を開けて中に入った。
貴族の部屋かと聞きたくなるような豪奢な造りの天蓋付きキングサイズのベッドが鎮座し、絨毯も家具も落ち着いた様式で収められていた。
初めて入った好きな子の部屋にドキドキする承太郎とは裏腹に、DIOは部屋続きの自分の浴室の扉を開けた。
白を主体とした明るい室内だった。
奥にあるバスタブは大きく、承太郎でも余裕で寝そべられそうだった。
DIOは徐にバスタブに湯を落とし始めた。
そこで漸く承太郎は黄金の幽波紋から解放された。
「人間はたかが雨でも濡れて放っておけば死ぬ。ここで身体を温めるといい。服はお前が着れるかどうかは分からんが、何か探しておいてやる。」
そう言ったDIOは真剣な眼差しで、まるで以前に雨で濡れた者が死んでしまったかのように話すのが承太郎には不可解だった。
たかが雨に濡れたくらいでどうにかなるほど自分はやわじゃない。
なのに、反論する余地のない強い目線だった。
承太郎は大人しく頷くとDIOは安心したように小さく息を吐いた。
「私は隣の部屋に居るから、何かあれば呼ぶといい。」
タオルの置き場だけ教えてDIOはシャツのボタンに手を掛けた承太郎から目線を逸らして慌てて出て行った。
急にどうしたんだろうと思ったが、取り敢えずお言葉に甘える事にした。
びしょ濡れになった制服のシャツとズボンを籠に入れ、後で袋かなんか借りようと下着も脱いで放り込んだ。
まだ溜まりきっていないが湯に足を浸けた。
クーラーが効いているのか部屋は夏なのに暑くはなく快適だった。
ゴロゴロザーザーと外から音が聞こえた。
未だ雨が止む気配はなかった。
雨で濡れ冷えた身体が心地好かった。
湯を止めてはあと大きく息を吐いて浴室を見回した。
何となく造りはNYの祖父母の家にあるのとそう変わらないなと思った。
日本の風呂とは全く違う。
洗い場は無いし湯船だけだ。
承太郎は幼い頃から祖父母に預けられたりしていたので使い方は知っている。
そしてここはDIO専用の浴室なのではという推測に至ってしまい顔を赤くした。
だって置いてあるものが1人分だ。
そこはかとなく高級感漂う代物ばかりだ。
うわあ
思わず湯に鼻先まで沈めた。
ブクブクと吐いた息が泡となり弾けて消えた。
そう言えば家の檜風呂とは匂いも違って凄くフローラルな香りというか、とてもリラックス出来るような香りだ。
多分あの執事が毎日主人の為に施しているのだろう。
落ち着かなくなって取り敢えず頭から湯を被り顔を擦ってバスタブから立ち上がった。
真っ白なふわふわなタオルなんて旅行先のホテル以外で使ったためしはない。
速乾吸収という何かのテレビCMがぼんやりと脳裏に浮かんだ。
「承太郎、これならお前、で、も、」
身体を拭いていたらDIOが突然浴室の扉を開けた。
何故か固まってしまったのに不思議に思いながら承太郎は腰にバスタオルを巻いた。
「あ、ああ、悪い。」
首を傾げて歩み寄れば、びくっと肩を震わせてさっと目線が横に逸らされたのに承太郎の眉根が寄った。
どうしたのだろうか。
顔が真っ赤だ。
「お前、もしかして、」
「あ?」
「具合が悪いんじゃあねえのか?!」
「・・・は?」
がっしと肩を掴めば僅かに震えているし、いつもは真っ白な彼がほんのりと赤く染まり何となく厭らしくて、ではなくて。
思わず額に手を充てた。
ひやりとしている事から熱はないようだが、吃驚した金瞳と目が合いその目がうるうるとしていくのが間近で見えた。
こんな時なのに何て綺麗なのだろう。
「ね、熱はねえみてえだな。」
一応と首にも手を充ててみたがやはり体温は低かったが、びくりと身体が跳ねたのとDIOの鼻から抜ける「ん」という吐息が一緒に聞こえて承太郎の心臓がドクリと鳴った。
何だ一体どうした
突然、纏わりつくように吹き出したDIOの色気に狼狽えたのは承太郎だった。
何だこれ何だこれと頭の中で繰り返せども、触れた手が離せないでいた。
手中の男がとてつもなく美しく魅力的に見えて、頭を強打されたかのような強烈な色気にくらくらした。
「ダメだ、承太郎。」
DIOの声で承太郎は我に返った。
ぼんやりと何かが思考を占めていきそうなそんな感覚に身震いした。
慌ててDIOから離れれば、持ってきてくれた着替えを胸に抱えて震えるDIOが見えた。
怯えているような、しかしそうでないような。
顔から首から耳から真っ赤だ可愛い。
「こ、こういうのは、お、お前の好きな子に、やれ。」
「オ、オレは、」
「い、今の私になる前の服だから、お前でも着れると思う。」
「あ、ああ、悪い・・・。」
真っ赤な顔で俯いて承太郎に服を突き出し、受け取るや否や走るように浴室を出て行った。
呆然と閉まった扉を眺めた。
今のあれは拒否に感じなかったのは、自分の気のせいなのだろうか。
釈然としないと首を傾げたが、やはりDIOは可愛いなと思った。
いやいやいやそうじゃあなくて!
好きな子にやれって、オレの好きな子はお前じゃあねえかよ!
何の問題もねえじゃあねえか!
とは思えども、想いを伝えていないのだからDIOが知る筈もなく。
盛大な溜め息を吐いて承太郎は借りたTシャツとジーンズに袖を通した。
普通に着れたがTシャツはやや大きい。
あの肉体だったもんなと、筋骨隆々は今も変わらないが一回り近く大きかった過去の肉体を思えば納得もいく。
「あ~、その、サンキュ。助かった。」
浴室から出れば奥にあるベッド近くのソファーに座るDIOに声を掛けた。
びくっと身体が跳ねたのが見えて、また怯えてるのかと観察すればどうやらそんな雰囲気ではなかった。
ただ吃驚しただけだったようだ。
「き、気にするな!そ、それより、茶でも飲むか?今日は生憎と屋敷に誰もいなくてな。大した物は用意できなかったが、茶は備え付けてあるから淹れられるぞ。」
「あ、ああ。」
いつもの応接室ではなくDIOの自室というのが大いに緊張する所だが、承太郎はDIOの自室に入れて貰えたという特別感と追い出されずに茶に誘って貰えたという歓喜で声が震えるのを自覚した。
相変わらず外は豪雨の音がした。
「しかし何故こんな時間に来たのだ。」
淹れてくれたのはミルクティーだった。
麦芽のような甘い香りでどっしりとした力強さとコクがあり、ミルクに負けない風味が特徴だ。
1口飲んで何も知らない承太郎でも旨いと思い聞けば、アッサムのセカンドフラッシュだと返ってきたが全く分からなかった。
「いや、アイスをな、届けにきただけだぜ。」
「アイス?」
「あ~っと、駄菓子屋でな、オレが好きなアイスがあってな、執事に預けりゃあお前が起きてからでも食えっかなって、思って、」
「penny candy store?」
「小さい頃から小遣い貰うと菓子を買いに行ってたとこでな。口煩せえバアちゃんがいんだがよ、そこで売ってるソーダアイスをな、買ったんだが」
「だが品物は無いようだが?」
「チャイム鳴らしても誰も出てこなくてよ。この暑さだから溶けちまいそうで外の門番の人と半分こして食っちまった。悪い。」
「そうか。それは私も食してみたいな。その駄菓子屋とやらにも興味がある。」
ふふと微笑むDIOの雰囲気は穏やかで、最近逸らされ続けていた目線が合うのに承太郎は嬉しくなった。
紅茶を飲み終える頃には雷雨も通り過ぎて日差しが出てきたのが、部屋が一気に明るくなった事で分かった。
素敵な雨宿りの時間だった。
「あ、あのよ、」
また夕方に来ると言って承太郎は濡れた服を借りた袋に入れて学生鞄に手を突っ込んだ。
ごくりと乾いた喉を潤す為に唾液を飲み込んだ。
やっぱり渡そうと思った。
今渡さないと同じ事の繰り返しだ。
いい加減このモヤモヤからも解放されたいのもあったが、もうとにかく溢れる気持ちを抑えるのもさっきの事で限界だと感じてしまった。
DIOは不思議そうに首を傾げている。
ええいままよ!!
承太郎は手紙を取り出してDIOに突き付けた。
DIOの目が丸くなる。
あ、可愛い。
「良かったらでいいんだけどよ、その、気持ち悪かったら捨ててくれ!た、大した事じゃあねえんだ!」
「・・・ふふ、いや。大切に読ませて貰おう。お前から貰った物だ。無下にはせんよ。」
DIOは始めは驚いていたが、やがて破顔して震える承太郎の手から手紙を受け取った。
一気に羞恥に身が震え、承太郎はその場にいられなくなった。
また蝉の鳴き声が聞こえた。
日差しは暑い。
また後でなとドキドキ鳴りやまない心臓が煩いと思いながらも、承太郎は走って屋敷の敷地から飛び出した。
◆Ⅸ◆
夏の祭からまた昼間の睡眠時間が減ってしまったのに、心配性の執事セレクション安眠グッズがいよいよベッドを占領し尽くしてきたなと思われる最中。
屋敷の使用人は己が起きている夕方から朝まで勤務だし、執事は用事がありましてと数時間の暇をくれと言ってきたので好きにしてこい所で何処に行くのだと聞けば秋葉原で新作のゲーム発売日でしてと返ってきた。
ああ、お前、異常なゲーマーだものなと返せば、甚だ遺憾でございますとまたもや返ってきてから意気揚々と出掛けていった。
あやつはいつ寝ているのだろうかと、DIOの館七不思議に該当している執事の私生活は半分以上は不明である。
どうせ寝ている時間だからと快適ベッドでゴロゴロしながら、祭の時に承太郎が射的で取った景品の変な顔のライオンを胸に抱いた。
ライオンは茶色だろうと思ったが、この変な顔のライオンは黄色時々オレンジ色だった。
たてがみはペラペラの布で、怖く見せる為なのか何故かつり目だった。
本を読む気にもなれず日本語の勉強をする気にもなれずに、DIOはただぎゅうとぬいぐるみを抱き締めた。
思い浮かぶのは祭の時の承太郎だった。
何とまあ絆されたものよ。
DIOは1人ごちた。
射的の時の一瞬獲物を捉えた鷹のような目線で玩具のライフルを覗き込む様は、ドキリと心臓が跳ね上がる程に男らしくて格好良かった。
そうなのだ。
ジェンダーを無視して格好良いのだあの男は。
型抜きも横で見ていたが、まるで機械のように正確だった。
握られた手は大きく力強く温かく、この手に守られるこの男の好きな子は果報者だと思った。
多分
恐らく
己はあの男が恐ろしい存在ではなくなっている。
むしろ好きになっているのは自覚していた。
背中に負われた時に、承太郎の太い首から香るムスクと彼本人の匂いに胸が高鳴った。
若々しく瑞々しい肉体に、はあと溜め息が溢れそうで必死で堪えた。
承太郎といるとトクトクと鼓動が早くなる。
承太郎に触れられると体温がそこから同化していくようで心地好い。
誰も気付かない無表情な承太郎が笑うと己も楽しくなる。
でも承太郎は好きな子が居る。
花京院曰く、可愛い子だそうだ。
きっと小さくて承太郎の腕の中にすっぽりと収まってしまう程の子で、笑顔も仕草も全てが可愛らしいのだろう。
羨ましいと思って、DIOは自嘲気味にハハと笑いが込み上げた。
己はあの男が拳で砕く程に憎まれた存在だ。
そして化け物だ。
承太郎は見た目に反して優しいから、いつまでも恐怖を乗り越えられない自身に手を差し伸べただけだというのに。
公園での散歩の時も祭の時も、優しさからくる行動だ勘違いするんじゃあない。
なんて考えながらうつらうつらしていた時、突然ゴウゴウと音がしたのにハッと目を開けた。
屋敷の窓は紫外線完全遮断効果が施してあり、外は見ずらい構造になっている。
日光を気にせずに外を確認できる場所は北側の幅の広い屋根がついた玄関だ。
何の音だと確認するのにちょっぴりだけ扉を開け、思わずWow.と呟いた。
それ程に酷いどしゃ降りだった。
まるでスコールだ。
わあと思いながら周囲の水溜まりというか湖になりつつある様を眺めていたら、玄関の端に座り込む承太郎と目が合った。
凄く吃驚した。
「こんな天気なのに来たのか承太郎?!びしょ濡れじゃあないか!」
頭から爪先までぐっしょりと濡れネズミ状態の承太郎を見て、いつだかの遥か昔の記憶がフラッシュバックした。
雨の中で、その日の食べ物を買う為に外で働き病気になって高熱で死んでいった隣の部屋に住んでいた小さな男の子。
母親の咽び泣く声が暫く耳にこびりついて離れなかった。
現代では医療が高度に発達しているからそんな事態にはならないだろうし先ず承太郎自身は頑丈そうだが、何が起こるか分からないのが人間だ。
そうだ
承太郎は人間だ。
己と違ってあっさりとその命を手放してしまう。
そんな考えにぞっとした。
雨宿りさせてくれという承太郎を無視して思わず時を止めた。
動かずに目を見開いてこちらの動向を見ていた承太郎を黄金の幽波紋で担ぎ上げた。
時が動き出せば幽波紋の背中を容赦なく叩く承太郎に、取って食わない旨を伝え自室へと連れて行った。
部屋続きの浴室に入りバスタブに湯を落としてから承太郎を下ろした。
「人間はたかが雨でも濡れて放っておけば死ぬ。ここで身体を温めるといい。服はお前が着れるかどうかは分からんが、何か探しておいてやる。」
こう言ったら承太郎は大人しくなり素直に頷いてくれた。
使えるタオルの位置を伝えると、承太郎は徐に着ている身体に張り付いたシャツのボタンを外し始めたのにぎょっとしてしまった。
実際目にした事はなかった承太郎の身体は、思っていたよりもずっとセクシーで目のやり場に困ってしまった。
ドキリと心臓が跳ね上がるのが分かり、慌てて浴室を出てから扉を思い切り閉めてしまった。
顔が熱い。
男の裸体なんぞ人間の頃やっていたスポーツで見慣れている筈なのに、承太郎の身体は何だか特別に見えてしまった。
綺麗な男だった。
はあと息を吐いて落ち着けと言い聞かせ、着れそうな服が無いかクローゼットに入った。
確か前のサイズだったら着れる筈だと、手にして何も考えずに浴室に入ってまた吃驚した。
頭から爪先まで完成された美がそこにあった。
へなへなと座り込みそうになるのを何とか堪えたが、何なのだこれはと自身の事なのによく分からない状況になっていた。
心臓が耳にあるかのように煩く鳴っていて、顔も身体も熱くなって承太郎が具合が悪いと勘違いして触れてきた所からまた熱くなって。
首に触れられて電気が走ったみたいに痺れた感覚が突き抜けたのに声を堪えるのが精一杯だった。
気持ちがいい。
もっと触れて欲しい。
その熱い手の平で私の全てに。
いやいやいやいや
ダメだダメだダメなんだ。
もっとなんて求めちゃあダメなんだ。
承太郎には好きな子がいるのだから、こんな事をしていてはその子に不貞と思われてしまう。
慌てて胸に抱き締めた服を付き出してその場から逃げた。
あの眼差しに勘違いしそうになる。
もしかしてと、都合のいいように解釈したくなる。
茶の用意をしながら落ち着けと呪文のように口の中で言い続けた。
風呂から出た承太郎は申し訳なさそうにしていたが、気にする必要はないのにと日本人の奥ゆかしさを持つ男に笑みが溢れた。
紅茶を飲み終える頃には雷雨も通り過ぎて日差しが出てきたのが、部屋が一気に明るくなった事で分かった。
素敵な雨宿りの時間だった。
また夕方に来ると言った。
その矢先に目の前に白い封筒を突き付けられた。
思わず受け取った。
「良かったらでいいんだけどよ、その、気持ち悪かったら捨ててくれ!た、大した事じゃあねえんだ!」
顔を真っ赤にして明後日の方向に向けている男を見上げてからまた封筒に目線を落とした。
何だろう。
凄く嬉しい。
承太郎の走って去る背中を眺めてから屋内に入り自室に戻った。
片付けなければと思ったが、それよりも何よりもこの手紙が物凄く素敵な宝物に感じた。
箸はあれからたまに使うようにしているが、やはり宝物に違いない。
だが何故かこの封筒の方がとても重要に感じた。
ライオンのぬいぐるみを抱えてベッドに横になってから手紙をかざした。
表も裏も何の変哲もない真っ白な封筒に、For Youの小さなシールが貼られていた。
こんなに小さいシールをあの男がでかい指でちまちまと貼ったのかと思うと、急に面白くなって笑いが込み上げた。
それを丁寧に剥がしてから中に入っている便箋を取り出した。
綺麗に三つ折りにされている手紙を開いた。
そう言えば現代では蝋で封をしないのだなと、19世紀の貴族時代を思い出して直ぐに忘れた。
そして中身を確認して飛び起きた。
「・・・・これは、」
検問を通過して承太郎は玄関前に立った。
呼び鈴を鳴らす手があり得ない程に震えていた。
まるでポケベルのマナーモード炸裂である。
夕方になり日暮しが遠くでカナカナと鳴いているのが聞こえたがまだ日は暮れていない夏の夕方だ。
緊張から冷や汗がこめかみから頬を伝い顎に垂れて雫となってコンクリの上に落ちた。
数時間前に渡した手紙は読んでくれただろうか。
もし読んでくれていたら、何と言われるのだろうか。
答えは可否しか選択肢がない。
何度も書き直しては破ってを繰り返した手紙だ。
今さら内容がおかしい事はないだろう・・・と思うかも、しれない。
うむむとしかめっ面で呼び鈴を鳴らすか鳴らさないかで悩む事数分。
押すぜ!と気合いを入れた所で扉が開いた。
物凄く吃驚して思わず幽波紋がファイティングポーズを取ってしまった。
「・・・貴方、いつまでも挙動不審で何してるんですか。入るなら入るでさっさとして下さい。こちらも暇ではないのです。」
執事が白々しい目で承太郎を見てきた。
どうやら防犯モニターで見ていたらしい。
いつものように応接室に通され本日の報告会議を開きいつものティータイムの時間になったが、承太郎は全くと言っていい程に落ち着かなかった。
普段は屋内で吸わない煙草を取り出して禁煙ですと執事に煙草とライターを取り上げられた。
貧乏揺すりが止まらずに執事と報告担当の財団職員に眉根を寄せられた。
普段落ち着き払った冷静沈着とはこの男の事を言うのだろうとさえ謂わしめた辞書にすら載っているのではと周囲が思っているあの承太郎がだ。
「本日のティータイムはここではなくてご移動願えますか。というか、移動して頂きますのでさっさと着いて来て下さい。」
丁寧なのに何処か軽んじている言動を隠そうともしない執事が承太郎に言った。
そう言えばいそいそと用意されるティーセットが1つも見当たらない。
言われるがままに承太郎は応接室の入り口の扉を開けて待つ執事の後をのこのこと着いて行った。
到着したのは2階の最奥にある部屋の前だった。
DIOの自室はこの真反対側に位置していた。
元々は何処かの国の大使が所有していた古い洋館を買い取っただけあって、屋敷は本当に広かったし何処と無く中世ヨーロッパ的な雰囲気があった。
「本日はDIO様が大切なお仕事をされておいでですが、こちらでのティータイムをご所望されましたのでご準備させて頂きました。」
ノックをすれば返事があった。
仕事してんのにいいのかと思ったが、構わずに失礼致しますと入室した執事の後を追った。
途端に独特の匂いに包まれた。
この匂いは知っている。
古びた本の匂いだ。
そして手入れされて大人しく収まっている本達が並ぶ図書館と同じ匂いだった。
見れば部屋の壁1面に本棚がズラリと並び、学校の図書室並みの広さを本棚で埋め尽くされていた。
その手前には大きく重厚なプレジデントデスクが鎮座し、デスク前にある長テーブルにティーセットが置いてあった。
初めて入った部屋に承太郎は唖然と部屋を見渡した。
プレジデントデスクで万年筆を片手に何やら分厚い本とにらめっこしていたDIOが顔を上げた。
にっこりと微笑まれたのに承太郎の心臓が口から飛び出すのではと思える程に跳ねた。
緊張で手に変な汗がかいてくる。
「ああ、来たな。掛けてくれ。」
承太郎にソファーに座るように勧め、DIOも移動するのに腰を上げた。
その間に執事はすました顔でささっと紅茶を淹れて部屋を出ていった。
向かい合って腰を下ろした。
「あ、あのよ、さっきは、その、ありがとうな。服はまた、洗って返すから。」
律儀に頭を下げる承太郎の頭頂部を眺め、DIOは紅茶を口に含んだ。
洗わずに返してくれなんて言いそうになって、紅茶で口を誤魔化した。
汗を吸い込んだであろう服は、きっと承太郎の匂いがする。
ちょっぴりだけ惜しい事をしたと思った自身をすんなり受け入れた。
どう思われようがもう構わない。
だがまだ言葉にするのは憚られた。
「構わずにいいのに。今の私には大きいサイズになったからな。返さずともいいさ。良かったら着てくれ。」
ゆったりと微笑んで言えば、若干目元を赤く染めて承太郎がそうかと言った。
あ、今のは喜んだ顔か?
基本無表情の承太郎の感情の機微を他が捉えるのは容易ではない。
だが生憎とDIOはそれを覚るに長けた男だった。
「それでだな、今日この部屋にしたのには理由があってだな。」
DIOはティーカップを置くと徐に立ち上がり、デスクから数枚の紙を手に取った。
あれはと承太郎がハッとした。
まさか
手紙の返事を今くれるのか!?
ドキドキと心臓が高鳴り出す。
どんな返事をくれるのだろうか。
人間とは不思議なもので、物事を良い方よりも悪い方へと考えてしまうのは殆どの者が持つ悪癖だ。
それは最悪の事態に陥っても対処し耐える事ができるようにする為の自己防衛本能なのだそうだ。
例に漏れず承太郎も最悪な展開は何度も何度も考えては眠れない夜を過ごしてきた。
シュミレーションは出来ている。
さあ来いと身構えたが、DIOは嬉しそうにふふと笑ってまた同じ位置に腰を落ち着けた。
そんな顔も可愛いなと承太郎はにやけそうになるのを堪えた。
「さて、承太郎。」
笑みを崩さぬままでDIOはコホンと1つ咳払いをし、承太郎はビシッと背筋を正した。
ヤバい
心臓が破裂しそうだ。
「お前がくれたこの手紙だが、正直に言えば私はとても嬉しく思う。」
「え、」
「幾久しく手紙なぞ貰った事がなくてな。とても嬉しかった、ありがとう承太郎。」
「え、ああ、いや、うん。」
はて何だろう。
思い描いていたDIOの態度と答えが違うような気がしてきた。
承太郎は想いを伝えるつもりで気持ちを手紙に文字として認めた。
それはもう暗記出来る程に何度も何度も書き直した手紙だ。
便箋の枚数も何枚使ったか便箋セットを何冊買ったかなんて覚えていない。
だがもしかしたら、DIOは違う意味で受け取ったのかもしれないと思い始めた。
振るなら振ってくれと思っていたのだ。
好きだと伝えて、後は断罪の鉄槌が振り下ろされるのを待つだけだと。
なのに
飽くまでDIOは穏やかに美しく微笑んでいた。
そしてこう言った。
「私も好きだよ承太郎。」
承太郎は目を見開いたまま、また時が止まった世界にいるようだと思った。
◆Ⅹ◆
時が止まったような世界に2人だけという感覚は、恐らくあの戦いの最中でも感じていた。
エンパシーというよりも同じタイプの幽波紋を持つが故のシンクロだと、SPW財団の研究者は承太郎がそう感じるならDIOもそう感じている筈ですよといつだか言っていた。
そんな感覚がDIOと一緒にいる時に訪れる事が多いのは、恐らくそれが理由であり決して気のせいではないと思っている。
同じ時を止める幽波紋を持つ者同士、世界にたった2人だけ。
「ふふ、お前は字も美しいのだな。」
手紙をかさりと持ち直してDIOは目線を落として言った。
何とか翻訳するのを試みたが、はたして己の訳は合っているのだろうかと不安にもなったのは事実で否定はしない。
そして素直に言葉にするのも不安が付き纏った。
好きだと書いてある事で間違いないのだろうか。
そしてそれは己の事で間違いないのだろうか。
それとも何かが好きでそれが自身と同じだからという意味なのだろうか。
読み返して辞書と照らし合わせても釈然としなくて、何冊も辞書を引っ張り出して。
こんな事なら日本語の習得を疎かにするんじゃあなかったと、ひたすら辞書とにらめっこしていた数時間だった。
だが
多分
これは承太郎が口では言い表せられない自身の気持ちを綴ったものだ。
謂わば承太郎の本音だ。
承太郎は自身を内側に閉じ込める癖が自然とついてしまっている。
それはエジプトでの旅が起因だろうとDIOは推測していた。
あの過酷な命のやり取りの旅が、承太郎を今の承太郎足らしめる原因にしてしまった。
余計な言葉は不要であり余計な感情は仲間を自身を危険に晒してしまう所から、口を閉ざし感情を表情をいつの間にか殺してしまった。
それは承太郎自身が選んだ事であり、彼自身が身に付けた防衛策だ。
そこを卑下するつもりも謝罪するつもりもない。
むしろ死が遠い国で何不自由なく育ち尚且つその若さでよく乗り越えたと、称賛すべきだとDIOは尊重の意味も込めてそう思った。
そんな彼が手紙で親愛を向けてくれた。
それだけで、もう、満足だ。
己の汚く穢れた気持ちなど、捨ててしまえばいいのだ。
承太郎には好きな子がいる。
こんな闇に潜む醜い化け物などではない。
全ての生き物が頭上に戴く恩恵を一身に浴びた光の世界で生きる子が、どうか本当は心優しい承太郎の気持ちを無下にしない子である事を願う。
不器用な男の手をそっと握ってくれる子であって欲しいと、そう願わずにはいられなかった。
「親愛を寄せてくれてありがとうと言いたかった。嬉しいよ承太郎。」
微笑みながら手紙の表面を指でなぞるDIOの儚さに、何故か承太郎はぐっと唇を噛み締めた。
何でそんなに悲しそうなんだと聞きたかった。
だって今、オレの事が好きだよって、言ったのに
それなのに何でそんなに。
承太郎は振られても仕方がないと思っていた。
命を奪おうとした相手だ。
身体を砕いた相手だ。
怖がられなくなったとしても、それでも事実は変わらないだろう。
でも好きなんだ。
伝えられずにはいられなかった。
気持ちは日に日に溢れてきて、きっと半年前の自分より今の自分の方がまるで海で溺れるように深く深く沈み込んでいる。
毎日、顔を見る度に幸せになれる。
笑ってくれるだけで、気持ちがほわほわと軽くなる。
堪らなくDIOが好きで仕方がない。
「DIO、DIO、違う。Dearじゃあねえ。違うんだ。」
承太郎は眉間を揉みながら違うと首を左右に振った。
やはり頑張ってでも英文で書けば良かった。
Noと言われたDIOは手紙を眺めながら首を傾げ、何が違うのだと目を細めた。
「Dearだろう?Likeだろう?」
書き出しはそうだろうと言ったが、承太郎はいやいやと立ち上がって手紙を眺めるDIOの隣に席を移動した。
書いてある箇所を指差して、ここの訳はそうじゃあないと言った。
「違う。Likeじゃあねえ。ここでオレが言いてえのは、Likeじゃあねえんだ。」
手紙の1文を要約して引っ括めてDearだとDIOは言い張ったが、そこで親愛なるは前後の文からしておかしいと承太郎は指摘した。
「んん?ここの日本語は訳すとDearとLikeになると辞書に載っているぞ。」
「単体ならな。いいか?ここの訳は、Love、you、so、mach、だぜ。分かるか。」
「あ~、待て待て。メモをする。日本語は言い回しが難しくてな。」
「DIO。」
メモを取ろうと立ち上がろうとしたDIOの手を、承太郎が動きを制するように上から重ねて握った。
忘れない内にメモを取らねばと思っているDIOがきょとんと目を瞬いた。
そんな意味が分かっていないDIOに、承太郎はゆっくりと息を吸ってそして吐いた。
「聞いてたか、その、オレの訳を。」
「あ、ああ。だからメモを、」
「DIO。」
「?」
じいと見つめてくる承太郎の目を、DIOはふと見返した。
己が100年もの間沈んでいた深い地中海の色をした翡翠の瞳が、金の目を真ん丸にしている己を映していた。
そして訳した言葉を噛み砕いて飲み込んで、胸にじわりと染み込んだ。
その眼差しは真剣で
纏う空気も鋭利なもので
握られた手は熱くて
DIOの唇が、はく と戦慄いた。
「Loving so much.」
低い声は内耳を擽り鼓膜を心地好く震わせた。
水面に水の雫を落としたように、乾いた心にその声の波紋が広がった。
嗚呼
ポロリとDIOの眦から雫が溢れた。
いいのか私で
お前はそれでもいいのか
お前の腕にすっぽりと収まるような
そんな小さくて可憐な子ではない
私は夜に潜む醜い化け物だ
なのに
なのにそんな愛おしいと訴える眼差しで
そんな私を慈しむ声で
愛していると
そう言ってくれるのか
ポロポロと目から雫を溢し始めたDIOが、信じられないとゆるゆると首を左右に振った。
ぶつぶつと違う嘘だと何度も呟いていた。
だが承太郎はここで引き下がれば2度とチャンスは訪れないだろう事を知っていた。
宝石のような綺麗な涙だと思い、そして小さく笑った。
「嘘じゃねえ。嘘じゃあねえんだDIO。」
握った手を離したくはなかった。
だから承太郎は片手だけを離してDIOをそっと抱き寄せ、肩に顔を押し付けて無言で泣く男の頭に頬を寄せた。
愛おしかった。
声を殺して泣くこの男が愛おしくて仕方がなくて、肩をぎゅうと抱き締めた。
「お前が好きだ。親愛じゃあなくて、オレはお前と恋人になりたい意味で好きなんだ。」
囁くように言えば、DIOの空いた片方の手が承太郎の背中のシャツをきゅっと握った。
笑いが込み上げた。
嫌なら既に突き飛ばされている。
大人しく胸に抱かれ収まっている所から察するに、容認されたと解釈してもいいだろう。
頬を寄せていた頭にキスをした。
びくとDIOの肩が跳ねた。
だが嫌がっている雰囲気ではなかった。
唯一の急所に触れても許される存在になれた事実に承太郎は嬉しくて堪らなかった。
「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ~、です。存じ上げておりましたが何か。」
しれっと歌いしれっと答えたすました顔の執事の言葉に、流石に昨日は泣き過ぎたなと思っていたDIOが驚いて見開いた目を瞬いた。
知っていたなら言ってくれれば良かったのに。
「こういうのはご自身でお気付きになられないと。我が主はご自身に関しては存外鈍い所がおありですからね。嫌われていると仰った時には何をとち狂った事を仰られているのかと思いました。賭けはワタクシの勝ちとなりましたので良かったですが。」
なぬと再びDIOの目が見開かれた。
お可愛らしいお顔でいらっしゃいますよとこれまたしれっと微笑む執事の腹の底が見えない態度に、言っても無駄かと肩を竦めた。
誰と賭けたのだと聞けば、花京院氏ですがと返ってきたいつの間に。
そういやゲーム仲間だったなこいつらと、ばつが悪くなってライオンのぬいぐるみを抱えたままソファーに深く座り込んだ。
鼻先をぬいぐるみに押し付ければ何となくさっきまでこれを抱えていた承太郎の匂いがするかもしれないと思った。
パシャッ
とフラッシュの焚かれた方を見遣れば、執事がいつの間に購入したのか一眼レフカメラを構えていた。
「あんまりにもお可愛らしいお姿ですので、信者達に日頃の褒美として配ろうかと。」
ああもう好きにしたらいいと呆れて言えば、ちょうど手洗いから戻ってきた承太郎が部屋に入ってきた。
一瞬動きが止まり執事とDIOを見比べ執事の手にした一眼レフカメラを目にした瞬間、背後に承太郎の幽波紋がオラァッ!という掛け声と共に突如出現した何事だ。
ひっと執事が青冷め後退りをし、承太郎と幽波紋が共に執事ににじり寄った。
部屋の壁まで追い詰められた執事と追い詰めた承太郎が何やらボソボソと言い合っているが、DIOはあの距離なら聞こえるだろうが聞く気もなかったので放っておいた。
何せこれから承太郎の家にお呼ばれだ。
宝物の箸を持って承太郎の母親が作った旨い食事をご馳走になるのだから、正直に言えば執事の事など些末な事態だ。
「何を話していたのだ?」
夜道を歩きながらDIOは隣を歩く承太郎に尋ねた。
昨日に家に帰ってから承太郎は母親に報告したらしい。
後ろめたい思いをするなら話してしまえと思っての行動だったが、何とこちらも気付いていたという驚きの事実だった。
母親曰く、DIOの事に関するとあからさまに態度が急変する息子を見てたら当然気付くでしょう?という事だった。
そして晴れて恋人になったのなら連れてらっしゃいお祝いしなきゃ!と昨日の今日でこうなった。
それはありがたいのだが。
気付かなかったのは当人同士で、あの花京院にさえ気付かれていたのに半年もすれ違って何してたのと電話で律儀に報告した承太郎に花京院は言ったようだ。
そんな分かりやすい言動だったのか全く気付かなかったと、他人の心の揺れに敏かった筈の自身のスキルが著しく衰えたとDIOはこっそりショックを受けた。
「ん~?ああ、写真寄越せって言った。」
「何のだ?さっきのか?」
「信者に配る用だかなんだかあ知らねえが、色々と撮り貯めしてるらしくてな。使い切ったら現像しねえでネガごと寄越せって言っといた。」
「いつの間に・・・」
そんなものを撮っていたのなんか初耳だ。
確かに時折着せ替えさせられてカメラを向けられた事はあったが、そんな用途があったとは。
うむむと唸るDIOの目の前に、ん と大きな手が差し出された。
何だと隣を見上げれば、耳まで顔を赤くしてそっぽを向く承太郎が居た。
クスクスと苦笑してその手にそっと手を重ねれば、ぎゅうと握ってきた高い体温が心地好かった。
ほくそ笑むような表情の承太郎だったが、不意に頬に柔らかな何かが押し当てられたのにピタリと脚を止めた。
「昨日のお返しだ。」
承太郎の頬にキスをしてふふと笑うDIOは街灯の下でもとても綺麗で、改めて好きだなと承太郎は心から思った。
「どうせするなら口にしてくんねえか。」
「ませた事を言う子供だな。Britishはお前たちAmericanのようにそうそうキスはせんのだ。」
だからお前が大学に合格したらとDIOは言った。
どうやら受験問題に興味があるらしい。
日本の学業レベルがどの程度なのかを知りたいようだ。
何か異様に詳しくないかと聞けば、某有名エリート大学の法学部主席だったからなと返ってきた。
吃驚だ。
じゃあ家で参考書とか見せてやるよと約束した。
「ならばこれはお前への宿題にしよう。」
DIOが微笑みながら繋いでいない方の手で差し出してきたもの。
白い封筒。
裏側はDIOの刻印がされた赤い封蝋。
「因みに全て英文だ。頑張れ承太郎。」
渡された恋文に承太郎はやれやれだぜとぼやいて受け取った。
明日までに訳し終われるか自信はないが、何が書いてあるかは物凄く気になった。
これは頑張って訳さねばならない。
自宅の門の外で待っていたホリィがこちらを見付けて満面な笑みで手を振っているのが見えた。
DIOが苦笑して片手を振り返した。
ちょいと遅い夕食だが、今夜からはドキドキはらはらせずに落ち着いて食べれそうだと承太郎は思った。
しかし結局は
好きな子の一挙手一投足に、可愛い可愛いと悶絶しドキドキはらはらは相変わらずであった訳だが。
終
おまけ
空条承太郎18歳高校3年生。
生まれながらにして容姿に恵まれ何不自由なく育ち過干渉な母親のお陰でぐれて立派な不良と成り果てたが自身の価値観を覆す旅を50日もして更に普通ならあり得ないファンタジーの世界の勇者のように自分が悪の親玉をやっつけて勝利して凱旋した。
というのが簡潔に、ごくごく簡潔に要約した話であるが実は物凄く長い尾ひれがくっついている。
その悪の親玉がとんでもない美人で、ぶっちゃけて言えば惚れた腫れたの世界に硬派を気取ってた思春期真っ只中の青臭い青年が心奪われて動悸息切れ眩暈全身の震えなあんてものに見舞われてしまっていたのだ。
そしてその見た目とがたいの良さとふてぶてしい態度と物言いとは裏腹に、その手に関しては全く免疫がなく意気地もなかったせいで全くいつまでももだもだもだもだと告白するまでに半年は掛かった訳だ。
そのジェンダーを全無視した暴力的美貌と破壊的色気の権化と紆余曲折を経て晴れて恋人となった訳だが、とにかく恋愛というものが何なのか分かっていない2人が醸し出す雰囲気とは周囲が雄叫びを上げながら頭を掻きむしりたくなる程にお花畑だった。
どちらかが手を握ればどちらかが赤面をして、それを見てまた片方も赤面して俯いては目が合うともっと赤面しての繰り返しだ。
それを間近で見せられれば、常に冷静でしれっとすっとぼけた悪の帝王の執事も顔が引きつるというもので。
いっその事、薬でも盛って寝室に閉じ込めてやろうかなんて暴挙も正直に言えば考えていた。
もう既成事実を作ってしまえばこんなに砂を口から吐きたくなる雰囲気を味わわなくて済むという心理からだが。
だが無理だ。
恐らく承太郎は未経験者だ。
そして主人も男は未経験だ。
薬を盛った所で何をどうしていいか分からない2人が暴れ出すとも限らないのだ。
それこそ東京壊滅というエジプトカイロの二の舞になってしまう。
それよりも何よりもどっちがどっちなんて話の前に、先ず、男同士というものを勉強して貰わねばならない。
だがそれを勧めるのは絶対嫌だと執事はすました顔で今日も主の為に香り高い紅茶をカップに注ぎながら思う。
自分はヘテロなんだからそんなものはゲイカップルの自分達で気が付いて何とかしてくれと、執事は風当たりがないようにこれまたしれっとスルーしていた正解である。
「見てくれテレンス!承太郎がこんなものを用意してくれたぞ!流石は私の承太郎だ!気が利く男だそう思うだろう?」
散歩という名のデートから帰宅した主は午前様になろうかという時間帯でも元気ですねと心の中で執事は呟き、その白い頬を薄紅色に染めて美しく微笑む主の差し出した物を見た。
幸いにしてこの屋敷の使用人は昼夜逆転の勤務をしているものだから、廊下で飛び跳ねる勢いで無邪気に笑う屋敷の主人を通りすがりに見ては頬を染めた。
近所迷惑にならないよう屋敷を住宅地ど真ん中にしなくて正解だったと、町の外れにポツンと佇む物件を用意してくれたジョセフ・ジョースターには当時これでもかというお礼をした。
「ノート、ですか?」
「そうだ!コウカンニッキとかいう代物らしい!何だかは分からんが、中身を見る限りDiaryのようだな。今日思ったり感じたりした事を書いて明日承太郎に渡せば良いらしい。すると承太郎も同じ事をして次の日に私に渡してとなるらしい。手紙より簡単だし素敵だと思わないか?」
「はあ、」
「うふふ、何を書こうか。1冊で足りるだろうか。私は今から執務室に入るぞ。」
「かしこまりました。」
スキップしそうな勢いで廊下を楽しげに歩く主人を見送り、執事はさあて本日やらねばならない事リストを頭に思い浮かべた。
執務室に入るならば数時間は出てこないし、寝室の寝具を入れ換えてしまおう。
安眠グッズがとうとうキングサイズのベッドを占領した訳だが、主人はその中でもビーズクッションを痛く気に入っていた。
吸血鬼をダメにするクッションと本人がボフボフ叩きながら罵るそれは特注品で、わざわざアメリカから取り寄せた物だし常に使っているから清潔にせねば。
シーツも新しい物にすべく使用人を引き連れて主人の寝室へと足を運んだ。
はあと溜め息を吐いた。
エアコンを効かせた自室で畳の上にこれでもかと今持っている余所行きの服を広げまくり、正に足の踏み場もといった具合に散らかした真ん前で胡座をかき腕組みし何の罪もない服を親の仇の如く睨み付けて早30分。
明後日に約束した花火大会に行く訳だが、承太郎は朝から悩んでいた。
コーデが決まらないのではない。
ぶっちゃけ服は褒めて欲しいし格好悪く見られたくないのでそれとなくお洒落はしたい。
と言ってもそれほど選べるだけの服は持ってはいないが、変な服もないのでまあまあ妥協できる範囲内だ。
違う。
そうじゃあない。
承太郎が悩むのはやはり最近お付き合いを始めたばかりの暴力的に美しい恋人の事だ。
半年掛けて漸く想いを伝えて晴れて付き合う事になり脳内でお祭り騒ぎ状態だったのだが。
手は繋げるようになった。
しかも自然に。
恐る恐る様子を窺いながらこれは握っていいのかどうなんだ手汗が非常にヤバい、とかじゃあなく極々自然と繋げるようになったのだこの自分が。
だが承太郎は思春期真っ只中の青年だ。
人並みに欲求はある。
DIOとキスがしたい。
親愛ではなく、恋人としてのキスだ。
祖父母両親共にグローバルだからなのか、赤の他人は別としてあまりキスをする事に抵抗がない。
愛している者同士ならばキスして当たり前の世界で育ってきた。
なのにDIOには違うと言われた。
頬にキスはくれる。
それだけ。
挨拶のキスも英国人はあまりしないという。
チークキスもだ。
だがDIOは承太郎の母親にはチークキスをする。
親しい相手に求められたらするらしいが、じゃあ何でオレはダメなんだと聞けばお前はチークキスじゃあ済まないだろうと返ってきた。
確かにプロパーキスを求めるが、飽くまで頬までの話じゃあないかと反論したい。
自分はDIOの唇にキスをしたいのだ。
紅を差していないのに血色のいい赤い唇に。
リップもグロスもしていないのにうるうるぷるぷるの可愛い唇に。
出来ればそれ以上もしたいが、如何せんそれはまだまだ勉強不足だと自覚している。
ゲイカップルなんて周囲に居る筈もないし、勉強しようにも参考になる物も限られて少ない。
取り敢えず大学に入るまでには知識は何とかしたいなあの世界で止まっている。
なので来年の春までの目標はフレンチ・キスだ。
その前座のバードキスである。
どうにかしてあの頑固な迄にキスを躱していく可愛らしくて小憎らしい恋人を説き伏せるか、もしくはそういう雰囲気に持っていくか。
持っていけるか・・・?
と更に服を睨み付けて内心首を傾げた。
雰囲気は正にゴゴゴゴである。
誰かと付き合った経験皆無のスキルレベル0の自分が、キスしたくなるいい感じの雰囲気にはたして持っていけるのかと不安になった。
そういった面では恐らく女性経験のあるDIOの方が上かもしれない。
いやいやいや
だから花火大会というビッグイベントに、人混みでろくな目に合わないと分かっていながらも勇気を振り絞って誘ったのだ。
何回振り絞らねばならないのだろうか。
もう自分の勇気は力一杯絞り過ぎてボロボロの穴だらけかもしれない。
その内にぶちぶちに千切れてしまったらどうしよう。
千切れた勇気を夜なべで縫い合わせる自分の幽波紋を想像してしまったシュール過ぎていたたまれない絵面だ。
「承太郎~!お風呂入っちゃいなさ~い!」
母親の元気な声が聞こえた。
シンキングタイム終了のお知らせという電光掲示板のような点滅テロップが脳内で流れた。
はあと溜め息を吐いた。
溜め息を吐くと幸せが逃げるなんてどっかの誰かが言っていたが、お互いがもっと幸せになる為の悩んでいる溜め息だ。
服をぶっ散らかしたままで承太郎は重い腰を上げた。
襖を開ければ日本の夏特有のむわっとした空気と、あちこちに設置された蚊取線香の匂いが流れて来たのに更に顔をしかめた。
近所の小学生が見たら間違いなく泣かれてしまう程の怖い顔をしていたが、生憎と指摘する母親はここに居なかった。
「ねえ承太郎?明日の花火デートはDIOちゃん、浴衣着るでしょう?」
次の日。
また明日な迎えに来るからなと定期報告の後の逢瀬から帰宅したいよいよ明日だどうするかなんて目の下にクマまで作って悩める怖い顔の思春期承太郎に、夕飯をもそもそ食べるさまを気味が悪い食べ方を珍しくするわねと思っている母親が聞いてきた。
そんなに明日の花火デートに着る服が決まらないのかしらと、昼間にデパートに行くかどうか後で聞いてみようとホリィは思った。
「あ~、聞いてねえ。祭ん時と人出が違うからな。電車も乗るし、着崩れても直せねえから。」
行きはそうでもないが帰りの満員電車は朝ラッシュ時に匹敵する混雑さだ。
とてもじゃないがまともに帰って来られる保証が出来ない。
「残念だわあ。凄く似合ってたのに。」
「悪いな。」
最後の里芋の煮物を口に運び出汁の味を噛み締めながら承太郎はホリィに謝った。
どんぶりのようなご飯茶碗を置いて箸を揃え両手を合わせた。
「ご馳走さま。旨かった。」
「うふふ、お粗末様。」
体躯に見合う大食漢が自分の作った料理を旨いと言ってぺろりと平らげる様子は、毎日見ていて全く飽きないし嬉しい限りだ。
DIOと2人並んで張り切って作った料理を旨い旨いと言いながら食べてくれて、皿が全て空っぽになると次はと俄然やる気が出てくる。
茶碗は自分で洗うと言って聞かない図体のでかい息子の、流し台を前にこれでもかと縮こまった背中を見ていると感慨深いなとホリィは思うのだ。
大きくなったなと。
ぐれた息子に一時はこの先どうなるのだろうと眠れない夜を過ごしたというのに、とびっきり綺麗で可愛い素敵な恋人を連れてきた。
寂しいと思う反面嬉しいとも思うのだ。
承太郎の整った見た目ではなくて、不器用で無愛想で口下手な所を理解した上で好きになってくれたのだ。
可愛い所があるのだと承太郎が夏期講習に行っている間こっそり遊びに来た時に、交際の報告がてらにDIOは言っていた。
とても恥ずかしそうにとても幸せそうに。
自分が夫と付き合い出した時と同じだと思った。
幸せで嬉しくて全てが上手くいく気がして世界が全部自分の味方になってくれたような、ちょっぴり恥ずかしくて擽ったくて。
そんな感じよねとホリィはウフフと笑った。
「明日はちゃあんとエスコートするのよ承太郎?」
「ああ。日本の満員電車は初めてって言ってたからな。気合い入れてくぜ。」
そうじゃあないんだけどなあ
恋人とは何ぞやとノウハウを昼間に聞きに来ているDIOに、自身が恋人の母親に相談している事を内緒にしていて欲しいと言われているホリィがにっこり笑った。
分かっているようで分かっていない息子に笑いつつ、ホリィは頑張ってとエールを送った。
人間の数に酔ったのは生まれて初めてだった。
何処にいたんだこんな数、東京の全ての民が集まっているのかと聞きたくなる程にぎゅうぎゅうのぎちぎちだった。
浴衣を着せて欲しかったが承太郎が着崩れるからやめておけと言った理由が分かった。
こんなので花火なんか見れるのかと不安にもなる。
己らは他よりも頭が飛び抜けて背が高いしがたいもいいからまだ耐えられるが、己の斜め前で押し潰されている女達を見下ろすと流石に気の毒になってきた。
恐らく前など見えてはいまい。
可哀想にとは思えども何せ自分達も同じ状況だ。いちいち見かける女子供に気を配れる程の余裕はない。
承太郎が幽波紋を自身に重ねて出しておけと言っていたのはこの事かと、他人と触れそうで触れない見えない壁が出来ているのに些かほっとした。
前を行く承太郎の背中にぴったりと張り付いて前に進んでいく。
承太郎はしっかりとDIOの手を握っていたので離れる事も人に流されていく事もなかった。
汗をかいたしっとりとした背中
汗とムスクの香りの中に混じる承太郎の匂い。
例え花火が見れずともこんなに密着出来ているのが嬉しいなんておかしいだろうか。
だが如何せん息苦しい。
吸血鬼になってから鋭くなった五感が色々な臭いと音を絶え間なく拾ってきて、戦い以外でこんな喧騒は長い人生で初めてだ。
産業革命時代のロンドンだってここまでじゃあなかった。
凪払えれば楽なのだろうが折角のデートが大惨事では流石の恋人も憤慨してしまう処か、また肉体を砕かれるまでの争いに発展するかもしれない。
もうあんな目で見られるのは御免だった。
己はもう2度とあの目は耐えられまい。
ここは大人しく承太郎の匂いと存在で誤魔化そうと、もっと密着すべくDIOは承太郎の腰に腕を回して離れないようにした。
びくりと承太郎が身体ごと跳ねて顔を少しDIOに向けた。
顔が赤い
何やってんだという表情だ。
可愛い
微笑んでやった。
「・・・大丈夫か?」
そんなDIOの顔を見て承太郎の眉が寄った。
何でと首を傾げれば、更にぎゅっと眉間のシワが増えた。
「いや、お前、顔色悪いぜ。自覚ねえのか。」
え?と承太郎の台詞にDIOは目を瞬いた。
確かに息苦しいし眩暈のようなものもし始めたが、そんなに言う程の事ではない。
だが承太郎は睨み付けるようにDIOを見ると、舌打ちしてから何と時を止めた。
驚くDIOを他所に幽波紋で人混みからすいと自分達を引っ張り出し、ビルとビルの間に身を潜ませた。
突然目の前から居なくなったがたいのいい外人2人が居なくなった事を夢か幻かと周囲が首を捻る中、承太郎はDIOの背中を壁に着けてじいと顔を見つめてきた。
美しく精悍な真顔が近いとDIOの顔に熱が灯るのが分かった。
「やっぱりいつもと顔色が違うぜ。気分は悪くねえか?どっかで休むか?」
無表情なのに声色は心配げに優しくて、暗闇なのにDIOを見つめる眼差しは憂いを帯びていて
吸血鬼なのに不死身なのに怪我をしてもすぐ治るのを知っているのに、真剣に心配してくる承太郎が愛しくて堪らなくなった。
きゅうきゅうに胸が締め付けられた。
息が詰まったようになって、は と息を吐いたのをどう受け取ったのか。
承太郎はDIOの手を掴むと折角来た道を人をかき分け戻り始めた。
DIOはまた驚いた。
進行方向が交通整理で出来上がっているので反対方向の人が疎らな歩道に出て、ぐいぐいと引っ張りながらずんずん歩く承太郎の背中を見上げた。
「じょ、承太郎?何故戻る?」
承太郎の纏う雰囲気が怖いとDIOが恐る恐る聞いた。
握られた手が熱い。
でも無言が嫌だった。
承太郎は理由もなく無下な事はしないと今のDIOは知っている。
だから何も言わずにいる背中を叩いた。
「承太郎?」
握る手を加減しながらぎゅっと握った。
すると承太郎がピタリと止まったのにほっと胸を撫で下ろした。
「いったいどうしたと言うのだ。花火は向こうだろう?折角あそこまで進んだというのに。」
首を傾げて言えば承太郎は悪いと呟いて横目でDIOを見つめた。
「オレ・・・かり、」
「ん?」
「オレばっかり、その、お前とのデートに浮かれてて、えっと、お前の事、気遣ってやれなかった。悪い。」
ボソボソとばつが悪そうに頭を掻いて謝る承太郎が浮かれているだなんて、信じられないとDIOはポカンと口を開けた。
さぞかし間抜けな顔をしているのだろうが、そんな事に構ってられない程にDIOは浮かれ出した気持ちがにやけ顔として表に出ないように必死で堪えるのに精一杯だった。
真っ赤になる顔を自覚して隠す為に片手で顔を覆えば、具合がやっぱり悪いのかとおろおろする承太郎が指の隙間から見えた。
何だこいつ可愛い過ぎるだろう。
「だ、大丈夫だ、承太郎。ちょいと人間の多さに吃驚しただけで、そこまで酷くはない。」
すうはあと深呼吸してからDIOはにっこりと笑って言えば、かあと承太郎の顔が赤くなった。
承太郎が可愛い
どうしよう
無性に抱き締めたい
だがここは公衆の面前だ。
如何に己が人外で関係ないとはいえ、承太郎には世間体というものがあるだろう。
DIOは徐に幽波紋を出現させた。
承太郎がぎょっと目を剥くのが分かったが、そんな事は構わなかった。
そして時を止めた。
今のDIOにはそこまで長い時間は止めていられる力はない。
DIOは驚いたまま動けない承太郎を幽波紋の肩に担がせると、思い切り歩道のアスファルトを蹴った。
ヒビが入っただろうがそのくらいは勘弁して欲しいと、あっという間にビルの上まで躍り出た。
そして何処ぞのビルの屋上に着地したと同時に時は動き出した。
「DIO!何してんだてめえ!」
やはり戦いに必要な程の充分な血液量を摂取してないせいで疲労が半端ない。
誰もいないビルの塔屋部分にがくりと膝をついたのに、承太郎が慌てて抱き起こした。
はあはあと呼吸を整えながら、都会特有の濁った真っ暗な空を眺めた。
すると遠くで甲高いヒュルルという音がしたと思ったら、一瞬で周囲が明るくなったのに2人とも目を遣った。
パッと散った色が着いた光の花が、暗闇の夜空に広がった。
続けて甲高い打ち上げ音が幾つも幾つも重なり、パッ、パッ、と大輪の花が咲く。
後から続くドンという音に、漸く2人が我に返った。
DIOは初めて見た花火に目を奪われた。
何と見事なと食い入るように瞬きも忘れて魅入った。
そしてふと、己の肩を抱き同じように魅入る承太郎に目線を向けた。
整った精悍な美しい顔が、花火の灯りで更に美しく見えた。
地中海の深い緑の瞳が、宝石のように煌めいて綺麗だと思った。
「ありがとう、承太郎。こんな素敵なものを見せてくれて。」
DIOはゆっくりとその翡翠の瞳が己に下りてくるのがとても心地好いと感じた。
嗚呼
好きだな
本心から思った。
だから自然と自身から重ねた唇に全く違和感を感じなかった。
承太郎が好きなんだから、好きで堪らないのだから、このくらい許してくれるだろう。
離れれば目を見開いて固まってしまった承太郎がいたのに可笑しくなって笑った。
あれ程彼からのキスをはぐらかしてきたのだ。
この対応も当然と言えば当然だろう。
何か言いたげに口をパクパクとしている承太郎の頬に今度はキスをして、DIOは満足げにその肩に頭を預けた。
弱々しくやれやれだぜとぼやいた声が可笑しくて、DIOはまた笑った。
幸せだと思った。
交換日記は止めた。
意味の分かっていないDIOが自身の気持ちを綴るのに1冊では終らなかったというのも理由の1つだが、なるべく言葉で伝えていこうと2人で決めたからだ。
時々は言いずらい事は文書に起こすのもいいかもしれないが、承太郎は自分の口下手を克服したいというのもあった。
だって伝えたいんだ。
DIOが好きだって堪らなく好きだって自分の言葉で伝えたい。
それは母親の助言でもあったが。
「ダメだ。」
「何でだよ。」
「大学入学まで待て。」
「痛ててて、嫌だね。オレは今したい。」
バードキスを乗り越え慣れてきた承太郎が今度はフレンチ・キスがしたいと言い出したのに、DIOは押し倒されそうになるソファーの上で承太郎の耳を引っ張った。
夏も終わりの日暮しがカナカナ鳴いている夕方に繰り広げられる話ではない。
「お楽しみに取っておくのもまた一興だぞ承太郎。」
するりと承太郎の腕からすり抜けたDIOが、いつもの1人掛けソファーに悠然と座りながら脚を組んだ。
不満に口を尖らせた承太郎が可愛いので許してやってもいいが、自身の歯止めが効かなくなりそうでまだお預けにしておきたい。
「入学のご褒美だな。精々励むといい。」
それまでに色々と知識をどうにかしようとDIOは考えている。
他人相手に欲は沸かないが、承太郎に対しては例外だと気が付いた。
しかしゲイカップルを他に知らないから、知識は朧気な中世欧州の頃のものしかない。
しかもやり方は不衛生極まりないものだ。
どっちがどっちだなんて答えは出ているようなものだが、そこは承太郎とまた追々話し合っていけばいい。
段々と行動に遠慮がなくなってきているのはいい事だとは思うが、DIOはジョースターの爆発力を知っている。
牽制しまくってもいけないし、許容し過ぎてもいけないのだ。
ぶつぶつと文句を言いながら執事の紅茶を飲む承太郎を愛しいと思う。
だから自身の全部をあげても良いと思っているなんて、まだ時期尚早で言えやしない。
生まれて初めて心を明け渡したいと思える相手がまさか宿敵の子孫とは。
何の因果だと可笑しくなって笑ってしまった。
そんなDIOを何だよと咎める目で見てくるが、存外愛しいだけだから意味がない。
「うふふ、お前が好きだなと思ってな承太郎。」
「・・・オレだっててめえが好きだぜDIO。」
笑いながら言えばからかわれたと勘違いしている不満顔の承太郎が負けじと返してきた。
ああ
幸せだ。
涙が溢れてしまう程に幸せだと感じた。
終