ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話   作:あろみんと

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第十話「穏やかな日々の影」

 

 

 

 カウンターの中で引き出しを引き硬貨の整理をする。現在、フィーネは店番中。アイリに文字の先生をやってもらってから――一週間以上が経過していた。

 

 文字について、完璧ではないが簡単なものなら読めるくらいになっている。尤もここで仕事をする分には数字だけが読めればいい。老人もそういう意図で文字を勉強しろと命令したのだろう。

 

 とりあえず目標は達成、老人も満足の成果だったらしく何も言ってこない。そして当たり前のように店番を任された。

 

 また噂が立ってしまう……と乗り気では無かったがボロキレは着ていない。今のフィーネの服装は、老人が用意した質素だが実用的なものだ。

 

 上は薄い生成り色のブラウスに、袖口と襟元には控えめなレースがあしらわれている。動きやすさを重視したデザインで、肌触りの良い生地が使われているのが特徴だ。下は濃い茶色のシンプルなフレアスカート。裾にはほのかに刺繍が施されており、店の雰囲気に馴染む程度の控えめな装飾だ。

 

 さらに、エプロンを腰に巻いている。生成りの生地にポケットがいくつか縫い付けられていて、ここにメモ帳やペンを忍ばせている。足元は、擦り減りにくい革の靴で、しっかりと紐で足首を固定するタイプだ。以前のボロキレに比べれば格段にまともだが、可愛らしさや華やかさには欠ける。

 

 だが完全に女の子らしくなってしまった自分の姿を見て「まあ、悪くないかも」と思わず呟いてしまった。女性の格好をするのは恥ずかしいが、せっかくだし可愛い格好をしたいという思いもなくはない。

 

 それでも、この服装のおかげで客からの奇妙な視線は若干和らいだ。ずっと見つめられたり、街を歩いているとチラチラ見られることもあるが、それはこの容姿が端麗すぎるせいだろう。

 

 そんな考えを巡らせていると、カランと店の扉が開く音がした。視線を上げると、現れたのは見慣れた顔――少し無造作に整えられた茶髪を肩に流し、どこか気怠げな雰囲気を纏った男だった。

 

「やあ、フィーネ嬢。今日も相変わらず可憐だね。君がいるだけで、この店もずいぶんと華やかになる」

 

 常連客のレオフォルトだ。軽薄そうな言葉と柔らかな笑みで店に現れる彼の態度に、フィーネは最初の頃こそ戸惑ったが、今では対応に慣れている。彼が単なる軽薄な男ではなく、王国騎士団でも一目置かれるほどの実力者であることも知っていた。

 

「いらっしゃいませ。今日も何かお買い物ですか?」

 

 フィーネは落ち着いた口調で尋ねた。

 

「それもあるかもしれないけどね。まずは君の顔を見に来たと言った方が正しいかな」

 

 レオフォルトはカウンターに片肘をつき、軽くフィーネを見上げた。

 

「それで、今日はどんな素敵な品が揃っているんだい? 君が勧めてくれるものなら、何だって良さそうだ」

「……いつもと同じ品揃えですが、魔法の香料はいかがですか? 最近入荷したものもあります」

 

 フィーネは棚を指しながら言った。彼の軽口をスルーし、仕事として接するのが一番だと学んでいる。

 

「なるほど、いいね。それにしても、君もずいぶんと板についてきた。最初の頃は、何を聞いてもそっけない返事ばかりだったのに、今ではこんなに流暢に」

 「そういう風に慣れてきてしまったのは、貴方のせいかもしれませんね」

 

 フィーネは淡々と言い放つ。軽口に対する受け答えも、以前よりスムーズだ。

 

「これは光栄だな。僕の存在が君の成長に貢献したなんて」

 

 レオフォルトはわざとらしく感動したような仕草を見せる。

 

「ですが、何か買うものがないのであれば――」

 

 フィーネが言いかけたところで、彼が少し身を乗り出してきた。

 

「買い物もいいけど、どうだい? 今度一緒に食事でもどうかな。君の話をもっと聞いてみたい」

 

 その顔には、あくまで親しげな笑みが浮かんでいる。だが、フィーネは即座に首を横に振った。

 

「ご遠慮します。私はただの店員ですので」

「そこがまたいいんだよ。君のそういう控えめなところが――」

 

「おい、何をぐだぐだやっている」

 

 不意に低い声が響いた。奥の部屋から老人が現れる。

 

「お前は買い物に来たのか、それともただの冷やかしか? どちらにせよ、店の邪魔をするなら出て行け」

 

 老人の視線は冷たいが、それ以上に威圧感がある。レオフォルトは少し肩をすくめ、軽く手を挙げてみせた。

 

「わかったよ、邪魔をするつもりはない。ただの挨拶程度のつもりだったんだがね。それじゃあ今日は引き上げるよ」

 

 彼は帽子を取って軽く一礼し、扉の方へと向かう。

 

「また来るよ、フィーネ嬢。次こそは君を誘い出してみせるさ」

 

 彼が飄々と店を出て行くのを見送りながら、フィーネは小さく息をついた。そして、振り返りざまに老人へ問いかける。

 

「……どうしてああいう時はすぐに助けてくれるんですか?」

 

 老人は短く答えた。

 

「お前に余計な面倒を背負わせるつもりはない」

 

 その言葉だけで済まされてしまうのが、妙に引っかかる。彼がただ単に自分を気遣っているのか、それとも別の意図があるのか――フィーネには分からなかった。

 

 店内は再び静寂に包まれた。扉が閉まった後も、どこか漂うレオフォルトの気配にフィーネは軽く肩をすくめる。

 

「全く、騒がしい人ですね……」

 

 ぼそりと呟き、再び硬貨の整理に戻ろうとしたが、客の気配はもうしばらくなさそうだと察した。フィーネは棚の端に置いてあった本へと手を伸ばす。

 

 老人から渡されたこの本は、ホムンクルスに関するものだ。かつて彼が手掛けた研究の成果や理論が記されており、専門的な単語も多い。それでも、アイリの教えのおかげで少しずつ読み進めることができるようになっていた。

 

 カウンターの中に腰を下ろし、本の表紙をそっと撫でる。表紙には古びた金箔で「人工生命の基礎」という文字が書かれているが、そこに続く細かなタイトルはまだ解読できなかった。

 

「……この文字、確か『生命』だったかな?」

 

 ページを開き、慎重に文字を追い始める。行間には、ホムンクルスの生成に関する詳細な記述が並んでいた。文字の読み方が分からない箇所も多いが、ところどころ理解できる内容も増えてきた。

 

 フィーネは本を抱えたまま、文字の列をじっくりと見つめた。

 

「……ホムンクルスの……生成過程……」

 

 そう読めた部分を小さくつぶやく。以前はただの模様にしか見えなかったものが、今は少しずつ意味を成し始めている。だが、次の行に目を落とした瞬間、途端に複雑な言葉が並んでいて、理解の糸が途切れる。

 

「魔法術式の……理論的な……調和……ええっと……調整方法?」

 

 どうにか覚えた言葉を当てはめてみるが、文章全体の意味は曖昧なままだ。それでも諦めずに目を凝らしていると、ページの端に挟まれた紙切れが目に留まった。

 

「何これ……?」

 

 そっと引っ張り出すと、それは古びた手書きのメモだった。文字は手書きのためにやや崩れているが、フィーネの知識でも一部は読める。

 

「……制御装置……使用時……生命力……削減、不可逆……」

 

 その断片的な言葉を口にするたび、冷たい感覚が背中を伝う。「生命力」や「削減」といった単語があまりに生々しく、メモの内容が何か重大なものを隠していることを感じさせた。

 

「……生命力を削る……?」

 

 思わず呟き、眉をひそめる。それは偶然の発見だったが、この言葉が指しているものが何なのか、すぐに考えたくない気持ちが芽生える。

 

 フィーネの手は自然とさらにページをめくっていた。

 

「ホムンクルスの魔力利用は……創造主の意思によって制限される」

 

 しかし、フィーネはその言葉の意味を完全には理解できなかった。「魔力利用が制限される」――そのフレーズは、何か特別な状況を示唆しているように思えたが、魔法の概念自体がフィーネにとっては未知の領域であった。

 

 「魔力」という言葉の響きに戸惑いながら、フィーネはページをめくり続けた。しかし、理解できない単語が並ぶ中で、次第に興味と不安が交錯していく。

 

「……意味はよく分からないけど」

 

 時間が立つにつれて自分が何か大切なことに触れているのではないかという感覚に包まれる。しかし、具体的に何が大切なのかはさっぱり分からない。

 

 次の行には、ホムンクルスに関連する様々な実験や、それに伴う危険性についての説明が続いていた。フィーネの目はますます困惑し、次第に思考が遠のいていく。フィーネの頭の中には、老人の教えが重なり、言葉がまるで迷路のように入り混じっていた。

 

「読んだら読んだで、気分が悪くなるような……」

 

 この本をずっと読んでいると、どことなく不安な気持ちになってくる。自分の産まれてきた過程や中身を知り背筋が冷たくなる。魔法のない世界から来た自分が、今この本を読み解こうとしていること自体が、どこか奇妙なことのように感じた。

 

 その時、店の扉が再び開く音がした。フィーネは本を閉じ、慌てて目を向ける。現れたのは、初めて見る若い男性だった。彼の目は興味深げに店内を見回し、フィーネに視線を向けた。

 

「こんにちは、ここにあるものを見せてもらえますか?」

 

 フィーネはすぐに仕事モードに切り替え、微笑んで応対する。

 

「はい、いらっしゃいませ。ご自由にお探しください」

 

 フィーネの声には少し緊張が混じっていたが、その瞬間、本に関する重苦しい思考から解放されたように感じた。新たな客の登場は、フィーネの心をリセットし、店の仕事に集中するきっかけとなった。魔法のことは一旦置いておこう、そう自分に言い聞かせながら。

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