ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
店番を終えてエプロンを外す。案外この仕事も悪くない。客は少ないから忙しくないし、カウンターの中で何をしても怒られることはない。
基本的に何でも自由だ。会計さえできればいい。欠点をあげるとすれば、賃金が無いところだろう。
それが一番大事だろ、と言われるかもしれないがフィーネにとってはあまり必要のないものだった。ご飯は食べれないし、本も買ってもあまり読めないし、お金の使い道がない。今一番欲しいのは暇な時にすることだ。この見た目ぐらいの子供は何をして遊ぶのか、考えたとき思いついたのはスポーツだった。
「……野球とかあるのかな?」
この世界のスポーツを何も知らない。馴染んだつもりでいたがやはり一般常識が足りな過ぎている。こればっかりは長い間ここで暮らして知っていくしかないだろう。
「はぁ……」
フィーネはため息をつきながらベッドにぐでーっとうつ伏せになった。
そのままだらしなくうつ伏せていると、この部屋に近づく足音が聞こえた。数秒後、扉がノックもされずに開く。
「何しとるんじゃ」
低い声が響き、振り返ると例の老人――フィーネの雇い主が立っていた。
「……別に何も。ただ寝転がってただけですけど?」
フィーネは頬杖をつき、力なく答える。その態度に老人は鼻を鳴らした。
「仕事が終わったら、次は研究に付き合ってもらうぞ。お前にはまだまだ覚えるべきことがある」
「……私、店員なんじゃなかったでしたっけ?」
「お前は店員であり、助手でもある。都合のいい存在じゃ。さて、本題に入るぞ」
老人はテーブルに近づき、手にした紙束を放り出した。そこには細かな文字が並んでいる。フィーネは無意識に身を起こし、それを眺める。
「何ですか、これ?」
「多岐にわたる学術研究の成果を披露する場だ。正式名称は『魔法学術討論会』じゃが、まあそんなところじゃ。私は招待されている」
「はあ……つまりは研究の発表会ですか。それで、私にどうしろと?」
フィーネはあくび交じりに尋ねた。だが、老人の言葉に続く一言が、そんな彼女を一気に起こさせた。
「お前も来るんじゃ」
「……え?」
不意を突かれたような声が漏れる。フィーネは目を丸くして老人を見た。
「えっと、私がですか?」
「そうじゃ。今までは一人でやっていたのじゃがこれが中々大変でのう。助手がいれば役に立つと思ってな」
「いやいやいや、私、そういうの向いてないですから! 人前で注目されるとか無理です!」
フィーネは慌てて手を振るが、老人の表情は変わらない。
「向いていないかどうかは問題ではない。必要だから連れて行く。それだけじゃ」
言葉の強さに圧倒され、フィーネは返す言葉を失った。しばらく沈黙が続く中、何かを思い出したようにフィーネはぽつりと言葉を漏らす。
「……エトワールさん」
「……何じゃと?」
老人が眉をひそめる。フィーネは思わず口を手で押さえたが、時すでに遅し。
「エトワールさん、ですよね? 本の著者名にそう書いてありましたけど……間違ってました?」
気まずそうに尋ねるフィーネに、老人は一瞬だけ驚いた顔を見せた後、すぐに険しい表情へと戻る。
「……いや、間違っていない。じゃがな、私はエトワールだなどと呼ばれるつもりはない」
「じゃあ何て呼べば……?」
フィーネが尋ねると、老人は喉の奥で笑いを漏らした。
「お爺様、じゃ」
「……え?」
突拍子もない提案に、フィーネの思考が一瞬止まる。
「お前のような娘のような存在からすれば、それが適切じゃろう」
「いやいやいや、無理です! 絶対無理です!」
「無理ではない。お爺様と呼べ」
「……エトワールさんでいいじゃないですか!」
「いいや、お爺様じゃ」
頑なな老人にフィーネは頭を抱える。こんな無駄なやり取りをしている時間に、もっとまともな話をしたいと思うものの、結局負けを認めることになる。
「……わかりましたよ、お爺様」
嫌々ながら口にしたその言葉に、老人は満足げにうなずいた。
「よし、それでいい」
「でも、発表会に行くのはまだ納得してませんからね!」
フィーネはぷいっとそっぽを向くが、老人は余裕たっぷりに肩をすくめるだけだった。
「どうせ最後はついてくることになる。覚悟しておけ」
そう言い残し、老人は部屋を出て行った。残されたフィーネは、再びベッドに倒れ込み、天井を見上げながらぼやいた。
「……なんでこんなことになっちゃったんだろう」
フィーネの呟きだけが、静かな部屋に響いていた。
老人の一方的な指示に従わなければならない現状が腑に落ちない。だが、反論しても無駄だというのは今までの付き合いで十分理解している。「どうせ最後にはついてくることになる」という言葉もあながち嘘ではない。
結局のところ、フィーネはホムンクルスで老人は創造主なのだから。
そんな考えを巡らせながらも、フィーネはふと頭に浮かんだアイリのことを思い出した。
「そうだ、発表会に行くならアイリにも伝えないと……」
そう呟くと、フィーネは気を取り直しベッドから身を起こし、簡単に身支度を整えた。薄暗くなり始めた空の下、少しひんやりとした空気が肌を包む。気を引き締めるように背筋を伸ばしながら、フィーネは家の扉を開けた。
アイリの家はそれほど遠くないが、道中は静かで、風の音だけが耳に響く。時折行き交う人々がいるものの、みな急いでいる様子で、声をかけることもなく通り過ぎていった。
フィーネは道端の花を眺めながら歩きつつも、内心ではアイリに会えたら何を伝えるべきか考えていた。発表会に行くこと自体がまだ納得できていないが、過保護なアイリのことだ。フィーネが無言でいなくなってしまったりしたら酷く心配してしまうかもしれない。
「……アイリなら、嫌でも引き留めようとしてくれるのかな」
そんな想像を胸に抱きながら、フィーネはアイリの家の前に立った。小さな木製の扉と、シンプルな窓枠。どこか家庭的で温かみのある建物だ。フィーネは扉をノックした。
「アイリ、いますか?」
声を張り上げてみるが、中からは何の応答もない。もう一度、少し強めに扉を叩いてみる。
「アイリ? 私ですが……」
それでも返事はなかった。フィーネは首をかしげ、窓の隙間から中を覗いてみたが、灯りもなく、人気のない様子がうかがえる。
「……いない?」
小さく呟きながら、フィーネは扉の前でしばらく立ち尽くした。アイリが出かけているのか、それとも何か別の理由があるのかは分からない。だが、フィーネの胸には、ほんの少しの不安が芽生えていた。
「そういえば、最近忙しそうにしてたような……」
少し前、アイリが疲れた表情で「ちょっといろいろ立て込んでるの」と言っていたのを思い出した。その時はあまり深く気にしなかったが、今思えば何か重要なことがあったのかもしれない。
「……大丈夫なのかな」
そんな風に考えると、居ても立ってもいられなくなりそうだった。けれども、無闇に探し回るわけにもいかない。フィーネはもう一度扉を叩いてみたが、それでも反応はない。
「仕方ないか……」
そう呟き、フィーネはアイリの家を後にした。帰り道、夕焼けが空を染め始めている。オレンジ色の光が街並みを彩る中、フィーネの心は少しだけ沈んでいた。
「また、タイミングがいい時に話せばいいよね」
そう自分に言い聞かせながら、彼女は再び家へと足を向けた。頭の片隅ではアイリのことが気になり続けていたが、今は発表会の準備という現実の問題が待っている。老人に文句を言われる前に、少しでもやれることを考えなければならない。
「はあ、こんなことで忙しくなるなんて思ってなかったけど……」
家が見えてきたころには、少しだけ気持ちを切り替えられた気がした。今度アイリに会えたときに全部話そう。そう心に決め、フィーネは扉を開けた。
家の入ると、いつもの薄暗い空間が広がっていた。しかし、どこか違和感がある。物音がやけに慌ただしく響き、何かが床に落ちるような音や、小さな独り言のようなつぶやきが聞こえてくる。
「……エトワ――こほんっ! お、お爺様?」
フィーネが声をかけると、奥の作業スペースから老人が顔を出した。彼の表情はいつになく真剣で、髪は少し乱れ、手には布に包まれたガラス容器を持っている。
「おお、やっと戻ったか! お前、どこに行っておった!」
開口一番、老人は怒ったような口調で問いただしてきた。フィーネは少し引きつった笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「別に……ちょっと外を歩いてただけですけど。そんな怒らなくてもいいじゃないですか」
「ただ歩いていたじゃと? そんな無駄なことをしている暇があるなら、さっさと準備を手伝え!」
老人は大きくため息をつき、手に持ったガラス容器を慎重にテーブルへ置いた。その周囲には見たこともない道具や紙束、さらに奇妙な形状の機械まで所狭しと並べられている。
「……準備? 発表会のですか?」
フィーネはテーブルの上をじっと見つめながら尋ねた。すると老人は彼女を鋭い目で見据え、苛立ちを抑えたような口調で答える。
「そうじゃ。それ以外に何があるというのだ! 荷造りと展示品の準備を進めておる。お前も手伝え」
「え、そんな急に言われても……そもそも、なんでそんなに慌ててるんですか?」
フィーネは不満げに眉をひそめる。確かに発表会の話は聞いていたが、これほどまでに急いで準備をする理由が分からなかった。
「なんで急いでる? お前、何も見ておらんのか!」
老人は信じられないとばかりに目を丸くした後、深々とため息をついて答えた。
「発表会は明日じゃ!」
「……え?」
あまりに唐突な言葉に、フィーネはぽかんと口を開けたまま固まった。老人はその様子に軽く苛立ちながらも、手元の作業を再開する。
「明日じゃと言った! さっき黙っていたわけではないぞ。ただ私が机に置いた書類をお前が読まなかっただけじゃろう」
「いや、そんな重要なこともっと早くちゃんと口頭で説明してくださいよ!」
フィーネは慌てて抗議したが、老人は軽く肩をすくめるだけだった。
「もう遅い。文句を言う暇があるなら手を動かせ。まずはこの道具を梱包せよ」
「ちょっと待ってください! そもそも、私が何を手伝えばいいのかも分からないのに、いきなりそんなこと言われても……」
フィーネはぐずぐずと文句を並べるが、老人は無視して別の資料を整理し始める。その手際の良さから、どうやら老人はこの準備を一人で進めるつもりだったようだ。しかし、そこにフィーネが帰ってきたため、当然のように手伝いを要求しているのだろう。
「まあ、いいや……」
結局、押し切られる形でフィーネは渋々作業を手伝い始めた。道具を布で包み、丁寧に箱に詰めていく。老人が指示するたびに、わずかながらも文句を言いつつ、フィーネはなんとか準備を進めていった。
準備を進めていると、老人がふいに手を止め、机の上に置いていた一冊の小さなノートを手に取った。それは、薄い革で表紙が包まれた簡素な冊子だった。彼はそれをフィーネに差し出しながら、低い声で命じた。
「これを読んで覚えておけ」
「え? 何ですか、これ」
フィーネはノートを受け取り、表紙を開いた。中には、びっしりと老人の癖のある筆跡で文字が書き込まれている。目を走らせると、そこには“フィーネの生い立ち”と題された内容が記されていた。
「……えっと、これって私のこと?」
「そうじゃ。明日の発表会ではお前のことを根掘り葉掘り聞かれる可能性がある。その時、お前の正体を悟られぬよう、あらかじめ作った経歴じゃ。しっかり覚えろ」
老人の真剣な声に、フィーネは思わずノートを持つ手に力を込めた。中身をめくっていく。時間をかけて頑張って文字を解読すると、そこにはある程度省略した上で次のような内容が書かれていた。
名前:フィーネ
出身地:辺境の村トルナ
生い立ち:故郷を襲った賊の被害で両親を亡くし、孤児として育つ
現在:エトワールに引き取られ、店員兼助手として働く
「……私、こんな設定なんですか?」
フィーネは苦笑いを浮かべながらノートを閉じた。書かれている内容があまりにも現実離れしており、逆に滑稽に思えてきたのだ。
「こんな悲劇的な内容にしなくても、もっとよくありそうな設定に――」
「馬鹿者!」
老人は鋭い声を上げ、机を軽く叩いた。その音にフィーネは驚いて肩をすくめる。
「お前は自分が何者か分かっているのか! 家族も故郷もないお前が、普通の生い立ちを語ることは難しいのじゃ。むしろこうした悲劇的な背景の方が、周囲は深く掘り下げずに納得するものじゃ」
老人の言葉には、確かに理があった。だがそれでも、フィーネはどこか腑に落ちない。
「でも、私が本当にそんな過去を持っていたら……その時の記憶とか、普通に聞かれるんじゃないですか?」
「そうなった場合でも対応できるように、必要最低限の設定を盛り込んでおる。それに、聞かれそうなことはそのノートの最後のページに例として書いてある。お前はそれを丸暗記すればいいだけじゃ」
老人の手際の良さに、フィーネは少し言葉を失った。確かに、ノートをめくると質疑応答の想定例が載っている。フィーネはその内容を眺めながら苦い顔をした。
「これ、なんか逆に怪しまれそうな気がしますけど……」
「お前の演技力次第じゃな」
老人は鼻で笑いながら言ったが、その目には微かな期待が込められているようにも見えた。
「……え、演技って……無理です! 私、人前で話すだけでも緊張するのに!」
「練習をすればなんとかなるじゃろう。時間はまだある」
「時間って、明日じゃないですか! 全然ないですよ!」
老人のあまりに適当な態度に、フィーネは両手を広げて抗議した。しかし、老人はまるで取り合う気配を見せない。
「大丈夫じゃ。お前は私の助手として十分にやれるはずだ。じゃから、これを持って部屋に戻って暗記せい」
「えぇぇ……」
老人の強引な指示に、フィーネは渋々ノートを抱えて部屋に戻ることになった。
部屋に戻ったフィーネは、ノートをテーブルの上に広げ、深いため息をつく。
「……本当に人の扱いが雑だなぁ」
つぶやきながら、ノートの文字を目で追う。改めて見ても、やはりこれを覚えるのは一晩では無理だとしか思えない。そもそも文字を勉強中のフィーネにとって全てを読み解くのは難しい。相当の時間がかかりそうだった。
「ほんと、アイリに相談したいな……」
そう思いながらも、フィーネはノートを読み進めるしかなかった。老人の言葉を思い出すたびに、逃げられない現実を感じさせられる。
「……はぁ、本当にどうしてこんなことに……」
フィーネの小さなつぶやきが、静かな部屋に吸い込まれていった。明日に迫る発表会と、その場での自身の役割を考えると、胸がじわりと重くなる。
しかし、どこかでフィーネは覚悟を決めていた。老人に逆らえない以上、やるしかないのだと。
「……仕方ない、やるだけやってみよう」
そう呟き、フィーネはノートに向かい始めた。どれほど時間がかかるか分からないが、少しでも役に立てるようにと心を奮い立たせたのだった。