ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
ああもう、リュミエールさんってば、本当に人を疑うってことを知らないのかな。レオフォルトの口説き文句をあんなに素直に喜ぶなんて……悪い人じゃないけど、絶対真に受けちゃ駄目なタイプなのに。
私がまだ口を挟むか迷っていると、フィーネがくるりとこちらを向いた。
「ねえ、アイリ。もし暇だったら、このあと一緒に発表を見ませんか? ……あ、でも、お爺さまに許可をもらわないといけませんね」
小首を傾げて、申し訳なさそうにそう言う彼女の表情は、ほんの少しだけ期待が混じっていて。こんなとき、私はいつも弱い。嬉しそうに誘われると、断る理由を探すのが苦しくなる。
でも。
(今の私は、個人の感情で動いていい立場じゃない)
私は、父の任務を受けてこの街に来ている。表向きには街の異変調査。でも、内心ではフィーネに関わる何かを警戒して見ている。それを、本人に気取られずに。だから、どんなに一緒にいたくても、彼女の隣に並んで見学するわけにはいかない。
フィーネの目を正面から見つめ返すことができなかった。
だから、私は――視線だけをそっと、レオフォルトの方へ向けた。
(どうすればいいか、教えて)
そんな気持ちをこめて、彼とアイコンタクトを交わす。
レオフォルトは少しだけ目を細めて、そしてわずかにかぶりを振った。私の気持ちを察してくれたのだろう。彼の表情は、どこか残念そうで、それでも「今は駄目だ」と言っていた。
私は小さく、首を横に振る。
「ごめんね、フィーネ。少し……予定があって」
できるだけ柔らかく、理由を濁して答える。嘘は言ってない。でも、本当のことも言っていない。
フィーネは少しだけ寂しそうな顔をしたけど、すぐに「そうですか、うん」と頷いてくれた。ほんの一瞬、胸が痛んだ。
そのときだった。
「それなら――」
そっと声をあげたのは、リュミエールさんだった。彼女は両手を胸元でそろえて、まっすぐフィーネに視線を向けていた。
「フィーネさん、よければ私と一緒に見ませんか? 私、今日このあと、マスターにお友達ができたってちゃんと報告したいなって思ってて」
その言葉はあまりにまっすぐで、純粋で、まるで子どもが親に「今日ね、いいことがあったの!」と話すような――そんな温かさがあった。
フィーネが少し驚いたような顔をして、それから、ほんのりと笑った。
「……じゃあ、少しだけ、お邪魔させてもらいますね」
そう言ってリュミエールの方を向いたあと、ふと私のほうに目を戻す。
「本当は、アイリともうちょっとだけ話したかったんですけど……また今度、でもいいですか?」
ああ、そんな顔で言わないでよ。笑ってるくせに、ほんの少し寂しそうなその目を見て、私は胸の奥をぎゅっと掴まれたような気持ちになった。
「うん。……行ってらっしゃい」
どうにか笑って見せながら、私はそう返した。
すると、フィーネはほんの少し気まずそうに視線をそらして、それからレオフォルトの方に向き直った。
「……あ、レオフォルトさんも一応、さようなら」
「うん、それはそれは。光栄だね、フィーネ嬢にそう言われるとは」
レオフォルトはからかうような口調で笑いながらも、ほんの一拍、目元がやわらかくなる。
フィーネはぺこりと小さく頭を下げ、リュミエールと並んでロビーの出口へ向かっていった。足取りは軽く、背中にはどこか安心した気配が漂っていて。
二人の姿が角を曲がって見えなくなったその瞬間。
「……あああ……っ」
私は情けない声を漏らしてしまった。
「もっとフィーネと話したかったのにぃ……!」
思わずその場でうずくまりそうになるのを、なんとかこらえる。そばにいたのに、なんだか取り残されたような気分だった。
胸の奥が、ずきんと痛む。
その横で、レオフォルトが肩をすくめながら苦笑いを浮かべた。
「よっぽど仲がいいんだね、君たち」
からかうでもなく、素直に感心したような口調だった。でも私の中では、何かがじわりと膨らんでいた。
「……そうだね。フィーネは、この街で私が初めてできた友達なんだ」
そう言いながら、私は視線を床に落とす。ほんの少し、爪先が震えていたのは気のせいじゃない。
「でも、それだけじゃないの。あの子……本当に無防備で、まるで生まれたての小鳥みたいに、何も知らないまま人を信じるの。人の言葉を、疑わないの。誰にだって笑って、誰にだって優しくて。そんなの、危ないに決まってるじゃない……。この世界で、あんなふうに隙だらけでいれば、誰かに騙されて、利用されて、傷ついて、それでもきっと自分が悪いんですって笑うの。そんなの、見ていられない。絶対に、そんなことになっちゃいけないの。あの子にはね、ちゃんと見ててあげられる人が必要なの。そばでずっと見ていて、誰よりも早く異変に気づいて、誰よりも深く理解して、誰にも渡さないって……そう思ってくれる誰かが。じゃないと、あの子はきっと壊れてしまう。気づいたときにはもう手遅れで、戻れなくなってて……でも本人はそれでいいって、そんなふうに笑うに決まってるの。そうなったら、もう、どうしようもないじゃない……! だから私が、ちゃんとそばにいないと駄目なの。あの子の手を離しちゃいけないの。ほかの誰にも触らせたくないし、ほかの誰かに大事だなんて言ってほしくない。たとえ友達だとしても、そんなのは嫌。あの子の隣には、私がいるべきなの。あの子が誰に笑っても、それは私に向けたものじゃないと意味がない。わかる? 守ってあげたいとか優しい子だねとか、そういう薄っぺらい言葉で関わってほしくないの。中途半端な気持ちなら、近づいてほしくない」
そこまで言ってようやく、自分がどれほど言葉を積み重ねていたかに気づいた。レオフォルトの反応を見て、ほんの少しだけ冷静さが戻る。
彼は一歩だけ後ずさり、引きつった笑みを浮かべながら言った。
「……そ、そうなんだ。うん。なるほどね……うん……」
ぎこちない相槌が、妙に静かな空気に響いた。
私は息を吐き、目を伏せながら呟いた。
「……まあ、大事な子だから。それだけ」
それは、きっと表向きには穏やかな言葉。でも、胸の奥にあるものは、もっとずっと濃く、重く、誰にも渡したくないくらいに深かった。
沈黙がしばらく続いた。どこか気まずい空気の中、レオフォルトが腕を組み、ぽつりと呟いた。
「しかし、あんな子……名簿に載っていたかな? 今日の参加者リストには目を通したんだけど、あんなに可愛い子がいたら見逃すはずがないんだけどね。リュミエール嬢……だったか、フィーネ嬢によく似ていたね」
私が目を上げた。思わず力が入ったように、はっきりと顔を向ける。
「そう! 私も思った。フィーネにすごく似てたよね? 輪郭とか目元の感じとか……背格好も、あの柔らかい話し方も。最初見たとき、え? って声が出そうになったんだから」
興奮気味にそう言いながらも、私は心のどこかで自分でも気づかない疑問を抱いていた。
レオフォルトは目を細め、静かに頷いた。
「顔立ちも、髪の色も。確かに、まるで姉妹のようだ。フィーネ嬢と血が繋がってる、とは思えないが……偶然の一致、か。それにしては、できすぎているような気がするな」
彼の口調は軽く、それでいてわずかに沈んでいた。観察する者の目だった。私も、自然と唇を引き結ぶ。
できすぎている――その言葉が、胸に引っかかった。考えすぎだと思いたい。でも、あの違和感が拭えないのも事実。
それに、私は知っている。フィーネが、あまり過去の話をしたがらないことも。誰に育てられたのか、どうしてあの老人と一緒にいるのか、その詳細は――彼女の口から語られたことがない。
「……でも、たぶん、偶然だよ。フィーネだって自然体だったし」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
レオフォルトは肩をすくめる。
「君がそう言うなら、そうなんだろうさ。だが……」
その先は言わなかった。言葉の代わりに、どこか遠くを見るような視線を落とす。
私の胸の中にも、小さな棘のような不安が刺さったまま、静かに残っていた。
沈黙の中、私は自分の手を握ったり開いたりして、どうしようもない不安を誤魔化していた。
すると、レオフォルトがふと立ち上がり、軽く息を吐いた。
「……やっぱり、心配だな」
その声は静かだったけど、確かな緊張が含まれていた。私は彼を見上げる。
「フィーネ嬢の周りで、何か起こるかもしれない。僕の勘は、たまに外れるけど……外れてくれるときほど、本気で嫌な予感がするんだ」
そう言いながら、彼はロビーの奥――フィーネたちが向かっていった方角へ視線を向けた。優男然とした仮面の奥で、鋭い何かが動いているのがわかった。レオフォルトは、ただの軽口だけで動く男じゃない。
「ちょっと、様子を見てくるよ。用心に越したことはないしね」
そう言い残して、彼は歩き出そうとした。
「……待って、じゃあ私は?」
思わず声をかけると、彼は少しだけ振り返り、肩越しに笑ってみせた。
「君は、名簿でももう一度チェックしててくれるかい? 特に“来てないはずの人間”がいないかどうか。君の観察眼は信用できるし、それに――この場を任せられるのは、君しかいない」
軽く言っているようで、その言葉には信頼の重みがあった。
私は頷いた。
「わかった。気をつけて。……フィーネのこと、頼んだよ」
「任された」
レオフォルトはそれだけ言い残して、すっと静かにロビーを離れていった。
彼の後ろ姿が見えなくなると、私は胸の前で手を組み、ぐっと強く握りしめる。
(何も起こらなければ、それが一番だけど……)
どこか胸騒ぎがした。フィーネの周りでは、“偶然”と片づけられないことがよく起こる。そう思うたびに、理屈では説明できない不安が胸の奥に渦を巻いた。