ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
叫びながら私は走っていた。
あの爆発音の直後から、嫌な予感が胸を締めつけて離れない。レオフォルトの姿も、影に遮られて見えない。だけど、それ以上に――
フィーネ。どこ。どこにいるの。無事でいて――
そして、ようやくその姿を見つけた。
床に膝をついて、震えるようにうつむいている。
そのすぐ目の前には――刃を構えたリュミエール。
「……っ!」
私は息を呑み、咄嗟に叫んだ。
だが……見えた瞬間、息が止まった。
肩から――フィーネの右腕が、落ちていた。
床に転がって、血が滲んでいる。
意味が、すぐにはわからなかった。頭が真っ白になって、鼓動だけが耳を打ってくる。
足が勝手に動いていた。走ってる。叫んでるのかもしれない。でも、音は何も聞こえなかった。視界の中にあるのは、座り込んでいるフィーネと――その前に立つリュミエール。
肩に刃を添えていた、その手。
握りしめた拳が震えていた。息が荒い。
呼吸が、できない。
怒りとも、悲しみとも、悔しさとも言い切れない。
ぐちゃぐちゃになった何かが、胸の奥からあふれ出す。
震える唇から、低く、かすれた声が漏れた。
「……返して」
視界の端で何かが動いた。リュミエールがこちらを見ている。でもどうでもよかった。
フィーネが――動かない。こっちを見てくれない。
なのに、腕だけが、そこにあって。もう、戻らない。
歯を食いしばる。涙は出なかった。けれど全身が泣いているみたいだった。
体の奥から叫びたくなるような衝動が、脈打っていた。
「……なんで……っ」
音が震える。言葉がまともに出せない。
頭では考えられない。ただ、胸の奥が叫んでいた。
全部壊したくなるほど、悔しくて、苦しくて――
視界が赤く染まっていくのがわかった。
脈が早い。耳の奥で、心臓の音が爆発みたいに鳴ってる。
何も考えてなかった。考えられるはずがなかった。
ただ――
あの手が。
あの目が。
あの態度が。
許せなかった。
頭の中で何かが弾けた。
次の瞬間、私は駆けていた。叫び声すら出なかった。ただ全身の力を足に叩きつけて、一直線にリュミエールへ突っ込む。
視界の中心に、あの無表情な顔がある。
震える腕が勝手に動いていた。腰の剣に手が伸びる。抜いたのかどうか、記憶がない。ただ握っていた。力任せに、振りかぶる。
リュミエールの目が、わずかに見開かれる。
その一瞬の迷い――遅れた反応――
刃が交わる前に、私はその身体に体当たりしていた。
「――っ!」
鈍い音と共に、リュミエールの体がよろけ、後ろに倒れる。踏ん張った足が滑り、背中が床に打ちつけられる。
私もそのまま倒れ込み、床を転がる。痛みは感じなかった。ただ、呼吸が荒くて、肺が焼けつくようだった。
すぐに立ち上がる。剣を振りかぶる。
リュミエールは、倒れたままこちらを見ていた。
その目には――初めて、明確な「動揺」が宿っていた。
構わなかった。今さら、表情なんてどうでもよかった。
私は剣を振る。振り下ろす。叫びもせずに。
ただ、全身の力を叩きつけるように。
金属の音が弾けた。
リュミエールが、手にした刃で受け止めていた。
その腕が震えていた。押されていた。
刃と刃がぶつかるたび、空気がひび割れるような音を立てる。
私の中から、何かが漏れ出していた。
熱。気。力。
無意識のまま、魔力が溢れ出ていたのだと、あとになって気づいた。
今はただ――
壊したかった。
守れなかった自分を。
目の前であんなことをした相手を。
このどうしようもない現実を。
もう一度、剣を振り上げる。リュミエールは刃を交差させて受け止める。けれど、引き摺るようにしてその身体が、少しずつ後退していく。
一歩。
また一歩。
壁際まで追い詰められ、逃げ場はなくなっていく。
刃を振るうたび、肩が軋む。腕が重い。だけど止まらない。
リュミエールの顔が、次第に焦りに染まっていく。
もっと、もっと――
「アイリ……さん……」
絞り出すような、リュミエールの声が聞こえた。
その声で、私は初めて、我に返りかけた。
でも、止まらなかった。
止まれなかった。
あと一撃。そう思って、剣を振り上げた。
その瞬間――
黒い影が、音もなく間に割り込んできた。
風が巻く。視界が揺れる。
次の瞬間、金属の鈍い音が耳を打った。
私の剣は、見えない何かに受け止められていた。
ぐらりと体が揺れる。目の前には――見覚えのある、男。
長身で、薄く笑ったような無表情。黒衣の裾が風に揺れている。
「そこまでにしておこうか。もう十分だろう」
低く、冷たい声だった。
私は息を呑む。思考が一瞬、空白になる。
リュミエールがその背に隠れるようにして膝をつく。
肩が上下していた。咳き込みながら、かすれた声を漏らす。
「……っ……ありがとうございます、マスター……助かりました……」
その言葉を聞いた瞬間、頭が沸騰するような怒気が走った。
――マスター。
あのとき。あの夜。フィーネを狙っていた、あの影。
忘れるはずがなかった。
ずっと探していた。ずっと――許せなかった。
拳を握る。剣を構え直す。
「……お前……」
喉の奥が焼ける。
怒りが、声にならない。
「やっぱり……お前だったんだ……!」
歯を食いしばって睨みつける。
言葉では収まりきらない怒気が、体中から噴き出していた。
「フィーネに、何をした……何を、させた……っ!」
叫ぶのではなく、絞り出すような声だった。
震えていた。剣を握る指も、唇も、全身が怒りで。
男はその怒気を正面から受けても、まったく表情を崩さなかった。
むしろ、その目に宿ったのは――一瞬の、興味。
「……なるほど。あのときの子か。よく覚えていたな」
その声に、心の奥で何かが切れた。
体が、勝手に動いていた。
剣を振り上げ、再び男に向かって突っ込もうとしたその瞬間――
腕を、誰かの手が強く掴んだ。
「やめろ、アイリ!」
声が響く。振り返らずとも、その声はわかった。
レオフォルト。
けれど、今の私は、そんなことどうでもよかった。
「離してっ!」
振り払おうと、暴れる。足を踏み出す。前へ行こうとする。
それでも、レオフォルトの手はびくともしなかった。
「落ち着いてくれ! 君までやられたいのか!」
「離してって言ってる……!」
喉が焼ける。涙が込み上げそうになる。でも、出ない。
怒りが先に、全身を駆け巡っていた。
「今、あいつを逃がしたら……!」
叫ぶように、振り返る。
でもレオフォルトは、真っ直ぐな目で私を見ていた。
「それより先にやるべきことがあるだろう!」
その一言に、全身の力が一瞬抜ける。
「……フィーネ嬢は、まだ、死んじゃいない」
低く、しかし強い声だった。
「でも、あのままじゃ、危ない。……君が怒ってるのはわかる。僕だって同じだ。けど――今は、助けるのが先だ」
呼吸が荒い。心臓が壊れそうなほど鳴ってる。
でも、レオフォルトの手が、言葉が、私を引き戻していた。
視線を横にずらす。
フィーネは、まだ床にうずくまったままだ。動かない。色のない唇。微かに震える指先。
――今は、まだ、助けられる。
唇を噛みしめる。怒りは、消えていなかった。
けれど、ほんのわずかに、視界が戻ってくる。
「……っ……わかってる……」
震える声で答える。
「でも……でも……!」
言葉にならない叫びが喉に詰まる。悔しさが、怒りが、まだ燃え続けている。
それでも、私は――レオフォルトの腕を、振り払うのをやめた。
今は、フィーネを助ける。それだけを、考えることにした。