ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話   作:あろみんと

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第二十三「親友の喪失」

 

 

 

 影の幕がゆっくりと閉じていく。

 

 黒衣の男はリュミエールとフィーネを影の中へと引き込みながら、通路の奥へと凄まじい勢いで後退していた。リュミエールは振り返ることなく、ただフィーネをしっかりと抱きしめたまま、男の術に身を任せていく。

 

 アイリは叫んだ。剣を構えて一歩踏み出そうとした。けれど、影の壁が行く手を阻むように渦巻き、視界の中で二人の姿を飲み込んでいく。

 

「待って、まだ……!」

 

 アイリの声がかすれる。呼吸が乱れ、喉が焼けつく。視界の先、影の中へ消えていくリュミエールとフィーネ――その姿を追いかけて、ひたすら走る。

 

「返してって言ってるのに……!」

 

 胸が苦しい。足はもつれそうで、それでも止まれない。何かが千切れそうなほど、心が張り詰めていた。

 

 その背後から、風に乗って声が届いた。

 

「待て、アイリ!」

 

 レオフォルトの声だった。荒んだ空気を切り裂いて、はっきりと届く。

 

「よすんだ! 君一人でどうにかできる相手じゃない!」

 

 けれど、振り返る余裕なんてなかった。ただ前を、影に呑まれたフィーネを見失わないように――それだけを支えに走っていた。

 

 その声はさらに続く。

 

「アイリ、君が無茶するのは今に始まったことではないが……!」

 

 レオフォルトは歯噛みしながら、崩れた石畳を蹴った。だが、距離が遠すぎる。彼女に追いつけない。

 

 そこで、レオフォルトの視線の先――空気を切り裂くような魔力の奔流とともに、灰色の外套が宙を裂いて落ちてくる。跳ねた瓦礫を吹き飛ばし、風圧で空気が重くなる。

 

 アイリのすぐ目の前に、重々しく降り立ったのは――

 

 エトワール・カスティエル。

 

 その存在だけで空気が変わった。気配が、重みが、すべてが別次元だった。

 

 足を止めたアイリは、ただ呆然とその背を見上げた。

 

 まるで壁だった。けれど、絶対に崩れない壁だ。恐怖ではなく、信頼と畏怖。あの影を、あの術を、断ち切ってくれると信じられる――そんな確信だけが、胸に広がっていく。

 

 あの人なら、きっと届く。

 

 アイリは、胸の奥に差し込んだその希望にすがるようにして、足を踏み出した。瓦礫を踏み越え、息を切らしながら、それでも転ばないように、よろめく体を抑えて進む。

 

 カスティエルの背中が、だんだんと近づいていく。風を巻き上げるその魔力は、ただそこに立つだけで周囲をねじ伏せていた。けれど、アイリは怯まなかった。

 

「……おねがい、します……!」

 

 掠れた声で、それでもなんとか言葉を紡ぐ。カスティエルの背に向かって、もう一歩、近づく。

 

「フィーネが……フィーネが、連れていかれたんです……!」

 

 その肩に縋るように手を伸ばし、涙混じりの声で懇願する。

 

「お願いします……! あの子を……取り戻して……!」

 

 だが――返事はなかった。

 

 カスティエルは微動だにせず、沈黙のまま立っていた。風に舞う外套の音だけが、虚しく空気を裂く。

 

「……っ、聞こえてないんですか……!?」

 

 それでも、返事はなかった。まるで、そこに立つのはただの影法師のようだった。

 

 アイリは不安と焦りに駆られながら、その顔を見上げた。

 

 そして、見た。

 

 その唇の端に――一瞬わずかな笑みが浮かんでいた。

 

「……え?」

 

 瞬間、心が凍った。胸の奥に火がついたような衝動が走る。

 

「……なんで……笑ってるんですか……?」

 

 思わず、問いが口をついて出た。怒りが、悲しみが、混ざり合い、声が震える。

 

「フィーネは……あなたの家族なんでしょう? 大事な、あなたの――!」

 

 その言葉は、感情のままに溢れた。

 

「どうして……どうして、そんな顔ができるの……! 笑えるのっ!?」

 

 握りしめた拳が震える。涙が頬を伝い落ち、足元の石に吸い込まれていく。

 だが、カスティエルは眉ひとつ動かさず、ゆるく首を横に振った。

 

「……すまぬ、笑っておったわけではない」

 

 口調はいつも通り――飄々としていて、どこか他人事のような響きだった。

 

「ただ……そう見えたなら、私の顔がたるんどるだけじゃろ」

 

 アイリの怒気も、涙も、すべて受け流すような言いぶりだった。

 

 だが、確かに――彼は笑っていた。たしかに一瞬、唇の端が持ち上がっていた。まるで、アイリの必死の訴えを見て、楽しんでいるかのように。

 

 それでも本人は肯定しない。むしろ、涼しい顔で続けた。

 

「……あやつに逃げに徹されたらの、さすがに私でも追いつけんよ。なにせこの場の手札が少なすぎる」

 

 カスティエルの声には、ほんのわずかに、だが確かに悔しさが滲んでいた。だが、それ以上に諦めが先に立っていた。

 

「それに、あやつとて、そう易々とフィーネに悪さはせんじゃろ。ああ見えて、案外律儀なとこがある」

 

 その言葉に、アイリは思わず顔を上げ、通路の奥を見た。

 

 だが――そこには、もう誰の姿もなかった。

 

 ただ影だけが揺れている。リュミエールも、フィーネも、影の術師の気配さえも、すでにどこか遠くへと消え去っていた。

 

 指先に力が入らない。呼吸が乱れる。

 

 アイリの胸に残ったのは、どうしようもない悔しさと、押し寄せるような喪失感だった。

 

「……っ……ぁ……」

 

 こぼれた声は言葉にならなかった。

 

 ぽた、ぽたと落ちる涙が、石畳に暗い染みを作る。

 

 膝が震え、もう立っていられなかった。

 

 ――フィーネを守れなかった。

 

 その事実が、アイリの全身から力を奪った。

 

 そのまま、崩れ落ちるようにして、床に膝をついた。

 

「ごめん……フィーネ……」

 

 涙が止まらなかった。

 

 その隣で、カスティエルは何も言わず、ただ静かに彼女を見下ろしていた。まるでその感情すらも、またひとつの観察の対象であるかのように。

 

 嗚咽の中、アイリはぼんやりと顔を上げた。

 

 瓦礫の隙間――そこに、転がっていた。

 

 フィーネの右腕。

 

 血が滲んだままのそれは、まるでまだ温もりを宿しているかのように見えた。切断面は布に覆われていて見えない。だが、それがフィーネだと思うと生々しく、逆に目を背けられなかった。

 

(せめて……せめてこれだけでも)

 

 アイリは震える指を伸ばした。立ち上がることもできない。這うようにして、石の上を膝で擦りながら、その断たれた腕に手を伸ばす。

 

 フィーネが傷ついた証。今も生きていると信じられる、唯一の形。

 

 だが――その指先が届く寸前。

 

 すっと、灰色の外套が割り込んできた。

 

「……っ!?」

 

 思わず顔を上げると、そこにはもうカスティエルの背中があった。

 

 彼の手には、すでにフィーネの右腕があった。まるで、最初から自分のものだったかのように、自然な所作でそれを抱えていた。

 

「すまんな。これは、私が預かっておく」

 

 淡々とした声だった。ひどく無感情で、まるで失われた『部品』を回収するような口ぶりだった。

 

「どうして……」

 

 アイリの声は震えていた。

 

「私じゃ……だめなんですか……?」

 

 その問いに、カスティエルはただ一つだけ、緩く首を傾けて返す。

 

「理由? ああ、そうじゃの。お前が持っていたら、きっとその場にうずくまって泣くことしかせんじゃろ。私は、次を考えねばならんのじゃよ」

 

 その背中に怒鳴りつけたい衝動が湧いた。

 

 だが、声は出なかった。いや、出せなかった。

 

 あまりにも正しく、あまりにも無慈悲な現実が、目の前で突きつけられていたから。

 

「……私……」

 

 喉が痛い。涙で顔が濡れているのも、もうどうでもよかった。

 

「……なにもできなかった……何も守れなかったのに……っ」

 

 声が小さく、弱くなっていく。背筋が丸まり、両腕が床を叩くように崩れ落ちる。

 

「……どうして……あのとき……!」

 

 言葉が、痛みに変わる。心が裂けそうだった。

 

 カスティエルはもう何も言わない。ただその手に抱えた右腕を、無言で外套の内に収めた。

 

 その動作すらも、アイリの心を削るには十分だった。まるで“人の腕”ではなく、“素材”を扱うようなその仕草が――

 

 どうしようもなく、哀しかった。

 

 

 

 

 

 




ここで一章は完結となります!
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