ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
第二十四話「右腕のない目覚め」
――電子音が、鳴っている。
機械的で、無機質な音。けれど、それがどこから聞こえているのか、すぐにはわからなかった。
目を開けるまで、どれほどの時間がかかったのだろう。まぶたは重く、頭の奥で鈍い痛みが断続的に脈打っていた。喉もカラカラで、身体も冷たい。いや、冷たいというより……何かが、自分から抜け落ちているような感覚。
(ここ……どこ……?)
ぼんやりと天井を見つめる。白い光がやけにまぶしい。人工の灯りだろうか。質素だが、妙に清潔感のある天井。どこかの施設のようだった。
そして、電子音。断続的な、規則正しい音。視線を向けると、左腕――人なら静脈であろう場所に繋がれた細い管。その先には、赤い液体が満ちた小さなパックがぶら下がっていた。
(……血? ……いや、違う……これは、何だ?)
液体は赤いが、血とは違う。もっと鮮やかで、どこか蛍光めいてすら見える色。その正体はわからなかったが、なにか“生きていない”ものを無理やり身体に流し込まれているような、薄ら寒い感覚を覚えた。
恐怖が、遅れてやってくる。心臓が強く打ち、その反動のように、全身の筋肉がわずかに反応した。
起きなきゃ――そう思って、右腕をついて上体を起こそうとした。
だが、
「……っ!」
バランスを崩して、身体が右に倒れ込む。
右腕が、ない。
その事実に、ようやく気づいた。
(……あれ……?)
左腕だけが床を探るように動き、もう片方の“そこにあるはずの感触”を求めて空を切る。だが、何もなかった。右肩の先――感覚が途切れた場所。そこから先が存在していないことに、ようやく脳が追いつく。
(右腕が……ない……?)
混乱が、ゆっくりとした速度で脳を侵していく。なぜ? いつ? どうして?
記憶を、手繰る。
赤い瞳。刃の感触。肩口に添えられた冷たい金属。そして――あの顔。
「……リュミエール」
微かに名前をつぶやいた。口の中が乾いている。声にならないような声だった。
思い出してしまった。彼女が自分の肩に刃を添えて――切り落とした。
あの瞬間のことを、はっきりとは覚えていない。恐怖で記憶が飛んでいたのか、それとも魔法による倦怠感のせいか。それすらわからない。けれど、腕がないという現実だけは、今ここに確かにある。
理由もわからない。状況も理解できない。けれど、確かに自分は奪われたのだ。
視線の先には、無機質な白い扉。出入り口なのだろう。誰かが来る気配は、今のところなかった。
ただ、耳に残るのは電子音と、赤い液体が滴るようなかすかな気泡の音。それだけが、この世界の“生”を主張していた。
フィーネは左手だけを使って、ゆっくりと身体を起こす。何かを理解する前に、自分の存在がどこか別のものに置き換えられてしまいそうで、それが怖かった。
(ここから出なきゃ)
そう思っても、右腕の喪失は動きにくさ以上のものを突きつけてくる。
そのときだった。
ベッドの右後ろ――背中越しに、微かな物音がした。
反射的に振り返る。視線の先、白い壁に寄せられた椅子に、誰かが座っている。
リュミエールだった。
肩を落とし、膝の上に手を重ねたまま、静かに身体を揺らしている。どうやら、つい先ほどまで眠っていたらしい。ゆっくりと瞬きをして、まどろみの中からこちらを見つめようとしていた。
その光景に、フィーネの全身がぴたりと硬直した。
顔が引きつるのを自覚する。けれど、それは恐怖ではなかった。ただ、頭と心が釣り合わなかった。理屈では「警戒しなければ」と思うのに、目の前の少女はどうしようもなく無防備で、可愛らしく見えてしまう。
――敵、だよな。俺の腕を、切った。
そう言い聞かせても、すぐには感情が切り替わらない。見た目の無垢さもある。けれどそれ以上に、前世で男だったせいか、信じたくないと脳が囁く。
けれど、実際に起きたことは事実だ。
あの恐怖。喪失。
そして、いま右肩に残された“なにもない”感覚。
リュミエールが、目を見開く。
「……フィーネさん……!」
その瞬間、少女はぱっと立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。
距離を測る間もなく、細い体が勢いよく抱きついてくる。フィーネの胸元に顔を埋めて、震えるような声で言う。
「よかった……ほんとによかった……っ。目が覚めて……!」
嬉しそうに、心底安堵した声だった。
フィーネは戸惑った。
自分の腕を落とした相手に、こんなにも無邪気に抱きつかれている――その状況が、まるで悪い冗談のように感じられる。
左手でなんとか彼女の体を受け止めながら、思わず呟いてしまう。
「ちょ、ちょっと……待って……」
問いただすべきことは山ほどある。でも、最初に出てきたのはこれだった。
「……リュミエール、自分が何をしたか……分かってるんですか?」
その言葉に、リュミエールの動きがぴたりと止まった。
顔を上げる。目が揺れていた。
その瞳の奥に、わずかに――ほんのわずかに、痛みのようなものが宿っているように見えた。
けれど、彼女は笑った。
申し訳なさそうに。どこか、泣きそうに。
「……ごめんなさい、フィーネさん」
その言葉が、やけに優しくて――でも、だからこそ腹立たしかった。
この子は、いったい何を考えているのか。
敵なのか、味方なのか。
どちらにも思えないからこそ、どう接していいのか分からなかった。
リュミエールは、フィーネを抱きしめたまましばらく黙る。
けれど、ぽつりと、少しずつ言葉を紡ぎ始める。
「……あの時、マスターに言われたんです。フィーネさんの右腕を……切るようにって。でも、それは、マスターが言った言葉だったから」
その声は決して震えていなかった。淡々としているようで、けれどどこか掠れていた。
「マスターの命令だったから、あとからきっとどうにかなるって思ってたんです。切ったとしても、すぐに回収できれば……戻せるって、思ってたのに……」
フィーネは目を細めた。胸の内に、ぞわりとした不快感が広がる。リュミエールは続ける。
「でも……聞いたら、マスターが言ったんです。回収できなかったから、もう直せないって……」
その言葉が落ちた瞬間、フィーネの心に冷たい重みがのしかかった。
「……それって、マスターを信じてたから切れたってこと?」
リュミエールは少しだけ目を伏せ、それから、はっきりと頷いた。
「……はい」
その一言は、やけに重かった。
でも、次の瞬間には、彼女の表情がわずかに歪んだ。
「私は……マスターを信じています。どんなことでも、きっと必要な意味があるって。でも……嫌なことがないわけじゃありません」
その瞳が、今度はしっかりとフィーネを見つめる。
「フィーネさんの腕を……切ってしまったのは、いけないことでした。本当に、ごめんなさい」
どこまでもまっすぐな謝罪だった。言い訳がましさも、責任のすり替えもなかった。リュミエールはただ、自分の手でやったことを認めていた。
それが――フィーネには、いちばんやるせなかった。
責めたいのに、怒りたいのに。どうしても声が出なかった。
怒ったところで、リュミエールが心から悪びれてないなら、それは簡単に憎める。けど、こうして素直に謝られると、感情のやり場がなくなる。
胸の奥で煮えたぎっていたものが、どこにも行き場を見つけられず、ただただ疼いていた。
フィーネはぎゅっと唇を噛み、かすれた声でぽつりと漏らす。
「……謝られても、どうすればいいかわかりませんよ……」
リュミエールはその言葉に、何も返さなかった。
ただ静かに、ほんの少しだけ、フィーネの身体にすがるように力を込めた。抱擁とも、懺悔ともつかないその手のひらのぬくもりが、右肩の喪失をひどく残酷に思い出させた。