ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話   作:あろみんと

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第二十五話「メンヘラ覚醒」

 

 

 

 しばらくの間、重たい沈黙が流れていた。

 

 どちらからも、言葉は出なかった。ただ、リュミエールが抱きしめたままの体勢で、微かにフィーネの髪を撫でている。その指先が、どこまでも優しくて――けれど、それ以上に重たかった。

 

 フィーネは、まだ右肩の感覚が“無い”ことに慣れきれず、戸惑いながら、黙っていた。

 

 そんな空気を破ったのは、リュミエールの低い囁きだった。

 

「……決めました」

 

 ふと、リュミエールが身体を離し、ゆっくりと立ち上がる。

 

 フィーネが顔を上げると、彼女はすっと胸に手を置き、まっすぐにこちらを見下ろしていた。表情は静かすぎるほど静かで、声にはどこか硬い決意が滲んでいる。

 

「これからの私の人生……いえ、存在そのものを使ってでも、この責任を果たします」

「は……?」

 

 反射的にフィーネが間の抜けた声を漏らす。思わず首を傾げた。今なんて?

 

「フィーネさんが失った右腕の重さ……その痛みと損失、失われた自由、喪失感、怒り、苦しみ、疑問、全部です」

「……え?」

「だから、私はその分、贖罪を果たします。命を懸けて。いいえ、命だけでは足りません。心も、魂も、思考も、自由意志も、あなたのために使います。フィーネさんが『こんなやつに腕を切られたのか』と思って二度と悲しまないように、私はこれから、あなたの影のように付き添って生きます」

 

 リュミエールの声はどこまでも真剣だった。

 

「毎朝目覚めたら、フィーネさんの横にいる。夜は一緒に寝て、寂しくないように。ご飯も作ります、洗濯も、裁縫も、義手が必要なら探します。フィーネさんが笑えば、私も笑うし、泣けばすぐ傍で泣きます。もうどこにも行きません。誰とも話しません。他の人が近づくなら、私が先に話しかけて守りましょう」

「な、なにを」

「一生かけてあなたの右腕の代わりになります。物理的にも、精神的にも、社会的にも、可能な限りで。できれば本当の意味で、そうなりたいと思ってます。だってそれが、私が腕を奪った存在として背負うべき罰だから」

「ちょっと……えっ……いや待って?」

 

 フィーネは明らかに困惑していた。言葉が追いつかない。むしろ思考が止まりかけている。

 

 リュミエールはわずかに笑った。そして、すっと一歩近づいて――

 

「フィーネさん。私、あなたのことをこれからずっと……」

 

 その瞬間。

 

 フィーネは彼女の“目”を見た。

 

 あまりにもまっすぐで、そして――

 

 光が、なかった。

 

 何かを決定的に踏み外した“人間”の目だった。あのとき――自分の腕を切り落としたときですら、リュミエールにはまだ人としての迷いや痛みが残っていた。

 だが今、その目からは、そうした気配が跡形もなく消えていた。

 

 フィーネの背筋に冷たい汗が流れる。

 

(とんでもないものを……目覚めさせてしまったんじゃ……?)

 

 笑えない状況のはずなのに、頭の中だけ場違いな軽さが漂っていて――フィーネは、自分の思考が逃げ出そうとしているのを感じた。

 

 リュミエールはすでに手を差し伸べている。まるで、あなたの新しい右腕ですという顔で。

 

 フィーネは、口元を引きつらせながら、恐る恐る訊いた。

 

「……あの、それ本気ですか?」

「はい。責任って、そういうことだと思うんです」

 

 フィーネは言葉を失った。

 だが同時に、心の底から、はっきりと思った。

 

(この子、たぶん“普通の謝罪”とか知らないんだ……!)

 

 フィーネは、ぐわんと頭を抱えた。

 

 痛みはないはずなのに、胃のあたりがキリキリと締めつけられるような感覚に襲われる。ホムンクルスの身体には臓器らしい臓器なんてなかったはずだ。けれど、これは確かに胃が痛いとしか形容しようがない。

 

(なんだこの情報量……処理できない……)

 

 正直、腕を切られたことよりも、今の方が精神的なダメージが大きい。自分の右腕を切った張本人が、反省の結果として右腕になりますと言っている。物理的にも、精神的にも、社会的にも。なんだそのフルセットは。

 

 頭が痛い。胃も痛い。右肩も、ない。

 

 それを見ていたリュミエールが、目を丸くした。

 

「フィーネさん!? どうしました? どこか苦しいんですか!?」

「い、いや……その……ちょっとだけ、いろいろ混乱してるだけです……」

 

 苦笑いとともに、左手でリュミエールをなだめるように振ってみせる。

 

 が、そんなジェスチャーは当然のように通じない。

 

 リュミエールは顔を曇らせ、何かを思いついたように目を見開いた。

 

「そうだ……! マスターを呼んできます。あの人ならきっと、フィーネさんを治してくれます。腕はだめでも、心なら……!」

「ちょ、まっ――待って!? 落ち着いて! まだ心の準備が……!」

 

 フィーネが慌てて声を上げるが、リュミエールはすでに立ち上がっていた。使命感に満ちた表情で、すでにドアノブに手をかけようとしている。

 

「フィーネさんを傷つけてしまったこと、マスターに改めてちゃんと報告します。それに、直接話さないといけないことが、私にも……」

「いや、今じゃなくていいですから! お願いです、話しましょう! ちゃんと座ってください! まずは深呼吸から!」

 

 だが、そんな必死の訴えにも、リュミエールは優しく、しかし断固とした口調で返した。

 

「ごめんなさい。でも、私、今行かないといけない気がするんです。今だけは……ちゃんと、向き合わないと」

 

 そう言って、彼女は一礼するように軽く頭を下げると、扉を開けて、廊下の奥へと走り去っていった。

 

 思わず頭を抱えてのけぞるフィーネ。思考が完全にキャパオーバーだった。

 

 胃が痛い。もう何もしたくない。臓器ないのに、なんで……。

 

 

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