ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
扉の外へと駆け出したリュミエールの足音は、廊下の奥でやがて静かに消えていった。
フィーネは脱力したようにその場にへたり込み、閉ざされた扉を睨むように見つめていた。右肩の違和感がじんわりと広がる。腕がない、という事実の方が、リュミエールの愛情爆弾よりはまだマシだった気さえする。
嫌な予感がしてならなかった。常識が通じる相手なら、リュミエールがああなるわけがない。恐らく、彼女をあの狂信的な忠義モードに仕上げた張本人なのだ。
しかも自分の腕の切断を命令するような男、常識人であるはずが――
ガチャリ、と静かに扉が開いた。
「こちらです、マスター。フィーネさん、お待たせしました!」
意気揚々と入ってきたリュミエールの後ろから、黒衣の男がついてくる。フードを被っていて表情は見えないが、なぜか一歩遅れて入ってくるあたり、妙に遠慮深い印象すらあった。
そして彼は、部屋に入ってくるなり呆れたように言った。
「……リュミエール、お前は一体何を言っていたんだ?」
その声音には、怒りも威圧もない。単純に、予想外の出来事に戸惑っているような反応だった。
「えっ、フィーネさんに誓っただけですよ! 一生お世話するって!」
「いや、内容だ。『右腕になります』とはどういう意味だ。あまりに文脈が急だろう。そもそも自己犠牲という概念の解釈が極端すぎる。お前の中で何か起きている?」
その冷静すぎる返しに、フィーネは思わず共感そうになった。
「えっ……でも、責任ですから……」
「責任感と依存は似て非なるものだ。混同するな」
淡々と指摘するその口調には、何かを押し付けるような圧はなかった。ただ、理屈として正しいことを、感情を抜きにして並べている、という印象。
意外なことに――まとも、だった。
フィーネはそっと眉をひそめた。狂人だと思っていたマスターが、思ったより人の形をしている。それはそれで拍子抜けだ。
「……妹には、少し教育が足りなかったか」
「妹?」
聞き慣れない単語に、フィーネが思わず首を傾げると、男はようやくフードを外した。
整った顔立ち。まだ若い――少なくとも二十代くらいの見た目で老人ではなかった。だがその目は年齢の見た目よりも深く、冷静に物事を測っている。
「言っていなかったか。……お前を創ったのは、エトワール・カスティエルだけではない」
その一言に、フィーネの背がぴんと強張った。
「俺も関わっている。リュミエールと同様にな」
「……同様って……」
「エトワールが骨組みを組み、俺が制御と補完を担当した。いわば、お前たちは“姉妹”のようなものだ」
言い終えてから男は、腕を組みながら小さく息をついた。
「……もっとも、俺はお前たちを娘とも妹とも思っていない。管理すべき存在とは思っているがな。感情を乗せるつもりはない」
言葉だけを聞けば冷たい。だが、不思議なことに、そこには嫌悪や敵意が一切含まれていなかった。過剰な愛情も、軽蔑もない。ただ事実として「そうである」と言い切っているだけ。
少なくとも――リュミエールのような暴走はしないタイプだと、フィーネは悟った。
その直後、扉の外から軽やかな足音が近づいてくる。
「はーい、入るわよ~。……って、もう話し始めてたのね」
その声に、マスターはわずかに顔をしかめた。
「来るのが遅い。今は静かにしてくれ」
ぴしゃりとした言い方だったが、感情はこもっていなかった。むしろ「うるさくなる予感」に辟易している、というような表情だった。
「またそんなこと言って、かっこつけてるんでしょ、マスターくん?」
開いた扉の隙間から、ふわりとした赤茶の巻き髪が現れる。軽装のローブの上から、動きやすそうなジャケットを羽織った女が入ってきた。年齢は二十代前半で男と同じくらいに見えるが、雰囲気はまるで違う。軽口混じりに笑いながらも、その目はすぐにフィーネへと向けられる。
そして――
「……うわ、本当に腕、切っちゃったんだ……」
冗談の余韻はそこで完全に途切れた。視線が男に戻ると、その目には明確な引きが宿っていた。
「何考えてるの、あんた。いくらなんでも、これはやりすぎでしょ」
「仕方ないだろう。あれほどの魔力を、制御もなく放たれてはな。放置すれば、こちらが危険だった」
マスターの返答は冷静だったが、どこか気まずそうに視線を外していた。普段は論理で押し通す彼にしては、珍しく歯切れが悪い。
「でも、それでもよ。ホムンクルスでも……女の子なんだから。こんなやり方……」
彼女の非難を、マスターは無言で受け止める。
ただ腕を組み、わずかに顔を背けた。それは、「答えない」ことで肯定も否定もしない、無視の姿勢だった。
女性は呆れたようにため息をつき、それからふっと肩を落とすと、静かにフィーネのそばへ歩み寄った。
「……ごめんね。決して、悪気があったわけじゃないの」
しゃがみ込むようにして、彼女はフィーネの目線まで降りてくる。そして、そっとその頭に手を添え、優しく撫でる。
「やむを得なかったの。本当は……あなたを傷つけるつもりなんてなかったんだから。腕を切るなんて、誰も最初から計画してなかった」
その声には、先ほどの軽口とは打って変わって、真摯な響きがあった。フィーネは近くなった見知らぬ女性の顔、そして手の温度に、咄嗟に身を強張らせながらも、逃げることはしなかった。
「……あっ、でもね」
急に思い出したように、女性が言葉をつなぐ。
「腕、回収できなかったのは残念だけど――完全に元通りにするのは無理でも、新しく作って繋ぐことはできるわよ。少し時間はかかるけど」
言っている内容は、にわかには信じがたいものだった。
「……えっ!? 本当ですか――ってそうじゃなくて」
フィーネの口から素っ頓狂な声が漏れる。だが意味がわからない。なぜだ? 腕を作る? 切ったのはそっち側だろう。
この人たちは――自分に何をしようとしてる?
混乱が、疑念を引き連れて押し寄せてくる。
「意味が分からないです!」
思わず口をついて出た言葉に、自分でも制御が利かない。胸の奥から湧き上がる不安が、勢いを持って喉を震わせる。
「あなたたちは……いったい、何者なんですか? なんで……なんでこんなに親切にしてくるんですか? そもそも、悪い人たちなんですよね? だって腕を切ったんですよ? そんなこと……そんなことして、なんで……っ」
声が震え、言葉がうまく続かない。それでも、フィーネは精一杯の気力を振り絞って問いかけた。理屈も整わないまま、早口で、息も詰まりそうな勢いで。
相手が優しい顔をしているほど、逆に怖くなる。リュミエールも根は良い子で、マスターと呼ばれる男も案外常識人で、この女性は親切な人で――その答えが、どうしても欲しかった。