ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
女性は手をそっと離し、まっすぐにフィーネの顔を見つめた。
「……そう思われても、仕方ないわね」
どこか寂しげなその声に、フィーネは息を詰めた。やはり、彼らは何か――普通ではない。
ふと、近くの壁にもたれかかるようにしていた男が、宙を見つめたまま口を開いた。
「そうだな。……俺たちは、きっと悪役なのだろう」
その一言は、どこか皮肉めいていて、だが静かな確信を伴っていた。
「な、なんで……」
フィーネがそう問いかけようとした瞬間、彼の声がそれを遮った。
「だが、誓って言える――殺しはしていない。罪を犯していないと言えば嘘になるが、そこまで落ちぶれたつもりはない」
言葉に重さはあったが、虚勢の類ではなかった。ただ事実を、誰にでもなく語っているだけのようだった。
「……悪は、エトワール・カスティエル。あいつだ」
その名を口にしたとき、マスターの声に初めて明確な怒気が宿った。目が細められ、顔の半分が影に沈む。その表情は、冷静というよりも、怒りに堪えかねているようだった。
フィーネは自然と息を呑む。その名前は、自分にとっても他人事ではない――自身の「創造主」なのだから。
リュミエールはその気配に気圧されたのか、すっとマスターから一歩だけ距離を取った。女は目を閉じて「やれやれ」とでも言うように、肩を竦める。
「三年前まで、俺とエトワールは、ホムンクルスの共同開発を行っていた」
マスターは、視線を宙に投げたまま続ける。
「かかった時間は短くなかった。膨大な失敗と試行錯誤の末、ようやく第一号――“フィーネ”が完成した」
名指しされたフィーネは、身じろぎもできずにその場に固まっていた。自分が第一号?
「だが――あいつは、あろうことかお前を連れ去った」
マスターの声音が再び鋭くなる。
「連れ去り、消息を絶ち、そして今日――研究発表と称して、これまでの研究を公表した。第一号であるお前を公表はしていないが、まるで自分ひとりで研究してきたかのように、成果を、全て自分のものにしようとしている」
その言葉の後半は、憤りに震えていた。彼の体から、まるで実体を持ったような黒い影が微かに滲む。理性の底に封じ込められていた怒りが、言葉の隙間からじわじわと漏れ出していた。
「だから――俺たちはこうして、お前を取り返しに来たのだ」
言い終えたその声には、どこか哀しさも混ざっていた。主張ではなく、報告のような響き。
「……信じられません」
フィーネは、かすれた声でそう呟いた。
「私には、目覚めた時の記憶があります。目を開けた時、そこにいたのはお爺さま――エトワール様ひとりでした。それから……まだ一月も経っていないんです。ずっと彼と二人きりで」
否定ではなく、混乱。信じたい記憶と、突きつけられた現実との落差に、声が揺れていた。
その言葉を聞いて、マスターは鼻で笑った。
「たった一月か。……お前にとってはそうだろうな」
言うや否や、彼はフィーネの方へとゆっくり歩み寄ってきた。その動きに反射的に身を強張らせたものの、何かをする気配は感じない。だが――次の瞬間、彼の手がフィーネの上着の裾をつまみ、ぺろんとめくり上げた。
「――え?」
予想外すぎる行動に、フィーネの思考が一瞬飛んだ。視線の先、自分のお腹が丸見えになっている。しばらく呆然としたあと、ようやく状況が理解できて――
「な、なにするんですかっ!」
顔を真っ赤にして叫んだ。慌てて服を引っ張って元に戻し、膝を抱えるようにして体を丸める。
その反応に、自分自身が一番驚いた。性自認は男であるのに、案外女子っぽい反応をしてしまったと。
顔に熱が昇る。羞恥と混乱と、よく分からない敗北感がない交ぜになって、まともに男の顔を見られなかった。
「何だその反応は。言っただろう、俺はお前を管理すべき存在としか思っていないと」
マスターは淡々とそう言いながら、何事もなかったようにコートを整えて立ち上がる。
「腹部の魔力循環痕――エトワールがいじった痕跡があった。記憶と自我の再調整、おそらくそれも“目覚めた”直後に上書きされている」
「……そ、それはつまり?」
「記憶は本物ではないということだ」
「……」
沈黙が降りた。
フィーネは唇を噛んだまま、俯いて動かない。さっきまでの怒鳴り声も、羞恥に震えた反応も、まるでなかったかのように。
「記憶は本物ではない」――その一言が、頭の中で何度も反響していた。
たしかに、あの目覚めの記憶は鮮明すぎるほどだった。エトワールの異様な登場、命令に抗えなかった恐怖、女になっていた衝撃、そして突然店番を命じられた混乱――
だが、なぜか違和感があった。
(……老人は、最初に言ってた。自分は死んだ魂を呼んだって)
呼ばれたのが本当なら、自分は記憶をなくした“フィーネ”ではなく、別の誰か――前世の、ただの一般人ではないのか?だってフィーネには確かに前世の記憶が存在している。
心の中に、浮かんでは沈むその考えに、フィーネは震えた。
黙っているフィーネに、マスターがふと首を傾げる。
「……どうした?」
問いかけは穏やかだったが、その裏には確かな関心が見えた。観察するような、管理者の視線。
フィーネは顔を上げた。何も言わず、ただ小さくかぶりを振る。
「……いえ、なんでもありません」
本当は、何も分からなかっただけだった。魂とか、ホムンクルスとか、記憶の上書きだとか、すべてが自分の理解の範疇を越えていた。
けれど、それを打ち明けてどうなるというのか。どれだけ語ったところで、この男の中ではすでに全てが「理論」として完成しているように見えた。
だから――黙っておくことにした。分からないと、言わないことにした。
ただ、胸の奥に小さな棘のようなものが残ったまま。フィーネはその場でそっと、唇を引き結んだ。
「……ああ、そうだ」
男がふと思い出したように顔を上げた。
「お前の――あの魔法の件だが……」
何かを言いかけたところで、
「ちょっとストップ!」
女性が勢いよく手を挙げ、言葉を遮った。
「まあまあ、起きたばかりでしょ? フィーネちゃん、いろいろ頭が追いついてないと思うし、まずは落ち着いて――ね? それに、自己紹介もまだなんだし」
場の空気をやんわりと包み込むような口調だったが、その目はマスターをしっかりと見据えていた。下手に言わせればまた空気が重くなるのを見越しているのだろう。
マスターは眉をひくつかせながら、しばらく沈黙したあと、大きくため息をついた。
「……好きにしろ」
肩を落としつつ、壁に背を預けて視線をそらす。その動作はどこか不本意そうで、だが強くは反論しなかった。やれやれとでも言いたげな顔つきで、目を閉じる。
その隙に、女性はくるりとフィーネの方へ振り返った。
「改めまして、私はカティア。研究室じゃ雑用兼、あなた達のお世話係ってところかな?」
にこやかに名乗りつつ、フィーネの隣にしゃがみ込むようにして視線を合わせる。その距離感は近すぎず遠すぎず、だがどこか親しみを含んでいた。
「変なことばっかり言ってたでしょ、あの人。……でもまぁ、悪い人じゃないの。ちょっと人としての感情表現が偏ってるだけでね」
その声は柔らかく、慰めるようでいて、不思議と押し付けがましさはなかった。
フィーネは小さく頷いた。いまの自分には、説明よりも、そうした曖昧な優しさのほうがずっとありがたかった。