ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
カティアは、ふとフィーネの左腕に目を留めた。そこにはまだ、細い管が繋がっている。管の先では、赤色の光沢を帯びた液体がゆっくりと揺れていた。
「あらら、まだ繋がってたのね。……でも、これくらいなら、もう平気そう」
軽く息を吐きながら、カティアはフィーネの左腕にそっと手を伸ばす。柔らかく皮膚を撫で、丁寧に固定具を外すと、ためらいなくケーブルを引き抜いた。抜かれた瞬間、僅かに液体の気泡が弾け、ぬるりとした感覚が腕に残った。
フィーネは反射的に眉をしかめるが、それもすぐに消えた。身体のだるさや重さは――不思議と、なかった。
「どう? だるさとか、まだ残ってる?」
問いかけに、フィーネは少し考えてから、首を振る。
「……いいえ。特には。なんだか、すっきりした感じがします」
言葉にしてから、自分でも意外そうな顔になる。右腕が無いという現実は変わらないのに、妙に体は軽かった。
カティアはほっとしたように微笑んだ。
「よかった。ホムンクルスはね、血の代わりに蒼油っていうものを入れてるの。最初は青いんだけど、着色して血に見えるようにしてるんだ」
そう言って、いたずらっぽくウィンクする。だがその表情もすぐに和らぎ、落ち着いた優しさに戻った。
その瞬間、壁にもたれかかっていたマスターの男が、目を開けて口を開いた。
「……お前は、まず体を綺麗にしてこい」
静かだが命令の響きを孕んだ声だった。
「この女がある程度は洗ってくれたようだが、まだ腕を切られた時に出た蒼油が付着している箇所があるだろう。気づいていないだけで、放っておくと魔力の循環を乱すこともある」
カティアが小さく「もうちょっと言い方ってものが……」と呟いたが、男は聞こえていないふりをして目を逸らしていた。
「……それと」
彼は壁にもたれたまま、視線だけをこちらに向ける。
「リュミエールがああなったのは、お前の影響だ。少なくとも一因ではある」
「……え?」
フィーネは思わず目を見開いた。
「感情の揺れが想定より大きい。お前の存在が、あいつの思考に過剰な干渉を起こしている」
「ちょ、ちょっと待ってください。それって……」
「だから、治せ。――正確には、“戻せ”だ」
淡々と告げられたその言葉に、フィーネは言葉を失う。
治せ? 戻せ?
自分が? どうやって?
疑問を口にするより早く、横から小さな力が加わった。
「……フィーネさん」
気づけば、リュミエールがすぐ隣に立っていた。さっきまでの張り詰めた雰囲気とは違い、どこか柔らかい、けれど妙に迷いのない表情。
「お風呂、行きましょう」
「……は?」
差し出された手が、フィーネの左手をぎゅっと掴む。
「ちょ、待っ……!」
「汚れてるままだと、よくないってマスターも言ってました」
そう言って、リュミエールはそのまま歩き出そうとする。
「い、いやいやいや、待ってください!」
フィーネは慌てて踏ん張った。
「私は――その、えっと……っ」
言葉が詰まる。説明しなければならないことが多すぎる。
「……無理です。風呂は、ひとりで入ります」
「だめです」
「なんで即答なんですか!?」
リュミエールは首を傾げた。
「介助が必要ですから。右腕、ありませんし」
「それはそうですけど、そうじゃなくて……!」
フィーネは歯を食いしばった。
(くそ……前世は男なんだってば……!)
今の身体は女だ。理屈では分かっている。
でも、それとこれとは話が別だ。
「離してください! 本気で嫌です!」
思い切り腕を引き戻そうとする。だが――
びくともしなかった。
「……え?」
次の瞬間、リュミエールが少しだけ力を入れる。たったそれだけで、フィーネの身体はぐいっと前に引かれ、バランスを崩した。
「ちょっ……!?」
「転ぶと危ないです」
そう言いながら、リュミエールはまるで当然のように支えてくる。その動作に乱暴さはない。ないのに――力が、桁違いだった。
(……相変わらずだ)
フィーネは内心で舌打ちする。
(どこからこんな力が出てくるんだよ……俺と同じホムンクルスのはずだろ……?)
筋肉量で言えば、今の自分の方が上に見えるはずだ。けれど、骨ごと持っていかれるような感覚がある。単純な腕力ではない。
「リュミエール、ほんとにやめてください」 「だめです」
「話を聞いてください!」
「聞いてます。でも、行きます」
にこりと笑って、彼女は再び歩き出した。
フィーネは必死に抵抗するが、片腕ではどうにもならない。床を引きずられるわけでもないのに、選択肢を一つずつ潰されていく感覚に、背筋が冷える。
「……っ、この……!」
最後の抵抗として踏ん張った瞬間、リュミエールが少しだけ振り返った。
「大丈夫です」
その声は、優しくて、静かで――
「私が、ちゃんと一緒にいますから」
その言葉に、フィーネの動きが一瞬だけ止まる。
安心させるための言葉なのに、なぜか胸の奥がひやりとした。
(……それが、怖いんだっての……)
結局、そのまま廊下を進むことになった。
後ろで、カティアが小さくため息をつく。
「……あーあ。始まった」
「放っておけ。必要な工程だ」
マスターはそう言い切ったが、その視線は一瞬だけ、フィーネの背に向けられていた。
それが心配なのか、観察なのか――
フィーネには、まだ分からなかった。