ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話   作:あろみんと

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第二十八話「ゼロ距離の介護」

 

 

 

 カティアは、ふとフィーネの左腕に目を留めた。そこにはまだ、細い管が繋がっている。管の先では、赤色の光沢を帯びた液体がゆっくりと揺れていた。

 

「あらら、まだ繋がってたのね。……でも、これくらいなら、もう平気そう」

 

 軽く息を吐きながら、カティアはフィーネの左腕にそっと手を伸ばす。柔らかく皮膚を撫で、丁寧に固定具を外すと、ためらいなくケーブルを引き抜いた。抜かれた瞬間、僅かに液体の気泡が弾け、ぬるりとした感覚が腕に残った。

 

 フィーネは反射的に眉をしかめるが、それもすぐに消えた。身体のだるさや重さは――不思議と、なかった。

 

「どう? だるさとか、まだ残ってる?」

 

 問いかけに、フィーネは少し考えてから、首を振る。

 

「……いいえ。特には。なんだか、すっきりした感じがします」

 

 言葉にしてから、自分でも意外そうな顔になる。右腕が無いという現実は変わらないのに、妙に体は軽かった。

 

 カティアはほっとしたように微笑んだ。

 

「よかった。ホムンクルスはね、血の代わりに蒼油っていうものを入れてるの。最初は青いんだけど、着色して血に見えるようにしてるんだ」

 

 そう言って、いたずらっぽくウィンクする。だがその表情もすぐに和らぎ、落ち着いた優しさに戻った。

 

 その瞬間、壁にもたれかかっていたマスターの男が、目を開けて口を開いた。

 

「……お前は、まず体を綺麗にしてこい」

 

 静かだが命令の響きを孕んだ声だった。

 

「この女がある程度は洗ってくれたようだが、まだ腕を切られた時に出た蒼油が付着している箇所があるだろう。気づいていないだけで、放っておくと魔力の循環を乱すこともある」

 

 カティアが小さく「もうちょっと言い方ってものが……」と呟いたが、男は聞こえていないふりをして目を逸らしていた。

 

「……それと」

 

 彼は壁にもたれたまま、視線だけをこちらに向ける。

 

「リュミエールがああなったのは、お前の影響だ。少なくとも一因ではある」

「……え?」

 

 フィーネは思わず目を見開いた。

 

「感情の揺れが想定より大きい。お前の存在が、あいつの思考に過剰な干渉を起こしている」

「ちょ、ちょっと待ってください。それって……」

「だから、治せ。――正確には、“戻せ”だ」

 

 淡々と告げられたその言葉に、フィーネは言葉を失う。

 

 治せ? 戻せ?

 自分が? どうやって?

 

 疑問を口にするより早く、横から小さな力が加わった。

 

「……フィーネさん」

 

 気づけば、リュミエールがすぐ隣に立っていた。さっきまでの張り詰めた雰囲気とは違い、どこか柔らかい、けれど妙に迷いのない表情。

 

「お風呂、行きましょう」

「……は?」

 

 差し出された手が、フィーネの左手をぎゅっと掴む。

 

「ちょ、待っ……!」

「汚れてるままだと、よくないってマスターも言ってました」

 

 そう言って、リュミエールはそのまま歩き出そうとする。

 

「い、いやいやいや、待ってください!」

 

フィーネは慌てて踏ん張った。

 

「私は――その、えっと……っ」

 

 言葉が詰まる。説明しなければならないことが多すぎる。

 

「……無理です。風呂は、ひとりで入ります」

「だめです」

「なんで即答なんですか!?」

 

 リュミエールは首を傾げた。

 

「介助が必要ですから。右腕、ありませんし」

「それはそうですけど、そうじゃなくて……!」

 

 フィーネは歯を食いしばった。

 

(くそ……前世は男なんだってば……!)

 

 今の身体は女だ。理屈では分かっている。

 でも、それとこれとは話が別だ。

 

「離してください! 本気で嫌です!」

 

 思い切り腕を引き戻そうとする。だが――

 びくともしなかった。

 

「……え?」

 

 次の瞬間、リュミエールが少しだけ力を入れる。たったそれだけで、フィーネの身体はぐいっと前に引かれ、バランスを崩した。

 

「ちょっ……!?」

「転ぶと危ないです」

 

 そう言いながら、リュミエールはまるで当然のように支えてくる。その動作に乱暴さはない。ないのに――力が、桁違いだった。

 

(……相変わらずだ)

 

 フィーネは内心で舌打ちする。

 

(どこからこんな力が出てくるんだよ……俺と同じホムンクルスのはずだろ……?)

 

 筋肉量で言えば、今の自分の方が上に見えるはずだ。けれど、骨ごと持っていかれるような感覚がある。単純な腕力ではない。

 

「リュミエール、ほんとにやめてください」 「だめです」

「話を聞いてください!」

「聞いてます。でも、行きます」

 

 にこりと笑って、彼女は再び歩き出した。

 

 フィーネは必死に抵抗するが、片腕ではどうにもならない。床を引きずられるわけでもないのに、選択肢を一つずつ潰されていく感覚に、背筋が冷える。

 

「……っ、この……!」

 

 最後の抵抗として踏ん張った瞬間、リュミエールが少しだけ振り返った。

 

「大丈夫です」

 

 その声は、優しくて、静かで――

 

「私が、ちゃんと一緒にいますから」

 

 その言葉に、フィーネの動きが一瞬だけ止まる。

 

 安心させるための言葉なのに、なぜか胸の奥がひやりとした。

 

(……それが、怖いんだっての……)

 

 結局、そのまま廊下を進むことになった。

 後ろで、カティアが小さくため息をつく。

 

「……あーあ。始まった」

「放っておけ。必要な工程だ」

 

 マスターはそう言い切ったが、その視線は一瞬だけ、フィーネの背に向けられていた。

 

 それが心配なのか、観察なのか――

 フィーネには、まだ分からなかった。

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