ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話   作:あろみんと

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第二十九話「彼女がいない世界」※アイリ視点

 

 

 

 ――あれから、一日。

 

 私は自宅の寝室で、天井を見つめたまま動けずにいた。カーテンは閉め切ったまま。朝か昼かも分からない光が、布の隙間から細く差し込んでいる。

 

 体は休ませているはずなのに、頭だけがずっと動いている。止まらない。止め方が分からない。

 

 目を閉じると、あの光景が勝手に浮かぶ。

 

 床に落ちた右腕。

 血の色。

 フィーネの動かない背中。

 

 喉の奥が、きゅっと縮こまる。

 

(……また、考えてる)

 

 分かってる。考えてもどうにもならない。

 それでも、考えずにはいられなかった。

 

 守れなかった。

 追いつけなかった。

 止められなかった。

 

 何度、頭の中でやり直しただろう。

 あの瞬間、剣を振るう角度を変えていれば。

 一歩、踏み出すのが早ければ。

 叫ぶより先に、動けていれば。

 

 全部、後からなら言えることばかりだ。

 

 布団を握る指に力がこもる。爪が食い込んで、じんと痛む。でも、その程度の痛みじゃ足りない。

 

(……私、なんで生きてるんだろ)

 

 そんなことまで考えてしまって、慌てて首を振る。

 

 違う。

 そんなことを考える資格なんて、ない。

 

 生きてるフィーネを置いてきたのは、私だ。

 

 息が詰まりそうになって、胸に手を当てる。呼吸を整えようとしても、うまくいかない。浅くて、早くて、情けない。

 

 ふと、別の顔が脳裏に浮かんだ。

 

 ――エトワール・カスティエル。

 

 あの老人。

 

 最初は、あいつが全部の元凶だと思ってた。フィーネをさらって、利用して、傷つけた張本人。

 けれど、現れた瞬間、助けてくれるって――どこかで、信じてしまった。

 

(……なのに)

 

 思い出すのは、あのときの横顔。

 影が閉じるのを、ただ見送っていた背中。

 そして――笑ったように見えた、あの一瞬。

 

 拳が、震えた。

 

(助ける気、なかったんじゃない)

 

 違う。

 助け“られなかった”んじゃない。

 

 最初から、優先してなかった。

 

 あの人は言った。

 「次を考える」って。

 

 そのために、フィーネの腕を回収した。

 私が泣いて縋ってる横で、何の迷いもなく。

 

(……あの人、知ってた)

 

 はっきりと、そう思った。

 

 黒衣の男のこと。

 リュミエールのこと。

 フィーネがどういう存在で、どう扱われるか。

 

 全部じゃなくても――少なくとも、「敵が誰か」くらいは。

 

 なのに、私には何も言わなかった。

 

(……なんで)

 

 胸の奥から、どろりとした感情が湧き上がる。

 悲しみじゃない。

 後悔でもない。

 

 怒りだ。

 

(私を、信用してなかった?)

 

 それとも――

 

(最初から、駒だと思ってた?)

 

 考えが、どんどん悪い方へ転がっていく。

 止めたいのに、止まらない。

 

 布団の中で、体を丸める。

 膝を抱えて、額を押しつける。

 

(……私、何も知らなかった)

 

 知らされなかった。

 教えてもらえなかった。

 それなのに、剣だけは握らされて。

 

 結果は、この有様だ。

 

 フィーネは連れていかれた。

 腕は失われた。

 私は――何も残せなかった。

 

「……っ」

 

 喉から、掠れた音が漏れる。

 泣き声にも、溜め息にもなりきらない、中途半端な音。

 

(……嫌だ)

 

 こんなふうに、何も知らないまま、また同じことになるのは。

 守れないまま、見送るのは。

 「次を考える」なんて言葉で、切り捨てられるのは。

 

 胸の奥で、何かがひび割れた。

 

 フィーネを失った痛みの下で、

 別の感情が、ゆっくりと顔を出してくる。

 

(……許せない)

 

 誰を、とはまだはっきりしない。

 でも確かに、怒りはそこにあった。

 

 私は、天井を睨むように見上げたまま、息を吐く。

 

 涙は、もう出なかった。

 

 代わりに残ったのは、

 ぐちゃぐちゃで、醜くて、

 それでも――目を背けられない感情だった。

 

 胸の奥で燻っていたものが、抑えきれずに一気に膨れ上がった。

 じっとしていられない。布団の中にいるのが、気持ち悪い。

 

(……行かなきゃ)

 

 誰に言うでもなく、そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。

 

 立ち上がる。足がふらつく。頭が少し重い。

 それでも、止まらなかった。

 

 上着を掴む。袖に腕を通す動作が、やけに雑になる。鏡なんて見なかった。身だしなみなんて、どうでもよかった。

 

(今さら、どう思われてもいい)

 

 扉を開ける。外の空気が、冷たく頬を刺した。

 鍵をかけたかどうかも覚えていない。ただ、前に進んだ。

 

 家を出ると、いつもの道がそこにあった。

 

 人がいない。

 相変わらず、異様なほどに静かだ。

 

 昼間のはずなのに、気配が薄い。風の音だけが、道の奥へと吸い込まれていく。石畳を踏むたび、乾いた音が響く。

 

(……ここ)

 

 足が、ふと止まりかける。

 

 思い出してしまった。

 

 この道を、フィーネと並んで歩いたこと。

 他愛もない話をして、笑って、くだらないことで言い合って。

 この静けさを、「不思議だね」なんて言いながら、二人で歩いた。

 

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 

(……やめて)

 

 視線を逸らそうとしても、無理だった。

 あの背中が、勝手に脳裏に浮かぶ。

 

 ――フィーネ。

 

 動かない背中。

 失われた腕。

 影の中へ連れて行かれた、その姿。

 

 呼吸が荒くなる。

 

(……っ、だから……)

 

 悲しくなんて、なってる場合じゃない。

 

 次の瞬間、悲しみは怒りに塗り潰された。

 

(あの人が……)

 

 足が、再び動き出す。

 さっきよりも速く。乱暴に。石畳を踏み鳴らす。

 

(知ってたくせに)

 

 言わなかった。

 黙っていた。

 全部、分かってる顔で。

 

(私が、何も知らないまま戦うのを……見てた)

 

 喉の奥が熱くなる。歯を食いしばる。

 拳が、自然と握りしめられていた。

 

(……許せない)

 

 道は、ますます人気がなくなる。

 店も、灯りも、気配もない。

 まるで、世界から切り離されたみたいな、不気味な静けさ。

 

 それでも、迷わなかった。

 

 覚えている。

 この先に、あの家がある。

 

 老人の経営する――

 あの、すべての中心にいる男の場所。

 

 建物が見えた瞬間、胸の奥が一気に煮え立った。

 

(ここだ)

 

 歩く、というより、突進に近かった。

 立ち止まる理由なんて、どこにもなかった。

 

 玄関の前に立つ。

 古びた扉。変わらない佇まい。

 

 一瞬だけ、呼吸が止まる。

 

 次の瞬間――

 

 私は、思いきり足を振り上げていた。

 

 ドンッ、という鈍い音が響く。

 

 扉が軋む。

 鍵が悲鳴を上げる。

 

「……開けてよ」

 

 声が低く、震えていた。

 

 返事なんて、待たなかった。

 

 もう一度、力任せに蹴りつける。

 

 今度は、躊躇なんてなかった。

 怒りだけを、全部そこに叩きつける。

 

 ――まるで、蹴り破る勢いで。

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