ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話 作:あろみんと
――あれから、一日。
私は自宅の寝室で、天井を見つめたまま動けずにいた。カーテンは閉め切ったまま。朝か昼かも分からない光が、布の隙間から細く差し込んでいる。
体は休ませているはずなのに、頭だけがずっと動いている。止まらない。止め方が分からない。
目を閉じると、あの光景が勝手に浮かぶ。
床に落ちた右腕。
血の色。
フィーネの動かない背中。
喉の奥が、きゅっと縮こまる。
(……また、考えてる)
分かってる。考えてもどうにもならない。
それでも、考えずにはいられなかった。
守れなかった。
追いつけなかった。
止められなかった。
何度、頭の中でやり直しただろう。
あの瞬間、剣を振るう角度を変えていれば。
一歩、踏み出すのが早ければ。
叫ぶより先に、動けていれば。
全部、後からなら言えることばかりだ。
布団を握る指に力がこもる。爪が食い込んで、じんと痛む。でも、その程度の痛みじゃ足りない。
(……私、なんで生きてるんだろ)
そんなことまで考えてしまって、慌てて首を振る。
違う。
そんなことを考える資格なんて、ない。
生きてるフィーネを置いてきたのは、私だ。
息が詰まりそうになって、胸に手を当てる。呼吸を整えようとしても、うまくいかない。浅くて、早くて、情けない。
ふと、別の顔が脳裏に浮かんだ。
――エトワール・カスティエル。
あの老人。
最初は、あいつが全部の元凶だと思ってた。フィーネをさらって、利用して、傷つけた張本人。
けれど、現れた瞬間、助けてくれるって――どこかで、信じてしまった。
(……なのに)
思い出すのは、あのときの横顔。
影が閉じるのを、ただ見送っていた背中。
そして――笑ったように見えた、あの一瞬。
拳が、震えた。
(助ける気、なかったんじゃない)
違う。
助け“られなかった”んじゃない。
最初から、優先してなかった。
あの人は言った。
「次を考える」って。
そのために、フィーネの腕を回収した。
私が泣いて縋ってる横で、何の迷いもなく。
(……あの人、知ってた)
はっきりと、そう思った。
黒衣の男のこと。
リュミエールのこと。
フィーネがどういう存在で、どう扱われるか。
全部じゃなくても――少なくとも、「敵が誰か」くらいは。
なのに、私には何も言わなかった。
(……なんで)
胸の奥から、どろりとした感情が湧き上がる。
悲しみじゃない。
後悔でもない。
怒りだ。
(私を、信用してなかった?)
それとも――
(最初から、駒だと思ってた?)
考えが、どんどん悪い方へ転がっていく。
止めたいのに、止まらない。
布団の中で、体を丸める。
膝を抱えて、額を押しつける。
(……私、何も知らなかった)
知らされなかった。
教えてもらえなかった。
それなのに、剣だけは握らされて。
結果は、この有様だ。
フィーネは連れていかれた。
腕は失われた。
私は――何も残せなかった。
「……っ」
喉から、掠れた音が漏れる。
泣き声にも、溜め息にもなりきらない、中途半端な音。
(……嫌だ)
こんなふうに、何も知らないまま、また同じことになるのは。
守れないまま、見送るのは。
「次を考える」なんて言葉で、切り捨てられるのは。
胸の奥で、何かがひび割れた。
フィーネを失った痛みの下で、
別の感情が、ゆっくりと顔を出してくる。
(……許せない)
誰を、とはまだはっきりしない。
でも確かに、怒りはそこにあった。
私は、天井を睨むように見上げたまま、息を吐く。
涙は、もう出なかった。
代わりに残ったのは、
ぐちゃぐちゃで、醜くて、
それでも――目を背けられない感情だった。
胸の奥で燻っていたものが、抑えきれずに一気に膨れ上がった。
じっとしていられない。布団の中にいるのが、気持ち悪い。
(……行かなきゃ)
誰に言うでもなく、そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。
立ち上がる。足がふらつく。頭が少し重い。
それでも、止まらなかった。
上着を掴む。袖に腕を通す動作が、やけに雑になる。鏡なんて見なかった。身だしなみなんて、どうでもよかった。
(今さら、どう思われてもいい)
扉を開ける。外の空気が、冷たく頬を刺した。
鍵をかけたかどうかも覚えていない。ただ、前に進んだ。
家を出ると、いつもの道がそこにあった。
人がいない。
相変わらず、異様なほどに静かだ。
昼間のはずなのに、気配が薄い。風の音だけが、道の奥へと吸い込まれていく。石畳を踏むたび、乾いた音が響く。
(……ここ)
足が、ふと止まりかける。
思い出してしまった。
この道を、フィーネと並んで歩いたこと。
他愛もない話をして、笑って、くだらないことで言い合って。
この静けさを、「不思議だね」なんて言いながら、二人で歩いた。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(……やめて)
視線を逸らそうとしても、無理だった。
あの背中が、勝手に脳裏に浮かぶ。
――フィーネ。
動かない背中。
失われた腕。
影の中へ連れて行かれた、その姿。
呼吸が荒くなる。
(……っ、だから……)
悲しくなんて、なってる場合じゃない。
次の瞬間、悲しみは怒りに塗り潰された。
(あの人が……)
足が、再び動き出す。
さっきよりも速く。乱暴に。石畳を踏み鳴らす。
(知ってたくせに)
言わなかった。
黙っていた。
全部、分かってる顔で。
(私が、何も知らないまま戦うのを……見てた)
喉の奥が熱くなる。歯を食いしばる。
拳が、自然と握りしめられていた。
(……許せない)
道は、ますます人気がなくなる。
店も、灯りも、気配もない。
まるで、世界から切り離されたみたいな、不気味な静けさ。
それでも、迷わなかった。
覚えている。
この先に、あの家がある。
老人の経営する――
あの、すべての中心にいる男の場所。
建物が見えた瞬間、胸の奥が一気に煮え立った。
(ここだ)
歩く、というより、突進に近かった。
立ち止まる理由なんて、どこにもなかった。
玄関の前に立つ。
古びた扉。変わらない佇まい。
一瞬だけ、呼吸が止まる。
次の瞬間――
私は、思いきり足を振り上げていた。
ドンッ、という鈍い音が響く。
扉が軋む。
鍵が悲鳴を上げる。
「……開けてよ」
声が低く、震えていた。
返事なんて、待たなかった。
もう一度、力任せに蹴りつける。
今度は、躊躇なんてなかった。
怒りだけを、全部そこに叩きつける。
――まるで、蹴り破る勢いで。