ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話   作:あろみんと

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第六話「優しさの重さ」

 

 

 

 フィーネは一人でアイリの家にやってきていた。時間帯は昼で人通りも多い。

 

 自身の容姿を理解してからはトラブルに巻き込まれないよう注意していた。睡眠のないフィーネにとって昼まで待つことは地獄だったが、それでもこの行為は重要であると思った。

 

 フィーネは扉に備え付けてある呼び鈴を数回鳴らす。しばらくして、扉の向こうから足音が近づく気配がした。小さな間が空き、やがて扉が開かれる。

 

「……フィーネ?」

 

 顔を覗かせたのはアイリだった。眠たげな顔をしているが、その表情には少し驚きが混じっている。

 

「おはようございます、アイリさん。昨日はご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

 

 フィーネは少し申し訳無さそうに頭を下げた。その姿に、アイリは一瞬戸惑ったようだったが、すぐに微笑みを浮かべた。

 

「ううん、大丈夫。あの後ちゃんと帰れたんだね」

「はい、何とか……。それで、今日も文字を教えてもらいに来たんです」

 

 アイリはフィーネをじっと見つめると、ため息をつきながら扉を大きく開けた。

 

「まぁ……いいや。入って」

 

 フィーネは素直に礼を言って家に入る。昨日訪れたときと同じ、整った部屋が迎えてくれる。テーブルの上にはいくつかの便箋が残っていた。ペンが置かれているところを見るに、直前まで何かを書いていたようだった。

 

「座ってて、お茶でも淹れるから」

 

 アイリはキッチンに向かいながらそう言った。その姿を目で追いながら、フィーネは昨日の出来事を思い返していた。

 

 お茶を飲んだことによる身体の故障。二の舞いになるわけにはいけない。

 

「あ……いえ、私は大丈夫です。昨日のこともありますし、まだ体調が回復してなくて」

 

 その言葉に、アイリは少しだけ足を止めて振り返った。

 

「体調が悪いのに、わざわざ来たんだね……」

「約束しましたから」

 

 フィーネの言葉に、アイリは小さく微笑む。そして自身のカップを手に再びキッチンへと向かう。

 

 その間、フィーネはテーブルの上の便箋に目を留めた。そこには何か丁寧に文字が綴られていたが、文字の勉強を始めたばかりのフィーネにはまだ読むことができなかった。

 

「それ、昨日から書いてる手紙なんだ」

 

 いつの間にか戻ってきたアイリが声を掛ける。フィーネは慌てて手を引っ込めた。

 

「ごめんなさい、勝手に見ちゃって……」

「大丈夫だよ。ただの確認みたいなものだからね」

 

 そう言って苦笑するアイリだが、その目は少しだけ陰を帯びていた。

 

「でもさ、フィーネって文字にすごく興味あるんだね。昨日も今日も、覚えたいってすごく必死な感じで」

「それは……」

 

 突然話を振られ、言葉に詰まる。

 

「ううん、何でもない。ただ、ちょっと気になっただけ」

 

 アイリはフィーネの顔をじっと見つめている。その視線に気づき、フィーネは不安そうに眉を下げた。

 

「……何か変なことしましたか?」

「ううん、そんなことないよ。ただ……」

 

 アイリは少し言いづらそうに、目をそらしながら言葉を続けた。

 

「やっぱり気になるんだ。フィーネ、本当に無理してない?」

「無理、ですか?」

 

 フィーネはその言葉の意味を図りかねたようだったが、アイリの真剣な表情を見て、何となく察した。

 

「昨日のことだってそう。急に倒れちゃったし、今日だって顔色がよくないのに、わざわざ来てくれたし……。文字を覚えるのは大事だけど、そこまで必死にならなくてもいいと思うんだよね」

 

 アイリの言葉は柔らかく、しかしどこか鋭いものがあった。それに対して、フィーネは微妙に言葉を詰まらせる。

 

「その……」

「もしかして、何か理由があるんじゃない? どうしても覚えなきゃいけないとか、誰かに命令されてるとか……」

 

 アイリの言葉に、フィーネの胸がぎゅっと痛んだ。まさかそこまで考えられているとは思っていなかった。

 

「そんなことは……ないです」

 

 フィーネは目を伏せて小さく否定する。しかし、その声はどこか自信がないように聞こえた。

 

「うーん……ならいいんだけど」

 

 アイリはそれ以上追及することはせず、小さくため息をついた。それでも、どこか納得していないような様子がフィーネには伝わる。

 

「フィーネってさ、本当に優しいよね。なんていうか、自分のことより周りを気にしてる感じがする」

「私が……ですか?」

「うん。だって、昨日のことだってそうだよ。あんな状態なのに私にずっと気を使ってくれたし、今日だって、調子悪いのにわざわざ来てくれるなんて……普通の人なら、そんなことできないよ」

 

 その言葉に、フィーネは一瞬言葉を失った。そして小さく微笑む。

 

「ありがとうございます。でも、優しいかどうかはわかりません。ただ……そうするべきだと思っただけです」

「べき、ね……」

 

 アイリは何か考えるように一瞬目を伏せる。

 

「じゃあさ、今日も文字の練習、頑張ろっか。でも、無理だけはしないでね?」

 

 フィーネはその言葉に、少しだけ救われたような気がした。そして静かに頷く。

 

「はい、お願いします」

 

 昨日と変わらない勉強風景が始まる。発声、意味を聞いてフィーネが模写をする。ただ……一つ違うとすれば、アイリの雰囲気だろう。

 

 今までのアイリは気遣いのでき、優しい女の子だった。それが更に酷くなってるようにフィーネは感じた。

 以前よりやけに距離が近いし、過保護になりすぎている気がする。

 

 そうなってしまう原因、フィーネには見当がつかなかった。昨日の一幕が一因なのは察するが、その中のどれでこうなってしまったのかが分からない。そもそも、この変わった雰囲気というのがフィーネの勘違いという可能性もある。そのため触れることもできない。

 

 そんな最中のことだった。

 

「フィーネ、ちょっと休憩しようよ」

 

 アイリの提案に、フィーネは少しだけ手を止めるものの、またノートに目を戻した。

 

「私は大丈夫です。けどアイリさんが疲れたのなら休憩しますが……」

「私も平気だけど……ちょっとフィーネ無理し過ぎだと思うんだ」

 

 アイリの言葉にフィーネは少し戸惑ったように視線を落とす。アイリが強い口調で続けた。

 

「しつこくてごめんね。さっきも言ったけど、無理しなくていいんだよ? 何か理由があるの?」

 

 その言葉に、フィーネは一瞬口ごもり、思わず答えを避けるように視線を逸らす。

 

 自分の生まれが他人に知られてしまったら、それがどうなるのかを分からない。アイリに、自分がホムンクルスであることを話すなんて絶対にできない。

 

「それは……」

 

 アイリは言葉を継いだ。

 

「正直に言うね。私、フィーネのことおかしいって思ってる。よくない事件に巻き込まれてるんじゃないかって。だから助けてあげたいの」

 

 ドキリとする。そしてアイリの気遣いに胸が熱くなる。けれど動揺を見られてはいけない。フィーネは声を少し低くして答えた。

 

「本当に、何でもありません。ただ……ただの思いつきで、急いで覚えようとしているだけです」

 

 その言葉が嘘だとは、アイリには分かっていた。フィーネの表情から、何かを隠していることが伝わっていた。

 

「じゃあさ、あのお爺さんって誰なの? 世話役って言ってたけど具体的には何をしてるの?」

 

 アイリの言葉にはどこか探るような響きがあった。何もかもを正直に言うわけにはいけない。それに対して、フィーネは言葉に窮する。

 

「あの人は、その、一時的に世話をしてくれてる人というか……。部屋とか与えてくれて、代わりに私が店番をしてる……みたいな感じです」

 

 何とも歯切れの悪い返答だった。アイリは形のいい眉をしかめると更に追及してくる。

 

「ふーん……そうなんだ。そのお爺さんの名前は? 実は私のお父様と友達みたいで気になるんだ」

 

 フィーネは更に視線を下げる。痛いところを突かれた、と思った。

 

 これまで色々と老人に対して質問をしたフィーネだったが、名前に至っては何も聞けていなかった。

 思考がぐるぐるする。必死に頭を巡らせるがいい誤魔化しが思いつかない。

 

「知らないの?」

「……………………はい」

 

 「ふーん……」フィーネは目を瞑ると腕を組んで考え込む。眉にシワが寄っている。随分と悩んでいるようだった。

 

「フィーネ、本当にその人、信用してるの? もし、あの人がフィーネに何かを強いてるとかなら私が助けてあげたいの」

 

 フィーネはアイリの言葉を聞き、胸が更に締め付けられるような思いを感じた。

 実のところ、アイリの言っていることは全て事実だったのだ。老人の事はあまり信用していないし、強要もされている。それを隠し通さなければならないことが、フィーネにとって、罪悪感を煽ってくる。

 

「あの人は……いい人ですよ。本を、与えてくれたし、昨日は部屋もくれました。えっと……、いつの間にかいなくなってたり、酷いことをされた事もありましたが」

 

 顔を歪めながら、言葉を選んで言う。段々と顔が下がってくるが……。

 

「でも……やっぱり、私、あの人がいないと生きていけないので――――このままでいいんです」

 

 最後は頑張って目線を上げて、精一杯の偽物の笑顔でアイリに心配をかけないように繕った。

 

 アイリはその言葉に驚いたように目を見開いた。フィーネの無理している様子を見て、どこか痩せ我慢をしているように感じたのだ。

 

「フィーネ……」

 

 アイリはため息をつき、立ち上がると、フィーネの隣に座り直した。そして、不安げな顔のフィーネをそっと胸に抱きしめた。

 

「えっ……!?」

 

 突然の行動に、フィーネは目を見開き驚いたが、すぐに動けなくなった。アイリの腕は意外と力強く、優しい温もりが全身を包み込む。ふんわりと優しい香りがした。

 

「もう無理しなくていいんだよ。そんなに頑張らなくてもいいのに……。大丈夫だから、今はちょっと休もうね」

 

 アイリの声は優しく、まるで小さな子どもをあやすようだった。

 

「いや、私はそんな……子どもじゃ……」

 

 突然の展開にフィーネは抗議の声を上げようとしたが、アイリの心地よい体温と香りに、なんとなく言葉が出なくなった。むしろ、身動ぎすると更に柔らかな感触を感じてしまうため動くことができない。 

 顔が真っ赤に染まる。見た目は女でもフィーネの性自認はやはり男だった。

 

「フィーネ、いつも強がりすぎだよ。昨日も今日も、無理してるのがわかるんだから。ほら、顔色だってまだ悪いし」

 

 アイリはフィーネの背中をさすりながら、静かに言葉を続けた。その仕草はまさに母親が子どもをあやしているかのようだった。

 

「ひ、ひえぇ……」

 

 フィーネは戸惑いの声を上げることしかできない。フィーネの言葉よりも、なぜこんなにもアイリが過保護になってしまってるのかが謎だった。

 

 ――なんで!?自分何かやったっけ!?

 

 心の中でフィーネは叫ぶ。

 

「フィーネ、ちゃんと言っていいんだよ。辛いなら辛いって。助けてほしいなら、助けてって。私、フィーネのこと、もっと支えたいから」

 

 アイリは優しく語りかけながら、フィーネの頭をそっと撫でる。

 

 フィーネは顔を赤くしながら、アイリの胸の中で縮こまるしかなかった。頭を撫でられるたびに、自分が子ども扱いされているような気がして恥ずかしさと安堵感が入り混じる。けれど、どうしてもこの状況を抜け出す言葉が思い浮かばない。

 

「……アイリさん、あの……その、さすがにこれは……」

 

 フィーネはなんとか言葉を絞り出そうとするが、アイリの優しい表情に阻まれる。

 

「何? 何か言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってみて。私はフィーネの味方だから」

 

 アイリの目は真剣で、どこか切なげだ。その表情を見たフィーネは、ぐっと言葉を飲み込む。

 

 ――まさかこんなに心配されるなんて。中身は男だから罪悪感があるけど、せっかくの機会だし、少しだけ甘えてもいいのか……?

 

 そう考えながらも、フィーネはほんの少しの拒絶を示す。

 

「その……私、本当に大丈夫です。だから、そんなに心配しないでください。無理してるわけじゃないんです。ただ……ただ、自分にできることをしてるだけで……」

 

 フィーネは震える声で答えた。その言葉には、どこか虚勢を張るような響きが混じっている。

 

 アイリはそんなフィーネを見つめ、静かに首を振った。

 

「フィーネ、それが無理をしてるってことなんだよ。自分では気づいてなくても、ちゃんと見てる人にはわかるんだから」

 

 そう言うと、アイリはフィーネの頬に軽く触れた。柔らかな指先が、フィーネの体温を確認するようにそっと滑る。

 

「ほら、熱っぽいじゃない。やっぱり体調悪いんでしょ?」

 

 その指摘に、フィーネは慌てて顔を背けた。

 

「そ、それは……! ちょっと寝てないだけで、別に大したことじゃ……!」

 

 言い訳しようとしたフィーネだったが、アイリの鋭い視線に阻まれる。

 

「寝てないって……フィーネ、昨日の夜ずっと起きてたの? どうしてそんなこと……」

 

 アイリの声は驚きと心配に満ちている。

 

「その……夜は、えっと……」

 

 フィーネは小さな声でつぶやいた。自分がホムンクルスであること、そしてそれに伴って睡眠ができないこと――それを言葉にすることはできない。逡巡する様子を見て、アイリはきっと夜が怖かったのだと勘違いした。

 

「……そうだったんだね」

 

 アイリは優しく微笑むと、再びフィーネを抱きしめた。その抱擁は先ほどよりもさらに穏やかで、どこか温かい母性を感じさせる。

 

「大丈夫だよ、フィーネ。ここでは何も怖いことなんてないから。私がそばにいるからね」

 

 その言葉は、フィーネの心に染み渡るようだった。

 

「いや……その、私……」

 

 フィーネは再び抗議しようとするが、アイリの手がその背中を優しく撫で続けているうちに、次第に力が抜けていった。気がつけば、フィーネの体はアイリに完全に預けられていた。

 

 ――これが甘えるってことなのか……?

 

 そんな疑問がフィーネの頭をよぎるが、答えを探す気力もなくなっていた。ただ、アイリの温もりが、今のフィーネには必要なものであることだけは確かだった。

 

「ほら、少しだけ目を閉じてみて。少しでも休めば、きっと楽になるから」

 

 アイリの囁くような声に、フィーネは抵抗することなく静かに目を閉じた。

 

 その場には、しばらくの間、穏やかな沈黙が流れた。

 

 

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