体育祭のアナウンスが途切れる。
得点発表、通過者、昼時間の案内──全部、耳に入ってた。けど、頭に残ってない。
周囲はざわついていた。
誰が一位だった、あの動きがどうだった、あいつの“個性”は何だ。
……俺たちの名前も、きっとどこかで話題に出てる。
わかってる。
数字も、評価も、目に見える形で俺達にも向いてる。
でも──どうしてだろうな、まだ「勝った」とは、言い切れない。
さっきの試合。
如月が全部を拾って、導いて、それで俺は──勝った。
……そう思おうとしてる。
あいつが、あの顔で、あんな風に言ったから。
……どこまで本気で言ってんだ、あいつは。
今、俺の隣には、
“勝たせた張本人”が、無言で歩いていた。
廊下の角を曲がる。控室と、昼休憩に向かう導線が分かれる地点。
その手前で、如月が足を止めた。
「……お疲れさま」
振り返らずにそう言う。
ただ、それだけ。
それだけなのに──俺は、立ち止まってしまった。
「あのさ、さっきの……」
言いかけて、飲み込んだ。
言ったところで、何を期待してんだよ。
「すごかった」? 「助かった」?
そんな感情を、あの目にぶつけて、何になる。
でも。
それでも、あれだけは──
「“君の成果でしょ”って、あれ……皮肉じゃなかったのかよ」
首に片手を当て、顔を逸らす。
問いかける声は、無様なほど小さかった。
如月は、一歩だけ振り返る。
首をかしげて、自然と笑う。
「……?」
「君が選んで、動いた結果でしょ? 私は、呼ばれたから、行っただけ」
──なんだよ、それ。
そんな言い方、ずるいだろ。
決めたのは俺。
選んだのは確かに俺だ。お前に最初に声かけるって、動いたのも。
……試合と結果を見れば“俺の成果だ”なんて、簡単に言えねぇ。
でも、そんな俺の意見なんて眼中にないみたいに如月は言った。
「……そうかよ」
自分でも驚くほど、投げやりな声が出た。
けど、たぶんそれでよかった。
如月は小さく、笑みを深めたように見えた。
けどそれも、すぐに消える。
「じゃあ、また後で。例年通りなら一対一、らしいし」
「……ああ。俺の番が来るまでに、少し寝とく」
「ちゃんと、ご飯は食べてね。
──見てるから」
一瞬だけ目が合った。
何かを伝えるような目でも、問いかけるような目でもない。
けど、なぜか心に残る目だった。
視線を残したまま、如月は歩き出す。
その背中は──やっぱり、まっすぐで、妙に遠かった。
──何なんだよ、あいつ。
その言葉が、やけに耳に残った。
飯を食えってのは、まあ、わかる。
けど──“見てる”って、何をだよ。
戦いか? 勝ち負けか? それとも……。
俺の、“これから”か?
……やめろよ、そういうの。
何もしてない顔で、
全部、“見てる”みたいな。
でも、なんでだろな、俺は──
あいつの言葉で、
「俺の勝ち」って思ってもいい気がしてる。
ほんの、少しだけ。
だから俺は、
目を伏せて、小さく吐いた。
「……また、後で」
そうして、別れた。
この先に待つのが、“勝負”なら──
あいつの前で、負けるわけにはいかない。
***
「女子は全員、ああやって応援合戦しなきゃいけねぇんだって!」
峰田がチアガールを指差し、八百万と耳郎に声をかける。
「聞いてませんが……」
八百万が昼食のトレー片手に呆れ気味に返す。
「信じねぇのも勝手だけどよぉ……相澤先生の言伝だからな」
上鳴が口角を上げて、したり顔で乗っかる。
「相澤先生がおっしゃるなら…」
渋々と言った顔で、八百万は華やかなチア衣装を次々と作り出していく。
そして、A組女子分のチア服を作り、みんなに声をかけに行った。
更衣室前。
女子たちがぞろぞろと衣装を手に控室を出ていく。
「うぇ〜、これ恥ずかしいわ……」
耳郎が頭を掻きながら服をちらっと見せる。
「えっ!? チアガール!? てか全員分あんの!? すごっ!」
葉隠の服が浮かんでいないぶん、余計に想像力を煽る。
「思ったより、露出多いわね…」
梅雨も軽く呟いた。
──夕紬は、静かだった。
普段から黒いハイネックのボレロインナー…首元と腕の肌を隠す肌着を身につけていた彼女は、その上からチア衣装を重ねていた。
肌は一切見せない。装飾だけが、静かに華やかだった。
「……夕紬ちゃん、それ暑くないの?」
麗日が尋ねる。
「結構、快適だよ」
夕紬はさらりと返す。
その一言で、入学時からずっと着用してるそれが「これが彼女の“普通”」だと皆が理解した。
今は“個性”社会、それこそ服の好みもその人の個性だ。
だから特別でも、変でもなく、ただ──当たり前なのだと。
「……私も下になんか着ればよかったかなぁ」
耳郎がぼそっとつぶやく。
「私もー!いやでもあの丈も捨てがたいっ!」
芦戸が楽しそうに跳ねながら鏡をチェックしている。
葉隠は手をパタパタ振って、「私なんて見えてないしー」と笑っていた。
八百万はそんなやり取りを眺めながら、柔らかく言う。
「着こなしは自由に、ですわ。
どんな形でも、応援はできますから」
夕紬は小さくうなずいた。
首元を直し、仮面の笑みを浮かべる。
「うん、応援がんばろ」
仮面と装飾を纏って、“優等生”を演じる準備はできていた。
その姿で更衣室を出た瞬間──
「な、なんで……なんで“上から”なんだよ……ッ!!」
峰田がひくっと震える。
「いや、待ってくれ……おいおい!ドスケベインナーじゃねぇか!?腕と首元だけ隠して他は見せんのかよ…!いやむしろ……ッ」
「逆にエロい!ギャップがエロい!!そして、その静かさが余計に想像力を加速させるゥ!!」
顔を真っ赤にしながら震える小さな体。
「くそ……ッ、騙された……!オイラ、これ以上目ぇ合わすと、何かに目覚めそうだ……」
「……如月さんの着こなし、意外とエレガントだな」
上鳴が思わず漏らした一言に──
「エレガントの意味変わってんだろぉぉぉ!!!」
峰田が地面に突っ伏しながら絶叫した。
いつものように蛙吹が暴走する峰田を止めていた。
その傍らで、夕紬は呆れたように微笑むふりをしながら、ふと近くのガラスを見る。
結んだポニーテールの毛先だけが、わずかに揺れていた。
それは“自分”のはずなのに、どこか他人のものみたいに夕紬は観察した。
賑やかなざわめきと笑い声。
その誰もがどこか遠い出来事のよう。
露出した脚。
揺れる、丈の短いショートスカート。
くびれのライン。
胸元には、布が沿うように張りついていて、シルエットがくっきりと浮いていた。
腕、脇、首まわりは、黒のハイネックインナーに覆われている。
そして、風で踊るポニーテール。
この中のどれかが、たぶん“誰か”にとっては意味のある部位なのだろう。
──そうか、この体をそういうふうに見る人も居るんだ。
ユウは、静かにそう思う。
感情の伴わない実感。
好きでも、嫌いでもなく。誇りでも、嫌悪でもない。
ただ、“可能性の許容”。
誰かに評価される可能性のある器として、そう認識しただけ。
***
午後のレクリエーションが始まる直前。
スタジアムのざわめきが、どこか妙だった。
(……何だ、あれ)
ざわつく声が、耳に引っかかった。
「え、あれA組じゃね?」
「なんでチアの服着てんの??」
声が飛び交う。
どこか、場にそぐわない空気が流れていた。
その中心に、横並びになった──A組の女子たち。
そりゃそうだ。本来は“応援パフォーマンス”は外部のチアを呼ぶ予定だった。
A組の女子が衣装を着て恥ずかしがる子もいる中、横並びになる光景は、どこか妙に浮いていた。
その列の中に、夕紬の姿もあった。
他の生徒ほど肌は出していない。けれど、衣装は妙に印象に残った。
ポニーテールが揺れていた。
跳ねるでも、叫ぶでもなく。
静かなまま、決められた動きをこなしていた。
口角は、きれいに上がっていた。
笑顔だった。楽しそうに、見えた。
でも。
けど、なんでだか。
その笑い方だけは、さっきのそれと、微かに違って見えた。
……気のせい、か。
一瞬、何かを言いかけて──やめた。
そう、心操は歩き出した。
***
《1対1のガチンコバトルだァ!!》
スタジアムを揺るがすようなマイクの声が、空を裂いた。
スタジアム中央には、第二競技の通過者たちが集まっていた。
朝礼台に立つミッドナイトが、組み合わせをくじ引きで決めると提示しようとした、そのとき──
ひとりの手が、静かに上がる。
尾白猿夫だった。
「……俺、辞退します」
その言葉が落ちた瞬間、空気が止まった。
尾白は続けて、試合中の記憶が曖昧だったこと。
そしてそれが、誰かの“個性”によるものだと考えていることを告げた。
観客席にざわめきが走る。
その言葉に、緑谷は自然と心操へと視線を向けた。
だが、心操は前を向いたまま、視線を返すことはなかった。
(でも、如月さんは──)
緑谷がふと騎馬戦の記憶を探るように夕紬を見れば──
視線に気づいたのか、それとも気づいていないふりか。
彼女は、ふわりと笑った。
声は出さない。ただ、その表情だけが答えだった。
そして──それは、拒絶でも肯定でもなかった。
その後尾白が内心を語れば庄田も一歩前に進み出し、同意する。
何もしてない者が上がるのは、この体育祭の趣旨と反する。
そう二人は主張して、辞退を申し込む。
「そういう青臭い話はさァ……好み!!」
ミッドナイトの一任で承諾される。
観客席にざわめきが走る。
だがそれは否定でも、嘲笑でもなかった。
むしろ、“何かを選んだ者”に向けられる、純粋な敬意に近い空気。
その様子を、心操はやや伏し目がちに見つめていた。
何も言わないが、その背にわずかな緊張が宿る。
そして、念のためとでも言うようにミッドナイトが夕紬を見つめた。
「如月さん、あなたはこのまま出場でいいわよね?」
チアガールの衣装を着たまま、夕紬は一歩、前に出た。
「……はい。このまま出場します」
そう伝えた後、視線を少しだけ横に滑らせ、尾白の姿を探す。
彼と目が合うと、夕紬は申し訳なさそうに笑顔を向けた。
「わかったわ」
ミッドナイトが短く応じる。
夕紬は静かに頭を下げ、列に戻った。
その背に、拍手が続いた。
誰に向けられたのか。
なぜ鳴っているのか。
──それは、夕紬の中には「関係のないこと」だった。
***
どよめく観客、ざわめく会場。
一戦目──心操人使は、敗れた。
騎馬戦で“俺の武器”を使わなかった。
だから、相手は──緑谷は、俺の“個性”を知らなかった。
……いや、尾白が話した可能性はあった。
だからこそ、緑谷に口を開かせるために、あえて尾白を貶す言葉を選んだ。
結果、“個性”は通じた。
けれど──押し負けた。
……それでも。
胸の奥に、確かに“何か”が残っていた。
──負けたんだ。
でも、不思議だった。
悔しいのに、それだけじゃない。
すこしだけ、胸をはっても良いような、気がした。
試合が終わってから、
アリーナを背に通路を歩く間に、思い出す。
拍手、ざわめき、賞賛の声。
そして──
クラスメイト達の言葉。
湿った土埃と熱気が、まだ皮膚にまとわりついていた。
緑谷の背負い投げで叩きつけられた衝撃も、腰から肩にかけて、鈍く火照るように、まだ体に残っている。
立ち上がってもフラつく足裏には、じんじんと痺れが波打っていた。
「聞こえるか、心操! お前、すげぇよ!!」
そんな言葉が、
胸にじんわりと滲んできていた。
(……現実、だよな)
どこかで、ずっと「期待なんてされてない」って思ってた。
誰にも認められてないと思ってた。
けど今、
こんなふうに“声”が飛んでくる。
“すげぇよ”なんて言葉が、
今まで向けられなかった視線と共に。
思い出せば、思わず唇の端が動いた。
笑った──つもりはなかったけど、
気づいたら、そうなってた。
……そりゃそうだろ。
でも。
そのまま顔を上げかけて、
ふと、胸の奥にひっかかりが残った。
──あいつは、どこで見てたんだろうな。
「じゃあ、また後で」って、あの時、言った。
別に、勝ってみせるって約束したわけじゃない。
けど俺は、
……たった一言、「見てるから」って言われただけで。
それだけで、自分の“歩き方”が、間違ってなかった気がした。
「……すげぇな、あいつ」
言葉のあと、自然と視線が落ちた。
誰にも見せるつもりのない笑みだった。
次はちゃんと、“自分の力で勝ってみせる”。
あいつの前で、
あいつに何も言わせないくらいの勝ち方で。
「……じゃあな」
薄暗い通路を歩きながら、
誰に向けるでもなく、もう一度だけ、顔を上げたまま心操はそう呟いた。
次こそは。
あいつが見てる前で──勝ってみせる。