ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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大変、お待たせいたしました。
読み直しがあまりできていないので、後程修正するかもしれません。
ご了承ください...




5話 過去は、消えない。

 

 

 

 

 

試合前──控室の静寂の中、ユウは目を閉じた。

 

──記憶固定。

 

瞼の裏で、そっと手を伸ばす。

それは、人知れず「記憶の住所」を訪ねるように。

 

ヒーロー基礎学での芦戸三奈との対戦。

他にも彼女が“個性”を見た時を思い出す。

 

“個性”『酸』

溶解液は攻撃だけでなく、スケートのように滑る移動補助としても使用可能。また、敵の装備を破壊する手段としても機能するだろう。

だが、高濃度の酸は本人の身体にも負荷をかけると予想できる。

 

再生すれば本当に今そこにいるような錯覚を覚える。

瞳の奥で流れる視覚情報だけではなく、酸の匂い。放った酸の奔流。金属が焼け落ちるような高音。

そっと酸に触れた時、皮膚に感じたひやりとした刺激。

 

そのすべてが、確かな感覚のデータとして静かに蘇る。

 

(──忘れない)

 

──深層に刻まれた戦術ログ。

彼女は高い身体能力と対応力を持つ。

酸の軌跡は──いま覚えた。回避は可能だろう。

だが、戦闘が長引けば足場が腐食し、自ら不利を招く。

 

──決めるなら速攻。

 

呼吸をゆっくりと整え、まぶたを開く。

 

準備は、整った。

 

自分の有用性を証明する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さァ始まったァ~!トーナメント5回戦ッ!!芦戸三奈ァ!!VS!!如月夕紬~~~~ッ!!」

 

 

「よろしく」

 

観客席から聞こえる歓声とは裏腹に、夕紬の声はひどく平坦だった。

その顔から微笑みは消えない。

 

「今度こそ勝つ!」

 

芦戸が肩を回しながら宣言すると、

夕紬は変わらずニコッと笑顔で返事をした。

 

「START!!」

 

掛け声と同時に、二人は駆け出す。

だが、明らかに違和感があった。

 

「おっとォ!?芦戸、いきなり滑ったァァ!!」

「足元に広げた酸で加速ッ!!まるでスケートリンクだなァ!!」

「対して如月は──端に向かってる!?おおっと!?!?これはまさか──」

 

ざわつき始める観客の中に、気づいた者もいた。

芦戸もそのひとり、夕紬の“個性”は既に身をもって経験したことがある。

だから──止めるために駆け出していた。

 

酸で地面をスケートのように滑り駆け出す。

そして、一直線に舞台の端へ向かう夕紬の逃走経路を断つように酸を投げた。

 

「芦戸は距離を詰め妨害!!

しかしっ如月、減速しねぇぞ!?!!」

 

 

酸で溶け崩れる足元のコンクリート。

それを、夕紬は軽やかに避けていく。

飛んでくる酸の放物線を計算し尽くし、迷いなく舞台の端を目指すその姿は、静かでいて──どこまでも鋭い。

 

点ではダメだ。よけられてしまう。

酸を広く伸ばし、面で飛ばせば足を止められるかもしれない。

だがそれでは速度が足りない。

 

──届かない。

 

芦戸が思考を巡らせる間に夕紬は場外へ近づいていく。

 

それでも──

芦戸はまだ、届けと“個性”を飛ばす。

 

手を、伸ばす。

 

 

タンっと地面を踏み振り向いた夕紬の目線が芦戸に向く。

戦っていたはずのに、焦りが微塵もない。

でも、勝利を確信した慢心とも違う。

 

その一瞬で、芦戸は全てを察する。

 

 

 

(──やっぱ、読まれてたんだ)

 

私の作戦も、スピードも。

芦戸の口元は笑っていた。

けれど──目だけが、追いつけなかった。

 

 

 

(すごい。でもやっぱり、くやしい)

 

 

芦戸の表情には、そんな矛盾がにじんでいた。

 

笑ってるのは心からの尊敬。

でも、震える瞳は悔しさを隠しきれていなかった。

 

一歩も届かず、すべてを見透かされた。

 

自分の全てが読み切られていたという事実。

それが、心のどこかを、ギリギリと締めつけた。

 

 

 

どこか泣きそうに見える顔。

けれど、強がるような笑顔に、誤魔化せない光が浮かんでいた。

 

瞳の奥にだけ、震えがあった。

 

夕紬は静かに芦戸を見つめ、音を紡ぐ。

 

 

 

「きみ」

声は、どこまでも静かだった。

芦戸の姿が、ふっと掻き消える。

 

 

 

次の瞬間、芦戸が見たのは、

さっきまで遠くから見てたはずの、夕紬の手のひら。

 

「あっ──」

声が漏れた。

 

やっぱりっていう感覚と、終わってしまったことを後から理解するような細い声だった。

 

「転送だァァァァ~~~~~ッ!!」

 

見上げた視界の先に、夕紬がいた。

一歩も動じなかったその姿に、悔しさがじわりと押し寄せる。

 

けれど芦戸は、すぐに顔を上げて笑った。

夕紬は笑顔を返し、真っ直ぐ芦戸を見つめる。

 

「芦戸さん場外、如月さんの勝利!」

「って、ちょい待て早くない!?解説ッ解説ぅ!!」

 

実況と観客席がどよめく。

 

 

 

「……っはは!はっや~~い!やっばい、私また完封されてるじゃん!」

 

笑ってるのに、心臓だけがバクバクと騒いでいた。

 

 

「これがテレポートの静かなる支配力かぁ!?如月夕紬、まさかのクールフィニッシュで2回戦進出だァ~~!!」

 

マイクの声がアリーナを揺らす。

 

 

 

芦戸はイーと歯を噛みながら口を開く。

 

「ずるいとかじゃないけど、なんかもう、くやし~~っ!」

 

そして両手を上下に振りながら、負けた悔しさを全身で表現する。

 

言葉にしても自分の中に感情が溶けきることはない。

悔しい、今度こそ勝ちたかった。

でも、それ以上に──

 

「……夕紬ちゃん…悔しいくらい、キマってたよ」

 

かっこいいって思った。

私より何歩も先を行く、友達が。

 

(でも……二回連続で“何もさせてもらえなかった”のは、ちょっとキたかも)

(次は負けないって、ちゃんと“言えるくらい”にならなきゃね)

 

 

夕紬は少し目を伏せた芦戸を見たまま、

声は小さいけれど、まっすぐに言葉を置いていく。

 

「芦戸さんだから、たくさん考えたんだ。

どう動くかなって……前より、スピード上がってたよね」

 

 

 

一拍の沈黙。

 

「実はちょっと、びっくりしたよ」

 

微笑みと共に投げられた言葉が、何より効いた。

芦戸は、もう一度だけ、少しだけ照れくさそうに笑った。

 

「……そっか」

「じゃあ、次はもっと考えさせるね!」

 

今度こそ、本当に嬉しそうに、芦戸三奈は笑った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

スタジアムの廊下。

 

控室で次の戦いに必要な”学習”を終え、

自分の名前が呼ばれるのを待っていた。

 

 

──手順をなぞっただけの自分に、

勝利という実感はない。

 

 

だが、ここに立つならば、誰かの敗北を背負って戦うという決意が必要だ。

 

 

──そのはず、なんだ。

 

 

彼女の笑顔が、ふと脳裏を掠める。

不要と割り切ったつもりでいたそれ。

“誰かの勝利を奪う”という行為が孕む意味と、痛み。

 

 

──息が、詰りそうだ。

 

自分の手が無意識に首に伸びかけた、

誤魔化すように口元に触れれば笑顔は張り付いたまま。

 

 

「次のバトルはァ~~!!ヒーロー科!常闇踏陰ッ!!」

「対するは如月夕紬だァ~~~!!!」

 

名前を呼ばれれば体はひとりでに動き出す。

染み込んだ反射行動、太陽の眩しさに目を細めながら不要な感情を、すっと"切り離す"。

 

観客席がどよめく中、マイクの合図が響く。

 

「START!!!!」

 

「行け、ダークシャドウ!」

 

すぐさま飛び出す影。

闇の具現が、鋭く夕紬に迫る。

その動きに、夕紬はわずかに息を吸っただけで、身を引かない。

 

 

「さァ開幕!!飛んだのはダークシャドウ!!その影の勢い、もはや野生動物~~~ッ!!如月の速攻をどう阻止する!?!?」

 

 

──速い。

 

けれど知っているから、脅威にはなりえない。

 

 

見たら忘れない。それが夕紬の強みだ。

相手の重心移動、踏み込みの瞬間、腕の振り──

すべてが、人の動きとして記憶される。

 

示すべきは適応力、相手の行動に応じて異なる対応をみせること。

 

だから記憶を呼び起こす。

 

障害物競走、第一関門。

破壊されたロボ・インフェルノの“崩れた胴体”

──鋼板の断面の角度、倒れたときの歪み。それを、夕紬は正確に“記録”していた。

 

 

「だが如月、微動だにせず……って!?」

 

「“仮想敵0P”」

 

「うぉぉぉ!!!仮想敵・ロボの残骸ッ!!?」

 

風を裂く音。

観戦の、実況の視界を覆いつくすように、

常闇と夕紬の間に──巨大な、半壊ロボットの躯体が出現する。

 

「な──ッ!」

 

「デカすぎてみぇねぇェ!!!見た目はジャンク、効果は絶大~~~~!!!」

 

 

「ワッ!?ナンカデケェノデテキタァァ!!」

「怯むな、黒影。“闇”に潜む策は、読めぬがゆえに脅威だが──」

 

ざわめく観客。黒影は一瞬の動揺を見せる。

しかし常闇は冷静さを失わない。

 

その理由を夕紬は理解していた。

黒影の力の源は、”影”

巨体に太陽が阻まれ、影が濃くなるのならば黒影は強くなる。

 

 

「まさかの障害物走のロボを使って戦術再構築だァ~~~!!

 さらに脚部まで出現かッ!!見えねぇけどな!!障害物を使い攻撃を遮り、姿を隠した!さぁ常闇どーする~~ッ!!」

 

夕紬が場外に近づかないように黒影を向かわせるが、大きすぎる残骸で視界が切れ、反応が一拍遅れる。

 

「“仮想敵・左脚”」

 

夕紬もそれは考慮している。

 

仮想敵の巨体の合間を縫って夕紬に向かう黒影の上に、脚部を呼び出す。

 

頭の上に現れた予想外の重量に黒影の動きが止まる。

 

黒影は脚部を押しのけ、再び動き出す。だが──遅い。

常闇は場外を狙うと読んで、姿が見えずとも黒影に追撃を命じていた。

 

 

 

──その時、背後で足音が響いた。

 

乾いた靴音。

静寂のなかに、乾いた靴音。

何かを踏みしめる、確かな重さと“気配”。

 

常闇は振り向いた瞬間、本能的に黒影ではなく──自らの腕を構えていた。

頬を、鋭く風が裂いた。

 

「当たったら、痛いよね」

 

細めた視界に、こぶしを引く夕紬の姿が映る。

彼女は、こちらの反応を静かに待っていた。

まだ戦うか──いや、本来は当たっていたと常闇は理解していた。

 

だからこそ、彼は、瞼を下ろし言葉を発する。

 

「...まいった。見事だ」

 

 

ミッドナイトの手が上がる。

 

「常闇くん降参!如月さんの勝利!!」

 

 

どよめく観客。

プレゼント・マイクの実況が、震えたように響く。

 

「逃げたと見せかけて黒影を捲いて見せた如月!!近接戦も行けるってか!?いやぁ~~しびれるネェェェ~~~!!」

 

 

周りの音に紛れるように夕紬は呟く。

 

「……今回は、運がよかっただけ」

 

この声が常闇に届く必要はない。

この戦いで常闇が見たのは、黒影の限界ではない。

己が、どう強くなるべきかという課題だった。

 

だから、この勝ち方は今しか通じない。

それは謙遜ではない、夕紬にとってただの事実。

 

 

瞳が交わる。

夕紬が微笑みを返して立ち去ろうとした背に、ふと黒影の声が響く。

 

「ゴメンヨォ~!フミカゲェ…」

 

常闇は、肩をすくめた。

 

「……いや、俺も見誤った。

 “声”を司る者を、軽んじたな」

 

ぽつりと呟き、常闇も試合場に背を向ける。

その背には、悔しさではなく──静かな敬意が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

観客の声が、遠くに霞む。

熱気と土煙の中、向かい合った二人だけが、確かにそこにいた。

 

「さぁ来たぞォ~~~!1年A組の切り札!?ヒーロー科、爆豪勝己ぃ!!」

「そして対するは!同じくヒーロー科の如月夕紬ッ!!!」

 

 

開幕の合図はまだ──けれど、既に戦いの火蓋は切られていた。

爆豪が射殺すような視線を飛ばす。

 

 

少女の名は如月夕紬。

仮面のように整った顔と、静かな佇まい。

「声で呼び出す」その“個性”は、攻撃ではなく支配に近い。

冷静に一歩引いた位置から相手を見つめてる──だからこそ、油断はできない。

 

 

対するは爆豪勝己。

爆発を纏い、感情すらも弾けさせるような、攻撃の化身。

 

無音と爆音。

静寂と衝動。

二つの対極が、今──ぶつかろうとしていた。

 

 

「この対決……控えめに言って、燃えるなッ!!!」

「STARTッ!!!!」

 

マイクのコールと共にスタジアムへ火花が走る。

 

「ぶっ殺す!」

 

 

開幕、爆豪は容赦なく仕掛けた。

まるで開幕ブザーが「撃て」と命じたかのように。

 

 

「開始と同時に爆豪ッッ!!!行ったぁぁァァァァァ~~~~~~ッ!!!」

 

爆発の加速で一直線に夕紬へ突っ込む。

夕紬の顔に向けて爆破を放つとともに足元から爆風を放ち、下から跳ね上げるように背後に回る。

 

不意を突くような初見殺しの攻撃。

躱せる奴はほとんどいない。

例え知っていたとしても反応が間に合うような読みができる奴は少ない。

 

けれど、夕紬は覚えている。

 

右腕で爆風を受け止め、腕を振り払い視界を開く。

そのまま前へ、前転。

 

(読んでやがる──けど、遅ぇ)

 

次の瞬間、爆豪は手を自身の背後に回し爆破。夕紬へ肉薄する。

夕紬が右ストレートで追撃しようと腰を回した。

爆豪はそれを目視で確認後──爆破旋回。真横に跳ねて死角から入り込む。

 

夕紬の右顔に爆破が直撃する。

 

 

「爆豪が横に跳んだッ!そのまま爆発ぅ!!」

 

 

そのまま頭上へ流れるように移動。

もう一発。

 

読ませる余裕も与えず、追撃──

 

「……"キミ"」

 

その一言で、体が空中で“逆さま”になる。

 

(ッ、“個性”!)

 

 

「だが如月の一言で爆豪がッ!逆さまになったァ~~~~~~!!?」

 

 

即座に地面に向けて爆破。姿勢制御で上空へ逃れようとするが──

夕紬は跳躍し爆豪を逃がさない、絡み付く、そのまま首に腕を伸ばし絞め落としにいく。

 

容赦のない圧迫に呼吸が詰まる。

だが、爆豪勝己はそれで止まる男ではない。

 

「……なめっんな…っ!」

 

爆破──顔面に直接打ち込んだ。

しかし、夕紬の腕は緩まない。

 

 

「爆豪、顔面爆破で反撃!だが夕紬が耐えてるッ!!なんだこの攻防!!もはや格闘ッ!!」

 

 

(うぜぇ……!)

 

ならばもう一発と“個性”を発動すると同時に。

 

「"爆発"」

 

──視界が、真っ白に弾けた。

 

(俺の“個性”を、返してきやがった……!)

 

 

可能性の考慮をしてなかったわけではない。

ただ、このタイミング、酸欠の思考に爆破の衝撃で爆豪の体が揺らぐ。

 

夕紬は腕を離し距離と取る。

 

 

「今度は“爆発”コールだァ!まさかのッ!攻撃、返したァァァァァァ~~~~~ッ!!!!」

 

倒れこむかに思えた爆豪は地面に触れる寸で、真正面を爆破し、自分の身体を転がして衝撃を逃がす。

 

起き上がりざまに吐き捨てる。

 

「……ゲホッ……やりやがったな、テメェ!」

 

 

鈍る思考でも彼は動きを止めることはない。

体が動かずとも“個性”で動かせばいい。

 

「"キミの汗"」

 

……不発?いや違う──

爆豪の疑問答え合わせをするように、夕紬の声が落ちてくる。

 

「“個性”の原理がわかれば、奪えるんだよ?」

 

挑発じゃねぇ。

 

ただの“情報”のように、平然と言い放つ。

 

 

 

……だが、爆豪は拳を振り上げていた。

 

怒りじゃねぇ。

これは、“負けたくない”って本能だ。

 

 

「"キミ"」

 

視界が一瞬歪んだ。自分がそこに“呼ばれる”──

 

拳、ヒット。反応する間すらなかった。

 

(ッのやろ、……避ける間も、ねぇ)

 

それでも、爆豪は夕紬の構えから次の攻撃を読み、防御の体勢を取ろうとする。

だが──呼び出された時には、すでに体の向きが変わっていた。

ノーガードの箇所へ、夕紬の拳が正確に突き刺さる。

 

 

「転送と共にクリーンヒットォ!!如月、こぶしを振りかぶったその先に爆豪を呼びやがった!!」

「ラァッシュ!!乱撃!!!爆豪さけれねぇ!!!!」

 

 

夕紬が呼び出す位置を誤れば、彼女のこぶしが爆豪の体に文字通りめり込む。

 

これは、集中と瞬間判断だけで編み出される──

神業(わざ)の連撃。

“読み”や“スピード”だけでは届かない、“支配”の連撃。

オールマイトですら、一発もらっていたかもしれない。

 

ユウの蹴りが、真横から顎を叩いた。

 

視界が大きく揺れる。

脳が、内側から震えた。

 

 

爆豪の身体が、力を抜いて倒れ込む。

 

 

「おおっとぉ~~~~!?最後の一撃ッ!!爆豪、沈んだァァァ~~~~~~~ッ!!!」

 

 

 

それでも、諦める理由にはならねぇ。

 

爆豪はそれでも闘志に燃えた瞳で、ユウを見上げた。

 

 

 

「……まいったは?」

 

答えは返さない。

 

返せるか、んなもん。

 

ただ、不敵に笑った。笑って見せた。

 

 

それしか──できなかった。

 

 

 

ユウはそんな爆豪を見つめ、背を向けた。

 

勝者となるために、白線を目指して。

 

 

 

──その刹那。

 

如月が、空を見た。

 

 

 

あいつ、逃げやがった。

 

そう思った瞬間、どこかで怒りが点火した。

けれど──その芯には、焦りに似たものがあった。

 

(……目を逸らしてんじゃねぇ。勝ったって、終わった気でいんじゃねぇ)

 

「気ぃ抜いたまま、勝てると思ってんかよ……!」

 

倒れたまま、声を絞る。

 

 

「まだ、終わってねぇんだよ……!」

 

 

動かないはずの身体。けれど、関係ねぇ。

 

片手を地面に押しつけ、汗腺を爆発させる──

 

 

「俺を見ろや!!!」

 

 

爆風とともに体が跳ね上がる。炎と煙が周囲を巻き込み、空間が歪む。

 

飛ぶ勢いのまま、もう片方の掌をユウに向ける。

 

一瞬、夕紬が口を開いた。けれど、言葉は読み取れない。

 

次の瞬間、そこに溜め込んだ“すべて”を──。

 

 

閃光、耳を劈く爆裂音。

 

 

「……爆豪がッ!!!起き上がって、爆破ぁッッ!!!!」

「まだ立ち上がるんかよ!?!?煙幕で何も見えねぇぞ!!!!??」

 

 

──轟音のあと。

 

全てを覆った煙が、しばし会場を包み込んでいた。風で視界が開くのを、観客も、審判も、息を呑む。

 

誰もが、次の瞬間を待っている。

 

 

 

「……どっちだ」

「立ってるのは……」

ざわつく声すら、飲み込まれていく。

 

そして──

 

風が吹いた。

 

煙が流れ、砂埃の向こうに現れたのは──

 

 

 

 

如月は倒れ込む、場外。

 

立っているのは、ふらつきながらも、拳を握ったままの爆豪勝己だった。

 

「……ッ!爆豪がやりやがったァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!」

 

「如月さん場外!よってーー爆豪くんの勝利!!」

 

審判の声が響いた瞬間、

スタジアムが、一気に揺れた。

 

爆風のあとに、観客の声が爆ぜた。

 

空間を割るような歓声が、遅れて会場を満たしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝った、はずだ。

 

でも。

 

──けど、その歓声すら、どこか遠く感じた。

 

耳鳴りが残る。頭の奥で、まだ何かが爆ぜている気がする。

 

視界の端で、倒れている“あいつ”の姿が揺れる。

 

 

(……避けれただろ、今の。絶対、あいつなら──)

 

 

勝った。審判はそう言った。

 

でも目の前のその姿に、何も感じねぇ。

 

抵抗の跡も、最後の一矢も──なかった。

 

爆破を放つ刹那、目が合った。あいつは──あの時、なんて言った?

 

 

 

「……てめぇ……!」

 

唇を噛みしめ、拳を握りしめる。

 

スタジアム中が勝者に拍手を送る中、

爆豪はただ一人、ふらつきながらもユウのもとへ歩いていく。

 

 

 

「てめぇ……なんで動かなかった!!」

 

 

 

倒れている夕紬に近づく、まるで胸ぐらを掴むような勢い──その寸前で、

 

「やめなさい爆豪くん!!」

 

ミッドナイトの声が鋭く響いた。

 

 

 

「勝敗は決したわ!これ以上は──」

 

 

 

しかし、爆豪は言葉を遮られても、視線を逸らさない。

 

握りかけた拳がわずかに震える。

 

 

 

「ふざけんな……あんなんで、勝ったなんて言えんのかよ……!」

 

 

 

心の中では叫びが渦巻いていた。

爆破の間際、如月が小さく開いた口でなんて言ったのか、爆豪は理解してしまう。

 

 

 

(全部わかってるみてぇな顔して……“ごめん”とか言いやがって……)

 

(それで終わりかよ。)

 

(だったら──最初から、出てくんな)

 

 

 

反応は何も、返ってこない。

もう、夕紬は立たない。

 

 

 

爆豪は噛み締めたまま、拳を解けずにいた。

 

目の奥で、火が消えないまま、背を向ける。

 

 

 

「……やっぱ、てめぇは──“ヒーロー”じゃねぇよ」

 

胸の奥に浮かんだ言葉を噛み殺すように。

けれど、視線のすみには──ほんの一瞬、苛立ちとも、憎しみとも違う何かが滲んだ。

 

 

その言葉は、怒りとも、諦めとも違っていた。

 

理解できないものに対する、爆豪なりの“決別”。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

ユウは、ゆっくりと体を起こす。

 

耳鳴りはまだ収まらない、爆破をもろに浴びた両腕の皮膚がチリチリと焼けるような痛みを主張した。

 

爆豪の背中が遠ざかっていくのを見送るでもなく、

追いかけるでもなく。

 

ただ眩しそうに、見つめた。

 

 

ぽつんと、取り残されたようだ。

降り注ぐ日光と歓声の渦の中、ひとりだけ温度の違う場所にいるみたいだった。

 

 

ふと、口元がわずかに持ち上がる。

 

それは、笑顔じゃなかった。

 

ほんの少し、唇の端を引く。

空気が抜けたような、意味を持たない“癖”のような笑い。

 

自分でも気づかないうちに漏れたそれは、

まるで、「やっぱりな」と自分に返事をするためだけの動作だった。

 

(……そうだよ、私はヒーローじゃない)

 

誰にも聞こえない、内側だけの声。

 

でもその瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

 

ひび割れた陶器のように、音もなく。

それでも確かに、小さなヒビが、心の奥に走っていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

リカバリーガールの治療を受けている間に優勝者が決まったらしい。

 

ユウは呼ばれるままに、表彰台へあがる。

クラスメイトの笑顔と称賛に、微笑みで返事をしながら、表彰が始まった。

 

オールマイトがメダルを取りユウの前に立つ。

ユウはかけやすいように少し頭を下げた。

 

「よく頑張ったね、如月少女。

 ……君は、自分に厳しいタイプだろう?」

「それもヒーローの素質だが、時には、自分を許すことも必要だ」

 

 

 

その言葉に、夕紬の笑顔のまま、ほんの一瞬だけ止まった。

 

まばたきひとつ、呼吸ひとつ分の沈黙。

 

けれどすぐに、元通り。

 

 

 

「──はい、ご忠告ありがとうございます。肝に銘じておきます」

 

 

回答も、握手を求めるその手は、完璧なはずだった。

笑顔も、声も、何ひとつ乱れていない。

 

オールマイトも、にっこりと笑ってその手を握り返す。

でも──そこで終わらなかった。

 

 

 

「……よく頑張った、本当に」

 

そう言って、彼は握手と共に反対の片手を伸ばす。

 

 

大きな腕が、彼女の肩をそっと包み込んだ。

 

抱きしめられた、でもどこか“支えるように”。

 

 

ユウの身体が、ごくわずかに揺れる。

 

表情は崩れない。

 

 

けれど、ほんの一瞬──息をするのを、忘れた。

 

目が、瞬かないまま、宙を見ていた。

 

観客はそれを、「感動」と受け取っただろう。

拍手と喝采が二人を包む。

 

 

音も、色も、遠ざかっていく。

 

自分の体の輪郭が、少しだけ曖昧になる。

 

(──こんなにも、あたたかいのか)

 

脳のどこかで、そんな実感だけが浮いていた。

遅れてぞわりと悪寒が喉もとをなぞる。

 

でも、それを追い返した。

 

 

そして、人知れず、彼女の内側で、何かがきゅっと鳴った。

 

 

(……そんなふうに、触れられるなんて)

 

 

 

想定していなかった。

 

想定していなかったから、何もできなかった。

 

 

 

 

だって、

 

誰かに"抱きしめられる"なんて初めてで、

 

しかも、

 

それが、

 

ヒーローって。

 

 

 

ただ、じっとその場で、立ち尽くすことしか──できなかった。

 

 

 

けれど、ほんの一瞬だけ、目を伏せて。

 

 

オールマイトの体に腕を回す。

 

……すぐに、張り付いたような笑顔が、再起動する。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

授賞式と閉会式を終え、

生徒に紛れ夕紬は一人教室に向かい歩き出そうとしたその時。

 

 

「夕紬ちゃーん!」

芦戸の明るい声が、背中から追いかけてきた。

 

夕紬が足を止めて振り返ると、芦戸の手がぶんぶんと振られていた。

 

「ねぇ、ホントにお疲れさま~!すっごかったね、あの試合!!」

 

一息で言って、笑う。

でもすぐに、少しだけ表情をゆるめて、

 

「……最後、悔しかったでしょ?

でもさ、ちゃんと“届いた”と思うよ、爆豪くんに」

 

夕紬は少しだけ目を見開く。でもすぐに、静かに首を振った。

 

 

「……だと、いいな。でも、あれは私のミス。読みが甘かったんだよ」

 

「そっか。うん、そっか」

芦戸は、何か納得したようにうなずいて、歩き出した。

 

「でも、私さ。すごいなって思ってたんだよ。ずっと」

「何手も先を読んでのかな?無駄?がなくて、でも全部“考えてる”のが伝わってきた。私、そういうの苦手じゃん、憧れちゃうかも」

 

夕紬は、少しだけ迷ってから──目を伏せて、

「……ありがとう」

 

ふたりの歩調が揃う。

芦戸はほんのり嬉しそうに笑って、夕紬に言う。

 

「あーでも、次は負けないからね!絶対!!」

 

「……ありがと。芦戸さんは強敵だからね、酸っていろんな使い方できそうだし」

 

「えへへー、でしょでしょ?」

 

芦戸が少し離れた先を歩くクラスメイトを見つけた。

 

「ね、梅雨ちゃんも見てたよね?」

 

「うん。二人とも、すごく良い動きだったと思うわ」

 

「夕紬ちゃんは……あんなに的確に戦えるの、すごいと思う。かっこよかったわ」

 

「ありがとう」

 

夕紬はクラスメイトの称賛を笑顔で受け止める。

すると、後方から手を振りながら葉隠が駆けてきた。

 

「あっ、夕紬ちゃん!みんなで今ちょうど話してたんだよ~!」

「3位すごかったよー!最後の攻防、鳥肌だったもん!」

 

「だよね!ホント、みんな見てたんだから!」

 

後方から更に耳郎と八百万がゆっくり歩いてくる。

 

「あれ、夕紬も一緒だったんだ。ナイスバトル」

耳郎が軽く片手を上げ、八百万は優しくうなずいた。

 

「如月さん、3位入賞おめでとうございます。とても冷静で、的確な戦いぶりでしたわ」

 

夕紬は少しだけ、視線を彷徨わせてから言う。

「……ありがとう。みんなの応援、聞こえてた」

 

「ほんと!?嬉しい〜!」

葉隠が笑って肩をすくめると、皆の笑い声が廊下にひとつ、またひとつ重なっていく。

 

そのまま自然に歩調が合って、女子たちの足取りはゆっくりと教室へ向かって進んでいく。

 

夕焼けが、窓の外を静かに染めていた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

場面は変わり、同日の夜──

 

スタジアムの片隅。

出場者控室から離れた、無人のモニタールーム。

一人のヒーローが、音を消した空間に佇んでいた。

 

ヒーロー名:サイレン。

 

護衛任務。USJ襲撃を経て、警備強化の一環として動員されたヒーローの一人。

 

だが彼の目は、監視という仕事をしながらも、開始から終わりまで──ただ一人の生徒を追っていた。

 

如月夕紬。

仮面を被った少女。

 

彼が見たのは、理想的な“演技”だった。

 

 

第1種目。

障害物走。

彼女は“ヒーローらしさ”を選んだ。

爆発や障害に阻まれる他者に自然と手を差し伸べ、だがその“善意”に溺れず、最終的には上位に食い込んでいる。

人道性と機能性の両立──それは、社会が最も評価しやすい構造だった。

 

 

第2種目。

騎馬戦。

彼女は開戦と同時に、すべてのハチマキを呼び寄せ、混乱を作り出した。

その後、チームの指示に従い、正確に高得点を確保する。

指示への従順さ、状況への応用力、圧倒的な精度。

 

如月漣は、その行動に「有用性の証明」という言葉を重ねた。

 

 

第3種目。

個人戦。

彼女は勝ち進んだが、最後の一戦で敗れた。

──だがその敗北には、“精彩”があった。

 

勝てたはずの間合い。

使えるはずの“個性”。

それらを行使しなかったという“静かな選択”。

 

それは、“選んだ”と見なすに足る沈黙だった。

 

 

 

仮面の精度は落ちていない。

それなのに──なぜ、自分はこれほど言葉を探している?

 

ほんの少しだけ、相澤の言葉が脳裏をかすめた。

 

「……お前は“仮面を与えた側”だろ。なら、剥がす役まで買うな」

 

違う。

剥がそうとしたことはない。

 

ただ──

“中身がまだ在るのか”。

それすら、自分にも分からなくなってしまったから、か。

 

それでも、彼は記録を続ける。

“個としての記録”は、沈黙よりも長く残る。

 

 

 

 

そして、夜。

彼は端末を開き、宛先を選ぶ。

 

 

 

『体育祭、確認した』

『君の“個性”は、充分に有用であると証明された』

『ヒーロー性、判断力、制御、対応力──すべて、基準を上回っていた』

 

『ただ一つ、私の記録には残らないものがある』

『最終戦の敗北が、君の“意思”によるものだったのなら──』

『それは、君の中にだけあればいい』

『私は、事実だけを記録しよう』

 

『必要があれば、連絡を』

『沈黙は、了解と解釈する』

 

 

 

送信。

指先が画面から離れる。

言葉はいつも通り整っている。だが──

 

その整いの裏に滲んだのは、“綻び”ではない。

“解釈しきれなかった焦燥”だった。

 

(──あれは、本当に“意思”だったのか?)

 

それを問う資格が、自分にはありはしない──

 

漣は、画面が消えるまでのあいだ、指を動かさなかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

夜、帰宅してからの静寂。

 

 

制服を脱ぎ、シャワーを浴び、髪を乾かして、スキンケアまで終えて──

 

誰にも見られない場所でも、習慣は抜けなかった。

 

 

机の前に座るでもなく、ベッドに横たわるでもなく。

 

ユウは部屋の隅に、背中をつけていた。

 

 

室内灯は消してある。

 

カーテンの隙間から差す街灯の光が、床に淡い線を引いている。

 

 

乾いた髪が、頬に張りつく。

 

 

(……勝った、のに)

 

 

視線を落とすと、包帯がくしゃりと音を立てた。

 

両腕の痛みは、もうほとんどない。

 

 

 

体育祭。

 

トーナメント戦。

 

爆豪の手がこちらに伸ばされた瞬間。

 

観客の視線、歓声、土煙──

 

 

そのすべてが、現実だったとは思えなかった。

 

 

胸の奥に残っているのは、達成感ではなく、

 

ただ「間に合わなかった」感覚だけ。

 

 

──あれが限界だった。

 

 

だって、私が彼に勝ってはいない。

 

そして、わたしは、終わらせたかった。

 

できるだけ早く、誰も、見ていないうちに。

 

"私"のまま、記号のまま、目立たず。

 

 

「……うまくやれたと思うけど」

 

 

そう呟いてみても、

 

言葉が反響するような空虚さに、喉がつまる。

 

 

優等生のフリは崩れなかった。

 

たぶん、誰にも気づかれなかった。

 

でも。

 

 

(……息が、苦しい)

 

 

無意識に、喉もとへ手が伸びていた。

 

その感触は──昔と、同じだった。

 

 

ナイフの刃。

 

冷たい声。

 

「死にたくないなら、“個性”を使え」

 

生きるために、従ってしまったこと。

 

命の消える気配。

 

歯の裏に残った、鉄と焦げの匂い。

 

 

──あれが、生き残った理由?

 

 

 

違う、死ねなかった、ただの、臆病者。

 

 

 

誰のせいでもないと、思いたい。

 

誰かを恨んでいるわけでもない……のだろうか。

 

 

そうだ、ただ、自分がそうしたんだ。

 

自分で、生き残った。

 

でも、考えてしまう。

 

 

「……あの日、あの時に、嫌だって死んでおけば」

 

 

その言葉がこぼれて数分後。

机の隅で小さく震えたのは、通知の光だった。

 

ユウはゆっくりと目を伏せて、手元の端末に手を伸ばす。

 

画面を開くと、そこには短いメッセージが並んでいた。

 

 

 

『体育祭、確認した』

『君の“個性”は、充分に有用であると証明された』

『ヒーロー性、判断力、制御、対応力──すべて、基準を上回っていた』

 

『ただ一つ、私の記録には残らないものがある』

『最終戦の敗北が、君の“意思”によるものだったのなら──』

『それは、君の中にだけあればいい』

『私は、事実だけを記録しよう』

 

『必要があれば、連絡を』

『沈黙は、了解と解釈する』

 

 

 

ユウはしばらく画面を見つめたまま、動かなかった。

 

その言葉に、感情は揺れなかった。

 

けれど、その“無感動”こそが、なにかを意味している気がした。

 

 

 

「……はい」

 

呟くように返した声は、返信ではなかった。

 

声すら届かない画面に向けて、それでも応答しなければならない気がして──

ただ、独り言のように。

 

 

 

画面を閉じた後も、手元の熱は少しだけ残っていた。

 

ユウはそのまま、ゆっくりと背中を壁に預ける。

 

窓の外の街灯が、彼女の足元に長い影を落としていた。

 

そして、ふたたび──

彼女の視線は、遠い夜の中に沈んでいった。

 

 

 

(“選んだ”……で、いいのかな)

 

 

 

沈黙が、部屋を満たす。

 

でもその沈黙は、今夜だけ──ほんの少しだけ、誰かに見られていた気がした。

 

 

 

画面を、じっと見つめる。

 

言葉にできない感情が、胸の奥でぬるく揺れた。

 

(……“記録”されてる)

 

それが、何のために。

誰のために。

何を意味するのか──

 

わからなかった。

 

でも、その“わからなさ”ごと、ただ記録されていくのだとしたら。

それは、ユウにとって──

 

(……見られていた、ってことだ)

 

理解も、共感も、慰めも、なかった。

けれど、“見ていた”という事実だけは、確かにそこにあった。

 

 

 

ユウは、画面を閉じる。

 

何も返さない。

 

でも、ほんの少しだけ、壁にもたれかかる角度が変わる。

背中の接地が深くなった。

 

呼吸を整えるように、ひとつ、息を吐く。

 

そして、また──

 

夜の静寂のなかに、音もなく沈んでいった。

 

そのまま、過去へと続く空白の中へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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