ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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9/12:全体のリメイク


仮面の優等生
1話 静かな始まり


 

 

 

 

 

 

 

 

音が、なかった。

 

 

 

 

 

世界は、ただ静寂だった。

 

死体(りょうしん)は沈黙し、

壁も床も、私自身さえも音を立てなかった。

 

まるで世界から音が消えたように。

 

 

 

耳鳴りさえない。

 

自分の存在も、曖昧だった。

 

 

 

呼吸が、ゆっくりと肺に入ってくる。

 

息を吐いても、吐ききれない。

 

胸の奥で、何かが圧し掛かるような感覚。

 

けれど、心臓は確かに動いていた。

 

 

 

この目に映る光景は、本当に現実なのか。

 

この手に残る温度は、誰のものだったのか。

 

 

 

握りしめたのではない。

 

心臓は、ただ掌の上に、

赤く、あたたかく、重たく、乗っていた。

 

 

 

冷たい指先が、その輪郭をなぞる。

 

じんわりと滲む血と汗の境界が曖昧で、

けれど、どちらも確かに“生”の温度を持っていた。

 

 

 

指の間を伝っていく感触が、

現実を呼び覚ますようでいて、

 

胸の中は、それでも、空っぽだった。

 

 

 

恐怖も、怒りも、悲しみも、もう感じないはずだった。

 

ただ、ひとりきりで、何もない空間に立ち尽くしていた。

 

 

指先が、わずかに震える。

 

何かが、湧き上がる。

 

 

──湧き上がる衝動。

 

拒絶もできた。

 

でも、それでいいと思ったのはなぜだろう。

 

 

 

力を籠める。

 

どくん、と一度だけ心臓が脈打つ。

まるで命乞いのように、弱々しい意志のない脈動が、偽りの生を演じていた。

 

――不意に。

喉の奥が笑った。

 

柔らかい肉の感触が手に広がる。

ぐしゃり、と肉が潰れた。

 

 

 

 

 

 

 

長い沈黙のあと、人知れずぽつりと漏れた声があった。

 

それは、自分の声のようで、

どこか遠くの誰かのようでもあった。

 

 

それは、確かに“声”だった。

 

けれど、それがどこから来たものなのか、まだ掴めなかった。

 

 

耳ではない場所で、音がした気がした。

 

胸の奥に、かすかな音が響いた。

 

 

 

(――)

 

 

 

呼吸が止まる。

 

胸の中で、何かが跳ねた気がした。

 

 

声が、聞こえた。

 

罪を責めるでも、許すでもなく。

 

ただ、否定しないような──楽しむような響き。

 

 

 

その瞬間、視界の端に、誰かが立っているのを見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

焦げた匂い。

 

絶望の中に沈み、

それでも立ち上がった匂い。

 

 

知らない誰かの温度。

自然と、顔を向けていた。

 

 

 

 

 

少年だった。

 

ひどく飢えた目をして、

けれど誇らしげに笑っていた。

 

その目に、知らないはずの痛みを、見た。

 

 

 

(――誰だろう)

 

 

白紙だった思考に芽生えた疑問。

 

そして気付いた。

 

痛みを抱えた誰かが、この世界にはいるということを。

 

 

同じものを抱えている気がした。

きっと、違うかたちでも、同じ類の痛み。

 

 

 

だから、自然に手を伸ばしていた。

 

 

手を取って欲しかったわけじゃない。

 

ただ、なにかが引っかかった。

あの目を、あの在り方を、

見てしまったから。

 

…本当は、知りたかったのかもしれない。

 

けれどその“理由”はまだわからない。

 

 

 

 

 

 

手が、軽く動く。

 

自分でも驚くほど、自然に伸びた。

 

呼吸が、少し早くなる。

 

肩が軽く震えているのがわかる。

 

 

 

けれど、その手は、まだ何も触れなかった。

 

まだ、届かなかった。

 

 

 

 

 

「……初めて、誰かの声(こころ)を、聞いたから。」

 

 

 

 

 

それはまだ、現実ではなかった。

 

ただ、確かに心だけが先に、誰かと出会った。

 

 

 

無音の世界の中でも――それだけは、確かなことだった。

 

 

***

 

 

 

 

 

朝、目が覚めたとき、部屋はまだ薄暗かった。

頬に触れた空気が、わずかに冷たい。

 

カーテンの隙間から差し込む光は、日差しと呼ぶには弱々しい。

 

天気は、たぶん晴れ。

けれど、空を見ようとは思わなかった。

 

ユウはゆっくりと起き上がり、無音の部屋に立つ。

足元には、硬質なフローリング。

壁は白、家具はあるけれど、装飾はない。

人の生活の気配が薄い、整った部屋。

 

そこが新生活を始めたばかりのユウの家、学生向けのアパートだった。

 

壁に、昨夜のうちに準備された制服がきちんとハンガーに吊るされている。

 

ポケットに手を入れる。

 

 

……なにもない。

 

いつも、なにかを入れているわけではないのに、

ユウはなにもないことを、確認した。

 

そこに理由は定めず、食事の準備を始める。

 

トースト半分と紙パックのジュース。

特に決めてはいない、体調を崩さず、エネルギーが補給できれば、それで良い。

 

テーブルの上のスマホが振動する。

 

《REN:初日、忘れ物のないように》

《REN:何かあれば連絡すること》

 

ユウは、画面をじっと見つめる。

返信はいつものように「はい」と一言だけ。

 

将来の夢があるらしい自分に、まだ実感がない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

新居は雄英高校までそう遠くない。

数十分歩けば巨大な校舎が見えてくる。

正門の前には、新しい空気が流れていた。

 

 

そこには新学期の興奮と緊張が入り混じる空気があった。

あちこちで交わされる挨拶、笑い声。

 

ユウは1人、歩いていた。

 

声は発さず、でも不自然にならないよう。

目線と微笑みだけで新学期を楽しみにする子どものように。

 

昇降口で靴を履き替える。

 

他の生徒の会話が耳に入るが、混じることはない。

“会話の外側”に立つことには、不快も不安もない。

 

広い校舎を歩き、1-Aの教室扉を開けると、ざわめきが一瞬止まる。

ユウは挨拶と共に笑顔をつくる。

 

不安も、期待も、緊張もない。けれど、そう見えるように──必要な形をなぞるだけ。

 

 

「おはよう、よろしくねー!」

「うん、よろしく」

 

返す言葉は選ばれ、響きすぎないように調整される。

すべては“馴染むため”ではなく、“浮かないため”。

 

ふと、視界の端に見覚えのある気配を感じた。

 

──爆豪勝己。

入試で、そして小学校で見かけた元気で自信に満ちた子。

 

覚えていたのはなぜだっけとユウが思考を巡らせば、彼の言った何気ない一言が脳裏をよぎる。

 

「お前、手ぇ抜いてるだろ」

「……変なやつ」

 

ユウは目を伏せる。

もう必要のない記憶に、蓋をするように。

 

今の爆豪は机に足を投げ出し、飯田がそれを止めようとしていた。

社会的に良くない態度。

でも、その姿の方がなぜだかとても彼らしい気がした。

 

扉の開く音がして目をやるとそこに居たのはまた見覚えのある顔、緑谷出久がいた。

あの時、傘を貸してくれた子。それと、私の個性に目を輝かせていた子。

 

(……彼らもヒーローを目指してるんだ)

 

 

胸の奥に、名もない納得が沈んだ。

そして、胸に残るなにかに感情を名付けずに思考の外に遮断する。

 

彼が新しいクラスメイトと話している様を、どこか画面越しにみるような感覚で眺めていた。

 

 

 

ただ、何が起きてたか把握するために記録するように。

 

 

教室の空気が未来に対する期待で膨らんでいた。

そんな空気を変えたのは寝袋から出てきた教師。

 

「担任の相澤消太だ、よろしくね」

「早速だがコレ着てグラウンドに出ろ」

 

体操服が放られ、説明もそこそこに更衣室へ誘導される。

ユウは他の女子に遅れないように、そっと立ち上がった。

 

更衣室の音、笑い声、雑談、シャツの擦れる音。

音はあるのに、彼女の中には静けさが満ちている。

 

 

「へぇー、如月さんってどこの中学? 推薦?」

「髪、綺麗だね、何使ってるのー?」

 

 

笑顔をつくって応じる。完璧に、うまく、愛想よく。

でも目線は控えめに。言葉は、少しだけ遅れて出す。

 

 

「そんな有名な学校じゃないや、普通入試だし」

「友達が勧めてくれたの使ってる、名前は……忘れちゃった」

 

 

少しだけ距離を置く言葉選び。

近づかせない、けれど、遠ざけすぎない。

それは生きるために身についた処世術。

誰もが持っているもの、ユウはそれが人よりも必要だっただけ。

 

 

鏡の中の自分と目が合う。

綺麗に整えられた髪、端整な表情、作り込まれた笑顔。

 

そう──

 

──私は、“ヒーローを目指す如月夕紬”。

 

 

 

呟かず、心の中で言い聞かせた。

 

それがいまの、わたし。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

グラウンドは校舎と同様に広い。

相澤はひとり、端末片手に生徒を待っていた。

 

そして彼は「テストを行う」と口にし簡潔な説明をする。

 

 

「個性把握テスト!?」

 

 

急な課題、ガイダンスもなく急過ぎるとザワつくクラス。

けれど、相澤は気にも留めず、「ヒーローになるなら行事を楽しむ余裕などない」と静かに語る。

 

 

「え……」

 

誰かがそんな声を漏らした。

そんな生徒を奮起させるためか、または分かりやすさを重視したのか。

入試トップの爆豪に“個性”ありでのソフトボール投げを指示した。

 

 

 

「死ねぇ!!」

 

誰もがその言葉に頭を傾げたが、結果は目を見張るもの。

生徒間の動揺が、興味に変わる。

 

「面白そう…か」

 

相澤がぼそっと呟く。

 

「ヒーローになる為の三年間、そんな腹づもりで過ごす気でいるのか?」

 

鋭い眼光に誰もが口を噤んだ。

 

「よし、トータル成績最下位の者は見込みなしと判断し除籍としよう」

 

「はああぁ!?!」

 

重なる悲鳴。

何人かは横暴だと抗議するがその声が届くことはない。

相澤の釘を刺す言葉が、和らいだ空気を再び張り詰める。

 

誰もがここで落ちてたまるかと顔をこわばらせながらも決意を固めた。

ユウもまた、面はそれに倣う。

 

 

 

◆ 50メートル走

記録:6.7秒。

 

──ユウの個性はどこ競技でも使えない。

故に純粋な身体能力の勝負になる。

 

個性なしの同世代平均より、わずかに速い。

目立ちはしない。

けれど、「ちゃんと走れる子」と思われるには十分。

 

……少し、速すぎたかもしれない。

 

 

◆ 握力計測

記録:45kg。

 

──女子としてはやや強め。

けれど、鍛えていれば納得できる範囲。

 

“振る舞いとしては、正解”。

 

 

◆ 立ち幅跳び

記録:220cm。

 

──平均的な男子の数値に寄せておいた。

 

距離の調整は、体感。

ただ、着地の瞬間、“衝撃を微細に散らす感覚”が無意識に走った。

使うつもりはなかった。

 

それでも身体は、自動的に“後天的な個性”を動かしていた。

 

《衝撃緩和》──誰かに付与された、二つ目の個性。

 

 

誰が与えたのか、なぜ自分にあるのか。

考える気はない。

ユウはただ、それを“道具”として扱っていた。

 

「着地がぶれねえ……」

 

列の後ろから、爆豪がぼそりと呟いた。

個性の発動は予定外だった。

 

──二回目、修正。

ほんのわずかに、“バランスを崩すフリ”を加えた。

 

 

◆ 反復横跳び

記録:62回。

 

──動作は滑らかに。けれど、切れ目はあえて曖昧に。

 

“平均の中に溶け込む”ことが最優先。

疲労感を演出するため、呼吸と汗の調整も怠らない。

 

 

◆ ソフトボール投げ

記録:58メートル。

 

──フォームは正確に。

肩の力だけを、ほんの少し抜く。

 

“少しだけできる人間”を演じるには、最も狙いやすい種目。

誰も驚かず、でも「地味にすごい」と記憶に残る。

そのバランスが重要だった。

 

 

誰かが驚くこともなければ、褒められることもない。

 

ただ、全てが終わった後、彼女の成績表は、一枚のグラフのように整っていた。

 

 

平均的。

どのテストにも適した個性ではないため、飛び抜けた成績はない。

でもヒーロー科に相応しい記録を意図的に叩き出した。

 

印象は薄いが、侮られない。

誰にも目立たず、誰の記憶にも強く残らない程度に。

 

 

 

 

そして――

 

緑谷出久の番が来た時。

 

ユウが肌にピリッと何かが走った。

 

(だれか見てる…?)

 

ユウは、髪を縛りなおすような動作を取りながら、そちらに一瞬だけ目を向ける。

 

 

(オール、マイト?)

 

予想外の人物に体が固まりかけたが平静を装う。

そっか、教員だから――と納得しかけて、でもなぜ"今"なのかユウは理解できずにいた。

 

 

「どうしたのー?」

「なんでもないよ、ゴム緩んじゃって」

 

クラスメイトとそんな、やりとりから会話が始まる。

 

緑谷はソフトボールを片手で持ち、何かつぶやき続けているように見える。

一回目に何かしたらしい。

 

でも教師に止められていたから、焦っているようだ。

 

周りの生徒もざわついている。

 

相澤先生はイレーザーヘッドというらしい。

 

 

 

ユウは知らないヒーローだ。

……でも、なぜだろう。どこかで聞いた記憶がある。

 

けれど思考が巡るよりはやく。

彼が投球の構えをとる。

 

瞬間、ユウは肌が逆立つ。

 

 

“決意”の香りがした。

 

──あぁ、やっぱりこの人は。

 

 

彼の腕が振り上がる。

 

 

音が、空気を裂いた。

指先から血が飛ぶ。内部から壊れたような感触を残しながら、ボールが空へと消える。

 

 

空白。驚愕。歓声。

 

ユウもそういった顔を作る。

作った、つもり。

でも、脳裏に彼の姿が焼き付いて離れない。

 

投げた直後、叫ぶでもなく、顔も歪めず、

彼はただ涙をこらえるように、痛みに耐えるように食いしばって吠える。

 

「……まだ、やれます!」

 

 

その声には、強さも弱さも混ざっていて──

 

でも、彼は笑っていた。

 

 

 

ユウは、まばたきを忘れていた。

 

その姿を「眩しい」と思ってしまった。

そしてすぐに、やっぱり「おかしい」とも。

 

憧れに盲目になってるのはたぶん、違う。

自分の何かを差し出すことに、痛みを代償にすることに、あまりに躊躇いがない。

 

昔、クラスの誰よりも、誰かのために。

無性の善意を渡す彼は変わっていなかった。

 

 

優しくて、すごい。

でも、どこか価値観が逸脱してる……ように思えた。

 

 

 

だから、昔はつい目で追ってしまった。

 

追っていたのだけど――

 

(オールマイトは彼を見ていた)

 

 

 

ナンバーワンヒーローが、喋らず、陰ながら、緑谷を見守っていた。

……と思う。

 

確信はないけれど、なら、もう大丈夫。

 

元々、何かをするつもりはなかった。

ただ、誰かは見てないといけない、そう思ってしまっただけ。

 

 

でも、なぜ、オールマイトは彼を見るのだろう。

 

……在り方が似た者同士、引かれ合うのかな。

 

夢のために自分を削る子どもと、社会の象徴となった大人。

通じるものがある…?

 

ユウは、英雄であるオールマイトを深く知らない。

テレビで見る程度の知識しか持ち合わせない。

 

それでも、オールマイトの在り方を凄いと思う。誰も真似できない。ユウも尊敬はしている。

素晴らしいとは思う……けど、手放しで称賛はできない。

 

 

 

……だから、あまり近寄らないでおく。

彼らの正しさは、志は、眩しく人を照らす類のもの。

それに当てられれば立っていられなくなるとわかっていたから。

 

自分がどう崩れるか――ユウは、なんとなく、わかってしまう。

 

“自分を保っていられるか”自信がない。

違う、そもそも、”良い子のふりをする”のは処世術。

 

生きるためのすべ。

 

もとより”何も保ってなどいない”。

 

 

だからこそ、ユウは静かに距離を置く。

 

空っぽな自分を照らされることに恐怖はない。

ただ、その光はユウにとって関わる者ではなく、見るものだから。

 

 

 

──彼らの在り方は何より眩しいのに、何よりも歪に見えた。

 

 

 




プロットは最終章まで完了済です、
更新は週1を目標に、今回は初回投稿なので3話まとめて投稿します。

コメントや評価など、いただけるととても励みになります。
静かな物語ですが、何か残るものがあれば嬉しいです。
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