ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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9話 染み付いたフリ

 

 

 

 

 

とある授業で、グループを組む指示があった。

夕紬はいつものように、周囲の動きを見てから歩き出す。

 

──1歩、遅い。

 

けれど、そこに意味を見出す人は多くない。

同じ振る舞いの子もそう少なくはないのだから。

 

けれど、彼は気付き、そして自ら動く人だった。

 

「よぉ如月、まだ決まってないなら一緒にやろうぜ」

 

砂藤力道。

以前、昼休みにクッキーをくれたクラスメイト。

そう、例えるなら“少し仲のいい子”。

 

その程度のはず。

 

けれど彼は声をかけてきた。

 

夕紬は瞬きにも満たない間に彼の周囲にいる生徒を確認する。

夕紬に否定的な表情はない。

記憶をたどっても、彼らとの関係性に綻びは見当たらない。

 

断る理由はなかった。

それに──断る意味も、なかった。

 

「いいの?ありがと。

ちなみに、砂藤くんたちのグループは何する予定?」

 

「俺たちは──」

 

──そうやって、会話は自然に続いていった。

 

ありふれた日常の一幕。

 

彼らからの勧誘は、何度も続いた。

行事の準備、放課後の買い出し、昼休みの他愛もない話。

いつも、笑顔と人の気配がそこにあった。

 

少しずつ、その輪の端に夕紬の姿が混ざりはじめる。

それは、他人から見れば些細な変化かもしれない。

けれど──夕紬にとっては、望まないものだった。

 

誰かと親しくなるというのは、心と心のあいだに橋を架けることだと、何かで読んだ気がする。

一歩ずつ相手へ渡っていくその仕草は、たぶんあたたかくて、優しさに包まれた、尊いもの。

 

だから──彼女は最初から持たないようにしていた。

 

ゆえに彼らと親しくする理由はない。

 

彼らは、良い人すぎる。

彼は、まっすぐすぎる。

 

優しさという波が、静かに築いた境界線を越える前に──夕紬は、そっと距離を戻す。

 

 

 

 

そのために、どこかのグループに属することにした。

ふと、立ち上がった前の席の女子──あかねのカバンにつけられたアイドルのぬいぐるみが落ちたとき、夕紬は後を追うように立ち上がりそれを拾い──言葉を紡ぐ。

 

「ねぇ落としたよ。──好きなんだ。曲、いいよね」

 

「え、意外!如月さんってそういうの聴くんだ?」

 

ありがとう、よりも先に返ってきたのはその言葉。

夕紬は、それを一瞬だけ観察してから、笑った。

 

「この前テレビで聞いてさ、ハマっちゃった」

 

──嘘ではない。

けれど真実のみでもない。

 

それから少しして、夕紬は彼女らのグループの中にいた。

共通の趣味を持つ、少し目立つ明るい子たち。 

 

夕紬の知識と記憶によれば、こういう子たちは、人の触れられたくない場所があって、隠してる。

だから他人の事情にも深入りしない。

 

無害で、“ちょうどいい”距離感の会話。

 

「ねー夕紬!新曲マジでよかったよね!!」

「ちょっと、いまあたしがテストの相談してんだけど!」

「えーなに、こはる赤点やばいんっだっけ?」

「あかねだって、英語やばいでしょ」

 

冗談まじりの応酬。

誰かが誰かを弄って、笑って、続いていく。

 

夕紬もその輪の中にいた。

笑いを返し、温度を合わせ、自身の輪郭を静かに溶かしていく。

 

それを見て、砂藤はもう誘ってこなくなった。

 

最後に彼が視線を向けたとき、笑顔を乗せていた。

まるで、“何かを喜ぶ”ように。

 

 

 

(──なにを?)

 

 

その意味を考える前に、別の声が飛んできた。

 

「ねえ、夕紬ちゃん、ここさ──」

 

 

 

思考は、呼びかけられたことで自然と切り替わってしまった。

あの笑顔の意味は、また今度にしよう。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

学校生活は本当にあっという間だ。

 

気づけば終わりが見えている。

夕紬は、カレンダーを見てようやく思い出した。

──もう、中学生活も残り一年とないんだ、と。

 

 

 

文化祭まで、あと数日。

 

放課後の教室は、色とりどりの紙と布に埋もれていた。

カーテンは外され、机は壁際に寄せられ、床には段ボールや画材が散乱している。

 

夕紬は、壁面装飾の担当だった。

いつものメンツとは違う仕事。

口を尖らせた彼女らから、「なんで?」という声が上がる。

 

口角をわずかに下げ、ひとつ、ため息を落として見せた。

 

そうやって嫌がる素振りを“らしく”見せた。

「頼まれたなら仕方ないよね」と誰かが言うまでの空気を、そっと、手繰り寄せるように。

 

故に今はここで1人。

割り当てられた段ボールに下描きをして、

白い絵の具で、ベースを塗っていく。

 

夕紬が段ボールを持って部屋に入ると、一瞬だけ視線が集まった。

 

誰も声をかけてはこない。

それでも空気がわずかに引き締まったことに、彼女は気づいていたが1人の生徒に話しかける。

 

「作業中ごめんね?実は──」

 

担当の仕事に加えて、最低限の伝達や調整もこなすこと。

 

装飾班には、比較的静かな子が集まっていた。

話しかければ応じるが、自分から他人に声をかけるタイプではない。

 

だから、教師は彼女に任せた。

“ちょっとしたコミュニケーション” を、無理なくこなせるとわかっていたから。

──それが、彼女が装飾担当を任された理由だった。

 

 

連絡事項と、自分が担当する仕事の進捗共有、最低限の会話を済ませ、空気を読んだていで部屋を出る。

 

準備室に入り、再開する。

ひんやりとした空気に、居心地の悪さはない。

 

静かで、単調で、誰とも話さなくていい作業。

 

彼女は、それを選んだ。

 

筆に水を含ませ、刷毛で線を引く。

 

音楽もない。

 

誰かの笑い声が遠くで響いている。

 

──ドンッ。

 

勢いよくドアが開く音。

続いて、ずるっと重たい何かが滑る音。

 

「おっと! すまん、ちょっと潰れたかも!」

 

振り向かなくても、声でわかる。砂藤くん。

両腕に大きな段ボールを抱えて、入口で片足を踏ん張っていた。

渡された箱の端は少しだけ折れて、角が凹んでいる。

 

「大丈夫。ちょっとくらい形が歪んでても、描けるよ」

 

夕紬は、それだけ言って、元の姿勢に戻った。

潰れた面を下にして立て直し、再び筆をとる。

 

「マジ? ごめんな。次から気ぃつける」

 

「そんな気にしないで、平気平気」

 

会話はそれきりだった。

けれど、数秒後、砂藤は潰れていない箱を整えながら、ふと独り言のように言った。

 

「お前、こーいうの、得意そうだよな。几帳面?って言うか丁寧だし」

 

夕紬は、一瞬だけ手を止める。

 

「そうだね、嫌いじゃないかも」

 

筆を走らせる音だけが、また二人の間に戻ってきた。

 

それ以上、言葉は続かず、

彼もすぐに自分の仕事へ戻っていく。

 

それでも、ただ静かで。

何も考えずにいられる時間が、ほんのわずかだけど、確かにそこにあった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

それは、ある日の昼休みだった。

 

教室の空気が、少しだけ浮いていた。

時計をちらちらと見ては笑い合う女子たち。

お弁当を食べる手つきも、どこかそわそわと急いている。

 

(……なにするんだろ)

 

夕紬は、机に弁当を広げながら様子を見ていた。

そして、こはるがそっと教えてくれた。

 

「ね、今日、川原さんの誕生日なんだよ。サプライズでお祝いするんだって」

 

「川原さん、めっちゃリーダー頑張ってくれてるもんねぇ」

 

あかねの同意に、夕紬も声に納得の色を乗せる。

 

「確かに、頼もしいよね」

 

机の下、誰かが隠し持っていた小さなプレゼント袋がカサッと音を立てた。

黒板の裏には、メッセージボード。色紙。みんなの寄せ書き。

昼休みが終わる直前に、それらを一斉に渡すらしい。

 

「ろうそく立てられないから、チョコパイにバースデープレート刺すんだって。ウケるよね」

 

「それ刺さるかな?」

 

夕紬は、笑った。

いつも通りの笑顔の“奥”はいつもより冷たいものがあった。

でも、それを悟らせることはない。

その輪の中に自然と加わって、寄せ書きにも一言添えた。

 

「おめでとう。素敵な一年になりますように」

 

筆跡は整い、言葉も丁寧だった。

けれど、“整えて書いた”だけで──気持ちがどれだけ込もっていたか、自分でもわからなかった。

 

 

 

──やがて、見計らったように1人の生徒が彼女を連れてくる。

 

「川原さーん、ちょっと来てー!」

 

教室のドアが開くその瞬間、教室の照明が消える。

 

「……え?」

 

「誕生日、おめでとう~~!!」

 

クラッカーの音が弾けて、拍手と笑い声が混ざった。

 

川原さんは目を丸くして、それから顔を覆うようにして笑った。

 

「うそ、なにこれ……ありがとう……!」

 

手作りのメッセージボード。

コンビニで買ったチョコパイの上に立つ、プラスチックのピック。

みんなが選んだ、小さな文房具の詰め合わせ。

 

──それらすべてが、きらきらとした“祝福”だった。

 

夕紬も、その列に並んでいた。

笑いながら拍手をしていた──他の子と同じように。

 

「おめでとう」

 

口にした言葉に、嘘はない。

 

けれど──その光景の中に“自分がいる”ことに、ふと違和感を覚えた。

 

誰かを祝うことに、迷いはなかった。

ただ、心が追いつかないまま、言葉だけが先に出ていった。

 

(どうして、みんなこんなふうに、嬉しそうにできるんだろう)

(どうして、“生まれた日”が、こんなにも祝われるべきなんだろう)

 

 

そういうものなんだ。と記憶してる。

でも理由はずっとわからない。

 

チョコパイを割る笑い声を聞きながら、

夕紬は、そっと視線を窓の外に向けた。

 

カーテンのすきまから入った光が、床にやわらかく差していた。

 

その光の中で、夕紬は静かに目を細めた。

 

 

 

(たとえ“そういう日”が来ても、私は──)

 

 

その先を、考えることはやめた。

 

だって。

 

──誰かのためなら、いくらでも「おめでとう」は言えるから。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

いつもと同じ時間。

いつもと同じ空気。

 

黒霧がにじみ、空間が一度だけ静かに歪んだ。

 

ユウは音もなく現れて、何も言わずに部屋に入る。

鞄を壁際に置いて、ただ座ろうとした時。

 

派手な爆発音がして、音の方へ目を向けた。

 

テレビの画面には、いつもと違うゲーム。

死柄木はその前に座っていて、

スティックを回す指は、一定のリズムで動いていた。

 

誰かとの会話で耳にした記憶があっただろうか。

そう思いながら、ユウは画面を見つめた。

 

じっと。

言葉にしない。

問いもしない。

 

 

“何か”を見ている気配だけは、確かにそこにあった。

 

死柄木は、それに気づいていた。

 

でも、顔を上げない。

 

一面の爆発。派手なエフェクト。

敵が飛び散る中で、指だけが止まる。

 

そして、無言のまま――

 

手元のコントローラーを、背後に向かって投げた。

 

「……チッ、うぜーな。やりてーなら勝手にやれよ」

 

ユウは、地面に落ちかけたそれを寸前で拾い──顔を上げる。

立ちあがろうとした死柄木に声を向けた。

 

「そういうわけじゃ──」

「はぁ?」

「それに、やり方わからない」

 

だからなんだよと死柄木が腰を上げた時、ユウは部屋の棚に置かれたもう一つのコントローラーを取った。

 

そして、彼の机の前に置く。

 

死柄木は、不可解なものを見るような目を向けた。

でも、ユウはなにも返さない。

 

死柄木はため息をついて、なにも言わず、拾う。

そして音を立てて体勢を戻した。

 

ユウも黙って、彼の隣の椅子に座った。

 

死柄木は一瞥し、眉間に皺を寄せた。

少しのあいだ、画面を見ていた。

だが結局、何も言わなかった。

 

ボタンを押せばゲームのモードが自動で切り替わる。

2Pのアイコンが浮かぶ。

画面には、ふたり分のキャラクターが並んだ。

 

 

 

 

開始のカウントダウンが始まる。

画面には派手な色と音が溢れる。

けれど、ふたりの間には、それとは別の沈黙が流れていた。

 

 

 

3。

 

2。

 

1。

 

 

 

静かに、操作が始まる。

 

ユウの動きはぎこちない。

タイミングもずれるし、立ち回りも下手だ。

 

死柄木は少しだけ指を止めて、

舌打ちとも、ため息ともつかない、曖昧な音を喉に転がした

 

「……マジかよ。下手くそ」

それきり、また静かに操作音だけが戻った。

 

 

 

ユウはその言葉に反応しない。

気にしてないわけじゃない。

でも、“それくらいなら平気”と思った。

 

操作ミス。キャラが落ちかける。

死柄木のキャラが滑り込むように跳ね、間一髪で防ぐ。

 

無言のまま。

繰り返される攻撃と回避。

その繰り返しに、つい言葉が漏れた。

 

「……ったく。来るだけ来て、足引っ張んのかよ」

 

それでもユウは反応しない。

けれど、次のラウンドでは少しだけ動きがよくなっていた。

 

立ち位置がほんの少し修正されてる。

 

そして、ほんの一瞬、ふたりのキャラが背中合わせになって敵を倒した。

 

そのときだけ、画面が綺麗に光った。

 

──見て、覚えた。

 

死柄木は一瞬だけ視線を横に向けて、

 

「……覚えんの早ぇのか遅ぇのか、どっちだよ」

 

と、小さく呟いた。

 

まるで、

“次の”ラウンドがあることを当然のように思ってる声で。

 

 

 

 

ゲームが一区切りついた頃、ユウがそっとコントローラーを置く。

 

「……」

 

何も言わず、立ち上がる。

 

本を読まずに過ごしたのは、今日が初めてだった。

 

死柄木はまだ画面を見ている。

ユウはドアの方へ向かいかけて、

でも、一瞬だけ立ち止まった。

 

そしてまた、そっとチョコを置く。

 

彼はなんの反応も返さなかった。

 

でも。

 

 

 

机の上にはユウが使ったコントローラーがそのまま残っていた。

 

ユウがここにきて、初めて触れたもの。

その体温を、まだわずかに残したまま──

 

 

 

いつもと少し違う邂逅。

 

ふたりが無意識のまま、言葉を交わさないままに、何かを共有し始めた最初の夜。

 

──きっと、続くようなものじゃない。

けれど、それでも──

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

文化祭当日。

朝の教室は、そわそわとした喧騒と、少し浮いた笑い声に満ちていた。

 

装飾の最終確認、クラスTシャツに身を包み、空気はどこか浮いていて、全員が少しずつ、落ち着きなく笑っていた。

 

そのときだった。

 

──バサッ。ガタン。

 

教室の奥、掲示パネルの一部が崩れた。

壁に立てかけられていた装飾が倒れ、画材や貼り紙が床に散らばる。

 

「なにこれ!? 誰か当たった?」

「昨日の片付けのやつじゃね?ちゃんと固定しなかったんだろ」

「てか、もう時間ないのにマジかよ……!」

 

一瞬で、声が荒れた。

視線が交差する。まるで“誰のせいか”を手探りするように。

 

クラス全体の温度がにわかに冷える。

 

「いや、犯人特定とかしてる場合じゃなくない?」

 

友人の1人、あかねが話し出すのと同時に、その中で、ひとり。夕紬が音もなく腰をあげる。

 

そこへ対面に椅子を持ってきて座るこはるが小声で呼びかけた。

 

「手伝おーか?」

「へーき」

 

夕紬はそれきり黙って歩き出す。

 

倒れたパネルの側に膝をつき、画鋲を拾い、テープを探す。

手元だけを見て、黙々と。

 

 

夕紬は責任を背負ったわけではない。

目立つ行動ではあるかもしれない、でも彼女は動く事を選んだ。

 

その姿はただ、“今やるべきこと”を決めた者の動きだった。

 

「……如月?」

 

誰かの声が周りに混ざり消えていく。

テープの端を指先で探りながら、再びパネルを起こす。

 

──そこに、もうひとつの手が伸びた。

 

「そっち、俺が押さえる。……テープ、こっちにも頼む」

 

 

砂藤だった。

いつもの調子より少し低く、落ち着いた声で。

 

夕紬は一言だけ返す。

 

「ありがとう」

 

パネルはすぐに立ち上がり、貼り直しも手際よく進んだ。

 

教室の喧騒がいつの間にか収まっていた。

言い争いも止まり、数人がそっと、手伝い始めていた。

背中に突き刺さる視線を夕紬は認識したが、しょうがないものとして受け入れた。

 

 

作業が終わったあと、砂藤がぽつりと呟いた。

 

「お前、すげーな」

「ああいう時に黙って動けるって、なかなかできねぇよ」

 

夕紬は少しだけ間を置いて、いつもと変わらない声と笑顔で返す。

 

「……そんなことないよ、担当だし。

手、空いてたから」

 

それっきり、会話は終わった。

夕紬は席に戻る。

 

 

夕紬にとって、それは謙遜ではない。

 

 

 

──気づいた人がやるべきだと、誰かが言った。

 

みんなの両手は、大事なものでぎゅうぎゅうに詰まって重そうだった。

 

けれど、私の両手には、いつも何もなかった。

だから、動くのは私の役目だと、そう覚えた。

 

一番先に気づくように。

一番先に動くように。

 

それは、“生き残るための適応”だったのかもしれない。

 

 

ユウの、深い深いところに沈んでいる記憶。

 

湯気の中、母の声がした。

誰が悪い、あの人がどうだ、世間がどうだ──

湯船が冷たくなるまで続くその声は、

母にとってただの“ゴミ捨て”と同じものなのだと、

幼いユウは、どこかで理解した。

 

──私って、ゴミ箱みたい。

 

そう呟いた記憶も、もう忘れてしまったのかもしれない。

 

けれど、行動だけが残った。

習い性のように。

火が燃えたあとに、灰だけが残るみたいに。

 

 

どれが理由なのか、ユウは覚えていないし、興味もない。

 

だから、求めないし、定めない。

 

 

誰に言われたわけでもない。

 

それでも私は、いつからか──

「そういうものだ」と自分で決めていた。

 

理由はずっと曖昧だ。

けれど、言語化する必要もない。

 

 

 

そういう存在は、そう生きる。

 

それだけ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

席に戻ればあかねとこはるが2人、バッグから取り出したお菓子を摘んでいた。

 

「あっ戻ってきたー」

「相変わらずきーつかいだねーおつ」

「そんなんじゃないよ、担当だからやったほうがいいかなって」 

「そんなもん?」

「そんなもんだよ」

「あっ!夕紬ちゃんってさ、今日も私らと一緒じゃないんだよね?」

「そー先生に頼まれちゃって」

「あいつ夕紬に頼みすぎじゃ無い?」

「そ?まぁ他にやりたがる人いなかったみたいだからね」

「ちゃんと断りなー?」

「えー私的にはむしろ自由に動けて楽かなって思ったんだけど…」

「それはある、まぁでも全体回ってみんな撮るのは大変じゃない?」

「仕事という名目で各クラス回れるって考えればお得でしょ」

「夕紬ちゃんって、なんというかーポジティブだよね」

「わかる!何事も楽しまなきゃ損!って感じ?」

「それはあるかも」

 

ふたりの会話に混ざると、部屋の温度が少しずつ元に戻っていくように感じた。

 

 

「あ!!夕紬ちゃん!休憩貰ったら一緒にまわろ!」

「いいね、私2年生の出し物行きたいんだけど2人は興味ある?」

「小説モチーフの脱出ゲーム的なのだっけ?」

「私、わかるかなぁ…」

「なんとかなるって、ご飯食べて行けたら行こーよ」

「私はおっけー」

「まぁわかんなくても夕紬ちゃんいればなんとかなるか」

 

「ねねーご飯なに行く?」

「気早くね?」

「いーじゃん、私は1年の出してるカレーが良い!」

「あっ、それ私も行きたかったやつ、あの日向先生がタキシード来てるらしいじゃん、見るしかないって」

「わかる、日向せんせ、ビジュいいよね」

 

「って、2人とも担当個所行かなくていいの?

 そろそろ時間やばくない?」

「あっ!本当だ」

「じゃ、時間と集合場所はチャットするわ」

「りょーかい、またね」

「ん」

 

 

2人に手を振って夕紬はカメラを持ち、教室を出た。

顔から感情がストンと落としかけた時、足音を耳にする。

この足音はクラス外の子だろう。

 

2人の生徒が話し合いながら駆け足でどこかへ向かっている。

道を開けて歩く夕紬に2人が気付く。

 

「あっ!如月さん!!」

「いま忙しい?」

 

呼びかけは唐突で、でも、どこか切羽詰まっていた。

問いに夕紬は優しく答える。

 

「いまはむしろ暇してるかな?私、写真担当だから」

 

カメラを見せながらそう返すと、2人は良かったと顔を輝かせる。

 

「まじ!?」

「違うクラスなのにこんなこと頼むのもあれなんだけど…」

「そんなこと言ってる時間ないって!如月さん、装飾担当してたよね?」

 

「うん」

 

「あのさ!うちの装飾、トラブっちゃって…

 当日担当熱出ちゃったし、準備担当してた子は今日、呼び込み担当で見つかんなくてやばいの、手伝ってくれないかな?」

 

「マジで、お願い!うちら絵心なくて……」

 

夕紬は、作り慣れた笑顔を崩さないまま、二つ返事で頷く。

どこにも引っかかりのない声と表情──そのまま、ふたりの後を追った。

 

その刹那──夕紬のクラスから、誰かが出てきた。

視線が合ったのは、同じ装飾班の子。

 

「あれ?如月さん、どうしたの?」

「あー隣のクラスのお手伝い」

 

ふたりは、一瞬だけ目を合わせる。

けれどその“一瞬”の中で、何かを図るような静かな空気が流れた。

すぐに視線が泳ぎ、口ごもりながら声が重なる。

 

「あ、あの……私たちも……」

 

 

「手伝ってくれるの?」

 

夕紬が言葉を引き取る。

 

 

「うん……同じ班、だし……」

 

 

「ありがと」

 

夕紬は、柔らかな笑顔で2人に感謝を紡ぐ。

そして、ほんの一瞬だけ口元を吊り上げるようにして、ニヒルに続けた。

 

「じゃ、うちら装飾班、三人レンタルってことで──ジュースでも奢らせなきゃね」

 

 

そのひと言は、さりげなく場の緊張をほぐす“仕掛け”だった。

 

ふたりはぽかんとした顔が、少しだけほどける。

冗談だと気づいたのか、どちらからともなく笑いがこぼれた。

 

「ふふっ」

 

「確かに」

「私、オレンジがいいな〜」

 

2人は笑顔を浮かべながら夕紬の後を追う。そこには緊張も、距離もなくなっていた。

 

誰も、それを不自然だとは思わなかった。

夕紬の擬態は今日も寸分のズレなく、空気に溶けていた。

 

 

 

 

 

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