ただ一度、君の名を   作:K4R4SU

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10話 越境

 

 

 

 

 

 

文化祭から数日後の放課後、教室。

 

皆が教室を後にし、日直の夕紬と彼以外誰もいなかった。

 

カーテンが風に揺れ、夕日が机の上に長い影を落としている。

 

 

日誌を挟んで2人、適当な椅子に腰を下ろしていた。

何を記載するか、雑談混じりに会話は進む。

椅子を引く音がして、夕紬は手を止めた。

 

「……俺、如月さんのこと好き、です」

 

高田くんの声だった。

よく通る声。けれど、今はどこか緊張で滲んでいた。

 

夕紬の体が硬直する。

 

 

 

……今、彼はなんて言った?

 

言葉の意味を、すぐに理解できなかった。

 

 

何に対しての“好き”なのか、彼女には数秒、理解が追いつかなかった。

その“好き”が、誰に向けられたものなのか。

何を見て、何を思って、どうして口にされたのか。

 

彼女にとっての予想外。

 

そういった枠組みに、夕紬は自分をカウントしなかった。

 

それは、彼女にとってまるで──

水に石が沈むように。

夏に蝉が鳴くように。

抗うことすら考えない必然であり、

同時に、ただ“そういう存在”という認識だった。

 

 

だから、顔を上げられなかった。

固まった体の奥で、息が詰まる。

頭のどこかが“止まってしまった”みたいに。

 

 

「如月さん?」

 

声に、ゆっくり思考が戻る。

そっと顔をあげれば意識せずとも微笑が生まれた。

 

「……ありがとう。でも、ごめんね」

 

断る言葉は、慣れていた。

でも、このときだけは、胸の奥が軋んだ。

 

少し息を吸ってから、夕紬は顔を上げる。

 

「…ひとつだけ教えて欲しいな。

どうして、私だったの?」

 

“私は何を間違っていたの?”

静かに、けれど彼の目を見て確かに問うた。

 

“答えを欲している”のではなく、“答えが欲しくない”からこその問いだった。

彼は恥ずかしそうに目線を逸らし、頬を指先でかきながら思いのたけを伝える。

 

「ずっときになっててさ…ほら、如月さんみんなの気付かないこと気づくし、優しい、じゃん。

でさ、文化祭でも頑張ってるの見て……自分を持ってて強いなって……」

 

言葉に詰まった彼は一瞬目を瞑ったが、顔を上げた。

あぁ、その目は、その目だけは、辞めてほしかった。

 

「──俺もそうなりたいって思ったんだ」

 

 

そう返された言葉は、まっすぐで、嘘がなかった。

あこがれ、尊敬、一生自分に向けられることがないと思っていたものたち。

 

 

私はそんな大層な人じゃないよ。

 

私は、

ただ、必要だったから。

そうしただけなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──あぁ、そうか。そうだよね。この人にとって、それが“私”だったんだ。

 

 

当然のこと。

理解しているつもりだった。

今になってやっとその事実を、本当の意味で理解した。

 

 

 

 

 

 

「俺も、理由……聞いていい?」

 

沈黙を恐れず返された問いに、夕紬は少しだけ目を伏せる。

 

 

「……あまりそういうこと、考えた事なくて。」

 

声はやわらかい。いつも通りの笑顔の声。

けれど、目の奥まで作りきれる気がしなくて目を細めた。

 

 

──誰かに、選ばれた、なんて。

そんなこと、あるはずがない。

 

この人の“好き”が本物ならば、

私はこの生き方で──それを汚した。

 

 

 

学校で、この場で──いや、ユウが生きていく上で何かを望むことはない。

 

 

“好き”なんて貰えない。受け取れない。

 

向けられちゃだめだろう。

 

私は何も返せない。

 

私は、誰かの好意が向けられるようなものじゃない。

だって、今まで一度も、そんなふうに──

 

 

そこで思考を止める。

まだ、相手が答えを待っている。

 

ちゃんと、答えなきゃ。

 

 

「……ごめんね。進学とか考えること多いし、今は難しいかなって思っちゃった」

 

その声に、悲しみは込められなかった。

けれど意図せずとも動揺はあったのかもしれない、それらしい薄さを乗せた声。

たぶんそれは、自分の輪郭をこれ以上削られないための、無意識の防波堤だった。

 

「……ううん。こっちこそ、なんか…ごめん。

 でも、伝えられてよかった」

 

高田くんは、無理に笑おうとしていた。

その笑顔を見て、息が詰まりそうだった。

──私はいま、誰かを傷付けたのだろうか。

 

「……そんなことないよ、伝えてくれてありがとう」

 

なんとか笑顔を作る。

彼の中になにも残らないように、いつか消える記憶として滞らないように。

 

けれど微笑みに包まれたまなざしは、誰にも向けられていない。

 

 

 

日直の仕事を終え、2人で帰ることはなかった。

彼は気まずさに耐えきれなかったのか、先に帰っていた。

下駄箱を過ぎて、校舎の裏回る。

 

生徒が部活動に励む声が遠く、遠くから聞こえる。

 

 

 

 

 

限界だった。

これ以上は繕えない。

 

人気のない場所。

夕日の差さない影の中。

 

体が冷えて行くのを感じながら、

ユウは、しゃがみ込んだ。

 

落ち葉が一枚、風に流れていく。

 

ゆっくりと、膝を抱える。

けれど、泣かない。

 

涙は、生まれたからずっと出ないから。

 

うるさいぐらいに思考がこだまする。

 

──私はそういう存在じゃない。

 

 

 

それはかつて思い込みや、刷り込みだったのかも知れない。

でも、いまの彼女にとってはただの事実。

 

なのに、それが覆された。

 

……あり得ない。

だけど、この生き方を続けていれば、きっと、また起きてしまう。

 

だからこれは、再確認。

私がこう生きるならば、“周りにとって本当で、事実”になる。

そう理解して、それでも生きていかなければ。

 

 

 

 

 

 

 

しゃがみ込んだまま、指先がかすかに動いた。

 

 

 

 

 

「……感情だけ、浮かそう」

 

呟いた声は、自分にも聞こえないほど小さかった。

指は動かない。

気付けば、震えは体に伝播していた。

 

記憶も、対処も、あとまわしでいい。

だって──そうでもしないと、立ち上がることすら、できないから。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

生きていく中で覚えた術。

それが、“記憶の管理”だった。

 

いるものと、いらないものをユウが自分で決める。

 

そうすれば、生活を続けられた。

いままで一度も破綻はなかった。

 

けれど──

でも一度切り替わってしまった思考はそう簡単に戻せなかった。

 

 

ふとした時に、言葉の意味を考えてしまうようになった。

 

理由も対策もまだ、ユウにはわからない。

 

 

 

その週の金曜日、放課後。

教室に残っていたのは、担任と手伝いを頼まれた夕紬の二人だけ。

 

 

窓の外はまだ明るい。夕焼けには少し早い時刻。

 

職員室へ戻ろうとした担任が、ふと夕紬を目に留めた。

 

 

「如月さん」

 

 

にこりとした顔で、教師が話しかける。

夕紬もすぐに完璧な笑顔で、それに応じた。

 

 

「はい、先生」

 

「……ああいや、なんてことないんだ。ただ、少し思っただけで」

 

 

教師は教室の扉の前に立ったまま、何気なく口にした。

 

 

「如月さんは、本当に“良いお家”に引き取られて……良かったね。

 ヒーローに、だなんて……すごいよ。

 君の努力が、実を結んだんだと思うよ」

 

その声は、どこか労わるような響きを帯びていた。

教師は──夕紬が施設からヒーローに引き取られたことだけは、知っている。

 

たぶん、善意だった。

だから──言わずにはいられなかったのだろう。

夕紬は、そんな気配を感じていた。

 

 

言葉の意味はすぐに理解できた。

 

 

けれど、何かが胸の奥をかすめた。

 

 

夕紬の顔は、変わらなかった。

変わらない、はずだった。

 

 

一瞬、何を返せばいいのかわからなくなった。

 

向けられた言葉は優しさでできているのに、夕紬の一番柔らかいところを撫でた。

 

それでも、言葉は口から自然に出た。

 

 

「……そうですね、ありがとうございます」

 

 

声は穏やかで、表情も乱れていない。

 

 

だけど、

 

胸の辺りがぎゅっと縮まり、息が詰まった。

 

 

教師は気づかない。

 

本当に、ただの励ましなのだろう。

教師は言葉を続ける。

 

 

「努力は報われるものだって、生徒には信じてほしいからね。

 ……先生は、君のような子を、なんていうか、応援したくなるよ。

 お手伝いありがとう、気を付けて帰ってね」

 

 

そう言って、教師は笑って扉に手をかけ、教室を後にした。

 

夕紬はその後ろ姿にお辞儀をする。

 

 

──カツン、と靴音が遠ざかっていく。

 

 

 

教室に、ユウがひとり。

 

顔を上げても、その仮面は、まだ完璧だった。

 

笑顔のまま、誰にも気づかせないまま、

 

彼女はそっと窓の外を、空を見上げた。

 

 

(努力……?)

 

 

昼の終わりは、淡く美しかった。

でも、それを美しいと記憶する人は、ここにはいない。

 

胸の奥の、鈍い何かが軋んだ。

 

 

(わたしが、頑張ったから手にはいったもの?)

 

そういう考えもあるのかと飲み込みかけた時。

 

(努力すれば、報われる……?)

 

思考が琴線に触れた。

 

そこに触れちゃいけない。

思考の中に、小さな警報が鳴った。

でも──止められなかった。

 

(わたしが、ほんとうに、ほしかった、もの――?)

 

いつか見た、あたたかい記憶。

いつだか抱いた、憧れ。

 

 

すべてを塗り潰す、両手に広がる赤。

 

 

 

幻覚だ。

わかってる。

 

 

なのに、指先がかすかに震える。

後悔はない。過ちだとしてもあれを選んだのは私だから。

 

 

けれどそれは今の生活にあってはいけないもの。

だから、記憶の中に、それを押し込めた。

 

そうすればすぐに収まるから。

 

窓ガラスに映った笑顔の自分が、

 

 

──とても嘘くさくて、

 

 

──とても、完成された誰かだった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

部屋の中は、いつもと変わらないはずだった。

 

 

窓の隙間から忍び込む風の冷たさが肌をなでる。

暖房の効いた室内に、乾いた冬の匂いがゆっくりと混じる。

 

ゲームの中で繰り返される銃声と爆発音だけが、世界の輪郭をなぞっていた。

 

 

けれど──何かが、違っていた。

 

週に一度だった訪問が、週に二度になり、気づけば三度になった。

 

あのガキは、いつからそんな顔をするようになった?

 

あんなに無表情だったのに、

最近は少しだけ、目を細めることがある。

 

 

ページをめくる音が、妙に不規則だと気づいたのは、いつからだったか。

前はただの雑音だったのに。

今は──

 

死柄木は、ゲームの中でキャラクターが爆発に巻き込まれるのを見ながら、

無意識にコントローラーを強く握った。

 

「……お前、ヒマなのか」

 

ふいに、声が出た。

 

隣で本を読んでいたユウが、ゆっくりとページを閉じる。

そして、小さく頷いた。

 

「……そうかも」

 

それだけだった。

 

何の含みも、説明もない。

ただ、そう言って、何の言葉も続かない。

 

だからこそ、苛立った。

 

「……バカじゃねぇの」

 

呟くように言って、再びゲームに目を戻す。

けれど、指先の力加減がうまくいかず、銃を外した。

敵が画面の外へ逃げる。

 

「チッ……」

 

舌打ちをしたあと、何も言えなくなった彼は、ゲームのボリュームを無造作に大きくした。

 

 

 

 

 

 

画面から視界を離したとき、

机の端に、チョコの包み紙がひとつ置かれていたことに気付く。

 

 

今日もまた。

 

それが余計に、むかつく。

 

なんであんなこと、言ったんだ?

 

集中できなかっただけ。

 

でも、それは──

 

気づけば、ユウの姿がない。

いつものように、黒霧が彼女を連れ帰ったのだろう。

ドアの隙間を通って、微かに黒霧の声が死柄木の耳に届く。

続いて、ユウの声も。

 

言葉の意味は聞き取れなかった。

 

それから、しばらくして──音が消えた。

 

あのガキが何を思ってここに来るのか。

“最近見せる知らない顔”が、なに向けたものか。

 

それが気になる時点で──

 

自分の中に、“他人の声”が入り込んでる気がした。

 

まるで、あのページをめくる音みたいに。

 

どこまでも静かに、

でも確かに、侵食してくる。

 

死柄木は、もう一度ゲームを始めた。

 

何度も同じ敵を倒す。

でも、スコアは伸びなかった。

 

指先が、何かを探しているように、落ち着かない。

感情か、答えか、それが何か彼にはわからない。知ろうとしない。

 

 

 

 

「……意味なんてねぇだろ」

 

なんで、あいつの足音が耳に残る。

 

 

かすれるような声で、ひとりごと。

 

その声もまた、冬の空気に溶けていく。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

なんで、私はあそこに行くんだっけ。

 

彼に問われた疑問が頭から消えない。

 

回数が増えたのは迎えが来るからだっけ。

自発的に要求した覚えは、ない。

 

でも、不要なら断れば良いだけ。

 

なのに……なんで、私はそうしない?

 

私が彼に会いに行く理由なんて、

 

 

──彼がどう生きて、終わるのか。見たいだけだ。

 

参考に、したいだけ。

 

なら、今の頻度は──いらないはずだ。

 

 

ゲートを開く黒霧にユウは声をかけた。

 

「最近よく、来てくれますね」

 

「そうでしょうか。ご迷惑でしたか?」

 

黒霧の言葉にユウはかぶりを振った。

 

「いいえ。でも、もう大丈夫です」

 

 

「かしこまりました」

 

言葉の響きが、まるで録音されたもののように無機質だった。

ユウは何も言わず、目の前の歪んだ靄へと、静かに足を運ぶ。

 

彼の意思か。誰かの命令か。

わからない──でも、わかる必要もない。

 

それは、自分に関係あることでも、意味のないことだったから。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

目の前に開いた黒霧にユウは、黙って身をゆだねる。

慣れた動作。何も言わず、何も訊かず。

ただ、煙の縁を踏むようにして一歩、足を踏み出す。

 

視界が揺れ、空間を包む鈍い音だけが、耳の奥に残った。

 

──次の瞬間、

靴裏がコンクリートを踏む乾いた音がした。

 

風が吹いていた。空が近い。

それが、いつもとは違う場所だと教えてくる。

 

ユウは、目を細めて周囲を見渡す。

 

高層ビルの屋上。

人気はなく、フェンスの向こうには遠く街の灯りが瞬いていた。

 

照明はない。

夕暮れの残滓と、ビルの反射光だけが周囲を照らしている。

 

 

「……千響夕紬」

 

 

静かな声だった。

彼にそう呼ばれたのは初めてかもしれない。

 

どこか、普段よりも少し、感情が乗っているようにも思えた。

 

 

ユウは振り向かずに立ち止まる。

 

次に来る言葉を、なんとなく予想していたから。

 

 

「あなたに──“監視”をお願いしたいのです」

 

 

 

 

……思ったより大変そう。

 

でも、予想通りのお願い。

 

ユウは意味もなく、瞼を閉じた。

 

 

「あなたには、雄英高校、ヒーロー科に入学していただきたいのです。

 現在のあなたは本来……表向きはヒーローの保護下に置かれ、敵と断絶した存在です。

 だからこそ、あなたには、“監視”と“報告”を任せたい。」

 

 

「…………」

 

たぶん、それだけが理由ではないと、勘が告げている。

けれど、ユウには問う意味もない。

 

 

「あなたにはできます。

 誰よりも他者を演じてきたあなたなら──適役です」

 

 

断ずるその言葉に、ユウはふっと笑った。

 

でもそれは、皮肉ではなく、どこかで安心したような表情だった。

 

張り詰めた空気に似合わず、まるで舞うように振り返る。

 

 

「最初から、そういう予定だったんでしょ」

 

 

「……はい。ですが、選ぶのはあなたです。

 ……そして、これは私の意思ではなく、──死柄木弔のものでもありません」

 

 

ユウの瞳が揺れる。

それは、黒霧の優しさ…ではないかもしれないが気遣いが乗っていた。

 

少しの、予想外。

 

「──そう。じゃあ、断る理由、ないね」

 

 

声は温度があった。故に微笑みもいつもより淡く。

どこか穏やかさすらある事に、彼女だけは気付かなかった。

 

それが承諾の返事だと理解した黒霧は、深く一礼した。

 

 

「必要になるものは、近日中にお渡しします。

 また、指示は必要最低限。

 行動の判断は、すべてあなたに任されます」

 

 

「わかった」

 

口にするか、一瞬の迷いを孕んだ。

 

 

「ありがとう、ね」

 

けれどユウは微笑みと共に、胸の内に浮かんだ言葉をなぞった。

 

 

「……」

 

黒霧は珍しく言葉を飲んだ。

ユウは反応をうかがうこともなく、踵を翻し、ビル外周──光の方へ歩き出す。

……でも、数歩で立ち止まった。

 

「……ねぇ」

 

「…? はい」

 

「どうやって、帰ればいいかな?」

 

振り向かずに問う声に、黒霧は一拍の沈黙のあと、

少しだけ申し訳なさそうに体のモヤを展開する。

 

そして、ふたたび黒い靄を開く。

 

「……失礼しました」

 

ユウは、肩の力を抜いて、ぽつりと返す。

 

「……だよね」

 

足音もなく、黒霧のもとへ戻っていく。

 

 

一歩踏み出すと、コツと固いコンクリートの感覚が足に帰る。

風でふわりと髪が躍る。

空を瞬く星は眩しい。

 

 

 

私の人生に、たまに顔を出す“誰か”。

私を便利なものにしたいのか、観察したいのか、奇妙な物好き。

 

ずっと、片鱗しか見えなかったその“影”が、ようやく輪郭を持った気がした。

 

生まれは間違いだった。

育ちも、たぶん間違っていた。

 

間違いだらけの人生。

 

だからこそ、どう終わるか正しく、きれいに終わるかを考えている──

 

でも、私の体も、環境も、少しずつ変えてきた“誰か”がいたのなら、

 

ほんの、少しくらい、

その人のせいにしても……いいのかもしれない。

 

私はあの日からどこか歯車から外れたのだと思う。

 

そんなものに興味を示す人は、きっと、彼の──

 

……まあ、いいっか。

体も意志も、今はその人が好きにしていい。

私をどう使うかは、そっちの勝手で構わない。

 

でも、

どう終わるかは、私が決める。

 

 

 

──なんてね。

 

生まれてから今まで、私の人生に、選択に“正解”なんてなかった。

 

誰かを言い訳にするのは、お門違いだ。

 

 

それでも足取りが、すこしだけ、軽くなる。

 

罪がひとつ、消えたような気がした。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

ヒーローサイレンの個人事務所。

無機質な受付を抜けた先、ひとつだけ灯りのついた部屋があった。

 

ドアの前で立ち止まり、ノックはして──

 

 

「入れ」

 

夕紬は静かに扉を開けた。

 

先に中にいた如月漣が、ファイルから目を離さない。

 

部屋の中には、整理されたデスクと、黒を基調とした家具。

壁に掛けられた業績証明の盾が、光を吸ったまま沈黙している。

 

夕紬は制服のまま、応接用の椅子に腰かけた。

姿勢は崩さない。目線は程よく。呼吸のリズムも変えない。

 

「進路希望について、最終確認だ」

 

「はい。内容に変わりはありません」

 

漣はデスクに置かれた書類を一枚めくる。

ページの角が擦れる音だけが、室内に小さく響いた。

 

「“雄英高校・ヒーロー科”──第一志望、理由は“個性の正しい運用を学ぶため”」

「……妥当な記述だ」

 

 

 

夕紬は何も返さず彼の目を見る。

漣もすぐには続きを話さない。

沈黙は、この空間において“乱れではない”。

 

やがて──

 

「社会で生きるには、“個性”を“制度の下で許容されたもの”に変換する必要がある。

 過去の記録がどうあれ、“修正された”という経緯が、他者を納得させる

 ──適切な判断だ」

 

 

 

夕紬が言葉を肯定するようにまぶたを、わずかに伏せる。

 

 

 

「“なるべきもの”としてその進路を選んだのなら──それは、構造的な自律とみなす。

 自己裁定の形として、提出は受理しておく」

 

ペンが小さな音で署名欄をなぞる。

 

 

「ヒーロー科での生活には、表情、会話、行動──

 あらゆる感情の管理が求められる。

 だが君は、それを“求められるまま遂行できる側の人間”だ」

 

 

夕紬は小さく「はい」とだけ返した。

それが同意か否かかも、わからなくとも、漣はそれ以上の返答を求めなかった。

 

 

互いに何も踏み込まない。

 

でも、互いに“わかっていないわけではない”。

 

互いが互いに、求める形を。

 

それが──この二人の距離だった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

そうして夕紬の進路は決まっていた。

けれど、学校でも形式的な確認は取られる。

 

教室の窓から秋の光が射し込み、淡く埃を照らしている。

簡易な三人がけの机に、資料が数枚、綺麗にまとめて置かれていた。

 

 

 

「じゃあ……進路面談、始めますね」

 

担任の教師が少し緊張気味に微笑むと、

夕紬は制服のまま、背筋を伸ばして丁寧に頭を下げた。

 

「よろしくお願いします、先生」

 

その声には、よどみも曇りもない。

明るすぎず、静かすぎず──教える立場の者にとっては、理想的な応対だった。

 

 

 

教師は進路調査票に目を落とす。

 

「ええと、第一志望は“雄英高校・ヒーロー科”で、合ってますか?」

 

「はい。難しい、ですかね?」

 

「そんなことないよ、夕紬さんなら平気だと思う。

 ただ、入ってからも大変だと聞くよ平気かい?」

 

「…覚悟の上です。

 それに、私には、漣さんがいますから」

 

完璧な笑顔。

言葉遣いも申し分ないけれど、有無を言わさぬ気配をにじませる。

そして、どこか緊張しているような仕草すら、他人に安心感を与える“人懐こさ”に見えた。

 

 

 

教師は頷きながら、ちらりと隣の如月に目を向ける。

スーツの男は、無表情のまま書類に目を落とし──

 

「本人の選択に異議はありません。保護者として可能な限りサポートします」

 

それだけを、抑揚なく言った。

 

 

 

「なるほど……現役ヒーローのサポートは確かに頼もしいね。

 うん、夕紬さんなら大丈夫だと思いますよ。

 成績も安定してるし、生活態度も申し分ないし……正直、我が校で安心して送り出せる数少ない生徒の一人です」

 

「ありがとうございます。ご期待に添えるよう頑張ります」

 

夕紬はふわりと笑い、少しだけ首を傾ける。

“可愛げ”として評価されることを、彼女はよく知っていた。

 

 

 

「あ、でも……何か心配なこととか、不安なこととか、あったりしますか?」

 

声色は柔らかく、けれど“優等生には届きにくい質問”だった。

夕紬は、にこりと微笑んだまま首を横に振った。

 

「いえ、大丈夫です。……あっでも何かあったら相談させてもらっていいですか?」

 

その返答も、ほんの一拍、遅れすらも、あまりにも自然で、整っていて──

“そう答えるように組み立てた何か”を隠しきっていた。

 

 

「ええ、もちろんです」

 

そう微笑む教師は“役目を果たした”という感覚を与えられていることにも、“綺麗に処理された”ような感触すら気付かない。

 

「ありがとうございます」

 

 

資料の確認も終わり、面談はほぼ形式通りに終わった。

 

「じゃあ、この内容で進めさせていただきます。もし、何か変更があったら連絡ください」

 

「はい。ありがとうございました」

 

「貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。今後も夕紬をお願いします」

 

漣の声には、抑揚がなかった。

それは“感謝”ではなく、“終了”を告げる音。

 

 

夕紬は再び、丁寧に頭を下げて教室を出た。

一礼の角度も、動作の速度も、すべてが“模範的な生徒”だった。

 

だから、その背中に、揺れのひとつもなかった。

 

 

廊下の先に彼女の背が消えてから──

担任はようやく、ため息をついた。

 

 

(……本当に“いい子”だな。

 むしろいい子過ぎてちょっと……)

 

でも、言葉にはしなかった。

そういう子なのだろう。

だって、本当に“何も問題がなかった”のだから。

 

 

書類を閉じる音だけが、妙に静かだった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

バタンとロッカーの扉を閉める。

袖を通したジャージはまだ肌になじまない。

夕紬は周りに合わせて歩き出す。

 

 

 

……受かるために来た。

 

 

ヒーローに引き取られた、ヒーロー志望の少女として。

 

 

誰かに憧れてでも。

誰かに褒められるためでもなく。

 

ただ、“必要”だから。

 

 

人より記憶力が良い彼女が、筆記で落ちる理由はない。

きっと、実技もたやすいだろう。

 

それだけの知識が埋め込まれ、経験が刻まれている。

“個性”も演技も、そのすべてが──このためにあるのだとそんな気がした。

 

 

更衣室のドアをくぐる足取りは、静かだった。

透明なガラス壁に、普段通りの自分の顔が映った。

 

 

けれど目は──“通過点”を見るようだった。

 

一度瞬きをして、瞳に乗せる感情を意識する。

 

そうすれば、正しい顔になる。

 

 

今思えば、説明会でプレゼント・マイクを見た時の反応は褒められたものじゃない。

 

閉じてあった本が、風に煽られてページをめくられるように。

しまっていたはずのその一枚が、ふいに光に晒されたようで──

胸の奥が、ひどくざわついた。

 

 

それはもう、いらないもの。

 

少なくとも今は足枷でしかない。

だから夕紬はまた、記憶を浮かせておく。

 

 

 

 

 

「A会場はこちら」

 

 

案内されるままに、会場へ着くと──見覚えのある金髪を見つける。

 

 

(……あ)

 

 

夕紬のまつ毛がかすかに揺れる。

小学生以来だろうか、やる気に満ちた顔はあの頃から変わらない。

 

でも、話しかけることはない。必要もない。

 

 

 

「はい、スタート!!」

 

 

プレゼント・マイクの声が響いた瞬間、空気が一変する。

走り出したのは、ごく一部の生徒だけだった。

その中には、懐かしい彼の姿もあった。

 

「どうした! 実戦にカウントなんざねぇんだよ! 賽は投げられてんぞ!」

 

 

あわてて動き出す人々の波にまぎれながら、夕紬は焦らず歩みを進めた。

人混みの合間でふと横道に逸れる。

目の前の信号機に手をかざす。

 

 

「……3ポイント」

 

 

仮想敵が、信号機の支柱に串刺しになったまま、ぎこちなく痙攣して──それきり動かなくなる。

 

ある程度呼び出したら歩き出す。

敵の数が疎になる様に。ほかの誰かの邪魔をしないように。

 

呼び出すだけの、ただそれだけの作業を、淡々と繰り返す。

時たま、危ない生徒を見かければ、助ける。

 

また、歩き出す。

その足取りはきっと散歩と大差ない。

 

 

足を止めたのは眩しさからだった。

 

角を曲がると共に視界の奥で閃光と爆発音。

反射的に彼が目に入ってしまった。

そして、彼が壊そうとする仮想敵も。

 

「……“2ポイント”」

 

ミスと気づくと同時に声が飛んできた。

 

「テメェ、俺のポイント取ってんじゃねぇぞ!!」

 

鋭い怒声。

荒々しい反応に、夕紬は眉を下げて申し訳なさそうな顔を作る。

 

「ごめん、わざとじゃ無いんだ。

 ほら、“3ポイント”、これあげるから許して」

 

 

一瞬、爆豪が目を見開く。

 

「施しなんか受けるかよ!!」

 

けれど文句を言いながらも、きちんとそれを破壊して去っていった。

 

 

軽く手を振って、夕紬も歩き出す。

別れたのは、10年も前。多分彼は気付いていない。

 

それで良い。

 

 

──歩き出したとき、ほんの一瞬、視線を感じた気がした。

誰もが、すぐに通り過ぎていくのに──その視線だけが、妙に長く残った。

 

 

「……なんだ、あれ」

 

 

誰かの声。

ふと目をやれば、紫の髪の少年が立ち尽くしていた。

 

記憶を探る。

“個性”を使った場面は──なかった気がする。

きっと、対人に有利な能力。あるいは──

 

「あぁ、そっか」

 

そう呟いて、夕紬は敵を突き刺した街灯に目をやる。

さっきの続きを演じるように笑顔をつくって、小さく手を振った。

 

「ごめんね。気味悪かった、よね」

 

けれど、その声は、演技ではなく反射だった。

 

「“2ポイント”」

「“脚部”」

 

目の前に現れた機械が二言目で崩れる。

驚いて目を丸くする彼は、けれど納得といった顔をしていた。

 

夕紬はもう一度だけ手を振って、歩き出す。

 

(彼も、ヒーローに憧れてるのかな)

 

多くの人間が、憧れや願いを抱いてヒーローを目指す。

 

それが下世話なものでも、高貴なものでも、

夕紬にとっては、どれも等しく、尊重されるべきものだった。

 

 

彼女の思考を遮るように、地面が震える。

巨大な機体が、どこからともなく現れ、空を覆い隠す。

 

一歩ごとに地面が揺れ、周囲の人々が押し合い、逃げ惑う。

 

夕紬は、それをただ見ていた。

 

そのとき──転ぶ少女の姿が、視界に入る。

 

これは試験だ。

あのゼロポイントは雄英の制御下に置かれている。

本当に誰かを踏み潰すことは、ないのだろう。

 

 

けれど、それを放置するのは──ヒーローではない。

 

 

 

「“君”」

 

自分だけが聞こえる声で、呟く。

それだけで転んだ女子は夕紬のそばに転送される。

そして、二次被害を生まないように巨大な機体を夕紬は見据えた。

 

視界に収まらない、大きい。

 

だからあの力に頼る。

一瞬、膨大な視界情報が脳裏をかける。

補強箇所、稼働軸、支柱──

じわっと脳が熱くなった気がした。

 

「“ネジ”」

 

呼ぶべき部品の名を、総じて呟いた。

 

次の瞬間。

無数のネジが音もなく目の前に出現し、足元に転がる。

数にして63。それをいま、ここで把握している者は、世界でひとり。

カラカラと床を転がるその微かな連なりは、地鳴りの前触れのようだった。

 

巨大な機体が、一拍遅れて、

音を立てて崩れ落ちる。

 

支えを失った鉄骨が、静かに──そして確実に膝を折る。

 

 

 

さっきまでの喧騒が嘘のような静寂。

 

夕紬が少女のそばに歩み寄る足音が妙に響いた。

 

「……怪我、ない?」

 

静かに問いかけた声に、

少女は声を出さなかった。

ただ目を見開いたまま、こくこくと頷くだけだった。

 

夕紬はそれを見て、頷き返す。

 

「……良かった」

 

そう言って、笑顔を深くした。

まるで感情の“正解”をなぞるように。

 

 

 

振り返ると、さっきまで逃げていた生徒たちが、

いつのまにか、彼女を見ていた。

 

表情は、まちまちだった。

──畏れか、憧れか、ただの驚きか。

 

けれど夕紬には、それがどれなのか、わからない。

というより、どうでもよかった。

 

(……こういう時、どう振る舞うのが“正解”だったっけ)

 

思考がわずかに曇る。

“個性”の負荷だ。一度に63個も呼び出したのは──、いつぶりだったか。

 

でも、“ヒーローらしく”振る舞うなら。

恐怖ではなく、歓喜に変えなきゃいけない。

 

だから──

 

“こういうときは、たぶんこうするものだ”と、夕紬は笑って、ピースサインを掲げた。

 

わずかな沈黙ののち、

「……やば」

「かっこよ……」

「あれ、何者……」

とつぶやく声が飛ぶ。

 

拍手が起きることはなかったが、

どこか場が収まり、誰もそれを否定しなかった。

 

 

 

「受験、終了!!」

 

 

マイクの声が空気を割いた。

 

だが、夕紬は足を止めなかった。

 

静かに、付近でうずくまる生徒へと歩み寄る。

小さく声をかけ、怪我の有無を確認し、

救急ロボを呼び出す。

 

試験の終わりは、彼女を止めない。

 

ユウにとって“ヒーローらしさ”とは、

評価でも、勝敗でもないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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